[完結]わすれじの 1206年   作:高鹿

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02 - 05/02 森の秘密にふれたる五月

1205/05/02(月) 朝

 

「招集に与ったセリ・ローランド、遅ればせながらただいま参じました」

「ああ、セリ君。よく来てくれたね」

 

執務室へ通され、応接ソファに座っていたハイアームズ侯爵閣下が立ち上がり私を出迎えてくれる。

 

そう、暫く帝国北西方面で魔獣討伐や護衛依頼を受諾して日々路銀を稼ぎながらトワに手紙を送ったりしつつ各地を巡っていたところ、ジュライに一度戻りしな唐突にARCUSの端末へ連絡が入ったのだ。閣下直属のセレスタンさんから直々に。

侯爵閣下にはティルフィルの件で幾度となくお世話になった恩義がある。その方が困っているというのであれば何をおいても私は駆けつける心づもりをしていたから、こちらとしては特に問題はないのだけれど、それでも平民一人に対してもこうして心を尽くしてくださるお方で今一度この方の領民でよかったとつくづく感じた。

 

「それで、ええと、最終鉄道がもう出るところでの招集だったので、詳しく聞けずにここまで来てしまったのですが」

 

勧められるままにソファへ座り、情報共有が出来ていない旨を告げると閣下の柔和な視線がすこし鋭いものになる。伸ばしていた背筋が悲鳴を上げそうだと思った。

 

「うん。気が付いているとは思うがティルフィルにいる職人の方々についての話だ」

「……ティルフィルの者が何か閣下に不利益を被らせることをした、ということでしょうか」

 

思わず既に任が解かれた代行としての口調が出てしまったけれど、いいや、と言わんばかりに閣下は首を横に振られた。じゃあ、どういうことなんだろうか。そう疑問を持ったところで横からスッとファイルが差し出される。いうまでもなくセレスタンさんからのもので、お礼を言いながら開いてみると役場用に作ったフォーマットに書かれた要望書たちだ。

 

「それらを読んでもらうとわかると思うのだが、職人方と上手く現状の意思疎通が出来なくてね。役場に出ている職員からどうにか出来ないかと陳情が上がってきたというわけだ」

「こちらも人手を回したいのですが領邦会議の準備もありまして、至らない限りです」

「……」

 

役場用に作ったこの書類の形式は、なにも私だけで作り上げたものじゃない。元々叔父さん叔母さんが使っていたものをブラッシュアップさせてもらったものだ。いろいろな職人さんに聞き取りもしながら、各工房に見本も置いて、なんなら見えるところに貼ってもらった工房だってあった……グウィンさんのところとかがその最たる例と言えよう。

見た目としてはすこし変わったけれど、記入するものは今まで通りと言えなくもない内容だろうのにそんな困ることが発生するなんて。

 

そう事態の深刻さを受け止めながらパラパラとめくっていく。めくっていく。めくっていった。

 

「……閣下、その、お言葉ですが」

「何かわかるかい? 忌憚なく何でも言ってくれたまえ」

「いえ、あの、これらで何が困っていらっしゃるのか私はわからないのですが……」

 

例えばドゥーレ工房が上げているこれは『鉄の質が下がっているから商人の方に喝を入れて欲しい』という話だし(実際は販路の調査になるからそこまで簡単な話ではないけれどつまり我が街の職人が舐められているということに他ならない)、グランテア工房も『森林管理業の人材不足の懸念』を軸にどうにかならないかという要望をあげている、つまり普段通りのものにしか読めないのだけれど。

 

「……もしやセリ様にはこちらの書類が読めている、のでしょうか」

「え?」

 

侯爵閣下の横に立つセレスタンさんにそう声をかけられて、一瞬止まる。そうして、思い当たることに、あっ、となった。なってしまった。そう、私の生まれ故郷は帝国の中でも屈指の……都市から離れた場所に位置する街なのだと。

 

それに加えて職人街の方々は基本的に書類仕事が苦手で、職人同士でしか通じない単語を使われることもたくさんあった。事務方を雇っていらっしゃる方もいるけれどそっち方面の人材を斡旋するにも人手が足りているわけじゃなかったし、それなら書類を処理するこちらが読めるようになった方が手っ取り早くあったのだ。いろんな工房には昔から顔だけは出していたし、そういった専門用語も私にとっては身近なもので、つまり、そう、知識の共有化をしていなかった。

 

「ええと、その、そうですね。地方語と職人言語が混ざっているせいで……閣下たちやそのお役人の方々にとっては読みづらい……書類となっていたかもしれません」

 

上流階級、とまでは行かなくとも閣下が派遣してくださった文官の方はそれはもうエリートと言っても過言ではない。そしてその方々と職人さんが衝突しているところに日々割って入っていた元締め代行の私だったけれど、まさかそんな根本的なところで躓くことがあるなんて思わなかった!だって私にとってそれは当たり前のものだったから!

