帝都から出る際、ミヒュトさんから別名──情報屋としての号をもらった。
本名でやるわけにも行かねえし符丁にもなんだろ、と告げられたそれは《蒼の
左耳を飾るそれがこの世界でお前をお前足らしめるものになる、と笑っていたのは侮蔑か嘲笑か憐憫か。いや、そんな周りくどい嫌がらせをするほど性格は存外悪くない。だからたぶん、お前の根底を……怒りを忘れるなという意味合いが込められているのだと思う。
事実どうだかは問いかけるつもりはないけれど、そう信じることで、私はこの名と向き合っていけるんじゃないかって。
1205/08/23(火) 朝
情報屋になることを告げたあの日から暫くミヒュトさんの手伝いをしながらしごかれつつ、テキトーにまた帝国を巡ってこいと放り出された。それから焼き討ちされ復興途中のケルディック周辺の魔獣退治をしたり、薬草類の採集を頼まれたり、細々とした依頼をこなしながらケルディックから徒歩で北クロイツェン街道を南下。
大穀倉地帯の村々で起きている魔獣系の問題に対処しながら話をして、やはり最近小麦の売価が上がっていることや街道の行き来が多くなっていることを聞きつつ、辿り着いた公都の駅前通りはしんと静かだった。
四大名門が治めている直轄都市の中で唯一私が足を踏み入れたことのない場所だけど、これが内戦前からそうだったわけではないことはわかる。パンタグリュエル着陸時にちらりと見ることしか出来なかったとはいえ、それでも当時の方が(内戦中であるというのに)景気は良さそうだったというのが私の感想だ。
まぁ暗くなっているのも無理もない話で。アルバレア公が領民虐待による地位剥奪をされ、一部の投資家は貴族連合軍……というよりそれによる特需に乗っかっていたが故に一日で資産全てを失ったものもいる。
加えて次期公爵と目されていたルーファス公子は改革派のオズボーン宰相と繋がっており、今は内戦後一週間で手中に収めたクロスベル州の総統に就任。現在はユーシスくんが領主代行としてこの地を治めている。妾の子供だということから貴族の血統主義による反発もあるだろうに、それでも大きな混乱を起こさないでここまでまとめているというのは素直に感服するばかりだ。本人の努力と、周りにいる人による尽力の賜物だろう。
そんなことを考えながら暫くの活動拠点を確保するために街の南東・職人通りにある宿酒場アルエットを目指すことにした。駅前通りを暫く歩き中央広場へ出ると、美味しそうな香りと共に広場中央におわす聖女像に出迎えられる。夏も盛りで聖女像を囲う花壇には色とりどりの花が咲き誇り、大きな白い大聖堂を背景にベールを被ったその人は微笑んで。
帝都はもちろんのこと、旧都、鋼都、海都、そして公都。中央と全ての四大名門直轄都市に大聖堂は建立されており、それだけでこの国での七耀教会というのがどれほどの強さを持っているのかよくわかる。そしてそれは帝国に限った話じゃない。リベール王国も、元ノーザンブリア公国も、レミフェリア公国も、帝国と敵対するカルバード共和国でさえ、女神を信奉している。……たぶん、かつてのジュライ市国も。
そんな世界で、たとえ冗談めかしたとしても、どれだけ信用出来ると思っても、『女神を信じていない』だなんて口が裂けても言えないことは私にだってわかる。その相手が多少であっても女神信仰者であるのなら尚更。クロウはそれを明言しないことで私を守ってくれていたのだろうとも、思う。テロリストで背信者の隣にいる人間なんてこの世では居場所がないも同然だからだ。
────それでも、わたしはあなたのこころにふれたかったよ。
聖女像の前で、懺悔のように心の中をひとつ落として、また歩き出した。
一歩踏み入れた職人通りは坂道に所狭しと工房がぎゅうぎゅうと詰まっており、いろいろなところから聴こえる音が、においが、故郷を思い出させるようで、やっぱり少し違う。ここは宝石加工をしているところも多く窓から見える店内が光り輝いているようにも見えた。どこからか機織りの音も聞こえて、こっちはわりと馴染み深いな、とふふっと笑う。
丁寧に敷き詰められた石畳の坂を降りていくと、ショーウィンドウにネックレスと大ぶりな宝石を飾っているお店が見えてきた。褪色しないのかな、と一瞬考えたところで太陽が入らないようになっている工夫に気がつく。店舗の方角、軒先のテントの素材。それらを計算した上で、この道行く人に宝石が持つ強さを見てもらいたい、そんな願いが込められているようで。
あまり宝石には詳しくはないけれどハードルを低くしてくれているような気がしたので後で覗いてみようと心の中で頷いた。
