レグラムでのあれそれを終え、エマさんもクロスベルに行く予定だと言うのでまぁお互い前衛後衛で組み合わせも良いこともあってのんびりのんびりと(文字通り)バイクを転がしながら徒歩で北上して行く。荷物がなければ後ろに乗せられたけれど仕方ない。
途中でバリアハートにも寄り、ユーシスくんの顔が見られるかもと公爵館を訪れたけれど生憎忙しくしているようだったので執事のアルノーさんに言付けを頼んで後にした。
VII組の人たちはいつかまた全員で会う約束しているようで、その日がこれから何度も果たされたらいいと勝手ながら祈ってしまう。
1206/05/13(土) 朝
「思ったより時間取られたねえ」
「はい。帝国からクロスベルへ入るにもこれだけ時間がかかるなんて」
陸路なこともあってガレリア要塞の通行路を使いベルガード門で多少待機を命じられるかなとは思っていたけれど、まさか一日以上留め置かれるとは思わなかった。不幸中の幸いといえば宿泊所のご飯がお肉たっぷりの鍋で食べ応えがありつつも美味しかったというところだろうか。
と、現実逃避思考をし始めても軍事的要衝で共和国との小競り合いも各地で絶えないとはいえすこしばかり物々しすぎるのに変わりはない。
関連性がありそうなことといえばつい先週、再建されたガレリア要塞で閲兵式が行われた。そして我らがトールズの学院長で名誉元帥であったヴァンダイク殿が学院長職を退任し、現役復帰したという話はこちらの世界ではかなり取り沙汰されており、今回の式は双方のお披露目といったものである見方が強い。その上で共和国側にあるタングラム門の方が急ピッチで改修工事をされ貨物路線も直通延伸したともなれば。
「……何か気付く点とかありますか?」
「なくはないけれど、推測に推測を重ねているからはっきり口にするわけにはいかないかな」
鉄路延伸。要塞改修。厳戒体制に近しい現状。その他、空気感諸々まで合わせれば何となく話は見えてくる。
すなわち、ガレリア要塞に設置されていた列車砲、あるいはそれに準じた要塞武装が納入されるのではないか、と。そして重要納品に合わせてRFグループ会長であるイリーナ氏が視察に来る可能性も見える。しかしいかに大企業といえど個人に合わせた警備ではない。
加えてたとえ軍事機密といえど列車砲レベルのものを運ぶのに完全隠密はしづらかろうし、仮に隠密で配備しきれたとしてもそれが露呈したならば今までその砲門が向けられていたクロスベル市民の不安感情を煽ることに他ならない。であればあくまで『守護』を目的としているとして堂々と運ぶほうがまだいい。その上でどうしても払拭は出来ない物々しさを軽減するために帝国政府が使える手札といえば────嗚呼、なるほど。
どうやら政府の方は本当に未成年を使うことに躊躇はないらしい。無論、皇族であれば内政に携わるというのはほぼ義務である。やらなければならないことは多く、たとえ雑事を他がこなしたとしても皇族の方が直々に行わなければいけないことなど山ほどあるのはわかっている。
それでも、侵略した土地の慰問にあの心優しき皇女殿下を派遣するというのは、やはり理解は出来ても納得したくはない。
全くもって鉄血宰相殿というのは頭の切れる御仁だ。最小の労力で最大の一手を打つ。噂ではルーファス総督の写真集が出るとかで、そういう人気も獲得しているのだとか何とか。忙しいんじゃないのか。……いや、公務の合間にそういうことをやっているから忙しいのか。ユーシスくんが知ったら頭を抱えそうだと思ってしまう。
「ユーシスくんって本人が思ってるよりずっと苦労人だよねぇ」
「……会話のつながりはわかりませんが、それは私も思います」
ふんわりしすぎた会話をしながら、私たちはベルガード門を出発した。
まぁさすがにエマさんはバスに乗せ、私はそれをバイクで追いかける形にはしたけれど。
そうしてお互い行動スケジュールが異なるため龍老飯店の一人部屋を別々に取って解散を。
気になるところは多々あるけれどとりあえずバイクで東クロスベル街道へ向かい、タングラム門の方にでも行ってみようか。途中で止められるかもしれないけれどその時はその時だ。
一応前に軽く帝都へ寄った時に例の情報局少佐から特別許可証なるものを押し付けられているので合法的に中へ入ることは出来はするものの、使う気は今のところあんまりない。
