短編1話完結。
オリジナル設定による坂上田村麻呂が登場します。
峠の村に鬼が現れた。
すでに村は滅ぼされた。鬼は妖怪を集め、近隣に勢力を伸ばそうとしている。駆けつけた官軍の見た村は、一面に広がる血の海。凶悪なあやかしがひしめき合う地獄だった。
鬼を村から出してはならない。人里には近付けられない。果敢に戦うも、仲間達は次々と倒れていく。
青年、が駆ける。
貴重な紫の染料を用いた布。その下にある具足は、高名な鍛冶職人により鍛造され、さらに神仏の加護を得ている。美術品とも言えるほどの、防具であり、神器。
将軍の鎧が馴染んだ姿は、若年でありながら、高い身分と武力を感じさせるに充分だった。
街道を走り広場に向かう。鬼は広場に陣取っていた。社のある霊山に続く。鬼が社の力を使えば、厄災は容易に引き起こされる。
道を阻む妖怪。青年が手にする鞘は、黒漆の塗られた長身の太刀。
一閃。切り拓き駆け抜ける。
門をくぐり広場に足を踏み入れた。先行部隊が苦戦しているが、後続の兵はあやかしの群れを突破できない。増えていく一方の妖怪。たどり着いたのは青年だけだった。
事切れた兵士達。
鬼が頭をつかみ、地に叩きつけた兵が、おそらくは最後の一人。興味なさげに、倒れた背を踏みつけた。
「足をどけろォ!」
声より早く矢が届く。背にした弓を取り、瞬く間に放った。鬼の脚に刺さる。鬼は矢を見て、そして青年を見る。
踏みしめる。鎧が砕け、血が噴き出した。
「てめえ!」
「汝が、官軍の将か」
鬼の近くを浮遊する三本の剣。鬼は青年を指差す。剣のうち一本が、宙をひるがえり、襲いくる。
青年は再び弓を引く。重厚で大振りの刃に対する、細い弓矢。
放たれた矢が分裂した。二本の矢は四本に。増えながら次々と剣に命中していく。やがては剣を弾き飛ばし、最後の一本は鬼の肩に突き刺さった。
武術と神通力を併せ持ち、若くして官職に認められる。すでに武功も収めていた。
「余の夢をかき乱すには、惰弱が過ぎる」
脚と肩に受けた矢は、負傷にすらならず、自然と抜け落ちた。剣も鬼の手元に戻る。脅威は感じなくとも、思う。今までにない人間。あやかしと戦う力。
死の渦巻く広場。切り立った崖にも面しており、不吉な音で風が吹き抜ける。重なる死体。流れる血。鬼と青年。ともに歩を進め距離を詰める。
不死の鬼、大嶽丸。征夷大将軍、坂上田村麻呂。
弓と剣を持ち替える。重厚な鎧から発射されるかのように突き通す。
大嶽丸は田村麻呂に向けて手をひらいた。視界が歪むほどの妖力。太刀が止められる。
一手で仕留められる相手ではない。それでも、対するは三本の剣と思っていた。剣は宙に浮いたまま動かない。大嶽丸にも、剣にすらも、届かずに弾かれた。
追いかける黒い影。抜刀した黒漆の鞘を逆手に持ち、踏み出した。将軍の剣にふさわしく、鞘もまた武器に等しい強度を持つ。大太刀の兵法にはない技巧。大嶽丸の腹に横から叩きつけた。暗影剣。鞘による打撃。
切りつけられずとも、意表を突かれれば、意識が奪われる。妖気が消える刹那。一瞬にも満たない隙を開いた。田村麻呂は両手で太刀を持ち直し、縦に振り下ろす。
人間も妖怪も、流す血の色は同じ。
傷口から落ちた大嶽丸の血は、足元の血の海に混ざる。手応えはあった。刃が浅い。最初の突進で近付けず、踏み込みが不足していた。
「鎧を壊す者はいた。余に手傷を負わせた人間は、汝がはじめてだ」
防具が必要には見えないが、大嶽丸は鎧を着込んでいた。胸元だけが砕けている。官軍の奮戦と、失われた仲間達を思い、田村麻呂は歯を食いしばった。
「そうかい」
太刀を構える。腕を振り上げ足を踏みしめる。剣気と妖気がぶつかり合う。
間合いを詰める。体当たりにも似た足運び。大嶽丸は剣に念じた。三方向から斬りかかる。田村麻呂は体をひねり、回転する乱迅の動きで身を守りながら、大嶽丸に飛び込んだ。
三刀を防いだ一刀を浴びせる。
「ここで死ねば最初で最後だな」
吐いた言葉で脱力する。吸う息で全身に力を込め、大きく跳び上がる。大嶽丸を狙い撃つ、天誅の意思。空中で刃が交錯した。
田村麻呂の太刀が打ち鳴らされる。
着地。渾身の飛天を三本の剣に受け止められた。瞬時に次の手筋を選ぶ。修得した無数の武術から探し出す。横一文字に太刀を振るい、同時に身をひるがえした。剣の包囲から脱する。
大嶽丸に消耗はない。自在に動く剣よりも、超越した鬼の力そのものに、田村麻呂は圧倒される。
「余を殺すつもりでいるのか?」
不意に投げかけられた疑問。幾度も交わした刃は、命の応酬でありながら。
