Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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Nature versus nurture【1】

 

 

 

 張り詰めた空気、びりびりと肌を打つ緊迫した敵意の蔓延する空間。

 

 防弾加工されたリコリス専用のサッチェルバッグは階下の暗がりへ落下している。

 

 千束たち、真島ら、両陣営は沈黙した状態で対峙した。沈黙の帳を割って、たきなは小声で千束と黄理へ残弾について情報共有をしようと試みるが。

 

「二人とも、もうマガジンが……」

 

 シィ、と千束がたきなのセリフを遮った。

 

「黙って、アイツは地獄耳だ」

 

「人聞きが悪りぃな、そこは聞き上手とでも言っとけよ」

 

 真島のたわごとに呆れた黄理が悪態を返す。

 

「聞き上手を(うそぶ)くなら盗み聞きなんぞするなよ」

 

「言われてみりゃ確かにな……で、そっちは弾切れか?」

 

 真島の煽りに対し、千束は赤眼に冷静な光を称えて声を発さない。黄理は二人の少女の前に立ち、真島と蛭子影胤の二人の動向に細心の注意を払う。二つの鉄棍を構え、黄理は順手と逆手のいかなる状況にも応じられる構えを保つ。

 

 真島は相手の注意が自分に突き刺さっているのを感じ取っている。それを一瞬、鈍らせる、ないし妨げるため、大仰な素振りでたきなの銃をゆっくりと手放した。注意が落ちる銃に否応なく向かってしまう。

 

 床に接地する直前、真島はたきなの拳銃を足で小突いた。左方向に滑っていく銃、千束たちが気を取られたのは僅か数瞬、敵の仕掛けた視線誘導(ミスディレクション)

 

 見出した好機に乗じて真島は一歩小さく踏み込む、と見せかけて重心を背後へかける。

 

 黒のロングコートを翻し、背を向けて真島が疾走。

 

 逃亡、なわけがない。

 

 目的は先の千束との攻防で床に転がったリボルバーを回収するための反転。千束は太腿のホルスターに残された最後の非殺傷弾のマガジンを再装填(リロード)

 

 だが、その間に真島は銃を拾い上げ、スピードローダーにより再装填を済ませていた。なんという速度のリロード。千束と真島はほぼ同時に銃弾を放つ。だが、赤い非殺傷弾は蛭子影胤の斥力フィールドによって妨げられる。一方、リボルバーから放たれた銃弾だが有視界状態ならば千束は弾道を避けることが可能。

 

 飛来する弾丸を躱し、軽やかな歩みで距離を詰めた千束は真島のリボルバーに照準を合わせる。蛭子影胤が発生させる防壁圏の内側、真島との超至近距離。

 

 非殺傷弾を避けることもできたが、真島はこの場面で避けては致命的な隙を晒すことになると、敢えて回避しようとする反射運動を理性で抑え込む。

 

 リボルバーに赤い粉塵が上がり、銃もろともに腕まで弾かれる。だが、真島は跳ね上げられた腕を勢いのままに回転させ、鋭い肘打ちを敵手である千束へ叩き込まんと振りかぶった。

 

「千束っ!」

 

 黄理が一気に千束の下へ駆けようとした時、真島の一味である蛭子影胤の弾丸が彼の肩口を抉った。痛みを噛み殺し、黄理は懐にあった仕込みナイフを投擲。

 

 空中でパチリ、と稼働するや名刀を思わせる白銀の切っ先が突出する。

 

 真島の肘とナイフがぶつかり、小さな火花が散った。義手と刃の接触により肘打ちが減速、千束はすぐに真島の腹に蹴りを入れてヤツを突き放す。銃を奪った好機、たきなが援軍に来てくれたことで状況は三対二の好条件。

 

 だが、武器を失い、数的劣勢にあっても真島の不敵な笑みは曇らない。

 

 

 黄理は此処での己の役割を理解するや、たきなへ自分のベレッタを渡す。

 

「たきな、援護を頼む──」

 

「でも、そうすると黄理くんの銃が……いえ、分かりました」

 

 たきなの葛藤を背に七夜黄理は影の最も濃い暗中へと姿を沈ませた。恐るべきことにたった一瞬、意識から外れただけで七夜の暗殺者は此の場にいる全ての人間の意識外へと隠れおおせたのだ。

 

 一つ分の命の気配が消えたことに息を呑んだ蛭子影胤が冷静に周辺を探ろうとするが、たきなが発砲したため、弾丸の防御に一手を使わざるを得ない。発生される斥力フィールドの防壁。たきなはその防壁に向かって、絶え間なく銃弾を撃ち続ける。

 

 井ノ上たきなという“ただのリコリス”の攻撃に蛭子影胤は、冷ややかな態度を崩さない。何故なら防御の後にカウンターを入れてやれば、容易く仕留められる算段が彼の中にあるからだ。

