Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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Nature versus nurture【3】

 

 

 

 旧電波塔での決着はついた。錦木千束と七夜黄理、互いに譲れないものを理解したうえで戦い、勝敗は分かたれた。血流が正常に戻り始めると黄理は抱きしめていた腕を緩めて、千束と共に立ち上がる。

 

 赤い視線が鋭く尖り、蒼黒の瞳に何かを訴えかけている。言質が欲しいんだろう、ため息をついて黄理は両手を上げ、望まれた言葉で契りを結ぶ。

 

「俺の負けだよ、ヨシマツはもう殺さない……千束の思うようにするといいさ」

 

「うん、ありがと。……じゃあ、たきなの縄、解いてあげてきて。わたし、ヨシさんの方を解いてくるから」

 

「おう……たきな、怒ってるかな?」

 

「そりゃもうばっちし。腹くくって怒られてこーい」

 

 千束のぞんざいな応援に肩を落とし、それから黄理は吉松を冷たく見下ろす。

 

「大丈夫か?……アイツ、まだ諦めてないと思うけど」

 

「だねぇ。まぁ、それでも……最後にちゃんと話してくるよ」

 

 “そうか”、とだけ返事をして歩き出し、黄理はボーララップで拘束したたきなの縄を解くために仕込みナイフを取り出す。縄に繋がれていながら、たきなの視線は凶器さながらに物騒な熱の宿った眼差しだった。

 

「……ごめん」

 

 パチン、と仕込みナイフの刃が飛び出すと拘束用の縄が切り裂かれて、たきなは自由の身となる。縄を解かれたたきなは黄理の肩に手を置き、そのまま掴むと黄理の額に頭突きをしてきた。ごちん、という痛みの浸透と共に響く鈍い音、視界が点滅するようにちかちかとゆらぎ、頭を抱えて尻もちをつく。たきなは尻もちをついた黄理に馬乗りになるや、胸倉をつかみ上げて視線を合わせる。怒ってる、それが一瞬でわかるほど、たきなの菫色の瞳は燃えていた。

 

「────これで許してあげます……だから二度と、二度と!こんなことしないでください!」

 

「うん、ごめんな心配かけて……」

 

「どうして……黄理くんと千束が……あんな吉松みたいな人間に良いようにされて殺し合うようなことを……!」

 

 馬乗りになったまま、たきなが黄理の胸板をばしばしと叩く。目じりには涙が零れ落ちそうなほど溜まり、普段通りの冷静な彼女の振る舞いは見られない。大事な妹分の頭を撫で、黄理は肩の力を抜く。いつの間にか棍を手放し、馬乗りにされたとき仕込みナイフは手中から滑り落ちていた。武器を何ひとつ持ち合わせていない中で、彼はひどく落ち着き払っている。

 

 黄理は瞼を閉じ、泣き出してしまったたきなの気の済むまで怒りと不安、恐怖を受け止めるため目を閉じて観念するのだった

 

 

 

 

 千束は疲労に浸った体を引きずるように前に動かし、吉松シンジの元に辿り着く。棍をかすめた肩、銃で打撃をいなしたとき衝撃を吸収した手首、無理な瞬発と制動でがたつき始めてる足。どこもかしこも傷むが、千束はそれを飲み込んで吉松の縄を解こうとする。

 

 しかし、殺しをしないまま事態を収めた千束に対し、うずくまった吉松は胡乱な眼差しで不満たらたらな言葉を羅列する。

 

「ダメだダメだダメだ、それじゃあ、君の才能が発揮されない……それじゃあ、ダメなんだよ、千束……殺すんだ、そうでなくては」

 

 そう語る吉松は千束を一瞥もしていない。視界に入れもせずに、アランの男は自分の理想を虚空に喋り続けている。

 

「君のためなんだ……どうして分かってくれない」

 

「──違う、“使命”のためなんでしょ」

 

「同じ、ことだ」

 

「……ヨシさん、私は私なりのやり方でこれまで出会ってきた大切な人たちに、“世界(みんな)”に恩返ししていく。でも、その方法は、“殺し”じゃない。……ヨシさんがくれた時間で、それに気づけたんだ」

 

