1206/08/29(火)
ティルフィルからの帰り道、手を繋ぎながらぽつりぽつりと他愛のない話や、あの古代遺物によって混ざり合った幻想の記憶を確かめ合いながら歩いていく。途中で故郷にいるあの偏屈なじーさんが作ってくれたっていう有角の獅子紋のストラップを渡されて付けたりもした。
カレイジャスIIの3F遊戯室に戻ったところでそういやバーカウンターがあるんだよな、と誘い俺はカウンターに入りセリは席に座らせる。ゲームもいいが真正面ならこっちもどうよってな。
「この後クロスベルでしょ?」
至極尤もな発言だが、まぁそもそも棚を見る限りあんましアルコール類は置いてねえみたいだ。今後の運用はともかくとして、現在は未成年が数多く乗ることが想定されてたのもあるんだろう。前のと違って完全に戦闘前提だしな。
「アルコール入りならともかくモクテルくらいならいいだろ。成人してるお前と飲みたくないっつったら嘘になるけどよ」
「……そうだね、時間があったらみんなで飲みたいな」
俺の年齢は死んだ時に止まっちまってるがまぁ一応二十歳を過ぎた肉体ではあるから、ジョッキを持ってても目こぼししてもらいたいもんだ。たとえ実際に摂取するわけにはいかないとしても五人で乾杯が出来る機会なんざこんな時でもなけりゃ訪れねえし。
そんなことを考えながら冷蔵庫の中身やアイスストッカーを確認し、あれなら作れそうだな、とグラスやマドラーを用意して手早く作っていく。
柑橘系のシロップは香りを確認してからグラスに少量、そこへ牛乳を注いでかき混ぜ氷を入れる。そうしてそこに珈琲を静かに静かに注ぐと異なる比重のおかげで二層になった珈琲モクテルが出来上がった。めちゃくちゃ簡単なんだよなこのレシピ。
「比重の違いがあるにしてもこれだけ綺麗に層になるんだねえ」
「ま、注ぎ方とか細かいコツはあるけど器用なお前なら直ぐに作れんだろ」
「しかしやけに手慣れた動作だったけど、もしかして作ってた?」
「おう。ヴァルカンは特に気にした風もなく俺に酒飲ませようとしてたけど、飲酒についてはスカーレットが未成年に飲ませる酒は一滴たりともねえって結構懇切丁寧に教えてくれてよ」
成人三人が酒を飲むのを羨ましそうに眺めちまってた記憶が蘇り、それこそがガキっぽいってもんだよなと心の中で嘆息する。まあギデオンはアルコール摂取は思考の妨げになるってあんま飲んでなかったけど、それでも付き合ってるところは何度も遭遇したもんだ。
「一応面子もあっから幹部三人以外は俺の年齢知らなかったワケだが、みょ~にそういうところ厳しかったんだよなあアイツ」
ま、元々七耀教会の封聖省から勧誘を受けて従騎士になったってんだから女神への信仰心は十分すぎるくらいある敬虔な信徒だったんだろうし、テロリストを経たとしたって今現在星杯騎士団に身を置くほどならあの時も気持ちだけは女神の傍にあったんだろう。つくづくテロリスト向いてなかったと思うぜ。
まー、俺の初飲酒は荒れてた時に既に済ませてたけどな。
「ネイルのことといい、本当にお姉さんみたいだねえ」
ふふ、とセリが笑うもんで、そういやなにかとセリのことを気にしてくれてたなと、そういう意味でもある意味では近所の姉さんという表現はあってたのかもしれねえ。
「……アイツ、今は星杯騎士団でなんとかやってるみたいだぜ」
「へえ、意外なところに」
「ところがどっこい、元従騎士だったもんでむしろ元鞘なんだよスカーレットにとっちゃ」
女神の敬虔な従者であることを一度は選んだ人間を犯罪者に追い込むというのは、どれだけの無茶によって鉄道敷設はされたのかと、当時の身の上話を思い出しなんとなく渋面になっちまう。この世界で空の女神とやらは絶対の正しさを持ち、それを否定すると言うことは人格の破綻を意味するところがあると一般人より身に染みてただろうに。
だとしても、己の魂が血に塗れ女神に背を向け煉獄へ落ちようとも為さなければならなかった。
「……黙ってることって言えばよ」
セリに出したのと別のやつを作りながら切り出すとグラスを手にしたままセリが頷く。
