外周区域付近の木々が鬱葱と生い茂る森の中、男女二人ずつのペアは木陰で豪雨から逃れるように座り込んでいた。人気のない殺風景な森林に強く弾ける雨音だけが残っている。碌に整備されていない無法地帯、足跡もない無人の空間。退屈に苛立つ小比奈がバラニウム製の小太刀を振り、虚空を切り裂く音だけが虚しく響いた。
「蓮太郎君達を待つだけとはいえ、なかなかに暇なものだね」
「パパー……斬りたい」
件の感染源ガストレアはこの森を目指して移動している。モデル・スパイダーであるため蜘蛛糸をハンググライダー状に展開し、監視カメラに映らないよう高所を飛行中だ。怪物と呼ばれる割に随分と頭が良い。その進化の可能性を秘めているからこそ、ステージⅠからステージⅤまでの段階に別けて区別されているのだが。
そして、里見蓮太郎も情報を得てこの場所へとやってくるはずだ。彼の事だから一番に到着して感染源ガストレアを倒すに違いない――と、何故か好評している影胤は言う。
しかし、彼らを待つには早く着き過ぎた。先を見越した待機自体は悪くないのだが、待ち時間が長すぎると暇である。
「『何か暇潰しでもできればいいんだけど』『……』」
「なんでこっち見るのさ。私は裸エプロンとかお断りだからね」
「『分かってないなぁ久代ちゃん』『今の僕のトレンドはダブルバンテージだ』」
「もはや服ですらない! あんたの趣味が怖いよ!」
ちなみにダブルバンテージは隠す必要のある二か所にのみ包帯を巻くスタイルのことだ。裸エプロン、手ぶらジーンズとトレンドを変えていった球磨川の趣味が若干おかしな方向へと向かっていた。
頬を薄赤く染めながら身を守るように自分を抱き締める久代に、半眼の小比奈が抜き身の小太刀をもったまま歩み寄る。
「危ない、お前もなんか危ない! 何の用?」
「久代ぉ……斬りたい」
「それしか言えんのかこのカマキリ! だいたい斬りたいって言われても……球磨川を斬ればいーじゃん」
矛先を擦りつけられて球磨川が若干戸惑う。小比奈は眠たげに彼へと視線を向けると、カモを見つけたように目の色を赤くする。
「『え?』『いやいやいや待とうぜ小比奈ちゃん』『僕たちは味方同士だぜ?』」
「禊はァ、斬っても良いんだよね、パパ?」
「構わん、存分にやりなさい」
「『くそ!』『親子揃って僕を切り刻むつもりか!』『だがそうはいかな――』」
轟沈。
刀を持たせれば接近戦では無敵と謳われた小比奈を前に、非力で無才の球磨川は成す術もなく切り刻まれる。二本の小太刀から放たれる斬撃が瞬く間に彼の胴体を細切れにした。
返り血を浴びて小比奈はまるで次に何が起こるか分かっているかのように喜々とした表情を浮かべている。既に命を落とした球磨川の肉体も、期待に応えるために何事もなかったかの如く復活していた。
否、復活などという命が蘇るようなプラスな表現では語弊がある。彼の死は生命の循環を冒涜して掻き消されたのだ。
「『これで何回目だい、そろそろ飽きてくれないかな』」
「彼女は本来、強い者にしか興味がないのだがね。君のようにいくら斬っても死なない存在は稀なのだよ」
球磨川禊の所持する
それは
もっとも大嘘憑きは安心院なじみが彼に与えた
「……なんか、違う」
しかし斬り続けても元通りになるとはいえ、小比奈の太刀筋では球磨川は少々相手にならなかったようだ。初めこそ死なない相手に興奮を抑えきれなかった彼女だが、何度やっても一撃で沈む的は面白みに欠けるだろう。興が冷めたと言わんばかりに無言で小太刀を鞘に納めると大人しく木陰に戻っていった。
「『あーあ、振られちゃった』『僕としては女の子に興味を持ってもらえて嬉しかったんだけどなぁ』」