 静かに、千束は長らく自分と救世主のよすがであったチャームを外した。金色のフクロウを繋ぎ止めていたチェーンがあっけなく千切れる。

 

「これは返すね」

 

 天才へと贈られる形持つ契約の証をそっと吉松に握らせる。もう、チャームは千束にとって何の意味も、価値も有さないものだから。

 

 それは訣別であり、確かな親離れであった。

 

「愚かな……君は今、自分を動かす理由を手放したんだぞ」

 

 ずきりと、胸が痛む。その痛みは否応なく、千束に残された時間の少なさを現実のものとして認識させた。けれど、千束はなお不敵に笑ってみせた。

 

「どれほどつらい別れでも輝くものはきっと残る、だから大丈夫。……ヨシさんにはほんと感謝してるんだ。だから、私の代わりに元気でいて。せんせとも仲直りするんだよ?」

 

 不意に千束の広い視野の中に蠢く人影が捕捉される。それは先の奇襲で黄理に迎撃された姫蒲というアランの女性エージェントであった。彼女の足取りは非常に弱弱しく、けれど必死に吉松の方を目指している。

 

 なんとしても吉松を連れて撤収しようという意図が読める。千束としても妨害しようとも思わない。むしろ、さっさとヨシさんを回収して、姫蒲にはどっかの病院で精密検査でもしてもらった方がいいとさえ考えている。

 

 たきなの憎悪に満ちた真っ暗な瞳が、吉松らの身勝手を許さないと言葉なく宣言していた。黄理に縄を解かれて、たきなは素早く立ち上がるや黄理の銃を片手に吉松たちの方に駆け出していく。尋常ではない様子に千束が駆け寄り、黄理が凶行に及ばぬよう後ろから抱き止めて拘束する。

 

「たきな、やめろ」

 

「離してください!」

 

 駆け寄った千束がたきなの持つ銃をはたき落とす。

 

 怒りに我を忘れるたきなを黄理と共に千束が抱きしめた。たきなの表情が怒り、焦燥、恐怖、困惑に彩られる。

 

 ああ、あと少しで手が届く。アイツを殺しさえすれば、千束は、千束は助かるのだ。ああ、行くな行くな、逃げるな──!

 

 肉体の軸がひずんだようによろめきながら、吉松を抱えた姫蒲はほうほうの体で撤収していく。その歩みは牛歩のようで、駆け出せばたった数歩で仕留められるのだ。奴を、吉松という元凶を殺しさえすれば。

 

 だというのにたった数歩が遠い。

 

 抱きしめる千束と黄理くんの制止が今この時に限っては煩わしい。

 

 泣きじゃくるようにたきなの声は上ずっていた。

 

「ぁ、あぁ、心臓が逃げる!!」

 

 必死に、懸命に手を伸ばす。届け、届け、届かせなければ。

 

 泣いているみたいな顔で、たきなは何としてでも吉松を殺そうとする。

 

「あ゛ぁぁあ゛ぁぁっ!!」

 

 届かない──!

 ──行ってしまう。

 

 千束の、命が。

 

 千束の未来が。

 

 

「ヨシさんを殺して生きても、それはもうわたしじゃない!」

 

 千束の否定が恐怖に突き動かされたたきなに突き刺さる。縋る素振りでたきなが黄理に目で訴えかける。けれど、黄理は黙って首を横に振った。

 

「わかってたろ、千束はこういう奴だ」

 

 吉松たちは気が付くと姿を晦ましていた。千束を救うための最後の可能性が逃げたことで、たきなはようやく失意のままに膝をついた。

 

 正面から抱きしめている千束の、心臓があるべき場所にたきなが額を押し当てる。消え入りそうな声が懇願していた。

 

「──いやだ」

 

 死んでほしくない、もっと一緒にいてほしい。黄理くんと千束はいっしょにいなくちゃ……三人でもっともっと笑っていたいのに……。

 

「ヨシさんの代わりに生きるのはわたしには無理だよ」

 

「イヤだ、千束が死ぬのは……いやだ……」

 

「あぁ……分かるよ、俺だってそうだ。でも、千束の言うことをちゃんと聞いてやろう。聞かないと、一生の後悔になりそうだ」

 

