1206/09/11(月)夜中
各地に蔓延っていた敵性霊体などを討伐し、メルカバを足にしながら各地の霊脈を整え、共和国との戦後交渉などはまだまだ時間がかかるだろうが帝国の内部処理はあらかた終わりティルフィルの実家に戻って寝ていた────ところへ、とんでもない感覚が落ちてきて跳ね起きる。
は、と荒れる息をこぼしながら胸元を掴み唇を噛んだ。
空へ彼らが消えていった後、オルディーネの気配を感じられると言うのは本当に些細な感覚で、正直なところ妄想とも言い換えていい類のものだった。何故ならVII組のみんなはヴァリマールのことを感じられていないようだったから。
合流したクロチルダさんには、あなたが境界破毀で彼の唯一の準起動者だから、と慰められたけれど、それが『事実』であるかなんてのは私にとっては極論どうでもよかった。
ただ、君の魂がいる。この世界ではないどこかであっても存在している。
そう信じられた。信じていたかった。
しかし今この瞬間、オルディーネとの縁はぷつりと途切れ、どこにも感じられなくなった。
妄想の世界でですら君の魂がこの世に在ると信じることすら許されないだなんて、そんな残酷な話があるだろうか。
でも私が彼らの気配を追えなくなったのは事実で、オルディーネが消えたのか、それとも私との繋がりが途切れるほど遠くへ行ってしまっただけなのか。はたまた別の要因か。
知る余地はないけれど、私にとっての九月一日はようやく終わりを迎えた。
準起動者になったからこそ貴方が独りでなかったと覚えていられる。けれど、準起動者だからこそ────貴方たちのことを忘れることは叶わない。
まあ、そもそも騎神がいなくなった状態でそういった記憶の書き換えなどが起き得るのかということも未知の領域だが。
暫しベッドの上で呆然としていたけれど、うん、と自分を鼓舞してARCUS端末を開く。
ひとつやると決めていたことの実行に、一応彼には連絡を取っておこうと。
1206/09/12(火)午後
「遅くなってすみません」
「ううん、大丈夫。むしろ忙しいだろうにごめんね」
帝都のホテルにある喫茶室の予約した最奥席で暫く待っていると制服姿のスタークくんが給仕の方に連れられてやって来た。向かい側のソファに座り、珈琲を頼んでから顔を私の方へ。
分校も今は開校していられる状態ではなく、各地への派遣人員として駆り出されているとトワから聞いた。
「クロウ兄ちゃんのことで相談がある、ということでしたが」
「うん」
スタークくんが来るよりも先に置かれていたミルクを垂らした珈琲に口をつけ、感情を落ち着ける。大丈夫、彼なら……たとえ反対をしても阻止はしてこない。
「クロウのお葬式を、挙げようと思って」
私の言葉にスタークくんは息を呑む。あんな無茶苦茶な約束をクロウに迫るほど慕っていた彼にこの提案をするのはとても残酷だと分かっている。けれど彼は一度目のクロウの葬式に立ち会えなかった人だ。
クロウが空へと消えた後も微かな気配だけは必死に追っていたがその魂を感知することすら難しくなってしまった現状を話すと、膝に置いた肘から伸びる手を組み、俯かれる。荒唐無稽な話だと思っただろうか。でもそれならそれで、私だけで執り行えばいい。
どうせ魂はおろか死体もない形だけの────自分の心を慰めるためのものだから。
「分かりました。俺も参列させてください」
「……ありがとう」
単なる私の感傷に付き合ってくれるという彼のやさしさに思わず笑みがこぼれる。
「そろそろ1203年の話をしてもいいかなって、思ってたからアルバムとか用意しておくね」
クロウが亡くなった翌年の旅で彼から請われたクロウの学院生活の話を感謝の形として差し出そうと提案したら、少しだけ思案顔になり、蒼耀石の瞳と視線が合う。
