01 - 1205/04/20 輝く海を見た四月
────これは、とある人物がたったひとりを裡に残し続けている旅路だ。
「こちらすべてボディピアスですから、寝てる時もつけられるタイプですよ」
旅へ出る前にピアス穴を開けてもらった帝都のピアススタジオに赴き、耳たぶのピアスホールの完成確認に満足しつつ、ついでと着用予定のピアス────クロウの形見をチェックしてもらったらそんな言葉が返ってきた。つまり常時つけていることが前提のつくりになっているらしく、加えて外れ難いもののようで、ああやっぱり前衛で戦い続けてきた人なんだなと腑に落ちた。
……と、いうことはパンタグリュエルで私がベッドへ寝落ちて来たクロウのピアスをせっせと外すのをひそかに笑っていた可能性もあるということだ。別に馬鹿にされていたとかではなく、私の指先が耳元を掠めるくすぐったさが心地よかったとか、たぶんそんな些細な理由なのだろうけれど。
そんなことを思い出してしまったせいで、そのまま外縁の軟骨に三つ開けることにした。暖かくなっていくこの時期はあまりオススメしないと言われはしたけれど、これでも待った方なのだと内心で笑って、プロの助言を蹴ることにした自分は一体どんな表情だったろう。
1205/04/20(水)
帝都から数時間、帝国西部最大の歓楽街と呼ばれているラクウェルで乗り換え、途中の宿場駅で一泊し、オーベル支線の始発で海を目指した。寝台列車で早く向かいたい気持ちと、どこかまだ怖気付く自分の妥協点がそこだったのは笑うしかない。
まあ、一応建前としては知らない街に行くなら経済活動が開始している時刻に到着するのが効率がいいのだし。それを建前と自分で言ってしまっている時点でもう駄目なのだろうけれど。
しかし近くにあるジュノー海上要塞にはルグィン伯爵とウォレス准将が『領邦軍解体を反対する』為に立てこもっているけれど、交通の要衝であるこの辺り内戦が終わった今時分に区間停止にするわけにもいかないようで簡単な臨検だけで通されたのは少し意外だった。将軍の計らいか、政府の思惑のうちなのか。
タタンタタン、と軽快にヴァラ渓谷を進んでいく列車。河を臨む鉄道橋に差し掛かったところで、クロウが話してくれたことを思い出した。帝国が延伸を打診し可決された鉄道が、ある日何者かによって爆破され、それが決定打となってジュライは市国の姿を捨てたのだと。
ジュライへ至る道は主に三つある。ひとつは海運中心都市らしく海路、ふたつめは沿岸道を北上する陸路、そして最後にこの渓谷を進んでいく鉄路だ。そして当時のジュライの主要交通路は鉄路だった。人も物もそちらに頼るようになっていただろう。なんせ速度が大きく違う。
こうして環境を眺めてみれば、確かにこの鉄道橋が一ヶ所でも爆破でもされたらもう使えないなというのがあからさまな作りだ。
────無論、クロウが話していたことが事実とは限らない。主観によって、パトロンによって、長い年月をかけて認識が捻じ曲がっていった可能性だって大いにありうる。片方の話を鵜呑みにして宰相許すまじと盲目的に思えるほど無垢な年齢ではない。
だけど、だからこそ、私はジュライに行かなければならなかった。"帰属"を果たしたジュライにどれほどの文献が残っているのかはわからないけれど、それでも、帝国内よりは残っていて欲しいと、そう、ある種の祈りを持って。
妙にしっかりとした煉瓦造りの駅舎を出てみると、ぴゅうと風に髪が巻き上げられる。
春先だというのに帝国北端に位置するジュライはまだまだ寒いようで、持ってきていた上着を鞄から出して羽織り、駅舎の壁面に飾られている地図を眺めた。
事前に入手していた観光ガイドブックの通り、あまり大きな街ではないようだ。人口17万人の元・自由都市国家。帝国からの流入で人は増えたらしい。いろいろ再開発が進められ、市役所や図書館が並ぶ中心街とはまた別にカジノなどが立ち並ぶ歓楽街も大きく区画を取っている。
「────っ」
