Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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Repay evil with evil【4】

 

 

 晴れ着を纏った千束と黄理、それにこの場面に居合わせた橙子は、ミカの嚙みしめるような吉松シンジと彼自身の“かつて”の話に耳を傾ける。

 

 

 ミカと吉松の出会い。千束が有する類まれな殺し屋としての才がアラン機関に目を付けられたこと。そして、千束の先天性心疾患を治す際の理由。連なった言葉は懺悔であり、彼は詰め寄られ、なじられる事をこそ望んでいた。

 

 必然、ミカの語り口は露悪的なものになっていく。

 

「あのとき、私がシンジにオペを頼んだのは司令官としての利益のためだ。“リコリスとして現役の間、生きられればいい”……少なくともあの時は本気でそう考えていた」

 

 露悪的なミカの言葉に吉松シンジは二つ返事で応じた。

 

“そういうことならば引き受けよう。だが、これだけは約束してくれ”

 

 子供を殺人の道具とするミカの悪性を正そうとせず純粋な瞳で約束を交わした。

 

 ミカとシンジ、そして千束の未来に紐づいた約束を。

 

「──やく、そく?」

 

 蒼白となった顔で千束はミカの言ったことを反芻する。だが、一向に理解が追いつかない。あの優しい先生が、自分を助けてくれた救世主のヨシさんが……二人の過去が今と結びつかない。

 

 約束の内容が明かされる。

 

 “千束を最強の殺し屋として育ててほしい”

 

 

「まぁ、そんなとこだろうよ」

 

 黄理は別段、驚きもしなかった。既に病院で人殺しの示唆をされ、自分を殺し屋として完成させるように誘導してきたのだ。アラン機関がろくでもないということは、彼の中では確定事項だったのだろう。

 

 しかし、千束はまだ信じられなかった。

 

 黄理の支援をしてきた人がたまたま悪い奴で、自分を救ったヨシさんはそんな人じゃあ──。

 

 ミカは黙って首を横に振るばかりだ。だらりと腕、身体から力が抜けていくのを千束は感じた。けれど、この世の繋がりであるかのように握りしめていた黄理の着物の袖の感触から我に返る。瞳にいつもの温かな光が戻り、千束は力を振り絞ってミカへ問い掛けた。

 

「じゃあ、どうして──?」

 

 その無垢な声にミカはとうとう頭を抱えて後悔じみた泣き言を口にする。

 

 

「言えなかった、お前の中でどんどん大きくなるシンジに対しての憧れは、いつ終わるか分からない命を支える力となっていた!それはとても眩しくて……儚い。お前の誤認を正すことが何に繋がるのか、私には答えが出せなかった」

 

 

 苦しむミカの姿に千束はようやくミカの抱え込んでいた重責、自分がどれほどの愛情で守られていたのかを知る。

 

「せんせい──」

 

「言った方が良かったのか!お前の生き方は間違いだ、殺しを重ねればシンジはおまえをまた助けてくれると!!言えばよかったのか!?────おしえてくれ、ちさと」

 

 彼が、立派な保護者たらんと張り続けていた精一杯の見栄(ハリボテ)はとっくに崩れ去っていた。

 

 黄理も、橙子も口を噤んでいた。しかしてミカに対する敬意は一点も曇らず、だが彼への答えと思いを告げるのは“彼女”でなくてはならないと伽藍の堂の二人は沈黙を選ぶ。

 

 

 滂沱の涙を流しながら、かつての自身の所業を悔い、恐れる姿は千束が今まで一度も見たことのない先生の姿だった。先生の語る思い出は後悔と懺悔に満ちている。先生は“何もかもが間違いだった”と言い張るのだろう。

 

 ──それでも。

 

 千束にとって先生は尊敬すべき本当に格好いい大人のままだった。

 

 銃を握って最初に感じたことは人を殺すこと、殺される事への根源的な恐怖。更には心臓を病み、自分を置いて生きていくであろう人々を羨みもした。死がはびこる鉄火場、心臓に巣くう死病。生きてくうえで不利な前提条件ばかり。

 

