1206/04/28(金) 昼過ぎ
パルムから東へ繋がるアグリア旧道をバイクで抜けつつ、近隣の村々に寄りながらレグラムを目指しエベル湖沿岸に到着した。一旦バイクを停め地図を取り出し、霧がかってすこし見えづらいけれど対岸の町がレグラムだろうと頷く。
沿岸を回っていくのならすこし時間がかかるけれど、波止場から出る定期船で何なく渡れる筈だ。バイクは貨物とかに乗せてもらう手続きをしなければだけども。
しかしサザーラント州を出る前にパルムに寄ったところで運よく旧VII組の四人に出会い、お互いの現状を交換しあったところでレグラムに行く話をしたらラウラさんから縁者の証を貸してもらったのは日照りに雨だった。
そもそもローエングリン城は通常、過去に敵性霊体が夥しいほど出現したことがある関係で許可なく城への立ち入りは許されておらず、入城手続きには数日かかる────のだが、これさえあればそれらをまるっとスキップ出来ると渡された。
縁者の証──濃い青に白い鳥が浮き彫りにされたカメオはアルゼイドの家紋を示している。アルゼイドは辺境の子爵でありながらも武を尊ぶ帝国の中でヴァンダールと双璧を成す流派だ。その家に名を連ねる者が認めたというのはあまりにも表で力を持ちすぎる。
もちろん、多用も悪用もしようとはまるで思わないけれど。
「……ま、信用してくれるのはありがたいか」
肌身離さず身につけているポーチに地図を入れるついでにきちんと所定の位置にあることを確認し、波止場の方へコロコロとバイクを転がしながら近づいて行った。
「カメオの確認をさせて頂きました。ようこそ、湖畔の町レグラムへ。私は領主代行の任を仰せつかっているクラウスと申します」
霧けぶるレグラムに船で到着し、町を見て回りたい欲を抑えながら長い長い階段を昇り、道中で教会と練武場を横目に子爵邸を訪ねたら執事であろう方に出迎えられ今に至る。
「お部屋の方も直ぐにご用意させて頂きますので、応接間の方でお待ち頂けますか?」
「あ、いえ、そこまでお世話になるつもりは」
私はローエングリン城へ入る許可さえ貰えたらそれだけでいいのだ。まぁ昇っている最中にこの館が砦としても機能するようになっていると理解したので客人として滞在するには一番安全ではあろうけれど。
「そうですか……では、依頼と引き換えでしたらどうでしょう」
柔和な表情を崩さずにその方は言葉を重ねる。依頼。
「ここに来るまでに練武場があるのに気付かれたかと思いますが、そちらですこし試合って頂けたりはしませんか?」
「……アルゼイド流の方々と試合うには些か私の剣は我流が過ぎるかと思います」
提案された内容に少々困ってしまい、正直に返す。
百式軍刀術を習ったとはいえ士官学院生であった時も卒業してから今までも私は私の剣を磨いてきた。すなわち『生きるための術』だ。真正面から敵を切り伏せるのではなく、騎士の風上にも置けない戦術を当たり前のように使う。……まぁ、騎士ではないのだけれど。
必要なら剣を手放し拳や足を出すことを厭わず、相手の剣を踏み躙ることだって躊躇はもうしない。していたら自分が死ぬ。そういう世界で生きてきてしまった。礼儀も何もあったもんじゃない剣技だ。
決して卑下するわけではないが、そのようなものにアルゼイド流の方々が学ぶことなどあるだろうか。以前ラウラさんとやった時とは意味合いが異なる。
「ええ、それを見込んでのお願いです」
ピリ、と空気がすこし張り詰めた。
この方も相当やる、というか私では到底及びつかない領域の達人だ。
「どのような経緯があったとしても、貴方様はその剣で生きてこられました。そういう剣を知るのも我が流派の人間にとっていい刺激になるでしょう」