まぁ見るだけ見るだけ、と木々が植わり多少整備されつつも道の端は雑多に繁茂する街道を歩いていくと、丘の向こうに鋼鉄の建造物が見え隠れするようになってきた。前はこっちの方へ来ることはなかったが、組まれている足場などから考えると元より随分大きく変貌しているようだとわかる。それこそタングラム要塞と言い換えても不自然ではなかろうと思うほど。
そろそろかな、とバイクを停めころころ転がしていくと帝国軍の色合いとなる紫の軍服を身に纏い銃を担いだ男性二人が見えて来た。
「止まれ!」
気にせず暫く歩いていると指向性のある怒号が耳に入ってきたので要請通り立ち止まる。
「これよりはタングラム門となり、一般人の通行は制限されている!」
「共和国への通行は許可証が必要となるため、未発行の場合は総督府へ行くがいい!」
やはり改修中の要塞に近付くなど出来るわけもなく、しかし案内は親切でわかりやすい。
通行証を発行した場合は門へ連絡が行くため、本日はそういった通行許可の話は降りて来ていないことから近付く人間すべてに総督府へという案内をしているのだろう。理に適っている。
「すみませーん、アルモリカ村ってこっちじゃないんですかー?」
すこし距離があるので両手を口に当てながら道に迷ったフリをして声をかけると、顔を見合わせたのちに一人が内ポケットを漁りながらこちらへやってくる。
そこから取り出されたるは丁寧に折り畳まれた紙。推定地図。
「そんな大層なものに乗るというのに重度の方向音痴か貴様。いいか、アルモリカ村へはここへ来る途中にあった分岐を北……戻る時に右手へ曲がれば到着する」
地図を示しながら説明したものの方角など言ってもわからないなと思われたのか言い直され、分岐にある案内板をよくよく確認してから曲がるんだぞ、と懇切丁寧に送り出されてお礼を言ってから来た道を戻っていく。
……案外ピリピリしていないというか、拍子抜けしてしまった。発砲はされないとたかをくくりつつも銃を突きつけられる程度の覚悟はして行ったというのに。あからさまに戦争の準備をしているのに兵士はその気配を感じていないなどあるだろうか。何だか認識をズラされているような気味の悪さがある。
うーん、と悩みながらも言われた分岐まで戻って来ることが出来たので今度はアルモリカ村の方へタイヤを向けることにした。
バス運行が定着しているからか平素人通りがあるような痕跡もなく、途中にあった休憩所のような場所はすこし荒れてしまっており勝手にもすこし寂しさを感じてしまう。まぁそれでも完全に放棄されたわけではないようで自動販売機とかは稼働していたし、ある程度メンテナンスもされている様子だったけれど。
そのまま走っていると草木がこすれる穏やかでのんびりとした風が頬を撫でていく。
帝国と共和国によるかつての戦場跡がそこかしこにあるというのに、意識しようとしなければまるでここが最前線になり得ることなど忘れていられるかのようだ。それでも門をひとつ抜ければそこは共和国軍が展開するタングラム丘陵に続いているというのに変わりはなく、言ってしまえばノルドよりもずっと戦線に近いはずなのに。そういう気配が妙に希薄なのは総督府の成せる業なのかそれともそういう空気に気が付けないよう何かが散らしているのか。
どうも、腑に落ちない。
簡単には拭えない違和感を抱えながらも車道に沿っていれば目的地に到着はするというもので、小さな民家が立ち並ぶ場所が見えてきた。
アルモリカ村、と掲げられた看板近くの駐輪場にバイクを停めふらふら村の奥へ進んでいくと、柵の向こうに広がる一面のレンゲ畑。ピンクの海と言っても差し支えないほどに見事に咲き誇る姿から、途中から香っていたのはこれらだったのかと合点がいく。自分が知っている春の匂いとは異なるそれ。
「見事でしょう? ちょうど今の時期が見頃なんですよ」
柵を掴んで覗き込んでいたら後ろからそんな声がかけられた。振り向いてみると身なりが整った年配の婦人で、村長殿かあるいはその伴侶の方といったところか。
「はい、とても綺麗ですね。たまたま立ち寄ったのですがよいものが見れました」
「このレンゲ畑で採れた蜂蜜が村の特産品なの。よければそちらもどうぞ」
フフ、とにこやかに笑う婦人にお礼を言ってまたレンゲ畑の方を見やる。
