1206/08/26(土) 夜
目を覚ましたらまたもや知らないベッドの上だった。……もう嫌になるなこの繰り返し。
ごそりと上半身を起こし枕近くに置かれていたARCUS端末を開けば19時前。血で汚れたからか簡単なシャツに着替えさせられていて、迷惑かけちゃったな、とカーテンを開きながら降りて靴を履くと淡いピンク色の医療従事者服に身を包んだ女性が作業机からこちらを見ていた。
「起きられたんですね」
嬉しそうに寄ってくるその顔に見覚えは、ある。確かガイウスくんと同じ美術部の女生徒だったろうか。つまりトールズの後輩ということになる。
「はい。……ええと」
「ここはカレイジャスIIの医務室で、私は専属医を務めさせて貰っているリンデと申します」
「あ、これはご丁寧にありがとうございます。セリと申します」
二人で深々と挨拶をしたところで、人が集まっている気配が上階にありちらりとそちらの方に視線を向ける。とりあえずそちらに行こうか。
「それじゃ、ありがとうございました」
「どこかへ向かわれるなら案内しましょうか?」
「いえ、とりあえず会議室らしき場所に行くだけですのでお気持ちだけで」
詳細走査をしなくても階段なりなんなり見つけられるだろう、と医務室を出ると左手前方に昇降機が見え近付いていく。箱を呼び出し2Fと書かれた扉をくぐり3Fへ。
カレイジャスII。目の前を通られた時は光学迷彩だったし、迷彩解除後は頭がふらふらだったけれどおよそ90アージュほどの飛行戦艦だ。爆発四散したという先代が74アージュなのだから随分と大きくなったものだ。いや成長したわけではないけれど。
新造艦にはモニターでちらほら見えていた第II分校の生徒、そしてトールズ221期生が主に乗っているようで艦のあちこちに気配がある。けれど降りた3Fのラウンジはしんとしており、人の気配が集まっている会議室の扉横に背中を預けた。
今更入っていって会話を中断させてもアレだし、ここからでも少し頑張れば会話は聴こえる。だいぶ遮音性は高いけれど。
『帝国の呪いについての最後の真実が知りたければ来るがよい。我が真名と使命に賭けてヌシらの疑問に答えてみせよう。必要なのはVII組全員の試練──それ以外はセリーヌくらいか』
とはいえ話も終わりに近かったのか、ロゼ殿のそんなまとめのような声が聞こえてくる。
『それと、扉の外にいる阿呆は後で覚悟しておくがよい』
お……っと。これはロゼ殿直々お叱りコースの予告かな?困ったなぁ、とぼんやりしているとモニターが切れる感覚と共にばたばたと部屋から走る音がしていの一番に出てきたのはトワとアンとクロウといういつもの面子だった。
「やっほー」
「やっほーじゃねえんだわ!!」
クロウのお怒りの言葉と共に腕を掴まれ、おわっ、と思っているうちに昇降機正面にあったラウンジの椅子に座らされ、空いている他三つに三人がそれぞれ座る。
そんな流れの中でぞろぞろとVII組やリベール組やクロスベル組など、そしてオリヴァルト殿下たちが部屋を出ていく。軽く声をかけられたり、後で医務室に行きますからね、とエマさんガイウスくんから圧力をかけられたりしてしまい、いやもう本当にどうしたもんだかと。心配されている内が花とは言うが。
「セリ、君がいま怒られてる理由はわかるかい?」
「……鼻血出してぶっ倒れるぐらい自分の身体を酷使したから?」
でもたぶん、あの場で自分が最大限に出来ることを考えたらあの択になるのは間違っていないと思うし、人形兵器の破壊・妨害活動を最速で止められたのは私以外にいなかったろうという自負がある。それについて譲る気は毛頭ない。
「一緒にいた筈のトワの白い制服が真っ赤になって、お前も顔から胸の辺りまで真っ赤にしてオーレリアに抱き抱えられて合流した時は、ほんと、血の気が引いた」
心配をこぼしながら掌に自分の額を預ける姿を見せられたら、引くような血の気なんてないだろう、なんて軽口はさすがに言えなかった。
しかし言われてみれば確かにトワも着替えていて簡単な白いYシャツに上着を羽織っているだけだ。最後抱き止められた記憶はあるし、多少乾き始めていたとはいえあの制服に血の痕は少量でも目立ちそうなのでさもありなんではある。