 たきなの涙ながらの訴えに黄理は頷きながらも、千束の想いを聞き届けることを選択した。後ろからたきなを抱きしめ、告げる言葉にたきなはようやく顔を上げた。

 

 菫色をしたたきなの目と千束の赤い夕焼け色の目が合う。

 

「ありがとう──でもね、わたしはホントだったらずっと昔にいなくなってる人なんだ。どんな思いであれ、ヨシさんに生かされたから黄理やクルミ、お店のみんな、たきなにも出会えた」

 

 唄うように紡がれる言葉にたきなの瞳から憎悪が解け、涙となって流れていく。

 

「わたしだけじゃない。お別れの時はみんなにも来る。……でも、それは今日じゃない」

 

 うつむくたきなから殺意は薄れ去り、千束は顔を上げた彼女へ優しく微笑みかける。覗き込んだたきなの眼差しには凛とした理性の光が瞬いていた。

 

「──そうでしょ?」

 

 

 千束がキメるように笑ったところで急な突風が生じ、不安定な姿勢のまま抱きしめ合っていた三人が盛大にずっこける。

 

 轟、と大穴の開いた窓から風が吹き込んだ。髪が靡き、スカートを揺らす風の向こうからヘリコプターの出現。あっけにとられた千束たち三人は呆然と目を見開いていた。

 

 

 三人の心情なぞおかまいなしとヘリのドアが開けられ、見慣れた少女が緊迫していた空気を気持ちのいいくらいに賑やかしくぶち壊した。

 

「おーい、お前ら無事かー!ミズキはうるさいし、風がすごくて目も口も乾いてしょーがないんだ。早いとここっちに来ーい!」

 

 

 

 

 

 ヘリに乗り込んだ三人に告げられたのは緊急の依頼が舞い込んだという寝耳に水の話だった。黄理との死闘を演じ、たきなを必死に説得した後の千束は、まだ厄介ごと(トラブル)がやってくる現実に眉を顰める。

 

「依頼~?リコリスの救出が?……誰の依頼よ~」

 

 長年の憧れで自分の生き方の指針だった“ヨシさん”との喧嘩別れに傷心する間もなく、依頼をこなせとなるとさすがに千束の反応も刺々しくなる。

 

「そこらへんはミカにでも聞け」

 

「そーだ、先生は?」

 

「用事があるそうだ……あぁ、これを預かったぞ」

 

 クルミから渡されたケース、中には赤いゴム弾頭のフランジブル弾のマガジンが幾つも収められている。使い慣れた非殺傷弾の補充に千束も顔をほころばせる。

 

「お~、マガジンだぁ。たーすかった~。旧電波塔ですんごい使っちゃったし、カバン落っことして予備がなかったんだよねぇ」

 

「それ、当たると痛いんだよな……」

 

「撃たれるよーなことすっからでしょーよ」

 

「ですね……千束、マガジンを預かります」

 

「ほいほい、よろしく~」

 

 サッチェルバッグがない以上、太もものホルスターにつけても携行できる数は限定される。予備弾倉を効率よく運搬するため、たきながサッチェルバッグを取り出す。千束から非殺傷弾のマガジンを受け取り、サッチェルバッグの側面部、隠し収納にフランジブル弾のマガジンが収納される。

 

 準備が整ったと思しきところで、クルミがタブレットを見せる。

 

「依頼はこれだ」

 

 クルミの見せた画面には延空木の占拠がニュースに上げられ、リコリスが一部、映像に捉えられていた。機密治安維持をモットーとするリコリスの実在の露見、これには流石に千束も顔を青くする。

 

「そうだっ、これ!?ど、どっどうする!?リコリスバレちゃってるしー!!」

 

「DAは延空木のリコリスたちを処分するつもりだ」

 

「そうなると、処分の実働隊はリリベル(こっち)かな。大変だ」

 

「あーもー、んな呑気に言ってる場合か~!」

 

 相方であり、現役のリリベルである黄理の呑気な様子を千束が睨みつける。リリベルとリコリスの衝突という事態を受け、クルミは何やら納得のできない顔つきで表情を曇らせた。

 

「何故だ、リコリスとリリベルは協力関係にあったはずだろ?」

 

「と言われても。──これもリリベルの役目の一つだしな」

 

「役目?」

 

