[完結]わすれじの 1206年   作:高鹿

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12 - 04/20 侵犯者とは斯くあるべきか

1206/04/20(木) 昼

 

「ヌシは馬鹿か?」

 

バイクでのんびり南下し、途中からはイストミアの森に通じる転位石を使わせてもらったことで大幅な陸路の短縮をしてエリンの里へ入り、里長のローゼリア──ロゼ殿にこの間あったこと・自分がやりたいことの簡単な説明をしたら端的に罵倒が返ってきた。自分でもそう思う。

 

「生身の人間が訓練もせずに霊脈に潜るなんぞ自殺行為にしかならん。まぁどういった話でも素人が一番怖いというのはそういう話もあってじゃの」

 

知識があれば絶対にやらないことを、素人は怖さを知らない・あるいは分からないゆえに躊躇なく行えてしまう。そういった愚かさがなかったとは自分自身思わない。だけどやると決めたことを後悔しているかといえばしていない。……まぁ、運よく生きて帰ってきてしまったというのもあるし、そもそも死ぬことに対する恐怖が薄れているというのもある。

 

「そう、つまり今回のはビギナーズラックです。でも私は自分がそれを出来ることを知ってしまっただけでなく、命を天秤にかけて手段を諦められるほど賢くもありません」

 

命を無駄に散らすことは、本当に愚かだと思う。けれど自分の命と引き換えに百人でも救えるのなら私はおそらく逡巡すら出来ずに選択をしてしまうと思う。したいかしたくないかではなく、出来るのならやる、という行動原理は友人たちを想えばやめるべきことだ。

それでもどうにも命が軽くなっている今、そちらを是正する方向に動くのではなく、死なないよう技術を上げる方が行動の成功率も上がるためそっちに舵を切った方が幾分かモチベーションが保てる。

 

「……そう言いながらもここに来るだけマシか」

「ご心配ありがとうございます」

 

字面だけで見れば使われる言葉は強いけれど、その実ロゼ殿から敵意を感じたことは今までに一度もない。かといって表面的に応対されている気配もないのでとても優しい方なのだろうと思う。

たまに顔出した際にエマさんから、やれ野菜を食べないだの、寝汚いだの、生活習慣が乱れすぎているだの、いろいろ聞きはしたものの結局のところ里長殿のことを慕っているのは伝わってきた。今は彼女は彼女で各地の霊脈異常について調査しつつ姉弟子……クロチルダさんについて探っているらしい。あんな別れ方だったから、私もまたお話をしたいのだけれど。

 

「関わった人間が死んだら寝覚めが悪いというだけで心配はしておらん」

 

……寝覚めが悪くなることを心配しているというのではないのかなぁ、と思わないではなかったけれどさすがにそこまではっきりと口にすることは憚られた。

 

────もしかしたら、ロゼ殿は私が"境界侵犯"の性質を持っていると伝えたことに責任を感じてくださっているのかもしれない。そんなものの存在を知らなければこんな風に生身で霊脈に潜るだなんて馬鹿げた発想には至らなかったのではないか、と。

でもそれは結果論だ。この里のことを知らず各地を巡り、何かうっかり裏のことに巻き込まれた時、生存本能で自覚もなしに能力を行使していたらそれこそ廃人確定だったろう。いや、私だけが死ぬ分にはまだいい。だけどこれは……おそらく、人間相手にも使える力だ。無我夢中に相手の精神に入り破壊して殺してしまっていたらそれこそ目も当てられなかった。今まで相手を害そうとした時にすべて物理に振り切っていたから何とか回避出来ていたというだけで。

 

力を持つものは相応の責任が伴う。その事実を自覚させてくれたロゼ殿に私からの感謝はあれど私への責任なんてものはない。

それでも、森を見守る長殿としてティルフィルに住まうローランドの末裔というのはおおきな存在なのかなと思う。私が考えているよりもずっと。

 

「ま、妾は忙しいが、他の者に頼むくらいはしてやらんでもない。────じゃが」

「ええもちろん、対価としての情報はお支払い出来ますよ」

 

魔女殿たちが紡いできた魔術と密接に関係する技術について教えを請うというのだから準備はしてきた。それに自分に価値があると思い続けてもらわなければこの関係は瓦解する。むしろそうでなければならない。里の者じゃない存在なんていつでも切り捨てられなければいけないのだから。