「あの、もし良かったら俺も実家からアルバムを持ってきてもいいですか。もちろん街を出る前のものだけにはなりますが」
「……いいの?」
「はい。きっとクロウ兄ちゃんは恥ずかしがると思いますけど、許して欲しいですよね」
くしゃりと笑うその表情がすこしクロウに似ていて、本当に近しい男の子だったんだなとぼんやり思う。
「どうせ分校も休みみたいなものですし、外出届け出してジュライに……あ、葬式はどこで」
「前はヒンメル霊園だったけど、ま、私のわがままだし。実家のティルフィル──旧都の西南西にある私の故郷で葬式をやってそのままお墓を作る予定だよ」
「じゃあ急ぎに急ぎますから……16日の土曜とかどうですか」
「じゃあその日程で。実際のお葬式と違って腐るものでもないしね」
棺には花や金具を外したクロウの制服を入れて燃やそうと思う。人体じゃないからそこまで時間はかからないし、燃して灰にしてもそもそもティルフィルの民じゃないから森に撒くというのも違うだろうという判断からそういうことになった。
一応教区長さまには『そういうことをやるかも』という話は通して承諾は貰っている。戦乱で遺体も残らなかった人を葬送るというのに反対する方ではないと知っていたが、それでも頷いてもらえた時には安堵の息を吐いたものだ。
「トワ教官たちは呼ぶんですか?」
「今のところ呼ぶつもりはないかな」
本当に、これは私の後悔の話だからティルフィルの精霊信仰に馴染みのない人を巻き込むのは気が進まない。1205年のあの葬式の日、本当なら私はクロウの遺体を焼きたかった。私にとって女神さまのもとへ送るというのはそういう手順を踏むものだったから。
別にそれがわるくてあんなことに陥っただなんて言うつもりはなく、本当に、心の整理の話で。
「わかりました。それなら外出届けの事由欄も適当に誤魔化しておきますね」
……なるほど。確かにトワが見る可能性が高いものな、とそつのなさに感嘆を覚える。
その後、宿は私の家を提供することや街のどこにあるのかなどの詳しい話を伝え、私が呼び出してしまったからと喫茶の代金を支払いホテルを後にしたところで、セリさん、と呼び止められた。
振り返るとやけにまっすぐな眼差し。
「トワ教官たちの前から消える気じゃ、ないですよね」
「嫌だなあ、そんな女神さまに背くようなことする筈ないよ」
あまりにも思い詰めたような表情で言うものだから即座にそう切り返しておいた。
既に女神さまに背いている人間が何を、という話だがそれでもこの裏切る心を表に出すほど愚かじゃないつもりだ。そしてたとえそのつもりだったとしても、その事を彼と共有する意味はない。
「それじゃ、16日待ってるよ」
にこりと笑い私はその場を後にした。
1206/09/14(金)
教区長さまに話は通し、花や石碑の手配を行い、今は昔もらったクロウの緑色の標準制服に鋏を入れているところだ。
燃やす予定のものとして教区長さまに確認してもらったところ、ファスナーやボタンなどは火葬した時に妙な形で残ってしまうからそれだけは取っておいてください、と言われたが故の作業だけれど、大まかなところを残すとはいえ多少なりとも心が辛くなるものだな、としみじみする。
ジャキン、とファスナーの両金具を切り落とし、ボタンの糸を切っていく。
予備のネクタイはあれどシャツはないから……適当な細い縦ボーダーが入ったシャツを調達してきてそれっぽく見せようか。棺へ敷き詰めた寒色系の花の上にジャケットとシャツ、ネクタイにズボンを横たえ、中央にグランローズを乗せよう。
花卉農家が盛んなラマール州の知り合いたちに連絡を取ったら快く協力してくれて本当に助かった。
あとは他に燃やせるものあったかな、と学院から送り出し正直そのままほったらかしていた荷物を開けていろいろ確認していく。
