1205/06/09(木)
「お久しぶりです、ヨハン主任。それにアリサさんも」
「うん、久しぶりだね」
「急なお願いで来て頂いてすみません、先輩」
ルーレ市上層階中央にあるラインフォルト社の第四開発室──導力通信技術や戦術導力器を主な研究テーマにしている部門の応接間、そこに懐かしい二人と座っている。
一人は一昨年からお世話になっているヨハン主任で、言わずもがな1203年ARCUS試験運用組と深く関わりのある人。もう一人は1204年組のアリサさん。
「今日は新型戦術オーブメントのテスターとして呼ばれたと聞きましたが」
「はい、こちらがARCUSIIと私たちが呼称している端末です」
この研究の主導はアリサさんが取っているのか、彼女の傍らに置かれていた箱が目の前のローテーブルへ移動され蓋が開けられる。そこには銀白のオーブメントと翠耀石のクオーツが鎮座していた。
ちらりと二人を見ると頷かれるので本体の方を手に取ってみる。まず、ARCUSIIと呼ばれたそれはARCUSより幾分か縦に長く大きいけれど、軽量化に成功しているのかそこまで重くは感じない仕上がりだ。元々は楕円に近いデザインだったけれど、今回は四角くしかし角に多少柔らかい素材が使われているのでバンパーの役目を果たしてくれるものになっている。
表面は今は何もないけれど、外れる機構が見え隠れするので今回も使用者によってカバー変更が出来るつくりのようだ。……まあ私はあの当時だと学院貸与品だったし、今もテキトーな汎用柄にしているけども凝る人は凝るんだろう。オーブメント工房でも取り扱っているのをそれなりに見たし、オーダーメイドを受け付ける工房があるのも知っている。
「しかしもうII、ですか。随分と早いですね」
「先輩たちがbetaテストをしていたのが二年前ですもんね」
「早いとは言うけれどこういった代物は戦争があると発展するものだから」
主任のその言葉が1204年にあった十月戦役を指していることは明らかだった。戦争と技術は切っても切り離せない関係にある。あの内戦がARCUSを早々に過去のものにするだなんてどんな皮肉だろうかと、一瞬笑いそうになってしまった。
「確かに」
端的に同意しつつ本命に移行しようと、ぱかり、蓋を下に向かって開いた。ARCUSIIの刻印から上下の判別はついていたし、ヒンジ箇所からしても挙動として何も不測の事態ではないのだけれど、それでも少し違和感を覚えてしまう。いや、慣れたらいいんだろうけど。
開いた本体の方は黒くのっぺりとしていて、開いたカバー内側にクオーツを嵌めるいつもの機構が内蔵されている。この薄さでクオーツを嵌め込めるというのはかなりの技術革新だなと一人で内心頷いた。属性はいつもの風地風。中心結晶の下に見慣れない穴があるけれど触ってみるとそこはディスプレイのようだった。
「先輩、本体左サイド中央にある丸いボタンを長押ししてもらえますか?」
「うん」
アリサさんから言われた通り長押しをしてみると本体の方が淡く青く光り……起動を開始する文言。つまり導力端末のような挙動をし始める。
表示されたプログレスバーを暫く眺めているとOSの起動が無事に完了した。箱に入れてあったマスタークオーツを手に取り中央にはめ込むと、きぃん、と懐かしい耳鳴りのような音が響くと同時に『繋がった』感覚をまた得た────と、一瞬だけ目眩のようなものが。
「……アイコン?」
目を瞬かせて見た光る画面にはいくつかの正方形と絵を組み合わせたものが表示され、導力通信のマークはいつもの通信手段となるのは理解したので手紙マークを選ぶことに。他にも導力カメラや手帳などもあって少しワクワクする。
カバー部ヒンジ側にある九つのボタンのうち、上下左右のマークが描かれているものに触れると思った通りカーソルが動いていくので小型導力端末とはまさにこのことだと感心した。
「これは……ARCUSIIだけで導力メールが送れる、のかな?」
メッセージの送信は導力端末でも行えたけれど、それはやはり端末が設置されている場所でなければ送受信出来ないというのがネックだった。そういう意味でARCUSの導力通信は画期的であったのだけれど。
「はい。そちらに私の端末番号は登録済みなので送って頂いて大丈夫ですよ」
アリサさんがもう一つのARCUSIIを取り出して軽く振るので、なるほど、と送信者を定め端末を両手で持ってボタンを押していく。アルファベットがそれぞれ振られているけれど、キーボードとはまた違った配列なのでこれにも慣れないといけないなとすこしだけ苦笑した。
意外にもヒンジがしっかりしているのかボタン押下時にカバー部がたわんで押しにくいということもなく、当たり障りのない短めの文面を書きおわり、送信。するとアリサさんのARCUSIIが短い音を出し、操作を眺めているとARCUSIIの画面を差し出された。
「先輩が送ってくれた文章、こちらで間違い無いですか?」
「……うん、間違ってないね」
「ふふ、こちらこそよろしくお願いします」
────『これからもよろしくお願いします。』と新しい形のキーボードに四苦八苦しながら送ったそれは笑顔でアリサさんに迎え入れられ、それはそれですこし恥ずかしいかもな、と自分で送ったにも関わらず照れてしまう。
