11 - 03/25 草原の衝突
ひどく愛した人がいた。
自分の魂を煉獄に捧げてもいいと思えるほどに。
けれどその人は確かに私の腕の中で息を引き取った。
埋葬だって、した。ちゃんとした。
だというのに目の前にいる蒼衣に身を包んだ仮面の男はその人に非常に良く似ている。
あまりにも、馬鹿馬鹿しいほどに。
1206/03/25(土) 夜
「引越しおつかれー」
「本当にありがとうね、セリちゃん」
お互い明日もあるということで、低度数の果実酒が注がれたグラスを軽くかち合わせ最初の一口。帝都近郊都市リーヴスにある宿酒場バーニーズはもちろん立ち寄ったことのある場所だけれど、大体がバイクに乗ること前提だったのもあってお酒を頼むことはなかった為なかなかに新鮮だ。
「そりゃトワが困ってそうだったし?」
年度末なためトワの実家である雑貨店も忙しくフレッドさんもマーサさんも手が空かず、アンとジョルジュは今も外国にいて連絡が取れるわけもなく、結局今日集まれたのは私だけだった。それでもトワの梱包技術もあって特に問題はなかったけれど。
「ふふ、そういうところ変わらないねえ」
「……ま、世話焼きなのはさすがに自覚し始めたよ」
「そうなんだ」
各地の問題に首を突っ込みながらバイクに跨って旅をしながらたまに行商人の方を助けたりしていたせいでうっすらじわじわ噂が広まってしまい、何回かはぐれ遊撃士扱いされたこともあったのはちょっと頭を抱えてしまった。
これはつまり遊撃士というものがどういう存在なのか希薄になっていっているという証左でもあるのだろうけれど、事実そうである方々に申し訳なすぎて誤解を解こうと必死になったのも一回や二回じゃ利かない。
「それにしてもトワが教官職かぁ。しっくり来すぎて逆に思いつかなかったというか」
「うん、私もお話を頂いた時にびっくりしたけど、すごくすとんと胸に落ちたんだ」
手始めにと頼んだオニオンリングが卓上に運ばれて来たのでそれをつまみながら、トワに白羽の矢を立てた人物は大層見る目がある、と内心頷きかけたところでいやそんな上から目線をしていいお方ではなかったなと自分を諌めた。
「だけどセリちゃんもお話いただいてたんでしょ?」
「……知ってたの?」
断ったのだから正式告知などに名が上がる筈もないのだけれど、まぁトワの手腕を持ってすれば誰にスカウトがいっていたのかというのも流れで手に入ってしまうのも納得ではあるか。
「分校長からすげなくされてしまった、って聞かされてたから」
まさかのご本人直々情報漏洩だった。いやこの場合漏洩という言葉は適していないのだろうがそれでも!
私が思わず心の中で唸ってしまったところで、並々ならぬ気配がこちらに近付いてくるのがわかった。……これは、もしや、噂の御仁では?なんて探りから確信を持った数秒後、酒場の扉が開かれる。そこに立っていたのは銀光をたたえた美しい髪の女性────オーレリア・ルグィン伯爵その人だった。
「おや、ハーシェルにローランド」
こつりこつりと歩を進めてきた伯爵は空いていた椅子の背凭れに手を添え、いいかね?、と問うてくる。私はトワの方が上司相席で良ければいいけど、とアイコンタクトを送ったら了承が返って来たので二人で頷いた。
しかしそれにしてもマントを外して椅子に座る所作さえ美しい。
「お久しぶりです、ルグィン伯爵閣下」
スマートに自身の注文をした閣下に挨拶をすると、こうして対面するのは一年以上ぶりか、と笑ってくださった。
「……もしかして面識が?」
きょとんとしたトワの言葉に、そういえばあの頃の話って全くしていないなと思い至った。話すことでもないというか話したらなんかもうそれはそれは頭を抱える未来しか見えなかったというか私のメンタルがそこまで回復していなかったというか。客観的に見て被害者である私の口からでしか情報が聞けないというのは、かなりバイアスがかかりまくるだろうのであまり進んでしたいことではないという感情もある。
あれは一応、双方向のやりとりだった、と、信じたい。確認なぞ出来ようもないけれど。
「内戦の頃に一回だけな」
「パンタグリュエルで不審者騒動があった際に助けて頂いたんだよ」
「愚かな謙遜をするな。私がいなくてもとうに解決していただろう?」
解決……まぁ、不審者を拘束し終わってあとは回収だけというところまで持っていった時点で解決と見なすのであればそうだ。
ただ閣下がいなければあそこまで迅速に話は進まず、警備兵の方を呼びに行ってもらう間(それがたとえわずかな時間とはいえ)私は自身の命を狙いに来た存在と共にいなければならなかったのは違いない。左足首の鎖が避難を許してはくれなかったのだから。