「当然だ!」
戦意のゆらぎを問われていると受け取った。
「お前はここで討ち取る」
「そのつもりで来たのだな」
大嶽丸の表情が変わる。妖怪の心はわからない。なにか思い返している様子だった。
「余は殺さずともよいと思っていた。しかし殺すしかなかったのだ」
鬼の言葉よりも、いたるところに倒れている死体の方が重かった。流れる血はまだ止まらない。
距離を読む。太刀を構える。
「来いよ」
体勢を低くした。受け止め、あるいは飛びかかる準備。
「未練ごと叩き斬ってやる」
大嶽丸がなにを背負っていようとも、授かった命は動じない。田村麻呂もまた背負っている。征夷大将軍。あらゆる誰もから、侍だと認められた。
赤い目で、鬼が人を見る。
空に手を掲げる。剣が集まり、宙で回転する。妖力に満ちた三本の剣は、一体となって田村麻呂に放たれた。
三明の剣。
束ねた三本に神通力を重ねる。剣の、そして大嶽丸の、真なる姿。
受けられない。避けられない。強大な力だからこそ、田村麻呂は正面から進む。勝利へと向かう。
大嶽丸の巨体。その上空から剣が飛来する。ためらわずに駆け抜ければ、低い姿勢で三明の剣をくぐり抜け、太刀が届く間合いに入れる。わずかの遅れで切り刻まれる。迷わない者にだけ見える活路。
すり抜けた。
首を落とす軌道を剣が走るより早く、田村麻呂は大嶽丸まで距離を詰めた。後方には三明の剣。眼前の鬼は武器を手放した。黒漆の太刀が光る。
大嶽丸が拳を振るう。一切の武器も妖術も含まない、あまりにも単純な腕力。田村麻呂は大きく吹き飛ばされた。思考が混濁する。
宙に浮く。力が入らない。死んだ。生きている。痛みが響く。頭を殴られた。広場から飛ばされる。転落。家屋のある崖下。獰猛な裏拳。
流れ込んでくる意識に追いつかない。視界が切れた。どこまでも落ちていく風だけを感じる。
夢を見ていたとも、見ているとも思わない。いっそ夢ならばと逃げるには、田村麻呂は強すぎた。
目を覚ます。
家の中で床についていた。血の臭いがする古びた家屋。守れなかった、峠の村に住む民。天井を見上げる。
壊れて半開きのままになっている扉。妖気が流れ込む。現れた女は、頭の角を見なくとも、人ではない気配を感じさせた。
「鈴鹿。と申します」
田村麻呂の様子から察した。起き上がれないまま、鬼の女を見上げる。名前は知っていた。大嶽丸の妹。人間に味方するとの噂を聞く。
「ありがとう」
「えっ?」
「広場の崖から叩き落された。お前が助けてくれたんじゃないのか?」
開口一番。鈴鹿は驚いた。
「は、はい。間違いありません。四日前に街道で倒れていらっしゃいましたので、こちらの家にお運びしました」
どれほど無念でも、体に力が入らない。
「村は。大嶽丸はどうした?」
「避難できなかった民は、もう。官軍の方々も」
鈴鹿も表情を曇らせる。
「私の兄、大嶽丸は広場にいるようです。社の力を使うために、あやかしを集めています」
四日間が経過。事態は刻一刻と悪化する。
「そうか、わかった。寝たままの姿勢からすまない。助けてくれてありがとうな」
礼を言われた。
「まだ起き上がれないでしょう。兄の狙いは社ですので、ひとまずここは安全です」
たびたび人間のために働き、人間を助け、戦いにおいては守ってきた。人と和する夢を見た。
鬼の兄妹。おそれられて当然だと思った。受け入れられないまま、峠の村で暮らした。妖怪の力を村に役立てた。
村人達は恐怖したが、驚き、やがては歓迎した。大嶽丸と鈴鹿を頼るようになった。
どこで間違えたのか。
大嶽丸が村人を殺した。平和に見えた村が一転する。人間も妖怪も止まらない。鈴鹿の声は怒号に押し流された。
「そこにあるのは、俺の鎧か?」
田村麻呂の声で回顧から返る。
「ええ。手当のために、取り外させて頂きました。ほとんど壊れているようです。兜は見当たりませんでした」
「兜はあいつに吹っ飛ばれたからな。おかげで助かった」
鬼の拳に加えて、崖からの落下。強靭な身体だけでは助からない。
「ありがとう」
人間にはたびたび畏怖された。そして畏敬された。やがては恐怖だけが広がる。思えば、感謝されたことはなかった。
大嶽丸と鈴鹿の夢を、現世に満たすために、欠けていたもの。その片鱗を垣間見た。鬼が夢見た和とは。
「官軍が将、坂上田村麻呂だ。この礼はかならず」
「やはり将軍様だったのですね」
破損していようとも、その鎧は身分を証するに充分だった。
「お前の兄は、斬るしかないが」
言葉に詰まる。いまだ戦いの中にある。