「しかしARCUSIIのbetaテスターだなんて、私でいいの?」
「内部試験は終わらせましたし、外部テスターとして先輩ほど適任者はいないですよ」
「それは私も太鼓判を捺そう」
新型戦術オーブメントだなんてそんな重要なものに関わっていい立場ではもうないと思うのだけれど。学院生でもないし、学院の講師をしているわけでもないし、ましてや軍に所属しているわけでもない。本当に単なる一般人の扱いしか出来ないのではなかろうかと。
「開発部でも異論はありませんでしたよ。なんせ旧型の適性者を増やした立役者ですから」
「あー……そんなこともあったねえ」
1204年2月頃、トールズの入学試験による兼ね合いの連休の間にそんなレポートを書いて送った記憶が蘇った。そういえばそれでアリサさんが私に興味を持ってくれたのだったか。
部屋に通された時に淹れてもらった珈琲を口に運ぶことで、にやけそうになる表情を隠す。
「これはやっぱり過去の霊子情報からARCUSIIを構築してるのかな」
「はい。データの流用に関する契約は問題ないと判断したので」
個人の霊子情報は、基本的に変わらない。トールズ士官学院は中規模なラインフォルト社の実験場であったことは明白だし、そこに通う私たちはモルモットであるというのも自明の理だ。そのデータを使われたとして異を唱えるというのは大企業と戦うことに他ならないし、まぁ問題ないというのも間違っていないと思う。
「……それって鍵に流用出来ないのかなあ」
「鍵、ですか?」
紅茶のカップを片手にアリサさんと主任が首を傾げるので、うん、と私は頷いた。
「だってARCUSって元々……出力が劣る汎用品はあったにせよ、霊子情報を焼き付けるから基本オーダーメイドで本人しか使えないものだよね。つまり固有鍵を持ってることに他ならないよなぁ、って」
その技術を転用すると導力車に物理鍵が要らなくなったり、あるいはこのビルに入っているエレベーターも今のようなカードキーをタッチして停止階を制御するなんていう方式を取らなくても良くなるかもしれない。
まぁ導力車の方は中古売却時の懸念があったり、エレベーターもゲスト用の対策が必要になるので結局カードキーが不必要になることはまずないだろうけれど。それでも社員は何千回と社員証をタッチするという定形動作の削ぎ落としによって、ある程度の時間短縮には繋げられる。動作を2秒とし、一日に朝と昼食外出と退勤で4回、それを週五で年間260日、のべ2080秒でおおよそ34分。うん、短縮するには十分な時間だ。
「霊子情報を、導力器の鍵に」
「そう。だから『登録者以外では意味を持たない鍵』なんてものも作れるんじゃと」
エマさんから渡されたペンデュラムのように。
まぁ認証がいる物理鍵ってわりと逆に煩雑な気もするけれど。あれはつまり鍵さえ所有していれば誰でも扱えるところがポイントなわけで。そのメリットを潰すという点では馬鹿馬鹿しいとも言える。ただ複数人の霊子情報を登録出来るのならそれは外部を遮断する意味で汎用性とセキュリティ的な堅牢さを持ち得るとも。
「────今の話を踏まえてすこし纏めたい案が出てきてしまった、すまないがアリサ君」
「はい、ここは私に任せてください」
いきなり立ち上がったヨハン主任に対し、心得たと言わんばかりの笑顔でアリサさんが返してそのまま、ゆっくりしていってくれ、と言い残して白衣を翻した主任はダッシュで駆けて行ってしまった。
「そんなに面白い話だった?」
「研究員として残ってもらいたいなと思うくらいには」
最大級の褒め言葉に、ふふ、と二人で笑い合ってしまう。
「そういえばこれってクオーツは互換性あるの?」
「それがちょっと難しかったので、先輩には今使ってらっしゃるクオーツとほぼ同程度のものを融通利かせますよ」
「わ、ありがたいね」
ARCUSの恩恵にずっと与っていると自分の技量がわからなくなるので切って戦闘をすることもあるとはいえ、やっぱり『使わない』と『使えない』というのには雲泥の差がある。
「あとは暫く近辺に滞在してもらって、戦術オーブメントとしてのデータを取得しつつ導力メールや連絡帳、カメラなどの機能も使ってもらいたいなと」
「なるほど、それなら宿も取り直した方がいいかな」
長期滞在となるともう少し安めの宿にした方が懐の痛みが少ないというもので。依頼として経費で落ちるにせよそっちの方がいい。
「あ、それならうちの家を使ってください」
「へ」
「客間だけは余ってますから」
ラインフォルト家の住居といえば、確かこの本社の24階と25階をぶち抜いたペントハウスじゃなかっただろうか。うん、去年の補佐仕事でそういった文言を見た記憶がある。
「予備のカードキー、お渡ししておきますね」
「えっ、いやいやいや、さすがにそれは申し訳ないというか」
「……ARCUSIIとは別に、個人的に話したいことがある、って言っても駄目ですか?」
綺麗な金色の髪の毛の隙間から覗く、光を通した紅耀石のような瞳はあの頃から何一つ変わっておらず、やっぱり私は後輩の光に焼かれることになった。またか!