「恐れ入ります。その辺りからお呼び頂いたのですか?」
「それもある……が、もう一つの側面が噂になっていてな。気になったといったところだ」
届いたワイングラスを持ちながらルグィン伯爵は笑う。
別の側面────裏社会に通じ始めた駆け出しの情報屋という立場に閣下が興味を示すなどそれこそ恐れ多い。それでも足で集める情報に敬意を払ってくださっているということでもある。精度の高い情報がなければ軍など動かせようもないとわかっている方からのそういう評価は、素直に受け取っておこう。
「ありがたい限りです。ただ仰る通り私はこちら側から落ちることを選んだ人間ゆえ、前途有望な若者の指導には向いていないでしょう。無論、閣下への感謝がないわけではありませんが」
どう足掻いたとしても表の人間でありながら、それでもそこに居続けることを拒んだ。そして煉獄に向かうことをとうに選んでいる。女神さまに反旗を翻すことを決定付けている。
そんな人間がまた表の存在と多く縁を持つなんて中途半端にも程があるのは自明で、皮肉屋のミヒュトさんでなくとも笑ってしまう案件だ。
「残念だ。……ところで我が校にはシュミット博士が設計・建設に携わった戦闘シミュレーション用小要塞があり、分校教官には授業に支障が出ない範囲であれば使用を許可する予定でな」
エプスタイン博士の三高弟と名高く、ジョルジュの師匠であるあのシュミット博士が作った戦闘シミュレーション用環境。気が向かなければ政府の案件でさえ蹴っ飛ばす博士が稼働まで作り上げただなんてそんなの……心躍らないわけがない。
戦闘用データを取るからと無茶振りされたりもあるだろう。いいなぁ。シミュレーションというからにはあらゆるシチュエーションを想定した訓練が何百種と可能に違いない。いいなぁ。そうして個人データを蓄積していったら自動計算でギリギリの戦いが出来るエネミーを排出してくれたりしないだろうか。考えるほどに夢が広がる施設だ。いいなぁ。
「……いや、いやいやいや、さすがに釣られませんよ。釣られませんからね閣下」
「沈黙の末に言葉重ねて首振ってる時点でわりと説得力ないよセリちゃん」
トワの真っ直ぐな言葉が胸に突き刺さる。
「フフ、まぁ気が変わったらいつでも連絡してくれ」
私の返答がわかっていたのだろう閣下は笑いつつも紅い液体を飲み干し、立ち上がってマントをつけ始める。そうして置かれた代金は閣下が注文したワインとつまみを合わせても明らかにオーバーしているものでトワと一緒に狼狽えてしまった。
「馴染み同士の会を邪魔してしまった詫びだ。取っておくがいい」
さもなんてことないかのように言われてしまい、気圧されている間に閣下はバーニーズをあとにし宵闇の中へ消えて行ってしまった。
「……まぁ、ご厚意には甘えようか」
「でもこれ使いきれない気がするよ……?」
「余ったらリィンくん誘いなって。来るの決まったんだし、何なら同僚の方々誘っても……」
言いかけて口をつぐむ。
内部の人間になることを断ったとはいえあのルグィン元将軍が校長となるトールズ第二分校の話に興味が湧かないはずもなく、特に軍事的機密事項でもないからか(あるいは分校長殿自身に秘匿するつもりがない故か)存外あっさりと人事の内部資料は入手出来たのだ。
まずトワ・ハーシェル。卒業時あらゆる政治的勢力から引く手数多だったのを断り続け大陸の未来のために非政府組織巡りをしていた才媛。もちろん行く先々でもきっと惜しまれただろうけれど彼女が自分の道をここに決めたのなら応援しない理由がない。
次に鉄道憲兵隊所属ミハイル・アーヴィング特務少佐。異動ではなく出向という形の為おそらく監視として派遣されているのだろうことは想像に難くない。どうやらクレアさんと従兄妹のようで、もしかしたら私も顔を見たことがあったのかもと思う。どうだろうな。
三人目はランドルフ・オルランド。元猟兵。クロスベルが自治州であった頃、地元の治安維持機構──警備隊からの異動で自治州警察特務支援課に所属していた一人。今回は総督殿から直々に推薦され、自治州の仇であろう帝国内部に隔離されたみたいだ。
そうしてリィン・シュバルツァー。私たちの直接の後輩。トールズという意味ではなく、ARCUSとしての。学生期間中いろいろな軍の要請をこなし、北方戦役を経て、軍の勧誘を蹴り、しかし針の筵だろうここに立ち位置を定めたのは"らしい"としか言いようがない。
「……言いかけておいてなんだけど、美味しく歓迎会ってことはならなそうな面子だねえ」