我が流派。アルゼイド流の師範はもちろんヴィクター・S・アルゼイド子爵閣下なわけだけれど、執事という立場でそう表現をするのであればこの方は師範代の位を頂いているのだろう。
なるほど。型を知るのは大事でありつつも、型ばかりで鍛えるのも良くないという話だ。結局のところ型を学び修練するのはそこまでに培われてきた技術を体に叩き込むためのものであり、それは結局強くなることへの手段であると。手段が目的になってはいけない。
無論、強くなるためとはいえ見失ってはいけないものもあるのは確かとしても。
「……戦術オーブメント使用禁止、軍式訓練ルール適用でよければ」
軍式訓練ルール、すなわち急所攻撃禁止・降参承諾・得物自由・戦技可という内容だ。
さすがに殺害はしたくないしされたくない。まぁ、意図的にするとは微塵も思っていないけれど一応契約内容に盛り込んでおくのは大事だろう。しかしこれは騎士の矜持を重んじるための戦いをするつもりはなく、あくまで外部の人間として剣を交えるという意思表示になる。相手がそれを重んじることを止めはしないが。
「ありがとうございます。試合は一対一の認識でよろしいですか?」
「……可能であれば三対一で組むことは可能ですか? もちろん私が一です」
アルゼイド流の者であっても複数人だろうと相手にはならない……なんていう軽んじた発言では無論なく、すこし確かめたいことがあっての提案だ。実のところ前々から考えていたので、戦闘で使えるかどうかというのを命の危険がない状態で試せる機会は逃せない。
そして意図は上手く伝わったようで、ではそのように、と。
そんなわけで子爵邸にしばらくお世話になることが決定し、今は応接間にて運ばれてきた紅茶に口をつけお茶請けの焼き菓子に舌鼓を打っている。
しかし……随分と簡単に乗せられてしまった。たぶんラウラさんの紹介で訪れた客人をもてなすことも出来なかったとあらば執事殿の名折れとなるのだろうけれど、それでもこちらに実利のある提案を即座にすることで罪悪を抱かせないという手腕は見事の一言に尽きる。
情報取得はともかくとして、やっぱりそういった手管はまだまだだから見習いたいなぁ。とはいっても完全な嘘をつくのは苦手だしリスクもあるから、嘘ではないギリギリのところをどう表現するか、という方向になりそうだ。
思考を切り替えるために応接間の窓へ視線をやるとレグラムを囲む森は昼間でも薄靄がかっていたけれど、ぼやけた輪郭はしかし水彩画を思わせるようでうつくしかった。
1206/04/29(土)
元々の私の用事を伝えたら子爵家所有の導力ボートを用意してもらえることになったので、定期船が到着する時間からズラした早朝に桟橋から乗り霧がかる湖面を走っていく。
この辺り一帯は基本的にいつもこういう状態らしく、見通しが利きづらいのだとか。出立時に心配はされたけれど、ローエングリン城を視覚的にも霊視的にも見落とすことはなく無事に到着した。
「雰囲気あるなぁ」
用意してもらったサンドイッチの入ったバッグと共に装備を確かめ古城の扉を開く。ひやりとした空気が流れて来はしたものの、霧けぶる湖の畔に建つ城だというのに黴臭さといったものは殆どなかった。水気が絶えない筈だというのに。
軽く息を調え、城の中に。
霧に囲まれ石造りの城は外気温よりもずっと低く、折っていたコートの袖を下ろすほど。こつりこつりと歩いていくブーツの音が響き、想像よりもずっと静けさを強調する。
大広間の中心点で立ち止まり霊脈を手繰ると、ずばりこの城は近辺の結節点に当たるようで反射的に情報の流入を制限した。────深呼吸、ひとつ。改めて周囲を探ると城の立体図の把握と一緒に気になる場所がふたつほど浮かび上がってくる。