 

「セリ君」

 

侯爵閣下に名前を呼ばれ、真っ直ぐとその視線を受け止める。

 

「承知しております、侯爵閣下。僭越ながらこちらの書類の処理、並びに書類の"読み方"の共有をさせて頂ければと思っています」

「有難い。本当に助かるよ」

「いえ、元はといえば私の手落ちです。大変申し訳ありません」

 

帝国中央に位置するトールズに行ったのだから、標準表現がどんなものであるのか・どこまでがそうであるのか、あの街で一番わかっていたのは私だったのに。職人さんには長い間要望が通らない不自由を強いてしまったし、閣下にもこんな風にお手を煩わせてしまってとても申し訳ない気持ちになる。

役場への不信を抱かせてしまったところまで含めて、私が一番介入するべき事柄だろう。

 

「そしてご連絡頂き、ありがとうございました」

 

殆ど日付が変わる夜中だったとはいえ、最優先事項が何なのかをきちんと順位付けして私へ連絡を取ってくれたのだと思う。でなければあんな時間の通信をこの方々がよしとするわけがない。

 

「一先ず私はティルフィルへ戻ります。職人の方々へ今日までの要望が動き始めるというのをお伝えしなければいけませんし」

 

心配事があっては作業も捗らないだろう。そして街の運営に疑念を抱いてしまったら移住を考える方も出てくるかもしれない。それは街の、ひいてはサザーラント州の大きな損害だ。

まぁここと双璧を成すのは公都……先の内戦で自領の町を見せしめとして焼き討ちした元公爵が治めていた土地だから、まだこちらに分があるとは、思うけれど。というか四大名門が治める土地であるのなら一番ここが平和だったというのは皆わかっているだろう。たとえその果てに元締めが亡くなったのだとしても。

 

「荷物もお有りみたいですし、導力車で送らせましょう」

 

セレスタンさんの言葉に一瞬辞退しようかと思ったけれど、荷物があるのは事実だし送ってもらう方が速いだろうと判断してお言葉に甘えることにした。昼前には着ける筈だ。

 

 

 

 

「……と、いうわけで、滞っていた申請その他はその殆どが近日中に動かせる手筈です。ご迷惑とご心配をおかけして申し訳ありません。遅延に関する損害がありましたら、そちらは別途対応させて頂きます」

「まあ元締めが亡くなって新しい体制になったのは俺らも理解してっからよ、お嬢がそんな思い詰めた顔しなさんなって」

 

工房を構えている職人さんに頭を下げてまわり、最後のところで馴染みの職人さんにそう言われて顔を上げた瞬間に額に軽い一撃を貰ってしまった。じわじわとした痛みを手で押さえると、わはは、といつものように笑ってくれたから私もつられて笑ってしまう。

 

「なんせあのグウィン爺でさえも文句言わねえってんだから、さすがにな」

 

御業神グウィンと呼ばれるその人は、職人街であるこのティルフィルでも特に一目を置かれている。そんな方が今の体制、そして遅延に声を荒げていないというのが街の総意というような形になっていたらしい。うっわ、あとでもう一回……行こうかと思ったけどそういう理由だとたぶん追い出されるから、なんか、こう、いい感じのタイミングで会いに行こう。

 

熱気こもる工房から外に出るとちょうど気持ちいい夕方の風が駆け抜けていった。

活気が戻ったティルフィルが視界に広がって、さっきとはすこし違う笑みがこぼれる。

 

二ヶ月前は元締め代行として走り回っていたから落ち着いて感じることは出来ていなかったけれど、こうして改めて見ると本当に丁寧な街だと思う。職人さん同士の喧嘩もあるし、商人さんとの軋轢もあるし、いろいろ問題がないとは言わないけれど、それはある意味で街がまるく回っている証拠だ。生きて変化があるからこそ、衝突は起きうるもの。

そして叔父さんと叔母さんが、ひどく愛されて頼られていたということも同時に思い知る。私が大好きだと思っていたこの街の空気を、他ならぬあの二人が支えていた。私は代行とは名ばかりの、代わりにすらなれず日々自分の不甲斐なさと直面するしかなくて。

────でも、だからこそ。その二人の跡をただ継ぐんじゃなく、『誰がいなくても街が回るようにする』のが自分の役目だと思った。もちろん旅に出たいという欲求もあったし別の理由もあるけれど、結局『街』というのは生き物ではありつつ人間の生命よりずっと遠くまで歩んでいける性質を持つから、私はその補助輪のひとつに成れていたらと、そう。

結果が出るのは早くても数十年先のことだけれども。

 