言われた通りに宿から荷物を引き上げチェックアウトしアリサさんの住居に入ってみると、天井が高いどころではない家でびっくりしてしまった。二階ぶち抜きって本当だったんだと震えてしまう。
市街を一望出来る窓を横目に、事前に伝えてもらっていた居住区階段裏手にある部屋に入ると、ベッドが一つ置いてある部屋だった。備え付けの机の上にはアリサさんが持ってきてくれたのだろうARCUSIIの現時点での仕様書の束が置かれている。
「おおー……導力ジェネレータがこんな間近でかぶりつきで見える……」
荷物を置いて窓辺に近づくと、導力の分配計画もしやすい大型の導力ジェネレータが左手の方に。これだけ大きな工場街だと個別に設置するより要所要所に大型のものを設置したほうが効率がいい、とは前に来たときに調べたし聞かされていたけれど、まさかこんな角度から見るとは思ってもいなかった。今はちょうど炉の辺りと同じ高さで、とんでもないところにあるなぁと改めてしみじみしてしまう。
手書きの簡易間取りは描いてもらったし、洗面所や台所、あとはアリサさんのお祖父さまの書斎、息抜き用のテラスの場所はわかるので滞在中に退屈することはない。
まぁ、ARCUSIIがある時点で私にとっては退屈とは無縁なのだけれど。差し当たって急ぎの通信が入るかもしれないから完全に導力を落とすことは出来ないけれど、おそらく目眩の原因だろうARCUSの中心結晶を外し同期を切った。OFF。
「おかえりなさい」
「……あれ、先輩ずっとそこにいたんですか?」
中央のラウンジのソファで、窓を前にしながらARCUSIIを片手に仕様書を読んでいたところにアリサさんが帰ってきた。エレベーターの駆動音から分かっていたので特に驚きもなく出迎えたのだけれど、逆に向こうを驚かせてしまったらしい。
「まず説明書は読むタイプでね」
「あはは、先輩らしいです」
手洗いを台所でさっと済ませたアリサさんは対面のソファに座り、置いていた水差しから通りがけに持ってきたらしい空のコップへ中身を注いで飲み干した。当たり前だけれどお疲れの様子で。
それを眺めながら、そういえば、と昔のことを思い出す。
「アリサさんたちが入学したての時、学生証が遅延してたと思うんだけど」
「えーっと、ああ、ありましたね」
「あの学生証についてるARCUSの説明書って1203年組が書いたんだよ」
「えっ、うちからそういう形の仕様書が送られてきたとかじゃないんですか!?」
「ないない。四月入ってからトワがヘルプコール出してきて、実はVII組の学生証だけ草稿すら出来上がってないって聞いて、全員で慌てふためきながら書いてさ」
「そ、それは、その、ご迷惑をおかけして」
「まあ滅多にない経験だったよ。で、その時にクロウが『仕様書の束渡せばいいだろ』なんて言ってたんだよね。その形で自分は読むのか訊いたら絶対に読まない、とか言うしさ」
私がクロウの名前を出したからか、アリサさんは笑いかけたのを押し殺し沈痛な顔をして私を見た。ああ、そんな表情を引き出したかったわけじゃないのに。
「……話したいことって、クロウのことかなって思ったんだけど、違う?」
「当たらずとも遠からず、ですね」
俯く視線。翳る瞳。落ちる前髪。膝の上で絡む指先は震えていて。
「────よし、じゃあ晩御飯にしよう」
「え?」
「勝手に台所使ってもいいってことだったから、スープ作っておいたんだ。一緒に食べてくれる? まあシャロンさんには敵わないだろうけど」
立ち上がった私がおどけつつ手をねだると、彼女は泣きそうな表情で、それでもしっかとたおやかな体温を預けてくれた。
「機甲兵のことです」
買ってきていたバゲットをスライスして焼き、じゃがいもやソーセージを煮込んだポトフをあたため、同じく用意していたレタスのサラダを盛り付けて配膳し、いただきます、と揃って挨拶をしたところでアリサさんが口を開く。
「先輩は、あれが蒼の騎神を解析したものだって、知っていらっしゃいましたか?」
「……直接は聞いていなかった筈だけれど、まあ、あれが騎士人形を模したモノだとは理解していたし、それなら模造元が蒼の騎神だっていうのは自明かな」
「そう、です、よね」
ぎゅっと口元を真っ直ぐにキツくキツく閉じる目の前の彼女は、自分自身を責めているのだと分かった。だって自分の実家が貴族連合軍に加担していて、蒼の騎神を解析していて、それで、その搭乗者である《C》────クロウ・アームブラストについて何も知らなかったなんてことがあるわけはないと、そう。
「大胆だよねえ」
でも、そんなの言ったらあの《鉄血の子供達》と呼ばれる特殊エージェントであるミリアムさんも、帝国軍の中でも精鋭が揃っていると噂されるクレアさん率いる鉄道憲兵隊も、正規軍情報局のレクター特務大尉も、……私も、誰も気が付かなかった。気が付けなかった。
「アリサさんがそんな風に思い詰める表情するなら、私はもっと深刻そうな顔した方がいいかな?」
「そんな……! 先輩は何も悪くないじゃないですか!」
「ありがとう。でもそれはアリサさんもだよ」
私の自虐に反射的にだとしても反対してくれる彼女は本当に優しい子だと思う。すこしばかり思慮が足りないとしても。
「この国の……トップはどうだかわからないけれど、その筋の本職が手に入れられなかった情報をたかが当時学院生であった自分が手に入れられていたかもしれない、なんて驕るのは止めておこう。リソースの無駄だから」