「……でも、セリちゃんとキーアちゃんのおかげで最悪の事態が免れたのは事実、なんだよね」
私のことを一番に怒りたいだろうに、それでも私がどれだけ艦橋から物事を視ていたのか分かっているからこそそれを怒る材料に出来ないのだろうトワが呟いた。
……正直、あの程度では死なないと分かっていたから敢行したのだけれど周囲はそうもいくまい。それに途中からキーアさんが来ていろいろ掻っ攫ってくれたからだいぶ楽をしたところはあるわけで。でもその感覚がわかるのってごく一部なんだよなぁ。
「そいつは……」
「否定は出来ないね。奇襲も挟撃も回避出来たのはもちろん感謝しているよ。でもだからって私たちの心配を蔑ろにしていいワケじゃないだろう」
言い澱んだクロウの正面でアンがぴしゃりとそう言い切る。いつものような軽薄さは微塵もなく、本当に怒っている時の顔。私が彼女にこの顔をさせるのはもしかしたら初めてかもしれない。なればこそ私は私の意見を告げさせてもらおう。
「言い分はわかる。だけど私は間違ったことをしてないって思うから謝れない。雑魚の放置は死に繋がるし、あそこでの死は世界大戦へのショートカットだった。もし過去に戻ってやり直すとしても私はきっと何度でも同じことをする。記憶があれば最適化はするけどさ」
謝る必要がなくたって、謝ることは出来る。反省したフリだって出来なくはない。でもアンを騙せる気はしないしそも騙したくない。
……こうして話すと本当に思い知らされるなと内心で嘆息する。アンはふらふらしているがそれでも人の上に立つことを教えられてきた人間だ。自分の命がそう軽くないことを知っている。それは私の生き方とは全く異なる思考で、私がおそらく生涯持ち得ない感覚の持ち主。
「ただ、その、心配をかけないよう、エマさんに助力をお願いするとか、出来たかもしれないけど……発話って単位時間あたりの情報コスパ悪いよね?」
「その感覚はおめーだけなんだよ。俺が言うこっちゃねえが基本話すしかねえだろ」
確かにそれに関してだけはクロウに言われたくないな私。意思疎通を放り投げて監禁したり帝国の外へ逃そうとしたのはどこのどいつだったのやらと言いたくなってしまう。今更言いはしないが根に持ってはいるのだから。
「……ねえ、セリちゃん」
「うん?」
「セリちゃんの他者への情報流入、あるいは自己情報取得って、どういう条件が必要なの?」
何か思いついたのかトワが質問をしてきたので素直に答えることにした。
まず第一に信頼関係、双方の心の余裕、あとは思考表層にあれば読み取りやすい。まぁ霊脈の上であればそういった前提をある程度は無視してVII組に強制インストールした程度のことは可能だけれど生身単体となるとそうもいかないわけで。
「じゃあ私、たぶんセリちゃんに対するチャンネルって開きっぱなしだと思うんだ」
正面にいるトワから両手を差し出され、すこし戸惑いつつも両の手を重ねる、と、私が気絶してから今に至るまで何があったのか、というのが瞬間的に流し込まれた。膨大な情報量────だっていうのに、あまりにも整然としすぎている。
まず、皇太子殿下の暴走を遠隔魔術通信によって鉄血宰相殿が収め、そしてその場でルーファス公子殿が大地の竜が走る日付を九月一日正午だと宣言した。それにより世界大戦が始まると同時に騎神戦である七の相克も完全に連動し、騎神の起動者はいよいよもって讐し合いをし始めるという。
そうして、オリヴァルト殿下が生きていた、遊撃士であるトヴァルさんも同様に。であればとなるヴィクター・アルゼイド子爵閣下も生きてはいた、らしい。しかし帝国最強の剣士として黄昏に行われる相克を盛り上げる強制力に捕まってしまったのだと。
加えてレジスタンス活動を行なっていたバニングスさんへの手配も一時取り止められ、クロスベルやミシュラム等に出入りすることを黙認されたということまで。
以上のことを受け、焔の末裔である魔女長ローゼリア殿がVII組とセリーヌさんに話があると対話を望んだ。帝国の呪いを、此度の真実を、見通す可能性がある水鏡の霊窟にて。
「────」
私がどういう形で情報を受け取るかなんて分かるわけがないのにそれでもさっき伝えた情報からどういった形が望ましいのか・好ましいのか推測して、意図的に組み立てているとしか思えない。私が言うのもなんだけれど人間業じゃないだろうこんなの。