 

 “防御という一手”をしくじりさえしなければ──。

 

 だが、七夜の暗殺者は一手分の防御をそのまま敗着の道筋へ変える。

 

 影胤の頭上より、遅くありながら目にも留まらぬという奇妙な速度で落ちる人影。それは仮面の魔人の足元に着地すると、その場で(くるぶし)へ下段の蹴りを打つ。

 

 

 

 ──やはり惰弱。鬼の末裔たる混血に比べれば容易い獲物だ。

 

 踝を蹴り抜かれ、膝を付いて悶絶する仮面の男。足を抑える影胤の肩に黄理が足をかける。器用に仮面の怪人の肩に立ってみせた黄理は、そのままサッカーボールでも蹴飛ばす勢いで蛭子影胤の顔を蹴り飛ばした。

 

 蛭子影胤が着けていた仮面が砕け散る。

 

 蹴りの威力でのけ反りかえった影胤はそのまま階下の暗がりへと落ちていく。真っ逆さまに重力に足を引かれ、墜ちていく燕尾服の怪人。思わず“殺っちまったか?”とも思ったが、そうそう死ぬタマでもなかろうと気に病むのを中断して俺はたきなと千束の援護のため足に喝を入れた。

 

 

 

 

 

 七夜黄理が蛭子影胤を撃沈させた脇で、真島は黒のロングコートを翻すと揺れるルビー色をした千束の双眸を潰そうと鋭いハイキックを繰り出す。

 

 完全な回避は間に合わない、ならばと千束は半歩前に出ることで眼球から側頭部へと蹴りの命中部をずらす。さらに腕を盾代わりとし、腕越しに真島の蹴りを受ける。

 

 真島の蹴りが炸裂。千束の華奢な腕が軋みあがり、ひどい熱を持った感覚を覚えるが致命傷を避ける。けれど、真島の続く二発目の前蹴りの対処に遅れ腹部へ重い靴底の踏みつけ(スタンプ)がめり込んだ。

 

 

 悲鳴さえ上げられぬ一撃を受け、千束はたきなのいる場所にまで蹴飛ばされてきた。

 

 勢いづく真島を止めようとたきなが黄理のベレッタの引き金を引く。真島はその弾丸を当たり前のように回避し、一発の命中すら許さない。彼の黒瞳の中では複雑怪奇な幾何学模様が高速で回転をしている。

 

 真島はたきなの銃弾を避けながら一歩ずつ迫ってゆき、蹴りの間合いまで到達。手を伸ばせば、銃口を押し当てられる距離にありながら銃弾の当たる想像ができない。ぐったりと己の身体を支える力さえ抜けた千束を庇い、たきなはせめてもの抵抗として真島に銃口を向け続ける。

 

 それをどうでもよさそうに睥睨した真島は、たきなの横っ腹につま先を捻じ込もうと足を振りかぶる。

 

 背後、鞭めいたしなやかな黒影が真島の延髄を刈り取ろうと大気を切り裂く。

 

 死角からの蹴撃、ノールックでそれを避けてみせた真島はたきなへの蹴りを、無理やり後方の暗殺者への蹴りに軌道変更。七夜黄理はその蹴りを自分の蹴りで受け止めると、流動的な動きから自身の蹴り足で真島の膝を極め、片足による変則の関節技(サブミッション)により膝を壊そうと力を込めた。

 

 真島はゾッと背筋に冷たいものを感じる。蹴りの流れから関節技に持っていき、片足で相手の関節を極めるなど尋常ではない。だが、真島とて己を尋常ならざる存在であるという自負を持つ。極められかけた足を強張らせて、強引に力任せに暴れまわる。

 

 あわや膝を砕かれるところで、真島は自身より体重の軽い黄理をなんとか引きはがすことに成功。片足という不安定な極め方であったため、関節技をかけ切れず拘束がほどける。

 

 片足を壊せなかったことに拘泥せず、黄理はまた暗中へと消えていった。真島が耳をすませても、何も聞き取れぬ静音行動。気配も皆無、影はまたたく間に闇に溶け込む。千束たちへ目配(めくば)せした黄理は自分の為すべきを理解し、勝利の突破口となるための裏方へと回ったのだ。

 

 

 

 致命の隙を狙う伏兵、凄腕な銃遣いの女が二人。味方は無し、孤立無援の状況。ひやり、と心臓を撫でる冷たい予感。それでいて真島は上機嫌に口角を上げ、瞳を見開いた。彼は己が劣勢にあり、窮地に立たされていることを誰よりも理解したうえで露わにした歓喜。

 