その後悔はとうに通ってきた。だからと軽視するわけではないけれど、それでも彼女は私にそれを吐露するべきではなかった。まずもって間違いなく、この世で一番向いていない人材だもの。
「でも、後悔の感情はわかるつもり。そして後悔しつつも諦めてはいないから、あなたはまだここにいるんだよね?」
私の問いかけに微かに肩を揺らした彼女は、小さくとも確かに頷いた。
いろいろあって家から出てきていた彼女は内戦を経て、自分の実家が帝国全土に何をしたのか知って、それでもなおラインフォルト本社に籍を置くことを選んだのだ。その心を私は応援したいと思う。
眼前に突きつけられた不条理から視線を逸らさず、立ち向かうと決めた高潔な信念を。
────私は"あの選択"を後悔してはいない。
それでも、彼女や彼らのように在れたらよかったのだろうか、なんて詮無い問いかけが何度となく響いてくることもある。どうであろうと結末が変わりはしなかったろうに。それこそリソースの無駄遣いというものだ。
「先輩には、敵いませんね」
「まあ、アリサさんお墨付きの分析力があるからね」
「それにはもう、随分とお世話になってます」
真面目に頷かれるものだから、うっ、と少し恥ずかしくなってしまう。自分で軽口叩いておいて照れるなんて何だという話だけれど、やっぱりクロウとかアンは会話が上手いんだなと思い知らされる次第だ。
「そういえば、こちらに来るのはもう少し遅れるかと思ったんですが……」
「ああ、連絡もらった直後は旧都近辺にいたのもあって海都の夏至祭に行こうかと考えていたんだけれど、十月戦役のケルディックの件を政府がノーザンブリアの猟兵に責を問う動きがあるって掴んで、その余波で海都方面もうっすら動きそうでね」
「!」
私の言葉に物を気管に詰まらせそうになったのか、アリサさんが胸のあたりを叩いて食事を飲み下した。
「そ、それってやっぱり」
「うん、貴族連合軍総主宰のカイエン公爵もケルディック焼き討ちを主導したアルバレア公爵も双方捕縛されているけれど、実働したのはルグィン伯爵に北の猟兵だから……内戦の咎について両方が結託出来ないうちに詰めたいんだと思う」
敵の敵は味方、というわけではないけれど、猟兵というのはある程度貴族の思惑で動くことが多く、また逃げ出した大公も貴族ではあったけれどそれについて割り切れるから猟兵として外貨を稼いで荒れたノーザンブリアの土地をなんとか存続させられていた。
ルグィン将軍は現在海上要塞に立てこもってはいるけれど、何らかの連絡手段を用いて北の猟兵と結託したら面倒なことになる。たとえ将軍の要求が領邦軍解体阻止で、猟兵と手を組んだら交渉の余地なしとして滅ぼされる判断がつくとしても、可能性を潰しておくに越したことはない。
そんなこんなで、海都で行われる夏至祭が例年通りのように開催されるなんてことはなく、一般人が入れる隙というのは海上要塞近辺ではあり得ないどころか近付いただけで殺される可能性すらある。無論『情報収集者』としては行くべきではあるのだろうけれど、今の自分にあの内戦の延長線上にある戦いを前にして冷静でいられる自信があるかと言ったら、まだ、ない。
「そう、ですか」
「と言っても十月戦役勃発時のような市街戦にはたぶんならないよ。将軍が陣を張っているのはジュノー海上要塞だし、海都とはすこし離れた場所にあるから。政府もそこは、わかってると思う」
「……確かに」
頭の中にある地図と照らし合わせて納得出来たのか、アリサさんの顔色が少しずつ戻ってきた。去年の十月末、帝都を襲撃する貴族連合軍の姿をクロチルダさんがラジオの導力波を介して私たちに見せてくれた。おそらくそれを彼女は思い出したのだろうと思ったからつい口を出してしまったけれど、当たっていたようだと胸を撫で下ろす。人を慰めるのはどうも難しい。
……でも、自分が"そう"であると教えられてからは少し見える世界が異なってきた気もする。相手の懐に入る隙が見えるというか。そんなようなものが。人と向き合うことを恐れていた私にとってこれはとても大切な武器になる。だから自覚的に磨いていこう。
「あ、そうだ。話は変わるんだけど」
「はい」
「ARCUSIIの新機能について訊きたくて」
「ブレイブオーダーですか?」
「そうそう。固有霊子情報を読み取って自動構築され、内部リンクした面子……つまり仲間同士でのみ恩恵を受けられる号令、ってピンとは来なくて」
かといってこればかりはソロで討伐をしていてもわからないものだ。アリサさんは研究の方で忙しいだろうし、同行してくれる人に心当たりはないかと。
「先輩ならそう言うと思って、明日カラブリア丘陵の方に出る予定にしておきました」
「仕事が早い」
既にお見通しだったことに笑いながら明日の打ち合わせをして、食器を片したりお風呂に入ったり就寝準備を整えさっさと眠ることにした。
1205/06/10(金)
「────《翠炎の刃》!」
ある程度の戦闘をこなし終えたところでARCUSIIに自動登録されていた号令を力の限り唱えると、すべての敵の行動が遅くなったように感じた。魔獣の急所がいつもよりずっとよく見え、そうして普段よりも身体も軽やかに。
いける、わかる、ずっと先まで跳んでいける。剣を握る手に熱がこもる。地面を蹴る脚に強さが宿る。どこまでだって何度だってこの腕をふるってすべてを薙ぎ払っていけそうな気さえする。────もし、この力が"あの時"あったなら私はあのぬくもりを喪っていなかったんじゃないかと、そんな錯覚さえ。