 なんで自分だけこんな面倒な目に遭うんだと。何もかも諦めて、全ての選択を放棄して、楽になってしまおうなんて考えもした。

 

 けれど、そうはならなかった。

 

 その理由は──。

 

 

「ありがとう、先生」

 

 頭を抱えていたミカは信じられないという表情で顔を上げる。

 

「わたしに決めさせてくれてありがとう。それ聞いてたら、たぶんわたしは負けてた。そんで仕方なくリコリスの仕事してたと思う。でー、嫌な事や辛いことは全部、ヨシさんや先生の所為にするんだ」

 

 ありえたかもしれない生意気で、我がまま一杯に育ったイヤみな自分を想像して、千束はその未来図(イフ)を笑い飛ばした。

 

「──それはイヤだわ~!ナイナイ」

 

 お客さんをはじめ、せんせい、ミズキ、クルミ、たきなに黄理や自分がくつろいでいたカウンターを千束はそっと撫でた。救われた理由がどうであれ、結論なんてとっくに出ている。

 

「私の仕事も、この店を始めたのも、全部私が決めたこと。それをさせてくれた先生とヨシさんへの感謝は今の話を聞いても全然、変わんない」

 

 ミカと吉松シンジは千束にとって──。

 

「二人とも、私のお父さんだよ──」

 

 

 店の奥に貼られた拙い絵。そこには幼少期の千束が描いたある絆の形があった。“せんせい、わたし、きゅうせいしゅ”、二人の父と手を繋ぐ小さな少女は何も知らなかった、何を望まれているかを理解していなかった、それでも幸せそうに笑っていたのだ。

 

 そう、それこそが真実。偽りはあったかもしれない、けれど錦木千束にとっては二人の父親の愛だけが真実だと誇らし気に微笑んでみせた。

 

「それが一番嬉しいって感じする~」

 

「……すまない、すまない」

 

 涙はとめどなく流れ、しかし涙を流す理由だけが鮮やかに変わっていた。ミカは自嘲気味に笑う。何をためらっていた?何を怖がっていた?

 

「この子は、こんなにも強いことを最初から知っていたはずなのに……」

 

「ほら、先生泣かないで~。それよりせんせこそどうなのよ?」

 

 見せびらかす素振りで、ひらりひらりと千束はご機嫌に回っている。店に差し込む日差しが白金色の晴れ着に反射し、それはまるで光と踊っているようだった。

 

「この千束はどう~、好き~~?」

 

「ああ…………嗚呼、自慢の娘だ」

 

 ミカさんと千束がどちらともなく破顔し、家族と分かり合うというありふれた幸せを嚙みしめた。

 

 

 黄理はそれを優しそうに、眩しそうな眼差しで傍観している。やがて、ミカさんが泣き止んだところで橙子さんは恭しく頭を下げた。それは皮肉めいたものではなく、ただ真摯に敬意の心情を伝えるための一礼だった。

 

「貴方の葛藤も含めて、私は貴方の積み重ねてきた日々に畏敬の念を禁じ得ない」

 

「……そう言ってもらえるのは嬉しいが、やはり私はダメな親だよ。何も言い出せずにただ千束の側で日々、見守ることしかできなかった。私がもし立派な親に見えるのだとしたら、その理由のほとんどは千束の選んだもののおかげだ」

 

 ミカさんの謙遜に千束は少し頬を膨らませている。

 

 でも俺としては違う気がした。

 

「いやぁ、わりとミカさんありきでしょ、千束って。コイツがそんな大層なこと考えてるとは思えないけど」

 

「ちょーいちょい、先生がいてくれたからってとこは否定できないけど、せめてどっちの評価も下げずに両方上げてよー」

 

「はいはい、大した親子だよ、二人とも」

 

 黄理の呆れた声に橙子が乗っかってくる。

 

「くくくっ案外、千束の言う通りかもしれんぞ、黄理。……子供の成長を助ける手段の中で見守るというのが最も難しい。大抵、余計なおせっかいとして大人は自分の経験や成功、失敗体験から流用してしまうものだからな。いくら親と子でも全く同一の境遇、時代を生きているわけではない他人同士なんだ。おまけに世代が変われば、価値観や正義、倫理も変化する。流用なんて上手くいくはずもない」

