38 - 09/01 光は空へ
1206/09/01(金)
夜明けと共に目を覚まし、瞼を下ろして休眠モードに入っているクロウにキスを落としてから昨日一応入ったとはいえ早朝のお湯もいいものだと湯浴みをして準備を整える。
鏡に映った自分の首や胸──身体の各所に散らばる鬱血痕は私が生きている証で、おそらく背中など簡単には見えない部分にはもっとたくさんあるのだろうがそれもクロウの想いと受け止めれば嬉しいものになるのだから自分は至極単純だ。
今日の作戦を失敗することは絶対に許さない。泣き崩れることも己に許しはしない。
何があろうとただ毅然に、任務の遂行を果たすのみ。
「クロウ、起きて」
死者は眠ることを必要としない……が、私を抱き枕にするとスイッチが切れるのだと言っていた。
正直気温レベルにしか上がらない塊に抱きしめられるというのは布団の中に入っていても寒いのだけれど、それでもそのかわいい願いを叶えたいと思ってしま……ああクロウの『わがままを叶えたい』ってこういうことなのか、と唐突に腑に落ちた。
しかし寝疲れというものも発生し得ないので誰かが起こさないと寝続けてしまうため、ゆさゆさと肩を揺さぶると銀に縁取られた紅い瞳が見えるようになる。
「そうだ。ねえ、ピアス返してくれる?」
そっとクロウの左耳を辿りながら銀の三連をねだる。
かつてクロウのものであったそれは、しかし形見として貰い受けた以上私のものであり現在も所有者はこちらのままである。クロウは所有の概念を持たないのだから。
「ほらよ」
クロウもそれを分かっているのか、何も訊かれずに三つの輪っかが掌に返ってきて軽く拭いてから一つずつ丁寧に。鏡を見ればつい二ヶ月前までの自分に戻っている。そう────戻るだけ。君がいない世界でもう一年以上暮らしていたのだから出来ないなんて自分に言わせない。
昨日貰った服はホテルにクリーニングを頼んでティルフィルに送ってもらおう。どうせこの騒ぎなら流通も遅いだろうし、問題はあるまい。
クロウの身支度を見届け、静かにキスをしてからドアノブに手をかける。
「行こうか」
「おう」
早朝、夜が明けてすこし。
乗員全員が揃い、カレイジャスIIは問題なく航行開始する。
本日正午に世界大戦の開始。
偽杭への突入要員である面々との合流は11時すぎ、11時45分には各高速飛行艇が杭の周辺にて突入準備を完了し、12時30分にはカレイジャスII要塞への突入が見込まれている。
各勢力から人材を募っているため作戦をこれ以上前倒しにすることは出来ず歯痒いけれど、作戦開始までの数時間で各地を回りながら黄昏による異常事態などに対処していこう、という話になった。
「アン」
朝のブリーフィングが終わり会議室から出る途中で声をかけると、珈琲でも飲みにいかないか、と食堂に誘われ了承する。本当ならトワもジョルジュも誘いたかったけれど二人は忙しいから仕方ない。後で伝えるとしよう。
食堂を担当しているサンディさんに珈琲を淹れてもらい、端のテーブル席に座って一息つく。
「……昨日はありがとう。おかげで楽しかった」
みんなとMWLでお酒を飲んで、乾杯して、おしゃれまでさせてもらって、クロウと二人でテーマパークを回って高級ホテルに泊まるなんて夢のような夜だった。
「友人のしあわせは私のしあわせというだけだよ」
ふふ、と笑いながらカップを傾けるアンは格好良くて、いつもそういう表情をしていれば王子様という評価もわかるのだけれどなあ、と学院生時代のことを思い出す。かわいい女の子と見れば抱きつきにいくのだから今でも手に負えないというか、技術が向上したからより一層駄目さが加速したというか。
「……クロウはともかく、リィンくんはどうなるだろう」
「さて。トワのことを想えば無事に帰ってきて欲しいものだがね」
黄昏の贄として選ばれた存在という現状もそうだし、騎神は相克を勝ち抜いたものにその力が吸収されていることから黒の騎神──イシュメルガをヴァリマールが吸収した時に何が起きるのかという懸念もある。
結局のところイシュメルガは巨イナル一を手に入れるのが目的なのであれば、極論として黒の騎神であることに固執する理由もない可能性だってある。黒を自分のものにした灰を乗っ取らないとも限らない。そして、仮にもし灰が汚染されでもしたら起動者であるリィンくんもタダでは済むまい。
「先輩、ここにいたんですね」
「リィンくん、何かあった?」
「その、ミルサンテで人探しの依頼があって」
話題の中心人物がやって来るなり申し訳なさそうに言うものだから、大丈夫手伝うよ、と笑いながら肩を叩いた。君はいつでも人のために奔走しているねえ。