「おや、セリではないですか。戻っていたのですね」

 

声に振り向くと教区長が作業着で歩かれていた。教会の裏手の道なので、敷地内にある農地で作業をした帰りだろうか。

 

「はい、街に関することですこし侯爵閣下に呼ばれまして」

「ああ、あなたが来てくれたなら問題ありませんね」

「ありがとうございます」

 

街の相談事を聞く立場であった元締めがいなくなったからそういうのは教区長の方に集中してしまっているというのは想像に難くない。故にどうして私が戻ってきたのかも言外に伝わっただろう。あまり役場についてマイナスの言及するのは避けたいからありがたい限りだ。

 

「そうだ、今日はこちらでシスターと一緒に食べて行きませんか? キャベツがとても美味しく育ってくれたんですよ」

 

にこりと教区長は笑う。

未熟ながら代行を務めている日々でもたびたびお呼ばれしていた食事会だ。あの広い家で私が一人食事を摂ることにまだ慣れない理由の一つかもしれないけれど、その気遣いがありがたいと思える自分にホッとする。

 

「それでは、お言葉に甘えて」

「今日の料理当番は私ですからね。腕によりをかけますよ」

「ふふ、楽しみにしてます」

 

そんな会話をしながら教会内へ入り、自室へ繋がる執務室へ入っていく教区長を見送ってから一番後ろの長椅子の端っこに腰掛けた。いつものように両の手を組み空の女神さまへ祈りを捧げる。

天に坐します我らが母なる空の女神さま、帝国北西への旅路が途中ではありますが無事に過ごせたことを感謝致します。そしてどうかこの旅の中で、自身の為すべきことを見つけられるよう、見逃さないよう、引き続きお見守りください。

 

祈りを終え、ふ、と息を吐き出す。いろいろなものを見てきてしまったけれど、結局自分はこうでしか生きられないなぁ、と。すこし自嘲も混じっていたかもしれない。

そんなことを考えながら立ち上がって、普段日曜学校が開かれている部屋へ向かったら鍵が空いていた。そろ、と中を覗くといつものシスターさんが笑いかけてくれる。

 

「すみません、晩御飯に呼んでもらったんですが、準備が整うまで机使ってもいいですか?」

「ええ、構いませんよ」

 

了承を得て後ろの方にある年長者の子たちが使う座席に腰を落ち着け、持ってきていた書類を取り出した。正直いろいろ付箋で注釈をつけるより単純にもう一枚使って『これはこういう意味ですよ』というのを書いた方が早いことに気がついたのだ。まずは書類の処理が私以外でも出来る形にして話を進め、表現の共有化はそれらが落ち着いた後からでいい。

 

 

 

 

「セリさん、お夕食にしましょう?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

呼びに来てくれたシスターさんにお礼を言いながら書類が落ちないよう丁寧に揃え、鞄に入れる。静かだけれどしっかり人の気配がある場所は捗るものだ。私はあまり使わなかったけれど学院の図書館が自習スペースとして人気だったのも頷ける。まぁ私にとって寮は四六時中似たような環境だったのだけれど。

 

「やあ、二人とも来ましたね。それでは頂きましょう」

 

教区長さまが作ってくれたトマトスープに沈んだロールキャベツと、キャベツを刻んだコールスロー。それに焼き目がこんがりついたパンが添えられて、美味しそうな食事が並んでいる。

いつもの席に座り、(私はいつも飛ばしてしまう)短い句を三人で唱えてから久しぶりに人と囲む食事が始まった。

 

「セリは旅に出ていたのですか」

「はい。ここ二ヶ月はジュライの方へ。予定を切り上げて戻りましたが、今度はまた別の方面へ行こうかなと考えております」

 

ジュライやオーベル門を帝国側に抜けた沿岸沿いの村や町を巡りながら、地元の方の依頼で魔獣退治や護衛をしてお金を稼いでいた。魔獣討伐というのはなかなかに自分向きの仕事なので有難いけれど、どうも最近ちょっと多いらしい。最初は定期的に見回りが来ない土地では当たり前なのかと思っていたら、数件目の村長さんや村の方がそうぼやいていた。

遊撃士が軒並み国外退去を求められているからなのか否か。間引けていないだけなら、ある意味分かりやすいから話は単純なのだけれど。

 

「そうですか。健康と安全に気を付けて」

「はい。ありがとうございます」

「セリさんは直ぐに無茶をするんですから、いけるかな?、はもう駄目のサインですよ」

「肝に銘じておきます」

 

何気ない会話で笑い合いながら食事を終え、シスターさんが食後の薬膳茶を淹れてくださったところで、そういえば、と教区長さまが呟いた。

 

「セリは、魔女と呼ばれる方に出会ったことがありますか?」

「……それは、イストミア大森林の伝承にある?」

 