「気分の悪いことにね。リコリスが正体の隠匿に失敗した場合とDAの背信行為と認定される事をやったとき、リコリス狩りをやるのがリリベルの仕事なわけ。まぁ、逆もしかりだけど。昔はよく店にも来てたよ~、千束を殺しに。はー、虎杖のおっさん相変わらず血も涙もないわね」

 

「なんで来なくなった~?」

 

「虎杖のおっさんと楠木で上に交渉した成果よ。リリベルは千束を殺せなかったし、リコリスは黄理の罠で死にかけてたし」

 

「生きてたろう、失敬な」

 

「“まだ”死んでなかった、の間違いじゃない?」

 

「ふーむ、要するに千束と黄理がヤバくて、虎杖と楠木が上に中止を提言したと……なるほど、良い判断するじゃないか。虎杖も、楠木ってのも」

 

「ちょいちょーい、話聞いた感想が私と黄理がヤバいで片付けるのって、どーよ」

 

「どーよ、も何もそのままじゃないですか」

 

 たきなの直球過ぎる指摘に、千束がグッと二の句に詰まった。黄理も当時のことを思い出して苦笑する

 

「おかげでDAの仕事をさせられる羽目になったけどな」

 

 リリベルの脅威は退けた千束が深く知るところだ。たきな、クルミも同様に七夜黄理の規格外さを見てきたからこそ、リリベルという戦力を過小評価なぞ出来まい。このまま手をこまねいていれば、延空木のリコリスはテロリストたちと一緒に掃討の憂き目にさらされる。

 

 その一点がリアリティを持った時、千束がかつての相棒を案じて声を震わせた。

 

「──フキたちがやばい」

 

「黄理くんから虎杖さんに中止を呼び掛けることは……」

 

「厳しいな、虎杖さんは何かと融通してくれるけど元来、職務の鬼だから。俺が説得しようとしても命令の撤回があるとは思えない」

 

 

 

 

 

 東京上空で“職務の鬼”と評されている虎杖は司令部で自身の部下たちに号令をかけていた。上層部より下されたリコリスの処分。その遂行のため、虎杖は合理的に行動を続ける。

 

「生存するリコリスたちは全て処分しろ。遺体はそのままでいい。隠蔽はクリーナーに一任する」

 

 今回の現場(延空木)のために選別されたリリベルの部隊が出撃する。

 

 目的地は延空木。標的は……同じDAのエージェントたるリコリスたち。

 

 表に出た秘匿されるべきリコリスたちを処分するため、同じく隠密を旨とするリリベルを日なたに出す愚行。虎杖はその事実を認識したうえで自嘲する。

 

「隠密部隊が聞いて呆れる。……しかしまぁ、なんだ。隠密部隊としての本分を忘れた代償は高くつきそうだな」

 

 

 

 

 展望台に続々とリコリスたちが集合する。集まるリコリスたちを一歩引いた場所から見ていたフキは、不吉な違和感を明敏に嗅ぎ取っていた。

 

 元よりリコリスとは秘匿されるべき暗殺者集団。大人数を一か所に集めての離脱などフキの知る限り前例がない。こういった場合は分散させて徐々に撤収させるはず。延空木という目立つ場所だからこそ大人数を早急に回収するための指示なのか?

 

 フキが言語化の困難な違和感に焦れているところでヒバナが声をかけてくる。

 

「フキー、アルファのリコリスたちが来たよ~」

 

「…………命拾いしたな、あいつら」

 

「うん、たきなのおかげだね」

 

「素直に納得すんのも癪っすけどねぇ」

 

 大勢のリコリス、サクラをはじめとしたセカンドたちの安堵を目にしてようやく、フキは自分たちがデッドラインの向こう側で安穏としていることを察した。ゾクリと背筋が泡立ち、脊髄に突き刺さる死の気配。サクラやエリカたち、他のリコリスたちの命も危ない。だが、上からの命令は此の場での待機……。

 

 現場指揮を担う自身が命令違反を為すことの重さを理解している。もしかしたら、上の命令が正しくて自分の感じた嫌な予感は間違いかもしれない。

 

 だが、此処で選択を誤れば死ぬのは自分が命を預かった隊のリコリスたちなわけで……。

 