 

「とりあえず最近起きた大きな出来事といえばノルドでの戦闘ですかねえ」

「言うほど大きかったのか?」

「まぁお互いの国境警備隊が一応とはいえ正面からぶつかったので……」

 

いろいろ各地を渡り歩いてきてはいたけれど、しかしあれほど近くで国同士の戦いを感じることになったのは初めてだ。展開している部隊数は少なくとも、布陣としてはそこまで小規模でもない。そもそも一瞬とはいえ国を代表して諍うことになっている時点で大きいとも言える。そこから戦火が広がらないとも限らないわけで。

 

「で、戦闘を何とかする過程でノルドの石切場に潜ることになったわけです」

「なるほど、そう繋がるのか」

「あとは……ご存じかはわかりませんが、灰の騎神の乗り手が旧都方面へ来るそうですよ」

 

トールズ第二分校初の課外特別カリキュラムがハイアームズ侯爵閣下が治める地域になったのは妥当といえる。穏健派と名高い閣下の采配下であれば基本的に生徒たちを悪いようにはしないだろう、というのが建前。そして今現在だと軍の正式戦力が殆ど東に傾いているから戦力としたい、というのが実情となる。士官学院生とはいえ20にも満たない子供を矢面に立たせる決定を為した帝国政府は何を考えているのやら。

そんな思惑の中でデアフリンガー号という分校特別列車まで支給され、最新鋭の機甲兵と共に彼らはこの地を踏みに来る。その豪華な装備は開校祝いなのかはたまた餞別なのか。死者が出ないことを切に祈ろう。

 

「灰の起動者か。エマから話は聞いておるが、なかなかに不器用だそうな」

「そうですね。その不器用の中にある芯が真っ直ぐすぎて……本人が傷付くことも多いでしょうし、こちらとしても痛い時があったりしますが、基本的にはいい子だと思いますよ」

 

灰の騎神。蒼と相対した機体。それらは一時、クロウが亡くなった後に回収された蒼と共にガレリア要塞に収容されていたようだけれど、リィンくんの分校着任と共にリーヴスへ居を移した。……内戦時の機甲兵の元になった蒼の騎神、それを解析したのはシュミット博士手ずからであったようなので、博士にとって一介の学院でしかないだろう分校の特別顧問という席に今回収まったのはもしや。そういう。

わりと確度の高い推測じゃないだろうか、と一人内心でうなずいたところでふと思い出す。

 

「そういえばノルドには騎神みたいな騎士像がありますよね。あれって何なんですか?」

 

帝国の伝承、巨いなる騎士。私は以前ノルドに訪れるまではその言葉が指すものは騎神だと考えていたけれど、騎神に似ていながらもサイズはまるで似ても似つかないそれらの方が大きさ的にも年代的にもしっくりくるのではないかと。

 

「……ヌシはあれを見てどう思った?」

「え?」

 

逆に問われてしばし沈黙が落ちる。

静かな石像。己の職務を全うし眠っている騎士。最初はそんな印象があった。しかしノルドの一部と繋がったことでよく視えるようになったというのもあってなのか、帰り際に見た巨像の印象はすこし異なっていたのも確かで。

 

「からっぽ、ですかね」

「ほう」

「あるべき熱源がもうとうに消え失せてしまったかのような」

 

熾火のように煙が立っていないだけでその裡に熱を秘めているというわけでもなく、ただただがらんどうの塊。今や立派な石像だけれど、もしかしたら籠められていた熱により全てが熔けてしまい、ああして石崖と一体化してしまっただけなのかもしれない。

────もし、ノルドとブリオニア島にいる巨像が実際稼働していたのだとしたら、互いに寄り添っているわけではない現状から考えて戦っていたのだろうか。それとも、それぞれが世界を守ろうとして各地に根を張ることを決めたのだろうか。たとえからっぽでも、宿っていた熱が消える時に穏やかであったことを祈りたい。

騎士の最期が報われるものであってほしいというのは感傷がすぎるかもしれないが。

 

……それにしても、騎神に起動者を導くのが魔女殿たちの役目だと聞いたことがあったし、事実クロウはクロチルダさんが、リィンくんはエマさんがその任を請け負った。つまり騎神と魔女という存在が密接な関係であるのは明白なゆえそこから巨像について問うてみたわけだけれど、間接的にとはいえあっさり既知だと肯定された。