ま、私もみんながまた世界を守るのなら、この世界を大事にしたいと思うよ。
件の人探しはクロスベルの神隠し事件と関連しており、黄昏の影響で発生した超常存在の仕業だったけれど、間近で捜査官資格を持つロイドさんの推理を聞くことが出来たのは役得だった。
「行方不明だった人みんな無事でよかったねえ」
「はい。早期解決出来て本当に良かったです」
あのまま精気を奪われ苗床になっていたらまず間違いなく命は助からず、なんなら魂さえも女神さまの元に這いずり行くことも出来ずにこの世を彷徨うことになっていたろう。幼老問わずそれは由々しき事態だ。
黄昏が極まっている中だから起き、また帝国は戦争準備に手を割いているため一般人の人探しなどしていられなかったというのは統治がお粗末すぎるのではないかと。
「……」
クロスベル関連ということで一緒に降りていたユウナさんもランディさんも解散し、ARCUS端末に視線を落としたリィンくんを置いて私もまたぞろ艦内を回ろうかと思ったら、すみません、まだもう少し付き合ってもらえますか、とリィンくんに引き止められた。別にいいけど。
先導するリィンくんについていくと一つ上の遊戯室。中にはロゼ殿と子爵閣下が和やかに話しており、テーブルゲームの卓にスタークくんとクロウがいた。おや。おやおや。
クロウ兄ちゃんだの呼び方がどうとか言っているところへ二人で向かっていくとさすがに気付かれて楽しそうな瞳がこちらを向く。
「って、リィンに……セリまで立ち合わせるのかよ。一体何が魂胆なんだか」
「クロウがイカサマしないよう見張って欲しいんじゃないか?」
「ああ、なるほど。まぁこの面子なら絶対に見切れるものね」
仮に真正面のスタークくんを騙せたとしてもプレイ盤面に対し両垂直に二人立っていればいくらクロウでも手癖の悪いことを成功させるのは至難の業だ。
それに立ち合うのが先日のミシュラムで兄弟子と立ち合いし剣聖となったリィンくんと、気配感知の鬼になってしまった私で、もし万が一この両方を騙せたら本当にギャンブルで食べていけると思う。そんな存在がこの世の中にどれだけいるのやらという話だが。
「っておい、何で俺がイカサマする前提なんだ」
「まあそれもあるかもしれませんが」
「あるのかよ!」
弟分からある意味で手癖が信用されている兄貴分のクロウが卓に崩れ落ちるのちょっと面白いなと思ってしまう。
「というのは冗談で……折角の勝負ということで少々賭けたいものがあって。リィン教官とセリさんにはその証人になってもらおうと」
「そういうわけだ」
理解顔でリィンくんが頷くのであれは帰還したことを連絡していたのかと納得した。
「リィンくんには事前に話通ってたんだ?」
「そうです。緊急性の高い案件があったのでそちらを優先した結果ですね」
まぁスタークくんの準備もあったろうからちょうど良かったんだろう。
しかしそれにしてもクロウ相手に賭けVMかあ。そもそもスタークくんはアームブラスト市長を師匠としたクロウの弟弟子で、年齢差もあってかわりとけちょんけちょんにやられていたような偽りの記憶があるけれど。とはいえ元の記憶がクロウによるものなので偏っているかもしれないが。なんせ記憶というのは本人の認知によるものなので。
「まあ立ち合いは理解したが、一体何を賭けるってんだ?」
「俺が負けたらかつてクロウ兄ちゃんから貰ったトランプ……これを返そうと思ってる」
ごそりとスタークくんが取り出したのは私の常識よりもずっと薄ぺったい箱で、一瞬内心で首を傾げるも、もしかしてアンティークトランプと呼ばれる一組が54枚ではない地域性の高いものなのかな、と思い至った。そういう特有のものを見抜けなきゃお前みたいなヒヨコはすぐに搾取されるぞとやたらミヒュトさんが詰め込んでくれたのだけど本当にありがたい限りだ。
「……お前も物持ちがいいというか。確かそいつは俺が元々祖父さんから貰ったものだったか」
すなわちクロウにとってはお祖父さんの形見となる。人一人を殺そうと帝国を巻き込むテロリズムに身を燃やすほど愛していた人の形見。ジュライを後にし、もうとうにすべて消えたと考えていただろう今時分に現れた品物に感じるところがないとは私も思わないが。
「だが何で今更そんなもんを……いらなくなったわけでもないんだろ?」
「勿論。これは俺の大切な宝物だからね」
愛おしむようにトランプの箱を撫でるスタークくんに、クロウの目が僅かに眇められる。
「つまり俺にも見合った対価を要求するってか」
淡い蒼耀石のような意志の強い瞳が頷きを返した。
「もし俺が勝ったら────クロウ兄ちゃんには、俺の言うことを"何でも"聞いて貰う」