養蜂、と一口に言ってもこれだけの花畑を管理し維持し巣箱を見回るというのはそれだけでも相当な労力だろう。加えて蜂蜜というのはそれこそ蜂が蜜を採取する花の品種はもちろん、花自体のコンディションや蜂の健康状態によってもだいぶ味が変わってくるが、そこはそれ。特産品ともなれば味の均質化から逃げてはいけない。
森林業を多少かじった程度ではあるけれど、それでもあの国際情報都市であるクロスベル近郊にありながらも一次産業を丁寧に大事に守っていく努力というのは並々ならぬものだと思う。どうかこの風景がこれからも保たれますように、と自分の立場で願うのはあまりにも愚かしいかもしれないが。
と、そんな無駄に自罰的であってもお腹は空いてしまうというもので、基本バイクで走っていたとはいえタングラム門へ寄ったこともありお昼から少し過ぎてしまっている。空腹にお腹を叩かれながら村の中央まで戻るとトネリコの樹が描かれている吊り看板の宿酒場があり、入口のメニューボードにはオムライスの絵がかわいらしく鎮座していた。
「いらっしゃいませー」
扉を開けるとドアベルの音に反応した若草色の髪の女性が入店の挨拶とともに席へ案内してくれる。奥まったところにあるテーブル席で、図らずとも店内が見渡せる場所。席に置いてあったメニュー表を眺め、オムライスとミネストローネにミニサラダをつけて蜂蜜ジンジャーエールを、と注文を終え頬杖をつき瞼を下ろして店の喧騒に意識を傾けた。
畑の育成状況の話、ここで何を買うかどこへ向かうかといった観光相談、総督府からの助成金について、隣の家の猫が子どもを産んだとかまで、いろんな話題が飛び交っている。それなりにガードを厳しくしないといけないだろう話までこんなところで聞けてしまうのだから、緩いなぁと瞼を上げた。
「お待たせしました! ごゆっくりどうぞ」
卓に並べられる卵色が期待を加速させるオムライスに、野菜の美味しさがたっぷり取れるミネストローネ、ミニサラダの葉物のシャッキリ具合は素晴らしく、そして特産品の蜂蜜を使っているジンジャーエールも色がとても綺麗で思わずそれだけで嬉しくなるほど。
冷めないうちに頂こう、とカトラリーを手にする。うん、美味しい。
1206/05/14(日)
休日の市内は混み合うので今日は星見の塔へ行くことにした。
朝食を摂ってから部屋でしっかり武器の確認をしつつ昨夜のことに思いを馳せる。
アルモリカ村から戻り、仮眠を取ってから人気のない夜のうちにとオルキスタワーを眺めに近付いたけれど、あれもやっぱり魔導関連の何某かなのだろうと確信を持つに至った。クロスベルの霊脈の中心に建造されているというのもそうだけれど、その霊脈に軽くアクセスしようとしたら防壁のような抵抗があり弾かれたというのが大きい。
その防壁を打ち破る労力やメリット・デメリットすらもわからない以上そのままにしておくことにしたけれど、超高層建築物特有らしい構造的立入禁止区域というあからさまな空白部分に霊力が集められていることだけは把握出来た。
元々あのタワーを造ったのは国際銀行であるIBCのディーター・クロイス元総裁であり、西ゼムリア国際会議の会場ともなった場所。クロスベル自治州の独立宣言を果たし、帝国が内戦で荒れる直前に独立国騒動を起こし帝国に対する敵意の引き金を引いた人物……というのが表向きの話。
実際のところ氏はこの地に根付いていた錬金術師の末裔で、娘のマリアベル・クロイスと共にその技術を使って霊力を吸い上げる機構を堂々と建造した結果があのオルキスタワーとなる。その吸い上げた霊力でガレリア要塞を一瞬にして半壊にするという超常現象を引き起こしたというのが真実のようだ。
────そしてそもそも、今のクロスベルは都市自体が魔導科学の産物とも言われている。クロスベルの地下に無数に張り巡らされているメンテナンスアイル・通称ジオフロントはこの地の霊脈と接続する形に転用されており、建築学的見地のみで言えば行き当たりばったりのようにしか見えないのだとか。
それでも実際のところはクロスベル全土から霊力を吸い上げ溜め込む機構が成立しており、導力ネットワークもおなじように都市を網羅する形で構築されている。
つまりあれらは、クロイス家の集大成だったのかもしれない。
そんな場所が『今は帝国政府の手の内にある』というのがどういうことなのか。