地図を眺めていると、つきり、こめかみが痛み、またかとため息を吐いてしまった。どうも奇妙な形でジュライに思い入れがあるせいか、地図を見るとたまにこうして頭痛が起きる。正直やめてほしい。いや単なる偶然かもしれないものを、勝手にそう紐づけているだけの可能性の方が大いにあり得るだろうけれど。
痛みを抑えるために意識的にゆっくりと息を吐き、そしてまたゆっくりと空気を取り込む。帝都よりずっと冷えたそれは気管や肺をちりちりとさせ、いくばくか私を冷静にさせてくれた。
……とりあえず、市役所に向かうとしよう。
大通りを歩いていると、人々の笑い声が聞こえてくる。まるで支配などされていないかのように。きっとそれは、市民の方にとっては事実なんだろう。大きな雑貨店から出てくる幸せそうな女性とちいさな子供の組み合わせはまさに象徴のようだった。
「ライヘン雑貨店……」
そういえば駅前通りの方にも支店のようなものを見かけた。どうやら随分と幅広く展開している商店らしい。……ライヘン。ライヘン。確かめるように口の中で数度呟く。どこか聴き覚えのある"名前"のような気がするけれど、帝都にあっただろうか。まぁでも帝国資本がこちらに流れ込んでいるのならジュライ資本の大店が進出してきていてもおかしくはあるまい。
不思議な感覚を振り切るようにオフィス街を通っていくと徐々に白い建物が見えてきた。ガイドブックから切り取った地図を片手に現在地と該当地を一応見比べ頷く。目の前にしてみると年季が入ってはいつつも、しっかりと潮風に耐えられるように造られているいい建物だというのがわかった。愛されている建物。
そして────アームブラスト市長がいらっしゃった筈の場所。
口の中に溜まりかけた唾液を嚥下し、いざ、と歩を進める。目指すは歴史を司る場所だ。往々にしてこういう場所であれば国の歴史を記した記念館であったり、展示があったりするものだ。オフィス街という区画として整理されているせいか、市役所としての敷地はそこまで広くはないようなので、おそらく本館のほうに……あった。
一歩入ったロビーの案内板に自由見学場所として歴史資料室の名が記されている。どうやら地下にあるようだけれど、警備員その他は別にいないらしい。大人の遠足だと思ってもらえるかな、と考えながら入り口近くにあった階段を降りていくと、その場所はひっそり佇んでいた。
あまり人も来ないのだろうそこはうっすらと埃が積もっていて、軽い苦笑が落ちる。
入った部屋の壁面に歴史のパネルが飾られていて、パーテーションで区切って順路が定まっているのが見えたので最初から眺めていった。最初は文章のみだけれど、途中からは導力写真も飾られているようで昔の街並みを見られるのはすこし楽しみだ。
ジュライ市国。
自由都市国家の名の通り封建社会に属さず市民によって興された都市国家で、いわゆる法国や帝国、共和国などの大国を宗主国としていだかない単独の商業国家として生まれた。
海上貿易を主産業とし、ノーザンブリア大公国をはじめとした北海貿易とエレボニア帝国を経由し果てはリベールなどの南方貿易を繋ぐ海路の要衝として栄えていた────ノーザンブリア異変が起きるその時までは。
約26年前に起きた大災厄。ノーザンブリア異変。別名、塩の杭事件。公都近郊に突如として現れた全高数百アージュともされる白き巨大物体を中心に、たったの数日で国の中枢区の大部分が塩化するという大陸未曾有の災厄が発生。その上で政治的主導者の大公が真っ先に国を捨て隣国へ亡命しことが露見し、クーデターとともに大公国の歴史は終わりを迎えた。
そしてゼムリア大陸西の北海中央に位置するノーザンブリアが崩壊したことにより、ジュライは手酷い傷を負った。しかし港湾都市の街並みをフィーチャリングする観光産業に目を向け、近郊の鉱脈調査により質のいい七耀石の産出国として持ち直したそうだ。ノーザンブリアを決して見捨てず、さりとて己すらも崩れてしまわないように地盤を固めて。
「……ああ、うん。君はそういうお祖父さんをとても大好きだって、そう言っていたね」
ジュライのために、留学する道も悪くないって。
「────っ」
ずきりと、一瞬、蹲りたくなるようなひどい痛みが頭に走る。
あれ……いま、何を考えていたっけ?