「そいつはまた強気に出やがったな」
勝負の規模がデカいことを突きつけられたからかにやりとクロウが口の端を歪め、本当に楽しそうな顔をする。
私たちも昔似たようなことをたまにやっていたけれど、その時は『ある程度相手の言うことを聞く権』だった。そっちの方が無理と言いやすいし、逆に却下されるならちょっと無茶そうなことを言ってもいいか、というお互いの欲望の探り合いになるということでやっていたのだけれどあれは中々に面白かった。
でも今回はそういう探り合いなんてやっている場合ではない。だからこそ"何でも"なのだ。
「……まあいいぜ、ただし俺も無い袖は振れねえ。あくまで、今できることに限らせて貰うが」
今。もっと言うのなら、11時までの作戦開始の最終準備が始まるまで。
けれどそんな短時間で出来ることをこのスタークくんが望むはずがない。それをクロウも分かっているだろうに指摘しない。……まあ、最悪踏み倒しならぬ死に倒しになることを突きつければいいと思っていそうだ。
「それで構わない。勝負はVMでどうだろう」
「おう、賭けは成立だな」
二人がリィンくんと私に向かって見上げてくるので、賭けの内容を勝負のルールを立会人が了承したと頷く。
そうしてクロウから私に、スタークくんからリィンくんへ使用予定のデッキを渡され、カードの総数や個々のカードが規定枚数以下であるか、カードに目印になるようなキズがないかなどの確認をし、更にそれを取り替えて問題がないと判断し入念なシャッフルをしてからそれぞれにデッキを返した。そこから更にプレイヤーもシャッフルし準備が完了する。
「そんじゃ時間もねえし早速始めるとしようぜ」
「ああ、よろしくお願いするよ」
勝負に誘った側がコインを放ち、先攻はスタークくんとなった。さてはてどうなるやら。
「しかし、お前とこうして勝負すんのもガキ以来か。トランプにサイコロにコイン、それらを使ったゲームに手品。ビリヤードにダーツも仕込んでやったな」
「チェスとかもその頃から?」
ある程度のルールは教わったけれど今のところチェスでクロウに勝てた試しがないので、まぁ年季が入ってるんだろうなとは思ってたけれど。初心者が勝てるわけないんだよなあ。
「ええ、あとは忙しい人でしたがクライブさんから一緒に教わったことも」
「つまりスタークにとってクロウは師匠にして兄弟子でもあったってわけか」
……ということはスタークくんにとって二人の師匠がいっぺんに居なくなったということで、幼い頃から一緒に遊んでくれて尊敬していた人たちが居なくなったともなれば……あの執着も理解出来なくもない、かなあ。いやあの画質の悪い写真をよくクロウだと見破ったなと今でも思うけど。
そんな雑談をしながらも盤面は着実に進行していく。
クロウは左右を守護出来るうえ体力もある騎士ネプトジュノーでマスターであるソードマンを守り抜き、キュリア・ベルやマスタースキルで確実にスタークくんのマスターのHPを削っていく。コンボもいい。よく考えられたデッキだ。
けれどスタークくんもマスターの体力をフィフネルで回復させつつ魔晶石や対象一体に大幅なダメージを与えるヴァニッシュ、果てはレデュースといったカードを場に出す際のマナ消費を半減させるテクニカルさで猛攻を凌ぐ。勝負にVMを持ち出して来たのも理解出来る腕前だ。
そうして。
「────降参だ」
場に出されたバ・メードを除去出来なかった時点でクロウの負けは決まっていたんだろう。
2ターンにも亘る行動封じ、反撃を許さない状態に陥らせてから即時行動・二回攻撃が出来るグリオンが場に出され、相手マスターの体力を1まで削り切る。
スタークくんのマスターもHPがかなり危険域だったため、もしここでスキルを使わずグリオンの攻撃を急いでいたらソードマンはグリオン一回目の攻撃に対し反撃で倒すという勝機はあったがそんなつまらないプレイミスをする相手じゃなかった。故に詰み。
「何とか勝てた……」
ぐったりとしながらスタークくんが拳を握り、おつかれさま、と労いをかけカウンターから貰ってきたお水をそれぞれの側に。
「VMにもそれなりに慣れたから負けるつもりはなかったんだが……ま、言い訳はしねえ。お前もマジで成長したな」
「俺ももう17だからね。クロウ兄ちゃんが知ってる頃のままだと思わないで欲しい」
「違いねえ。で、俺は何でも一つお前の言うことを聞くんだったか」
なんでも。嫌な予感しかしないんだよなあ。
「……内容はもう考えてあるのか?」
同じような気配を察知しているのか、少し心配そうにリィンくんが問いかけると、ええ、なんて力強い返答が返ってくる。嫌な予感しかしないんだよなあ!
