[完結]わすれじの 1206年   作:高鹿

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1206/08/29(火)

 

ガイウスくんが人間として出来すぎているからかさほどぎこちなくなることもなく、しかし物凄く丁寧に気をかけてくれた相手と共にカレイジャスIIの内部へ戻ると各方面へ散っていた人たちも戻ってきていた。

クロスベルの地は遠く第三相克が待ち受けていることが容易に推測が出来るため、出発前にエリンの里で事前準備をしておこう、という提案が上がり里へ降りようとしたのだけれど────霧に阻まれ接近が困難という現象の発生。

 

一瞬だけ中と連絡が取れた魔女見習いのニーナさん曰く、霊脈の異常活性化で結界の制御が利かずすべてを締め出す状態になってしまっているのだと。

しかしそれを訝しむエマさんを連れてリィンくんたちがエイボン丘陵、私率いる特務科でイストミアの森の転位石を確認しに行ったら結社艇と強化猟兵などが一個中隊以上展開しており、容易には里へ入ることは叶わない布陣が敷かれていた。

 

現状認識を受けてカレイジャスIIの会議室にて緊急会議が開かれ、エリンの里が結社による襲撃を受けているのは間違いないと見てよさそうだ、という結論。

……現在は出奔しているようだけれど別にクロチルダさんが結社を抜けたわけではないのだろうし、現職の使徒の故郷を急襲するだなんてと思わないではない。そういう意味でも一枚岩ではないのだなぁと場違いなことを考えてしまった。

 

「シャロンとしてはこの事態どう考えるの?」

「……全ては使徒の裁量による計画が先立ちそれにより執行者や傘下の部隊が要請で動くのですが、執行者がその要請に応じるかどうかは完全なる自由となっています。ただ使っているのが強化猟兵のみということから結社全体としての敵対行為とは考えられませんね」

 

結社の元執行者であったシャロンさん曰く、気が進まなければ使徒の要請すら蹴ってもいい、ということのようだ。思ったよりも自由度が高い……のだけれど、おそらくそこまで上り詰めるのが大変なのだ。仮に入るとしてもその権利を得るまでにどれだけの血に塗れることになるのか。

 

「────偵察後、速やかにエリンの里の解放作戦を行う。各自準備を!」

 

リィンくんの号令に従い偵察部隊面子としてフィーさん、アルティナさん、サラ教官、シャロンさんと協力し二方向の偵察を行い、その間に術師隊が結界内を霊視し、それを受け指揮官勢が作戦を組み立てていく。

そうして私はもちろんイストミア側の作戦に組み込んでもらえることになり、となればクロウやアンも自動的に決まり、さらなる芋づるで旧VII組の人たちが森担当ということになった。エイボン丘陵側は教官を陣頭指揮者にし第II分校勢が行くようだ。

 

「おい」

 

ナイフの最終確認中にかけられた声へ顔を上げると顰めっ面のクロウが見えた。

 

「お前の体調を整えるために里に行くって側面もあるんだし、休むって選択肢は────」

「冗談。霊脈が活性化されてるってことで逆にいつもより調子がいいぐらいだよ。お世話になった人たちへ恩返しするって意味でも寝てられないね」

 

霊脈上の森の中だなんて私を使わない選択肢が指揮官勢──特にトワにあるはずがない。私が一人いるだけで部隊の損耗を抑えられることは明らかで、何ならクロウだってそれが分かっているだろうに。

 

「……ま、言っても聞かねえよなあ」

「引き際ぐらいは弁えてるよ。第二相克での疲労を鑑みて第三に障りが出ると思ったら即撤退する。トワに誓ってもいい」

 

己の心臓を押さえるように告げれば、そこが落としどころか、と諦めた風に言われてしまった。

 

「その言葉、忘れんじゃねえぞ」

 

随分と自分のことを棚上げした物言いだな、と思いながらも口には出さず頷き、作戦開始まで体を休めることにした。

 

 

 

 

認識阻害をかけながら森と同化しつつ配置についていく。

強化猟兵はさすがの練度ではあるけれど、結社自体が里と対立しているものではない、というシャロンさんの言から分かる通り緊張感があるかないかでいえば無い寄りだ。

陣形をおおよそ見渡せる場所に足を踏み入れ、すう、と息を吸うと同時に認識阻害を解除。そうして。

 