まさかわからないまま使っているなんてことはあり得まい。表向きの設計図には載せられてはいないだろうけれど不明瞭な部分があるというのは明白で、それをそのままでいられるほど愚鈍な性質であったのならこの十数年でこれほど帝国の版図が拡大することなどなかったはずだ。
そして、霊力と導力というのは本質的には似ており、やろうと思えば大型の導力器を霊力で動かすことも可能だとエリンの里で聞いた。つまり霊場が多数存在するクロスベルというのは、場を整えれば大型ジェネレーターが複数設置されたルーレにも似た働きが出来るということ。こっそり何かの工場を建造することも、やろうと思えば不可能ではない。
その事実の重ね合わせがどういう結論をもたらすのか。まだパーツは足りないけれど、帝国がどこへ向かいたいのかという目的地を知ることには近付けているだろう。
そう自分を鼓舞してから宿の人に挨拶をして外へ出る。今日もいい天気になりそうだ。
ウルスラ間道でバイクを走らせ、途中で森の方へ入る。暫し窺うような森林魔獣の気配が複数あったけれど自分たちが束になっても敵うモノではなく、またテリトリーを侵しに来たのではないと判断されたのか塔に着く頃にはすっかり消え失せていた。
北東にある大国戦争での古戦場、南東の湖にある湿地帯、北西の暗黒時代の僧院、南西の星見の塔。クロスベル市にあるオルキスタワー。
個々の繋がりは薄い……いや、皆無といってもいい。時代なども異なっている。けれどそれらすべてが霊場であるという前提を一つ加えるだけで大きな意味を持つ。地図に落とし込めば分かる人間にはすぐに伝わるほど。
そんなことを考えながら見上げた星見の塔は変わらず泰然としてそこにあり、何かを受け入れるわけではないが、拒むという気配もない。得てして純粋な力というのはそういうものだ。自然に人間が理解出来る意図などない。
「……」
以前この塔の内部で見かけた蒼い人影。決して生者の気配ではなかったと今でも断言出来る。しかしそんな存在がどうしてこの場にいたのかというのは、あの時の自分ではわからなかったろうけれど、今なら、あるいは。
「おっと、誰かと思えば」
塔の扉に触れ、解析を試みようとしたところで声がかかる。────人が、近付いてくるような前兆などあっただろうか。否。断じてない。まるで空間そのものから湧いて出たような。
ゆっくりと振り向くと、そこには。
「────!」
思わず顔を覆う、膝を折る、物理的に視界を遮断し気配感知といった類での外界の情報取得すらも極限まで制限する。それらを瞬間的に行うことで、ようやく、ようやく私はその場で意識を保っていられた。
数アージュ先に立っている、"アレ"はなんだ?人間ではない。人間であってはならない。まるで、見えてはいけない窓がそこに存在しているかのような。奇妙で、恐ろしくて、何の備えもなく霊絡感知をしたらが最後、私の精神が勝手に死んでしまいかねない。
「へぇ」
しかし私の拒絶とは裏腹に、相手は楽しそうに薄ら笑った。
コツリ、コツリ、死刑宣告のようにゆっくりと革靴の音が近付いてくる。そうして、ぐい、と喉をわし掴まれ上を向かせられると同時に両手を纏め剥がされ、視線が────合った。
「お前、視えてるな?」
色素の薄い瞳が私を見据える。否。否、否、否。紅蓮のような燃える視線がこの身を貫いて離してくれない。視線を逸らすことも許してはくれない。ほんの、まばたきすらも。
「前見た時は大したことなかったってのに、面白くなりやがったじゃねえか」
その言葉で僅かだけではあれど冷静さを引き戻し、ただひたすらに現世にだけピントを合わせるようにした瞬間、クク、と笑いながら地面に放り出された。新鮮な空気を取り込み噎せるなかで必死に頭を回す。
前。前?花緑青から紅耀のようなグラデーションを持つ髪色に、焔を模しているのではないかと思うようなはっきりとした色味の上着を纏った男性に見覚えなんて………………ある。
パンタグリュエルに乗艦していた際に酔い潰れたクロウを送ってきてくれた人物が、確か、ちょうど、そんな風体だったような記憶が。あの時は酔いどれクロウをどうするかという算段で頭がいっぱいになっていたから強烈な見た目だというのに思い出すのに少し時間がかかってしまった。