「どうかクロウ兄ちゃん、ここにいる三人に飯を奢って欲しい」
満を辞して発された言葉。意外だったのかリィンくんが一瞬疑問符をあげ、クロウも肩透かしを食らったような顔をしながら笑って頷く。
「何を言うのかと思えば。もちろん構わ──」
「ただし、場所はジュライ。時期はこの戦争が終わりを……いや、終わらせたら、で」
予感が的中してしまった。
いやスタークくんの抜け目のなさなどは分校勢からも一目置かれているしトワも褒めてはいたが、それにしても相手を追い込む手腕としてはピカイチと言えるかもしれない。私スタークくんと勝負ごとしたくないな。
「……俺は最初に"できることに限る"って条件をつけたはずだぜ?」
一気に空気が冷えるような眼光でクロウが諭し、しかしスタークくんはまるで納得がいっていない表情でほんの僅かに目元を濡らしながら口を開く。
「────なんで、最初からできないって言うんだよ……! そんなの俺の知ってる"兄ちゃん"らしくない!」
「……」
「クロウ兄ちゃんはいつも俺に諦めるな、前を向けって、そう教えてくれたよね。10年近く経った今でもクロウ兄ちゃんの根本は変わってないってこの数日で実感してる」
スタークくんの大声に、バーカウンターにいたロゼ殿や子爵閣下までが心配そうにこちらを見てくるけれど、すみません、と手で挨拶をすると、若人はまぁ存分にやり合うのがいい、とでも言わんばかりの表情でグラスを傾け始めてくれた。
「それを人に言うだけで、自分のことだったら諦めていいのかよ!?」
────個人的には、まぁ、この言い分に思うところがないわけじゃない。
諦めないに足る理由がないのに諦めないというのは単なる現実逃避と同じだ。それは必ずいつか現実と直面して瓦解するものであり、自分を騙している行為に過ぎない。
私はクロウがどういう形でこの身体を動かしているのか、霊絡の動きまで含めてすべて理解しているからこそ黄昏の果てでこの人が動いている未来はないだろうな、と判断している。
それに陽霊窟でもその片鱗を見せられているのだから嫌でもその覚悟をせざるを得ない。
しかしそれはあくまで私の判断であって、それをスタークくんや、ましてやクロウやリィンくんに押し付けようとは思わない。残酷な真っ直ぐさだという言葉を心に仕舞うだけ。
「……無茶苦茶なことを言ってるのは分かってる。でも俺は……クロウ兄ちゃんの達観した顔なんて見たくない。最後の最後まで、足掻いて足掻いて、その上で前を向いていて欲しい」
ちらりとクロウが私を見上げるので小さく肩を竦める。君が判断したらいいよ。
想いを受け取るも受け取らないも、約束をするもしないも。
「────いいぜ、約束してやろうじゃねえか。この戦争を終わらせてジュライの飯屋で吐きそうになるくらい、お前らにたらふく飯を奢ってやるよ」
クロウは残酷なやさしさを発揮することにしたらしい。正直、私には約束しないで欲しいのだけれどさすがにこの場で言う気にもならずまた黙っておくことにした。破られると分かっている誓いなんて虚しいだけだ。
それでも明日以降も全員が揃っていると信じているのか、スタークくんは涙をたたえながらも笑って、ありがとう、とクロウに感謝を述べた。
────それにしても諦めるって、そんなに悪いことなのかな。
その問いに対する妥協点は、未だ出ないままだ。
11時15分。
「はい、じゃあ撮るから笑顔でなー!」
せっかく昼に先輩たちが揃いますし写真とか撮りましょうよ、というユウナさんの素朴な提案から一瞬だけ管制室から抜け出してきたトワの端末で五人だけの写真と、新旧VII組と私たちという大勢揃った写真をそれぞれ撮影し、あとでデータ送るね、とトワが大事そうに端末を仕舞ったところでクロウがトワの頭をぐしゃぐしゃに撫で管制室へ送り出す。
今は航行中のカレイジャスの甲板から各地へ向かう高速艇から直接乗り移る準備が整えられていく最中だ。甲板に騎神が二騎、機甲兵もヴァリマールの転位によって重量バランスを考えながら配置されていく。
私はメルカバ弐号機に乗り込む予定で、作戦遂行が終わったら要塞へ突っ込んでいったカレイジャスIIとVII組を追いかけて帝都上空へ全速力で向かう予定ではあるが、間に合うとは全く思っていない。