呼吸を整えながら、クロウのことを思い出す。そう、君が過去を語ってくれたあの日の、ことを、思い出していた、だけで。うん、何も変なことはない。
痛みを追い出してまたパネルに目を向けると、帝国の名前が目に入った。
1195年。ちょうど10年ほど前にエレボニア帝国から鉄路延伸の打診があり、市国はそれを受け入れ、完全に国は持ち直したのだと。大国が持つ慈悲は、まさに貴族の義務とも言えるべき高潔なものであった────と、いきなり叙情的な文章が差し込まれてきて一瞬顔を顰めてしまった。
そうして1197年。市国と帝国を結ぶ連絡橋が爆破され経済恐慌に陥りかけたジュライへ、帝国は共に大陸西部を歩むパートナーとして手を差し伸べ、ジュライは帝国政府と歩んでいくことを決めた。エレボニア帝国経済特区ジュライの成立である。
「……」
どうにも、腑に落ちない表現が多用されているなあと飾られている写真に目を向けた瞬間、背筋が凍った。
老年の男性とオズボーン宰相が握手を交わしている写真。そこはまだいい。けれど添えられたキャプションには『市国代表ヘンリー市長と、帝国政府代表オズボーン宰相閣下の握手』と書かれており、アームブラスト市長の名前は────そう、一切なかった。
歴史というものは勝者によってつくられる。述べられる。それはいつか真実となる。
わかっていた。わかっていると……思っていた。
結論としては非常にわかりやすいものだ。
帝国政府への疑念を持っていたアームブラスト市長は鉄道爆破テロに関与していると糾弾された。そのような悪名を持つ存在を"市国最後の長"として刻むべきではない、という政治的主張によって存在は闇に葬られることになる。クロウが市長辞任の同日に帰属決定がなされたと吐き捨てていたことから、たった数時間のためだけのお飾りの市長が選出され、こうして歴史に名を残すことになった。あくまでジュライと帝国は対等であるという建前を示すために。
「そんな、こんな、ことって」
戦慄く声がついこぼれる。
帝国が、何をしたのか。自分の国が、この国に何をしでかしたのか。信じたくない悪辣な行為がいま、人知れずしかししっかと刻まれつつあるのを眼前に叩きつけられて、何がいるわけでもないのに一歩後ずさってしまう。
クロウはこのことを……たぶん、きっと、知っていたんだろう。もしかしたら特別実習でここに見学へ来た可能性すらある。自分のとても大切な人が国をあげて蔑ろにされ、捨てられたという事実を見ながらもそれを表に出すことはせず、ガレリア要塞へ。
それがどれほど辛いことなのか。
嗚呼、本当に私は何も理解出来ていなかったのだ。
────いや、こういったことを、自分の目で見るために私はここへ来たんじゃないか。へこたれている場合じゃない。
自分の愚かさへの怒りで思考を焼き、踵を返す。次に目指すは図書館だ。
「すみません、帝都で風俗の研究をしている者なのですが、新聞などの閲覧は出来ますか?」
(ある意味で)外国から来た人間がいきなり特定地域でのみ発行されている新聞を閲覧するというのは、おそらく目立つ。うっかりすればジュライの歴史を帝国に持ち込み流布しようとしていると誤解され拘束されでもしたら面倒だ。無論一般の方はこの内戦の騒動がどういった人物によって引き起こされたのかは知らないだろうけれど、ジュライを統治する高官は帝都から派遣されたハイアームズ侯爵家の次男殿であるわけで。ハイアームズ侯爵家が貴族連合と浅い繋がりだったとしても話は伝わっているだろう。
そしてこの、内戦が停止はしたが終息はしていないタイミングで理由も告げずに地域史を暴こうという人間は要警戒対象だ。……まあ、拘束されてももしかしたらあの特務大尉殿が裏から手を回してくれるかもしれないけれど。そんなものをアテにするのは間違っているし、借りを作るのもまっぴらごめんだ。
だからある程度目的を開示した状態であれば警戒対象にもなりづらいとカウンターに臨んだわけだけれど。
「はい、現在はすべて導力端末で閲覧可能ですから、こちらのカードキーをお使いください」
「ありがとうございます」
何事もなくカードキー貸し出しの手続きを終え、案内された端末に腰を据える。丁寧に操作説明までしてくれた司書さんにお礼を言って端末に向き直った。