「────ここが誰の領地と心得ての狼藉か!」

 

鬱蒼とする森の高台でそう声高に叫んだ瞬間、何事かと猟兵たちの意識が私へ向けられる。意識外の声、視線の誘導、活性化する霊脈上。すべてのパズルのピースはかちりと嵌り、敵襲が来たというのに彼らはもう里の中へ応援を向かわせる思考がなくなった。

作戦開始。エリンの里に喧嘩を売ったことを存分に後悔するといい。

 

まず一番槍としてアンとデュバリィさんが斬り込み構築された陣を破壊していく。人体の経絡を理解した上で強烈な一撃をぶち込んでくる泰斗流に、神速と謳われし迅さで突っ込まれたらそりゃあもう堪らない。

そうして瓦解した横っ腹に旧VII組が突入し、あらゆる場所へシャロンさんが鋼糸を張り巡らせ退路を塞いでいく。

 

出発前にエマさんの力を借りてトワとの小径を繋げているから、こちらの戦況はほぼリアルタイムで伝わっているだろう。私がこっちに入るという以外にも、そもそも森林戦場のほうが平地よりも難度が高いこともあっての人選となったわけだが杞憂だったかなとため息をつく。

 

そうして数十分ほど戦い続け、大半を気絶昏倒させたところでトワから作戦終了の旨が伝えられた。突入班であったリィンくんたちが里の奪還、および強化猟兵隊長の撃退に成功したと。加えて執行者であるカンパネルラから謝罪、そして『盟主の名に賭けた誓い』としてエリンの里へ一才の手出しをしない言質を取ったらしい。

 

「その誓いは使徒・執行者共に破るという判断は存在し得ないものですから、今後里が結社によって脅かされることはないでしょう」

「そういうものなんですか?」

「ええ」

 

シャロンさんが断言するのなら事実そうなのだろう。

 

劫炎殿を見ていると統制などあってなきに等しいような気もするが、それでも星見の塔への侵入を制限していたりするし、一定の秩序はあるのだと理解した。その秩序が世の中の倫理ではなく盟主と呼ばれる存在であるということも。だが結社は現在黄昏を主導する帝国政府に協力している以上その秩序に期待することなど出来はしないが。

 

……いや、しかし。劫炎殿が"何"であるのか知った上で執行者としているのなら、窓の外を観測しうる存在である可能性もある。私たちの思考の埒外で世界や物事を見て、より大きな盤上を想定しているとしたら。……だとしても世界の破滅を指咥えて待っているなんてことは無理だ。思考の開示をしない者との協力は難しい。

 

 

 

 

そんなこんなでエリンの里奪還作戦は無事に終わり、私は温泉に入って薬膳料理を食べ、他の人たちの準備が終わるのを待つだけだ。

広場近くのベンチで瞼を下ろしのんびり日向ぼっこをしつつ霊力を補充していると、よく知った気配が隣に座ってくる。何やら緊張しているような強張りを漂わせているけれど突っ込む気は特になかった。

 

「……そういえば、トワのこと気が付いてる?」

「ん? ああ、リィンが精霊の道でガイウスを実家近くへ送るのにトワもついていって……目ェ泣き腫らして帰ってきたやつか」

「それそれ」

 

帝都生まれ帝都育ちであるトワが、大事なリソースを割いてまでノルドに何の用事があるのかといえばおそらくご両親絡みだろう。クロスベル・ノーザンブリア間を運行する飛行船はノルドの山岳地帯に落ちたとされている。しかし今更、何があってそれを暴こうというのか。

そして何よりもリィンくんがそこへ、トワの心のやわらかい場所へ踏み込むのならそれはただの後輩に許されることじゃないことは分かっている筈で。

 

「二人とも自己犠牲精神強すぎて応援していいのかちょっと不安になるんだよね」

「とはいえ、お互い甘えられる間柄と見れば、互いがストッパーになるって考えもあるぜ?」

「それに賭けるのは……怖いなあ」

 

世界の贄となったリィンくんは黄昏と繋がっていて、尚且つ宰相殿の心臓を幼い頃にイシュメルガによって移植されており、黄昏が終わった時にどうなるのか……正直クロウより想定がし辛い人物となっている。