ということは騎神は魔女殿たちが造り上げたのだろうか。いや、仮にそうだとすると不可解な点がいくつも────。

 

「そうか」

 

思考の淵から落ちそうになっていたところでがたりとロゼ殿が立ち上がるので、訓練を課してくれる方に紹介して貰えるのだろうかと慌てて自分も立ち上がる。

 

「気が変わった。ヌシの面倒は妾が見てやろう。とはいえ忙しいのに変わりはないからの。超特急で鍛えるから、どうか死んでくれるでないぞ?」

 

うつくしい金糸の隙間から覗く緋い瞳は、言葉の不穏さに反して非常に楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

1206/04/22(土) 朝

 

隠れ里であっても人が来ないわけではないのか、何故か当たり前のようにある宿酒場に部屋を取り三日目。だいぶ脳がぐちゃぐちゃになっているような感覚を得つつ階段を降りて席に着く。

 

一昨日と昨日。ロゼ殿の宣言通り、泣き言をいう暇もないほどにいろいろすることになった。霊脈の真上にあるこのエリンの里を把握することから始まり、サングラール迷宮と呼ばれるダンジョンを外から構造把握し魔獣の配置と巡回ルートを把握し一度も進路をミスることなく加えて接敵もせず最奥に辿り着くというのを何回も行った。

それでも私に何かを施したのか、取得したい情報にすきりとピントが合うようになったし、流入する情報速度が抑えられているせいでなんとか発狂せずに済んでいる。というか初回では死の危険を感じた行為を何度も何度もやっているのに、頭が疲れているように感じる程度に収まっているのは確実にロゼ殿とここの食事のおかげだろう。あと温泉。

 

「今日もおはよう。はい、朝食だよ」

「ありがとうございます」

 

月影亭のおかみさんが持ってきてくださったのはほうれん草とベーコンのキッシュにサラダ、そしてマンドレイクスープだ。このマンドレイクのスープが本当に……本当に素晴らしい。一口飲んだだけでじんわりと体の隅々まで何かが駆け巡っていくかのようでものすごく"効いた"。

 

「マンドレイクって書物の中の食材だと思ってましたけど、すごく美味しいですね……」

「あはは、それだけ美味しいと感じるならセリさんのなかで霊力が足りてないってことだよ」

 

足りない栄養素があるものが殊更おいしく感じるというのはまぁ普通に生活していても往々にしてあることだ。たとえば塩舐めて体に何か補給される感覚を得るのは前衛あるあるなんじゃないかな。だけど。

 

「魔術や導力魔法の素質がなくても霊力というのは宿っているんですか?」

「うん? ああ、そういうのも知らないのね。霊力っていうのは大気に満ちるエネルギーとして存在するけれど、私たち人間を動かすためにも欠かせないの。それが尽きた時、人はものすごく憔悴してしまう。命に関わると言っても過言じゃないくらい」

 

……騎神を動かすのは霊力と呼ばれるものの筈で、おそらくその大気の霊力も取り込んでいるのだろうけれど戦闘という瞬時に必要となる場合に使用されるのは起動者のそれだというのはわかっている。

最後だと気合を入れてリィンくんとの戦いに霊力を使っただろうクロウが、緋の騎神と対峙して回避し損なったのはそういうことだったのかもしれない。だって蒼の騎神は灰の騎神よりもずっと機動力に優れている機体なのだから。全力で向き合っていた証拠だ。

嗚呼、こんな何でもないところで君への好意を募らせるなんてしたくないのに。それでもどうしようもなく好きだと気付かされる。何かひとつ違えば貴方はずっと光の当たる場所にいられたかもしれないとさえ。でもそれは同時に私の愛した貴方ではないのだろうとも。

 

「霊力の枯渇には気を付けますね。適性があるわけでもないので特に」

「フフ、そうしてちょうだい」

 

霊力の高い人は感知能力も磨きやすいだろうけれどそもそも絶対値が異なり、自分のような存在は使える量自体たかが知れているため枯渇が早い。そもそもそこまで適性のない相手に教えることも少なかろうので、この里にいる方よりも一層気にしていなければ駄目だ。

 

