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彼女は晴れた日にしか会えない人だった。
昨日の台風が空の雲をまとめて持って行ったらしく、空は青一色に染まっていた。見事な秋晴れと言っていいだろう。そろそろ冷え込んでくる季節だが、正午に近い今の時間帯なら十分に暖かかった。
見慣れた我が高校の校門をくぐる。日曜日の正午は運動部の連中もお昼休憩なのかしん、としていて、下駄箱に辿り着き廊下に出ても生徒の姿は無かった。ほぼ毎日やって来る校舎がどこか別の世界のようだった。
それから静かな校内に自分の足音だけを響かせて廊下を歩き、階段を上がった。少しばかり息を荒くながら、俺は屋上に繋がる扉の前に辿り着いた。日曜日にわざわざ学校に来た理由がこの扉の向こうにいるはずだった。今週は今日まで、曇りやら雨やらずっと天気が悪かったから、学校が好きな彼女なら日曜日だとしてもここに来ると思った。屋上は学校の中でも彼女が一番好きな場所だった。
息を整えてから扉を開けた。キィ、と高い音と共に視界が広がる。コンクリートの足場に出て左右を見渡すと、白い手摺に寄りかかって空を見上げる見知った背中を見つけた。扉の音に気が付いたのか、向こうもこちらの方を振り返ってきた。
「あれ? 遥人《はると》。なんでいるの?」
キョトンとした顔で彼女、陽和《ひより》は小首を傾げた。
「今週は一回も学校に来てなかったから、日曜日でも陽和なら来るんじゃないかと思って」
「おやおやぁ、私に会いたかったってことぉ?」
「うるせえ」
ニヤニヤする陽和の顔を煩わしそうにしつつ、俺は彼女の隣まで来て肩に掛けたスクールバッグを下ろし、彼女と同じように手摺に寄りかかった。
「今年はもう何回目だ? 学校休んだのは?」
「んー? 四十日くらいじゃない? 五十はまだいってない、と思う」
空を見上げながら考え込むようにして陽和は答えた。それからバツが悪そうに苦笑いを浮かべる。
「いやー、小学生の頃から遥人にはお世話になっております」
「今更だ。陽和への連絡係はとっくに日常の一つだよ」
陽和とは小学校からの付き合いだが、当時から彼女は学校を休みがち、というか休んでばかりだった。担任の先生からは身体が弱い子なんだと聞かされてはいたものの、たまに登校してくる陽和は元気そのもので、おまけに休む日は大抵曇りか雨の日であったから、彼女はただ天気が悪い時に外出するのが面倒で、ずる休みをしているだけなのではないかと噂になった。次第にクラス全体で陽和に対する印象は悪くなっていき、最終的には交代でしていた彼女へのプリント届当番もやりたがらない人が増え、いつしか俺が専属の係となっていた。それは中学を通り越して、高校生になった今も続いている。もっぱら、中学からはお互いに携帯電話を持たされて、以降はその日の授業進度を報告するだけとなってしまったが。
「……遥人だってさ、その時は良く思ってなかったでしょ、私のこと。どうしてプリント届係、続けてくれたの?」
不安そうに陽和は俺を見た。本当に何を今更気にしているのやら。
「そう思った時期は確かにあったけど、でもすぐに終わったよ」
「どうして?」
さらに陽和は追求してきた。正直言葉に困って俺はつい彼女から目を反らした。
「うーん、何でだっけかな?」
「ちょっと覚えてないの? 大事なところじゃん!」
詰め寄ってきた陽和と顔を合わせないようにして、俺はついはぐらかしてしまった。実際のところ、俺が陽和に対する考えを改めた日の事はよく覚えていた。その日も俺は学校を休んだ彼女にプリントを届けに向かった。だがその日は普段と違い普通の晴れた日で、彼女の家に着いた時も、いつもは玄関でプリントを渡して終わりにする彼女の母親が、その日だけは家に招き入れてくれたのだった。陽和は熱を出していた。長話も酷だろうと思い早々に帰宅したが、最後に彼女が俺に言った言葉を今でも俺は頭の中で反芻できた。幼い彼女の熱で上気した笑顔と共に。
『ごめんね。……いつもありがとう。また学校で、ね』
それが決め手だった。本当に、色々と。
そこまで考えた。考えて、俺は今が丁度良いと思った。場所もタイミングも全部が、今しかないと告げていた。
「思い出した」
たったそれだけの言葉が、まるで自分の口から出ていないみたいに不自然に感じた。心臓が瞬く間に跳ね続ける。
なになに? と興味津々な様子の陽和の目を今度はしっかりと見る。空気を読んだのか、陽和はにやけ顔をすっと収めた。それを合図にして、俺は一言一句も間違えないように彼女に告げた。
「陽和のことが……好きになったから」
世界から音が消えたような錯覚から一秒、二秒。本とかでよく見る無限のように感じる間なんてものは無く、意外とすんなり目を丸くしていた陽和の方から口を開いてきた。
「ああー、なるほど。そっか。……えーっと、万が一にも解釈を間違ってたら死ぬほど恥ずかしいから確認するんだけど、私は告られた、んだよね?」