 

 フキは無意識に頬を撫でつける。

 

 以前、模擬戦でたきなに一撃を受けた場所。

 

 

『命令違反に独断専行、おまえ使いもんになんねーリコリスだよ。二度と戻ってくんじゃねぇ』

 

 

 この瞬間において、たきなに言った言葉が今度は自分に向けられる。

 

 今回の命令違反をすれば自分はDAを放逐されかねない……。だというのに、フキはなんだか妙に愉快な気分になってしまっていた。

 

 

 

「──ったく、こっちも焼きが回ったな」

 

 自問自答を経てなお、フキの判断は揺るがない。座り込んだリコリスたちに向かって、フキは視線を集めるように動き出すや現場指揮官としての訓示を与える。

 

「動くぞ、全員この場から離脱しろ」

 

「フキ、本気(マジ)で言ってるの?」

 

「え、でも命令じゃ、この場で待機って」

 

「ヒバナとエリカはサードリコリスらと他の負傷者を下に降ろせ」

 

 多くのサードリコリスたちは顔を見合わせているが、反対はなく消極的な賛成のスタンスを取る。フキの指示にエリカ、ヒバナは異論はなさそうだが、“ちょっと待った”とサクラが手を挙げた。

 

「命令無視はイヤっすよォ。上からの心証に響きますって。手柄を立ててファーストリコリスになりたいっすから」

 

「はぁ、仕方ねぇ。サクラは私と来い。此処に残って制御室を奪還する」

 

「そうこなくっちゃ~」

 

「アホ、貧乏くじを引いたんだぞ」

 

 フキの呆れた反応をものともせず、サクラは挑戦的な笑みでピースサインを見せた。

 

「大穴狙いって、燃えません?」

 

「……お前、リコリコに染まんの早すぎだろ」

 

 

 

 

 延空木に向かう途中、千束たちを乗せたヘリコプターでは現況の最終確認を密に行っていた。千束は銃口の先、スパイクの欠けた場所を渋い顔で撫でながらクルミに確認する。

 

「ラジアータの情報改竄(カバー)はどうなってんの?」

 

「動作不良でダウン中だ」

 

「あらら、スリーカウント前に立て直せそう?」

 

「もうノックアウトしたようなもんで望み薄──こんなバカな真似ができる奴に心当たりがある、ロボ太だな」

 

情報改竄(カバー)ができないのでは、どうしようも」

 

「ボクが黙って手をこまねいていると?」

 

 クルミがUSBメモリを千束へと投げ渡す。

 

「それを延空木の制御室に挿してこい。あとはこっちで何とか収拾をつけてやる」

 

 そこで黄理が苦い顔で首を横に振る。

 

「それだけじゃあ、虎杖さんを止める理由には弱い。制御の奪われたラジアータを復帰させて、今回の延空木事件の偽装がされなきゃリコリスの処分は──」

 

「あーもー。わかったわかった。そのポンコツ(ラジアータ)の面倒もきっちりみてやる」

 

 電子戦に長けた少女は己の領分に対する不安の声を押しのけ、重々しい誇りと共に名乗り上げた。

 

「“ウォールナット”に任せろ」

 

「どーすんだ、ちさとー?」

 

 クルミの決め台詞に間髪入れず、ミズキが千束に覚悟を問う。逃げられるのは今しかない。延空木まで行ってしまえば、戻ることはできずに残り少ない時間を疎んでいた命のやり取りに使う羽目になる。もっと、安穏と平和に限られた時間を使うこともできる。

 

 しかしミズキは分かっていた。千束がなんて答えるかなど。

 

 

 

「よしっ、リコリコ営業再開だ!……行こう!!」

 

 ミズキはその分かり切った返事に何故だか嬉しくなってしまい、微笑みながら千束へとエールを送る。

 

「アンタはみんなの想いを背負って突っ走るんだから……こけんなよ」

 

「とーぜん!!」

 

 

 

 青空を征くヘリを見送り、ミカは電話口の向こうへ依頼が受諾されたことを報せる。

 

「行った、お前の依頼ということは伏せておいたぞ」

 

『──どうも』

 

 電話口のくぐもった声にミカは淡々と状況の擦り合わせを行う。

 