トワとリィンくんは問題なかろうとして、大まかにいえばアーヴィング少佐は自治州占拠を果たした帝国所属の存在で、オルランド氏は帝国軍……いや帝国自体を恨んでいても仕方がない立場の人だ。無論その感情を表出するかというのはまた別の話だけれど、感情を置き去りにしていいわけじゃない。心と理性を切り離し続けたらいつか崩壊してしまうのが人間だ。
「あ、でも、分校長から援助頂いたって思ったら逆に誘う口実になるよね」
「確かに。一理ある」
「この一年通して改めて感じたのは自分で動かないとわからないことも多かったから、何もしないで諦めることはしたくないかな。もちろん最初から上手くいくなんて思ってないけど」
「個人的には無理に話をさせてもとは思うけど……ま、トワならバランサーとしては申し分ないし心配はしてないよ」
本当に放っておいて欲しい時はそうしてくれるし、放って置かれると駄目な時はいつもそっと静かに寄り添ってくれた。どうしようもないほど助けられている。……単純に私が寂しがり屋だというのが見抜かれているだけかもしれないけれど。
「しかし教官四人に分校長と特別顧問で生徒19人は結構……重そうだねえ」
一応食堂の方の人員は手配されているようだけれど、資料を読む限りは医療従事者も購買管理者も司書に事務専門方も何もかにも足りていない状況での開校になる。そしてその皺寄せが誰に行ってしまうのか、誰がこなせてしまうのか、といえばもう面子を知っている以上愚問なわけで。
「内部状況を知ってるって話、あんまり堂々と言わない方がいいと思うよ?」
「言う相手と場所は選んでるよー」
「その辺の心配はしてないけど、一応私だって関係者だし見過ごせなかったというか」
「一応でなく関係者だよ」
学院生の頃のようなノリで嗜めてくるトワというのも久しぶりで思わず相好が崩れる。
「ま、トワを独り占め出来る機会だから堪能しちゃおうかな」
グラスを傾けながらそんな軽口を叩く。
どうせここから暫くは第二分校にかかりきりになるのは目に見えているし、アンやジョルジュが戻ってきたら戻ってきたでどうせ集まるだろうけれどその時の主役は彼らなのだから。
私もここからちょっとバイク飛ばすことになりそうだし精神栄養補給はしておくに限る。ソロで動く情報屋というのは結構気力体力を消耗するというのがもう分かり切っているので。
「……セリちゃんなんか段々アンちゃんに似てきたよね?」
「えっ」
1206/04/10(月) 早朝
バイクを延々と転がし途中でルーレに立ち寄ったりカラブリア丘陵方面で討伐や情報収集をしたりもしつつ、ノルド高原の入口となるゼンダー門へと辿り着いた。共和国との戦端が今にも開かれそうだということで訪れたわけだけれど、なるほど門内の(一応一般人利用可能な)食堂にいるだけで尋常じゃない緊張感が伝わってくる。仮に通れなくてもこの空気を感じられただけでも意味はあった。
「おや、もしかしてローランドさんかな?」
こんな状況だけど通行の許可が降りたらいいなぁ、と食堂で気配を数えつつ待っていたらそんな言葉が。顔を上げてみれば軽食をお盆に乗せた見覚えのない男性で、声も……記憶を辿る限り思い当たる節はない。《留め具》ではなく本名を知っているのならおそらく表での知り合いなのだろうけれど。
「はは、知らないのも無理ない。初めまして、僕は帝国時報所属のノートン」
向かいへの着席と共に名乗られてさすがに思い出したし、相手が私の名前と姿形を知っていることにも合点がいった。私が昔猟兵崩れの騒ぎについて書いた記事を改稿して出した際に添えられていた名前に違いなく、また私を帝国時報にと打診してくださったお一方でもある。基本的に手紙でやりとりしていたからわからなかった。
「その節はありがとうございました」
「君の手柄を取ってしまった僕にそう言ってくれるのかい」
「私ではあの時、記事の責任を負うことは出来ませんでしたから……むしろ危険な場所に立たせてしまいこちらこそ申し訳ない限りです」
猟兵崩れとはいえある意味で界隈に喧嘩を売る記事だ。件の部隊は捕らえられアルバレア家に利用されたのだとしても他の猟兵団を少なからず刺激するモノでもあるわけで。学院生という保護される立場の存在として、共に学ぶ若葉を守るため、私の存在はなかったことにされた。
それについてどうこう言う気は……というか守られたと理解している以上言えるワケがない。
「見込み通り真面目だね。ウチに来てもらえなかったのが残念だよ」
「それは……その、せっかくお誘い頂いたのにそちらも申し訳ありません」
「ああ、いやいや。責めてるように聞こえたらすまない。むしろあの記事を書いた子が帝国を見て周りたいと言うのなら諸手で送り出したいくらいさ」