「それ以外何があるんだよ。俺が恥ずかしいんだけど」
やや早口ぎみで確認する陽和に俺は呆れたように返した。
またほんの少しだけ間を空けた後、一度俯いた陽和はそっか、と呟いた後、顔を上げて俺と目を合わせた。ちょっぴり頬を赤くして優しく微笑んだ顔は、記憶の中の幼い彼女と少し重なりひと際強く心臓が跳ねた。
「とりあえず、うん。ありがとう。嬉しい。すごく」
「お、おう。えっと、じゃあ、俺と付き合ってくれるか?」
恥ずかしさに少しは慣れたのか、恥ずかしい台詞をすんなりと言えてしまった。すると陽和は少し顔を顰めた。嫌な予感が頭をよぎったところで、陽和は歯切れが悪そうに口を開いた。
「そうなると、話さなきゃいけないことがあるんだ。彼氏にまで隠したくないから。――あ、なんとまぁタイミングのいいことで」
陽和は空を向いてそう言った。彼女の向いている方へ俺も顔を向けると、先ほどまで雲一つなかった空に、まるではぐれた子供のような小さな雲が浮かんでいて、もうすぐ太陽を覆い隠そうとしていた。
「遥人」
呼ばれて再び陽和の方へ向き直ると、少しだけ彼女は俺から離れて立っていた。
「私のこと、よく見てて」
陽和がそういった途端、辺りが少し暗くなった。太陽に雲がかかったのだ。ほんのわずか、一瞬周囲に気を取られた時だった。
目の前から陽和が消えた。
「え? おい、陽和!」
辺りを見渡したが彼女の姿は最初からいなかったみたいに綺麗に無くなってしまっていた。彼女のスクールバッグもそのままだ。見渡しのいい屋上に自分だけが残されていた。
「……まさか!」
俺は側にあった手摺から身を乗り出した。まだ誰もいない校庭の真下を見渡す。高さに眩暈を覚えるが気にしていられなかった。
あって欲しくない陽和の姿を必死に俺が探している時だった。突然すぐ側の手摺が、ガンガンと音を立てた。驚いて飛びのくと、その手摺の側で一台のスマートフォンが浮いていた。
「は? スマートフォンが浮かんでる?」
その時、俺の携帯がメッセージの受信を知らせた。俺は携帯を取り出してメッセージの送り主を確認した。相手は陽和だった。
『あーもうお腹痛い。びっくりした?』
文末に笑顔の顔文字が付いたメッセージを読み、はっとして宙に浮かんだスマートフォンにもう一度目を向ける。スマートフォンは半円を描くようにゆらゆらと揺れていた。まるで手を振るみたいに。
俺は陽和のメッセージに返信を返した。
『もしかして、俺の目の前にいるのか?』
すぐに既読がついて次のメッセージが送られてきた。
『そうだよ。学校休んでばっかりなのも、これのせい。太陽が隠れてると、私の姿は見えないし声も聞こえない。ここに存在してるのに、触られても相手は私を感じられない。曇りや雨の日だけじゃなくて、夜も。病院や学校には秘密にしてもらってるの。目立ちたくないから』
重苦しい雰囲気が文字から伝わってきた。陽和にとっては、本当に自分の嫌いな部分であることがよく分かった。
だが、俺は少し嬉しく思っていた。手早くメッセージを返す。
『ありがとう。話してくれて。今まで陽和の知らなかった事が分かって嬉しいよ』
するとしばらく間を空けてから、陽和から返事が返ってきた。
『私、普通の子じゃないよ? 学校も普通に来れない。お出かけも満足にできない。夜に電話だってできない』
送られてきた返事を読む。それを読み終えたタイミングで、再び陽和がメッセージを投げた。
『それでも、良いの?』
目の前の宙に浮かぶスマートフォンを見る。姿は映らないけれど、不安そうな顔をしている陽和が確かにそこにいた。俺は間違えの無いようにゆっくり言葉を入力して、返事を送信した。
『そんなこと、今までと変わらない。今日まで陽和とは晴れた日にしか会ってないんだから。それでも俺は陽和のことが好きになったんだ。良いに決まってる』
送信して少し経った頃、薄暗かった周辺が再び明るくなっていった。太陽の方を見ると、掛かっていた小さな雲は太陽を通り過ぎていた。
陽和の方へ顔を戻すと、彼女は目の前に立っていた。頬はさっきよりも赤く、目は涙を溜めているのか少し輝いている。それでも彼女は笑顔だった。
「じゃあ、不束者ですが、よろしくお願いします」
「それ、結婚する時のやつじゃないか?」
踊り狂うような内心を誤魔化すように、俺はあたかも平静を装って返した。
すると、陽和は自分のスクールバッグに駆け寄っていき、側にあった俺のバッグを投げて寄越してきた。
「おい、どうしたんだ慌てて」
「何言ってんの遥人! 私達には今日みたいな雲一つない晴天は貴重なんだよ。これから午後の時間、お互いに制服、となれば絶好の放課後デート日和じゃない!」
「日曜日の午後は放課後なのか?」
「細かいこと気にしないの。ほら、行こ!」
そう言って陽和は俺の手を取って屋上の扉まで駆けて行った。彼女に引かれるがままの俺は、屋上を後にする直前に一度空を一瞥し、願った。今日みたいなデート日和がこれからも頻繁に訪れるようにと。