城の天辺と、城の地下。天辺は二年ほど前にVII組が特別実習で異常動作を起こしていた鐘だろう。レポートで描写されていた場所と相違がない。とくれば地下は……例の紋様が刻まれた扉か。
一先ず鐘の方を見にいくかと足を動かす。
確か特別実習の時は夜に乗り込まねばならず、鐘が鳴り響く中で青白い障壁が展開し敵性霊体と対峙しながら先へ進んでいくしかなかったのだったか。幸か不幸か現状そういった超常現象も横槍もなく、ひやりとした空気が肌を撫でるだけで問題はない。
些か階段の一段一段が現代人にとっては大きすぎる気もするので、中世の人は私たちよりも体が大きかったのかもしれないな、なんてことに思いを馳せながら歩いて行った。
既に家具のような調度品類は全て撤去されており、人が出入りすることなど滅多にないのが如実に伝わってくる。それでもどうしてか不思議と──まるで主の帰りを待っているかのように穏やかな眠りに包まれているような気配もあるのだ。
けれどローエングリン城の主人とはすなわち250年前にあった中世最大の内戦の際、ドライケルス帝の横に立ち獅子奮迅の働きを見せたと語り継がれる救国の聖女、リアンヌ・サンドロット殿その人であり、無論現代であれば故人となる。
子爵閣下やラウラさんのミドルネームとして刻まれている"S"はサンドロットのもの。それだけ偉大で、勇敢で、聖女の名に恥じない高潔さを持っていたのだとか。
……とはいえ、ある意味ではたった250年前で、そこから治世も安定していたというのに、サンドロット殿の最期については諸説あり、討死だとも病死だとも暗殺だとも囁かれ、埋葬された記録はおろか物理的な墓なども見つかってはいない。どうやら歴史研究家の間ではもっぱら議論の的らしい。
いろいろ文献が不足しているせいか、妖精に育てられた、なんていう与太話まであるほど。
────だからもし、本当に救国の聖女が人ならざるものであり、生きていたとしたら?
VII組が迷子を探しにここへ立ち入り絶体絶命に陥った瞬間、結界を構築する宝珠を穿ったのは人間の身長大ほどもある馬上槍だった、と。そして救国の聖女は──別名、槍の聖女とも呼ばれる。鉄騎隊を率い、馬上戦闘を主とした彼女はまさに槍を得物として携えていたのだとか。
荒唐無稽だ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。まだ200年前に人を襲ったとされる吸血鬼の方がリアリティがある。実在していたことが明らかな人物が、よもや人間ではなく今も生きているだなんて────と一蹴出来たらよかったのに。
人と建物は時間の感覚が全く異なる。調度品が撤去され100年200年経とうとも、数年前に主人が姿を見せればそれは揺るぎない真実となる。我が主人の帰還だと歓喜に打ち震える。そうしてまた眠りにつくのだ。
いわゆる人間と呼ばれる種は、たかだか70年も満たせず死ぬことを理解出来ずに。
そういった時間がここには流れている。長く愛された建物で深く呼吸ができる気がするのもそのあたりが理由なんだろう。今までの自分なら何となくでしかわからなかったけれど、霊脈に刻まれた城の感情が私にそれを教えてくれる。
彼が、どれだけ主殿をすきだったのかまで含めて。
そんなこんなで寄り道もしながら最上階に辿り着いてエベル湖を一望出来るテラスへ出れば気持ちのいい風が吹き、左手の方には細長いレグラムの町が見えた。
槍の聖女の死後、サンドロット家は断絶する。彼女を敬愛していた鉄騎隊の副隊長であったアルゼイド殿はその魂を弔う為にここに町を興した。きっと、この風景を残す意味も含めて。
この地に残る残滓に心を寄せながらもお腹が空くのを感じて座り込み、持たしてもらったサンドイッチの紙包みを鞄から取り出す。