どれだけ見て回っても世界を識りきれることはないからね、となんだかしみじみと言われてしまう。まぁノートンさんからすれば私のようなぴよぴよのひよっこが見聞を広げたいとスカウトを断ったという前提がある状態で、ほぼ紛争地帯になるだろうとされる高原手前にいるというのは……やりたいことの道筋が見えているものなのだろう。
「……っと」
つけていたヘッドセットから通信を理解しARCUSIIを開くとそこには、おそらく偶然ではないだろう人物の名前が表示されていた。失礼します、とノートンさんに断りを入れてから食堂を出て(監視の目が完全になくなることはないが一応)人気のないところまで移動し壁を背にして応答。
すると、ヴン、とアランドール殿の顔が難なく表示され、うっかりすればなし崩しに開戦間近だからかノルド付近のゼンダー門でも通信回線が安定するようになっているようだと理解した。今までであればいけても音声通話だけだったろうに。
『よう、元気そうだな』
「こんにちは、そちらもお元気そうで。しかし挨拶もいいですけど用件をどうぞ?」
コツコツ、とヘッドセットを叩いて音声が漏れることはないと示唆すれば、助かるぜ、と頷かれる。
『一つ頼みごとをしたい。ノルド付近がきな臭いのは知ってるだろうが、情報を集めてきて欲しい』
「んな大雑把なことを」
思わずそう返してしまう。情報屋に『情報を集めてこい』だなんておもしろい発注にも程があるだろう。ベクトルの指定がされなければ高原にある草花の情報を集めて提出したっていいのだけれど。
『何がとっかかりになるか分かりづらい上にとにかく人手が足りなくてな。お前さんならその辺カバー出来るだろ』
「あー……」
勘弁してくれとでもいうかのような嘆きに思い当たることは何件かあった。そもそも例のクロスベル戦線からこちら、共和国とは一触即発とでも表現すべきなほどになっている。そして帝国東側と言えば共和国との国境線であり小競り合い程度なら今や日常茶飯事になっているのに加え、内戦から大人しかった結社や猟兵団も動き始めているときた。
諜報戦の激化。それにより情報局も鉄道憲兵隊も大忙しなのは考えずともわかること。
「ただそもそも民間人ですけど、今って通してもらえるんですか?」
『俺の権限で通過はさせる。そこからは情報局の思惑だのどうのこうの考えずそっちの判断で行動してくれて構わねえ。必要なら第七から少しくらい人を貸したっていい』
「……それはありがたいですね」
出会う問題の種類によってはただひたすらに人数が必要という場合もあるだろう。それについて即断の選択肢を与えてもらったのは僥倖の一言に尽きる。
しかし情報局の特務少佐が民間人にそこまでの便宜をはからなければならないほど事態は深刻だということに他ならない。……いや、もう民間人自称はキツいかもしれないけれど、しかし何か立場があるわけでもないので情報屋である限り公的には一生民間人扱いだろう。たぶん。
『それと多少なら吹っかけてもらったって構わねえよ』
「んー、いいですよ。受けましょう」
情報を渡すかどうかも含めてこちらの判断でいい、という言質を取ったのだから破格の対応も逃げられはすまい。それに国家存亡に関してケチるような相手でもないのはわかっている。少佐殿にしても、その直属の上司殿にしても。
そういう意味で、信頼は、してしまっているというのがすこし心を重くする。正直に言えば学院入学前に会っていたら心酔しかねなかったな、とも。もしそんな未来があったとしたら地獄の幕開けだったろう。想像だけでぞっとする。
『わかった。装備整えて10分ほど待機しててくれ』
「了解です」
といってもバイクの荷物はもうある程度整理してあるし、腹ごなしもしてしまったのでどうしたものだか、と戻りながら考えて食堂に入ったところでノートンさんの姿が注文カウンターの横に移動していた。そういえばここに人が増えたことで売店が併設されたのだったか、と自分も一緒にラインナップを覗いてみることに。
「……」
その中にひとつ、異様ではあるようなものの、ここに置いてあること自体はしっくり来てしまうものが売られているのを見つけた。どうしようか一瞬悩み、ああ言われた以上何があるかわからないものな、と内心で頷いて"それ"を一式注文する。
ノートンさんには不思議がられたけれど、単なる装備の補充ですよ、と誤魔化しておいた。
そんなわけでアランドール殿の口添えの甲斐あって私はゼンダー門をくぐることを許され、また緑の海に足を踏み入れたところで、どうにもざわついているのがわかって改めて気を引き締める。ガイウスくんだったら、悪しき風が吹いている、と表現でもしていそうな気配。
とりあえずこの広い高原の中でも取っかかりが欲しいとウォーゼル家が護る集落を探そうとバイクのエンジンをかけた。