もしトワに心を寄せ、トワもそれを受け入れるのなら最低でも生還してもらわなければ筋が通るまい。何なら私たち四人を連戦で全員下すぐらいの男気は見せて欲しいもので。いやさすがにそれはトワの結婚ハードルが高すぎるだろうか。でもそれをやって退けられる相手じゃなければ任せたくないと言うのが本音だ。

死なずに自己犠牲なく守れ。彼女の傍にいたいと願うならそれが最低条件だと突きつけたい。

 

「……ま、外野が何を言おうとトワの心次第なんだけどねえ」

 

友人の恋路を邪魔したいとかではなく、傷付くことが少なければいいとそう願っているだけだ。そしてそれが大きなお節介であることも分かっている。読まないようにしているとはいえトワと私は繋がっていることも多いのだから、彼女の感情が流れ込んでくることだって。

 

「黙って見守るのも生きてるヤツの仕事だろうがよ」

「そうだね」

 

こてん、とクロウの肩に頭を預けると向こうからも頭が乗ってくる。この重さが愛しいと感じてしまうのだから本当にベタ惚れだと自分でも思う。しかしガイウスくんに諭された通りどうにか話さなければいけないのだろう、けれど。

 

「ところで、お前は準備が終わるまでここで日光浴か?」

「うん」

 

リィンくんの調整もあるみたいだし、結構な時間をゆるーっと使うことになりそうだ。

 

「……なら、頼みがあるんだけどよ」

「私に出来ることなら、可能な限り」

 

なるほど緊張は頼みごと由来か、と心の中で納得したところで冷たい手が指に絡んでくる。

 

「ティルフィル……いや、お前の保護者が眠る場所へ連れていっちゃくれねえか」

「────」

 

それは木々の葉のこすれ合いも、鳥の鳴き声も、準備に忙しくする里の人たちの営みも、VII組の人たちの気配でさえも、遠いものにするには十分な言葉だった。

話した方がいいと言われはしたものの、自分でもそうだとは思うものの、よりにもよってそんなところに誘われるだなんて思ってもみなくて。だから。

 

「それ、私がいないと駄目?」

 

思わずそうこぼしてしまった。声はみっともなく震えた気がする。

 

「駄目じゃないが、居て欲しいとは思う」

「……」

「無理にとは言わねえけどよ」

 

何を、考えて、私を誘うのか。全く真意がわからない。そしてそれに怯える自分が怖い。

でも今の私は壊せるものが多すぎるし大きすぎる。自分の精神の安定を図るのはもう己の為だけとは言えない。特にイストミアが近く黄昏が極まりつつあるこの状況下であるのなら尚更。

 

「……君と連れだっていって、自分がどんな感情を得るのか、全く想像がつかない」

「あぁ」

「もしかしたら私が感情任せに君に何かしようとしたりするかもしれない」

「なるほど」

 

心臓が煩い。太陽が煩い。風も煩い。世界の何もかもが煩くて。

ぐ、と口を引き縛って手を繋いだまま立ち上がり、銀色の髪の隙間から覗く紅耀石よりすこし暗い瞳をしっかと見下ろした。

 

「だから、その時は止めてくれる?」

 

ぎゅ、と繋いだ手に爪を立てて希ったというのに、それに対する身体反応は一切ない。そんな相手にこんなことを願うだなんて馬鹿馬鹿しいのかもしれないがそれでも言葉が欲しかった。

 

「大丈夫かじゃなくて、止めてくれるかなのか?」

「私は決して君を害したいわけじゃない。望むのは暴力の受容ではなく、明確な制止だよ」

 

私は無駄に自罰的だけれど、クロウも私に関しては大概そうだ。

もちろん理解はする。私だって有無を言わさずに監禁した相手が目の前にいたら、自分の何を傷付けられたって構わないと思うだろう。けれど私が欲しいのはその場限りの優しさじゃない。抵抗が欲しい。

私を、諌められると、そういう確証が欲しい。だってこんなの不均衡だ。

 

「……わかった。約束する」

 

苦虫を噛んだような顔をするクロウを見て、ああでもきっとこれも暴力だったんだろう。だけどどうすればよかったのかまるでわからず、ありがとう、とだけ呟いて繋いだ手を引いた。

 

 

 

 

「そういや前に灰を森に撒くって聞いたけどよ、墓とかはあるのか?」

 

クロウを連れ立っていくつかの転位石を経由しながら歩いているとそんなことを聞かれ、随分前に話したことをしっかりと記憶してくれていたことが物凄く嬉しくなる。

 

