東京エリアは今日も静かで喧しい。
 そんな短編集。

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 状況次第でタイトル変わります。タグも増えます。
 そんな作品です。
 ご了承下さい。


とあるクラスメイトが面白い話

 

 

 

 

 

 

 里見蓮太郎という男子生徒がいる。

 

 二つ左隣、つまり一番窓側の席で顔を突っ伏している彼がそうだ。

 別に彼と親しいというわけではない。いや、そもそも彼がクラスメイトと積極的に会話をしている場面を見たことがない。ただ、同じクラスの女子が提出物絡みで話しかけたのを無視されるという場面に何度か遭遇したことがある。だが、この場合は片方、つまり女子のほうしか口を動かしていないので、それは会話とは呼ばない。ただの発声である。

 

 彼は周囲を拒絶しているかのようだった。

 ────『周囲を拒絶する』。

 言葉に表すのは簡単だが、実際にそれを実行する人など存在しないのと同時に、実行したくとも不可能なのが現実だと思っていた。

 人の周りには自然と人が集まるものである。本人が望もうと望むまいと、社会という名の大いなる存在は人と人をやたらとくっつけたがる。

 

 しかし彼は。

 今もある一人の女子のアンケートの申し出に清々しくもシカトを決め込んでいる里見蓮太郎は、完全に『周囲を拒絶』していた。

 

 なぜそこまで会話を拒絶するのか。あれだけ会話を持ちかけられても無反応を貫ける彼のメンタルは、どこでどのようにして育まれてしまったのだろうか。ハッキリ言って、僕は彼に好奇の目を向けていた。

 

 実際、里見蓮太郎は観察すればするほど面白い人間だった。とは言うものの、彼自身は机に突っ伏しているかそもそも教室にいないかのどちらかなので、彼自身に動きという動きはほとんど無い。個人的に面白いと思っているのは、彼に関わってゆく周囲の人間の反応である。

 

 昨日。

 里見蓮太郎に課題の催促をした気弱な日本史教師は、一字一句全てを彼に無視された挙げ句、教師の干からびたミミズのような喋り方が癇に障った彼のドス黒い眼に睨みつけられ、一種のトラウマを宿してしまったようだった。

 

 今日。

 彼を名指しして黒板に書かれた問題を解かせようとした数学教師は、彼に三回も挑んだが、その全てを黙殺され、撃沈した。

 

 そして現在。

 休み時間。里見蓮太郎の席の前で気弱そうな女子が一人泣きそうになっている。

 

 面白い。彼を見ているとまるで退屈しない。もちろん、あくまで他人事だからそう思えるのだろうが。

 

 すると、里見にアンケートの催促をしていた女子が(まぶた)に涙を溜めながら廊下側の席に戻っていった。それと入れ替わるように、里見と彼女のやり取り(?)の一部始終を見ていた別の気の強そうな女子が、コツコツと上履きを鳴らしながら里見に近づいていった。

 

 今度は何が始まるのだろうか。

 

「ちょっとねぇ、さっきのはヒドイんじゃない?」

 

 沈黙。

 そのまま数十秒。里見は身じろぎすらしない。

 

「……馬鹿にしてッ!」

 

 静寂に耐えかねた女子生徒は、くるりと体を反転させて元々いた女子達の輪へ戻っていった。

 強情な女子(VS)サトミ。

 勝者、サトミ。

 僕の頭の中で、半透明のレフェリーが里見の腕を掴んで無理やり天井へ掲げた。

 

 笑える。やっぱり面白い。

 

 女子の輪の中から敗者の弁、いや、遠吠えが聞こえてきた。

 

「あいつ、やる気あるの? なんで学校来てるのかしら!」

 

 わざわざ聞こえるように言っているあたり相当ムカッ腹が立っているご様子。しかし、その弁は的を得ていると言える。

 授業中はほとんど寝て過ごし、教師やクラスメイトと交流もせず、傍から見ていれば文字通り『ただ座っているだけ』。その上黙殺という手段で周囲に悪感情を拡散しているので、ある意味不登校よりも(タチ)が悪い。密かに彼で楽しんでいる自分ですらそう思うのだから、他のクラスメイトが感じているストレスは計り知れない。実際、つい一昨日のことだが、女子の輪の中から「もはやクラスの癌でしょ」という発言も飛び出した。特に名指しはしていなかったが、十中八九、里見のことを言っている。