魔女。その言葉で真っ先に思い出すのは、クロウの隣にいたあの方だ。帝都歌劇場で蒼の歌姫としてトップスターを務め、トリスタ放送局で看板番組を持つパーソナリティも別名義で行い、実は《結社》と呼ばれる裏世界の人間だった、ヴィータ・クロチルダさん。

クロウが命を落としたあの日、《鉄血の子供達》の筆頭と名乗ったルーファス公子に使い魔らしき鳥を斬り捨てられ、以降行方が杳として知れないそうだけれど。

 

「ええ。私も最近思い出したのですが、アルデ殿が生前、『魔女の方々へ敬意を持ち得ないものは元締めとしての資格はない』と仰っていたのです」

「……エッタ叔母さんが魔女だった可能性がある、ということですか?」

 

すると意外なことに教区長さまは首を横に振った。

 

「いいえ。エッタ殿は確かにこの街で生まれ、この街で育ったという記録があります。仮にそうだとしても、改竄をするより素直に街の外で出会ったことにすればいい。意味がありません。ただ……精霊信仰が強いとだけで片付けるには、些か引っかかった次第です」

「……」

 

森への信仰。それは私たちティルフィルに住む民にとって欠落してはならないものだ。しかし、魔女という存在をどれだけの人が信じているのだろうか。少なくとも私はあまり気にしていなかった。叔父さんがそんなふうに思っていたということすらも知らなかったぐらい。

 

「とはいえ単なる比喩かもしれませんし、そういう話をしたということ伝えたかったのです。代行の任を解かれたとはいえ、あなたは確かにローランド家の人間なのですから」

「────はい」

 

それがただの伝承だと笑い飛ばせるほど、私は、何も知らないままではいられなかった。

 

 

 

 

1205/05/18(水) 早朝

 

あらかた自分が出来る仕事を終え、私個人に持ち込まれた用事や案件もすべてさばき、あとはもう役場にいる方々の役目であるというところまで進んだ。侯爵館で報告をした帰りに旧都の大聖堂へ寄ったところ、在庫が少なくなっている薬草の話を聞いたので近日中に採って参りますよと返し、その翌日が今日だ。

 

「ああ、あったあった。まだ咲いててくれて良かった」

 

森の中心部で咲き誇る青が強めのラベンダー、エリンの花。

鎮静・安眠などの高い効果があるため様々な用途に使われてきた薬効の高い花なのだけれど、サザーラント州のなかでも特定地域でのみ採集が出来るというすこし厄介なものだ。

もうそろそろ季節が終わってしまうから香りが薄くなっているかな、と思ったけれどそうでもなく、むしろ上位属性の気配が濃くなっているせいか噎せ返るほどだった。

 

……あれ、そういえば。クロチルダさんが近くに来た時に薫っていたのは、この花の香水ではなかったろうか。

 

採集する手を直前で止め考えに耽ったところで、300アージュ圏内に人間の気配を感知し即座に樹上へ退避する。敵意などは現状ないけれど、私が"ここ"にいることが問題になるかもしれない。むざむざ相手へ選択する権利を与えることもないだろう。

 

息を潜め暫く気配を追っていると徐々に近付いてきたそれは確かに人で、しかも知っている方のように見えた。辺りを注意深く見回し、群生するエリンの花には目もくれず────一際大きな樹のウロへ入っていく。

 

「……ユークレスさん」

 

旧都の大聖堂や近隣の村々へ大森林から薬草を取ってきては配っているという、なんとも珍しい方の筈だ。森で出会ったことはないけれど大聖堂などでは度々顔を合わせているから間違いはない。そしてあんなところに大人一人が入れるウロがあるだなんて私は全く知らなかった。

 

ウロの奥に珍しい薬草でも自生しているのかもしれない、と入った気配が戻ってくるのを待っていたところ、唐突に『存在』がそこから消えたのを理解する。

驚いたものの『何かが起きた』と判断し即座に降りて樹のウロへ飛び込み走っていくと、そこには祭壇……のような明らかな人工物が鎮座していた。おおよそ3アージュはある石造りで青白くほの光るそれ。

祭壇の存在からユークレスさんが何らかの事件に巻き込まれ拉致されたのではなく、自発的に姿を消したのだろうという推測は立てられる。ただ、推測に過ぎないとも、いう。例の帝国解放戦線の幹部が使っていた魔笛のような対人間用の古代遺物があった場合、自分の意思ではない可能性もなくはない。

 

「魔女がおわすとされる森で、薬草採集をよくしている方の姿が消えた」

 

言葉に出し今起きたことを確認し、よし、と頷き歩き始める。

こんな状況でやることなんてひとつっきりだ。

 

 

 

 

