頭部にロボット風の被り物をした凄腕ハッカーであるロボ太は不本意なことに嗅ぎなれたホルマリンの匂いと不気味な寒さのする地下施設へと戻ってきた。
ロボ太がある仕事をきっかけに関わりを持ってしまった真島とだけ呼ばれる謎のテロリスト。バランス、という主義なのか思想かも判別付かない行動理念だけで活動する悪党たちの頭目。
そんな男の強引な勧誘によりロボ太は真島たちがアジトとしている大学病院の
まるでモグラみたいな地下暮らし、元はインドア派だったロボ太も同じ空間にいる真島や、
自作したデバイスのパーツを買いそろえ、再び死体安置所にロボ太が帰ると四方八方、ぐるりと少年を取り囲むような銃口の歓迎を受けた。
ティナが持つ狙撃銃に、サブマシンガンや拳銃、真島も特注の黒いリボルバーを構えて、帰ってきたロボ太の頭部に銃口を向けている。
「っわわわ、いきなりなんだ!?」
「──ハッカー?お前、あの赤いリコリスが言ってた“ヨシさん”ってのに心当たりあるだろ?」
ギクッとロボ太の身体が跳ね、脚が震え始めた。
「え~っと…………さぁ?ちょっと記憶に無い、んだけど」
真島への言い訳とは裏腹にロボ太には思い当たることがあった。ただの一介の女暗殺者、リコリスにやたら執着するアラン機関のエージェント。しかし、此処で一時的とはいえ依頼者の情報を易々と喋るのはプロとしての意識に──。
「じゃあ、その頭要らねぇってことだな?」
カチリ、安全装置を落とす音や狙撃銃のボルトが引かれるのを見て、ロボ太の血の気が引いていく。
「室戸せんせい~~!!」
「安心したまえ、銃で君の頭がハチの巣にされたら外傷のない頭部と替えてあげよう」
脅しではなくホントに趣味の一環で頭を取り換えられるという事実を前に、プロ意識とかいうものよりも自分の命が優先される。
「思い出した!思い出したから!アイツ、あのリコリスの支援を担当したアラン機関のエージェント!知ってるのはそれくらいなんだ!……僕とアイツに直接の面識はない。依頼も毎度、通信越しでやり取りしてるしな」
真島が軽く手を挙げると、銃口は速やかに下ろされて周囲にいた傭兵たちは踵を返して真島の側に控える。ティナだけは興味を無くしたようで早くも姿を晦ましたが、真島の統率力の高さが伺えた。
あくどい笑みを浮かべた真島はホールドアップしたロボ太へ近づくと、親し気に肩を組んである提案を持ち掛けた。
「思った通りだ。なぁ、ハッカー?さいっこうに面白い話があるんだが、ひとくち乗らないか?」
「あっ……ふへぇ?」
「いらっしゃいませ~~!い~らっしゃーせ~!らっしゃーせー、へいらっしゃいらっしゃい!!いらっしゃ~せ~!!」
「じゃかーしぃ!!」
「あっ、ごめん」
ちゃぶ台を拭いていた黄理は、フキとサクラが来れなくなったことで気負っているような千束と平常運転なミズキのうるさいやり取りに悪態めいた反応を返す。
「婚期も短いのに気も短くしてどうすんだよ」
「気はともかく婚期短いってどういう意味だオラァ!!」
「はぁ~あ~、ひっまですなぁー」
急なシフト変更で呼ばれた俺はダレ切った千束をカウンターからジッと観察している。ふとした拍子、こちらの隠す気も無い視線と千束の目線が噛みあう。意外なことに千束は目線を反らしはしなかったが、もごもごしてからやりにくそうに口元を尖らせると何も言わずにレジの方に行ってしまった。