 理解した上で悪党はなお笑ってみせる。真島のボルテージは興奮と共に最高潮に高まりつつあり、五感から拾う情報は加速度的に増え、視界はどんな微かな動きも捉えている。加えて直感とでもいうべき第六感は信じられぬことに認識不能の魔影を“なんとなく”で掴み始めていた。

 

 七夜の暗殺者が行使する逸脱の気配遮断。けれど、同じく魔の領域に踏み込んだ真島は、それを看破しつつある。じきに真島は完全に黄理の居所を把握するまでに至るだろう。あらゆる情報を余すことなく読み込み、処理する真島の高速化した思考回路。

 

 

 千束はそれを逆手に取った。

 

 千束が敵の懐へと再度、接近していく。たきなの正確無比な援護射撃、黄理の無機質的なまでの隠形。じわり、じわりと幾つもの積み重ねた選択と決断が真島の処理能力の何割かを削いでいく。

 

 手を伸ばせば届くほどの近さまで踏みこんだ千束は銃口を“敢えて真島からズラした箇所”へと構えた。

 

 今の真島は戦いの熱に浮かされてこそいるものの絶好調というヤツだろう。自分の命を脅かし、狙うモノを無意識化で捕捉し、超速度で反射的に対処できるほどに五感は研ぎ澄まされている。

 

 ゆえに銃口をわざと真島の身体から逸らす。“不殺”、命を狙わない意図であるがため研ぎ澄まされた真島の直感は千束の脅威度を低く見積もってしまう。これは戦闘者として致命的な劣化。

 

 殺すことを当然としてきた男の意思決定の根源。

 

 殺さないために心を尽くしてきた少女の意思決定の根源。

 

 両者を突き動かしてきた思考基盤(フォーマット)の差異。

 

 それが勝敗を分ける分岐点だった。

 

 

 千束は引き金を引く。

 

 元より殺傷性を持たない弾丸が命中することなく虚空に消える。しかし、真島の耳元に添えられた拳銃は大気を灼く発砲音を派手に鳴らす。

 

 真島の耳が、熱く轟く大音響に晒された。

 

 右耳に次いで左耳も発砲音によって聴覚を潰される。

 

 視覚を優に上回るほどの鋭敏な聴覚が此処にきて仇となる。至近距離から発砲音を聴かされたためか、真島は脳を音響によって攪拌され、覚束ない足取りで後退していくが。

 

 千束はそれを逃さない。

 

 煌々と輝く夕焼け色に燃える赤の眼光は、真島へ正確な照準を合わせる。

 

 銃を胸元に添え、コンパクトに銃を抱え込む構え。“C.A.Rシステム”。

 

 冷静に真島を視界に捉え、千束は肩、腹部、鳩尾、額へ次々と非殺傷弾を撃ち込んでいく。黒のロングコートを纏った怪人もたまらず膝から崩れ、寄りかかる形で窓際の手すりに倒れていく。

 

 最後に真島が力を振り絞ってリボルバーを千束へ向けようとするが、暗闇から飛来した黒い金属、いや一本の鉄棍がリボルバーに命中し叩き落とすことに成功。

 

 蹴りの衝撃から僅かに回復し、たきなは拘束用のボーラ・ラップからワイヤーを射出。真島の肘、上腕部、肩口の三点を固定、欄干へと縛り付けた。

 

 へろへろと千束が尻もちをつき、天井から力なく振ってきた黄理が深く息を吐いてから胡坐(あぐら)をかく。たきなも疲労困憊といった様子でアヒル座りとでもいうような格好で脱力してしまう。

 

 

 だが、これで今回の一件の首謀者が捕獲された。

 

 春先からDAを翻弄し、都内へ銃をばらまいた男は此処にようやくお縄となったのである。

 

 

 損耗、疲労を隠し切れない千束たち三人は再会に感動する間もなく、まったく同時のタイミングで大の字に倒れ込んだ。

 

「DAはどーしてきたんよ?」

 

「……辞めて、きました。これで私、根無し草のリコリスみたいですね」

 

 あっけらかんとたきなが言い放った言葉には、千束も少し呆然とし、それからたきなの晴れ晴れとした様子を見ておかしそうに表情をほころばせる。

 

「うん?……はぁ、ばかだね~」

 

「嗚呼、まるでどっかの誰かさんみたいだ」

 

 黄理の“自分は違う”と言いたげなセリフを聞いて、たきながにやりとした顔で呟いた。

 

「ええ、その誰かさんたちなら私の目の前にいますよ」

 

「む、複数形はいただけない。少なくとも俺はそこの阿呆よりはものを考えて動くよ」

 

「言ったなー、黄理の考え方は九割物騒なんだからさー。50パーオフくらいでちょうどいいんじゃない?大体、此処に来る途中も手加減してって言ったのに危なっかしくって。ちょいちょい、きーり、聞いてる~?」