「オレたちが初めて会った四月のどっかの夜で、お前寮の一階まで降りてきたことあったろ。トワ追いかけて」
「……あー、うん」
思い当たる節がもちろんあるようで「なんでそれをクロウが?」と。
「あの時、たぶんお前の感知に引っかかったの仕事終えた俺だったと思うんだよな」
別に《C》の格好をしてたとかそんなんじゃねえけど、寝巻きでもなんでもねえ姿で歩いてる姿を見られたらさすがに咎められたと思うし、どれだけ遊び人状態を誇張したって不審がられる一端にはなっただろう。
正体を隠さなきゃならねえ共同生活に直面して意外に考え損ねてたもんがぼろぼろ出てきた頃だ。殺すまでは行かなくとも何かあった時にどうするかって算段はあの頃から考え始めて、いざとなったら殺せると心の中で固く誓った記憶はある。警戒した気配を気取られて起こしちまってたら世話ねえが。
「……フィーさんじゃないけど数年越しの疑問が氷解した。いや、おかしいと思ってたんだよ。夜中に部屋を出て一階に降りる程度の気配なら今までもあったろうにどうしてあの日だけって」
その起因となったのが俺で、見つけた相手がトワだったってのは、それこそが運命だと言うしかない出来事だ。
「そっか、君の正体に気が付けるポイントを私は悉く外してきたんだねえ」
「そうだな。四月も、口を滑らせたガレリア要塞も、《C》の実物を見たことがなかったのも」
「実物に会ってたら看破されたと思う?」
「得物が違って体型も声も誤魔化してたとはいえ……騙し切れる自信は三割もなかったな」
俺の裸をこの世で一番よく知る相手だってのは事実だし、体型や筋肉量から扱える武器にも前衛職ってこともあってぴんと来るのはおかしなことじゃない。
もしそうなってたとしたら俺はどうしたんだろうか。今のこのザマを思えば夏至祭だのルーレだのの時点で手放せる気は全くしねえし、かと言って最終盤にもなってねえ計画を邪魔されるわけにも……と考えたらやっぱ殺害か監禁になるんだよなあ。
いや、うっすら崩れていたとはいえ平和な時分で学院生がいきなり一人行方不明になったとしたら大ごとになるし、士官学院の威信をかけて解決に乗り出してくる可能性を考えれば後者は死亡偽装が必要になるやつか。
「碌でもないことを考えているお顔になってますよクロウくん」
「いやー、お前が自分の体質に気が付いて鍛えたりとかしてなくてよかったって話よ」
「境界侵犯……破毀のこと? 確かに、アルベリヒに改造されたこの力があればクロウと身体を繋げた時に流れ込んできてたかも」
情事でバレるとかもうお互いパニック必至だろ。まあ、自分にそんな能力があると分かってる状態なら肌を重ねるのにももうちっと時間をかけて石橋を叩いて壊すレベルの慎重さになるだろうが。
「いろんなことが驚くほど噛み合っちゃった結果だねえ」
グラスを傾ける直前、ほんの少しだけ苦しそうに笑いながらセリはそう呟いた。
それがもしも女神の采配だというのなら、女神ってのはやっぱり大層意地が悪いと俺は思う。だけど、セリと……ゼリカにジョルジュにトワ、そしてギデオンにヴァルカンにスカーレットや団員たちに出会えたこの人生は悪くなかった。嗚呼、悪くなかったよ。
クロウと話をしている間に各自が西でやることも終わり、警戒の薄い穀倉地帯上空を通過しながらオーロックス砦と双龍橋という軍事拠点が均等に遠いど真ん中を突っ切り、クロスベル市の南──エルム湖南岸にある湿地帯方面へカレイジャスIIは舵を切った。
私は会議室にて一人艦橋を映したモニターを見ながら窓の外を見ていたけれど帝国軍も今は共和国への戦闘準備に忙しいのか横槍もなく、無事にクロスベル州へ入ったところで(ここら一帯を調査していた遊撃士の方々の報告通り)遠目からも分かるような碧色の光の柱が湿地帯にて雲を貫通し屹立している。
近郊にガルガンチュア級のような実験飛行艦の機影は見えず魔導障壁のような妨害はないかのように思えたが、しかし超長距離の光線が光の柱に当たり周囲を取り囲んだ。
『やはりそうなったか』