千束がレジをいじっていると本日最初の客、ではなく私服姿のたきなが現れた。どうしたのだろうか、たきなが私服でリコリコに来るなど随分と珍しいが。
千束もたきなの服装の理由が読めないのか、不思議そうに首を傾げている。
「おーっとと、おかえり?いってきます?」
「確かに外出はしますが、その前に千束。ちょっとお話が」
「え?……はい」
たきながお座敷席に千束を手招きする。どうやら、千束に伝えたいことがあるらしい、邪魔にならないよう俺はカウンターに移動しようとすると、たきなが俺の袖口を掴む。
「黄理くんもです、来てください」
「……はい」
圧が強い、たきなの言い方だと来てください(要請)ではなく、来てください(強制)というニュアンスだ。たきなと千束に挟まれる位置に座らされたわけだが、居心地が悪い所為で背筋には嫌な悪寒が刺さっている。
すっかり萎縮した俺を尻目に、千束は何処か面白がってる声音でたきなへ訊ねた。
「なにごっこ?」
「──え?」
千束の質問にたきなは思わず素で聞き返すが、その返しを予想していなかった千束と俺も同じような声を出してしまう。
「え?」
「え?」
視界の端でミズキさんがずっこけているのは、置いておくとして。
三人共、状況を呑み込めていないために困惑を隠せない。おかしい、話の流れ的にたきなが主導権を握っていたはずなのに全員そろって首を傾げている。このよく分からない空気に呑まれまいとしたのか、たきなは表情を引き締めて本題に入った。
「──出かけましょう」
主語が丸っと抜けた発言の後、たきなが差し出したのは以前の観光依頼で作ったような小冊子であり、“遊びのしおり”と分かりやすい題名に、手書きと思しき不格好なペンギンのイラストが併記されていた。
あまりの嬉しさに千束は笑み綻び、瞳を期待に輝かせる。
千束がミカさんの方を窺うと。
「ああ、行ってこい」
保護者から快くお墨付きを受け、千束は憂うことなく店を飛び出そうとする。しかし、たきなが千束の早合点に待ったをかけた。
「その前に一ついいでしょうか?」
「はいはい、千束お姉さんがなんでも承りますよっと──」
「では遠慮なく。……黄理くんも誘ってもらえますか」
なぜ、いったん千束を経由するのだろう?
きっぱりとしたたきなの宣言を横で聞いて、俺は状況を呑み込めず訝しむことしかできない。視たところ千束の感情も似たり寄ったりみたいだが、ヒートアップ気味なたきなに珍しく圧されていた。
「えーっと、この至近距離だし、とっくに聞こえて……」
「千束の口からお願いします」
「おおう、すげー熱意……」
たきなの気遣い、だろう。なんとも不器用で、だからこそいじらしい。
はた、と俺と千束の眼差しがぶつかった。彼女は悔しそうに歯噛みして、僅かな葛藤の後に偉そうに腕組みして立ち上がった。
「~~っぐ。と、とくべつに……黄理も一緒に来ていいけど、どうする?」
意地っ張りで相変わらずな、千束の態度に思わず笑ってしまう。
「ちょっ!?なに笑って──」
「……喜んで。せっかくのお誘いだ。断ったらバチが当たる」
千束が得意げに鼻を鳴らす。そして晴れ晴れと何を着ていこうかと浮かれている千束を見て、無性に悲しさがこみ上げた。きっと、病院で俺が老爺を殺めていれば、こうして笑っている千束と共にいることはなかったと断言できる。
けど、この先に待ち受けるのは千束が俺たちの前からいなくなるという避けられない現実。
どうすればいい/俺に何ができるだろう?