宝飾店のウインドウから音に惹かれ視線を移すと、真向かいにはダボス工房という名前が。においや店の前のボードに貼られているものを見るに武器工房のようだ。そういえばバリアハート一の腕利き職人の方で、VII組の実習の際にお世話になった工房がそんな名前だったか。後で一度武器の調子を見てもらうのもいいかもしれない。……見てもらえればの話だけれど。
そんな風にいろいろ目移りしてしまいそうな街並みを見回しながら降っていくと、南クロイツェン街道と街を隔てる外壁が見えてきた。そうしてどこからか珈琲の香りも。
きょろきょろと探してみたらこぢんまりとしたお店に、宿酒場アルエットと書かれた軒先テントが垂れ下がっている。
「おっと、お客さん? うちはしがない宿屋だけど、エスプレッソだけは絶品っすよ~」
店先ではたきを懸命にかけている男の子が笑ってそんな客引きを。エスプレッソ、あんまり飲んだことながないけれど頼んでみようかな。
カランカラン、と扉のベルを鳴らして入るとカウンターとテーブル席が数個ずつ。朝と昼の間のような時間だからか人入りはなく、けれどしっかりと人の気配は色濃くあるので時間になったら混雑するんだろうことは肌感でわかった。
「いらっしゃい、お食事で?」
「ああ、良ければ部屋を……取り敢えず一週間ほどお借りしたいのですが空いていますか?」
「宿泊か。シャワーは部屋に備え付けだが風呂はなし、構わないかい?」
「大丈夫です」
頷いて諸注意を書面で確認してから前金を支払い、二階の一番奥の部屋が空いてるよ、と鍵を受け取って荷物を置きに行く。鍵の番号通りの部屋へ入るとベッドと書き物が出来る机が一つずつ。トイレもシャワー室もなかなか清潔なところだ。ありがたい。
取り敢えず荷物と腰に差していた小型導力銃を除く武器類を置いて階下に降りるとすこし人が入っている。
「すみません、カウンター席大丈夫ですか?」
尋ねるとマスターは頷いてメニュー表を取り出してくれた。
めくるといろいろ美味しそうなものが書いてあって少し悩んでしまう。まぁでも昼はあまり重いものを出していないようなので、適度にお腹にたまりそうなホットサンドをいただこう。注文すると、あいよっ、と元気な声と共にマスターが奥の厨房へ。
調理の音に耳を傾けながらも意識を店内の方へ配ると、最近の若様がどうたらこうたらという話が聞こえてくる。いろいろなところで各地の話は(真偽不確かなものまで含めて)集めていたけれど、断トツでこのクロイツェン州が評判悪かったものなぁ、と思案。
去年のケルディックでの領邦軍による不正も鉄道憲兵隊によって事なきを得たとはいえそのようなことを看過(あるいは助力)し、無策としか言いようのない税収の搾り上げ、果てに自領の民が住まう土地を焼き討ちだ。死亡者が一人だったとしても到底赦されることじゃない。
そのような父親の跡を、あくまで代行としてこなしているユーシスくんは平民から支持がされているとはいえ大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。だからといって私のような身分では忙しい彼に会うことは叶わないし、仮に会えたとしても気を使わせてしまうだけのような気もする。
……ミヒュトさんのおかげで人の心を意識的に視る力はすこし伸びたと思うけれど、それは逆に疲れるということでもあるのだ。分かってしまうことが人間関係で必ずしもいいわけじゃない。だけど私が行く道はそういうのを飯の種にする場所だから、嫌だ嫌だとは言っていられないのは理解しているし納得もしている。ただまだ慣れないという話で。
「お待ちどう」
頭の中がぐちゃぐちゃになりかけていたところで香ばしさがお皿に乗ってやってきた。カリッと端っこが焦げた食パンがみちみちに中身を押さえている。切られた断面を見るにハムチーズチキンと、ツナキャベツだろうか。思っていたよりボリュームのあるお皿で嬉しくなり、一先ず悩みは横に置いておくことにした。いただきます。
満足感のあるお皿にごちそうさまの合図をして、ふう、と一息つく。ホットサンドはやっぱりチーズがとろりとした熱さのうちに食べるのがいいと思うし、特に夏はカリッとしたものがすぐにふんにゃりしてしまったりもするので素早く食べるのはもはや礼儀というか。うん。
いやお腹が空いていただけとも言うのだけれど。
「食後に珈琲はどうだい?」