今は四月だけれど北方高原はまだまだ肌寒く、そこまで北には行っていなかろう。加えて今は共和国側でドンパチをやっているも同然だから南高原と北高原の間ぐらいとかどうだろう。
思考を巡らせながら草が羊に食まれた痕跡を探りつつ字義通りの鉄騎で北上していく。
「────お」
数時間走らせていたら南北を繋げる道の間に集落が見えてきた。集落の入口に垂れ下がっている布の紋様からして私の目当ての集落のようだ。以前来た際にガイウスくんからその辺りの見分け方を教わったので合っていると思う。
まぁまた適当なところでバイクは止めて手動で転がして行こうか、と思案しかけたところで嫌な予感が背筋を這い回り急停車した。────人の気配があるのに、生活の気配がない。羊の声が聞こえるから集落を計画的に放棄したワケじゃないだろうとは分かった。しかし襲撃されたにしては屋内に人の気配があるというのが不思議なもので。
少人数の集落。人はいるのに生活感がない、というのを身動きが取れないと仮定するのなら。
「……特に人数が変わっているワケじゃ、ないみたいだけれど」
極端な人数の変動もナシなうえ、ここまで近付いて敵意のようなものも一切ないことから集落が占拠されているというのは切り捨ててもいい。
そこまで可能性を落としていったところで、準備してから突入するべき事柄に思考が至る。すなわち疫病。人間相手ならともかく病についてはもうどうしようもない。……が。
「まさか本当に役に立つとはなぁ」
バイクの後ろに積んだ荷物からずるりと先ほど買ったものを引きずり出す。それは使い捨ての簡易防護服セット。高原の風土病について勉強はしていなかったけれど、国境門にあるということは必要になる可能性が高い、と判断し購入してきたのがドンピシャだった。
完全ソロ行動というのは無傷というのが最低条件になる。無論積み込める荷物は有限だけれど数千ミラで防御できるというのなら安いとさえ。
外に飛び出てしまう得物を外してからガサガサ音が鳴る防護服とマスクを着用し、防御に使っているダガーを二度三度抜いて動きがどれだけ制限されるのか確認してから腰に帯びた。
集落入口のごく近いところまでバイクと共に進み、きょろりと辺りを見回してから見たことのある意匠のゲルに近付いていく。もしこの防護服が笑い話になるならそれでいい。だけどそうではなかった時のことを考えればこうせざるを得ない。
コンコン、と扉を叩く。
「ラカン殿、ファトマ殿。セリ・ローランドです」
声をかけてから即座に扉に耳をつけ中の様子を探ると、微かな……人の声のような音が聴こえた。咳がひどくとてもノイズめいているが、繋ぎ合わせると『来ては駄目だ』のようだと。
瞬間扉の手を入れる形の取手を引いてはみたものの開く気配はない。ハンドル式ではないから取手自体を破壊する術は取れない。
「すみません! 扉を破壊します!」
とは言ってもゲルにおいて扉と壁は密接な関係だ。雑に扉を破壊しようものなら扉を吹っ飛ばした衝撃でゲルの崩落を招く可能性がある。であるのならば。壁に巻き付けられているフェルトごと壁の建材と扉を繋げている紐を両断すればいい。
振り上げた刃物は果たして繋ぎ目に牙を立て、扉の壁としての機能を霧散させる。
最下まで割断し終え押し入ったそこには、天窓から入る太陽の光が病人の姿を煌々と照らし出していた。
「……っ」
敵の気配がないことを理解しダガーを収めて走り寄る。どうせここまで近寄ってしまったのだ。状況を素早く確認して情報を持ち帰らなければ意味がない。
「セリ……どの……来ては、いけ……ッ」
「防護服を着ていますからご安心ください。事態の把握に努めますゆえ、服を脱がせお体に触っても?」
微かな首肯から即座に服の合わせを開き、視界に入った筋肉のある肢体は首に集中して発疹が見て取れる。しかし鎖骨以降はほぼなく、また顔にもそれらは見受けられない。……おや、と首を傾げる。と同時にどこかで見たような、と警鐘が頭を殴ってきた。どこだ。どこでだ。
見たことがあるのならおそらく衛生学だ。しかし高原の風土病ならここの方々が対処出来ないはずがない。つまりまるきり別のところからのアプローチに────。
そうして記憶から呼び起こされる。見たことがあるはずだ。むしろ帝国の士官学校を出て見ていないなどあるわけがない。────百日戦役の折、一部部隊がかかったことのあるリベール王国北部で冬から春にかけて流行する風土病にとてもよく似ている。
「下履きの方も失礼いたします」
下着を脱がさないようしかし迅速にズボンを下ろし太ももを見ればそこにも首元と似たような発疹が存在していた。