 

「へいへい」

 

「いい加減ですね……」

 

「あ、それ私も言った」

 

「それ、千束にも言われた」

 

 たきな、千束、黄理は晴れやかな気持ちで笑い出す。何気ない会話を重ねる三人は柔らかく微笑んで確かな再会の喜びを旧電波塔の最上階で分かち合った。

 

 

 

 

 DA司令部が不意に訪れた吉報に胸を撫でおろす。

 

「アルファ:(フォー)が真島を捕らえました!」

 

「捕縛地点は」

 

「──旧電波塔です」

 

「なに?……クリーナーを向かわせろ」

 

 千束とたきな、それに縁の深いリリベルの一人、七夜黄理。おそらく、その三名が真島を撃退し、確保したのだろうと楠木は旧電波塔にいる人員の数を少ない情報から正確に把握する。

 

 楠木司令が現況を纏め上げようとしたとき、一人の闖入者が姿を見せる。

 

「ふむ、もうクリーナーを呼んでいるのかね?どうやら我々はいささか出遅れたらしい…………だが、そこまでだ」

 

 現れた男、東京都内のリリベルを統括する司令、虎杖は冷徹で真っ暗な双眸のまま、無機質に彼岸花らへ上意を告げる。

 

「上層部の決定だ。リコリスたちは処分する」

 

 

 

 

 真島を捕縛し、あとはクリーナーたちが上手いことやってくれるのまで確定した。あとは旧電波塔にくるクリーナーたちに引き継いで今回の一件は終了という形になる。ばら撒かれた銃のことが悩みの種ではあるが、それは今の千束たちでは対処しようがない。

 

 やるべきことが片付いたとなれば、真島の人質になっていた吉松シンジの捜索に時間を回せる。

 

 辺りに人の気配はない。たきなは降りた防火シャッターを開け、黄理は先の戦闘で負った肩の傷口の止血をしている。

 

 シャッターが開き、暗かった展望台が明るくなる中で千束は周囲へ呼びかけ続ける。

 

「ヨシさーん!おーい、ヨシさーん」

 

  応えは返ってこない。もし、このままクリーナーがやってくれば吉松シンジと話す機会がまた巡ってくるかどうか知れたものではない。ジッとしてはいられず、千束が駆け出していく。

 

「ちょっと上のほう見てくるー!」

 

 

 

 

 

 延空木ではリコリスたちが全ての防犯カメラを物理的に除去し終え、急ぎ撤収の準備を整えつつあった。

 

「負傷したヤツらの応急処置が済み次第、できる限り薬莢を回収しておけ」

 

 フキは他のリコリスたちに最低限の指示だけを下し、司令部からの通信を待つ。あとは撤退の号令さえ出れば、いつでも離脱は可能。

 

 幸いなことにリコリス側の死傷者数は軽微、とはいえ現場で待機し続けるのは秘匿の観点からも余りにリスキーなもの。上層部もいつまでもリコリスたちを現場に配置し続けるようなことはしまいとフキは予想する。

 

 フキのインカムに通信が入る。ようやくか、と安堵しかかったフキに下された命令はまったく思いがけぬものだった。

 

「──はい、いつまで此処に……分かりました。待機だ」

 

「でぇえ~~!?撤退じゃないんっすか~?」

 

 おおげさにぼやくサクラに同意するのも癪だが、フキも意見は同様。リコリスの姿を周知された以上、急ぎこの場を離れることが最善のはず。

 

 この状況で撤退をしないことに対する不気味な予感をフキは嗅ぎ分ける。

 

(何かがおかしい、上は一体なんの意図で私たちを此処に立ち往生させている?)

 

 まずい、とフキはひどい焦燥感に駆られ始める。

 

(まずい……違和感があることに対してじゃねぇ……違和感の正体を言語化できてないこと自体が異常だ。それに、この違和感は放置して置いたら、まず間違いなく致命的なモノになる……)

 

 だが、それを踏まえても春川フキが、この現場において統率役たる“アルファ:(ワン)”が司令部の指示を軽んじるわけにもいかない。

 

 留まる決断の先に待つ不吉な気配を感じながらも、司令部の指示に縛られフキは身動きをとれずにいた。

 

 

 

 

 司令本部では重々しい沈黙が降り、誰もが息を殺して二人の司令のやり取りに固唾を呑む。

 

「……どうなさるおつもりで?」

 

「リリベルが状況を引き継ぐ。まず、延空木へのクリーナーの派遣を中断せよ。残念だが、リコリスは全員消えてもらう」

 

「お待ちください!彼女たちは、今回の事件の解決に大きく貢献を……」

 