ぞくりと背筋に衝撃が走る。この密度の情報をたったの数秒でやりとりが出来ると、彼女は私に証明し論破して見せたのだ。これでもまだ文句があるのかと。
……ああ、うん、そうだ。1203年組に我の弱い人間なんていない。誰も彼も一筋縄ではいかなくて、でもだからこそ愛おしい。
「セリちゃんが大変な状態だってのは、理解はしてて、その上で分かりっこないなって思う。だから言わなくていいけど、私に渡して」
意志の強い金糸雀色の瞳が私を見る。
「セリちゃんが出来ないことを私────私たちが引き受ける。チームってそういうものだよね」
それは、いつかの日。私がトワに言ったことだったか。
夜中に寮内に変な気配がして起きた夜、戦闘経験が浅い自分がどうして新型戦術導力器ARCUSの運用試験組に選ばれたのかと悩んでいたトワを見つけたのに。今では私が言われる立場だなんて。
「……トワはいつだって凄いねえ」
「それに実際問題、セリちゃんの一番近くにいる可能性が高いのって私だと思うんだ」
私がくしゃりと、どんな表情をすればいいのかわからないで呟くと非常に現実的な意味合いでの提案だと言うのも示される。
「あー、まあそれはそうだろうな」
「私とクロウは完全に戦闘要員だからね。特にクロウは相克絡みであれば表に出ている」
「セリちゃんの思考のクセとかそういうのを含めて、ごちゃついた状態で渡されても理解できる人間の一人だって自負はあるよ」
にこりと手を繋がれながら笑われて、自分だっていろいろ大変な筈なのにそれをおくびにも出さない。それが辛いけど助かる側面もあって、私はやっぱりぐちゃぐちゃになってしまう。
「あとね」
接続詞を呟かれたと思ったらトワの瞼が閉じ、手に、力が籠められ、て。
────セリちゃんがきっと気付いてるより、わたしセリちゃんのこと好きだからね?
そんな、"生"の感情が、言葉というフィルターを介さず直接身体に流し込まれる。感情が指先から、掌から、あたたかさが全身に広がっていって。ただひたすらにやさしいものだというのに、他人の感情ってだけで刺激が強すぎる。
今までは情報取得としてしか使ってなかった、から、特に。マージョリーさんにされたのなんて比じゃない。あんなの偽物でおままごとだ。
「と、とわ……?」
「ふふ、セリちゃんのよわいところ見つけちゃった」
すこし悪戯っぽさを含んだ珍しい表情でトワがそう笑うものだから、ああかわいいなって、なんかもうそれだけで全部どうでも良くなってしまった。かわいい。すき。
「……カレシ差し置いてイチャついてやがる」
「いいんじゃないか? 私としては眼福でしかない」
「いや、ま、悪くはねえけど……あっ、つってもゼリカお前セリに手ェ出すなよ! カテゴリが違うからな!」
1206/08/27(日)
朝はカレイジャスIIの引き継ぎから始まり、私はといえば殿下の許可を得て艦の隅々まで感覚を広げることにした。0.1リジュの誤差もなく、ぴたりと外装までを自分の身体として落とし込んでいく。もちろん普段は情報量が多すぎるから切り離しておくけれど、それでも即座に繋げる程度にはしておくからトラブルをある程度は減らせる筈だ。
その代わり……というわけではないけれど私は極力艦橋に近付かないことになった。
艦内把握でトワに案内された昨日、カレイジャスIIの艦長席には古代遺物が置いてあることを知った。通信系統に働きかけるものらしく、私と相性が良すぎる可能性がある。例の超長距離通信が可能なアプリ、VIIの輪の中核担当をしているようで、暴走させてもいやだなと。状態は安定しているように見えるとはいえそれを崩す可能性は排除すべきだ。
古代遺物が壊れるか、私が壊れるか、はたまたなにもおこらないか。故に、自主出禁。
トワは会議室でミハイル少佐から指揮支援システムについて教わっており、アンはカレイジャスで舵を握っていたこともあり操舵を任されるらしく艦橋におり、二人とも仕事の最中だ。
まぁ私も昨日ざっとの案内はされたものの、自分の手足のような感覚をもっと厳格にするために艦内をうろつき回っているので仕事の延長線といえばそうかもしれない。