「……」
その中にあった小物入れにネイルの小瓶がひとつ入っていて、手の上へころんと出したにも関わらず中の液体は動かない。
それもその筈で、これは確か士官学院の入学試験の試験監督に選ばれたかなんだかぐらいの時期にクロウが買って塗ってくれたものだ。開封してから二年半以上も経っていれば使用期限なんてとっくに過ぎているし、水分の揮発性が高いものだから凝ってしまっているのも致し方ない。
嬉しくて、もったいなくて、使えずにいた薄紅色のパールのようなネイルカラー。
本来ならゴミだ。適切な処理をして処分するべきだと分かっているのに……私はその小瓶にデスクの小物置き場という場所をそっと与えることにした。いつでも捨てられるなら、今捨てなくてもいいと言い訳をしながら。
1206/09/16(土)
「いらっしゃい。遠いところありがとう」
「いえ、こちらこそお招き頂きありがとうございます」
昼過ぎに到着した私服のスタークくんを招き入れ、荷物を部屋に置いてもらって教会の方へ。
家の中はぴかぴかにしたし、客間のベッドだってきちんと整えて、食事を作るのもままならなくなる可能性を考慮して作り置きもしたのと、軽くつまめる甘いやらしょっぱいやらのお菓子も用意して、夜通し話す準備万端である。
道中は言葉少なくとも息苦しい沈黙じゃなく、安心した。
人払いが完了している教会へ到着し扉を開けると、並んだ長椅子の間を抜けた向こうに棺が置かれている。進んでいけば青系統の花の海の中にぺたんこの平民標準服一式が横たわり、ここに遺体がない奇妙さを強調していた。
「どうぞ、お花を」
葬送服に着替えたシスターから私は真っ赤なグランローズを受け取り、スタークくんには白いカーネーションが渡される。服の胸元に二人で花を置き、心の中で祈りを捧げ一歩退けば教区長さまにより重々しく棺に蓋がされ、台車に乗せられ火葬場へと。
「あれぐらいなら30分ぐらいで燃え尽きるみたいだから、このまま待機だって」
「わかりました」
二人で長椅子に座り、光が透けるステンドグラスを眺める。
女神さまに背いた人間の葬式を、女神さまに背き続けている私が喪主として行うのは愚かなのだろうな、とぼんやりとその似姿を眺めていると隣から小さく手を一回叩く音が聞こえた。
「そうそう、アルバムちゃんと残ってました。結構幼いクロウ兄ちゃんが多めです」
「嬉しい、それものすごく楽しみだったんだ」
少し若い頃の話はスカーレットさんから聞かせてもらっていたけれど、ジュライにいた頃の話は本人から聞くしかなかったというのにあまり聞く機会がなかった。クロウにとってはしあわせな記憶も辛いかもしれないと遠慮してしまったのと、あり得ない記憶の中で少しふれてしまったが故に聞こうという意識になくそのままで。
「……それと、クロウ兄ちゃんのお祖父さん────クライヴさんの話って今はもう市民の間ではタブー扱いなんです。だからもしよければ、その話もしていいですか」
「むしろありがたいよ」
クロウを話す上でクライヴさんのことは欠かせないだろうし、願ったり叶ったりだ。
そんな風に他愛のない話を続けていくとシスターがまたやってきて、教区長さまがいる灰集めの場へ案内される。
静かだけれど未だ炎の気配が残る火葬場の広間で、台の上には人型のものはなく、ただ細かい灰があるばかり。それを小さなコテを使い二人で集め、壺の中へ静かに落としていった。
その壺を両手で大切に持ち家へと戻ってから葬儀参列服から作業着にさっと着替え、あらかじめ家の裏手に掘っていた穴の中へ壺の灰を入れていき、最後に蓋をするよう土をかけ墓標となるよう小さな石を敷いて石碑を立てた。
君の魂はもうこの世界にないけれど、それでも安らかでありますように、と。