資料がデータ化されているとは、思っていた以上に近代化が進んでいるようで驚いた。クロスベルやルーレとまでは行かなくとも、他の大都市よりそういったものの普及は早いのかもしれない。なんせここは帝都から遠いとはいえ貴族治政ではなく政府直轄地。そういったメスは入れやすい方だ。
キータッチと速度を抑えながら目当ての記事を探していく。
ジュライ併合は1197年10月03日。北であるが故に完全な冬へ至る前に問題を解決しようとしたのだろうから、鉄道爆破の件はそこから遠くないことが推測できる。カタカタと使いづらいUIと格闘しながら五日ごとに遡っていくと、爆破事件の日付が書かれた記事が現れそこから該当日にジャンプする。あった、1197年09月15日。
記事を拡大し、丁寧に目を走らせる。
最初は鉄道爆破事件自体の報道をしていたその紙面は、しかし次第に『帝国からの申し出を受け入れない市長』への怒りを感じるバッシングめいたものになっていき、最終的に証拠も何もないが憶測だけで書き立てられたゴシップ記事のようなものが残されていた。
そうして奇妙なことに併合の数日から次第に市長へのバッシング記事は無くなっていき、一ヶ月どころか十日ほどで爆破容疑をかけられていた市長……元市長への言葉はあっさりと跡形もなく消えている。まるで何事もなかったかのように。
目的を達したから、というにはあからさま過ぎたろうけれど、それでも経済恐慌に陥ることなく済んだという安堵からその辺りの不自然さは見過ごされたのだろう。
────さて、この件で一番得をしたのは誰なのか。
いうまでもなく帝国政府だ。そして確かに、あのクロスベルでの国際会議での手法ととてもよく似通っている。問題をけしかけ、それが解決出来なかった咎を相手に背負わせ、有利な条件を取り付ける。クロスベル襲撃の方がテロリストが自ら行ったと思わせているためまだ作戦として洗練されていると言えるけれど、根本的なものは変わらない。
そしてそれらの影に必ずいる、ギリアス・オズボーンという人物。
ふう、と一息ついて端末を初期画面まで戻し、席から立ち上がって受付にカードを返却する。
権限の薄い端末とはいえ復元出来ないほどまで履歴を消去することも出来なくはなかったろうけれど、もし暴かれでもしたら逆にその履歴消去はあからさまな怪しさになる。何もしないでおくほうが得策だ。
そんな風に実務の方へ思考を回しながら外へ出る。どこへ続いているのかもわからないまま、足を動かして。
私の生まれた国が、大切な人の大切な人をぼろぼろにした。それはまず間違いのない事実で、そしてその名誉を現在進行形でずうっと踏み躙っている。知らなかったなんて言ってはいけない。たとえ身分制度が強固な国だとしても、第二主権しかない平民だったとしても、国を作るのは国民だ。
────だっていうのに。君は私を愛してしまった。そして私も君を愛した。
憎い敵国の人間で、ぬくぬくと育った存在で、たとえ直接関係していなくたって恨んでもよかったのに。街を愛していた君だから、街を愛す私を好ましく思ってくれたというのは、お互いにとって不幸だったといえるのかもしれない。それでも、私は、君を愛したことを後悔したくはないし、君もそうだったと思っていたい。
「……海」
とぼとぼと歩いていた大通りの先は港に通じていて、海都と似ているけれど少し違う潮風に、広々とした光景。太陽が反射する明るい碧がすごく透き通っていてとてもきれ、い、で。
「────っ」
唐突な、いや、今までの比じゃないぐらいの頭痛が襲ってきて思わず近くのベンチへ倒れ込む。あ、は、と呼吸が浅くなりあたまがぐちゃぐちゃになっていくされていく。この風景を絶対に見たことがあるいや見たことなんてないと思考が記憶を殴り続けている。刺し続けている。知り得ないことを知っているというのは妄想の類だというのにどうしてもそれが事実である現実であると奥底の何かが叫んでいる。
しってるしってるしらないしらないしってるしらないしらないしってるしってるしってるしらないこんなふうけいしらないしってるしらないしらない────しらない?ほんとうに?