「そんな興味の持たれ方で喜ぶ奴は――っと?」
近くて爆撃を受けたような音が轟き、久代が反射的に立ち上がる。
音の正体は全員が分かっていた。待ち続けた相手の登場だ。
「ブゥラボォッ! 我が友がようやく来てくれたみたいだッ!」
「延珠、延珠来たの?」
親子揃って発狂する姿に久代がドン引き。彼女自身もテンションがおかしくなると他人に指摘できないくらいの危険人物に成り変わるのだが、自覚がないため救いようがない。
友達が家に来てくれた、みたいなノリで躍り出る影胤と小比奈。球磨川は二人に続かず、大木に背を預けたまま空を仰ぎ見る。晴れとも曇りともいえない微妙な空模様は気味が悪かった。
「ヒヒ、ご苦労だったね里見くん」
「なに――ガッ」
感染源ガストレアを討伐し終えた二人に蛭子親子が飛びかかる。ジュラルミンケースを訝しんで観察していた蓮太郎は背後から伸びる影胤の手に遅れて反応し、頭を鷲掴みにされてぬかるんだ地面に叩き付けられた。蓮太郎の身を案じて動こうとした延珠には小比奈が斬りかかる――どうやら小比奈は一度延珠と戦った際、モデル・ラビットである延珠の優れた戦闘能力に惚れ込んでしまったようだ。
目的のガストレアを駆除した途端に降りかかった脅威に蓮太郎たちが悪戦苦闘する中、球磨川はストレッチをして見守っている。その様子を見て動くに動けない久代は棒立ちだ。
「……え? 行かないの?」
「『二対二で丁度いいじゃないか』『それに僕らが出なくても蓮太郎ちゃんは負けるよ』」
「なんでそんなこと分かるのさ……ってまぁ、確かに序列の差で考えればそうだけどさ」
「『いやいやそういう意味じゃぁない』『今は勝てないってだけだよ』」
「……?」
彼は余裕そうに腕組みして続ける。
「『圧倒的な実力差』『自身の力不足』『それらを痛感して蓮太郎ちゃんは負ける』『……でもそれは今この場での話だ』『あの脅威的なペアから命からがら逃れて、次に来る時は馬鹿みたいに格好良いところを見せてくれるさ』」
まるで主人公みたいに、と付け加えた。
久代は首を傾げながら聞いていたが、「それでいいならいいけど」と木陰に戻って座り込む。プロモーターとイニシエーターということもあり、彼女からの信頼はなかなかに大きいもの。球磨川の言うことであれば大抵は信じてくれる程度には心を許してくれている、といっても過言ではないだろう。
戦いは激化していき、影胤が指を鳴らすと同時に斥力フィールドが展開。内外を隔てる燐光のバリアはその範囲を膨らませていき、蓮太郎をバリアと岩壁の間で押しつぶそうとしていた。
彼曰く技名は『マキシマム・ペイン』。対する蓮太郎も「天童式戦闘術一の型八番――『焔火扇』ッ!」と叫びながら渾身のストレートを繰り出しているところをみると、「『皆技名言わないと攻撃できないとか週刊少年ジャンプじゃないんだから』」と思わずにはいられない球磨川であった。
「おぉー、小比奈と延珠ちゃんも凄い戦い……元気だねぇ」
拍手して久代が傍観する先には、小太刀と蹴りを交差する二人の少女の姿が。両者が俊敏に動き無数の攻撃を放つが、どちらも傷らしい傷を負わせることはできていない。一方的に影胤にやられ続ける蓮太郎と異なり、藍原延珠の戦闘能力はかなり高いようだ。
生身の人間とガストレア因子を取り込んだ人間の違い。戦闘で実力差が浮き彫りになるペアはどこか安定感に欠けている。
「……二人とも何かあったのかな」
「『どうかした?』」
「いや、別に」
少し前に二人の眼前で暴れ回ったことだけはしっかりと憶えているため、それが切っ掛けで蓮太郎と延珠の間に何か確執を生んでしまった――なんてことはあってほしくない、と久代は強く願った。