そもそも偽杭の機能不全による結界消滅もどれだけ保つかもわからず、時間的には間に合ったとしても私たちが乗り込むことは叶わない可能性の方が高い。
「行ってきます」
「ああ、無事にやりきって来いよ」
だから、きっとこれが今生の別れになる。
でもそもそもそんなものは1204年のあの日に済ませていた。陽霊窟の前に覚悟だってした。今更湿っぽいのはナシだ。戦いへ赴くのなら、想いは自分の血肉にしておけといつだったかクロウも言っていたじゃないか。
そんな軽い挨拶だけにとどめ、ロゼ殿の転位術でメルカバの甲板へ他の人たちと一緒に移り込む。
「セリ!」
カレイジャスの甲板から柵を掴んでクロウが私の名を叫ぶ。私が首を傾げると、くしゃり、私の大好きな笑顔。
「愛してるぜ!」
何の躊躇も照れもない真っ直ぐな愛の言葉。それなら私も目一杯顔を綻ばせ応えよう。
「私も────ずっと愛してる!」
君を好きでいたこの時間と感情を大切にしながらこれからを生きていこう。
たとえこの世から消えても、私たちが貴方を忘れなければそれでいい。
「セリ」
「そんな心配そうな顔しないで、ジョルジュ。今日はもう泣かないって決めてるから大丈夫」
「とはいえ私の肩はいつでも空いているから使ってくれたまえよ」
「……全く、誰も彼も不器用よな」
「でもそれが人間の尊さというものだと思いますわ」
『前方、偽杭を確認! モニターに映します』
メルカバのラウンジでその時を待っていると艦内にロジーヌさんの声が響き全員で壁に備え付けのディスプレイに視線をやれば、黒ずんだ大理石のようなまだら模様に爛々と浮かぶ赤い瞳のようなものが世界を睥睨する……杭、のような巨大なナニかがそこへ突き刺さっている。
「……あまりに大きすぎて実感が湧かないほどだな」
「ああ、そして中は幽世と繋がっていてとんでもない場所になってる筈だ」
アンの苦笑にジョルジュが固い声で告げ、ロゼ殿が腕を組む。
「気に入らんな。あのようなものを表舞台に出してくるなど言語道断であろうに」
「各地に出現している悪魔……と呼ばれる敵性体にどこか似通ったデザインですわね」
「……生物のようなカタチじゃないのに有機物感あるのって気持ち悪いですねえ」
どこか吐き気がする感覚が心臓を掴んできて止まない。霊脈と接続し恐怖をばら撒き黄昏を加速させる象徴のようなものということか。
各艦所定ポイントに到着し、艦橋へ移動しその時を待つ。
正午。
大規模作戦が発令され、カレイジャスIIが情報を収集していく。ある程度はこちらの予測通りの動きのようで作戦の実行に支障はないときた。であれば。
『よし、翼の閃き作戦発動────各艦、偽杭を制圧せよ!』
オリヴァルト殿下の号令に合わせ、高速艇が近付くと偽杭周辺に時空の歪みが発生し、杭自体の防衛策として侵入者を招き入れ殺す位相空間の展開が成される。そこへ打ち合わせ通り、転位術で乗り込み、偽杭の内部へ侵入を果たした。
「────っ」
降りた場所は神殿のようにしっかりとした造りだというのに、薄暗く、窓のように外と繋がっている場所から見える空はさっきまで見えていたものと異なり赤黒く染まっている。しんと生物の気配はないのに、内部で無数のものが蠢いて、ざわざわと足元から闇が這いずり回って現実とズレた位相だというのを痛感した。
「外の特異点による産物か。まあよい、巣喰いし存在ごとすぐに制してくれよう」
カァン!、と取り出した杖で床を叩く音で悍ましい気配を軽く散らしたかと思えば可憐にウインクされ、笑いながら頷く。
「ええ、お嬢様たちの道を拓くため押し通らせていただきます」
シャロンさんが侍従服からさっとナイフを取り出し構え不退転の覚悟を改めて。
「三年前に君は重槌を使っていたが……新たな得物での連携よろしく頼むぞ、ジョルジュ!」
「戦力としては大幅にアップしてるのは分かってるけどね、あの工房でたくさん見たし」
「ああ、任せてくれ。こちらこそよろしく!」
全員で意気込み走り出す。索敵を伝えてなんていられないから全員と繋がった状態だ。私という斥候の感覚を全員が共有出来るこのチームに死角はない。