艦橋に理解顔でシュミット博士が現れ言うに、待ち構えていた指向性レーダーに当艦が捕捉されそれにより障壁発生装置が起動したのだろう、と。それに対しトワと手伝いを申し出ているアルフィン殿下とエリゼさんが特定作業を行い、オルキスタワー屋上という結論に至った。
まあ光線が北であり且つかなりの高度から発生しているとなればその建物しかない。
そこへ慌てたようにバニングスさんたちから通信が入り、私が気絶した後総督閣下殿が言っていた通り今は市街への警戒が緩いから支援課ビルへ来てくれ、という要請にリィンくんたちが応じることとなった。
そうしてVII組を中心にクロスベル関係者が内外から支援課ビルに集まり、新型防衛システムの実験と称された魔導障壁発生装置をどうするのか、という話し合いの場が設けられる。
結論として、今は公演が休業している劇団アルカンシェルの一度限りの練習公演を実施すると大々的に告知し、オルキスタワーの警備の目を緩くさせてジオフロントから突入、という形になった。
更には以前総督府と契約をしていた共和国系マフィアである黒月も『世界に終わられては困る』ということから協力を申し出てくれ、各方面への顔繋ぎや裏での手伝いなどに手を回してくれるのだと。
手伝いに対する信頼を示すため持ってきてくれた写真にはオルキスタワー屋上に光の剣匠殿と劫炎殿揃い踏みの様子が写っており、片腕を喪ったとはいえかつて帝国最強の剣士と謳われた方がそう易々と突破をさせてくれるわけもなく、また劫炎殿も熱くなれる戦場を自ら台無しにすることは考え辛い。この布陣は突破させる気がないという覚悟の表れだ。
そうして劇団アルカンシェルの公演のサポート兼護衛として私やアンにデュバリィさんも駆り出され、分校で楽器を扱っている生徒なども追加で降り、明日という超特急の公演準備を開始した。
音楽舞台ということから総監督としてエリオットくんが指揮を取ることになり、舞台演出はクロウが担っているのを客席に座って眺めていると1204年のユミル旅行を思い出す。
「懐かしい光景だ」
護衛だというのに歌姫として登壇するアルティナさんたちを視線で邪魔をしていたアンが隣に座ってきて、そうだね、と軽く頷く。
私たちの時も、VII組の時も、今回もすごく楽しそうにやっているからテロリストなんていう道を選ばなければそういう将来もあったのかもしれない。まぁクロウがその道を選ばなければ私たちは出会わなかったろうけれども。
「アン、生命維持以外は霊脈潜りに全振りするので後はよろしく」
「任せてくれたまえ」
ぱちん、とウインクするアンを置いて背凭れに体重を預け目を閉じ組んだ手は腹の上。
そうして私は魔導科学の粋ともいえるクロスベルへ意識を落としていった。
この街のメンテナンスアイル──通称ジオフロントは雑然と見えてその実巧妙に形成されている。街のことを把握するならまずジオフロントを掌握すべき、というティオさんの言う通り、なかなかに接続が面白い土地だ。
歓楽街が街の中央部にあるというのも潜る位置として非常に適している。本来ならジオフロント自体に入るのがいいのだろうが魔導障壁がオルキスタワーから発生している以上、タワーへ侵入経路足り得る地下通路は要警戒対象となり潜ることは叶わない。
……そういえば前に出会った東の情報屋は元気だろうか。この情勢下でも動くことを止める人ではないと思うが、何が起こるかわからないこの街にはいなければいいなと思ってしまう。危なさで言えば私に心配などされたくはないかもしれないが。
そんなことを考えつつ、軍警の巡回ルートを筆頭に市街の人口数の把握、人通りの多さ、告知をするにしても全員は入れられないから街頭モニターの設置数と手配の問題などに貢献する情報をつぶさに集めていく。
オルキスタワーは残念ながらセキュリティロックが強く入れはしないが、そちらにちょっかいを出して今以上に警戒されても嫌だな、と放っておく。
そうでなくとも自分では入れない場所への散歩というのは実に奇妙な感覚で。
────■■?