「そうそう、滞在中はこれ渡しておくね」
家へ戻り手を洗い、シャワーを浴びたり服を着替えたりしてアルバムを携えてリビングに二人揃った時、話を開始する前に小さな鍵をスタークくんの前に取り出す。
「これは?」
「この家の鍵。私がスタークくんを残して外に出たり、手が離せないままスタークくんだけ外に出たいってこともあるかなと思って。好きなだけ滞在してくれていいよ」
どれだけ長い話になるかもわからないし、私が頭をすっきりさせたくて森へ散歩に出る可能性だってある。
「……その、セリさん。未成年とはいえ俺も一応男なんですが」
物凄く気まずそうに告げられるスタークくんの言葉に私は首を傾げるしかない。
「スタークくんはクロウをとても慕っていたと私は感じているし、そのクロウが愛していた相手を害そうとする人ではないと判断したのだけれど」
それにいくら士官学院生と言っても私に手出しが出来る技量ではまずなく、黄昏が終わった今でも寝ていようと即座に覚醒して迎撃可能な範疇だ。仮に私の部屋へ入ったり、盗聴器等を仕掛ける可能性の話をしても私の感知を潜り抜けることは不可能に近い。
鍵の複製に関してもこの街の鍵屋であればこの鍵の複製は私が持ってこない限り断ってくれる。
これは驕りではなく覆しようもない事実の話。
「……わかりました、そういう話であれば預からせて頂きます」
ちいさなため息と共に鍵がスタークくんの懐へ仕舞われ、あっ、と気がついたことがあり台所の方へ。飲み物や軽食、つまむお菓子など用意していたものをお盆に乗せてリビングの机に広げる。
さあ、存分に思い出語りをしよう。私たちの、うんと大切な人の。
「う、うわ~! クロウちっちゃい! えっ、もうこの時からお兄ちゃん面してる!」
「家が近くて両親がクライヴさんへ挨拶しに行った時に興味津々だったみたいで」
「かわいい……ごめん、この写真ってARCUS端末で撮っていい?」
「どうぞどうぞ。俺も撮らせてもらいたいですし」
「結構テーブルゲームしてる姿多い……ん? もしかしてこれ賭けてます?」
「間違いなく賭けてるね。ちなみにアンとクロウの出会いは学内ギャンブルだったらしいよ」
「とんでもないですね」
「あの頃から二人とも規格外だったんだよねえ。……いや、四人とも、かな」
「セリさんは違ったんですか?」
「私はもう紛うことなく一般人でしたよ」
「あは、これチェスで負けて涙ぐんでる」
「それ市庁舎の休憩時間にクロウ兄ちゃんが盤持っていって職員さんが撮った写真ですね」
「本当にお祖父さんのこと好きだったのがよくわかるなあ」
「……これ」
「私たちが二年生に上がる前に撮った写真だね。私のお願いで早起きしてもらって」
「すごくいい写真ですよね。前も見せてもらいましたけど」
「うん、本当にいい笑顔。私たちのことがどうでもよかったら出せない表情だと思う」
1206/09/17(日)お昼
思いのほか話に花が咲いて明け方まで話してしまったので、スタークくんを取り敢えず寝かせて私も仮眠を取って、なんとか起きて買い出しに行った。久しぶりに笑いながら寝た気がする。時間としては短いけど充足感があるこの気だるさは悪くない。
スタークくんが持ってきたアルバムは何冊かあるみたいだし写真に残っていないクロウの話もたくさんたくさん聞きたいし、私もちゃんと話せるよう後で1203年に何があったのか書き出してみようか。
「……」
一応街の中の諍いを止めたりなんだりで護身として剣を帯びてはいるけれど、そもそも帯剣している人間がそう浮かなくなっているのは戦争の影響だなと嘆息する。
そんなことを考えながら家に近付いていくと家の前によく知った気配が一つあるのに気が付いた。