全ての敵を奇襲し鋼糸が絡め取り、重槌鉄拳双剣の餌食となって、それでも倒れぬものはロゼ殿の魔術によって存在を滅される。瞬間的に全てを薙ぎ倒していくという攻撃に全振りなチームバランスだがそも相手に攻撃させなければそれが一番速い。……ああ、いや、オーレリア閣下などのチームに比べたら暴力性も負ける気はするけれど。
そんなことを考えながらもスピードを緩めることなく駆け抜けていく最中、はたと気が付いて横で一緒に走るジョルジュに視線をやると向こうからも返ってきた。
「ジョルジュ、ありがとう」
噛まないようハッキリと告げれば訝しんだ表情が見え思わず笑ってしまう。
「……何がだい?」
「クロウをジークフリードの素体として回収してくれたことについて、かな」
蒼の起動者が必要だったにしても別に本人の人格を残していなくてもよかったろうに、それでも銅のゲオルグはそれを良しとはせず仮面によるインプリンティングのみで蒼のジークフリードという存在を形作ってくれていた。
「……恋人の死体を弄んだ相手にかける言葉としては間違ってるんじゃないか?」
予想していた通りの答えに軽く背中を叩く。
「この二週間弱言葉を交わして、お互いを赦せたのは間違いなくジョルジュのおかげだよ」
トワを殺しかけたことや、私の大切な人が内戦で亡くなったことや、当人が死んだことや、いろんなことを話す余裕が辛うじて生まれた。それは本来であればなかったものだ。
クロウが不死者としてこの世に舞い戻ってくるのは言ってしまえば呪いの強制力で、この千年間虎視眈々と機会を狙っていたイシュメルガが七騎が揃うよう手を回した結果だったのかもしれない。それでも実際にそれを成してくれたのはゲオルグ──ジョルジュに違いない。
そして私たちを殺さずに済ますよう提案してくれたのだって。
どちらも……否、何もかも、ジョルジュがジョルジュでなかったら果たされなかったことだ。
「だから、生きて帰ろう。生きて帰って、自分に何か出来るか考えよう。一緒に。アンもトワも私もいるから。……クロウだって心はずっと傍にいてくれる」
ちらりとどうせ話を聞いているだろうアンに視線をやれば、もちろんさ、と力強い頷き。
「ああ……確かに、君たちは本当に掛け替えのない仲間だよ。僕を楽にさせてくれやしない」
「隠居を決め込むには早過ぎるだろう。ローゼリア殿も現役だしね」
「もちろんじゃ! 若いものにはまだまだ負けんぞ!」
「ふふ、私たちも見習わなければいけませんね」
いい緊張感を維持しながらもそんなゆるい会話のなか要所要所のギミックを解除し、廊下をひた走っていく。長い階段をも駆け上がって細い通路を抜けたところで大広間があり、私たちが到着すると空間が歪み────八枚羽根の黄金を纏った神機が現れた。
「結社の神機βII、ですが妙ですわね。結社でこの色のタイプが開発されていた事実はない筈」
「さすが特異点の産物……霊脈の記憶より模造したか。ならば遠慮はいるまい。存分に相手をさせてもらおうぞ!」
高らかにロゼ殿が声をあげ杖を掲げると、私たちに防御結界と身体向上の魔術がかけられたのがわかる。こんな高々度魔術を二種類同時に一瞬で展開するなんて底が知れない方だ。
「泰斗流拳士アンゼリカ・ログナー。トールズの一員として相手をしよう!」
「同じくジョルジュ・ノーム。来られなかった仲間の代わりとして!」
「更に同じくセリ・ローランド、大切な人たちを先に進ませるために!」
「No.IX告死線域が魔技、RFのメイドとしてお見せいたします!」
「虚なる金色の機よ────我が緋色の前にひれ伏すがよい!」
全員が得物を再度構え、偽杭の守護者たる模造品へ突貫した。
工房と分校のアーカイブにあった通り素早い動きで翻弄するがしかしシャロンさんの鋼糸はその動きを的確に阻害し、たとえ一瞬だろうとそれを見逃すわけもなく私たちは金色を穿っていく。そもそも空中機動を得意とする機体をどうして屋内で召喚しようと思ったのか。
おそらく霊脈から読み取った記憶は存在のスペックは教えてくれたのだとしてもシチュエーションを考慮されなかったのだろう。機械的なその判断を恨むといい!