艦橋から始まり、会議室、遊戯室、浴室、訓練所、端末室に資料室、仮眠室、昨日お世話になった医務室、購買や食堂も併設されており、倉庫と工房と格納庫まで。騎神や機甲兵はもう飛び続けなくても良くなったのは本当によかった。どんな天候でも外気に晒され続けるというのは、たとえ外活動が前提されているにしても機体の寿命を考えればよろしいことではないからだ。
遊戯室にはクロウと例のスタークくんがいる気配を感じ取り、入るのはやめておいてその他を回っていく。彼にとっては死んだと聞かされていた兄とまた話せるなんて夢みたいな出来事で、どれだけ慕っていたのか曲がりなりにも知っている身としては邪魔をしないようにしたい。
階段を降って甲板へ出ると吹く風の寒さに季節の狂いようを感じさせられた。でも今はそこまで速度を出していないとはいえ、高速巡洋艦なのだから甲板が寒いのは当たり前か。パンタグリュエルでのあれがおかしかったのだとやっぱり思う。
一番賑やかな二階を抜け格納庫に向かうと綺麗な蒼が奥に見えてそちらに歩を進めた。
「セリか。具合が良くなったようで何よりだ。昨日よりもだいぶ安定している」
うんうん、と人間のような仕草で頷くオルディーネに苦笑をこぼしてしまいつつ、その言葉にはたと気が付いてしまった。
「……そうだよ、オルディーネには私の体調筒抜けなんだから、君から言ってくれたらもうちょっとみんな私の言葉を信用してくれたと思うのだけれど」
「それは無理だろう」
だというのにコンマ1秒もなく否定されてしまう。もうちょっと考えるそぶり見せてくれてもいいんじゃないかなぁ。いや言い出しておいてアレだけれど私も通用するとは思っていなかったのでそれを看破されただけなんだろうけども。
「そなたのことを我がごとのように想ってくれる友人は得難きものだ。例え今は離れていても」
「……うん」
オルディーネの諭すような言葉で、オリヴァルト殿下が教えてくださったカレイジャス号爆発の顛末についても思い出してしまった。
かの艦に爆発物を仕掛けたのは間違いなくジョルジュであるというのに、爆発する瞬間に起動する耐衝撃重力結界を組み込んでいたというおそろしいほどの矛盾。生きていたからいいだろうなんて絶対に思わない。地精であり、アルベリヒの行動に加担したことがどれだけの人の命を奪っていたのか知らなかったなんて言い訳はさせない。────でも、私たちの命を救ってくれたのも間違いなくジョルジュなんだ。
「言葉を尽くさず分かってもらおうなんて、烏滸がましいよね」
こぼれた言葉は誰に対してのものだったのか。少なくとも他者に対してであればもう完全に高速ブーメランになる。
「……それがセリにとって難しいことである、というのは我が起動者も分かっている。だが懐に入れたものにはとことん甘いところがあるからな」
その言葉に、確かに、と笑ってしまいお互いふわふわした空気を作り上げたところでARCUS端末が振動し始めた。耳元のヘッドセットで応答すると、今どこだ?、というクロウの声。
「今は格納庫だけど」
『暇だったら3Fの遊戯室まで来れたりしねえ?』
「いいよ」
オルディーネに手を振って歩き出し指定された階数まで階段経由でたどり着く。意識的に運動しないと鈍っちゃうもんね。遊戯室前に到着しパシュッと開いた扉の向こう、バーカウンターの端っこにクロウとスタークくんが座っているのが見えて近づいて行った。
「おう、来たな」
嬉しそうなクロウが飲み物を手に立ち上がって私たちをソファ席の方に誘導するのでとりあえず要望には従っておく。
「スターク、こいつは俺の恋人のセリ。そんでもって……」
「久しぶり、スタークくん」
「はい、本当にお久しぶりですね」
満を辞して紹介し始めました、というクロウをさておいて挨拶すると、えっ、という短い驚愕が聴こえた。それには思わず二人してにこにこしてしまう。まぁそうだよねえ。まさかここが既に知り合いだとは思わないよねえ。前にジュライのこと話した時も伏せてたし。
「えっ、ちょ、は?」
「去年の四月以来だから……一年半ぐらい? 分校に来てるのは知ってたけど」
「そうですね。なかなか挨拶する機会もなかったので」