余韻を感じ終わったのを見計らわれたのか、ちょうどいいタイミングで言葉が落ちてきた。マスターの言葉に一瞬だけ思案して店外にいた少年の言葉を思い出す。
「では、エスプレッソが美味しいと聞いたのでそちらをお願いします。といってもあまり馴染みがないのでおすすめの飲み方などがあれば教えて頂けるとありがたいのですが」
「そうか。お客さん、珈琲はよく飲むのかい? 甘いものは?」
「ええと、そうですね。大体ミルクを少し入れて飲んだりします。甘いものは好きな方かと」
「よし、じゃあ任せて欲しい」
鼻歌を奏でながらカウンターの後ろにある銀色の導力器をセットし始め、豆を挽いたりいろいろ楽しそうだ。……そういえばクロウが珈琲を淹れてくれることもたまにあったっけ。あれも美味しかったなあ。豆の管理が大変だとかで本当にたまにだったけど。
キルシェでフレッドさんが淹れてくれる珈琲を二人でテラス席でカードゲームをしながら傾けたり、パンタグリュエルでも休みの日は一緒に珈琲を飲んで笑い合った日々も、どれもこれも今はもう遠い思い出だ。半年というのは長いように思えて案外と短い。
「はい。砂糖はもう入ってるからぐるぐるとかき混ぜて、とろみがついたら飲んでみて」
考え事をしていたせいかあっという間に出てきた小さなカップ。言われるままに小さなスプーンを手にしてぐるぐると回していく。するとマスターの言う通りとろりとしてきたのでスプーンを置いて口をつけてみると、見た目からは想像出来ないぐらい甘くて、だけどしっかり苦味もあって……まるでチョコのような風味さえ感じられる。
「おいしい……」
「そいつはよかった」
「ここのマスター、エスプレッソだけは本当に上手いぜ!」
「違いねえ!」
「だけってなんだなんだお前ら!」
思わずこぼれた言葉ににかりとマスターが笑い、他の卓から野次が飛んでくる。いや、エスプレッソだけはと言うけれどさっきのホットサンドも美味しかったと思うけどなあ!
「ま、お客さんのエスプレッソとの出会いが良いものになったようで何よりだよ」
「はい、ありがとうございます」
初めて食べたり飲んだりするものが美味しかったら、また試してみようと思うし、もしそれが口に合わなくても『全部がそうではない』という希望が持てる。マスターは本当に珈琲が好きなんだなあ、となんだか嬉しくなった。
さて、そろそろ活動を再開しよう、と代金を支払ったところでまたお客さんが入ってきたので邪魔にならないようさっさとカウンター前からはけようと踵を返したところで、お互い動きが止まる。
「……セリ、様?」
無地のワンピースを着用し決して侍従服を纏ってはいなかったけれど、一ヶ月以上見続けた顔を見間違えるなんてことはなく、店に入ってきたのはパンタグリュエルでの日々を確かに支え続けてくれたその人──ヒエリアさんに間違いなかった。
「……落ち着きましたか?」
「はい……。すみません、お見苦しいところを」
階下で涙が溢れる金耀の瞳に驚いてしまい、落ち着ける場所をということで宿泊部屋に連れ込んでしまった。とはいえシングルルームなので椅子が足りることもなく、私はベッドに腰掛け、ヒエリアさんには書き物机の椅子に座ってもらっているという体たらくになる。
でも下で出来るような話でもない気がしたのだ。
「いえいえ、生死不明でしたしね。ご心配ありがとうございます」
ヒエリアさんとは列車から逃がしてくれた以降、一度も会っていなかった。
無事を伝えるという考えはあったけれどいかんせん誰の家に仕えているのかもわからない人物をこの帝国内から探し出すと言うのは(当時の自分では)至難の業だったし、調べるにしても絶対的に海都方面へ近づかなければならないことは分かっていたから後回しにしていた自覚はあるので多少苦笑がこぼれる。
「ヒエリアさんは戦禍を逃れてこちらに?」
「はい。お仕えしている家の主様と執事長が、貴方たちだけでも逃げなさいと仰ってくださって……今は友人宅に身を寄せています」
海都自体が巻き込まれることはないだろうけれど、郊外の家であればそうはいかない可能性も十分にある、といったところか。
しかしそこから事態は刻一刻と変化し、七月の頭、アランドール殿と話した翌日に北の猟兵がノーザンブリア自治州議会を占領し賠償請求を断固として拒否をした。つまり正式な敵対。であるのならやはり領邦軍から資金と戦力を出させる方向で行くものと考えてみれば、政府の方ものちの戦力を浪費させるような闘い方はすまい。現に海都方面で派手なドンパチは起きていないし、水面下で交渉が進んでいるのは間違いない。