「お墓……のような場所はあるかな」

 

ティルフィルの民は森と共に生き、最期は森へと還る。遺体を焼却し、残った骨を粉々にすりつぶし、それを森へ撒く。中にはもう場所なんてわからないレベルで撒いてくれという人もいるし、現に私の両親もそうだったから本来ならそうするべきだったのかもしれない。

だけど私は弱かったから、祈りを捧げる確かな場所が欲しかった。

 

街の喧騒を遠くに聞きながら、前にリィンくんを伴って歩いた道をざくざくと歩いていく。……そういえばあの時に尾行られていたのだから事実私がいなくたってどうにかはなったんじゃなかろうか。いや、海の民に森の見分けなんぞつかないかもしれないけれど。

 

まぁいいか、と気にせず進んでいくと目的地に着く。夏の終わりとはいえいまだに草は元気でかわいいな、と足を止めたらクロウも止まり、そうして────手を祈りの形に組み、額を預ける。静かな横顔。

私が記憶している限りクロウが、こんな真剣に何かに祈っている姿は見たことがなかった。夏至祭で大聖堂に行ったりはあったけれどあれだってポーズのようなものだろう。女神様を信じてすらいないというのに、私の叔母叔父に対してどうして、そんな。

 

数十秒だったろうか、あるいは数分だったろうか。時間の感覚が狂わされるその光景はクロウが祈り終えると共に霧散し、紅い瞳が私を見る。

 

「この近くで大規模な戦闘があった日、俺はこの近くを飛んでたんだ」

 

その言葉を引き金として、明確に思い出せる情報が一つあった。

十二月の……いつだったかははっきりと思い出せないけれどすこし様子の違うクロウに抱き竦められて、何がどうしたのかと問いかけようとして結局自分の中で完結させ諦めたことがある。おそらく、あの日。

 

「……でも、どうしようもなかったでしょ」

 

そうは言っても別にエッタさんとアルデさんを認識して見殺しにしたとかそういう話じゃない。クロウはパトロンの要望に従って戦場に顔を出していただけで、であるのなら貴族連合軍が優勢だったその戦いに蒼の騎士人形が介入する余地はない。

 

けれど言葉を告げられたクロウはまるで迷子になって途方に暮れた子どものようで、ぎゅっと、心臓が痛くなる。今まではこの痛みから眼を逸らしていた。だって楽しい思い出ばかりを残したいじゃないか。あり得ない存在との思い出を作るなんて馬鹿馬鹿しさこんな時でもなければ耐えられない。

 

「ずっとそれを気にしてた?」

 

でもそれはいけない。この感情は刹那的な欲望で、これからずっとそんな表情をしていて欲しいわけではなく、私の中に残したいわけでもない。だけど話すという行為の、何と難しいことか。

 

「あの内戦を始めたことに後悔はない。知ってる人間は生きていて欲しいってのもどうしようもないエゴだ」

「うん」

 

そのどうしようもないエゴによって私は生かされていた。あのうつくしくも泥のような戦艦のなかで。籠の中の鳥のように、穢れを知らないおひめさまのように。何を言い募ろうと結局は欺瞞だと分かっていながら私もそれを是とした。

 

「ただ、俺が、あそこにとどめていなけりゃ」

 

お前はここで何か出来たかもしれないだろ、と。掠れるような懺悔の言葉。

 

「たらればに興味はないよ。……それに、その未来はなかったろうし」

 

二年前のことはさすがにすこし風化してしまったけれど、あの時あの瞬間に"そう"選択した感情と思考は今でも残っている。憤怒や諦念に身を任せられるほど愚かではいられなかった。それに対する訓練を二年間ずっとしてきたのだから。

 

「私は脱出せず内戦に反対する勢力の密偵として学院に残った。だから街に帰ることはなかったし、もし万が一何か出来たとしたら……火葬を自分の手で出来たかもってぐらいかな」

 

私が帰ったときには既に遺体の焼却はされていて、野盗に盗られることもなく辛うじて遺されていた装身具と一緒に灰壺を渡された。その結末が少し変わる程度。

……いやよくよく考えたらそれは結構大きいかもしれないな、とちょっと思ってしまった。遺体を焼く前にお別れを告げ、焼却の時間でゆっくりと感情の整理をつけられたかもしれない。私に与えられたのはただ後悔に直面しながら骨を砕くことだった。でもやっぱり、新年明けてから帰ったのならそんな未来はなかったろう。