まぁ私は分校協力者でもなんでもないから実習地に近付くことは極力しなかったので仕方ないだろう。学院とはいえ軍関係地に一般人が容易く近付いていいなんてことあるまい。
「お前ら知り合い、だった……のか?」
「師匠のお墓参りで偶然会って、そこでクロウ兄ちゃんが……死んだって聞かされたんだ」
それで諦められたらよかったのに、クロウの死の真相を確かめるためか北西端のジュライから帝国の中央まで出てきてしまうのだから正直行動力が恐ろしい。クロウは年下の男の子を狂わせる何かがあるのか?……あるかも。
人懐こい笑顔で当たり前のように兄貴面しておいて、そのクセ消えると決めたら一瞬で目の前から消えるのだから残される側としてはたまったものではない。ある意味で効率のいい傷の付け方とも言える。
たぶん、自分の存在なんて大したことがないとたかを括っているところがあるんだろう。失敗が許されない長期潜入任務で本名を使っていたことからも明らかだ。全くもってそんなことはないというのに。
「なんだよー、じゃあ要らねえ気ィ使っちまったな」
「でもクロウ兄ちゃんの大事な人をちゃんと紹介してもらえて嬉しいよ」
「そうだね、引き合わせたいって思ってくれたのは素直にありがたいというか」
「……そうかよ」
私たちが重ねてその行動が嬉しかったと伝えると少し恥ずかしそうにしたクロウがソファの背もたれに身体を預けるもので、思わず笑ってしまった。かわいい。
そうして様々な準備が終わり、カレイジャスIIの運用も問題ないと判断されミルサンテにあるガラ湖北部に光学迷彩を駆使して着水。下船する人々に挨拶をし、VII組が月霊窟へ入るのを見送った。
「……ランドルフさん、この後お時間どうですか?」
甲板から艦内へ戻る際オルランドさんへそう声をかけると、長くひとつにまとめた猫毛のような赤がふわりと翻って私を見下ろした。
「随分と珍しいお誘いがあったもんだな。彼氏が妬いたりしねえか?」
「……私が話したいと言っていることにクロウは関係ないでしょう」
アダルウォルファの時もうっすら感じていた記憶があるのだけれど、誰も彼も私のことをクロウの持ち物だと思っているような節がある言動は正直謹んでもらいたい。クロウがどうであれ私には私の目的があって行動している。
それにクロウが誰と話していようと別に私が関与すべきではないとこちらも思っているし。……まぁ、その目的が嫉妬を煽る為であればよして欲しいものだが。
「そいつは確かに。悪いな。折角だし珈琲でも奢らせてくれや」
「珈琲もいいですけど、ビリヤードとかどうです?」
私の提案に一瞬止まったオルランドさんだけれど、楽しいことになりそうだ、と頷いてくれた。
二人で連れ立って遊戯室へ向かい、互いにそれぞれ自分の身長や手に合ったキューを選びルールと使っていいショットの確認をしてゲームを開始する。とりあえずナインボールで五点先取だ。
「しっかし、どうして俺を誘ったんだ? トワちゃんは難しいにしても、ツレに得意そうなのがいるだろ」
「まぁ明け透けに言えば貴方が一番私と関わりが少ないからですね。別にビリヤードでなくてもよかったのですが、ゲームは会話が少なくてもお互い分かることは多いでしょう」
先攻後攻を決め、私がブレイクショットプレイヤーになる。手早く初期配置を組み、一ショット。あまり有利なバラけ方にはならなかったな、と台から身体を離して相手に明け渡した。
「そいつは、どういう」
「月霊窟からリィンくんたちが帰ってきた際、情報共有には私を介するのが一番早いです。ただ貴方のことを私は知らないですし、貴方も私を知らない。つまり精神抵抗値が高くて情報共有し辛いんです」
殿下とも関わりは低いけれど、あの方はそもそもの抵抗値が低い。人柄が成せる業なのかどうなのかわからないけれど、芯がしっかりしているというのにオープン度も高いというのは奇妙な方だ。ティータさんも多少話してはいたし、ご本人自体の性格もあってかそこまで問題はない。しかしオルランドさんは元猟兵であり、他者に心を開いているように見せてその実そんなことはなく冷静に物事を俯瞰している。どこかクロウにも似ているそれ。
「……ああ、そうか。お前さん、キー坊と似てる力を持ってるんだったか」