「お姉さん、どうかしましたか!」
そう声をかけられ、痛む頭に顔を顰めながらなんとか顔を向けると、樫の木のような髪色の男性がうすく削った蒼耀石のような瞳で私を覗き込んでいた。……あ。
それですきりと思考が通る。透明になる。思い、出した。思い出してしまった。私はこの人を一方的に知っている。けれどそれを口にしてはいけない。だってあり得なかった思い出だからだ。
「あ、ええと、大丈夫、です」
「失礼ですが、とてもそうは見えませんよ」
ああ、九歳だった君は随分と立派になって、そんな状況ではないのにすこし笑いがこぼれてしまう。
私に声をかけてくれたのは、クロウを慕っていた男の子の面影を持つ────スターク・ライヘン。つまりジュライに多く支店を持つ商店の息子の一人。道理で聞いたことがあるわけだ。
「とりあえず、お水買ってきますから暫くここにいてください」
そう言い残されて、痛む頭を押さえながら私はきらきらと光る海の方を見る。
二年前、ある古代遺物に巻き込まれた。あの時私は何も覚えていなかったけれどクロウと私の記憶が混ざり合い、遺物に並列演算機構として使用され、あり得ない筈の人生を歩んだ記憶をつくりだされていた。幼馴染だった君。瞼を下ろせば、ありありと14歳のクロウが思い浮べられる。
ああ、そうか。君が随分と必死に『何か覚えているか』と訊いてきた理由がわかった。私を殺すかどうかの瀬戸際だったんだ。いや、私に限らずあの場にいた全員を殺す算段を立てていただろう。覚えていなかったのは、よかったのか、悪かったのか。
「君は、私とすごした記憶を持っていたのかな」
あり得なかった思い出に振り回されて恋心を抱いてくれていたとかだったら、すこし落ち込んでしまうかもしれない。……いや、さすがにそれは失礼か。嘘ばかりの君だったけれど、私への想いは真実だったと信じているから。
「お待たせしました」
緑色の瓶を二つ持った彼は、どちらがいいですか、と訊ねてくる。しかしどちらもおなじ銘柄で且つ未開封な気がしたので、あまり深く考えずに一本受け取った。まぁ、彼にとって私は知らない相手だけれど、スタークくんが人を騙すようなこともしないだろう。
隣へ座ってきた彼は私が開ける前に残った方を開封し自分で飲む。うん、見知らぬ相手への気遣いがそつない。言ってしまえば、とてもクロウによく似ている。私も彼に倣い瓶を開け中身を口にした。喉を潤す冷たさに頭が澄んでいく。
「観光でこちらに?」
「え、ああ、そうです。温泉と蒸気風呂が有名と聞いて」
「なるほど。それなら俺の個人的なおすすめの場所を話してもいいですか?」
そう朗らかに笑うスタークくんの顔を見て、クロウのことを話すのはやめておこうと思った。いやまあ唐突に話されても困るだろうけれど、彼ももう随分と昔に街を出て行った兄貴分のことなんて忘れているかもしれないし。今ここでしあわせに暮らしているのなら私がどうこう出来ることはない筈だ。
そうやって私の体調を気にしながら他愛のない会話に付き合ってくれた彼が腕時計に視線を落としたので、あの、と声をかける。
「本当にありがとうございました。お水幾らでしたか?」
「いや、気にしないでください。具合の悪い方を見過ごせない俺の性分なだけですから」
「……」
私が困った表情をすると、それならお土産はライヘン雑貨店でどうぞ、とウインクをして、それじゃあ用事があるので、と止める間も無く通りの向こうへ走って行ってしまった。……案外と押しが強い。商人たる者多少そういう強引なところがないと舐められやすいとかはあるのかもしれないけれど、行きずりの観光客にそんな身銭を切ってまで親切にしなくてもと思ってしまう。
リィンくんとはまた別の意味で心配だ。まあ、そんな立場ではないからお節介の極みだろう。
一息ついて再度目を向けた港は正直随分と"記憶"とは異なっていたけれど、太陽を反射するきれいな碧はあの頃からちっとも変わっていなかった。
君が愛したあおいろは、今日も輝いている。
1205/04/22(金)
温泉宿に宿泊ということで昨日は存分に堪能させてもらった。