「……」
私は医者ではないから診断を下すことは出来ないけれど、もし予想が当たっているのなら空気感染ではなく体液感染だ。だというのに外部に連絡が取れなくなるほどここまで即座に集落全員に蔓延することなどあるだろうか?それにそもそもリベール王国とノルド高原は位置としても風土としても似ても似つかない。
ただもしそうであるのなら、栄養さえ摂れていればほぼ命に別状がないという研究結果も出ている。発疹・発熱・節々の気怠さ・喉の痛み、などなどが強く出て歩くことすらままならないけれど、体力の少ない赤ん坊を除けば致死率はほぼないのだとか。……赤子殺しと名付けられているぐらい、その印象が強いとも併記されていた。
「概ねわかりましたが、私は診断をつけていい立場ではありません。ゼンダー門から応援を呼びます。どうか安心して眠ってください」
ラカン殿の衣服を整え念のためファトマ殿の容態も確認後、ゲルを飛び出しバイクの方へ。
途中で寄ったルーレでアリサさんから、ノルドへ行くのでしたら、とバイクに取り付ける形の通信波増幅器を受け取っていたのはタイミングが良すぎだろう!聞いていたスペックの通りならここから直接ゼンダー門までは届かなくとも、監視塔を経由してパスを繋げることは出来る。
『よう、随分早い連絡……』
「アランドール殿、高原の危機管理レベルを第三まで引き上げてください」
回線が貧弱なためお互い姿は見えないが、それでも向こうで飲む息の音から状況の逼迫さを理解されたと判断する。そうして今しがた確認したこと、感染源と思しき場所を説明していった。口を動かしながらも私はバイクとの距離を確認しながら集落を囲む丘の上まで登り痕跡を確認して回る。
「以上のことから、私はおいそれとゼンダー門へ戻るわけには行かなくなりました。推測通りのものでしたら非感染者ですが、そうと見せかけた別のものだったら目も当てられません」
いま高原に駐屯しているのは第七機甲師団のみで、瓦解したら即座に共和国が攻め込んでくる状況だ。本国の応援も間に合わない。
とはいえ、こうして道を閉ざしている集落を行動不能にするということはこの付近を通過したく、また感染力はそこまでないという推測も立てられるのだが。それでも推測にすぎない。
『……状況は分かった。感染速度から井戸水が汚染されている推測もわかる。だが仮に共和国のバイオテロだとして何で民間人を巻き込む必要がある?』
「わかるわけがないでしょう……と言いたいところですが、心当たりがあります」
『どれだけ馬鹿げててもいい。聞かせてくれ』
現地にいない自分の常識ではなく現地にいるこちら側の推測をアテにしてくるというのは、いやはやなんとも……仕事に対し真摯だと場違いにも笑いがこぼれそうになった。
「高原の地図は手元にありますか?」
『ああ』
「北部高原に石切場と呼ばれる古代遺跡の場所は?」
『もちろん載って……そういうことか』
石切場。つまり採石場。坑道が広がっている場所。どのように広がっているのか具体的な方向はわからないけれど、"共和国側に山がある"ということが何を意味するのかという話だ。こうなってくると"石切場に封印された悪しき精霊"が何を指しているのかという民間伝承へアプローチも出来そうだけれど、その辺については今は捨ておこう。
もちろん、共和国を悪としているわけではなく……というより年代としては建国以前のものではあろうので国としては関係ないが、ノルドの民からすれば向こうから来るものは侵略者であったという、つまりどの立場で物事を見るかの話だ。
『……っ、現地民族が入るなって言うから国際問題懸念で調査出来てねえんだよなあ!』
北原から侵入することが叶えば監視塔を後ろから襲撃することが可能になる。ただし。
「アランドール殿、朗報です。集落周りを確認したところ半径50セルジュには部隊が通過したような痕跡はありません」
これ以上離れられるのならそも民間人を巻き込む理由が薄くなるわけで。ならば巻き込むだけの理由があったと考えるのが正道。もしこれが他のものであれば思考誘導も考えて然るべきだけれどなんせ巻き込まれているのが民間人だ。
とはいえこれが共和国側の謀略だという決定的証拠などなく、現時点で証明などしようもない。というかバイオテロとは概ねそういうもので。つまり公的に国際批難を浴びる心配なんてこれっぽっちもないとはいえ、それでも巻き込まないでいいなら巻き込まない方がリスクは少ないことに変わりはない。
それに並々ならぬ武人のいる集落に井戸への汚染のために気配を消して近付こうものなら、察知されてしまった場合その瞬間斬り伏せられる。