 

仕方のないことだった。

 

「……」

 

クロウは謝らない。私もそれを促さない。だって、私は。

 

「だから────」

 

私は。

そこまで自分の中で呟いて、どうしても、『その感情』が言語化出来なかった。おかしい。この間リィンくんにはするりと言えたというのに。

喉を押さえて、音を出そうとする。たったの一言、意味も感情も乗せずにただ発音することすらどうしてか難しくて。

 

「おい、どうした?」

 

私の異常な行動に狼狽たクロウが両肩を掴んでくる。わからない。だって、どうして、私は。

 

「セリ!」

 

呼吸が整わなくて、息をすることすら覚束なくなって、視界が滲んだところで、名前が叫ばれた。私が持っている、両親からもらった数少ないものを。

そろりと顔を上げると、紅い瞳と視線が真っ直ぐに交差した。オルディーネとは全く正反対の色。私が愛したひと。ずぅっと、この三年間想い続けたひと。ちりり、左耳のピアス穴がわずかに痛んだような気がした。

 

ずくりと心がどこかへ転がっていく。そうじゃない、そうじゃない、と私の思考を否定するかのように。自分の中でしか折り合いがつけられないと思っていた感情は、こんなところで本人の目の前に引き摺り出されてしまって、そうしてようやく"言葉"が与えられる。

 

────嗚呼、私は赦したかったのだ。

 

けれど私は、私がそれをしてしまったら、叔母叔父を悼む人間がいつかいなくなってしまいそうで(きっとそれは被害妄想で自己完結の陶酔なのだけれど)、自分自身がそれを許せなかった。

けれどこうしてクロウは私と一緒にあの人たちを悼んでくれる。内戦開始の後悔がないことと、個々人を悼む感情は両立するのだ。それは時代に存在する人間の傲慢かもしれないけれど。

 

「わたっ、わたし、」

 

目頭が熱くなる。視線を外したいのに、俯きたいのに、クロウの瞳から視線を外せなかった。どうしてもその色が惜しくて。恋しくて。抱きしめたくなる両腕を下ろして、服の裾をつかむ。そうでもしないと感情の整理がつかないまま触れてしまいそうだったから。

 

「わたし、君をゆるさないでいたかった」

「……あぁ」

「でも、それでも、赦したかったし、こうして二人のお墓参りに来てくれたのは嬉しいし、わたしを呼んでくれたのも、辛かったけど、か、かんしゃしてて」

 

涙と嗚咽で言葉がうまく紡げない。そもそも頭が働いていない。矛盾する感情がぐるぐると胸の中で渦巻いて、誰がこんなのを聞いて理解できるというのか。それでも、目の前のひとはただ静かに聞いている。

 

「絶対にあやまらないでいてくれるところも、すきで、きみに消えてもらいたくなくて……これからも、こうして、二人で森に祈りを捧げたい」

 

思考がぐちゃぐちゃに混線していくのが明確にわかる。なのに言葉を止めることができなくて、止められなくて、嗚呼何かしたら止めて欲しいって言ったのに。酷い。酷い。ひどい。うそつき。

 

「あいしてる」

 

だとしても、そう、愛しているのだ。己の大事な人を奪った帝国という国を破壊せんと活動をして、私の第二の保護者が亡くなる遠因を作った、この、元テロ組織のリーダーを、私はどうしようもなく、愛してしまった。

 

────正直恋愛に関してロクな人間じゃないとは思うのよ。

 

不意にスカーレットさんの言葉が蘇る。

ああ、本当に今でもそうだと思う。でもきっと、自分もクロウにとってロクでもない人間なのだ。だって、こんなに縛り付けて、申し訳ないと思いながらもそれをどこか喜んでいる自分がいるのも確かで。罪悪感を露わにして欲しくないと言いながらそんな感情を持っている。醜い。リィンくんが羨ましくて羨ましくて仕方がなかったのに、それを圧し殺していい人ぶって、そんな自分を認めるのが怖くて、逃げ回っていた。愚かすぎる。

 

「俺は、お前が俺を赦せないってわかってて、それでも傍にいたかった」

 