不意にそんな"声"が聴こえた。
肉体のある外界からではない。明らかに霊脈から直接脳内にぶち込まれた指向性のある情報。しかし霊脈を介してではなく霊脈そのもので"知的生命体"とコンタクトを取ったことなど、私の経験ではただの一度たりとてない。そもそも生命体の生活環境ではないのだ。
────■■■■、■■?
またもや聞こえる、性別年齢その他一切が不詳の声。だというのに全方位に向けられているのではなく不思議と自分に話しかけられているという確信が持てる。その内容が私という存在が何であるのか、ということを問うてきているものであるとも。
────私は《蒼の留め具》。貴方は?
霊脈上に思念をそっと紛れ込ませて返答をしてはみたものの、以降相手から反応が返ってくることはなく交流はそこで途切れてしまった。私の霊脈上での言葉が伝わらなかったのか、そもそもこちらのチャンネルが広すぎ且つ相手の取得チャンネルが特定ポイントだったのか、それともチャンネルが互いにズレてしまったのか。
何が問題だったのかという事象の切り分けが出来ない以上この現象に拘う意味は薄い。しかしいまいち分からないとしても、何かがいた、というのは確かだと思う。誰に言っても理解はしてもらえないだろうから口にはしないけれども。
霊脈上で指向性のあるコンタクトが可能な相手────不可視の隣人は、世界が未だ不思議に満ち溢れているということを教えてくれるようだな、とほんの僅かに微笑んだ。
起きて劇場の護衛組に声をかけてから支援課ビルの方へ赴き、各種方面への対応をしているティオさんとエリゼさんに市街各地の状況を共有する。一瞬で情報提供が出来るのめちゃくちゃ便利だけどこれに頼りきりだと言語中枢が駄目になりそうだなと思わなくもない。
あとティオさんあんまりこれが好きではないようなので時間が逼迫している現状以外では使わないようにしよう。今は、ちょっと、我慢してもらうしかないけれど。
「街頭モニターどれぐらい集められそうですかねえ」
軍警自体もそうだけれどそれ以上に市民を釘付けにすることで街頭モニター周りの警備をせざるを得ない状況に持っていく、というのも重要な要素となる。というか収容人数を考えたらそっちの方が重要まである。
「ロイドさんの幼馴染の方がオーバルストアにいらっしゃるので、そちらは期待していいかと」
「おー、地元民ならではの人脈」
稼働前にエマさんやガイウスくんが興味に関する術を行使するだろうし、私も導力ネットが発達してるこの街なら各地に侵入して人間の意識に働きかけることも可能だろう。これも黄昏が活性化しているが故の裏技ではあるが使えるものは使わないと意味があるまい。
導力端末を使ってモニターの影響範囲を図示化しながら地図に載せていき各地にどれだけどの角度で置いたらいいのか、各通りはどこの管轄でどの窓口で許可が取れるのか、といったことを計算しながら時間は過ぎていった。
「そういえばセリさん」
休憩で支援課ビルの裏口から出たところにある美味しいパン屋さんで軽食を買ってきて三人で入口にある応接ソファに座ったところ、ベーグルのたまごサンドを手にしながらティオさんに話しかけられる。
「霊脈に潜るのは怖くはありませんか? 特に馴染みのない土地であれば尚のこと」
思い出してみればティオさんも常人より随分感知範囲が広いようで、以前実習で訪れた際にジオフロントの大型端末と導力ネットを介して広域霊力探査を行なったこともある、とユウナさんたちから教えてもらったか。
ハックというのは導力ネットに対するものであり、自分自身が入っているわけではないとはいえその危うさというのをティオさんは理解しているのだろう。
「怖いですよ。ド素人だったころ死にかけたこともありますし」
「えっ」
フリルレタスと豚肉ジンジャー焼きの具沢山サンドイッチにかぶりつきながら答えると、エリゼさんから驚愕の声が上がり言葉が悪かったかなと反省する。
「でもその恐怖は目的を諦められるほど強く上回ってくれなくて」
「……なるほど。天秤の話ですね」
ロゼ殿に告げた通り、私は自分の命を惜しんで手段を選ぶぐらいなら命を賭けてもいいから正確な情報を得たいという愚者だ。
それにアルベリヒに捨て駒として各地に派遣された経験もあってか、まぁ死ぬなら死んだで仕方ないわな、という感情が強まっている気配は感じている。口に出したらもうみんなに心配されるし今後止められるから言いはしないけど!