包みを開いて見えるは猪の分厚いステーキが挟まれたものと、レタスやキュウリなど野菜をメインにしたもの。どちらも美味しそうだし栄養バランスも良さそうだ、と感謝しながら風光明媚な景色を独り占めにしつつお昼を過ごした。
休憩も終え、来た道を辿りながら今度は地下の方へ。
こちらの方は大広間まで戻れば直ぐに該当地点に辿り着き、確かに実習レポートにあったように旧校舎の地下に刻まれていた四つ花弁の紋様が大きくそこに残っている。扉ではある、ようだけれど、表面に触っても何も起こらない。
ひやりとした石の扉。四つ花弁の紋様。もしかしたらここにも騎神が眠っていたのかもしれないと考えながら額をつけ瞼を閉じる。壁の向こうに空間はなく、とても密度の高い何かで埋め尽くされている。つまりそこに8アージュ前後ほどの何かがあるかと問われたらNOだ。少なくとも私には捉えられなかった。
額を離し、扉を見上げる。私が来た時から変わらず静かにそこにある。この紋様は私に囁きかけはしないのだ、なんて思考を落としたところで、唇を噛み、嗚呼そうかと腑に落ちた。
わたしは────騎神の起動者になりたかったのかもしれない、と。
クロウの横に立って、クロウと同じ目線でものを見て、そうして、理解出来なくとも共にありたかったと。救けたかったと。その命を拾い上げられたらと、そんな、どうしようもない願いを抱えていた。
たとえ万が一、億が一、奇跡が起きて騎神の起動者になれたとしたって意味などないのに。そしてそんな私情極まる想いに応えてくれるなぞありようもないとわかっているのに。
こんな考えはクロウの心を、リィンくんの絆を、そして何より騎神の方々を愚弄している。
自分の愚かさに思考を灼きかけたところで、城の中へ誰かが入って来るのを感知した。瞬時に切り替え走査する。どうやら人間と小動物が一対……あ、これ知ってるペアだ。
気配が真っ直ぐこちらへ向かって来るので多少表情を繕って待っていると、階段の上から姿を現したのはやはり。
「……セリ先輩?」
「あら、ほんとね」
巡回魔女として各地を回っているエマさんと、彼女の相棒である黒猫のセリーヌさんだった。
「クラウスさんから滞在している人がいるとは聞いていましたが、まさか先輩だとは思いませんでした」
「エマさんは今日の朝の便でこっちに?」
「はい。パルムからの街道を経由しながら東に来ました」
「……あれ、じゃあもしかして分校と入れ違い?」
私がパルムで会った面子にエマさんはいなかったし、もしタイミングが合っていれば彼女だって迷いなく彼らの力になったことは想像に難くない。
「お察しの通りです」
「とはいえ、アタシたちもやらなきゃいけないことがあってね」
帝国の霊脈がわずかに、しかし確実に乱れ始めているから各地の巡回魔女の方々はそれを鎮めるためにそこそこ忙しくしている、というのは聞いていたのでさもありなん。
「アグリア古道の方に精霊窟……地精と呼ばれる私たち焔の魔女と対をなす一族が七耀脈の上に築き上げた場所があるんです」
「ああ、丘の上の石碑がある辺り」
妙に気が集まっているのに廃村跡地のように特に何かが起きているようでもないから不思議に感じていたところだ。
「そうです。騎神の外殻に使うゼムリア石の結晶を採掘する場で、通常は隠されています」
「となると……騎神は魔女と地精の合同作品なんだ」
地精────帝国の伝承を調べていれば時折出てくる精霊の名だ。太古の時代、人に『鋼』の知恵を授けたと伝えられ、伝説に登場する英雄たちは必ずと言っていいほど彼らが鍛えた武具を手にし試練を乗り越えている。魔女殿たちと同じく伝承上の存在。