分からない/それが無性に悲しかった。
気づくと、俺は千束の手を掴んでいて──。
「──ごめん、ほんとうに……ごめん」
言ってから自分に呆れ果てる。何に謝ってるんだ、いきなりこんな訳の分からないことを。でも、嗚呼。千束を救うために何もできないこと、千束との約束を破りかけたこと、たきなにおぜん立てされるまで謝るなんて簡単なこともできなかったこと。
ろくでもないことに謝るあては山ほどあって……。
罪悪感で頭を掻き交ぜている俺に温かな声が降り注いだ。
「まったく、いつまで経っても変わんないんだもんさぁ──」
手が静かに握り返された。優しく繋がれた手の先に顔を上げる。
「──いいよ、許したげる。ギリギリで、約束守ったわけだしぃ……あ~でも本当に約束をパーにしかけてたの忘れてるわけじゃないから!」
怒ってるんだが、励ましてるんだか分からない千束の言い振りは、胸が痛くなるほどいつも通りで、ひたすらに優しかった。
千束に何も言い返せず、どうしたものかと苦笑していると子供の頃から変わらない強引さで手を引かれる。
「ほら、たきなのエスコートが待ってるんだから!はやく行くよ~」
一同、三人はリコリコで分かれ、あらためて合流することに。
大き目のモッズコートを羽織った黄理は、待ち合わせ場所に佇む千束の立ち姿を遠目に確認する。やがて、たきなお手製のしおり片手に歩いてくる黄理に千束が気づくと笑顔で手を振ってくる。
元気に跳ねる千束と落ち合った黄理は、彼女の服装をよく観察した。
ダボっと袖を余らせたジャケットに合わせ、ウールのスウェットをワンピースのように着こなしている。活発な気質の千束と相性が良いようで服の良し悪しが分からない黄理も、“おぉ”と謎の感動に打ち震えた。
ふと、ファッション弱めな少年は少女が首元に巻いているものに目線を惹かれる。
「──千束、なにそれ」
「なにって、どこのどれ?」
「首のそれ。なんだろう……マフラー?」
「あ~、これね?マフラーの親戚、みたいな?スヌードっていうの。ほれ、輪っか状になってるんで、派手に動いてもほどけない優れもの。もこもこだからあったかいよ~」
得意満面な様子で千束はスヌードに指先をかけて軽く広げてみせる。ただ、その挙動を取った際、黄理が覗き込むような体勢だったために生じたアクシデントがあった。スヌードを引っ張ったことで自身の喉元、鎖骨の少し上めの肌が露わとなり、千束は黄理の視線を鎖骨辺りで察知する。
慌てて黄理の目を手のひらで覆い隠し、千束は口を尖らせた。
「……どこみてんの、えっち」
「お前が見せてきたような……なんでもない」
千束に手をどけてもらい、しばらくして──。
雑踏のなかからひときわ目を惹く服装のたきなが現れる。この場合の目を惹くとは、良い意味ではなく浮いているという表現に該当する。たきなは以前、購入した半袖の格好、いや夏服で冬の街中に繰り出していた。冬らしい装いがあるとすれば、首元でたなびく淡い黄色のマフラーくらい。
半袖マフラーという奇抜なファッションに度肝を抜かれた黄理、千束が二人揃って狼狽えている。それに気付いたたきなはこてり、と首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いや、たきなの方こそどうしてそんな夏真っ盛りな格好に?」
「この時期の半袖は暑い寒い以前に冒険過ぎん?」
「?……千束が選んだものですよ?」
「……千束、おまえなぁ」
「わたしのせーいにすな。ちゃうて、選んだのは夏の時期だったからでぇ~。そもそも夏のファッションをどうして冬でも通用すると思っちゃうかね。せめて、もっとなんかなかったの~?」
「えっと、マフラーを巻いてます」
「マフラーで十点加算されたとしても、半袖で五十点減点でーす」
「差し引き四十か、辛いな」
そこで黄理はおや、とたきなのマフラーに注視する。何処かで見た憶えのある淡い黄色、まるで子供の丈に合わせた様な長さ、これはもしや俺が幼少期に巻いてたヤツなのでは?
子供の頃、雪の降る日に東京に配属されたたきなと出くわした際、制服だけで寒そうだったからマフラーを渡したことがあったっけ。まだ使ってくれる辺り、律儀なたきならしい。