「それにしても里の外にいる人への鍛錬だけでも驚くのに、長が直々だなんてねえ」

「……やっぱり珍しいことですか?」

 

これだけ閉じている里だから外部者が訪れることも少ない……というかそもそも私が初めて侵入してしまった時の反応を見る限り基本的に闖入者に対しては記憶処理後に放り出すのだろう。その前提で外部の人間でありながらも出入りが公認された上に、魔女の秘術といった類ではないというのにその最たる方に教えを頂いているというのは、その、正直、里の方に反対をもらっていてもおかしくないというか。

 

「そうね。でも貴方のその性質はどこかでコントロールすることを覚えなければならない。ロゼ様はそのことを気にされていたのだと思うわ」

「……異能ではないと、言われましたが」

 

そこまで言われるような力ではないと思っていたのに。

 

「ええ、今でもそれに変わりはないけれど、驚くほどのスピードで伸びているのも事実ね。たぶん『自分にそういう力がある』と知ってから積極的に活用していたのでしょう? ぎりぎりまで使えば力はほんの少し成長する、筋肉と同じように」

「────」

 

私はきっと、今までたくさんの人の心を無意識に、無遠慮に暴いて、あるいは暴きたいという心を増幅させて、そうして生きていたのだと思う。ずうっと昔、私のことを綺麗だと言って組み伏せてきた相手がいた。学院生の頃、告白を断っただけで腕を掴もうとしてきた人がいた。内戦の時、クロウへの憎悪をこれでもかとぶつけてくる人がいた。

アンだって、普段はそういう機を見るのに長けているのに私に対する距離感がおかしくなっていた。クロウにしても自分の感情を吐露するつもりはなかったと苦しそうに話してくれた。

気が付いていないだけで、もっとたくさんあったのだろうと思う。

 

もちろん私は私を害する感情や行為を決して肯定はしない。だけど、そんな風に狂わせたのは、そんな行為をさせてしまったのは、ある意味で自分だったのではなかろうか、なんて。傲慢な懺悔にもほどがある。

けれど私がこれを……言ってしまえば"欲望をちょっと暴露させる程度"だと考えながらこれからを生きていたら、知らずに伸びていた力はもっと強い暴力になって襲い掛かっていただろうことは想像に難くない。

相手に対しても、自分に対しても。

 

「脅かしちゃったかな。でも、人の心を暴くというのはとてもこわいことだからね」

「……はい、ありがとうございます」

 

私は本当に何も知らないのだと思い知らされる。

それでも現実に打ちのめされている時間なんて、ない。

 

 

 

 

「────」

 

イストミアの森で瞼を下ろして走れなんていう(つまり気配感知と境界侵犯の力だけで外界を認識しろという)難題を課されながら何とか縦横無尽に飛び回るロゼ殿について行っていたところ、その追跡対象が中空で静止する。森へ誰かが入ってきたのだ。

太い枝の上で目を開ければ、ふむ、と思案顔のロゼ殿が視界に映る。さわさわと揺れる木漏れ陽が金色の髪に落ち、どこか絵画のような雰囲気すらあった。

 

「灰の起動者じゃの。それに加えヒヨコもおる」

「ええ、リィンくんが担当教官を務める特務科VII組の生徒たちでしょう」

 

感覚が鋭敏になっているのか森がまるで自分の手足のように内情を把握出来る。けれど今はその情報の多さに酔い潰されたりもしない。現在地と彼らがいる場所はかなり離れているにも関わらず距離をさほど障害ともせず感知出来たということから、この森の隅々まで霊脈が張り巡らされているというのを実感する。

 

「勤勉ですねえ」

 

上位属性が働くこの森でもリィンくんを軸に難なく魔獣とやりあっているのが伝わってきた。とはいえ特に討伐対象である魔獣がいる気配もないので旧都大聖堂から薬草採集の依頼でも受けてきたとかだろう。たぶん。転位石を使ったから今回は途中で寄ったりしなかったし。

しかしこうして見るとリィンくんは生徒に対して結構過保護なようで、自分が前に出ながら指示を出す形で戦闘をしている。私や彼が置かれていた状況とはかなり異なるとはいえ、圧倒的強者が最前線に出ていたら育つものも育たないのでは、と考えないでもない。それでも他人の教育方針に口を出せるほど何かを修めているわけではないけれど。