「……あの、やっぱり今でもそれは危ないことなんですか?」
心配そうに眉を下げたエリゼさんから問いかけられ、言葉を慎重に選ぶために少しだけ黙る。
「今はそうでもないですよ。大型機械を使っていれば死の危険性は必ず付き纏うし忘れてはいけない、って程度の話です」
まあ肉体が死ななくても精神が死に絶える方がよっぽど壮絶で痛ましいかもしれないが、いつもの面子ならその時はきっと殺して灰を撒いてくれる。
特にクロウがいる今ならば殺すまでは迷ってもやってくれるし、トワがいるなら後処理のことも心配ない。アンもジョルジュも内心どうであれトワに付き添ってくれる筈。いや自分のしでかした罪の償いやトワに命の借りを返すまで積極的に死ぬ気はないけども。……勝手に立てた誓いに命を守られているというのはなんともな話だ。
「そうですか。安心しました」
ほっと安堵の表情を落としてくれるエリゼさんを見て、普通はこうだよなあ、と今更ながらに周囲にいる人たちの胆力を思い知る。知識があるから任せる任せないの判断がつくというのもあるだろうからやはり勉強というのは大事だ(勉強でどうにかなる程度を超えているというのはそうだけれど)。
……あとは、まあ、言っても聞かないと思われてそうなところは見て見ぬふりをしておこう。
「この後はどうしますか?」
「とりあえず市内に散らばってる人にも情報共有しに行って、そのまま劇場に戻ります」
アルカンシェルの練習風景を見ておいたらサブリミナルとして霊脈に乗せられそうだし、情報として取得しておいて損はないだろう。使う素材の裏には使わない素材が大量にあるわけで、告知の素材はどれだけあってもいい。
深夜、帝国本土の方からも駆けつけてくれた人たちも交え、劇団既存のものとはいえ衣装を纏った状態での最終リハーサルが行われた。
二階にあるVIP用特別観覧席から広く舞台を見渡し、突貫だとしてもかのアルカンシェルの名を掲げた上で形になるところまで持っていったみんなに対し拍手を送る。とんでもない集中力の賜物だ。
舞台からエステルさんたちが振ってくれる手に応えていると後ろの扉が開く。見なくてもわかるがクロウで、柵に肘をついている私の横にやってきた。
「揃いの衣装……とまではいかないけど、なるべく統一した感じに出来たんだね」
「それに関してはアルカンシェルの物持ちの良さに感謝ってところだな」
看板女優二人が抜けている状況で正規公演は出来ないとしても、団員が揃ってまた舞台が出来ると信じ表方も裏方もみな頑張って劇場を支えていた結果だと頷く。
……そういう人の努力に対してさらっと言葉が出てくるんだから、リィンくんとは別の意味で人たらしだよなあと思ってしまう。そしてだからこそいろんな人が着いてきたのだろうと。
「しっかし、お前ほんとに突入班に入んなくてよかったのか?」
クロウからそんな質問が飛んできて、夕飯休憩の時に突入する面子を決めようという話になったのを思い出す。
リィンくんと子爵閣下の娘であるラウラさんはもちろん、ヴァンダールに属しているクルトくん、オルキスタワーに多少なりとも詳しいマキアスくん、劫炎殿の恐ろしさを知っているシャロンさんが手をあげ、私は自分で留守番を選んだのだ。
いや前も言った通り潜入任務に向いてないからね。黄昏が発動してないければこれほど潜入に向いた体質もなかろうが。時期が悪い。
でもクロウの指摘は尤もだ。私がオーレリア将軍と手合わせをしたいというのは何も将軍が好きだからという理由だけではない。結論として相手にならなくとも、武の境地と刃を交えたいという欲求は武人であれば誰しも持つものだと私は思う。
「……子爵閣下と戦いたい四割、劫炎殿と戦いたい三割、劫炎殿と戦いたくない二割、第三相克ヤバいことになりそう一割かな……でも劫炎殿真正面から見て気が狂うのも嫌だし」