待った、これ深く考えるとたきなの服装で彼女自身が選んだ服飾が何もないということになるのでは……。
千束に言ったら、たきなが更なる減点を食らいそうなので俺は黙ることにした。ポケットに手を入れて暖を取っていると、横で千束がたきなに飛びついている。
「ああもう、たきなの体めっちゃ冷やっこい~~!」
「私のことはもういいですから……予定時刻も迫っていますし買い物を始めましょう」
「……早いとこお買い物行くのは賛成だけど、こんな冷えてちゃ風邪ひくって。……きりー、ん」
何かを渡してもらおうとするように手を出す千束。いや、たきなをこのままにできないというのはわかるけど、もっと要求をするときは言葉を尽くすものではなかろうか。
ため息を吐き、すごすごと俺は着ていたコートを差し出した。
千束は満足げに受け取り、ぽんぽんと何か探すように男物のコートをはたく。それから頷いて、千束はたきなへ少女が着るには無骨過ぎるコートを寄越した。
「武器なーし、不審物なーし。はい、どうぞ」
「と言われても、これ黄理くんのじゃ……」
「いや良いんだ、タチの悪い追剥に遭ったと観念する」
「納得はしな──できないんですね」
「さぁ~て千束さんプロデュースの冬服が火を噴くぜぃ」
「服を買いに行くのに最も適さない形容が使われた気が……」
「観念しよう。これ以上、張り切らせたら何を言い出すかわからん」
浮かれた調子の千束はたきなを引っ張っていって、着せ替え人形にする気満々だ。ブティックの密集したエリアは年の瀬に向けてなのか購買意欲を促進させるために装飾は過剰、商品棚は色彩が賑やかすぎる。
たきなと黄理が目を点にさせているのもお構いなしに、千束は手近な店に入るや、たきなの冬服を選んでいく。冬用の服一式を抱え、たきなは試着室へ放り込まれた。
しばらくして着替えが済み、カーテンが開けられると千束は腕を組んで、ニヤリとほくそ笑む。
「いやぁ~、やっぱたきなってば良い素材ですな~。はいっ、そこでクルっとまわって~」
「クルっ、と?」
クルリと片足を軸に回って見せた少女の振る舞いに黄理は目を輝かせる。
「──すごい。とても似合ってる」
言い切ってから、黄理は少しショックを受けたように肩を落とした。
上手いこと褒めようとしたのだが、自身の弁舌が達者ではないことを実感するだけで終わってしまった。“すごい”、“とても”、なんて子供でも言える。もっと、なんというか色々とあったはずなのに言葉にならない。
だってそうだろう、言葉にしたら、表現したら、それが陳腐になってしまうようで、ただ呆けたまま“すごい”なんて言葉しか口を出ないのだ。
暖かそうな黄土色のセーターと丈の長いロングスカート、アクセントに赤のベレー帽を組み合わせた服装。これは想像だが、木々立ち並ぶ公園とかでひっそりと本でも読んでいそうな淑やかなお嬢様感のある装いだ。なんでも着こなせてしまうたきなの立ち居振る舞いはいっそ感服すらしてしまうほどに綺麗なものだった。
千束と黄理から褒められて赤面するたきなはこのまま購入することを店員に告げると、先ほどまで上着にしていたモッズコートをセーターの上から当たり前のように着込んだ。
ちなみに黄理の着ていたモッズコートは非常にごつく、ミリタリー色が少し強めとなっている。つまりだ、華奢な少女向けのファッションと合わせるのに向いていないはずなのだ。千束は困った顔で元は黄理のだったコートを指さす。
「……たき、な?それ上着にするの?」
「はい、何か問題が?」
ごついモッズコートの下にある少女らしいファッション。言語にすると不似合いとしかならないはずのものが、意外なことにたきなにはよくマッチしていた。
千束の中で判定が下される。
「うーん、似合ってるからいっか!」
「似合ってるのは同意するが、それ俺の上着…………」
“たぶん、今日はあれ帰ってこないな”と潔く見切りをつけ、せめて何か新しい防寒着でも見繕おうとしたとき、たきなが持っていたスマホがアラームを鳴らす。
「時間です、移動しましょう」
「え、でもまだいい感じのアウターが」
「俺も、なんか他に着られる
「時間が無いため此処までです!」
「えぇ~!」
「まさか、そんな──」
二人分の落胆もなんのそのとたきなは次の目的地を足早に目指す。