「────では、そろそろ終わりとしよう!」
ロゼ殿の姿が一瞬にして大人の女性となり、神機を取り囲むように夥しい数の魔砲陣が展開────次の瞬間にはその全てが煌めき、魔術の砲撃による雨霰で中央にいた神機は跡形もなく蒸発した。
そうして守護者という質量をもった幻影が消えたことにより室内に充満していた薄暗さは霧散し、窓から見える空も色を取り戻していく。
「杭の力が消えていく……!」
私たちの最大の任務である杭の機能停止をなんとかこなせ、それが外からも分かったのか足元が強く光り転位陣が起動する。離脱時、甲板から見えた偽杭の赤く光っていた目のようなものが白濁としていき、霊脈との接続も上手くいっていないのが分かった。
「偽杭の機能停止はしましたがおそらく結界は10分ほどで再起動します! 女神の加護を!」
トマス教官の忠告がカレイジャスIIへ飛んだことにより作戦は第三段階へと進み、メルカバは万が一に備え偽杭の側を飛び回る。
カレイジャスII艦橋からの通信が敵の苛烈な攻撃を食らっていることを教えてくれるがここから出来ることなどもう本当に祈るだけだ。しかし戦闘飛行空母である紅の方舟も出てきたともなれば相手もなりふりを構っていない証拠で、それさえ抜ければ────。
『機関全速、耐衝撃フィールド展開! 紅の方舟の弾幕を強行突破しつつ、幻想要塞外郭の内側を通過する!』
『トールズVII組、突入準備を!』
『エンゲージまで残り30秒!』
『外郭内、中央基部前を通過します!』
メルカバの艦橋に響く、戦場真っ只中による逼迫した声に組んだ両の手から汗が出て止まらない。お願い、お願い。何者も彼らを邪魔しないで。
『要塞中央基部に転位を確認……成功です!』
トワの声に、わあっ、と艦橋の感情が沸き立つ。まだまだ、これがスタートラインだとわかっているけれど、それでも────繋がった。偽杭の周囲を飛行していたメルカバの針路は一転し帝都方面へ。
どうか貴方たちに、世界に、光の路があらんことを。
暫く後、艦橋から甲板へ出ると遠く遠くの向こう、帝都上空に黒い大きなかたまりが見える。
幻想機動要塞はトマス教官の先程の発言通りもう結界に包まれており、護衛として就いていたのだろう紅の方舟なども沈黙を選択し不気味なほどに静かな光景になっていた。
「……っ」
見守るしか出来ない歯痒さに柵を握り込んだ瞬間、心臓が貫かれたような感覚に襲われ膝をつく。痛みに襲われたこの身体の口からは意味のあるものは出てこず、掠れるような呻き声だけがこぼれ、て。
「セリ!?」
「……だい、じょうぶ。第四相克が成った、みたい」
同じく膝をついて背中に手を当ててくるアンの温かさに呼吸を整えながら、ぐ、と自分の胸元を掴む。
どうやら結界のせいでラグがあるのか、相克中に霊力を供給するというより相克終了時点で失った霊力を補填するという形らしい。無限供給とはいかなくなってしまったか、と嘆息するしかない。でもこの痛みが確かに繋がってることを教えてくれた。
「これ以上ないくらいの最新情報じゃの」
「カレイジャスIIと通信を繋げておきますね」
シャロンさんが端末を操作し、カレイジャスの艦橋のだろうほのかに喜ぶ声がスピーカーから聴こえる。でも灰が取り込んだのは緋だけで金も黒も残っている。黒はともかく緋と金が手を取り合わなかったのは何か意味があるのか。
かつての模擬戦……というには大規模すぎる七騎揃わない戦乱の中で蒼と灰が芳しい戦績を残してはおらず、宰相側が魔煌機兵を召喚出来るとしても、確固撃破される舞台を整えているだけにしか思えない。油断を誘おうとしているのか……それとも、黒は────鉄血宰相殿はリィンくんと決着をつけたいと願っているのか。
「まさかあの結界を越えてそこまでの力をクロウに貸せるとはね」
要塞のスペックをこちら側の人間では一番理解しているのだろうジョルジュが感嘆の言葉と共に労ってくれて、ふふ、と笑う。
「クロウに対する執念深さだけなら負けないから」
強がりを言いつつ身体を反転し柵に背中をつけ、何とか呼吸も整ってきた。火照る体に風が心地いい。
「いや、にしてもこれ、めちゃくちゃ疲れる……」
「それでもその座を誰に譲り渡すつもりもないんだろう?」
「もちろん。クロウは私がいいって言ってくれた。私が放棄する理由はないね」
答えがとうに決まっている質問へ笑いながら答えると屋内へ続く扉からロジーヌさんが姿を現し、その手には何本か液体の入った小瓶が握り込まれている。
「霊力の消耗を激しいので本来ならお止めするべき場面ですが……こちらをお飲みください」
「……これは?」
「霊力を補填する七耀教会の秘薬です」
霊力供給を阻害する薬であったなら断固固辞したけれど、差し出してくるロジーヌさんの瞳に嘘はなくありがたく三本ほど飲み干すことにした。