「だが、リコリスらは敵の術中に嵌り、その姿を衆目に晒してしまった。更には都内へ多くの銃火器を流出させ、リリベル側の使用権限を貸与していたラジアータへのハッキングを許した」

 

 虎杖は厳しい面持ちで楠木を見つめる。彼の目には咎めるような意図はない、むしろ憐憫に似た悲しげな眼差しを向けるだけだ。

 

 そう、虎杖も理解はしている。先ほど並べ立てた失態は楠木司令はもちろん、リコリスたちにも落ち度はない。彼女らはその場その場の最善ともいえる判断を下し続けて、此処にいる。

 

 もし、この一件をリリベルが担当していたなら、正体を暴かれたのはリリベルの方で、ラジアータへのハッキングや銃の流出も起こっていたかもしれないと。そうなれば、リリベルの処分を行っていたのは──。

 

 虎杖は、意味のない“もしも”の想定を切り上げる。

 

「恨むな、とは言わないが理解はしてくれたまえ。元より我々はこういった関係だったはずだろう?」

 

 

 楠木司令は此処にきて、自分の命令が通らないことを理解する。この場での指揮権も喪失した。負った怪我のせいで血を流しすぎ、視界が朦朧とする。けれど、思考だけはひどく凪いで冷静なものだった。リリベル側の告げた上層部の指示も妥当だと理性は納得しかけている。

 

 だが、妥当だというだけで、唯々諾々と現場で無辜の市民、日本の平和、今日と変わらぬ安寧の明日のために命を懸けてきたリコリスたちを切り捨てることを認められるはずがない。

 

 任務遂行のため司令として命を預かり、死地へ赴かせる以上、任務を遂行した彼女たちを無事に帰せなくては、己の存在価値は何処にある。

 

 楠木は傍らの秘書の女性へ目配せを送る。秘書は楠木の意思を正確に汲み、その場をひっそり離れようとするのだが、虎杖に付き添っていた黒服の男が銃を抜いた。

 

「動くな」

 

 リリベルの司令たる男は手を掲げ、黒服たちの抜いた銃を下ろさせる。

 

 虎杖は楠木の退(しりぞ)いた司令部のイスに座り、気重そうに彼女らへ忠告した。

 

「下手な真似はしてくれるなよ。現場のリコリスだけでなく、君たちにいなくなられては後々に支障が出る」

 

 

 

 

 吉松シンジの捜索のため、展望台より上のフロアに来た千束は其処でようやく探し人の背中を見つけることができた。

 

 生きていてくれた、今はそれだけが嬉しくてたまらない。

 

 千束は安堵に表情を綻ばせて、かつて慕った救世主の下へ駆け寄っていく。

 

「──ヨシさんっ!」

 

 よく整えられたクリーム色の髪はボサボサになり、仕立てのいいスーツは血のにじんでいるところさえある。

 

 それでも大きな怪我は見受けられず、吉松シンジは両の足で確かに立ち、千束の呼びかけに振りかえった。

 

「大丈夫?……撃たれ、て、ないですか?」

 

「嗚呼、掠めただけだ。来てくれたんだね、千束」

 

「だって、あんな写真見たら──あっ、~~携帯ないんだった」

 

 安堵する千束を見つめ、吉松は極めて冷静に、ごく自然な声色で尋ねてきた。

 

 “ヤツ(真島)”は死んだか、と。

 

 

 千束は一瞬、その言葉には何か別の意味があるのではと考えるが、そんな都合のいい解釈は出てこない。呆然とした状態で思考が泥と化す。

 

 

 期待に満ちた眼差しのまま、吉松は嬉しそうに続ける。

 

「私をこんな目に合わせた真島を殺したのか?」

 

 吉松シンジの何処か歪んだ期待の眼差しを見上げ、千束はようやく彼と自分の在り方のすれ違いをぼんやりとではあるが測りきったのである。

 

「殺してくれたんだろう?」

 

 両肩に手を置かれ、見当違いな期待の混じった視線が赤の双眸と重なった。目を伏せた千束は、懇願めいた期待を持つ吉松と視線を合わせられずにいる。

 

 

 語らなくても分かった、分かってしまった。ヨシさんが、自分に何を望んでいいたのかが……。

 

 自分は本来、何のために救われたのか、を。

 

「ヨシさん…………」

 

「~~殺してないのかっ!」

 

 親し気な声音、優し気な態度が嘘だったかのように吉松シンジは千束の方を乱雑に突き飛ばす。だが、腕に弾丸が掠め、長い間縛られていたためか、突き飛ばす力は悲しいほどに衰え、千束は姿勢を崩しもしなかった。

 

 一縷の願いを込め、千束は言葉を尽くそうとする。

 

「ヨシさんの期待に応えられなかったのはわかってる、でも──」

 