 

 別に僕は彼のことを嫌っているわけではない。ただ純粋に疑問なのである。なぜそこまでしながら授業に出るのか。

 

 そうやって誰にも聞こえることのないボヤキを垂れ流していると、4時間目の始業を伝えるチャイムが鳴った。

 もちろん、里見はピクリとも動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 4時間目もつつがなく終わり──もちろん里見は爆睡していた──、迎えた昼休み。今週一番の事件が起こった。

 

 それは自分にとって、『驚くべきことに』というお決まりの言葉で表してしまってはもったいないほどの衝撃だった。

 

 あの里見蓮太郎が、先週、3時限連続爆睡を記録したあの里見蓮太郎が、西日が差し込む昼休み、つまり、4時間目の終業のチャイムと同時に、なんと目を覚ましたのだ。

 

 里見はゆっくりと顔を上げ、眠そうに細められた目を擦る。そして、制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出した。よく見ると微かに震えている。一向に震えが収まらないことから着信だとわかる。

 まさか電話に出るのだろうか。もやし教師から根暗女子に至るまで片っ端から黙殺してきた里見蓮太郎だが、掛かってきた電話には応じるのだろうか。

 画面を点灯させ、相手を確認した1コール目。そして力が抜けるように頭をガクンと落とした2コール目。そして、そのまま3、4、5、6、とコールを重ねていく。

 やはり、里見蓮太郎は里見蓮太郎なようだ。おそらく今、彼は電話に出るか否か、土俵際にも例えられそうなほどの葛藤をしているのだろう。当たり前だが、本来なら携帯の振動に気づいた時点で電話に出るべきである。

 だが、もし葛藤しているのだと仮定してしまうと、気になるのは里見に電話を掛けた相手である。彼の電話を鳴らしている存在は、少なくとも、彼の頭の中に一瞬でも〝電話に出る〟という選択を出現させている。つまり、当たり前ではあるが、電話の相手は里見とある程度親交のある人物。

 もちろん、僕に彼のプライベートを知る権利はないと同時に探る権利もありはしない。しかし、()()里見蓮太郎に知り合いが……と考えると、どうしても気になってしまう。

 

 里見の携帯が震えてから数えて10コール目。彼はようやく電話に応じる決心をしたようだ。僕はいつも通りシカトを貫き通すものだと考えていたので、彼の予想外の選択に思わず前頭筋がピクリと動いた。

 里見は観念して、いかにもイヤそうにゆっくりと携帯を耳に当てる。自分もそれに合わせて聞き耳を立てる。

 

「なんだよこんな時間に────()()

 

 ────社長?

 これまた予想の斜め上をホームランする一言目が飛び出した。

 社長──あだ名だろうか。頭の中に、ふくよかな体躯の貫禄あるいかにも社長らしい姿が思い浮かぶ。しかし、携帯のスピーカーから微かに聞こえる女性らしいソプラノの声がその妄想をただちに霧散させた。

 

 里見は若干ノイズが混ざったソプラノに対して「昨日の件か」と掠れたテノールで答える。

 そして、間髪入れずに返ってきた電話越しのソプラノにまたも自分は度肝を抜かれた。

 

 ────ボウエイショウマデキテ。

 

 大半は雑音に遮られてよく聞こえなかったが、なぜかその一言だけが独立してハッキリと聞こえた。

 

 ボウエイショウ──ぼうえいしょう──防衛省。

 

 自分の認識さえ間違っていなければ、防衛省とは東京エリアの中心地に住所を持つ、エリア全体の軍事的な要素を司る機関である。

 これにはさすがに里見も驚いたようで、「お、おいアンタなに言って────」とただちに聞き返している。

 

 ここで自分はまさかと一つの可能性に行き当たった。

 それは千が一、万が一の可能性ではあるが、それ以外に里見らの会話の内容に納得できる状況が自身の知識の内には存在しなかった。

 

 我々()()人、ひいては法律上学生でも社長と会社員という関係を築くことができ、かつこのエリアの、いや、世界の軍事防衛に関わる職業。そんな職業が、この世には一つだけある。

 

 つまり、民間警備会社(民警)

 