「……あな、たは、一体……何?」
誰、とは問わなかった。問えなかった。だってその形は確かに『ヒト』でありながらもその実は『人間』ではないと思えてしまったから。私が知る『人間』という範疇の容れ物に収まるような中身ではない、とも。
「逆に訊くがお前さんには俺が何に見える?」
思わず問うた声に答えてもらえるなんて思っていなかったけれど、そんな質問が返ってきてしまい一瞬固まってしまった。けれど私を見下ろしたその瞳にからかいなどなく、気遣いなども不要で、本当に私がどう感じたのか聴きたいのだと理解した。
ほんの少し口を閉ざし、考えをまとめる。慎重に気配を手繰る。……この返答は、いま拾いかけている命を捨てることになるのかもしれない。それでも、あんな真剣な眼差しに対して我が身可愛さに誤魔化すことはしたくないと思ったのだ。
「……私には、あなたが、昏い窓に見える。まるで……そう、女神さまが創ってくださったこの世界ではないどこかに繋がっていて……」
この先を続けていいのかと逡巡した瞬間、続けろ、と低い声が耳に届く。
「だけど、もう、戻れない。路は繋がっていない。あなたはこの地のモノと混ざり合ってしまった。かの方でも分かち難いほどに」
ただの経路としてこの存在を通過した時、虚の窓の先には何もなかった。存在が断絶している。それがどういう意味なのか、そもそも、そうとしか表現しようがなかったとはいえ『女神さまが創りしこの世界以外の場所』とは何なのか。
訳も分からず口に出すなんて情報屋失格ではあるものの、しかし、表情を見る限り相手はそれなりに得るものがあったらしい。
「なぁ、お前、名前は?」
「……セリ、ローランド。あなたは?」
「俺は劫炎。劫炎のマクバーンだ。そんじゃあな────ああ、塔には入らねえ方がいいぜ」
どこか満足げな表情をした焔の化身のような存在……改め劫炎殿は最後に小さく呟きを落としてから紅い転位陣を展開しどこかへ飛び去った。
緊張感が唐突に消え失せ、どしゃりと地面に体を横たえ太陽を隠すように目元を両腕で覆った。石畳で頭が痛いだとか、髪の毛が汚れるだとかそんなものはどうでもいい。とにかく、生き延びた。生き延びたんだ。
深い呼吸を繰り返しつつ腕の隙間から塔を見上げる。
『俺も灰にしたくはねぇからな、ローランド』
最後の呟き。からかいを含みながらも決して冗談などではない色を帯びていた。そもそもそこに至るまでも返答や反応を一つ間違っていたら消し炭の一片も残らず消え去っていた可能性すら。今更ながら身体が状況に追いついて冷や汗が背中に現れ始めたような気がする。
しかし名を問われ、呼ばれるというのは、あの虚のような世界から来た……異界の存在に多少は認めてもらえたということなんだろうか。クロウの女ではなく、ただ一個人として。それは、すこし嬉しいなと思ってしまった。あれほどの力を持つ存在であれば私など塵芥に等しいだろうに。
荒れる心臓もおさまってきたのでがばりと上体を起こし、よし、と気合を入れる。忠告には従っておこう。師匠であるミヒュトさんも命拾いをしたらとりあえずその場から離れることを念頭におけと言っていた。無論命を賭けなければならない時もあるだろうが、目的を言語化出来ないのならその時ではないとも。
星見の塔に来たのはただ単に以前と私が異なっているのと、あの蒼の影について何か分かることがあればという希望に基づくもので、何も必ず調査しなければならないほどの理由はない。
だから内部に入ることはおろか外から霊脈にアクセスすることすらも諦め、立ち上がってバイクに跨り市内へ戻ることにした。
クロスベルを離れる前にエマさんに伝えておこうか迷ったけれど、それで彼女が単身ここへ乗り込んでしまう事態になってもそれはそれで困るな、と思考を巡らせる。
……あぁ、そうだ。ジロンド武器商会へ期限を指定した言付けを頼んでおこうか。どうせクロスベルで何か調査をするならばあそこを避けては通れまい。商会にたどり着かなかったならば縁が合わなかったということで。きっとジロンドさんは嫌そうな顔をするだろうけれど。
とりあえず星見の塔へはおいそれと近付かない方がいいこと、しかし何か特異な現象が起きた時に真っ先に調べるべき場所だという辺りを手紙にしたためるとしよう。
それぐらいなら忠告に反することもあるまい。