「なんだっ、マザーテレサにでもなったつもりか!?」

 

 

 

 荒げられた声に気づいて上がってきた二人、たきなと黄理は外の階段で冷酷に、それでいて深い怒りを堪えて佇んでいる。

 

 腕を組んだ黄理は、“あんなの”を生かそうとする千束のお人好し加減に失望を隠さない。いいや、元より錦木千束と七夜黄理では価値の尺度が違うのだ。千束はあんなのでも生かそうとするが、俺はもう無理だと。付き合いきれないと見切りをつける。

 

(無様、としか感じられない。生かす価値が見当たらない。存在の意義を見出せない。何よりごく単純な話、俺はアイツを、コロシタイんだ)

 

 

 しかし、千束だけはその場にいた誰とも違う答えを出し続ける。

 

「──だって、人に救われた命で誰かの命を奪えるわけないじゃない……」

 

「……君はわかっていない。人生の役割が明確な人間は非常に少ない。だが、君にはあるっ。これほど幸せなことはない」

 

 ヨシさんのいうことがわからない、その所為なのかな。

 

「しあ、わせ?」

 

 こんなにも悲しくて、苦しくて、泣きたくなるほど胸が痛いのは。

 

「……殺しがわたしの幸せなの?」

 

「そうだ!それによって君は人類と世界に貢献できるのだから」

 

「わたし、はけっこー幸せだった。できれば、誰かの役に立ちたかったんだけど……貴方が私にしてくれたみたいに──」

 

 過去の救済も、幼少期からの憧れも、全てが攪拌されて、それでもなお千束はどうにか、かつての恩人へ精一杯の笑顔で話し続ける。たとえ、その笑顔がどれほど悲しみを抱えていたとしても。

 

 そして、千束の思いは何ひとつ吉松へ届きはしなかった。

 

「“私はそんなことのために死にかけの人形のゼンマイを巻いたわけじゃあないんだ”」

 

 ガラガラ、と千束の今まで認識していた世界が足元から崩れ去っていくような感覚に襲われる。悲しいはずなのに、それでも涙は流れすらしない。あまりのことに千束はおかしくも、楽しくもないのに笑ってしまった。

 

「に、んぎょ──?……人形かぁ。上手いこと言う、なヨシさんは──」

 

 

 

 静かに黒々と、重く酷薄な感情が沸々と湧き上がるのをたきなは感じていた。

 

 彼女は冷たくリコリスとして自分のするべき選択を定める。

 

(千束の幸福は、アイツ(吉松)が生きていては掴めない)

 

 

 

「君にその銃は相応しくない。返してくれ」

 

 使命はハリボテで、憧れは見当違い、これまでしてきたことは何ひとつ救世主さん(ヨシさん)の望みとは程遠かった。

 

 ヨシさんの苛立った声に返事もできず、千束は黙って十年の歳月、ともに戦ってきた相棒ともいえる拳銃(デトニクス・コンバットマスター)を吉松の手に委ねた。

 

 手のひらに乗せられた銃をひったくるように掴み取り、吉松はマガジンの中身を確かめる。マガジンに装填されていたのは赤いゴム製の弾頭。ミカの作った非殺傷の弾丸、フランジブル弾を目にし吉松は忌々しそうに悪態を漏らす。

 

「ミカめ、よくもこんなものを──」

 

 吉松が懐から取り出したのは45口径のマガジンであり、そこに装填されている弾丸の先には容易く人の命を奪うことのできる冷たい鉛があしらわれていた。

 

「目を覚ませ、君には実弾こそが相応しい……」

 

 平然と以前までの温厚な態度、親交を覆してアラン機関の男は千束に銃口を向け、何の感慨もなく発砲する。迫る凶弾に、メンタルが絶不調にありながら千束は染みついた肉体の記憶が命ずるままに回避を成功させる。

 

「素晴らしい──」

 

 

 感動に打ち震える吉松へ、千束の背後から数発の弾丸が撃たれた。

 

 千束を挟んだ関係上、吉松に命中こそしなかったが、その弾丸からは厳然とした生命簒奪の意思がはっきりと浮かび上がっている。

 

 自身の拳銃、シルバースライドモデルのM&P9を構え、たきなは吉松に照準サイトを合わせる。

 

「動くな、次は眉間に撃ち込みますよ」

 

「──たきな、銃を下ろして!」

 

 いきなり、現れるや吉松に銃を発砲したたきなに対し、千束は吉松の前で両手を広げ立っている。そして、たきなの後ろからひどく冷めた瞳の黄理が出てくると千束は、少しの安心とその裏にある何か嫌な予感に血の気が引いていた。

 

「よかった、黄理からもたきなに銃を下ろしてって説得を──」

 

「なんで?」

 