 人ならざる怪物(ガストレア)をその身で退け、駆逐する────まさしく人類最後の希望。

 里見と電話の女性がただ会社経営ごっこに興じているだけならそれまでだが、それにしては彼らの声色は現実味を帯びすぎているように思える。

 

 ────と、頭の中で悠長にここまでハッキリと推理できたのは、そのとき教室が不自然に静まり返っていたからだと僕はのちに理解した。

 

 教室の黒板付近で談笑していた活発な男子グループの全員が、ある一点を見つめている。ロッカーの近くで大げさに笑っていた女子群もその一点を顔で追っている。本を読んでいた丸眼鏡の女子も、課題を丸写ししていたヤンチャ小僧も、みんながみんな、口を半開きにして一点を見つめている。

 

 何事か、と彼ら彼女らの視線の先に目をやると、そこには予想外の闖入者が立っていた。

 なるほど、教室が水を打ったようになるわけである。入口から堂々と侵入してきた彼女は凄まじい和風美人な上、黒色を基調とした美和女学院のセーラー服を着ていることから、そもそも勾田高校の教室(ここ)にいるはずの生徒ではない。

 

 闖入者は自身に集まる視線をものともせず、石像のように固まったクラスメイト達の間を縫ってこちら────つまり里見蓮太郎のほうへ近づいていく。

 と、その一瞬。

 

 彼女と自身の視線が交錯した。

 彼女の瞳が自身の眼孔を真っ直ぐ突き刺さり、自分の視線は彼女の瞳孔を射抜いた。

 

 そして確信した。ああ、()()()かと。

 

 たった一瞬。もしかするとほんの十分の一秒も経っていないのかもしれない。しかし、お互いの生体情報を交換するには十分すぎる時間だった。

 黒膂石(バラニウム)の滝を思わせる黒いストレートヘアに、紅く果実のように実った唇。そして、刀の切っ先のように鋭い瞳。それは冷たく、無機質で、それでも瞳の奥には冷たい炎が燻っている。

 周囲に振りまく雰囲気は()()と似ても似つかないほど丸くなっているが、あの氷のような瞳は間違いなく彼女だった。

 

「────あら」

 

 いつも通りの教室なら、壁に反響する雑音に呑まれて消えてしまいそうなほど小さな呟き。だが自分は聞き逃すことなく、それを一つの再会の挨拶として受け取る。そしてかわりに、アリがするような小さな会釈で応えた。

 対して黒膂石の彼女はスッと鋭く目を細めると、それ以上反応らしい反応を返すことなく、いつのまにか携帯電話片手に窓の外を眺めていた里見蓮太郎の背後に立った。

 

「お馬鹿。もう遅いわ、すぐ後ろにいるもの」

「ん……ってうお」

 

 里見は振り向きざま、間抜けな声を上げてのけぞった。そして美和女(ミワジョ)のお嬢様と三言ほど交わした後、彼女の二歩後ろをまるで首輪で繋がれているかのように続いて、そそくさと教室から出ていってしまった。

 

 台風ような一時(ひととき)だった。音の消えた教室に喧騒が帰ってくる。視界の端で、正門に黒塗りのリムジンが停まっているのが見えた。

 

 結果的に自分のお楽しみは邪悪なお嬢様に攫われてしまった。全く、一体なんてことをしてくれるんだ、あの人は。自分は彼女を尊敬しているが、それでも限度はある。自分の高校生活唯一の楽しみを奪わないでほしい。

 しかし、あの人までもが里見の知り合いとは思わなかった。しかも、学生でありながら民間警備会社に勤めているかもしれないとは。

 それにしても、最後の()()はもう美人に養われているヒモである。正直面食らった。あんな一面もあるのかと。

 今日は里見フィーバーだった。あとで今日得た情報を一度整理する必要がある。

 

「ねえ、ちょっといい?」

 

 声のしたほうへ反射的に振り向くと、そこにはひょろりと背の高い男子生徒が立っていた。名前は確か森山だったはず。誰にでも優しく、トークも面白い。そのうえリーダーシップもあるというクラスのヒーロー。そんなありきたりな印象だが、裏では他校の女子生徒を何人も()()()にしていることを自分は知っている。

 森山は目が合ったのを確認すると、こちらの反応も待たずに続ける。

 