「……っ、先輩!」
悲痛な叫びと共に炎纏う矢が降り注ぎ、振り返りざまに手にしている剣ですべて迎撃する。声の主を見やればそこには再度矢を番える金の髪の少女……ああ、いや、アリサさんが、泣きそうな顔でそこにいた。ぐらぐらする頭を押さえつつ何とか周囲の安全確認をしてから両剣を納めて手を挙げれば、私が正気に戻ったのを理解してくれたのか彼女も武器を納め駆け寄ってきてくれる。
「だ、大丈夫、ですか……?」
「ええと、うん、ごめんなさい」
自分が何をしたのか。記憶している。理解している。端的に言えば狂戦士のようになったとでもいうべきか。恐るべき全能感に包まれて周囲の魔獣を皆殺しにしてしまった。これが盗賊相手であろうモノなら周りの芝は赤くなっていただろうことは間違いない。
「ちょっと出力強すぎた、かな?」
「そう、みたいですね。内部試験でも戦闘は行いましたが、やっぱり実戦レベルとなると外部に委託するしかなくて……まさかこうなるとは」
「あー……たぶん私の体質もあるんだけど、そういうのって数値化出来るモノなのかな?」
「体質?」
首を傾げるアリサさんに、先月エマさんと出会ったことやそこで教えられた自身の体質について簡単に説明すると、ふむ、と思案顔。
「……号令を出した際の身体能力等々を数値化し、上限を設ける形にすれば過出力にはなり得ないと、思います」
「つまり号令自体の出力を個別に弄るんじゃなくて、ARCUSIIの方に安全装置を組み込む?」
「はい。それなら自動構築されたオーダーを監視しなくてもよくなりますし、事故も減らせます」
「そっか。それはいい考えだね」
個別具体的に対応するのではなく、根本からどうにかするというのはオーダーメイド品である戦術オーブメント・ARCUSシリーズではとても大事なことだ。ただでさえその人の霊子情報を解析登録しないと本来の能力が発揮出来ないというのに、情報登録してから更に出力試験をしないと渡せないというのは二度手間になるわけで。
「やっぱり先輩にお願いして良かったです」
「そう? それならイレギュラー状態を叩き出した甲斐もあるかな」
無論自覚してやったわけではないけれど、ARCUSIIはARCUSよりもずっと精神の奥深くとリンクしている。その手応えがあるからこそ、ARCUSを同時同期している際にARCUS酔いとも表現出来る状態に見舞われた。ある意味でこの事故もそんなようなものだ。
境界を越える・越えさせる────深く影響を及ぼす・及ぼされる。そのことをもっと私はきちんと理解しないといけない。無自覚でいた二十年を巻き取るにはいったいどれだけの時間を積めばいいのやら。
「はい。数多の事故を未然に防げたんですよ、胸張ってください」
丘陵から吹く風に髪の毛を遊ばせてそう笑うアリサさんに、私は心のどこかがぎゅっとした。
トラブルメイカーではなかったと思う……けれど、トラブルトリガーであった自覚はある。見えないものを見つける、隠されたものを暴いてしまう。原住魔獣を脅かした人間による狩り。違法採掘。古代遺物の起動。それらの発見は斥候として自分の義務でもあったけれど、どこかで自分がいなければ彼らが巻き込まれることもなかったのではないかと、うっすら考えていたことを、いま言語化出来てしまった。
「……ありがとう、アリサさん」
「お礼を言うのはこちらの方ですって」
そう朗らかに微笑む彼女は私がどれだけ救われたのか分かりようがないと知りつつ、それで構わないと自分も青空の下で笑うことにした。
「そうだ、ルーレでジャンク品扱ってるいいお店知らないかな」
「それなら下層から行ける修理屋ジャッカスがおすすめですよ。私の父の師なんです」
「じゃあそこに行こうかな」
1205/06/11(土)
上層の建材が屋根になっているせいか昼間でもすこし薄暗い雰囲気で、下層からの階段を昇った中階層にその店はあった。
アリサさん曰く天才技師ジャッカス氏が構えているらしいけれど、店の前には箱が乱雑に、しかし絶妙なバランスでうずたかく積まれており、ジョルジュは綺麗好きだったんだなあなんてことに思いを馳せてしまった。
取手に手をかけ引いてみると見た目とは裏腹に軋みも歪みもなく扉は開いた。漂ってくる機械油のにおいには懐かしさが。
「おや、ここいらじゃ見ん顔じゃな」
技師用ゴーグルをつけ、剃り上げているのかつるりとした頭部の男性がカウンター向こうの作業場からやって来る。
「初めまして。アリサさんの紹介でこちらへ参りました」
「ほお、ラインフォルトのお嬢ちゃんからのお」
どうやらアリサさんのおかげで一番最初の段差は乗り越えられたと見ていいだろう。職人さんには社交的な方もそうでない方もいるけれど、ジャッカス氏がどちらかわからない以上すこしでも話を聞いてもらえる体勢になってくれたならもうそれだけで万々歳だ。
「で、何をご所望で?」
「ジャンク品を扱っていると聞いたのですが」
私がそう言うと御仁は、むっ、とした風情で眉間に皺を寄せる。ゴーグルで目が見えないけれど向けられた視線にもそういったものが含まれているから気分を害してしまったのだろう。
「ジャンク屋じゃなく、修理屋と言ってくれんかの」
「それは、失礼致しました。……改めてですが、修理品を置いているのですか?」