それに対し一瞬歩調が緩み、いや逃げてもいけないな、と足を踏み出す。近付いていくにつれ鼓動が速くなっていき、呼吸が浅くなるのがわかって、でも別に疚しいことはしていないと言い切れるからそのままどんどん進んで。
「────トワ」
「久しぶり、セリちゃん」
家の扉の前に、静かな姿でトワが立っている。
家屋には誰の気配もなく、もう、完膚なきまでにハメられた。ああ、ちくしょう、彼のことを怖いなって思ったことあっただろうに、まさか、こんな。
「スタークくん、だね」
「うん」
つまり彼が告げた日数というのはもちろんアルバムを取りに行くのも嘘ではなかったろうけれど、直ぐには分校や帝都近辺から離れられないトワが段取りを整えこちらに来る時間を稼ぐことも含まれていたのだろう。
「いろいろ話したいけど……まずはクロウ君のお墓に案内してくれる?」
その言葉に乾いた笑いが出た。
「遺体も眠る魂も何もないただの自己満足でしかない場所に?」
「だとしても。今この世界でクロウ君のことを誰よりも想ってるのがセリちゃんだとわたしは思ってる。そのセリちゃんが定めたならそこがクロウ君のお墓なんだよ」
真っ直ぐな瞳と共に窘められる。それと真正面から対峙するのがこわくて、おそろしくて、私は何も言えないままステップの上、扉の前に荷物を置き裏手の方に爪先を向ける。
けれど歩幅の小さな足音がきちんと後をついて来た。
セリちゃんに案内をされて訪れた家の裏手には、ちいさくC.A.とだけ書かれた墓石があり、わたしはその前に膝をついて手を組み、クロウ君の魂の安寧を祈った。
立ち上がって振り向いた先にいるセリちゃんは何も言わないけれど、まるで怒られる前の幼い子どものような表情で。でもわたしは彼女を怒る気はさらさらなかった。だって何も悪いことはしてない。むしろ────わたしの方がきっと悪いことをしようとしている。
「セリちゃん」
体の横で握られた左手を取りながら真っ直ぐ見上げると、きっと感情はぐしゃぐしゃになってしまっているだろうにわたしの視線から決して逃げようとしない。セリちゃんのそういうところがわたしは本当に好き。
いなくなってほしくない。消えてほしくない。わたしたちの前からも、世界からも。
だから。
「セリちゃんの魂を、わたしにくれませんか」
掴んだ左手を私の胸に押し当てそう願った瞬間、セリちゃんの瞳が見開かれる。
「代わりにはならないかもしれないけど、わたしの魂をセリちゃんにあげるから」
────そう。わたしは、セリちゃんがわたしのお願いを断れないことを知ってる。
九月一日、あの運命の日にセリちゃんが高速艇で偽杭に向かった後にクロウ君がこっそり教えてくれた。『あいつはお前のために命を一度は使う覚悟があるみたいだぜ』って。
だからそれはつまり、その命をわたしにくださいと希ったら断れないとおなじこと。
そしてセリちゃんはクロウ君の魂を追いかけて煉獄へ行くことを決めていた。だけど今はもう、セリちゃんが自分で言った通りクロウ君の魂はこの世界にないんだと思う。つまり彼女をこの世界に繋ぎ止めるものがない上に、もしかしたら、セリちゃんなら何らかの手段で"外"へいけてしまうかもしれない。
わたしはそれを応援してあげられない。お父さんもお母さんもお祖父ちゃんも、リィン君もクロウ君もミリアムちゃんもいなくなって、その上セリちゃんまでなんて耐えられない。
「……どう、して。どうして、そんな、残酷なことをいうの」
「わたしはセリちゃんにいなくなって欲しくないの。……ごめんね、わがままで」
「ひどい……ひどいひどいひどい。……ひどいよ、とわ……!」
すごく辛そうなセリちゃんが泣きながら、震えながら、私が押し当てる胸に爪を立ててくる。痛い。でも離してなんてあげない。絶対に。