いくらノルドが国ではなく、国家間の条約で守られているわけではないとはいえ、いろんな意味で"ない"のだ。
『────ゼンダー門にいる衛生兵二人派遣した。お前さんは』
「おっと、指示は受け付けませんよ。そういう話だったでしょう?」
防護服を脱ぎ、ARCUSIIの軽駆動で瞬間的に服を燃やす。焼却処分可能と書いてあったから大丈夫、というよりそうするべきだからの記載だ。
「しかし、ま、持ち帰った情報によっちゃあ大層な色でも貰いたいもんですね」
『……ああ、驚くくらいつけてやるさ』
二人で軽く笑ったところで通信を終了する旨を告げ、耳に届くは風の音だけになる。
さて。それじゃあ、帝国だけではなくノルドの人たちに直接手を出したこと後悔させてあげようか。ここにいないのだろうガイウスくんの想いを勝手に背負ったつもりで、私はバイクのハンドルを回し高原北部へタイヤを向けた。
採石場手前の視線の通らない片隅にバイクを停め、周囲の索敵と探索をしながら石切場へ通ずる破壊された扉の前にたどり着く。確か二年ほど前にあったノルド実習の時に編入前だったミリアムさんが破壊したのだったか。
貴重な古代遺跡を破壊することへの躊躇のなさは任務に対する姿勢として仕込まれたのか、あるいは……人造人間としての希薄さなのか。どちらにせよ嘆いたって今更どうしようもないのだけれど。
「っと」
遺跡に足を踏み入れる前に上位三属性の稼働を理解する。多少なりとも霊脈の上にあるのかもしれないな、と考えたところですこしだけ好奇心が疼いてしまった。
魔女殿たちが住まうエリンの里に出入りし、私もすこしだけそういったものに対する心構えを教わっていった。残念ながら(導力魔法の適性がないことからわかってはいたけれど)魔術的素養は皆無だとも告げられた。だけどそれとは別に『暴く』という形で霊脈への侵入を果たせるのではないか、とも。
扉の枠組みに手をつき、石材のひんやりとした感覚が伝わってくる。風と同化するように呼吸を整え瞼を下ろし、暗闇の中で"視えた霊脈"に無理矢理意識を流し入れ────。
「……!」
反射的に接続を遮断して手を離し後ろへ数歩よろめくように退き膝をついた。
どくどくと奔る心臓の音が頭の中に響く。手が灼かれたわけじゃない。攻撃をされたわけでもない。古代遺物に頭の中をいじくられたわけでもない。ただ、ただひたすらに、数秒ぽっちすら耐え切れなかった。
霊力の奔流、無数に掘られた坑道の細部に至るまでの構造、魔獣の数・動き・生活拠点、人型生命体の位置情報から始まり極小動物の移動によって転がされた礫の回転そして果ては地下水脈が滴り穿った孔の深さまで。
0.1リジュ秒単位の時間でそれだけのことが流れ込んできた。と言っても全容を把握出来ているわけじゃない。出来るわけがない。情報の概要整理が出来ただけでも儲けものだと思う。嘔吐しなかったことを褒めて欲しいぐらいだ。これでも士官学院を卒業したという自負はあったけれど、しかしああまで大量の情報を一個人の頭で行える訓練をしたかといえばNOになる。
おおよそ人間が必要としていないモノまで視えるというのは、なるほど、霊脈というのは人間とは関係なく泰然としそこにある、ということをいやが応でも理解する。霊脈にとってそれらは選別する必要がない。
あそこで即座に接続を切っていなければ脳が焼き切れて事切れていたかもしれない事実にぞっとする。バックアップも練習もなしにぶっつけ本番でやることじゃなかったな、と自分の無謀さに内心で嘆息する。これが終わったら久々にエリンの里に顔を出そうか。怒られそうだけれど。
────それでも今は一人で、しかしやらなければいけなくて、その手段を持っていて、付随する問題点もある程度把握出来てしまった。死ななかったというのはつまり女神さまの加護。
指向性を維持しつつ霊脈へ侵入出来れば、あるいは。妨害だの書き換えだのそういった干渉なんて一切しなくていい。ただそこにあるものだけを把握し切る。それさえ出来ればこの戦いはこちらが断然有利だ。
いまだ荒れる息をなんとか調え、膝をついたまま石扉の枠組みに額を当ててから眼下に懐中時計の文字盤が見えるように置き、また霊脈にそっと。繊細な細工物を扱うかのように。ふれる。
人型生命体の位置、それらの数、そこに至るまでの大まかな坑道の構造、そこに接続し得る魔獣の情報、たったそれだけ。だっていうのに頭がかち割られそうに痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。痛い!だけど分かっていればあの古代遺物の捏造記憶を思い出した時の方がよっぽど痛かったような気さえする。
嘔吐くな、泣くな、歯ァ食いしばれ!