 

「……じゃあ、無干渉が正解ってことですか?」

 

「そこは時と場合による(ケースバイケース)さ。いつも正しいことができる大人がいないように子供が常に間違わない保証もない。要するに、子供と自分は違う生き方を選んでいることを念頭に入れて、その選択を尊重してやれればいい。助け船、いや干渉するのは選択の結果、明確に間違ってしまった後に限る。間違える前から頭ごなしに“その選択は間違っている”なんて否定をすることが間違いなのさ」

 

「おおう、なんか橙子さん深いねぇ~」

 

「そうだな、俺がほとんど放置されて育ってなければ足湯くらいの深さはあったかもな」

 

 感心したように頷く千束に対し黄理は釈然としていなさそうに憮然とする。伽藍の堂に預けられてから、七夜黄理は生活の大半を自主性に任されている。というか、虎杖司令が偶に様子を見に来ることは有っても実態はほぼ放置されて育っていたのだ。いや、黄理が文句も、要求もしなかったからこその結果だが放置しすぎも如何なものか。

 

 そこで黄理と千束は同じことに思い至る。DAによる秘密裏の治安維持介入もまた、先ほどの話にあった“干渉ではなく見守るべき”ことではないか。そうでなくては日本という国の本当の意味での成長は……。

 

 考えが浮かんでのち、二人はその思考を振り払う。

 

 自らの腕の長さを過信してはいないし、きっとそれは一人、二人が考えるべきではなく、きっと日本という国全体が考えるべきことだから──。

 

 

 

 

 

 

『それでは、これより延空木完成セレモニーのラストとなる放送電波の発信を行います』

 

 

 万雷の拍手が予定調和に鳴り、つつがなくセレモニーの幕引きが迫る。

 

 本当に何もなければ、であるが。

 

『カウントダウンと同時に延空木のシステムが自動で電波を発信いたします。さぁ、それでは皆さんご一緒に!』

 

 ──5。

 

 何も知らされていない臨時の警備員は無関心にカウントダウンを見つめていた。

 

──4。

 

 周囲の観客たちは無邪気に延空木の完成に浮かれている。

 

 ──3。

 

 会場に詰めていた警官たちは最後まで油断なく一帯を観察している。

 

 ──2。

 

 大勢のリコリスたちは嫌な予感と野放しになっているテロリストの存在から、このまま穏便には終わらないことを確信していた。

 

 ──1。

 

 そして、裏で暗躍し真島を支援し続けてきたハッカー、ロボ太は悪党らしい傲慢な笑みを浮かべ、勝利を確定するエンターキーを叩いた。

 

 

 

 都知事背後のモニターがノイズで染め上げられた。誰もが予想外の事態に訝しみ、呆然とすることしかできない。その意識の間隙、呆けた有象無象たちの前に真島はとうとう姿を現す。

 

『よぉ、愚民ども?』

 

 

 真島による電波ジャック、DA司令部に緊張が走る。

 

「延空木からです!」

 

「遮断しろ」

 

 血の気が薄い楠木は落ちくぼんだ目に執念のような眼光を光らせ、オペレーターたちに指示を下す。だが、DA、リコリスたちのさざめきも意に介さず、真島の独壇場は続く。

 

『今日は、お前らに耳寄りで痛々しい真実ってヤツを見せ付けに来た。他の国がテロやら、戦争やらでドンパチやってるってのに、この国だけは平和そのもの。気持ち悪いくらいにな?』

 

 真島は全ての民衆を敵に回すような口調を、行動を選んで画面を席巻する。

 

『民度の高い国民だからぁ?日本人ってすごーい、ってか。クハハ、下らねぇ。取り柄のないヤツに限って枠組み(カテゴリー)に誇りを持ちやがる』

 

 街頭で、お茶の間で、あらゆる日常が非日常に浸食されていく。

 

『──テロは何度も起こってるのさ。隠蔽されてしまうだけだ』

 

 取り繕えていた平和という虚飾は脆くも崩れ去ろうとしていた。

 