「イッヒッヒ、そうじゃな。導力革命以前のもんも、ちぃとばかし高くなるが修理するし、何なら棚に並べておることもある」
レンチで指し示された棚に視線をやると、確かに導力駆動ではない品物もかなりの数見受けられた。導力革命以前といえばつまり50年以上前の技術だ。たとえその時代に技師をやっていたとしてもとうに衰えていても不思議ではないそれをこの方は何ということもなく修理を請け負えると仰った。なるほど。
「では、第三世代型の戦術オーブメント……なんてものも、あったりしますか?」
私の言葉にぴくりとジャッカス氏は肩を揺らした。
RF社が主導したARCUSではなく、エプスタイン財団が作ったENIGMAでもなく、ペットネームすらついていない、とうに過去となった戦術オーブメント。アーツの使用は出来ず、完全に身体能力強化のためだけに作られているから一番仕組みが簡単で扱いやすいと目星をつけ、行く先々の工房や質屋で探してみたけれどさすがにそこまで古いと見つけられなかった。
「そいつをどうしたいんじゃ?」
「改造します」
ハッキリ言い切ると、ほう、とゴーグルの奥で視線が煌めいたのを見逃しはしなかった。あれは微かであっても興味をそそられた色。短期間で数々の職人さんと対話を経た経験がそれを教えてくれる。
「現在私は戦術オーブメントにARCUSを使用していますが、それとは別に霊子情報にリンクしない、ただの身体強化を施す戦術オーブメントを求めているんです」
ARCUSIIと同期してわかったことは、ARCUSIIと同時にARCUSは使えない。どころか身体異常をきたすことが数十分で証明されている。ARCUSはIIより簡素とはいえ軍事用のため不意の導力停止に対する安全機構はしっかり取り付けられているし、同期の切断だって中心結晶を嵌めることで接続をしていることから即座には不可能。
しかし前々から思っていたのだ。戦術オーブメントを使い分け出来たら────さぞかし便利だろうということを。
「しかしARCUSに比べると二世代も前のものは低出力且つLINEごとに使用できるクオーツは今よりずっと制限されるでしょう」
「────故に、改造し出力を上げ、クオーツの制限を取っ払う魔改造を施したい、と」
「はい。その改造を……ジャッカスさん、貴方に依頼出来ればと」
大真面目にそう告げた瞬間、イーヒッヒッヒ、と甲高い馬鹿笑いが店内に響き渡る。
「そんな提案をしてきた馬鹿もんは初めてじゃなあ!」
「ば、馬鹿ですかね!? 非常に効率的だと思うんですが!」
「イッヒヒ、新世代型じゃ足りぬ足りぬと望む貪欲さ、ワシは嫌いじゃないぞい」
馬鹿者扱いをされて、そうかあ?、と頭を抱えかけた所にそんな言葉が降ってきた。思わずがばりと顔を上げると、ゴーグルを額に上げて悪戯っ子のようにジャッカス氏は笑っている。
「ええぞ、ワシがチューンナップしようじゃないかの」
「えっ」
「面白いもんを聞かせてもらった礼じゃ。無論費用は頂くが」
「それはもちろんです!」
なんなら前金で十万ミラほど払ってもいい。現物を頂いたらで更に二十万。
旧型とはいえその時代の最新鋭の技術の粋を詰め込んだ戦術オーブメントを、原型を留めないほどの改造を施してほしいと願うならこれでも安いぐらいかもしれない。
「クオーツの方も可能な限り見繕っておくが、方向性は決まっとるんか?」
「筋力アップを最優先に、速度や回避も上げられたら、といったところですね。防御性能は皆無で構いませんし、また上級のものを別LINEでも付けられるなら複数個」
「ふむ、完全に囮前衛なんじゃな」
私の戦闘スタイルをスパッと理解して頂けたようで、ぞくりと背筋が笑う。嗚呼、こういう方に出会えたというのは本当に人脈に感謝だ。
「そんじゃ当分……一ヶ月はこんでええからの」
そう言ったっきり、奥の方へ引っ込んでしまわれて前金どころか報酬の話も連絡先も何も話せなかったのだけれどいいのだろうか。うーん、気分が上がっている時にあんまりお金の話をすると機嫌が悪くなられる方もいらっしゃるから、あまりこちらから突っ込まない方がいいかもしれない。銀行に行けば新型の導力車を数台買える程度のお金はあるし、なんとかはなる……だろう……たぶん。四人の遺産だからあまり手をつけたいとは思わないけれど。
一応ARCUSの通信番号を記したメモをカウンターから届く範囲の奥の机になんとか貼り付け、私は修理屋ジャッカスを後にした。
そうしてアリサさんの家に寝泊まりしながらARCUSIIでの実戦をこなし続け、ブレイブオーダーに関する調整や安全機構の設計・組み込み、レポート作成など目まぐるしく過ぎていく日々の中でとある一報がもたらされた。
1205/06/28(火) 22時少し前
「────ジャッカスさん!」
「おお、夜中だってえのに元気じゃの」
「だってだってこれが直ぐに来ないでいられますか!」
RF社もそろそろ閉まる夜中だから明日でもええぞ、なんて言われはしたがそんなので静かにしていられるほど自分が器用じゃないことを知っている。そしてジャッカス氏も私がそんな性質であることはもうとうにお見通ししている上で通信をして来たのだろう。カウンターでにやりと笑う表情がそれを物語っているのだ。
「っ、……あの、それが?」
「おう、ご所望の第三世代型戦術オーブメント……だったものじゃの」
カウンターの上に鎮座する鈍色のコンパクトのようなものが置いてあるので指してみるとそんな返答が。……"だった"?