「リリベルはどのくらいで来る?」

 

『50分ほどです』

 

 

 声を潜めた楠木は最低限の情報共有を終えると通話を手早く切る。これ以上の通話は傍受される恐れがあるためだ。トイレの個室で楠木は険しい表情のまま手を組む。しばらくして、彼女の入っているトイレの外から威圧するような声が飛び込んできた。

 

「一体、いつまで入っている!」

 

「急かさないで下さい!司令のトイレは長いんです!」

 

 

 もう少し言い訳の仕方にやりようはなかったのかと思いながら、楠木はこの瞬間に延空木の事件における全てが自分の手を離れたことに無力感を抱く。

 

 現場のフキや千束たちは自分なりの正しさを貫こうとしている。そして、それはリリベルも同様だ。対し、今の自分はもうこれ以上打つ手がない。

 

 

 ……それでも、今ある最強のカードが切れた。あとは彼女らに任せるだけだ。

 

「任せたぞ、千束……」

 

 

 

 

 

 ヒバナとエリカが負傷者たちを引き連れ、降りていく一方でフキたちは制御室前に辿り着く。

 

「制御室まではこの一本道っすか」

 

「そうだ、行くぞ……」

 

 

 

 おおよそのリコリスの撤退を見届け、最後にヒバナとエリカ自身が延空木を離れようとするとき、エリカはふと立ち止まって以前、ルームメイトだった井ノ上たきなのことを考えてしまう。

 

「相棒に会えたかな……?」

 

 

「──?ボーっとしてどうしたの。あとは私だけだ。降りるよ、エリカ」

 

 エレベーターに乗り込んだヒバナがエリカを呼ぶ、けれどエリカは静かに振り返って笑いかけた。

 

「ヒバナ、わたしはたきなの代わりを……ううん、そうじゃない。悔しいんだ。わたしも一人のリコリスとして足手まといじゃないって証明するために、フキとサクラを助けにいってくる」

 

 

 エリカの強い思い入れの瞳にヒバナは頭を掻く。参った、止める理由が見つからない。普通なら戦力的に一人増えたところで何が変わると言うべきだが、エリカの眼差しに光るものを見出したヒバナは止める言葉を持たない。

 

「そんな眼をしちゃってまぁ。分かった、行ってくるのはいいけど無事に帰ってきなさい。あとフキたちも連れ帰ってくること。フキ本人から上に説明してもらわないと、私ら纏めて命令違反(クビ)になっちゃうからさ」

 

「──うん、行ってきます!!」

 

 

 

 

 制御室へと近づこうとするフキたち。その背後、完全な意識外からテロリストが銃の照準を合わせたところでエリカが間に合った。爆ぜる火薬に押された弾丸が標的を射抜き、沈む巨体。危うく死にかけたところをエリカに救われ、目を白黒しているフキたちはこんな鉄火場に似合わないほどコミカルな様子で──。

 

 

 だが、今のエリカの活躍も延空木の現場を知らぬ人間にとっては単なる殺人としか映らなかった。先ほどの血みどろな救出シーンを撮影するロボ太の設置したカメラ。隠しカメラの撮った映像は速やかに公共電波に乗せられて拡散していく。

 

“これは延空木内の映像です!今、男性が撃たれました!”

 

 ロボ太はリコリスたちの奮闘を窮地に変えながら、カラカラと笑い続ける。

 

「戦えば戦うほど、にぎやかになるぞ~!」

 

 

 制御室に辿り着いたフキたちをテロリストらの銃撃が襲う。密集した銃撃の火力にサッチェルバッグの防弾エアバッグが一瞬で食い破られる。

 

 雨あられと迫る弾丸をどうにか捌いても手榴弾が投げ込まれた。咄嗟に投げ返し、爆発を挟んでテロリストらの攻撃の手が一時止む。爆発の煙を視界の遮蔽とし、フキたちが屈強な男たちに肉薄。格闘戦でテロリストたちを追い詰めていく。

 

 サクラ、エリカも膝をついている。絶体絶命の中テロリストの一人がサクラとエリカに気を取られたフキの喉に掴みかかる。彼女のグロックを握る手は射線をずらされ、サッチェルバッグから苦し紛れに取り出したナイフを男の腕に突き立てようと相手は身じろぎもしない。