「彼女ほどではないですがね」
私を人工異能者というのなら、彼女は人造至宝だ。かつてあの地にいた人間たちの怨念のような妄執の産物。人造人間という枠組みを大きく超えている。それでも、ふつうの女の子だと言い切ってくれた人たちがいたから彼女は今もああやって笑っていられる未来を掴んだ。
パンタグリュエル襲撃の際、繋がって見てしまったのは不可抗力だと言えるのだろうか。吹聴する気はもちろんないけれども、だ。
「ただ介入でこじ開けることは疲れるためあまりしたくないので、まずは会話からかなと」
互いに手番を交代しながら話を進めていくと、いやいやもっと手前で友好を深める手があるじゃねえか、とオルランドさんが言う。盤面に下ろしていた視線を上げると、少し緑がかった青い瞳がこちらを見ていた。
「ランドルフじゃなくて、ランディって呼んでくれよ。愛称は友愛の第一歩だろ」
それは、まぁ、私も考えないではなかった。だから心の中ではファミリーネームを呼びつつも呼びかけでは親しみを込められたらいいなぁという希望的観測のもとランドルフさんと呼んでいたのだけれど。
「……では、お言葉に甘えて。ランディさん、私のことはセリと呼び捨てで構いません」
そうして共通の知り合いであるトワやリィンくんを筆頭にお互いの仲間のことを話しながら、多少は仲良くなれたと思う。たぶん。
勝負はランディさんの勝ちだったのでいずれリベンジを果たそう。
「ローゼリアさんから話を聞き、真実が映るとされる月冥鏡を見てきました」
月霊窟からVII組が帰ってくるなり作戦会議室に集められ、リィンくんの視線が私に向いた。過不足なく情報を共有したいとなったら私という存在は非常に使い勝手が良く、また時間の圧縮にもなる。
「……リィンくんにちょっと強く触れるけど、仕方のないことだから各員誤解しないように」
言い訳がましいことを口にしながらリィンくんの両手を取り、心臓に頭を預ける。とくりとくりと生物の鼓動と共に月霊窟で見聞きした出来事が私の中へ。そうして、周囲の人たちへ。
まず、ロゼ殿は先代の魔女長殿の使い魔であり、九百年ほど前に生まれた。となれば暗黒竜の顕現などが遠因となったとは容易に想像がつく。そして先代は焔の一族と女神に遣わされし聖獣が融合した存在であり、ローゼリアとはその聖獣名であり使命を継ぐモノという意味になる。
その先代魔女長を直接的か間接的かわからないにせよ殺した地精は八百年前の帝都奪還以降魔女や表舞台と袂を別つことになり、今日まで姿を表すことはなかった。
その中でゲオルグという存在は生まれ、工房から出る際に記憶はフェイクと入れ替えルーレに居を構え、学院に入学し、私たちと出会ったらしい。知らない記憶の中で生ぬるい友人ごっこに浸るのは、小説の登場人物のようで悪くなかったという独白が、視えたのだと。
クロウを不死者として甦らせたのも、アンや私の扱いも、カレイジャスの保険にしたって、それはただ単に相克を盛り上げる為のパーツ、効率を重視したからに過ぎないなんて欺瞞を抱えて。
それから紫の騎神・ゼクトールの起動者としてクラウゼル氏が選ばれたこと、そもそも西風の旅団と赤き星座が団長まで交えて戦うことになったことまでがそもそも仕組まれていたようだ。彼らは『どうしてそこで、ああまでして戦わなければならなかったのか』自身でもわからないと呟いていた。呪いの強制力とやらに方向を見出してやればそんなことまで出来るのかとそら恐ろしくなる。
紫の騎神の乗り手の勧誘を行ったのは黒のアルベリヒ────かつてフランツ・ルーグマンと呼ばれアリサさんの父親であったその人も、元々は確かに"フランツさん"であったらしい。しかし地精の長は魔女のように聖獣を取り込んで永い時を単体の個体が生きるのではなく、優秀な地精の子孫に記憶ごと融合を果たすことで不死を実現している存在だという悍ましい事実が判明した。
記憶と技術の継承。確かに、霊力を扱うのに長けている魔女とは異なったアプローチで不死を実現しなければ技術というのは個体の死亡によって細かに失われていく。『誰』であろうと技術という華の前では関係がない。人格に意味などない。それこそが黒の工房があそこまで技術を発展させられた理由の一つと。