クロウから聞いていたからずっと入ってみたいと思っていたけれど、塩泉というのはちょっとぴりぴりする感じが結構クセになるかも知れない。蒸気風呂も、出た後から身体の芯よりあたたかさが滲むようになる感覚は今までになかった。
宿の人によると共和国の東の方でも似たようなものがあるようで、アンに話を振ったらその辺りの詳しいことが聞けたりするかも。なんにせよ一人占めするにはもったいない体験だった。もし可能なら……東方の方は情勢的に無理かも知れないけれどここや、あるいはもっと近場な温泉地へ慰安旅行にみんなで行くのもいいかもな、なんて。ジョルジュは男性一人になってしまうから断られるかもだけど、そこはアンがなんとかしてくれるだろう。うん。
今日はこの土地に来たもう一つの目的を果たしに行こう。
早朝に新しく張りなおされた湯に入って元気いっぱいになったし。
街の北北西にある、ハーヴィン霊園。海を臨む海浜霊園はジュライ市を出てしばらく歩いて行ったところにあった。定期巡回バスもあり、足腰が弱った方でも気軽にアクセス出来るようになっているのだとか。
霊園入口に建つ小さな小屋はクロスベルにもあったような墓守の方の詰所かな、と近付いていくと、御用の方はお気軽にどうぞ、という看板がかけられていた。コンコン、とノックをすると年配の男性がのっそりと現れて。
「何かご用ですか」
「あの、お参りしたいお墓がわからないので、こちらで調べて頂けないかと思いまして」
「なるほど。その方のお名前と没年、貴方のお名前とご関係をお願い致します」
墓守の方は中に私を招いてくださり、記帳らしき分厚い書物を取り出してきてそう問うた。
「私はセリ・ローランドと申します。相手の方の名前はクライヴ・アームブラスト、没年は1198年と伺っています。関係性は私の……婚約者がお世話になっていたと話してくれたのですが、先の内戦で亡くなったため代わりにご挨拶に参りました」
1197年10月にジュライ併合、その半年後に亡くなられたと言っていたからおそらく没年は間違っていない。名前の方も新聞に幾度も書かれていたし、あり得なかった思い出の中にもしっかりと刻まれていた。
「……アームブラスト氏の……そうですか」
記帳はめくられることなくぱたりと閉じられ、ご案内致します、と短い言葉とともに外へ連れ出される。木漏れ日がうつくしく、風は涼しく、芝は太陽をいきいきと反射して、静かな公園はしっかりと手入れされ穏やかな時間が流れていた。本来であれば君もここで眠れたのだろうか。
整備された石畳を踏みながら墓守の方の背中を追いかけていくと、ぴたり、立ち止まられる。その方が見下ろした墓石を私も見やると、Clive=Armbrustと刻まれていた。没年は1198.04.22──偶然にも今日が命日のようだった。
「それでは、ごゆっくり」
まるで貴人の客を案内したかのような恭しさで頭を下げてくださった墓守の方に、私も精一杯の礼儀を尽くした所作で頭を下げ、足音も次第に消えていった霊園でそのお墓に膝をついて向き合った。
綺麗に磨かれた墓石。丁寧に結ばれ、散らないよう重しと共に置かれた数輪の花。先ほどの墓守の方が誰の目にもつかない早朝に行ったのかも知れない。わからない。だけど、クロウ以外の誰かがこの方を今でも大事にされているというその事実があまりにも嬉しかった。
『愛した市民から糾弾され、辞職して死んだ』と苦々しく口にしていたクロウのことを思い出す。去年の実習でお墓参りすることは出来なかったろうけれど、君が来ることができずにいた間もきっと整備していた人がいたのは明白だ。それをあなたが知ることはなかったろうけれど、それでも、女神さまのもとでお祖父さんからそんな話を聞かされて笑ってくれていたらいいと、そんな風に願ってしまう。
両の手を組み、額を預ける。
どうか、この碧く輝く海を見守る女神さまのもとで、あなた方が出会えていますように。
やすらぎの地で、穏やかな時間を過ごせていることを切に祈らせてください。
暫く静かに祈りを捧げ、もう一度お墓を見る。Armbrust。クロウが名乗っていたファミリーネームと同じそれ。本当に、偽名などではなかったようだ。