と言っても、それは情報を取得出来る外野の立場で今現在だから言えるというのも確かで。ヒエリアさんが勤めていた家の執事長殿は主人と共にする覚悟をしているのだろうけれど、他の従者にそれを求めはしなかった。そして主人自身も。
「そうですか。ともかく、ご無事でよかった。本当に。お礼が言いたかったので」
「……その、あの後ちゃんとお会いになることは、出来ましたか?」
不安そうな表情をつくる彼女に、私はしっかり頷いた。
「はい。ヒエリアさんがあそこで窓を開けてくださっていたおかげで……死に目に会えました」
「……っ」
ぎゅっとスカートを握るヒエリアさんは本当に優しい方だと思う。思えば、ずっと彼女は私に対して誠実であろうとしてくれていた。パンタグリュエルの中で、土壇場の最中でも信じたいと思えるほど私の味方だったと言ってもいいぐらいで。
「そんな顔しないでください。ヒエリアさんが勇気を振り絞ってくださらなかったら……私は一生後悔したままでした」
あそこで窓から転がり落ちられたからこそ、私のあの長い一日はようやく始まった。
きっと、私が煌魔城にいて変わったことなんて何一つないと思う。ただただ世界の行く末を見届けるだけしか出来なくて、クロウがリィンくんを庇う未来だって変えられなくて、心臓を穿った大穴からだばだばと血がこぼれていくのも止められなかった。
でも、私がその場にいられたのは、本当に、ヒエリアさんのおかげだ。
「っ、だけ、ど、セリ様は、あんな……あんなに、蒼の騎士様のことを、お好きだったじゃありませんか……っ。それが、そんな……っ」
ぐしゃりとまた表情を崩し、ポケットに入れていたハンカチを取り出してヒエリアさんが涙をぼろぼろとこぼす。
彼女は一番あの日々の私たちの歪さを目の当たりにしながら、それでも私がクロウを好きだということを信じてくれた。脅されているのではなく、ただ自分の感情に素直になった上で乗艦を続けるに至ったのだと。その感情を悼んでくれている。リィンくんにでさえ間接的に否定されてしまったあの日々を、選択を。────それが、すごく嬉しかった。
たとえ以前の私たちを知らないがゆえだとしても、あの在り方を選んだのは私たち自身だから。
「はい。今でも好きです。きっと、ずっと変わらず、好きでいたいと思っています」
そう、私はクロウのことを忘れる気なんてさらさらないのである。
それは左耳のピアスを開けたこともそうだし、喪主を務めてくださった教官にお願いして墓の管理証を私の預かりにしてもらったこともそうだし、故郷のティルフィルから逃げ続けているというのもその結果の一つだ。
「愛した人の、さいごの最期まで、一緒にいられて、感謝しかないです」
ヒエリアさんの涙につられて、ぐす、と自分も涙が出てきてしまった。だけど、それでも、微笑めたと思う。
従者職である彼女が貴族に楯突くだなんて、どれほど怖かっただろうか。明らかな身分差がある場合は相手のすることに意見を持つことすら難しいのがこの国の現状だというのに。平民の私はそれがようくわかる。だからこそ。
「……その、ヒエリアさんは、シャロナさんに罰されてしまったりとかは、ありましたか?」
私の護送を担当してくれていた伯爵家のお人であるシャロナ・ヴェンデットさんの名前を出したところで、ヒエリアさんはふるりと首を横に振った。
「実は私は元々ヴェンデット家に仕えておりまして、シャロナ様とはよくお話をさせて頂いていたのです。だからでしょうか。私が関与した窓を見ても、立て付けが悪かったのか、と一言呟いて今後の指示を出したのちにミルサンテで降車されました」
その言葉に、ああやはり二人は知り合いだったのだなとようやく確実な答え合わせが出来た。
ヒエリアさんが窓を閉めなかったことをシャロナさんが認めてしまえばそれは罰さなければならない。上からの命を拝領した貴族にそれはどうしたってついて回る。失敗した際は責任の所在を明らかにしなければいけない。彼女はそれを、人につけないことにした。
指示した当の本人が亡くなっているしおそらく有耶無耶になってはいるだろうけれど、もし報告書を書かなければならなかったとしても鉄道整備員が罰されないように手を回しただろうことも想像に難くない。
短い間でしか言葉を交わしていなくとも伝わるものはある。やっぱりいつかシャロナさんにもお礼をしに行かなければな、と心に刻んだ。目を背け続けている場合ではない。
「……あれ、ということは今は公都系貴族の方のところで働いていらっしゃるんですか?」