そしてその地精の長が主と呼ぶギリアス・オズボーンはドライケルス帝の生まれ変わりであり、ユーゲントIII世陛下は黒の史書でそのことを存じていらっしゃったという推測が立っている。
大帝は晩年までずっと"黒い闇"に蝕まれ続けており、そのことは最終決戦で落命しエリンの里で不死者として目覚めた槍の聖女殿も知っていたため250年間、帝国を見守りながら愛した者の魂がこの世でまた目覚めるのなら一身を賭して守るつもりであったという。
そうしてオズボーン殿が幸せな家庭を築き、もう心配もないだろうと聖女殿が目を離した隙に大帝の魂を狙う"黒い闇"────すなわち、帝国の呪いとも呼ばれる地精を隷属した黒の騎神・イシュメルガは呪いを手繰ることでオズボーン殿の妻子を謀殺し、ドライケルス帝の魂を手に入れる算段をつけた。
オズボーン宰相がクロウに心臓を撃ち抜かれても生きていたというのはつまり、イシュメルガとの取引で心臓を息子であるリィンくんに移植し、既にその頃から不死者化していたということによる結果なのだと。死者を殺すことは不可能であるがゆえに。
実に14年以上も死者がこの帝国を牛耳っていたという事実も恐ろしい。
此度の騒動の根源である黒の騎神は、しかしそも千年以上その姿を晒すことはなかった。
だが騎神とは自我を持ち、己の起動者を魂で選ぶ。イシュメルガの存在はその騎神の自我が悪意に目覚め、永劫の命を持つ存在が呪いという形で帝国の歴史に介入してきた可能性が大いにあることの裏付けにもなり得るのだと。
技術を尊ぶ地精が、世界の崩壊を導こうとするイシュメルガを主と崇めるのは本来であれば有り得ることではないが、しかし大地の聖獣が暗黒竜を介し呪いに侵されてしまったこともあってか一族の魂ごと隷属させられてしまったのだろう、と。
────七の相克の果てに錬成されるという巨いなる一という概念に己が成るために。
「……とんでもない、ねえ」
胸に預けた頭を離し、繋げていた手を解放してリィンくんから二歩ほど退き呟いた。
情報の圧縮を抑えなるべく頭がぐちゃぐちゃにならない程度に流そうとはしたのだけれど、それでもまだ圧縮をし過ぎてしまっていたみたいでアルフィン殿下やエリゼさんなどは頭痛に耐えるかのように軽く頭を押さえていた。
逆にオリヴァルト殿下をはじめとし、トワにアン、ランディさん、そして意外なことにティータさんあたりは周りを見る余裕のある顔をしていた。今までの人生経験などによるものだろうか。
情報量も処理速度も違うとはいえ、トワの思考形成については学ぶところが多そうだ。
一応私が受けた情報が間違っていないかの確認も兼ねて月霊窟組にも流していたけれど、特に問題はなかったようで、ええ、とリィンくんから頷きが返ってくる。
「各勢力の思惑はどうであれ、帝国の呪いたる元凶は見えてきたということだな」
「ユーシスの言う通りそれが分かったのは途轍もなく大きな収穫だ」
「つまり七の相克を通じてその元凶を何とか出来れば……あるいは、ですね」
マキアスくんの言葉を受け取るようにエマさんが総括し、リィンくんが己の拳を握りしめる。
「ああ。ローゼリアさん達のおかげで俺も相克への覚悟を固められた。ミリアムとヴァリマールの想いに応えるためにも、今は前に進むだけだ」
「ではさっそく移動計画を立てるとしよう。次の目的もハッキリしたようだしね」
リィンくんの決意に応じるようにオリヴァルト殿下も頷く。
次の目的。すなわちロゼ殿が霊視してくれた各地の状況の中で最も重要な二組の騎神と起動者の動向。紫はサザーラント州アグリア旧道の近くにある龍霊窟、銀はクロスベル南にある星霊窟に陣を張ったのだと。
それは黄昏が極大となる大戦を前に争う気はない、という意思表示にも思える。
「ここからの距離を考えると団長のいる龍霊窟への偵察が先かな」
フィーさんがほんの僅かにだけ複雑そうな顔をして呟き、一同賛成して午後は各地から上がってきている要請をこなしつつ龍霊窟への偵察をすることになった。
私はといえば大戦の開始が一日ということは、その思惑を外したいことを考えればこの数日は騎神の稼働が多くなろうと判断したのと、私がリィンくんを読むことを事前に察知したロゼ殿が仕込んでいたこわいお叱言も脳内に突き刺さったので基本的に仮眠室にいることに。