ゆっくり、しずかに、今度はクロウが喋り始める。涙はいつの間にか止まっていて、顔を上げているのが辛くなったので、ぽすんと目の前の胸板に頭を預けると、肩から手は離れたけれど特に引き離されず好きにさせてくれた。

動いているのに、動いていない。呼吸音も鼓動も何もない。

 

「俺が近くにいることであの内戦のことを思い出させるだろうってのは容易に想像がつく話だ。だけどそれで距離が取れるなら、あの日に連れて行かねえだろって自分に言い訳してた」

 

確かに、翠のアダルウォルファを騎神で運ぶだなんてリスキーにも程がある話だ。飛行中に覚醒でもしたら騎神はおろか起動者さえも危なくなる。

 

「でもそれは逃げだったんだ。お前に相対することから」

 

もちろん、再会してからすごく会話はしていた。

いろんなひとに(個人的にはそこまでベタベタにくっついていた記憶はないのだけれど)いちゃついていると言われてしまうほどには。

でも、その内のどれだけが"対話"だったろう。かつての思い出話をして、クロウがいない頃の話をして、それで、私は、どれだけの感情をこのひとに曝け出していただろうか。少なくともあの頃の話をすることを、意識的に避けていたのは、たしか、で。

 

「それじゃ駄目だと痛感したのは、お前がパンタグリュエルで体調崩してからだな」

 

数日前にあったとんでもない一日になった日。クロウが言っているのは戦闘に入った後じゃなく、たぶん会合が行われている間の話。私がこっそりとソファに体を預けてとにかく回復しようと試みていた時間。

 

「なんで具合が悪くなってるのかなんて明白だったろ。だから近付かなかった。だけどそれは間違いだ。俺は、お前と話すべきだった」

「……私が嫌がったとしても?」

「そうだ」

 

瞬間的な言い切り。まるで私がそう返すことがわかっていたみたいに。

 

「その体調不良の原因が俺で、それから目を逸らしてずっとお前に具合の悪さを押し付けてるってのは、透明な暴力だ。まぁ、お前がしたくない対話をするのも暴力だろうけどな。それでも暴かない暴力と暴く暴力なら俺は後者を取るべきだと思った」

 

おそろしく誠実な言葉。こんなことをクロウから言われるだなんて思っていなかったほどの。

 

「だけどこれは俺の我儘だ。相克を前にして、帝国解放戦線の清算を多少なりして、お前ときちんと話して……消えるその日までの時間を、他でもないお前と大切にしたい」

 

『消えちまうだろう』ではなく『消えるその日』。達観と諦念の言葉。とはいえ、前にクロウが誰かに言った通りこれは意図せぬ延長戦に過ぎない。クロウはあの日、1204年の晦日に確かに死んだ。

こうして胸に頭を預けていても心臓が動いている気配はなく、魔獣と戦って怪我をしても血は流れず、食事も必要としない。呼吸をしているように見えて、実のところそれは人界社会に溶け込むための機能に過ぎない。

 

「……ねぇ、クロウ」

「どうした?」

「抱きしめてもいい?」

 

下ろしていた自分の手を、指を、軽く相手のコートの腰あたりに絡める。

 

「もちろんだ。……俺もいいか?」

「うん。思いっきり、つよく、抱きしめて」

 

そっと、形を確かめるように肩に指がかかり、肩甲骨を通り、ぎゅっと、抱きしめられる。私も負けじと腰に腕を回して抱きしめた。

私たちは、きっと間違えてきた。もしかしたら、まだまだ間違えるかもしれない。それでも、あとたった数日だろう時間を大切にしたいと、それは自分の我儘だと言いながら私を暴いてくれるこの人が本当に好きだと思ったのだ。踏み込まれることがこんなに嬉しいだなんて。

 

「カレイジャスに帰ったらVMやりながらいろいろ話したいな。あれが嫌だったとか、これが好きだったとか、うれしかったとか、悲しかったとか、そういう。取り留めなくてもいいから」

「それはいいけどよ……なんでVM?」

「テーブルゲームしてるクロウを正面から見るの好きだもん」

「とんでもねえ惚気かまされたな」

 

そう言いながら満更でもない声音が耳元に落ちてくるのがすごくくすぐったい。

 

「あと……ああ、そうだ。あり得なかった14歳のわたしの話、聞いてくれる?」

「……おい、そいつはまさか」

 

そんな風に踏み込みながら、私たちはようやくスタートに立った。残り数日のこの日に。

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