それから私は森の中を歩き続け、昼頃に瞬間的に視界が開ける場所を見つけてしまった。

そう、どうあっても認識を逸らされ、歩いた距離がどうしても一致しない場所があった。きっとクロチルダさんから認識阻害魔術をかけられていたという経験がなければほぼ確実に見落としていただろうそこは、長年この森を遊び場にしていた私でも知らない……筈の場所だった。

 

中央に石柱のようなものが等間隔で並ぶ円状の広場を据え、エリンの花がそこかしこに咲き誇っているちいさなちいさな村。

森を切り拓いたのではなく、森とともに歩んでいるのがありありとわかる佇まいで、大森林の奥深くだというのにやわらかく陽射しが差し込んでいた。

 

さてどうしたものだか、と思案しかけたところで道の向こう側にいる少年と視線が合い、そうして。

 

「あー!」

 

っと叫ばれてしまった。おっと、これは。まずい状況になるかもしれない。

土をくり抜いて取り付けられたように見える複数の扉から誰かが出てこようとしたのを感知した瞬間、即座に武器各種とARCUSポーチを地面に落とし、両手を開いて掲げたまま両膝を地面に落とした。

行動し終えた私のもとへ集まってこようとしているのは二人の男性と一人の女性。次いで瞬間的に発生した三つの気配が背後から近づいて来る。二つは大きく人型で、残りは猫のような小動物。

 

「えっ、セリさん!?」「セリ先輩!?」

 

そうして私の名を過たずに正しく叫んだ声は、どちらも私が知っているものだった。

 

 

 

 

「……というわけで、ユークレスさんの姿を見失ったため、事件性がないことを確認するために探し回った末、こちらの里に辿り着きました」

 

武器類を工房の方へ預けた上でエマさんが住んでいる館の一階に通され、自分がどうしてここ────エリンの里にいるのかというのを洗いざらい話をさせてもらった。

同席しているのはエマさんに、彼女の使い魔のセリーヌさん、ユークレスさん、そして長い金の髪と吸い込まれそうな紅耀石の瞳を持ち……女性と表現するのは適当ではないと判断しかけてしまうほど幼い少女の姿をした里長のローゼリア殿。

 

「それでもこの里に入り込めるだなんて、そうそうある話じゃ……そもそも転位装置だって隠されている筈なのに……」

 

まぁそうは言っても見つけてしまったのは事実だ。そりゃクロチルダさんがそうであるということを知らなかったり、教区長さまのお話を聞いていなければ難しかっただろうけれど。

 

「……いえ、ユークレスさん。セリ先輩は少し特殊なんです」

 

するとエマさんが鎮痛な表情で言葉を遮った。特殊?

クロウやリィンくんなどと違って私はそういった言葉とは無縁だと思うのだけれど。

 

「ヌシ、"境界侵犯"の気があるな?」

「……境界、侵犯?」

 

あっ、もしやこれって法律上不法侵入にあたるのだろうか。その可能性がよぎって心配になってしまったけれど、いやこの雰囲気はそういうものではないようだと頭を切り替える。

 

「はい。セリ先輩はおそらく気がついていらっしゃらないかと思いますが、……先輩には、『ヒト・モノを問わず暴いてしまう』性質があります」

「まぁ異能と呼べるほどの強さじゃないのは確かだけどね?」

 

エマさんの言葉に補足を入れる黒猫のセリーヌさんは、一応煌魔城でその姿も声も知覚していたとはいえ、今こうしてある程度落ち着いた状態で見れば見るほど自分の常識がガラガラと崩れていく。そんな場合ではないと言うのに。

 

「しかし相手に自分を暴かせる、相手を自分が暴く、あるいは土地に隠されているモノを露出させる、そういうのが"働きやすい"といったところか」

 

『暴く』。里長殿が使ったそのワードは、表現は、おそろしいぐらいに自分の胸へすとんと落ちていった。そしておぞましいほど、今までの自分の人生を理解出来てしまった。

 

「加えてヴィータの客人と来た。境界侵犯の性質を持ち、この里の存在を知っているのなら、認識阻害も結界もさほど意味はなかろうて」

 

ヴィータの客人。私には全くもってそういった証のようなものが渡されているわけではないけれど、半年前にクロチルダさんから何か術をかけられていて、その残滓を感じ取られているのかもしれない。あまりにも自分の知識が及ばない領域すぎてもうさっきから推測しか出来ていないのは不甲斐ない話だ。

 

「あー……なる、ほど。さすがにその辺は俺だと感知出来ないですね」

 

ユークレスさんが腕を組んでそうこぼす。

おそらく『魔女』という単語の通り、戦術オーブメントで発動する魔法に似た魔術と呼ばれるモノを扱えるのは女性のみなんだろう。そしてユークレスさんはそんな魔女の方々が住まう里と外界を繋ぐ一人で、たびたび顔を合わせていたのも仕事に関わるところで私が掠っていたということだ。