「っ、な、んでって、そんなの!」

 

「お前、撃たれてんだぞ?なんで、ソイツの方を庇わなきゃいけねぇんだよ」

 

 千束の血相を変えた懇願に、たきなも黄理も取り合うことなく冷たい殺意を叩きつけている。ややあって、苛立ちに満ちた目付きでたきなが銃を構えたまま話し始めた。

 

「吉松、お前が真島と共謀して千束を此処に誘い込んだのはわかっている。いいや、真島は利用しただけでしょうね」

 

 千束を吉松との射線上から外す位置へ、たきなが弧を描くように歩いていく。その間も油断なく銃口は吉松から反らさずに構えられたまま。

 

「真島に武器を渡したのもお前、ウォールナットにラジアータをハックさせたのも、殺したのもお前。ああ、それに松下もお前だ。そして、千束の心臓を壊したのもお前…………だけど、そんなことはもうどうでもいい」

 

 視線がほんの僅かに吉松から離れ、奴の足元に置いてあるケースへ揺れる。

 

 クルミが探し出した“千束の人工心臓”が収められていると思しきケース。

 

 それさえあれば、千束の命は──。

 そのケースさえ手に入れれば──。

 

 

 ケースのことを言及され、千束もそちらを見ようとするが、恐ろしいまでに冷え冷えとした悪寒が身に突き刺さり、彼女はケースではなくこの場にいる一人の青年、七夜黄理に注意を払う。

 

 いいや、目を離してはいけない。吉松シンジより、井ノ上たきなより、あるいは真島より、今の“七夜黄理”は危険すぎる。

 

 

「クルミが掴みました、その中に千束の命がある」

 

 たきなの殺意に満ちた詰問にも、吉松は動じることなく軽く笑って見せる余裕さえ見せた。

 

「ははっ、物知りだねぇ、たきなちゃん。……だが、君のお仲間が調べたそれは少し古い情報のようだ」

 

 吉松がシュルリ、とネクタイを緩め、胸元へ視線を誘導していく。

 

 千束たち三人の視線は、はだけられた胸元、心臓のあるべき部位へと集中する。皆が見つめる先には、施術後の痛々しい縫合痕と青紫色の変色を伴う皮膚下出血がある。

 

 常識的に、倫理的にありえないはずなのに、それの意味するところを千束たちは悍ましさとともに理解してしまう。

 

 吉松シンジは。アラン機関は。千束に人を殺させる、そのためだけに健常な心臓を摘出し、人工心臓と入れ替えたのだ。

 

 

 吉松は先ほどの苛立った声音が嘘のように穏やかな言葉遣いで千束に接する。

 

「千束……お前を生かす心臓は此処だよ。私を撃って、手に入れなさい」

 

 実弾の込められたデトニクス・コンバットマスターを千束に握らせ、吉松は銃口の先を自分の眉間へと(いざな)った。

 

「これで、まだまだ君は生きられる」

 

 心からの祝福と歓喜に声を弾ませ、才能の狂信者は(ひざまず)いた。

 

「さぁ、躊躇うな。君自身の幸福のため、君の価値と人生を取り戻すんだっ。そのためならば、私は命だろうと捧げるよ!」

 

 

 此処で黄理は呆れたように嘆息すると怒気を収めて肩をすくめた。片や、眼前でイカれた持論を並べ立てる男の茶番劇に意味も、価値も見出せず、たきなは侮蔑を込めて吐き捨てる。

 

「──狂ってる」

 

「あぁ、見たまんまだな」

 

 たきな、黄理の外野二人の声を無視した吉松は千束に銃を握らせると、そこから手を離す。そう、引き金を、殺意を実行するのが吉松(他者)であっては意味がない。

 

 千束自身の手でなくては、とでも考えているのだろう。

 

「さぁ、撃つんだ千束!」

 

 狂った男の叫びを真っ向より少女は否定する。

 

「──バカにしないで!撃てるわけないでしょ!」

 

 

 運の悪いことにたきなは吉松の目を覗き込んでしまった。千束へと跪いた男の上げた目線は、爬虫類、いや無機質な自身の命になんら意味を見出さない群体としての昆虫めいた眼差しは、あまりにも──気持ち、が、ワルイ。その悍ましさ、痛ましさにとうとうたきなの忍耐が底をつく。

 

 

 銃を握ったまま狼狽える千束を押しのけて、吉松の額へ銃口を押し当てる。引き金を引くことに躊躇はなかった。たきなにはもう、眼前の男の命に価値を見出せない。

 

 千束があれほど尊く扱った命を、まるで道具やガラクタとして使う男が一秒先でも息をしている事実に耐えられない。怖気が走る、コイツは──生きていてはならない存在だ。

 

 

 