「さっきの女の子さぁ、もしかして知り合いだったりする?」

「……なんで?」

「いやぁ、なんとなく。なんか、あの子と目が合ってたような気がしたんだけど……気のせい?」

「たぶんね」

 

 嘘である。

 しかし、ここで馬鹿正直に「知り合いというか顔見知りですけど何か?」と答えてしまうと、十中八九質問攻めにあい、少なくとも次の授業が始まるまでの時間全てを拘束されてしまうのは目に見えているのでここは許してほしい。

 

 森山は「そっか」と寂しそうに呟いて、少しうなだれながら男子の輪の中に戻っていった。おそらく森山は先ほどのお嬢様とお近づきになりたかったのだろう。……しかし先週、近くのショッピングモールを額狩(ぬかがり)高校の女子生徒と手を繋ぎながら歩いていた気がするのだが、彼女はもう用済みなのだろうか。だとするならば、彼は江戸の悪代官も敬遠するほどのゲスである。

 

 教室の時計の分針が真下を向いている。その隣に設置されているスピーカーから呼び出し音が鳴り、隣のクラスのヤツが「あッ!」と叫んで慌てて教室から飛び出していった。先週の課題を未提出のまま放置していたようである。僕もクリアファイルをカバンから取り出して中身をチェックする。問題ない。

 

 窓の外を見ると、灰色の住宅街が立ち並び、その最奥にはうっすらと漆黒の壁(モノリス)が確認できる。自分たちの住むこの東京エリアを包囲する大結界。あれが視界に入るたび、少しだけ憂鬱な気分になる。まるで、今の生活は()()()()だと絶えず警鐘を鳴らされているようで、一時(いっとき)も気を抜いてはならないと常に監視されているみたいで、どうにも落ち着かないのだ。

 とはいえ、それでも自分は今の生活に満足していた。クラスメイトは必要以上に絡んでくることもなく、里見の観察(毎日の楽しみ)にも充実している。気分を落ち込ませるモノリスも、視界に入れなければいいだけの話。これ以上は望まない。これがいい。

 

 事前に購買で購入していた焼きそばパンの包装を破く。中から吹き出す透明度の高いソースの匂い。別段食欲をそそる香りだとは思えないが、この焼きそばパンはいつも、購買のパンの中では一番早く売り切れる。これはおそらく、この焼きそばパンが特別美味しいからなのではなく、焼きそばパンだからこそ売れるのだろう。それほど他の商品は質素である。そのため昼ご飯は購買を利用せずに、自宅で用意した弁当で済ませている生徒もチラホラ見受けられる。

 自分もできれば弁当を持参したかったが、あいにく自分は弁当も自分で用意できないほど料理に縁がない。

 斜め前の席で弁当を頬張っている男子生徒を横目に見ながら、自分は焼きそばパンを齧る。いつも通りの薄味だった。

 

 ふと思いついて、スマートフォンの液晶画面を操作する。メッセージアプリを開いて、連絡帳を下へスクロールする。目的の人物を探し出すのに数秒費やす。そして、見つかる。ページを開くと、『:出ていくのは私ともう一人だけ。あなたまでついてくる必要はない』『:なぜですか。僕も行きます』という淡白な会話が残っていた。それは一年以上も前のものだったが、自分の記憶にとっては先週の出来事だった。

 キーボードを起動させて文章を入力し、送信ボタンを押す────直前で指を止めた。少し思いついてしまった。ただ文章を送るだけではつまらない。そして、入力したものを全て削除し、かわりに絵文字一つととある記号を入力して送信した。

 

 鼻から深く息を吐く。焼きそばパンの包装が小刻みに震える。

 聞くべきことは聞いた。あとは彼女次第ではあるが、だいたい返答は予想できる。ならば、わざわざメッセージを送る必要もないのだが、彼女と自分の立場が少々面倒なのでいちいち確認しなければならなかった。自分も()()やその取り巻きに後々小言を言われるような事は避けたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ……先ほどからチラチラと視界の隅に入っていい加減うっとうしいのだが、正門に停まっている黒塗りのリムジンは一体誰が呼んだのだろうか。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 街路樹の桜が春風に吹かれて渦巻いた。その風は、アスファルトを歩く天童木更の前髪も持ち上げた。太陽が積雲と積雲の隙間から覗いていた。コンクリート壁の隙間に蟻が隊列を作っていた。