「兄の引き起こす厄災は、私が阻止します」
「ん……。できるのか?」
「どのような意味でしょう」
わずかに動いた鈴鹿の表情は、笑顔にも見えた。
「兄は不死。人間の力では倒せません。しかし、私ならば」
「お前の兄だぞ」
血を乗せた風が家の中にも流れる。
「少し、お時間を頂きます」
歪んだ夢が禍々しい悪夢になった。夢を終わらせるために必要な、覚悟と代償。まだ決意は揺らいでいた。
起き上がり、動けるようになってからも、田村麻呂は都に戻らなかった。
兵力を立て直して勝てる相手ではない。準備する時間が残っているとも思えない。ここで戦う以外に選択肢はない。
あるいは。妹の鈴鹿はなにを思っているのか。
出会ってから数日間。鈴鹿は田村麻呂の世話をするかたわら、頻繁に周囲を出回り、大嶽丸と近辺の様子をうかがっていた。
鍛えた身体のおかげか、または加護の働きか。それとも鈴鹿の妖力なのか。田村麻呂はほぼ力を取り戻している。愛用の太刀と弓は修理できた。
部屋に座り瞑想する。三明の剣を打ち破る法はない。命は惜しくない。だが、命を捨ててなお、大嶽丸を斬るには至らない。
「ただいま戻りました」
鈴鹿。
田村麻呂には感じられる。昨日までとは別人だった。妖気が大幅に弱まっている。妖怪特有の重厚な気配がない。姿まで薄くなったように見える。
一方、内面にある覚悟は、ついに完成した。受け継ぎ、成し遂げた者が持つ、達成の心。
気迫に押されて、遅れて気付く。剣を持っていた。光り輝く刀身。鈴鹿の一部であるかのように、その手の先に収まる。
田村麻呂の対面に座する。
「大嶽丸は討ち取られました」
声の響きに重みがある。田村麻呂は鈴鹿の目を見た。嘘偽りはない。
「お前が倒したのか?」
「いいえ」
鈴鹿は光る剣を差し出す。
「ソハヤマルと言います。あらゆるあやかしを斬り、封じる剣です」
剣からは光の粒が立ち昇る。清浄な気が部屋に浮遊する。
「将軍様。先日はお礼を頂けるとおっしゃいました」
「お、おう。当然だ」
急に話題が変わる。
「褒美なら、なんでもくれてやるよ。これでも官位があるんでな」
「私は妖怪ですよ。願いを聞く前に受け入れてしまうのですか?」
「俺の命だけじゃない。大嶽丸の首を取ったんだ。ないものだって作ってやる」
「ありがとうございます」
鈴鹿は深く頭を下げた。
「では、歴史を作って頂きたく存じます」
「歴史?」
「はい」
頭を上げる。強い意思の宿った瞳。
「大嶽丸を討ち取ったのは、ソハヤマルを振るう将軍様です」
「なにを言う?」
田村麻呂の顔が険しくなる。
「手柄まで献上するってのか?」
「本来の目的通り、大嶽丸を討ちました。都にソハヤマルを持ち帰り、凱旋の報告をお願いします」
「武功だけ拾うなんて、卑しい。俺には勝てない鬼だった。代わりに倒してくれたなら、もう充分だ」
「倒したのは将軍様です」
「それが侮蔑だとわからねえのか!」
声を荒らげた。鈴鹿は再び頭を下げる。
「褒美をやるんだよ。なんで俺が恵んでもらうんだ!」
激昂に近い感情。鈴鹿と対立する理由はない。みずからを抑えつける。
「……とにかく、欲しいものを言ってみろ」
「兄は、そして私も。どこかで間違えました」
頭を下げたまま鈴鹿は続ける。
「私達兄妹の夢である、人間と妖怪が真に和する日のために。今は鬼を斬る侍の物語を作ります」
「しかし、だなぁ」
「望む褒美を頂けるとのお言葉。歴史が例外とは言われておりません」
「いや、その。お前。俺を卑怯者にするのかよ」
「古今東西に伝わる通り、あやかしとの約束は、慎重にあるべきです。今後の教訓にご承知おきおば」
「ああもう」
田村麻呂は首を振る。
「厄介な兄妹だ。わかったよ。面を上げろ」
武功も約束も、侍の矜持。どちらも捨てられないが、選ばなくてはならない。
「大嶽丸は俺が倒した」
「ありがとうございます」
穏やかな顔で、鈴鹿は田村麻呂を見る。
「俺からの褒美だ。礼は言わんぞ」
「心得ております」
そして歴史は刻まれる。偽りの真実が生まれた。
「これにて失礼します」
鈴鹿が立ち上がる。
「これからどうするんだ?」
「まずは峠を見て回ります。助けの必要な妖怪がいるかもしれません」
「そうか」
「人間と妖怪の歴史。その行き先が、わかり合える未来でありますように」
祈りに似た別れの言葉。
「ありがとう、鈴鹿」
「ありがとうございます、将軍様」
ソハヤマルは征夷大将軍に託された。その光は受け継がれる。時を超え、さらには巡り、人妖の歴史を紡いでいく。