『虚偽と誇張にまみれた平和の押し売り。汚点には蓋をしてしまおう、この国にはそんな薄汚い平和に執着する連中がいるんだよ。俺はそれが気に食わない。だから……』

 

 

 開戦の号砲代わり、真島は窓ガラスに向けて銃弾を発砲した。蜘蛛の巣状に割れ広がるひび。誰もが知る銃という名の凶器。その威力を実演したうえで、テロリストは狂言を回す。

 

『これと同じのを、都内にバラ撒いた』

 

 

 ようやく、DAも真島たちの目的に気が付く。延空木の破壊は主目的ではない。いや、目的の可能性も捨てきれないが、本当の狙いはリコリスたちの守る治安そのもの──。

 

「千丁の銃はこのために──」

 

 楠木はやっと真島の企みの根幹を理解する。平和の崩壊、誰もがテロリストになる可能性を持つ状態の構築。

 

 取り繕いきれぬ人々の潜在的な悪意の萌芽。

 

 リコリスは、この状態に抗えるのか──。

 

 

 画面に映る真島は笑っていた、嗤っていた。勝利の確信に満ちた凶悪な笑顔は、この状況でお前たち(DA)は笑えるか、と言外に問いを投げていた。

 

 

 ぐらり、と精神的にも、肉体的にも不屈と頑健を思わせる鋼鉄の女司令が、力なくよろめく。無理もないことであった。昨晩、真島のアジトで三発の銃弾を受けている彼女は輸血こそ済んでいるが、まだ病床にいなければならない体調だというのに。

 

 よろめいた楠木司令を脇で秘書が支える。支えられた楠木は歯を食いしばり、血の気の引いた顔で力強く命じた。

 

「銃を持った人間には関わるな!絶対に発砲してはならん!リコリスの存在をあぶり出す、それがヤツの真の目的だ!」

 

 

 都内某所、偶々、不審な紙袋を発見した平時であれば善良、ないし毒にも薬にもならない平々凡々な一市民は紙袋から取り出した“銃”らしきものを掴み取る。

 

「……おもちゃ、かな」

 

「そこのお前!銃を捨てろ!!」

 

 その場に居合わせた警察官は声を大にしながらも、向けた銃口を震わせていた。銃を互いが所持している、両者は容易く人命を奪うことが可能である。

 

 その事実に恐れを抱かない者がいるだろうか?

 

 銃を持った男は呆然としていたが、自分が警戒されている事を理解すると慌てて弁解を始める。自分は無害で、何もしてない。思わず銃を持ったままの手を挙げ、体勢が崩れかけた瞬間。

 

 張り詰めた弦が千切れたのだ。

 

 発砲炎が上がり、平和だったはずの東京に血が流れた。

 

 

『さぁ、心のままに撃て!気に食わないヤツにぶっ放して、てめぇの身はてめぇで守れ。何をするかはお前ら次第だ。嘘偽りのない真実の世界にようこ──』

 

 

 そこで映像は途切れた。DAの干渉が此処でようやく真島の策謀を制止する。だが、阻止できたわけではない。それを理解するDA司令部の面々の表情はひどく暗いものだった。

 

「延空木からの電波、遮断完了しました……」

 

「司令……本部より連絡が入っています」

 

 楠木を名指しにした電話はDAにおいて彼女と同格の存在、リコリスと相似にして異質であるリリベルの司令、虎杖からだった。

 

『楠木くん、随分と手こずっているようだね?』

 

「……そのようなことは。情報操作はラジアータでどうとでも可能です。リコリスたちの存在は必ずや秘匿されます」

 

『そうであることを願いたいものだ。君たちの存在が明らかとなった時、処断を行うのは我々、リリベルなのだからね。付き合いが浅いとはいえ、同胞の処分なぞ寝覚めが悪い』

 

 リコリスの処分について微かに言及したものの、虎杖はそれ以上の追及を止めて本題に入る。

 

『上層部のお偉方からの命令だ。“錦木千束を使え、可能な限り迅速に”とね』

 

「なっ、作戦の立案は我々が──!」

 