ジュライでは珍しくもない名字なのか、それとも従属した土地が多い帝国ではそんなの気付かれるわけもないと自虐のように笑って使っていたのか。身分偽証の巧妙さに比べたらそこだけあまりにも稚拙なそれは……まるで、見つけられたかったかのようだとさえ。
そしてその想いとは裏腹に見つかることはなく、無事に内戦の引き金を引ききったのだ。それが本人にとってどうであったのか。問えば君は、自分の本懐を遂げられたと笑うのかもしれないけれど。
「あなたのお孫さんは、士官学院に入学して、楽しそうに笑っていましたよ」
たとえあれが目的遂行のための物だったとしても、徹頭徹尾そうであったとは思えない。もしかしたら、捨てざるを得なかった子供の頃を取り戻していてくれていたらと。そう考えるのは愚かしい行為かも知れないけれど。
ARCUSを取り出し、汎用品に替えたカバーを撫でた。ずっと青い士官学院のものだったからまだまだ慣れないな、と思いながら、ARCUSにつけたグウィンさんが作ってくれた揺れる有角の獅子紋のチャームに笑みがこぼれる。
そうして暫くそよそよと撫でるような風に髪を遊ばせていたけれど、近付いてくる気配があったのでそろそろ行くか、と立ち上がった。ARCUSを仕舞おうとして、そういえば出立前にやたらとトワが私のことを気にしていたな、と思い出す。ジュライでも繋がるのだっけ、とオーブメントを見下ろして若干考えてしまったところで気配は随分と近いものになっていた。おっと。
「どうして、貴方がそこにいらっしゃるんですか?」
退こうとしたところでそう声をかけてきたのは、花を片手に携えているスタークくんだった。
ええと、と私が言葉を紡ぎあぐねていると、ハッと気がついた表情で彼は私に向かってくる。
「────もしかして、トールズ士官学院の方なんですか?」
私が持つARCUSに視線を落としてから、彼ははっきりとそう問いかけてきた。
どう、して。なんで彼がそれに興味を持つのか私には全くわからなかった。
「いきなりすみません。……でも、もし、帝国トールズ士官学院の方であるのなら、クロウ・アームブラストという人物を……ご存知じゃありませんか?」
だからお前はここにいるのだろう、という確信めいた瞳。逃げることを許さない視線。その真っ直ぐな光にひとまず頷き、逃げませんから先に目的を果たされるのはどうですか、と促した。
正直その隙に逃げて帰ることは可能ではあったろうけれど、どうして彼がクロウ・アームブラストとトールズ士官学院を結びつけることが出来たのか、私も知りたくなってしまったのだ。
「突然すみません」
「いえ、介抱のお礼を返せそうですし」
霊園に併設された臨海公園で私たちは軽い自己紹介を済ませ並んでベンチへと。
さてどこから話したものだか、と考えていると、スタークくんは懐から手帳を取り出し、幾重にも折り畳まれた紙──新聞記事を開いて差し出してきた。受け取ったそれに視線を落とすと、とある学院生が猟兵崩れの事件に巻き込まれ撃退したというもの。そして小さく荒いから人物の顔がはっきりとわかるものではないけれど、懐かしい姿がそこにあった。
「二年前の帝国時報の記事です。俺の探している人に似た姿が写真に写っていたので……もしかしておなじ学院の方なら知っているのではないかと」
クロウ・アームブラストに似ている人物が通っていと見做される学院の人間が、クライヴ・アームブラストの墓へ訪れる。確かにそこに関連性を見出すというのは間違っていない。
そして二年前であれば彼は確か……14歳ぐらいか。日曜学校も終わっていない年頃。鉄道十時間以上の街へ一人で探しに行くなんて許可が降りるわけもなく。ただ一人で大切な人の面影を追いかけ続けていた。
「……ええ、知っていますよ。クロウ・アームブラストは、私の恋人でしたから」
そしてその記事の草稿を書いたのは私で、つまり己の蒔いた種というわけだ。
記事を返してから自分も腰のバッグから手帳を出し、写真を一葉取り出す。スタークくんの手へ渡ったそれは、去年の三月末に五人で校舎前で撮影したもの。私の頭に腕を乗せて笑っているクロウが右端に。
「クロウ、にい、ちゃん……」