しかし魔女が騎神を造り上げたにしては技術的に不可思議なところが多すぎると思っていたけれど、別の一族が絡んでいるというのなら納得する。ハードウェアを地精が、ソフトウェアを魔女が担当したといったところか。
「そういうこと。それで精霊窟や、騎神が納められていた場所をちょっとね、エマとアタシで確認して回ってるの」
「……大変だねえ」
ひやりとした扉に手を当て見上げながら落ちたのは、全く気の利かない凡庸な言葉だった。
「地精は800年前の接触を最後に私たちと交流を絶っています。もし彼らの足取りがわかればと思っているんですが、中々……」
はぁ、と杖を握りしめたエマさんは少し肩を落とし、真珠のピアスが所在なさげに揺れた。
地精。技術に特化した集団と言い換えるのなら、例のルーレに店を構えるジャッカス氏が話してくれた黒の工房とやらと正直共通項があるような気もするが、知っている情報だけをつなぎ合わせるというのは一番やってはいけないことだ。世界はそこまで狭くない。
「それで、セリこそどうしてこんなところにいるのよ」
「私は……まぁ、史跡巡り、みたいな」
霊脈を辿る旅といえば何だか聞こえがいいけれど、そもそも私は伝承というものを読み解くのが結構好きだったりする。だからつまりこれは情報収集にかこつけた趣味満喫旅と言えなくもない。
「ふぅん? ま、あんまり無茶するんじゃないわよ」
ぶっきらぼうに見えて心配しているのがわかるセリーヌさんの言葉に、なるべく善処します、と頷いておいた。
「しかしそれにしても……皇宮の地下に緋の騎神、トールズの地下に灰の騎神、そしてローエングリン城にそれらしき遺構っていうのはまるで、獅子戦役に騎神が関係していたみたいな状態だね?」
ちょっと誤魔化すように冗談めかしてそんな話題を振ったというのに、見えたエマさんとセリーヌさんの表情はそれを冗談と受け取ってくれたような色では全くなかった。
「……先輩、その通り250年前の戦いにも騎神が参加していたと言ったら信じてくれますか?」
至極真面目にエマさんが言う。私はきちんとその言葉を受け取って思考に沈む。だけど出てきた結論は決してそれを肯定出来るものではなかった。
「いろいろ不明瞭なところもあるとはいえ、たかだか250年前の歴史書に騎神の存在が一切現れていない以上それは無理筋だと思うけど……」
どれだけドライケルス帝が偉大だとしても箝口令というのは容易くない。訓練されている軍人だけであるならばいざ知らず、民の命が失われ続ける戦乱の世を憂いたからこそかのドライケルス皇子とサンドロット殿は立ち上がったのだ。そういった中で騎神のような伝承に連なる存在が戦場を駆けていたならば必ずどこかしらに記述が残されて然るべき事柄だろう。
「無理筋というのはわかりますが、しかし騎神というのはそもそもそういう存在なんです」
曰く、騎神というのは元々《巨いなる力》と呼ばれる存在の欠片であり、それらは運命によって引き合わされ、幾度となく争ってきた。けれどそうした事実はやがて人々の記憶から消え去り、そんなものは最初からなかったかのように修正されていく。
世界は、そういう風に出来ているのだと。
「そして魔女……焔の魔女の本来の役目は、その巨大な仕組みと流れを見届け、必要であれば介入します。そうやってこの国はずっと続いてきました」
「それが魔女が騎神へ起動者を導く理由に繋がるわけか」
「はい」
クロウにとってのクロチルダさん、リィンくんにとってのエマさんのように、ドライケルス皇子やサンドロット殿にもそういった存在がきっといて、しかしそれは歴史の闇に葬られている。ほんの僅かな存在にしか知られず、記録もされず、記憶すら改竄され、ただただ世界を保つために静かにそっと支え続けている人たちがいた。