 

「いい機会じゃ。見に行くとしようかの」

「仰せのままに」

 

リィンくんの感知能力はVII組の中でも頭ひとつ抜けていた。クロスベル戦役から数々の政府の要請をこなし、気を失ったとはいえ北方戦役まで経ているのだからそれにも磨きがかかっているだろうことは容易に想像出来る。しかし私も──少なくとも森の中でなら気配を溶かすことで誰に負けるつもりもない。

 

また再度瞼を下ろし、全方位視界になった世界で私はロゼ殿をひたすらに追い続けた。

 

 

 

 

森に出入りする人間が踏み固めて出来上がっていった獣道の最奥、彼らがたどり着いたところで私たちは樹上からそれを眺めていると、ほっと一息吐きかけた四人の周囲を蠢く影──巨大な蜘蛛型魔獣が敵意を示し取り囲む。それに対してロゼ殿はもちろん手を出す気配はなく、私もまぁ大丈夫だろうと見守ることにした。

 

そうして、多少危なっかしいところはあったにせよ無事に魔獣を撃退し終えた彼らは予想通りエリンの花を手早く集めて回っている。

エリンの花はサザーラントの特定地域にしか自生していない特殊なラベンダーで沈静・安眠などに対する高い効果が記録されており、さまざまな用途がある非常に需要の高いものだ。それに加え(薬用の意味が高すぎるためあまり作られないけれど)、お香に加工すれば男女間……というより想い合っている者同士の気持ちを高めあう効果もあるのだとか。これだけ聞くとリラックスと正反対な効能な気もするけれど、催淫作用ではなく安心を繋いだ先にある感情のやりとりによるものなんだろうと思う。

使ってみたかった気持ちがないといえば嘘になるけれど、使う相手がいなくなったので基本的に縁遠いものになった。まぁトワとならふわふわ眠る時に使ってもいいかもしれないけれど。もちろん説明はきちんとした上で。

 

「……おっと」

 

採集が終わりさぁ帰ろうという段階で唐突な耳鳴りが響く。どうやらリィンくんの心臓がイストミアの森に張り巡らされている結界と干渉しあい機能不全を起こしかけているようだ。こうして見れば彼の心臓もかなり奇妙な絡まり方をしている。

心臓が絡まっているなんて随分とおかしな表現だけれど。

 

そんなことを考えていたらいつの間にか、緋く周囲を停止させたロゼ殿が膝をつくリィンくんの傍らに立っている。心配の声をあげ走り出していた黒兎さんも、他の二人の生徒も、風によって擦れる草花も、うすい木漏れ陽も、何もかにもが停止しているその中で、私とリィンくんは許されたのか辛うじて意識を保ち続けられ、自由に動いているのはロゼ殿だけだ。

身体が殆ど動かないというのに意識だけ存在しているというのはどうにも違和感が激しく、世界への認識がおかしくなりそうだと内心で笑いがこぼれる。

 

ことの成り行きを見守るしか出来ず、ロゼ殿がリィンくんの頬に口付け彼の裡にある何かを"保護"し笑いかけた瞬間、緋い結界は溶けるように森へ失せ、いつも通りの森が浮かび上がってきた。

姿を消したロゼ殿はこれまたいつの間にか私の横に浮いており、ぱちりと視線が合う。

 

「……もしかして私も似たようなことされてます?」

「フフ、どうじゃろうな?」

 

いたずらっぽい表情が私を見て至極楽しそうに笑っていた。

……どうやら当分、いや一生勝てそうにない。

 

 

 

 

1206/04/23(日)

 

「そういえば聞いたかい? トールズの演習地が結社に襲撃されたらしい」

 

朝、いつものように月影亭の階段を下って席につき里の様子を確かめつつ朝食を待っていると、ユークレスさんが向かい側に同席してきた。

 

「はい。昨日の夜遅くに演習地にいる教官の一人から連絡を貰いました」

 

トワにはいつも通り現在地の送信、つまり私が大森林にいることは既に送っていたし、私が離れたという報告もしていないから近辺にいると思い知らせてくれたのだろう。

その上で、セリちゃんにはセリちゃんのやりたいことをして欲しいとも。合流したVII組──旧VII組の三人を加えた現戦力で対処出来ると彼女が判断したということは、私の助力は必要ないということで。