「……っ、……第五相克も、果たせた、みたい」
暫く時間は空いて何もわからないまま待っていると、灰が金を討ち破り最終相克へと駒を進めたことが分かる。隣にいる蒼も健在で安堵の念しかない。
「それは何よりだ」
「しかしつまり……」
「最終相克へ着実に近付いている、ということじゃの」
最終相克。黄昏の終わり。灰は黒を取り込み、最後に蒼をも取り込んで、騎神がひとつのかたまりとなった時に何が起きるのか。誰も分からない。きっと1200年前の大地と焔の眷属たちも具体的には想像出来ていなかったろう。
そして、騎神を取り込まれた不死者の起動者は用済みの駒になる。盤面から排除される。
「セリ様」
「大丈夫です、シャロンさん。もうお別れは済ませましたから」
最期にクロウの隣に立っていられないなんてもうずっと前からわかっていた。そこから目を背けたってどうしようもなく、ならば現状を受け止め自分に何が出来るのか模索していくべきで。
私はきっと多くの間違いを犯してきたけれど、それでも、この選択を後悔したくない。
そうして、運命の時がやってきた。
「────」
もう肉眼で要塞の外殻内部が見えるほどの距離まで来たところで、中央基部に蒼と……黒のような灰が蹲っている。最終相克は成して終わったというのに、どうも様子がおかしい。
「……ジョルジュ、あれは、何が起きているのかわかるかい……?」
震えるアンの声。それもその筈で蒼の横に見えるのは黒に侵食されつつある灰という、息を飲まざるを得ない異様な光景に辺り一帯の緊張がそこへ注ぎ込まれている。
「おそらく最終相克で黒を下した灰が……汚染されている、んだと思う」
結界で導力波が遮断され通信を試みても中の具体的な会話などは伝わってこない。
だけどたぶんジョルジュのその解説は的確で、千年以上の長きに亘ってこの帝国を、巨イナル一を狙っていた黒きイシュメルガは相克で下されようとも消えることなくその想念を灰に纏わり付かせている。
「ここまで来てそんな結末がありだとでも……!?」
「あやつが帝国にばら撒いた悪意というものは切っても切れぬ……霊脈に接続しているなら尚のこと」
ロゼ殿が悔しそうに杖を構えかけたところで、お待ちください、とシャロンさんの声。
「……何か、様子が……」
シャロンさんの声により一層注視すると、銀の力を取り込んだ金の吸収によってか灰の騎神の背中にも立派な翼が現れており、それが起動されヴァリマールは空へ躍り出る。
そうして蒼とそこに携えられた終末の剣も追従するように、光の軌跡を残して、空へ。
────この世界には不可思議で現在の科学で説明のつかない現象が山ほどある。
そのうちの一つに『不可侵領域』というものがあり、外洋を進む船あるいは飛行船、それらがとある地点から以降、大陸から離れる海域・空域を突破できない、といったものだ。
物理学としてあり得ることではなく、それが女神さまの存在を裏付ける根拠にもなっている。
無論一般に知られている話ではないが、裏に精通していたりする者であれば一度は聞いたことのある与太話のひとつ。しかし黒の工房の大規模データベースにアクセスし、霊脈と接続し、劫炎殿という窓の外を視てしまった私ならそれが事実だと識っている。
そして海がそうなのであれば、おそらく空もそうなのだろうと言われていて。
「────いってらっしゃい」
幻想的な光景だった。
まるでそのある筈の女神さまの理を、ひとつの力となった騎神で突破するかのように高く翔け上がり、そのまま上昇を続け、ある一点で光となって輝き砕け散った。騎神が破壊されたのではなく、そこが地上に住まう私たちの認識の限界であり、二体の騎神と一本の剣は臨界点を突破して女神さまの理の外へ向かったのだろう。
その弾けた光はひらひらと舞い散る光の羽根となって私たちへ降り注ぐ。
ふれるとあたたかで、しかしどこかさびしさがあふれるそれ。
共にいられないとわかっていた。共に往けないともわかっていた。
だけど、まさか女神さまの理の外へいってしまうなんて想像は全くしていなかった。
君の魂は窓の外へ。もう二度と私の手が届かない場所に。
「セリ」
アンの声がしたけれど返事をするどころか顔を上げることなんて出来るわけもなく、こぼれそうになる嗚咽を喉に押し込めて。だってそうでもしなければ、涙が際限なくあふれてしまいそうで。
すると目の前に歩いてきた気配が肩へ抱き込むように私を引き寄せた。
「いつでも肩は空いてると言っただろう?」
あんまりにも優しい声音でそう呟くものだから、私は、そのあたたかな体温に頭を預ける。
ねぇ、私も、あなたのことを愛してる。きっと、これからもずっと。
そうしてヨルムンガンド戦役と呼ばれる戦いはたったの一日で終わりを迎えた。
私たちから大切な人を奪いつつも、それでも世界は存続の意思を示したのだ。