「────っ」
情報の渦に飲み込まれる前にぜぇはぁと息を乱しながら接続を切る。
欲しいものだけを掠め取りたかったのに、結局不要なモノまで取得してしまった。これは要訓練だな、と涙で霞む視界で懐中時計を見れば一分そこらの経過だったらしい。取得制限と吸収遅延をしてもたったの一分しか延長出来なかった。
もっと時間をかけられるようになるか、あるいは処理速度を上げるかどうかの二択になる。あまり後者はしたくないけれど、どちらも出来るようになっておくにこしたことはない筈。時と場合によって必要なことは違うんだから。
「……落ち着いた様子だったな」
共和国としてはこの作戦は何が何でも成功させたいだろう。戦は速度を尊ぶと言われているけれどそれでも慌てていい場面ではない、という意識が向こうにはある。なんせ奇襲だ。もちろんウォーゼル家の集落が陥ちているその機会を逃すはずもないため、おそらく猶予は6時間もない。それでも情報が正確かどうかの確認はしておくべきだ。
足を踏み入れた石切場は基本的に硬く、密度のある石に囲まれている場所だった。その名の通り良質な石が採掘できる良い場所だったことが伺える。もしクララが来ようものならここに居着いてしまうのではなかろうかと……ガイウスくんが入部した後も変わらず自分の彫刻作品だけを進めていたみたいだし、わりと本気であり得そうな気がする。
彼方の思い出で一瞬すこし気が抜けそうになってしまったけれど引き締め直し、最短距離をひた走っていく。途中まではノルド実習のレポートにあった地図と同じではあったけれど、横道に入ってからは確実に知らない場所……だというのに分岐を迷わず進んでいけるというのは不思議な感覚だ。
魔獣との戦闘も極力避けながら該当ポイントへ差し掛かるところで身を隠しながら立ち止まる。霊脈への侵入ではなくいつも通りの気配感知をしたところ人数に相違はなかった。作戦開始もまだのようでホッとし、そのまま踵を返す。
……霊脈侵入はもう何度かやって確認はすべきだけれど、情報の取得先としてこれほどまでに精度があり、加えて謀られることもそうそうない存在を使えるのはあまりにもヤバすぎる。
もちろん今の自分では強い霊脈の上でなければ辿ることは出来ないだろうけれど、帝国において主要都市は大体霊脈の上に建っている。人間が無意識に惹かれたのか、それとも都市建築の際に重要視されたのかはわからないけれどとにかくそうであるというのは紛れもない事実だ。
その最たる例が帝都なわけだけれど、地下道地図作成の時にこの能力に気が付いていなくてよかったかもしれない。もしあの都市に対して訓練もせず使おうものならよくて廃人。それぐらいいろんな思惑が絡んでいる中心地だというのは潜らなくてもわかる。
自分のこれからの立ち位置や振る舞いに関して更に気を張っていかないとな、と心を新たにしたところで十分な距離が離れたと判断しさらに速度を上げた。
何に気付かれることもなく石切場から出ることに成功し、バイクの方へ走っていく。
ここからでは監視塔にだって増強しても通信波が届くことはないけれど、それでも丘から降る、すなわち直線を突っ切って落ちれば段差をわざわざ迂回する必要もない。行きにかかった時間よりずっと速く通信可能圏内に戻れる見込みだ。
「しっかし、これはクロスベルでの借りを返しても余りあるんじゃないかなぁ」
去年のことを呟きながら取り敢えずアクセル全開にかっ飛ばした。
そうして、果たして、帝国陸軍第七機甲師団は共和国の奇襲を退ける。
互いに作戦を成功させるために陽動の意味で国境線で派手にドンパチをやる羽目にはなったが、帝国側は相手の目論みを看破していたことにより防御に徹する判断が行えたことで人的・物的被害は少なかったそうだ。
私はといえば軍部が民間の情報屋の手を借りたなど公表出来るワケもないしして欲しくもないが、今後各地での行動に対し情報局から極秘に便宜が図られることになった。とはいえ、この短時間ですべてをひっくり返す情報を握って帰ってきたことにより要警戒監視対象に昇格したのも事実だろう。それでも利用出来るものはするのが情報屋だ。
あくまで線を引きながら自分がどれだけやれるのか、それを確認する良い機会でもある。
「さて、それじゃあ行こうか」
防疫のための軍部による待機命令も終わり、愛機に荷物をくくりつけたところで独りごちる。ノートンさんはここでの記事を書くためにまだまだこちらに留まるらしい。私が通過したことと今回の作戦に関連性があるのでは、と何度か聞かれたけれどすべて誤魔化しておいた。誤魔化し切れたとは思わないけど。
そんな仕事に熱心な方の労いを背中に受けながらどこか動乱の足音が遠くから聴こえるような雲の下、私は南下するために走り出す。
こうして激動の半年が幕を開けたのだ。