 たきなの迷いのない発砲は、横からの迷いと葛藤に満ちた千束の手によって阻止された。

 

「ッ~~。なにしてんの……!」

 

「千束にできないなら私がやります!」

 

「だから、そんなこと私は……たきなお願いだから──」

 

「ハッハッハ、千束の前で君が私を撃つことなどできないよ。たきなちゃん。そうだな。やるとすれば、千束と才能で拮抗するという黄理くんの方がいいかもしれないな?」

 

 それは本当に超えてはならない一線だった。二人の日々を、繋がりを、信頼関係を見てきたからこそ千束と黄理くんの絆を虚仮にして、ご満悦に笑う吉松の余裕が、生存がたきなには許せない。

 

 許せるはずがない。

 

「──ァ、アァァ゛!!その心臓、私が引きずり出してやる!!」

 

 吉松に飛び掛かろうとするたきなを千束が必死に止める。

 

 こんなにも純粋にナニカを憎んだことはあったろうか。たきなは怒り狂いながら、吉松へ憎悪の手を伸ばす。相棒(たきな)が手を汚すのを懸命に抑える千束へ、たきなはそれでも吠えてしまう。

 

「離して、~~千束っ!!」

 

 

 不意に視界の端で何か光るモノを目にした千束は咄嗟にたきなを押しのけ、頭上より飛来する物体を回避させた。落ちてきた黒い刀身に僅かな光沢を持つコンバットナイフが深々と床に刺さる。

 

 ナイフの飛んできた先、天井の梁にいた女にたきなは見覚えがあった。忘れもしない、以前、病院で千束の心臓を壊した看護……違う、吉松の手下か。

 

「お前はあの時の……」

 

 体に張り付くようなタクティカルスーツを纏うアラン機関のエージェント、姫蒲は梁から飛び降りると間髪入れず、主の目的達成の障害となる第三者、井ノ上たきなの排除にかかろうとする。

 

 飛び降りてくる赤い髪をした女の影と、濁った色をした害意の思念。

 

 それを、青く光る浄眼は確かに捉えていた。

 

 

 

 

 姫蒲が落ちてくるのに合わせ、黄理が目にも止まらぬ速度で死角より襲撃する。

 

 姫蒲は井ノ上たきなを真っ先に排除しようと目論んだ。しかし、それは極域の暗殺者に対して、致命的な隙を晒すことに繋がってしまう。結果から言えば間違いであり、結果のみを焦点に語るなら間違いでもなかった。

 

 隙を晒そうと、不意打ちで戦おうと結果は見えているのだから。

 

 

 刹那に接近した黄理の振りかぶった鉄棍。それは姫蒲の右肩の付け根、人体構造の脆弱点たる点穴を穿ち、彼女の右肩を生涯、使用できないほどに破砕してしまった。激痛を味わった姫蒲がろくな受け身もとれずに床に叩きつけられる。

 

 

 そして床に体を打ち付けられた痛み、肩が砕かれたことによる激痛であえぐ彼女の背後に、冷たく無機質で人とかけ離れた瞳となった黄理が音もなく着地する。黄理は彼女を一撃で昏倒させるため顎を蹴り抜こうとして、うっかり加減し損ねたのか顎を蹴り砕いてしまった。

 

 思わぬ失態に七夜としての黄理が愚痴をこぼす。

 

「チッ、参ったな。“これは上手くない”」

 

 顎を砕かれ、動かなくなった姫蒲は辛うじて視認できる程度の痙攣を起こしている。

 

 しかし、その動きはまだ辛うじて生きている、といった印象しか浮かばないほど凄惨で、弱弱しい微動だった。

 

 吉松も、千束も、たきなも、誰もが言葉を発することができない。

 

 静寂の降りた舞台で、瞳に蒼を宿した青年は仰向けになって痙攣する女の頭部へ何の感情もなく蹴りを叩き落とした。痙攣していた姫蒲が遂に動かなくなる。

 

 

 身じろぎもしなくなった姫蒲を見下ろし、七夜黄理はわずらわしそうに髪をかきあげてから、ゆっくりと千束たちの方に振りかえった。

 

 その時の無表情からくる不気味さ。ヒトを人とも思わぬ暴力性、身に着けるは血のように赤いリリベルの制服。

 

 

 この一瞬、七夜黄理の姿を目撃した者らが抱いた鮮烈な幻想(イメージ)は、完全な一致を見せた。古来、恐るべき魔として語られる有角の化生。人に似通いながらも人を殺すと謳われる存在。

 

 いわく、其の名を“鬼”。

 

 

 血染めのお伽噺の中、人々の恐怖で語り継がれる物語のままに──

 

 朱い鬼神が、仄暗い蒼の眼光を(またた)かせて立っていた。

 

 

 

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