『昨晩の作戦での敗走、死傷者こそいなかったが作戦の遂行能力について上層部は君たちへの不信感を募らせている。リコリスの指揮権を私に押し付けようとするくらいにはね?』

 

「──っ!」

 

『今は私のところで返答を遅らせているが、事と次第によっては今のリコリスの“大幅な削減”が検討されかねん』

 

 “大幅な削減”、それがただ配置換えだけで終わるなんておめでたい思考をするほど楠木も鈍ってはいない。上層部は、東京支部のリコリスたちの殺処分すら選択肢に入れ始めている事実に楠木は息を呑む。

 

「貴方もお分かりでしょう。今の千束が、どのような状態か……」

 

『……私も橙子や黄理の報告から千束くんを取り巻く状況はおおよそ掴んでいるつもりだ。だが、上の決断は変わらない。……分かるだろう、DAを甘く見るべきではない。彼女の状態がどうあれ、君は“錦木千束”という手札を切るしかないのだ』

 

 楠木は強い葛藤の末に歯噛みして、秘書へ電話を取らせた。大多数のリコリスと任務の完遂のために、鋼鉄の女司令もまた決断を余儀なくされた。

 

 

 

 

 

 町中に響くサイレンの音、緊急事態を知らせる音の奔流。スマホのアラームも緊急事態を知らせるようにけたたましく音を出している。千束が慌てて店に備え付けられているテレビを付けると、“延空木がテロリストに制圧された”、そのニュースが速報で流れている最中だった。

 

「なに、これ?」

 

 ラジアータ管制下の状況ではありえない事態、テロリストの存在が(おおやけ)にされている。この異常事態の深刻さを報せるように店の固定電話が鳴った。こんな状況でリコリコにかけてくる相手など非常に限られる。

 

 ミカさんは相手の声を確かめもせずに名前を呼ぶ。

 

「楠木か……」

 

『──ミカ、千束に代わってください』

 

 だが、此処で千束の電話にも着信が入る。そして、画面に映された映像に千束の心胆が凍り付く。俺も映された“男”を見て、深々とため息を吐いた。

 

「千束は今、ちょっと手が離せそうにないんだが……」

 

「せんせ、貸してっ。……千束です」

 

『単刀直入に言う。今すぐ本部に来い。我々と合流し、延空木の真島を討て』

 

 千束にかけられたビデオ通話先、椅子に縛り付けられた吉松シンジの姿にミカさんは慄き、息を呑む。ただ一人、我関せずと橙子さんはやれやれと首を振るだけだ。

 

 やがて、千束のスマホの方で機械加工された声が居丈高に指示を寄越す。

 

『お前が延空木に近づけば、コイツの命はない。そして、放置する選択も無い。一時間後、仕掛けた爆弾が作動する。いいか?残されたタイムリミットは一時間だ』

 

 時間制限のかかった人質、千束は懸命に相手を出し抜く方法を考え込んでいるが、考えさせる暇もなく楠木司令の方の会話も押し進められてしまった。

 

『お前のようなリコリスが必要な状況だ。多くの命がかかっている』

 

『お前のようなリコリスに来られると都合が悪い。コイツの命はお前にしか救えないんだぞ?』

 

 減らず口も、相槌さえないことを楠木が訝しむ。

 

『誰かいるのか?』

 

「え、その、黄理と橙子さんくらいしか……」

 

「悪い楠木、また後でかけ直す──」

 

 楠木司令の電話を平静を装いミカさんが預かった。固定電話が切られてから、テロリストの仲間と思しき機械音声は偉そうに喋り出す。

 

 

『それでいい、下手なことはするなよ?ずっとお前らを見ているからな』

 

 簡潔に言い残し、千束のスマホの方も通話が切れる。さて、此処までの状況と流れを鑑みて、鈍い俺にも分かることがある。

 

「罠だな。行けば死ぬぞ」

 

「言わずもがな。今から助けにいっても吉松って男と心中する羽目になる公算が高い。まだ、延空木の助っ人に向かう方が有意義だと私は思うがね?」

 