それはとてもかなしいことだと私は思った。
「……じゃあ、そうなると私はいつかオルディーネのことを忘れてしまうんだね」
「おそらく、ですが」
ぎゅっと、エマさんが苦しそうな顔をする。
灰の騎神の準起動者であるVII組の人たちはきっと記憶を保持していられるのだろうけれど、私は単に、起動者であるクロウの人生とほんの一瞬交わっただけの人間だ。
その事実は結局自分がその運命の輪の外にいるのだと嫌でも思い知らされる。……別にエマさんが悪いわけじゃない。誰が悪いわけでもない。
世界が本当にそういう風に出来ているのなら、それはもう、女神さまの領域だ。
「そっか」
むしろ対面で伝えてもらえてよかったと思おう。そうでなければきっと、無様に泣き出してしまっていた。ただ、ただ、ひたすらに、先輩という矜持だけで私はこの場で膝を折らずに済んでいる。
「教えてくれてありがとう。きっとこのことも忘れてしまうんだろうけど。……でも、折角クロウが戦場で独りじゃなかったんだって思えてたのに、そこは残念かな」
軽い風情でなんてことないように少し笑って、心を閉じ込める。
史跡巡りをする身としてはオルディーネとのささやかな交流はそれだけで私にとって価値があるのに、世界がそれを認めてくれやしないというのは、正直、辛い。だけど。
彼女に『伝えなければよかった』なんて思わせては駄目だ。次にそういう情報を伝える際に躊躇われるかもしれない。そんなのは私の望むことじゃない。未来にあるかもしれないもっと大事なことのために、この感情を軽んじよう。今の自分ならそれが出来るから。
「エマさんがそんな顔しなくていいよ。いつの間にか彼のことを忘れてしまうんじゃなくて、忘れてしまうことを悲しむ時間を貰えたのは本当に嬉しいから」
今はガレリア要塞にいるとのことだけれど、もしかしたらそれこそいつの間にか記憶から消え失せ、保管されているという記録も失くなり、また海都で眠り続けるのだろうか。次の起動者を待ちながら。
そしてオルディーネに関する記憶が薄れるということは、クロウが蒼の騎神を駆って世界を救う一端を担ったなんていう事実も私の中から消えると同義で、どういった形で心の中に収まるのか。怖くないといったら嘘になる。私の記憶は私だけのものなのに。誰に奪われていいものでもないのに。
それでも、きっと、どうしようもない。どうしようもないと諦めるのは上手くなったんじゃないかな、なんて、皮肉が頭をよぎっていった。
1206/05/02(火)
クラウスさんからの依頼に関する準備が整ったようで、昼過ぎに練武場へ、という昨日の言葉通りに向かった先には私と試合ってくれるのだろう三人の男性が奥にいた。得物は片手剣・大剣・両手槍。
エマさんには立ち会いをお願いしたので私についてきてくれている。動物ということもあって彼女の腕に抱えられてはいるけれどセリーヌさんも一緒だ。
装備は既に整えてあるためそのまま中央へ。稽古場へ入る前に一礼し、互いに歩を進める。
目の前にいる三人の方に動揺は見て取れないけれど、見学の方々の場所からは懐疑的な視線が飛んできているのがわかった。人数的にも、得物としても、性差もあってあからさまな不利状況。私からの申し出だというのは周知されているだろうので、人によっては馬鹿にしていると取られても仕方がない。
それでも私たちはそれを無視し、各々武器を構え、審判であるクラウスさんの号令を待つ。
「────始め!」
白い手袋がはまった指先が落ちると共に私は脚に力を込めた。
こちらのお願いを聞いてもらって多人数戦にしてもらったのだから、出方を窺いすぎて結果つまらない試合、なんてことにはさせない義務が私にはある。
さぁ、それじゃ目一杯楽しもう?