私が首を傾げると、いやあ、とジャッカス氏は後頭部を掻いてへらりと笑う。
「まず分解したら無駄な機構が多くての? ちぃとばかし弄っていったら……のお?」
つまり天才技師にかかれば旧型なんて弄りたい場所が多過ぎてほぼ別物になったと言うことだろうか。うん、端的にやばいな。でもそんな方だからこそ誰に指示されるわけでもない自分の店を持っていらっしゃるのだろうことは理解した。気が向かないとネジ一本締めることさえしないのではなかろうか。
「起動してもいいですか」
問えば手で促され、ARCUSIIの主導力を切ってから左端にあるスイッチをスライドさせることで戦術オーブメントを起動する。それだけで私に身体能力向上がかかったようで、かなり古典的なつくりのようだと頷く。蓋を開くと3LINE6スロット、全てに火属性のクオーツ……それもおそらく上級の筋力向上のものが嵌め込まれていた。
「……こ、れ」
「全部におなじクオーツが嵌まっておるなあ」
弩級のヤバいものを手に入れてしまったかもしれない。いや、これめちゃくちゃ試してみたいけれどさすがにARCUSIIの試験運用時には使えないし、明日の朝まで待つべきか……いやでもな……。この近辺の魔獣だともう正直、素の状態でも余裕なことが多いのも確かで。
「そういえばスピナ間道の方に夜しか出てこん大型の魔獣がいるって話じゃったか」
わざとらしくジャッカス氏が私にちらりと視線を寄越してくる。
「窪地で通常通らんから領邦軍にも放置されてての~、誰か討伐してくれると助かるんじゃが」
「行かせて頂きます!」
スピナ間道なら前に歩いたこともあるし、大型魔獣が徘徊出来る場所なんて限られる。
「あっ、持ち出す前に料金はいかほどで」
「使用感の確認した後でええわい」
とっとと行ってこいと言わんばかりの手払いに敬礼をして、私は階段を降りるのも手間だとそのまま店を出て目の前にある手すりを乗り越える形で最下層に飛び降り間道の方へひた走った。
旧型とはいえ(ゴリゴリに改造されているし)新しい戦術オーブメントは楽しみだなあ!
間道を突っ走っているとそれでも突撃してくる魔獣はいるわけで、基本的に剣で捌きながら足技を混ぜつつ極力速度を落とさないよう相手する。だってRF社の一階ロビーが23時で閉まるのだからそれまでに入っておかないと要らぬ手間や心配をかけるのは間違いない。
まぁ入り損ねたら別に宿を取ればいいんだけど。ARCUSIIならリアルタイム通信でなくとも伝言は残せるし。それはそれとしてアリサさんと導力器の話をするのはハードウェアでもソフトウェアでも楽しいというか。
「……っと、あれかあ」
窪地の闇夜に紛れ他の魔獣を捕食する、大型の多頭蛇魔獣。
敵を一方的に見据え主力の剣だけをしっかと握り込む。今の自分にARCUSIIの恩恵はない。すなわち回避力も速度も上っちゃいない。あるのはただ剣を叩き込む膂力のみ。ああいう手合いは毒を使ってくるから本来であれば回避力を上げる方向でいくべきなんだろうけれどそれじゃあ意味がない。
ふ、ふ、と静かな調息をし、討伐対象が中型魔獣へその顎門を穿った瞬間、窪地へ踊り込む。獣は捕食する時が一番無防備だってのは共通項だ。
周囲を警戒していた頭のひとつがこちらへ首を伸ばしてくるのに合わせ、真正面から剣を構え地面を蹴って蹴って蹴って頭が剣身にぶつかっても止まらず蹴って!自身の突進と私の駆け足を合わせ数瞬で首の一つは首元まで真っ二つに割れ終わり、斬れた断面から血液を、他の首からは毒素を撒き散らされる。
毒を持つ魔獣の血液は毒をはらむ可能性がある。故に素早くずるりと首から引き抜いた返す刃でのたうち回る首を一本一本切り落とし、そうして魔獣は程なくして私が浴びた血液と共に光となって消えていった。
「……筋力を上げるってことは、地面を蹴る力も上がるってことなんだよなあ」
だから街道中もARCUSIIではなく旧型を使用し続けていたのだけれど、さすがに、身体が軋み始めたのを自覚する。常時起動するのはよろしくないか、と旧型の導力を切りARCUSIIを起動し再同期する。一応レキュリアをかけておこうと歩きながらクオーツを入れ替え、修理屋へ戻った時にはもう22時半を越えていた。
1205/06/29(水) 朝
「そ、それでその改造旧型をこれからも使っていくんですか……!?」
「うん。私は見てくれで侮られやすいけれど、武器にも出来ると思うから保険としてね。メインはもちろんARCUSシリーズのつもりではあるよ」
新型戦術オーブメントのテスターとして動くのならバグとなり得る旧型の存在は少なくともアリサさんに話しておくべきだろうと朝食の席で伝えると、なんてこったという表情をされてしまった。
「もしかしてデータに濁りが生じる?」