「前にもなんか言ってたけどよ、それどういう意味なんだ?」
あの奇妙さはどう伝えたらいいのかわからないので、質問された側ではあるけれど深く首を傾げてしまう。
「なんか、劫炎殿ってぽっかり窓が開いてるんだよね。そこだけ、人の形をした」
実体はそこにあるのに裡側は別のところに繋がっている。だというのに縁は繋がっていない。
たぶんキーアさんとかティオさんならこの感覚わかると思うのだけれど、頭がおかしくなる可能性があって避け続けている存在に二人を会わせたいとは全く思わないので真相は闇の中である。あれは見えてはいけない類のものだ。
私の言葉にクロウはますます不可解な表情を強めるものだから思わず笑ってしまい、ごめんごめん、と肩を軽く叩いた。
「たぶん気にしない方がいいやつだよ。私の頭が既におかしくなってる可能性もあるし」
さて、最終リハーサルも終わったことで明日も早いしもう寝なければいけない時間だ。カレイジャスとの往復の時間も惜しいと楽屋に雑魚寝らしいが、集団訓練を思い出してしまう。
それで扉の方へ意識を向けたところ、クロウ側にあった手首をがつりと掴まれ、何事かと視線を向けたら一切笑いのない表情が私を見下ろしていた。どきりと心臓が跳ねる。
「お前がそう思ったんなら俺は信じるから、理解出来ないことだって笑わなくていい」
行くぞ、と放された手首を軽くさすりながら、茶化し続けてた奴に茶化すなと言われるのはいろいろ思うところがあるなあ、と後を追いかけながらぼんやり思った。
1206/08/30(水)
「アルカンシェルの緊急慰労公演が本日決定しました! 軍関係者には優待チケットをお配りしておりますので、どうぞご観覧ください!」
クロスベル通信社と協力企業の印刷機をフル稼働させ、決して安っぽさはないチラシを中央広場からぐるりと市内を一周する形で配っていく。かのアルカンシェルの慰労公演ともなれば軍上層部も罠だと分かっていようが止めることは出来まいし、無理に止めようとでもすれば反発が起こり得る。
もちろん、例の黄昏の強制力とやらで劇場自体が使えなくなる可能性もあるけれど、そこはもう出たとこ勝負しかない。
私はチラシを配りながら深夜に観た最終リハに対する高揚した感情を、鳥が枝に止まって揺れる木の葉のように振動として伝播させていく。正直、物理的な破壊活動を伴わないとはいえ特定の政治的な思想を元に市民を誘導しているのだから良心が咎めないと言ったら嘘になる。
けれど証拠は絶対に出ない。仮に出すとしても現行の裁判所が認めるカタチにはならないのだから使ってなんぼだこんなもの。
「追加のチラシちょうだい!」
「お前の担当分のハケ方異常すぎんだろ!」
箱と台車で配っているのだけれどそれでも追いつかず劇場へ急いで戻った今日三回目の補充でとうとうクロウに叫ばれた。
「セリに渡されるのならチラシでも何でも欲しくなってしまう気持ちはわかるがね」
「アンのそういう言葉本当に要らないから開けたチラシの箱だけさっさと渡して」
演出監督や護衛組がここを離れるわけにはいかないけれど力仕事ぐらいはして欲しい。
私の言葉を気にした風情もなく、仰せの通りに、と開封された箱が二つほど乗せられる。うんうん、基本的に殆どハケられそう。
「チラシ配り天職かもしれない」
「チートの間違いだろ」
「さすがに境界破毀の力をフルに使うととんでもないことになりますね」
歌姫として衣装を纏い、今はもう身体を休めているタームのアルティナさんからお褒めの言葉を頂き、使えるものは使わないとね、と笑ってまた外へ出た。
軍警なら多少は警戒心もあるだろうけれど一般人の喜んだ、浮かれた空気に飲み込まれるその瞬間に差し出すなんて私にとっては何てことない。容姿も所作も体質も全部を使ってこの作戦に貢献してみせる。