 意地の悪い言い方だ。橙子さんの揶揄う素振りの言葉を聞かされて、千束は苦しそうに顔を上げた。ああ、付き合いが長いんだ。こんな土壇場で千束の選びそうなことに予想がついてしまった。

 

「わかってる……わかってるけど、今、ヨシさんを助けられるのは私しかいないんだ。だったら、見殺しになんてできないでしょ!」

 

「……千束、さっきも言ったがシンジは」

 

「せんせを疑ってるわけじゃない。けど、ヨシさんに会って直接、聞きたい」

 

 

 真っすぐな千束の眼差しに貫かれ、ミカさんは自身が“この子の頼みは断れない”と苦笑し、己の役割を理解する。

 

「──武器庫の弾薬が処分できそうだ。ありったけ持っていくか」

 

「せんせ……」

 

 ああ、千束のことを思うのなら、思うがままに走らせるべきなんだろう。もう残り少ない命の熱をどう使うかは彼女の選択次第。選択を尊重するのが正しい行いだと理解したうえで、俺は千束の手を取る。

 

「きっと感謝なんかされない。それどころか恨み言や見当違いな罵倒まで食らうかもしれない。単なる無駄骨で、お前がつらい思いをするだけだ。だったら、俺はお前を行かせない。お前は、最後まで笑っていてくれよ」

 

 我ながら何と未練がましいことか。俺がいくら言葉を尽くそうと千束の意思が変わらないことはガキの頃より知っているというのに。

 

「──うん、心配してくれてるんだよね……でもさ、此処で行かなかったら泣きはしないけど、きっと心の底から笑うことができなくなる。大事な人たちの前で、最後まで本当に笑えなくなるのはやだな」

 

「お前が泣くよりは、ずっとマシだ」

 

「じゃあ、さ。ねぇ、黄理。一生のお願い……一緒に、私を救ってくれた人を、黄理との出会いをくれた救世主さんを助けに行ってくれる?」

 

 切り出し方が巧妙というか、断らせる気がない千束の言い振りに肩を竦める。

 

 吉松、という男を助けに行くのが癪だが──。

 

 死にかけの女が口にした“一生に一度のお願い”を断れる男なぞいないのだ。

 

「おまえ、その言い方は……卑怯だろ。……はぁ、お前と出会ってからこっちは振り回されっぱなしだ」

 

「ふふ、だって昔、言ったでしょ?“黄理を離さない(許さない)”って──」

 

「──ああ、そうだな、そうだった。ったく、お前がろくでもない目に遭うって織り込み済みなら、俺からこれ以上は野暮を言えない。どこまでだって付き合ってやる」

 

「言ったな~。じゃあ、思う存分振り回してあげるから、着いてきてよね?」

 

 

 着るのが少し早まった晴れ着を桐の箱に仕舞い直し、千束と黄理は着慣れた赤の制服に袖を通す。千束はリコリスの標準装備である学生鞄に似せたサッチェルバッグに愛銃を格納、黄理は拳銃をショルダーホルスターに納め、リリベルの制服の袖口に黒い鉄棍を仕込んだ。

 

 ミカもまた携行できる限りの武装、弾薬を背負い、軽装のタクティカルアーマーへと着替える。

 

 千束は征く、もう一人の父親の本当の思いを知るために。

 そして、取り戻すために──。

 

 彼女は瞳に澄んだ真紅の輝きを宿して駆け出した。

 

 

 

 その後を俺も付いて行こうとする、が不意に橙子さんに呼び止められる。

 

「行くのか?おそらく、というか確実に死ぬほど苦労すると思うが」

 

「ええ、重々承知ですよ。でも、俺は前にアイツとの約束を一回、破っちまってるんです。だから、行かなきゃ──」

 

「そうか、なら止めるのは野暮だね。……いってらっしゃい黄理。縁が続けば、また明日」

 

「──はい、また」

 

 橙子さんらしくもないありふれた“さよなら”の言葉に背を向け、千束を追って俺は歩き出す。

 

 

 保護者として俺に様々なことを教えてくれた人に。

 

 

 ──橙子さんにはもう会えそうにないことを予感しながら。

 

 

 

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