そこから先は目まぐるしい分刻みのスケジュールに追われて、あちらこちらと遊びまわった。ゲームセンターでは千束がレーシングゲームでムキになったり、たきながUFOキャッチャーを鋭すぎる眼光でプレイしたり、雑貨屋で俺がペーパーナイフを山ほど買おうとしているのを千束とたきなに阻止されたりした。
おかしい、何故か俺だけ買い物をさせてもらってないような……。
昼時、慌ただしく頬張ったパンケーキを食べきると、以前に年間パスを取った水族館へたきなが先導する。しかし、そこで思わぬアクシデントが。“臨時休業”、水槽の点検だかで水族館は今日やってないとのこと。たきなは閉まったガラス戸の向こう側を不安そうな眼差しで覗き込んでいるが、営業をしてないのだから照明一つ見えやしない。
しおりを開くと、水族館は最後から二番目のイベントであり、此処で二時間ほど遊ぶ予定が書かれている。しかし、目の前の水族館は臨時休業中。
こうなると丸々、予定に大きな穴が空いたことになり、たきなはあわあわと右往左往する。どうしよう、どうすれば、と悩み、慌てているたきなの肩に千束が寄りかかる。
「分かる。人生、計画通りにはいかないもんだよね」
千束はそこでじとり、と俺に視線を向けてきた。何故こっちを見たのか?それを質問するより早く、千束は意気込んでたきなと俺の手を引いた。
「よぉし、二人とも!着いてきんさい、千束さんが良いとこ教えちゃるよ」
黄理とたきなが千束の案内で辿り着いたのは、ある公園の釣り堀。あまり流行っている気配はなく、糸を垂らしている利用者も少なかった。貸し出し棚にあった釣竿を手に取り、水辺近くの椅子に少年少女らは腰を落ち着ける。
釣り堀にて、のんびりと釣竿を揺らす三人。先ほどの慌ただしい空気と打って変わってのゆったりとした雰囲気。何もしていない状況にたきなは据わりの悪そうな様子だが、同時に“楽しんでもらおう”という使命感に類似した緊張がごく自然に抜け始めていた。
「トラブルだって楽しむのが千束流だよ」
「トラブルメーカーが言うと説得力が違うだろ?」
「なんだとぅ」
黄理と千束は、ただ釣竿を垂らしているだけというのに、不思議と楽しそうにリラックスしていた。たきなは“何もしない”という状況にふわふわした感覚を覚え、難しいことを頭の中から追い出して口を開く。
「……釣れませんね」
「……釣れないねぇ」
「……おっ、釣れた」
たきなと千束がジトっとした目で訴えかける。“空気読め”、と。つれない二人の態度に身を竦め、黄理は
千束がムキになって、釣り針にこれでもかと疑似餌を付ける。そんな付けたら、かえって魚が怯むと思うのだが、どうやら付けた分だけ魚が寄ってくるという考えらしい。
真剣に、ムキになって釣りをしている千束へたきなはそっと声をかける。
「楽しそうですね」
「えへへ、そりゃもちろん楽しいよ──たきなといればさ」
なんか省かれてしまった黄理は見つめ合う千束とたきなの間で気まずそうに口角を震わせる。なぜ、人を挟んでそんなこそばゆくなりそうなやり取りをしてくれるのか……。
気まずくなって、天を仰いでいる俺の変調に目ざとく気づいた千束は、なんか偉そうに肩を叩いてくる。
「ふふん、ちゃーんと黄理といてもたのしいからぁ~、拗ねなくてもいいんだぞ~」
「……拗ねてなんかいるかよ」
「拗ねてますね」
「たきなまでっ!?」
ゆらゆらと水面に揺れるウキを眺めているうち、たきなのスマホが時間を告げる。名残惜しそうにたきなは水面に映る三人の人影を眺めてから、肩の力を抜き切って今日一番の魅力的な微笑みを水面に映る自分たちへ向けるのだった。
しおりの頁に書かれた最後のイベントは“秘密です”としか書かれておらず、三人は斜陽に照らされた街並みを眺めながら電車に揺られ何処かへ向かう。たきなは行き先が何処かをまだ明かさない。
「けっこー、遠く行くね。どこ行くの~?」
「秘密です」
「秘密なのはいいけど、しおりにまで“秘密です”って書く辺り、たきなは本当に生真面目というか、なんというか」
「真面目である分には良いじゃないですか」