剣で大剣の重心を崩し切り上げ、その勢いで回転し後ろから突撃してきた槍の穂先をダガーで打ち落とす。視線が下がったのを見計らってか死角から片手剣が振り下ろされたけれど特に問題もなく回避し切って距離を取った。
取り敢えず現状、半径30アージュの物事だけに集中すればいい状況というのは自分にとって大変都合がいいというのがわかった。奇襲もなく、増援もなく、視野上の死角はあれど知覚上の死角はない。集中も過ぎれば毒だが今のところは頭痛の気配もない。
だけどやっぱり、決定打がない。
煌魔城の時はそれなりに大型複数種相手でも戦えていたし、ある程度は倒せてもいたけれど、いま考えると火事場の馬鹿力に加えて煌魔城が集める霊力を掻っ払って動いていたのかもしれない。
野党の類を討伐することもあれど完全に一人一人闇討ちすることになり時間効率が悪いというのも確かで。
「……」
向こうもこちらも有効打が打ち込めない。……とくれば、有効打を打ち込めるようにするしかないわけで。
調息をしながら汗を拭い、向こうの呼吸のリズムが異なった瞬間、地面を蹴り距離を詰める。狙いは大剣。鋼は硬いがしかし決して脆い部分がないということではない。確かに最上の技術で造られた武具は均整が取れていて、物質としての隙を見つけるのはものすごく難しい。しかし一般流通しているレベルのものであれば────たとえRFアームズ製であっても"それ"はどうしてもどこかしらに発生する。
「……っ」
片手剣を捨てダガーに体重を乗せ、防御に回された大剣のたった一点に体重を全て乗せ穿つ。果たして、鋼は破砕する。極東の剣術を修めた達人であるのなら鋼を一刀のものとに断ち切るともいうけれど生憎そんな芸当出来ようもない。しかし壊すというのは暴くに通ずる。であるのならばそれは私の領域だ。
と言っても大剣破壊により戦闘不能に追い込み、加えて戦闘者の体勢を崩し馬乗りになってそっ首にダガーを触れさせたとしても、相手は複数人のパーティだ。私の背中に切っ先が突きつけられるのも道理となる。素早く動こうともどうしても一瞬が必要となり、密着している相手から離れようとすれば相手の武器との距離を縮め、武器から離れようとしたら足を掴まれ逆にこちらが戦闘不能になり得る。
だから────勝った、と思っただろう。
「なっ、ん……!?」
霊絡干渉。
今はまだ精神的に隙が出来た相手にしか成功率は高くないけれど、それでも条件さえ整えられたら彼らは身動きひとつ取れなくなる。研鑽すれば操れるようにもなるかもしれない。そう、1203年に食らわされたあの古代遺物の精神干渉のように。あの時の感覚を参考にしたわけだけれどまさかここまで綺麗にハマるとは嬉しい誤算だ。
そうして驚愕に満ちた声など気にせず、ダガーの持ち手をくるりと回転させ柄の方でまず寝転んでいる相手の胸を軽く叩く。そうして何の障害もなくゆったり立ち上がり、武器を構えたまま何が起きているのか理解出来ていないであろう二人の胸もまた、それぞれ順番に柄で叩いた。
穿った心臓は三つ。
ダガーを仕舞いクラウスさんに視線をやれば静かに頷かれる。
「勝者、セリ・ローランド殿!」
その判定を聞き届けて私は干渉を解いた。するとまるで信じられないものを見たかのような表情をされつつも、剣を拾いお互い中央に戻って握手をし健闘を讃え終える。
稽古場から降り、クラウスさんを交えながら暫く感想戦をしたところでお昼の鐘が鳴り、それじゃあとりあえずこれで、とエマさんのところへ近づいて行く途中で一瞬足が止まった。
……頭が痛い。さすがに三人を数十秒とはいえ拘束し続けるのはちょっと無茶だったらしい。それでも命のやり取りをする最中で一瞬でも拘束できたのならそれは活路となり得るだろう。今度は発動条件と発動速度を高めていこう。