 

 それどころか、男は突き立てられたナイフを抜き、フキに刺し返そうとする。自分の喉に刺さる冷たい鉄の予感が現実になる直前。

 

 

 

 赤い粉塵が、彼岸花のように咲き誇る。

 

 舞い上がった赤い煙幕を割いて、赤い毛並みをした蒼眼の獣がテロリストに牙をむく。数えて八つ。振り抜かれた双棍の打撃は敵の関節を正確に打ちのめし、握力と腕力を瞬く間に剝奪する。フキが手放されて、男がよろめくと肩を足蹴に乗り至近距離で爆ぜる非殺傷弾。そのまま懐に入り連続して黄理が顎へ一発、棍の打撃を叩きこんだ。

 

 崩れ落ちる男の頬骨へしなやかに伸びる蹴り足。蹴り抜かれた衝撃でテロリストが壁に激突し、悲鳴を漏らすことなく意識を失う。

 

 急変する状況に混乱する男の両肩を正確無比な実弾が穿ち、黒い長髪を靡かせた人影が全体重をかけて飛び込み、流れるような体捌きで顔面に回し蹴りを入れた。

 

 壁に貼り付く男に油断せず、ワイヤーで拘束まで済ませる。現れた連中、彼女らをフキはよく知っていた。

 

 どいつもこいつも揃いもそろって問題児たち。リコリコで共に働いていた三人。錦木千束、井ノ上たきな、七夜黄理。ほんの数秒、リコリスの救出依頼を受けたリコリコの面々が事態を僅か数秒で覆したのだ。

 

「たきな!」

 

 エリカが感謝を伝えようとする横で怒りに満ちた動きがあった。

 

 鬼の形相をしたフキがテロリストの顎に銃口を押し当てているのだ。それも一撃で殺すのではなく、痛みをこれでもかと与えてやろうとする様子に待ったをかける千束の声。

 

「フーキ~」

 

「なんだっ!!」

 

「やめて」

 

「お前の現場じゃない!!」

 

 殺されかけたことに気が動転しているみたいだが、千束も元相棒の手綱の握り方を心得ている。すかさず重要事項を伝達する事でフキのクールダウンを行った。

 

「リリベルが来てるって言ったら?」

 

「な、に?……クソッ、なんだって……おい、どういうことだ!?」

 

 すごい剣幕で怒鳴りながら問いかけられた黄理は、きょとんとした表情で肩をすくめる。実際、先ほどまで旧電波塔にいたのだ。詳しいことなんて分かるはずもなく。

 

「?いや、俺に言われても」

 

「お前もリリベルだろーが!」

 

 フキの言うことも正論ではあったが七夜黄理は錦木千束と同様、リリベルの正式な指揮系統から少し外れた独立戦力。千束より素直にDAからの指示を引き受けるが、立場で言えば千束とどっこいどっこい。

 

 つまり情報源としては役立たずなわけで──。

 

 

 思った情報が得られず苛立ちを抑えきれなくなり、フキは倒れ伏したテロリストを蹴り飛ばして鬱憤を晴らした。

 

 

 

 

 無事な監視カメラからは無表情のまま血気にはやった青年たちが一糸乱れぬ統率でリコリスたちに迫っている。感情に寄らぬ透明な殺意、職務であるがゆえに発揮される無慈悲の殺気。

 

『見つけ次第、殺せ』

 

 獲物に襲い掛かろうとする餓狼の群れ。部隊挙動の迅速さに戦闘は門外漢な後衛、クルミも思わず舌を巻く。

 

「おーおー、すごい勢いだ。っとと、そっちはダメだぞ」

 

 ハッキングによってシャッターを操作。リリベルとリコリスが遭遇しないように誘導するがリリベルたちの行動はクルミの予想以上に速い。

 

「千束ー、リコリスたちがやばいぞ~。急げ~」

 

 電子戦の切り札たるクルミはシャッターの操作というその場凌ぎで時間を稼ぎ、千束らの決定的な行動を待つ。千束に渡したUSBメモリが有効化されれば、どうとでもなる。勝利を確信したクルミは、その確信がひっくり返されることを今はまだ知るよしもない。

 

 

 

 

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