特に蓮太郎は今の世界にどこか納得がいっておらず、それ以上に自分自身を認めていないように見受けられる。『呪われた子供たち』について何か事件でも起こったのだろうか。
そんなこんなでひたすら傍観に徹していると、瀕死になっている蓮太郎が延珠を逃がした。彼女も相棒を一人置いていくのは心苦しい選択だったようだが、狂気のペア二人を相手取ることがいかに実現不可能なことかを実感、他の民警に援護を要請するべく撤退する。
得物の消失により怒り狂った小比奈はやり場のない思いを蓮太郎に向け、彼の体を滅多刺し。瀕死の体に追い打ちがかけられる。
「……なんか、やばくない?」
「『いやいや。大丈夫、この後ちゃんと逃げてくれるはずだから』」
予想の範疇と言わんばかりに清々しい表情で人が斬られる光景を眺める球磨川。何がそこまで彼に絶対的な自信をもたせるのだろう。
腹部に風穴を開けられた蓮太郎はよろめいてその場に倒れ伏す。殆ど死体のような状態の彼の頭を影胤が踏み、脳天にベレッタ拳銃の銃口を向けた。あと数秒もしないうちに彼は射殺されるだろう。
「……もう一回聞くけど、やばくない?」
「『あっれーおかしいな』『濁流に突き落とすんじゃないのかよ』」
読みが外れたと言わんばかりに冷や汗を垂らす球磨川。何がそこまで彼に絶対的な自信をもたせていたのだろうか。
「『……うーん。』『えーっと』」
困ったように顎に手を当て考えるポーズ。暫し逡巡した後、彼は吹っ切れた。
どこからともなく取り出した巨大な螺子を影胤に向かって投擲。風を切り裂いて飛行する螺子は白貌の仮面を横から撃ち抜かんと襲い掛かるが、直前で小比奈の振り下ろした小太刀によって迎撃される。
「――なにしてるの? パパは敵じゃないよ?」
「『ごっめーん手が滑っちゃったー』『許してほしいな!』」
わざとらしく平謝り。誠意のこもらない謝罪が小比奈を刺激し、彼女は感情を映さない無機質な瞳を揺らして球磨川を見据えた。怒りの感情を露わにしている時よりも殺意にまみれているのが良く分かる、そんな表情だ。
唐突の仲間割れが始まり、久代は頭を抱える。
「なんでそうなる!?」
「『まぁ僕にも僕なりの目的があってね』『悪いんだけど蓮太郎ちゃんを殺すならまず君たちが死んでくれよ』」
「……ふむ、正直私は非力な里見くんに用はないのだが」
「『そう言わずに。泳がせたら成長して帰ってくるかもしれないだろ?』」
説得を試みても、里見蓮太郎に対して失望した影胤は聞く耳を持たない。彼は戦うことを目的として改造された人間、ゆえに闘争の絶えない世界を望んでいる。小比奈の闘争本能は彼の教育からきたものであり、娘が娘ならば父も父、というわけだ。
しかしながら戦闘狂という存在は、戦闘をするに値しない相手には全くといっていいほど興味を向けない。敗北し瀕死になった相手は彼らの理想からは程遠いただの弱者に他ならないのだ。
「『うーんそうか、駄目かぁ』『だったら仕方ないね』」
――対峙する球磨川禊という男も、自分の信念を簡単に曲げるほど都合の良い性格をしてはいなかった。
彼は肩を竦めて両手に螺子を出現させる。普段の飄々とした雰囲気が崩れ、不気味で不敵に笑って異質なオーラを放つ。
言うことを聞かないなら倒せばいい、螺子伏せてしまえばいい。それだけの話だ。
「『悪いけど君との縁もここまでだ』『楽しかったぜ、影胤ちゃん』」
「君とはもっと親しくなれると思っていたよ、球磨川くん」
張り付けた笑みと不気味な仮面は、互いの歪さを主張し合うかのように対立した。
主人公の目の前で仲間割れする敵って結構好きです。
最近(最近じゃないけど)ではブラ○ドスタークとナイトロ○グのお二人とか。