 

「本来であれば記憶処理をして街道へ放り出す話だけど……」

 

その言葉に私は発言の許可を求める挙手をした。四者の視線が集まり、先を促される。ごくりと固唾を飲み込んでから一息入れて、真っ直ぐとその瞳を見返し口を開いた。

 

「私は、この里の記憶を持っている場合、必ずお役に立つと約束出来ます。故にまずはその交渉のテーブルに着かせていただきたい」

 

ここで引いてはならないと頭の中で警鐘がこだまする。所詮どう足掻いたって表の人間でしかない自分が、伝承の世界……つまり一般人に知られていない裏の世界との繋がりを持てる機会なんてそうそう有りはしない。けれど帝国を見る上でどうしてもそれは必要になる。

 

そも、交渉の余地がないのであれば問答無用で記憶処理とやらを施して何事もなかったかのように投げ捨てればいい。それこそ大森林の東には街道が隣接しているのだから、転位装置を設置できる技術力があるのなら難しいことでもあるまい。それに魔術によって人間単体を長距離転位させることが可能であるというのはクロチルダさんが実証している。

けれどそれをしないということは何らかの交渉出来るカードをこちらが持っていると、相手が踏んでいる、そう取っていい。

 

「では何を妾たちに見せてくれるのじゃ?」

 

見目相応では全くない鷹揚な頷きでもって私の発言の根底を探られていく。じわりと背筋に冷や汗が落ちていくような感覚だ。

 

「────私は、これから先、少なくとも一年弱は帝国全土を渡り歩く予定です。そこで手に入れた情報を、共有できる相手として貴方がたを選びたい」

 

交渉ごとは弱く見せることも強く見せることも時と場合によっては必要だろうけれど、しかしここではお願いではなく、あくまで対等な存在として発言のカードを切った。その方が、この里長殿は気に入りそうだと直感が囁いたからだ。

 

「加えて私は貴方がたに言わせれば『暴く者』です。性質を加味すれば皆さんがこの里にいながらも面白い話が舞い込む確率はぐんと上がるのではないですか?」

「ふむ、口が回るではないか」

 

たとえ魔法や魔術の素養がなくたって肌感でわかる。ローゼリア殿は途方もないほど高位の魔女で、それ以上に人あらざる者だということが。────だとしても、帝国全てを見通すことは難しいだろう。なら『目』は幾つあったって困りはしない。但しそれが信頼出来る相手なら、の話ではあるのだけれど。

 

「お祖母ちゃん、私からもお願い。セリ先輩は真面目な信頼に足る人で私たちをきっと裏切りはしない。そして、騎神のことや裏の世界のことを知りながらも、表で動ける稀有な人よ」

 

今までずっと黙っていたエマさんが隣に視線を落としてそう言葉を紡いでくれる。最終的にあの内戦で私はクロウの傍にいたというのに、それでも見限られてはいないらしい。

 

「俺からもお願いします。彼女は長年旧都の大聖堂へ薬草を持っていっていて、その人となりは信用出来る。大森林で長時間単独行動出来るレベルの手は幾らあっても足りないでしょう」

 

重ねてユークレスさんも私の援護をしてくれた。お互い単なる顔見知り程度だったとしても、大聖堂に長く出入りしている人間としてそうお墨付きをもらうというのは、面映いけれど確かな嬉しさがある。

 

「別に反対はしてなかろう。構わん構わん、好きにするとよいわ……知らん仲ではないしの」

「「「「えっ」」」」

 

ローゼリア殿を除く全員で紅い瞳に注視すると、隠すこともなく眉根に皺がよる。

 

「なんじゃ、ティルフィルの童の中でもこの森を恐れず遊ぶ者なんぞヌシだけだったじゃろうに。それを、里長の妾が感知していないとでも?」

「それ、は、そう、ですね」

「加えてまっこと幼い頃に迷い込んでヴィータがこっそり街に送って行っていた縁もある。あやつは隠そうとしていたみたいじゃが、ま、時効じゃろ」

 

待 っ て 欲 し い 。

 

「えっ、つまり、私は幼い頃からこの里の方々にお世話になっていたということですか……?」

「うむ。崇め奉ってもよいぞ?」

「大層お世話になっていた方々に対し先程のような分を弁えない発言をお許し頂きたく!」

 

両手を机につき額を机に擦り付けんばかりに謝罪の言葉を叫ぶと、わっはっはっはっは、と高らかな声が部屋に響く。

 

「ティルフィルの長をしていたあやつらに良くしてやれなかったところもある。言っておいてなんじゃが本気にするでない」

 