 木更の口の中には、先ほど、すぐ後ろを歩く里見蓮太郎から巻き上げたビーフジャーキーが、乱雑に噛み砕かれ、詰め込まれていた。

 木更にとって、ビーフジャーキーは実に一か月ぶりだった。日頃の困窮具合から、この格安の干し肉スナックですらご馳走だった。自身に残った数少ないプライドのため周り────特に蓮太郎に知られるわけにはいかないのだが、ビーフジャーキーは涙が出るほど美味しかった。それも、物欲しそうに眼を潤わせる野良チワワも、蓮太郎の「……それ犬にあげたんだぜ」という失礼極まりない発言も、すべて無視できるほどには。

 

 ビーフジャーキーの最後のひとかけらを喉を鳴らして飲み込む。最寄りの駅まではあと三分といったところだった。スマートフォンを取り出して時刻を確認する。このペースなら駅に到着すると同時に中心部行きの電車へ乗り込むことができるだろう────と、その時。スマートフォンが小刻みに二回震えた。同時に画面上のメッセージ通知の欄に追加があった。

 タイミング的に防衛省からだろうか。いや、それはないだろう。なぜなら、今日の()()()()()についての打ち合わせは事務所のパソコンでのやり取りですべて完了しているからである。今さら個人的に情報交換するべきことなど存在しない。

 では誰だ────そう頭の中で零しながらメッセージアプリを開いた。

 そして、思わず「あっ」と声を出してしまった。

 

 画面に映っていたのは、ある旧知の名前と、黄色の顔が人差し指を口に当てて沈黙を促す絵文字に『?』マークが添えられたメッセージだった。

 

 その瞬間、木更は頭の片隅に追いやり、埃をかぶっていた記憶を無意識のうちに目前へ想起させた。

 

 敷き詰められた畳の上を、まるで円を描くように動く二人の影。

 その手にはそれぞれ木刀が握られている。

 構えも型も異なるが、切っ先は互い突きつけ合っている。

 踏みしめる度に軋む床。 

 堂の扉から差し込む一筋の日光。

 額から頬へ伝う汗。

 彼が構えを防の型から攻防一体の型に変える。

 それに合わせてこちらも型を切り替える──攻の型へ。

 

『勝ったほうがジュース奢りで』

『集中しなさい』

『……相変わらずだな、あなたは』

 

 彼がニヤリと笑う。釣られて自分も口角が上がる。

 その瞬間、彼は畳を強く踏み込んだ。同時にこちらへ向けられていた切っ先は、自身の胸へ矢の如く放たれた。

 私は────

 

 

 

 

 

「──────おい、木更さん?」

 

 後ろからの声にハッとした。蓮太郎だ。いつの間にか足が止まっていたらしい。目の前に桜の花が一輪落ちてきた。木更は慌てて黄色い手がサムズアップする絵文字を送信する。

 

「防衛省からか?」

「いや、ちょっとね。個人的なヤツ」

「個人的、ねぇ」

 

 蓮太郎が木更の肩越しにスマホを覗き込もうと顔を覗かせる。木更は反射的にスマホの画面を胸に抱いて隠す。

 

「ちょっと里見くん、デリカシーないわよ! エッチ!」

「冗談だよ。──それより時間、ヤバいんじゃねぇのか?」

「え、あッ!」

 

 すぐにまたスマホの画面を確認する。画面の左上にあるデジタル時計は電車が来るまで残り一分ということを示していた。これに乗り遅れてしまった場合、もれなく遅刻が確定する。

 

「少し走るわよ里見くん!」

「あ、おいッ」

 

 木更はスマホをポケットにしまうと間髪入れずに駆け出した。蓮太郎もあわてて遠ざかりかける木更の背中を追いかける。桃色の花弁を纏った風が、走る二人を後押しし、コンクリート壁の黒い行列は、風に煽られて四分五裂に散らばった。勾田地区を照らしていた陽光は、流れる積雲に隠れて目を伏せた。

 

 

 

 

 蓮太郎の脳裏には、木更がスマホで時刻を確認する時にチラリと見えてしまった『天童嵯峨』という文字が、カーボン紙のインクのようにこびりついた。

 

 

 

 

 

 

 




 誤字報告ありがとうございます。


 語り手の一人称を「僕」から「自分」に変えてみました。状況に応じて戻すかもしれません。

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