戦慄く声。震える肩。こぼれる涙で写真を濡らさないようにするやさしい手。私はそのまるまった背中を撫でる権利はないな、とぼんやり彼が泣き止むのを静かに待っていた。
海鳥の鳴き声を聴きながら、あり得なかった思い出に少し浸る。クロウのことをよく追いかけていた彼は、現実の世界でもクロウのことを慕っていたのだろう。そのことがよくわかる。だってそうでなければあんな小さな記事の姿を見逃さないなんてことあるだろうか。
暫くしてスタークくんは涙を拭い、写真を返しながら真っ直ぐと私を見てくる。
「取り乱しました。すみません。……あの、訊かれたら嫌なことだったら申し訳ないのですが、『でした』というのは」
「彼は亡くなりました。年末の内戦で」
「────」
自分が探し続けていた人が亡くなった。それを人伝てに聞くことになるというのは、どれほど無力感に苛まれるだろうか。
私は服の前ボタンを開け、首にかけていたチェーンを外してトップが見えるようスタークくんに差し出した。しゃらりと彼の手に乗るはクロウが眠る墓の管理者を意味する銅板。そこに刻まれている言葉の意味を聡明な彼が理解出来ないということはないだろう。
「諸々の政治的事情でこちらへ死体を送還することは叶いませんでした。現在、帝都近郊の霊園で彼は眠っています」
「政治的事情……?」
「申し訳ありませんが、それを貴方にお伝えすることは、私の一存では出来ません」
もっと有耶無耶にするべきだったかも知れない。けれどこの一件は、帝国政府と貴族が関わっている。下手に暴こうとすれば身の危険すらあるし、ジュライの立場をさらに悪化させる可能性もある案件だ。一般人の彼には真っ先に警告を出しこれ以上事情を探るなと一線を引いておくというのが優しさだと私は考えた。
「ですが、お墓を訪ねるぐらいはたぶん許されると思います」
スタークくんの手に乗せたネックレスを再度手にし、首元へ。ひやりとした銅板が鎖骨にふれたのを確認して、手帳のメモページにペンを走らせそれを根本から千切る。クロウが埋葬されている霊園名と、霊園の中の簡易地図。受け取った彼は視線を落とし、しっかりと眺めて懐へしまった。
「それでは、私はこれで」
「っ、あ、あのっ、学院時代の……日常のことでもいいのでお話聴かせて貰えたりとかは!」
伸ばされかけた手から逃れるようにステップを踏み、スタークくんの手を空振らせる。まさか女に回避されるとは思わなかったのか、きょとんとした彼を見下ろし、ほんの少しだけ笑う。
「すみません、私もまだ……心の整理が出来ていないんです。話せる段階になった際にもしまた縁があれば、その時に」
泣き暮らすのに飽きるには十分な時間が過ぎた。それでも、この思い出を、何も知らない相手に開示できる時間はまだ訪れていない。何十年か経っていつか話せるようになる日が来るかもしれないけれど、今はそうじゃないって胸の奥が叫んでいる。
────あの日々を自分だけのものにし続けたいと希う強欲な女を、君は笑うだろうか。
「そう、ですか」
ぐっと何かを堪えるような表情でスタークくんは立ち上がり、頭を下げてくれる。
「今日はありがとうございました。どうか、お元気で」
「はい。友人へのお土産のために、ライヘン雑貨店に寄らせていただきますね」
「はは、よろしくお願いします」
そうして、私は彼に改めて別れを告げ、来た時と同じように徒歩で街へ歩いて行く。
今日スタークくんがこの霊園に現れたのはおそらくクライヴ氏の命日だったからだろう。まあ、そうでなくても月命日に訪れていてもおかしくはない慕い方だった気もするけれど。
こつりこつり、海と風が混ざり合う音を聴きながら今回の旅のことに想いを馳せる。
ジュライの身に起きた出来事は多面的に、そして帝国側から見てもどうしようもないほど酷いことだったと自分の目と頭で理解した。だけどクライヴ氏は今でも確かに愛されていて、君もずっと愛されている。そのことがわかっただけでも本当によかった。
「ねえ、いつか私が君のそばに……」
呟きかけて、思わず足を止め空を仰ぎ見る。
女神さまを信じない人の魂はどこへ向かうのかと、そんな疑問が頭をよぎってしまったから。