目的の降車駅まではあっという間で、たきなたちは電車を降りると東京を一望できる高台の公園を目指す。目指す高台は駅からある程度近かったが、電車に揺られていた時間が長かったために到着した時には日は暮れてすっかり暗くなってしまっていた。
ジジジジジと音を出して、昼間は置物同然だった街灯に明かりが点く。夜になったことで、遠方に広がる東京の街並みが煌びやかにライトアップされ、思わず七夜黄理は──。
「っクション!!」
寒さのあまり、盛大にくしゃみをする羽目となった。主な防寒着であるコートが無いうえ、黄理の身体はあまりに脂肪が薄い。つまり、体温がひどく下がりやすいのである。寒さに震えている黄理に、千束はご機嫌そうに足をばたつかせている。
「寒そうだねー」
「黄理くん、寒いのならこのコートを──」
「いや、年下の女の子から防寒着剥ぐのはちょっと外聞が……」
「まったくだよ、これならコートでも買っとけばよかったのに」
「──買いに行く暇、あったか?」
「なかったねー……ほれ」
千束は首元に巻いていたスヌードを外して、不意打ち気味に黄理に着させる。マフラー同様の首元に巻く防寒具。色合いは千束に良く似合っていたピンクの可愛らしいもので、なんというか普段から素朴で地味な色合いの服装をする黄理には非常に不釣り合いな色だった。
「アハハハ!ピンク似合わな~!」
「渡した張本人が言うか?」
それでも千束が付けてくれたマフラーもどきは温かく、黄理の身体の震えはようやく収まり出してきた。
さて、目的地につき、てっきり夜景を鑑賞するものかと思えば、たきなはそわそわとスマホと夜空に視線を行ったり来たりさせていた。どうやら、夜景はメインの目的ではないようで。
「それで、此処には何をしに来たんだ」
「なんか待ってるぅ?」
「…………雪、九時から……」
消え入りそうなたきなの声を聞き、黄理と千束は朗らかに笑い合った。
「アハハッ、それでか~」
「昼間にやたらと急いでいたのは、そういうわけか」
「完璧なスケジュールのはずだったのですが……」
「完璧?うーん、完璧かぁ」
「なにか不服なところでも?」
たきなは睨みを効かせるが、黄理はなんてことないように話を続けた。
「完璧っていうよりも普段通り、はちゃめちゃで楽しかったなぁって」
「そうそう!め~~っちゃ、遊び倒したわ~~!」
黄理と千束が心底楽しそうに笑っている姿を見て、なおのことたきなは冬の寒空へ強く祈りを込める。
「今日だけは、今日だけはどうしてもしおり通りにしたいのに……」
「え~、どうしてよ~」
「──それは」
もう今日しか、残されていないことをどう言い表せばいいのか。
たきなの葛藤を笑い飛ばすように、千束はあっさりと核心を突いてきた。
「DAに戻るから~?」
「なんで──」
「おっ、ドンピシャっぽいね。いやー、私もとうとう読心術を会得しちゃったりして」
「たきなが分かりやすくて、千束が無神経なだけだと思われる」
「無神経っぷりを黄理に言われたくありませーん」
軽く肩をぶつけられた黄理は閉口し、千束は自分のいなくなった後もたきながリコリスとしての居場所に戻れることを手放しに祝福する。
「やったじゃん、いつ戻るの~?」
「
「あらま、嬉しくなさそう」
「分からないんです」
リコリスとしてファーストに昇り詰める、多くのリコリスはそれを目標にしてきた。けれど、たきなはそれ以外の目的のために動いてきた。七夜黄理ともう一度会うため、リコリコでの楽しくも温かな日常を守るため、千束と黄理くんがともにいる未来を──。
わからない、分からない、判らない、解らない、ワカラナイ。
ならせめて──。
せめて雪の降りしきる景色の中で一点の後悔もやり残しもなく、心穏やかに別れを告げることは贅沢すぎるとでも言うのか。
「そっかぁ、まぁそうすると確かに降ったら良かったねぇ」
「はい」
「降ったらリコリコの雪かき、誰が当番する?」
「うわー、そういうムードに欠けること言っちゃう~?」
「ふふふ、黄理くんらしいですね」
「悪かったな、そういう機微に疎いもんで」
眼下には星空のように大小さまざまな光に溢れた街並みが広がっていた。平和な日々の営みを謳歌する夜景に向かって、たきなが立ち上がる。その小さな背中には漠然とした何かへの憤りと、羨むような色が見えた。