……それにしてもVII組は月霊窟でオーレリア将軍と戦ったようで、本当に羨ましい限りだ。
一応部屋の明かりを落として横になっていたらいつの間にか眠れていたようで、ふにゃふにゃ身体を起こして近付いてくる気配を出迎える。あふ、とあくびをしたところで扉が開いて鋭く廊下の光が入ってくる。
「っと、悪ぃ、起こしちまったか?」
「んー、まぁそうでもあるようなないような……ま、気にしなくていいよ」
カチリと二段ベッドの天井に埋め込まれた常夜灯を起動させ枕を横に壁に背をつけると、医務室から持ってきたらしい椅子にクロウが座る。本来仮眠室であるのだからこうして会話をするべきではないんだろうけど、他の人もいないから許されるだろう。たぶん。
「……そういえばクロウって今、双銃持ってる?」
「ん? まぁあっけど」
両手を差し出せばごそごそとコートの下からごとりと金色の銃が二丁、シーツに覆われた膝の上に置かれた。なかなかに重い。これを腰に差して更に双刃剣も振り回しているんだから正直すごいと思う。私ももう少し筋肉をつけたい。
「なんかあるか?」
「……ジョルジュ、いやゲオルグが蒼に銃を使わせていたのが解せないな、って」
銃を一丁手にして矯めつ眇めつ確認しているとクロウが首を傾げた。
クロウが今使っている銃は学院生の頃とは当たり前だけど異なっていて、おそらくジョルジュの手によるモノだろうと何となく感じる。物体走査をすればハッキリとわかるだろうけれどする気はなかった。
「ジョルジュの記憶が元々の記憶を上書きしたフェイクであったのなら、同じ技術を使って工房にあるSウェポンを扱える技量の記憶を蒼にインストールすることだって出来たと思うんだよね」
わざわざあの頃に似た双銃を誂える必要はない。それこそ何かの間違いが起きて記憶を取り戻されたらその武器を使って脱出されかねない問題もあったろう。故に記憶のインストールが可能であるのなら生前使っていた武器とは別のものを渡しておいた方が事故は少なくなる筈。
「起動者であるが故に騎神との契約に抵触するのを嫌がった可能性もあるけれど、身体記憶に頼るならクロウのメイン武器であった双刃剣を使わせる方が理に適ってる」
「まぁ、そだな。銃で他に劣るとは思わねえが、ソロなら突破力のある双刃剣の方が動きやすいし任務をこなしやすかったろうとは思うぜ」
「いくら暗黒時代の武器とはいえ工房が数百年以上稼働しているなら記録が無い筈はない。それでも、しなかった」
メインウェポンを使わせず、しかし生前使っていた武器を使わせる理由はあるだろうか。
双刃剣を使っていたら蒼がクロウだとVII組に看破されるだろうけれど、そもそもそれを隠匿する気があったとは微塵も感じられない。
「おそらく学院時代のクロウの戦闘データはジョルジュを通じて黒の工房に格納されていたとは思う。でもそれを……使わなくてもいいのに、ジョルジュはたぶん使ってる。そうして君の手に馴染む武器を作り上げ、双銃を操る蒼のジークフリードという存在を生み出した」
「……」
蒼もそうだけれど、紅も翠も、人格を完全に破壊して寝返る可能性を消しておいた方が何かと便利だったろう。駒と見るならそうすべきだったと私でさえ辿り着くその考えにジョルジュが思い至らなかった筈がなく、ましてや工房長が命じない筈もない。
「どう考えても、割り切れてないよねえ」
月霊窟にある真実を映すとされる水鏡────月冥鏡。
その中でしきりにジョルジュは『夢と考えれば悪くない』と表現していた。本当に割り切れているのであればそんなことを、自分に言い聞かせるように思い込む必要はないというのに。
「そんなん、お前とゼリカを殺さなかったってだけでもそうだわ」
いろいろなことがちぐはぐな私たちの親友。状況証拠は迷いに迷っていることを告げている。
「言いたいことは無数にあるけど、それは本人にちゃんと伝えたい」
「ああ、そだな」
そんな風に静かに二人で話しているとヴァリマールが精霊の道を開く気配を覚え、そういえばオルディーネもそういうことって出来るのかな、とぼんやりしながらひとり内心で首を傾げた。