そして本来であれば疲れていることを相手に悟らせることもないのにわざわざ汗を拭うのを見せたのは、相手が疲労している、と相手の無意識下に刻み込むためだった。打っていた布石がきれいに回収できるのは気持ちがいい。
「お疲れ様でした、先輩」
「アンタ、ほんっとうに無茶するわねえ」
エマさんの労いと、セリーヌさんの小声な嗜めに、あは、と苦笑をこぼす。ここでは人目につくからと練武場を出て外のベンチへ案内し全員で座った。
肌を撫でる涼しい風が火照った身体にはぴったりで、そよそよと身を任せる。
「立ち会いをして欲しいと言われた理由がわかりました」
「あんなの普通なら何をされたのかも分からないでしょうね」
実際、古代遺物に精神干渉されたとき私は何も分からなかった。意識を取り戻した後だって何をされたのかすら理解出来ていなかった。ただガムシャラに目の前の敵を倒すことだけを成して、それだけ。魔術も導力魔法の素養もなく、ただわかったのはあの古代遺物が仲間に害を齎す存在だということだけだった。
そんな自分が、人と関わることを極力避けていた自分が、相手の裡へ強制的に刃を捻じ込む戦術を取ることになろうとは人生というのは不可思議に満ちている。
「魔女の方から見てどうだった? 発動に無茶があるとか、歪みがあるとか、そういうのがあれば遠慮なく教えて欲しいのだけれど」
動きを止めるのが主目的であり、意図なく精神を破壊する可能性があるのならそれは私の技術不足による事故だ。低練度で人を殺しました・壊しました、だなんて言い訳にもならない。
「結論から言えば……とても綺麗でした。セリーヌは?」
「そもそも生物が生物に干渉するっていうのはお互いの自我もあってすごく抵抗値が高いはずなんだけど、するする入っていってたわよ。あれなら解除すれば後遺症もないでしょ」
その言葉にホッとする。
何が無茶で何が無茶ではないのか、霊脈・建物・土地など非生物以外から始めて加減を(ほぼ強制的に)身体に覚え込ませてもらったわけだけれど、その感覚は生物にもきちんと適用出来ていた。もちろん他者に行使する前に自分や魔獣にもしていたわけだけれど、それでも怖いものは怖いし、その怖さには慣れないでいようと思う。
「あと途中で武器を壊してたけど、あれも応用よね?」
「うん。でもあれは武器の……というより素材自体の脆いところを突いただけというか」
出来る人は私のような能力がなくてもやってのけるだろう。技量によっては木材の折のように脆い部分が見え、破壊可能ポイントが広いということもありそうだ。
「……戦闘中にそれを見つけるだけでなく、極小だろうそれを動きながら精確に突くってだけでだいぶ人間辞めてるわよ」
「それでも上には上がいるからねえ」
人のかたちを成していながら、それでも人非ざる存在であるナニかを見てきてしまった。そういった方々がこの世にいるというのを認識してしまっている以上、どれだけ鍛錬を重ねたって私は所詮一般人の枠組みからは外れない。
しかしそうであっても、それが歩みを止める理由になりはすまい。
私の返答に不穏さを覚えたのか、金に翠がかったセリーヌさんの綺麗な瞳が私を見上げてきたのでゆるやかに小さな頭を撫でさせてもらう。ふわふわの毛並みの向こうから生き物特有のあたたかさと鼓動が伝わってきた。
「大丈夫。まだ死ぬ気はないから、過度には使わないよ」
これに依存していたらそれこそ鈍ってしまう。それでも使わなければ衰えてしまう懸念もあるので一切使わないなんていう約束は出来ないし、この身を惜しんで目的を諦められるほど自分の聞き分けがいいとは全く思わない。効率的に物事を進められるのならそれはそれで生存率に直結するから多少は多めに見て欲しいものだ。
「……ほんと、人間ってバカばっかりね」
呆れたように呟かれ、エマさんと二人で顔を見合わせ苦笑いをこぼす。
そうして昼食の用意が出来たと知らせるメイドさんの声に立ち上がり子爵邸の方へ戻ることにした。
今日のご飯はなんだろうな。