「私たちに降りかかるのは大抵、理不尽なことばかり。自分の力だけじゃどうにもできなくて、力を借りようとしても何もできなかったりする。ただ生きることが、こんなにも難しい。もっと平凡で、普通で、ありふれた生活を続けることが簡単ならよかったのに……そうは思いませんか?」
「生きていくってのは、ひどく難しい決断の連続だろ。リコリスも、リリベルも、一般人だってそういうものだ」
「黄理のは達観しすぎな気がするけど……まぁ、自分でどうにもならんことで悩んでもしょーがない。受け入れて、おもっきし全力♪大体、それで良いことが起きるんだ!」
「でも、もし……良いことより悪いことが続いたら」
たきなの弱気な発言に黄理が噴き出す。ああ、こういう場面で底なしに能天気な彼女が言うことに見当がついている。だからこそ、黄理はたきなの不安を晴らすように晴れ晴れと穏やかに告げる。
「──たきな、千束にそれを聞いても参考にならないと思うぞ」
「な!?バカにして~、私だってちゃんとした考えの一つや二つありまくるっての」
「じゃあ、試しに言ってみろよ?」
「──簡単な話、悪いことがいくら起きても数に入れないで、良いことだけ数えればいいじゃん!そうすれば、良いことだけを思い出に生きていける!これって、さいっこーに冴えた考え方じゃない?」
たきなも思わず言葉を失う。なんという単純で、簡単すぎる思考法だろう。そう言葉通りにいけば、苦労というものは……そこまで考えて、たきなは自分が笑い出していることに気づいていた。あれほど渦巻いていた不安はとうになく、心中はひたすらに晴れ渡っている
「なんですか、それ」
「たきなは難しく考えすぎなのだよ。大体、雪が降ろうと降るまいとたきなの計画はばっちし成功してるよぉ~。今日はすっごい楽しかったゼ☆」
たきなは呆然と、お気楽な千束の言うことを受け止めようとしている。目を白黒させるたきなへと千束は嬉しそうに拳を挙げた。
たきなの成長を、ここまでの変化を祝うように千束は一言、ただ一言を贈った。
「やるな」
千束が拳を挙げたのを見て、黄理もそれに応じる。これまでのたきなの選び取ってきた道は、素晴らしいものだと後押しするように。
「やったな」
二人の相棒、その祝辞にたきなは喜びと感謝を込めて、挙げた拳を二人の拳に合わせる。
「──やったぜ」
楽しい時間が過ぎ、たきなはDAへ戻るため必要な手続きや電話をしなくてはならないことを思い出した。
「すいません、DAに辞令の返答と手続きを急ぎするよう言われていまして……」
「そっか、ん?……明日戻るってことは、今日中に全部済ませる感じ?」
「え?もうそんなに時間なくないか?」
時刻は九時を少し回り、今日という日はもう残り少ない。
「あー、そんじゃあ行ってらっしゃい!」
「急いで転ぶなよ」
千束たちはたきなの背を押すが、階段を下りる途中で着こんでいたコートをどうしたものかと振り返って立ち止まる。黄理は頭を掻いて、気にするなと手を振ってみせた。
「風邪ひくとマズい、持ってけよ。……たきなは千束と違って返してくれるだろうから、安心して預けられる」
「私と違ってって、なんだよ~!」
「ありがとう!──行ってきます!」
離れゆくたきなの背中を見送る。
遠ざかる彼女は凛として、一歩一歩を迷い無く踏み出していく。しゃらしゃらと艶やかな黒髪は夜闇のなかでも星屑めいて輝きを発していた。
惜しい、と黄理か、千束か、あるいは両者が薄く唇を噛んだ。
あの輝いてさえ見える黒髪と真っ白な雪の取り合わせは、きっと世界が見蕩れるほどに美しかったろうに。
肌を突く冷気が鋭さを増す。余りの寒さで吐息は真っさらに漂白されている。
こんなにも、身を切るほどに冷たいのならどうかたきなの切なる願いくらい叶えて欲しいものだ、と。願いを込めて夜空を見上げると、それは奇跡のように──。
あまりにも都合がよく、予定通りとなるイベントがはらりはらりと降ってきた。
白銀色の六華に気づいて、手のひらに落ちた雪へ微笑みかける。
少年少女らは、天気予報もバカにできないと愉快そうに肩を揺らした。
階段を降り切ったたきなも喜色満面に振り返る。ああ、もしも神さまがいるというなら、随分と粋なはからいをしてくれるものだ。
振り返った先、階段の上で街灯の明かりを背に佇む二人の人影。