そうして程なく開場と共にオルキスタワーへジオフロントからリィンくんたちが突っ込む作戦もこっそり開始となり、私は広域警備として姿を隠しながら劇場の屋根の上で待機となった。本番中は私などが小細工などしなくたって魅了されるに決まってる。あれはそういう舞台だ。
開演時間となり、わあっと観客が沸く声が聴こえたかと思えば劇場前のモニター付近にどっさりいる人々の表情も変わっていく。客寄せになるからと各地の店舗の前にも置かせてもらったりしたものも問題なく稼働しているようだ。
『皆さん、今日は突然の練習公演にお集まり頂き、ありがとうございます。沢山の人たちに支えられて実現した一日限りの一味違うアルカンシェル、どうか楽しんでいってください』
期待でいっぱいの拍手の中、本日の主役となる星の姫シュリ・アトレイドさんの挨拶。
『演目名は────幾千万の夜を越えて』
フィンガースナップと共に音楽が奏でられ、歌と共に舞台が産声を上げた。
幾千万の夜を越えて。この大戦を乗り越えなければその未来は人類にないが故の選定だ。タイトルだけで勇気づけられる
……しかし向こうは私が"そう"であることを知っているだろうに、それでも霊脈上のカウンターアタックを仕掛けてくる様子は微塵もない。そも、例の会合時に総督閣下が言ったように帝国からクロスベルへ入ることは特に禁止するつもりはなく、リィンくんたちがオルキスタワーへ向かうのも闘争の薪とやらで済ませるつもりなのかもしれない。
無論、子爵閣下と劫炎殿が彼らを退けるなら予定通り黄昏極まりし時に相克を始めるだけで、どちらに転んでも彼らは困らないのか。
「あら、ここで待機なのね?」
「っ」
瞬間、真横にクロチルダさんが現れ、ほんの少しだけ髪に触れられたかと思えば相手は妖艶に笑いながら再度転位して行き、次の瞬間には劇場からもモニター前からも大きな歓声が上がる。
「あれは……蒼の歌姫!」
「内戦以降消息不明だったんじゃ!」
「歌劇の女王とアルカンシェルのコラボ、アツすぎるだろ!! ナマで見たかった……!」
「なんだあの男!?」
あ、なるほど。舞台を壊さないよう私から流れを掠め取っていったのか。本人にも気が付かせないさりげなさってどういう技術だ!はあ、と軽いため息を吐きながら、まあクロチルダさんと怪盗紳士らしいか。
「……」
劇場に近付いてくるただものではない気配を感知し、中に伝播しない程度に警戒を強めると裏通りの方から現れたのはヴァンダイク元帥とそれに付き従うクレアさんにアランドール殿だった。一応姿は戦技と霊脈接続で消しているというのに、それでもヴァンダイク元帥は私の方をちらりと見て微かな微笑みと共に頷かれる。
……学院生時代も姿を看破されていた気がするのだけれど、一生勝てる気がしない。
そんな公演の終盤、オルキスタワーのとんでもない気配が膨れ上がったと思えば、数十秒も経たないうちに消え失せ、それから数分もせずに魔導障壁を発生させている光線が停止し障壁は跡形もなく霧散した。
「こちら《留め具》、光線の停止を肉眼で確認」
『はい、こちらでも障壁の消失、並びに……発生装置の転位を確認しました』
嬉しそうな言葉の後に訝しげなティオさんの声。オルキスタワー屋上から大規模な魔導力器を一瞬で移動させる方法が?と首を傾げかけたけれど、いやそれぐらい出来る人材が結社にはごろごろいるだろうな、と考えることを諦めた。
そうして練習公演も大歓声の中終わりを迎え、惜しまれつつもタワーのことが露見する前に関係者一同大移動にならないよう散開しつつ予め集合地点として決めていた演習跡地へ向かっていく。
集合後はタワーにて助力下さったヴァンダール流の錚々たる面々の帝国東部への送り出しや、呪いから解放された子爵閣下をカレイジャスIIへ迎え、残る人などに挨拶をしてクロスベルに来た最大の目的を達成するため航行を開始した。