セリちゃんが持つ境界破毀という力はものすごくいろんなものを壊せてしまって、だから黄昏が終わった後にどこかへ所属した方がいいとは分かっていた。教会でも、魔女の里でも……最悪どこかの国家でも。だけど結社はやめてほしいし、ぜんぶを捨てて消えることもしてほしくない。
黄昏が終わった後もガイウス君のメルカバであちこち回って霊脈を整えて、だからセリちゃんの力が黄昏による一過性じゃなく、セリちゃん個人に残っているものだということを知られている。今更誤魔化しようなんてない。
だから、何も憂いたくないのならわたしが"それ"になればいいと思った。
「セリちゃん」
泣いて崩れ落ちたセリちゃんのつむじを見下ろしながらそれでも掴んだ左手は離さず、そっと震える頭を撫でた。
「わたしはね、この世界をすこしでもよくしたいと思ってる。帝国の貴族制による不平等もそうだし、共和国の移民問題に、ノーザンブリアの方に対する差別も看過できない」
こうして挙げていくとものすごく強欲な願いだし、そもそもわたしが生きている間に終わらせられるなんて全く思わない。だけど、諦めずにそれらと向き合っていけば、一歩くらいはいい方向へ舵を切った世界を後の人たちに渡せるとそう信じたい。
「わたしをずっと守ってくれませんか」
落とした言葉に一瞬固まって、ゆっくりと泣きじゃくった顔が上がる。
赤い目元に、目の下にはクマ。ふとした瞬間に感情があふれたり、満足に眠れてない状態。
「……本当に一緒にいていいの?」
「いいよ」
「一生守らせてくれる?」
「もちろん」
「私が執念深いってわかってるよね?」
「傍で見た来たもん」
「もしトワが誰かと添い遂げたくなっても離してあげられないよ?」
「承知の上だって」
だんだん立てられていた爪の力が弱まって、縋り付くようになっていく。その手を覆うようにぎゅっとして、矢継ぎ早に出される言葉へ頷き続けた。
そうして、セリちゃんの手がゆっくりと意思を持って離れるから解放すると、片膝を立て、腰の剣を抜き、剣身を正面にして目を閉じる。
「我、セリ・ローランドは、この魂をトワ・ハーシェルに捧げ、生涯を共にし、生命が尽きるその時まで御身を守らんと────空の女神に誓う」
誓いの言葉を捧げられ剣を横たえ差し出されたので私もそれを取り、儀礼的に構えてから彼女の肩に乗せた。
「誓いを立てたそなたは勇敢であり、誠実さを秘め、高潔を示し、鷹揚を体現し、信念をその心に。我、トワ・ハーシェルはその誓いを受け入れ、汝を我が生涯の騎士として任命す」
「ありがたき幸せを。我があるじよ」
この日から私たちは友人でありながらも主人と騎士の関係を得た。
それが良かったのか悪かったのか、私には終ぞわからなかった。けれどただ一つ確かなのは、私はセリちゃんを失わずに済んだということだ。
────それからまず初めに、トワ・ハーシェルはその辣腕を存分にふるい、彼女の騎士であるセリ・ローランドの身柄の保護を七耀教会に認めさせた。
無論彼女が世界を脅かす可能性があることは教会も承知していたが、現職の守護騎士が後見人になると宣言し、またローランドがその力を無為に使わないと女神へ固く誓うことで教会の名の庇護下にいる者とした。
その後、長い歳月をかけハーシェルはあらゆる人種差別と戦った。
彼女が持つ言論は世界に届き、故に命を狙われることも多かったが翠の衣を賜った騎士はその害意全てを叩き斬った。どのような悪意であっても彼女を傷つけることは叶わなかったのだ。
そうして、トワ・ハーシェルは自身の功績が認められ七耀教会で聖女の名を冠するに至る。
彼女の隣にいた専属の護衛騎士も教会内での確固たる地位を得た。
ふたりは長く永く共に在り──晩年彼らがどうなったのかは伝わってはいないが、しかし──大陸史に名を残した伝説は今もなお、残っている。
聖女と騎士
[???]への路が拓かれました。