「いえ……たぶんその点は同時起動しなければ大丈夫だと思います。先輩の内部でコンフリクトしないからこそ報告にあったオーブメント酔いもないんでしょうし」
「ARCUSとARCUSIIは同期すると結局使用者の内部に痕跡が残るしねえ」
「はい、だからマルチコネクトでなくとも同期を完全に切らざるを得ません」
そうすると通信機能はともかくとして、戦闘用機構が完全に沈黙してしまうのだ。これでは戦術オーブメントとしては使いようがないので結局ARCUS系列の複数運用というのは現状無理だろうという結論になっている。
「ただ、他の方には勧めないでくださいね。先輩ですから問題ないとは思いますが」
「しないしない。それにジャッカスさんの協力あってこそだしね」
名前を出したところで昨日のジャッカス氏と交わした会話を思い出す。
報告に伺った後、想定よりずっと安い金額を提示されてしまい本当にいいのか食い下がったところで、代わりに情報をくれないかと打診されたのだ。《黒の工房》と呼ばれる裏の世界で暗躍する技術者集団について何か知っていたり思い当たることはないか、と。
問われた瞬間、私の脳裏によぎったのは例の《結社》であったり、騎神を作った集団であったり、あるいはミリアムさんや黒兎の彼女が率いている戦術殻のような不可思議な……武器であったり、そんなようなことだった。しかし金銭の代わりとして差し出すにはあまりにも不確定すぎるため、私は首を横に振ることしか出来なかった。
それなら何か似たような話や噂を聞いたら教えてくれと、本当に大層真面目な表情で言われてしまったので私はそれを了承することでこの契約は締結されている。
「普通他社が作った戦術オーブメントなんてブラックボックスだらけなのに、個人でそこまでピーキーな改造をする……というかそもそも出来るだなんて。つくづく常軌を逸してるわ」
「いやあ、本当にすごいよねえ」
バターを塗ったトーストに齧り付きながら、その黒の工房とやらに思いを馳せる。
この二週間で知った情報だけれど、ルーレの近代化をもたらした一人でもあるジャッカス氏があれほどまでに気にしているのなら荒唐無稽な話ではないんだろうと思う。そして私もそれを空想の工房だと笑い飛ばせるほど裏の世界を垣間見たことがないわけじゃない。
……そういえば、騎神の表面と戦術殻の表面の雰囲気はどこか似ていなかっただろうか。騎神はジョルジュの見立てでは古代ゼムリア文明ではなく暗黒時代辺りの技術だと言っていた。となると戦術殻もその辺りの出土品なのだろうかと考えられなくはないと思いつつ、どうも、何か、ズレているような気がしてならない。そう、戦術殻はそれより思想がずっと新しいような────。
「……先輩?」
「ああ、いや、ちょっと考えごとしてた。ごめん。今日はまた高出力試験だっけ」
「はい。それを境にルーレでのテストは一旦終了となりますね」
するとこれ以上はそれこそ帝国各地へ訪れる予定のある私の仕事になる。地上に住む生物は動植物関係なく等しく霊脈に干渉されている。つまりそれは霊脈の直上に近付けばARCUSIIも不調をきたす可能性がある、ということだ。そうでなくとも導力波の関係で通信が繋がりづらくなったりする繊細な品なのだし、環境を変えていくのはどうであっても必要になる。
「あっ」
またぞろ物思いに耽りかけたところでアリサさんが立ち上がってばたばたと自室の方へ向かっていく。何かあったのかな、と考えつつも声をかけられなかったので私が関係する部類のことではないのだろうとプチトマトにフォークを突き立てた。すこし青っぽい。
「これっ、先輩にと思って開発室から持ってきたんです」
差し出されたそれはARCUS。カバーは汎用品のRF社の刻印がされているもので、特に見覚えがあるわけじゃない。そもそも私のARCUSはポーチに入っているし、これがどうしたのだろう、と随分軽いそれの蓋を開いた瞬間、息が詰まった。時水時の、2LINE。
それが誰のものであるかなんて分からないワケがない。
「機械部分は殆ど取り出していて、戦術オーブメントとしても通信器としても使い物にはならない、モックアップみたいなものです。規定によりカバーも替えています。……でも」
「ううん、ありがとう。そっか、遺体を預けたジョルジュからそっちに回ったんだね」
ARCUSは軍に配備されつつはあったけれどそれでもまだ試験運用品で、研究対象だ。それが内包するデータは企業にとって何がなんでも回収するべきもの。個人の感情如何で勝手に下げ渡していいものじゃない。だけどこれは然るべき手順を踏んで、いま私の手元に来てくれた。
「大事にするよ」
二年間クロウの傍にいたそのちいさな相棒は細かな傷だらけで、しかしどこか誇らしそうにしてそこにいる。それがなんだか私も嬉しかった。まるで君が笑ってくれているみたいで。