その言葉に顔をあげ、ティルフィルの元締めに会ったことがあるのですか、とぽかんとした表情で問いかけてしまい、するとどこか慈愛が籠ったように眼が眇められた。

 

「一度もない。じゃが、ローランドの名を持つ人間が近隣の森を丁寧に扱ってくれていたおかげで伐採の手がこちらに伸びることもなく過ごせていた恩はある。不可侵を貫きながら敬意を払うというのはそうそう出来るものではない。……ま、今代のが実際どう思っていたかは知らんが」

 

ローランドの名を持つ人間。それはティルフィルの元締めを私の家系がずうっと途切れず担い続けてきたという証左のような言葉だった。それを断ち切ってしまったことに思うところがないわけではないけれど、それでもやっぱり個人宅が抱えられる規模を超えていたと思うし、ティルフィルという街が元締めナシで歩んでいく枠組みを作ったことに後悔はない。

 

「叔父……元締めは生前、『魔女の方々へ敬意を持ち得ないものは元締めとしての資格はない』と言っていたそうです」

「……そうか」

 

お互い顔を合わせたこともなく、しかし叔父さんは森に住まう魔女の存在を信じていた。何か感じるところでもあったのかもしれない。それこそ、私が境界侵犯の性質を持つのならそこに繋がる何かを持っていた可能性も大いにあるのだから。

それを確認する術はもうないけれど、あの人の生き様が語っている。それでいい。

 

「話もまとまったことですし、先輩用のペンデュラムを用意しないといけませんね」

 

ぱん、と両手を軽く打ち合わせてエマさんが話を切り替えた。

 

「ペンデュラム?」

「先輩が見たという大森林奥にある祭壇……転位石は各地にあって、里の近くと繋げられているんです。霊力を籠めたペンデュラムをかざすことによって起動出来るんですよ」

「……物凄く重要なものでは?」

「はい。ですが特定の方にしか使えないよう処理も施しますので安心してください」

 

そうだとしても取扱注意なのは変わらないしあんまり安心は出来ないなあ!という内心の叫びは堪えて、ペンデュラム登録用の血液を取られた後、正式に外部の協力者として迎え入れられ里の方々に挨拶回りをすることになった。

完成は十日ほど後らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

1205/05/27(金)

 

「いらっしゃい」

「お邪魔します」

 

セリ先輩用のペンデュラムの作成を私が任され、素材の採取や霊力を馴染ませ作動に問題ないことを確認してから血液による霊子情報の定着を行い、完成となった。そうして先輩の手が離せないということでティルフィルのお家へお邪魔することに。

セリーヌは用事があるとかで里に残っているから、今日は私だけだ。

 

「いやー、本当にごめんなさい。本来であれば自分が伺うべきなんだろうけど、ここ数日で妙に魔獣騒ぎが頻発してしまって」

「いえいえ、訪れたことがない街だったのでちょうどいい機会でしたし」

 

少し広めのラウンジに置かれたソファを勧められ、飲み物を問われたので珈琲でも紅茶でもと答えたらことりと珈琲が入ったカップが卓上に現れる。ミルクやシュガーポットなどを用意してくれた先輩はミルクだけ入れて飲むようで、私も同じようにして苦味の奥にある香ばしさにかるく意識を傾けた。

 

「はい、それではこちらがペンデュラムです」

 

簡素な箱に入れられ淡く紫耀に光る鉱石は細いチェーンと繋がり、素養があればダウジングなども出来る形に調整したもの。……残念ながらセリ先輩はそういった方面の資質は殆どないので、飾りに近いけれど。

 

「これを例の転位石にかざせばいいのかな?」

「そうですね。基本的にはそれだけで起動します。それと転位石は元々イストミアの森を中心に各地方へ出ることを想定されているので、あまり遠くには設置出来ていません。ですから、クロスベルやノルド方面は大陸横断鉄道などで移動することになります」

「いやいや、それでも十分な移動方法を与えてもらったと思うよ」

 

興味深そうにペンデュラムと鎖を手にして目の前に掲げる先輩の瞳は好奇心できらきらと輝いていて少し笑ってしまった。クロウさんと仲睦まじい姿を見る機会は何度もあったけど、あまり個人として交流をしたことはなかったから不思議な感じがする。

 

「そういえば思い出したことがあるんだけど」

「なんでしょう?」

「初めての実習の時に出身地を訊かれたし、何か気になるところがあったのかなって」

 

確かにパルムへの実習で向かう列車の中で先輩にそんなことを問いかけた記憶がある。

 

「そう、ですね。先輩と似た性質の方が里にいたので、すこし気になって」

 

あの時は色濃い森の気配や霊的な体質が気になって話しかけたけれど、もしかしたら、頑張れば、姉さんの気配を感じ取れたのかもしれないと思ってしまった。……そんなことはないと分かっているのに。