たきなは呼吸を忘れて魅入られる。夜空から降りしきる花びらのような淡雪。植えられている枝だけの桜と雪が街頭に照らされて、まるで季節外れの桜が狂い咲いているようにも見えた。舞い散る無数の雪花の下、一番星のように一際強く輝いている夕焼け色の虹彩と蒼月めいた眼光。
なんて美しいのだろう、たきなは無意識に手を伸ばす。それを手でも振っていると捉えたのか、千束と黄理が手を振り返してくる。並び合った男女の幸せそうな顔、真っ白な花びらを散らす桜の下、こちらに笑い掛ける千束と黄理の姿を目にして──。
たきなの胸に小さな鈍痛と滲み入るような温かさを知った。鈍く弱いのに泣いてしまいそうなほど胸に迫る甘い痛み。そして、それを癒すように、涙を零すほどに優しく柔らかな熱。こぼれそうになる涙を見せぬため、たきなは急いで背を向け帰路を力いっぱいに駆け出す。
嗚呼、きっと、私は黄理くんのことが好きだったのかもしれない。
でも、それ以上に私自身は千束と、黄理くんが幸せそうにしている光景に喜びを抱くようになっていたわけで……。答えの出せない袋小路。白紙解答を出すしかない答案だ。きっとこの恋は言葉にはならない、伝えることも、叶わなくてもいい。
こうなっては仕方ない。だって二人が幸せそうにしていると、わたしも優しくてくすぐったい気持ちになってしまう。
二人の幸福にわたしは喜びを感じている、だから──。
甘い夢のような初恋にさよならを──。
気が付くと初恋は、ひとひらの淡い雪華のごとく散っていた。どうやら初恋のなんたるかを知る前に、わたしは失恋してしまったらしい。胸が痛い、けれど、それ以上に胸が熱い。千束と黄理くんが笑っていてくれる、その光景を胸に秘めるだけで大きな力が湧いてくる。
嬉しくて、切なくて、涙はとめどなく溢れてくる。
この涙の熱さも、失恋の痛みさえ誇らしい。
そう思える人たちと出会えたことを、何よりも幸いとして──
わたしは力強く明日に続く一歩を踏み出した。
寒風吹きすさぶ高速道路。深夜の時間帯ということもあってか、車通りは皆無に近しく路上に立つ男に
「ティナ、やれ」
『コピー』
素っ気ない返事だが、遠く離れた地点で
元は戦車装甲を穿つために用いられる高威力の弾丸は、高級車の前輪に
ハンドルを握っていた女性、アラン機関エージェント・吉松シンジの付き人である姫蒲は朦朧とする意識の中、懐の拳銃を抜こうと身をよじる。しかし突如、運転席側の窓ガラスが割れ、軍用ブーツを履いた真島の足が姫蒲の顔面目掛けて車内に侵入してきた。
轟音一閃、顎を蹴り抜かれた姫蒲はそのまま意識を失い、ハンドルへと倒れ込む。けたたましくなるクラクション。その騒々しさを嫌った真島は、姫蒲を車内から外へと放り出す。女の顔面を蹴り抜いたというのに彼の目に罪悪感やうしろめたさはなく、“ああ、女だったんだ”くらいの感情しか瞳には映っていない。
車内後方では、何かのアタッシュケースを宝物のように抱きしめて守る吉松シンジの姿があった。真島は獲物がきちんと網にかかったことに機嫌をよくする。
額に蒼あざを付けた男が目を覚ますのに気付いた真島は、最大の皮肉、そして親愛と、悪意、愉悦を以て呼びかける。
「はじめまして、ヨシさん?」
真っ暗な光差さぬ世界に生きる悪党は、善意を以て悪を為すアラン機関の男へと嗤いかけた。
本編九話、どうにか書き切れました。一月中になんとか九話を書き終えられたので、安堵と共にここからが本番だとテンションが上がり始めております。
本編の話数は残すところ、あと四話。なのですが、此処からの先の展開は怒涛というか、テンポが重要だと個人的に思っておりまして──。
そのため、作者の我がままになってしまいますが、此処から先の話は完結してから投稿しようと思っております。元々、どうしようもない遅筆な悪事ですが、これだけは完結させてから書きたい、という感情が優先してしまいました。そのため此処まで読んでいただいた皆様には、数カ月ほどお時間をいただきたく存じます。次回、投稿が始まりだしたら完結したのだな、とお察しを。どうか、本作の最後までお付き合いいただけば、誠に幸いです。
本作は何が何でも完結させてみせる、と意気込んで執筆をしてまいります!