 

「多少怪我人はいれど命に別状のある生徒はいないみたいですね」

「あぁ、不幸中の幸いだ」

 

郊外とはいえ帝都主要都市のひとつである旧都の近くで喧嘩を売るだなんて、と思わないではないけれど、死者がいないのであればむしろ警告の側面が強かったりするのかもしれない。

持ってこられた大根おろしが添えられたハンバーグを切り分け口に放り込みながら思案する。

 

「正直かなり気にはなりますけど、昨日『あとは実地で覚えろ』ってロゼ殿から放り出されることになっちゃったんですよねえ……」

「最低限は終わったのか」

「そのようです」

 

基礎の基礎、というには多少突っ込んだところまで教えてもらったと思う。霊脈の辿り方、情報の取得の仕方、ピントの合わせ方、そして応用で小型動物から始まり人に至るまでの意識の逸らし方まで。この数日前後で私の技術は天と地ほどにも違う状態になった。

その上で調査し直したい土地が幾つもある。

 

「で、応援に行く予定はあったりするかい?」

「んー、灰の騎神もいるわけですし、私が行かなくても何とかすると思いますけどね」

 

政治的には分校ごときと揶揄られてはいるけれど赴任している教官陣もかなりの実力者揃いだ。心配でないなんてことは全くないけれど、いま私がやるべきことはトワに言われた通りお節介でリィンくんたちの案件に首を突っ込むことじゃない。

それにこの地で結社が何か隠したいことをするなら政府最高機密で固められたあの土地近辺になるだろう。最初に聞いた時は眉唾モノだと思ったけれど、裏付けようと調べかけたらアランドール殿直々に止められたのは記憶に新しい。止めるという行為に意味づけがされるとわかっていながらも止めてくれたのは、たぶん駒落ちを嫌ったのもあるとはいえやさしさもあったのではなかろうか。……まぁ、そういう感情の動きまで想定内かもしれないが。

何にせよそこに私は近付かない方がいい。後ろ盾がないというのもそうだし、いろいろなものと同調してしまう可能性もある。

 

そんなことを考えながら行儀が悪いとは思いつつ片手で帝国全土の地図を広げ眺めていく。

ティルフィルからいっそパルム方面に抜けローエングリン城に入る許可をもらうためにレグラムに行って、許可がもらえたら調査、もらえなかったら周辺歩いてからオーロックス峡谷辺りを北上。そのまま双龍橋から鉄道に乗り込んでガレリア要塞通過でクロスベル。帰りはベルガード門から帝国を横断する形でヴェスティア大森林付近を探索しつつ夏至祭の海都へ向かう、というのがいいだろうか。

かなり強行軍ではあるけれど、たぶん、ポイントさえ見極めればいけないこともない。仮に途中で切り上げることになっても横断進路なら鉄道沿線でもあるのでどうにでも出来る。北のノーザンブリアは今回の旅ではお預けにしておこう。

 

「しかし珍しく動向を訊いてくるってことは、何かあるんですか?」

 

あくまで協力者ということだからか、基本的に行動を縛られたり指定されることは今までなかった。"気が向いていないところの情報"というのも大事だということかもしれない。

 

「いや、合流せずに各地を急いで回るなら巡回魔女と連携してもらえたらなと」

「あぁ、そういうことでしたら是非」

 

魔女の方々を私から看破出来るかどうかはわからないけれど、前衛職としてはもちろん、たぶんそういったことに関してもそれなりに頼りにしてもらってもいいレベルには、なっていると思う。おそらく。うん。

 

「なら良かった。あとどこかでエマを見かけたらよろしく頼むよ」

「はは、どちらかと言えば私の方がよろしくしてもらう立場だと思いますが……」

「助け合えるならそれがいいさ」

 

ユークレスさんの言葉に、それもそうですね、と頷いて私は手早く朝食を終わらせようとスピードを上げる。おかみさんに数日のお礼とチップを支払い、転位石がある小広場の方へ。転位する瞬間、いつも外の話をねだってくる男の子と目があったので、ひらりと手を振った。

 

私は私の仕事に注力しよう。

それでも、どうか分校生に犠牲者が出ませんように、と勝手にも願うことは許してもらえるだろうか。

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