 

「そうなんだ」

「はい、在野に住んでいる方で、ご自身の性質と上手く付き合っていらっしゃるみたいです」

「上手く付き合う、か」

 

ペンデュラムを箱に戻し、内側を合わせるようにした両手を口元に当ててセリ先輩は少し考え込み始めてしまった。

その姿から先輩方や、私たちの特例卒業の前に流れていた噂を思い出す。内戦開始直後にクロウさんへの憎悪をセリ先輩が受けることになってしまったおぞましい出来事があったと。

……『上手く付き合う』というのは酷な表現だったかもしれない。

 

そんなことを考えていたら、あの、と控えめな呼びかけが聞こえ、落ちていた視線を上げた。

 

「変な質問だったら申し訳ないんだけれど」

「はい」

「私のその、境界侵犯とやらは、古代遺物にも作用するものなのかな」

 

問われ、考える。

古代遺物……女神の早すぎた贈り物と呼ばれるそれらは、正直何が起動の鍵となるのか分からないものばかりだとお祖母ちゃんは言っていた。霊力が枯渇した器物に先輩がそれらを籠めることは出来ないけれど、霊力があるものを呼び醒ますというのは。

 

「……あり得ると思います。古代遺物にかけられた封印を自覚なく解いてしまう、あるいは遺物自体を喚起してしまう可能性が懸念の通り他の方より高いと言っても良いかもしれません」

「そうかぁ」

 

分かっていたかのようにセリ先輩は言葉をこぼし、ぬるくなっているだろう珈琲に口をつけてため息を吐いた。

 

「自分じゃ見えないけど、せめて意図的な悪用はしないように気を付けるよ。答えてくれてありがとう」

 

意図的な悪用。その言葉に、先輩の容姿では存分に活用できると、私は思ってしまった。魔女というのは世界の裏側を見る機会が多く、綺麗事ばかりではいられない。そのせいでか反射的にそんなことを考えてしまった自分がとても恥ずかしい。

……でも、先輩はきっとそのことをわかっている。だからこそ言葉に出して己を律したのだとも。

 

「あれ、怪我されてますね」

 

カップを傾ける先輩の袖からちらりと包帯が覗いた。

魔獣騒ぎが頻発していた、と言っていたから討伐時の怪我なのだろうけれど、回復魔法を……使えなかったのかな?と小首を傾げる。

 

「良かったら治療しましょうか」

 

嵌め込むクオーツで使える魔法は千差万別だからそういうこともあり得るかも、といつものように空間の隙間から杖を取り出した瞬間、カップを持ったまま慌てた風情で両腕で大きなバッテンをえがかれてしまった。明らかな拒絶。

 

「ご、ごめん。心配してくれてのことだとは思うけど、回復魔法や魔術は遠慮しておくね」

「……理由を伺っても大丈夫ですか?」

「うん、これが理由なんだけど」

 

頷いた先輩は左耳のそばに落ちていた髪を掻き上げ、私がよく見えるよう横を向く。そこには耳たぶに蒼いピアスがひとつ、上部軟骨の縁に銀色のシンプルなデザインのピアスがみっつ、どうしてか"護る"ようにつけられていた。

 

「ピアス穴が安定してないと戦術オーブメントによる魔法での治療は変な塞がり方するんだって。速度優先して不躾な断り方になってしまってごめんなさい」

「いえ、それは気にしていませんが……ピアスがあると避けた方がいいんですね」

「うん、ピアスを巻き込んで肉が盛り上がったりする事故があるらしくて、同じ場所には綺麗に開けられなくなるみたい。まぁ生命維持に問題がある場合はそんなこと言ってられないだろうけれど」

 

つまり身体全体に影響のあるものではなく、局所的な治癒魔術を使えばピアス穴の安定も瞬間的に出来るかもしれないな、なんて考えてしまったけれど、上手くいくかはわからないので黙っておくことにした。

それに完成すればいい、という単純な話ではないような気もしてしまったから。

 

「その、それはやっぱり、クロウさんの」

「うん、形見をつける為。軟骨の方はまだまだ本命に移行できないけど」

 

あっけらかんと肯定するその姿に胸が痛む。

クロウさんのお墓の管理証を持って、クロウさんの形見を身につけたいと願う先輩は、それでも過去を見続けているワケじゃなくしっかりと前に進もうとしている。それはエリンの里と関係を持とうとしているところから明らかだ。

だからこそ余計に。

 

「クロウのこと、忘れたくないんだよねえ」

 

ぽつりと穏やかに呟いた先輩と目が合い、にこりと微笑まれる。

その笑みがどうしようもないほど寂しく、そしてうつくしかった。

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