伯爵位に仕える執事長からの紹介状さえあれば職にあぶれるということもないだろうと思うから杞憂かもしれないけれど、一応問いかけてみたら曖昧な笑みが返ってきた。
「その、私も出来ればまたお屋敷で働きたいと考えているのですが、皆様いろいろと資産処分をせざるを得ないところも出てきている最中なので……」
新しく人を雇う余裕もない、か。さすがに貴族方面のアテは私にはないなあ。親しい仲では唯一の貴族階級であるアンも今は大陸東部を目指して一人旅中だし、そもそもアンのところに女性を紹介するのはなんだかなあという感情も正直ないではない。もちろん超えてはならない一線を理解してはいるだろうけれども。
「あ、でも今はなんとかレストランで雇って頂いているので、ご心配なさらないでください」
にこりと笑われてしまったこともあり、私もその話題を切り上げることにした。
一応連絡先の交換はしたけれど、今の自分に力になれることはおそらくないだろう。
意外な再会も終え、ナイフダガー片手剣など刃物武器のフル装備を再度して宿を出る。武器工房の方に頼むなら早いうちがいいだろうということで来た道を戻って行き、坂の上にあるダボス工房へ。
扉をくぐるとたった一人、老年の男性が工房の奥に見えた。カウンターで待とうかとも思ったけれど、作業が直に見られるなら見ていいということかな、とカウンター向かって左の方から作業台に向かっている推定ダボス氏の手元を見る。今は導力銃の分解清掃を行なっており、かなりお年を召した方でいらっしゃるだろうにその手元に淀みはない。なるほど。
「御用でしょうか?」
組み立て終わり発砲以外の確認を済ませたのか振り向かれ、私は腰に帯びていた二つの剣とナイフを一式ずるりとカウンターの上に取り出した。
「武器の点検をお願いしたく参りました」
「誰かのご紹介で?」
一見お断りの店だったか。それはしくったな。職人通り入口に店を構えていらっしゃるのは単に利便性の問題でそうしているだけということだろう。
「いえ、学院の後輩たちから大層腕のいい職人の方がいらっしゃると聞いていたので頼んでみたいと思ったのですが……紹介が必要であったならば出直します。申し訳ありません」
自分が今、誰の紹介も得ていないと言うことはその時ではないということだし、そもそも情報収集を怠っていた自分のミスだ。
しかし剣を回収しようとしたところで、剣の上に軽く手が翳され動きを阻害される。
「紹介が必要な店じゃございません。ただの確認でしたし、その甲斐もありました。ユーシス様の先達の方とお見受けします」
「えっ」
「そのような方を無下には致しますまい。剣の方、拝見致します」
ダボス氏からいきなりユーシスくんの名前が出てきて驚いてしまったけれど、文武両道を尊ぶこの帝国の四大名門貴族に属する若様と、バリアハート一の武器職人が顔馴染みでないとする方が想定として愚かなのは違いない。浅慮だった。いや、たとえそれにたどり着いたとしても彼の名前を勝手に使うつもりなんてないけれど。
そうしてまずメインの片手剣を鞘から抜いたダボス氏は瞬間眉間に皺を寄せる。
あ、そういえば二年前ではあるけれど当時のルーレ工科大学の先端技術の試作品だったか。特殊精製した金属を主体としていると言っていたから、もしかしてこういった昔ながらの工房で対応出来るものではないのかもしれない。
私がそんなことを考えていると鞘に剣を収め、次いでダガーと投げナイフも検分されていく。一応一通りの手入れは出来るように叩き込まれているし無論してきているけれど、こうして本職の方が何を見ているのか、その視線を追うだけでもかなりの勉強になる。
「ええ、手前の方で預かりましょう。ですがこちらの片手剣のみ研ぐことは出来ません」
「わかりました。可能な限りで構いませんので、点検・洗浄の方を」
片手剣は特に切れ味が悪くなっているわけではないけれど、もし何かあった際にどうするかというのは決めておくべきか。
仮にルーレの方へ行ったとしても大学内部を知っている筈のジョルジュは技術行脚の旅に出ているから連絡がいつでも取れるわけではない。トールズを出たら工科大学へ入ると言っていたのにそれだから、ジョルジュもクロウの死で何か思うところがあったのかもしれない。
つまりそもそもどこの研究室で作られたものなのか調べなければいけないということで。出来なくはないのでタスクに加えておけばいい。
「では二日後、この時間以降に」
「よろしくお願い致します」
命を預ける相棒たちを頼むのだと出来るだけ丁寧に頭を下げ、預かり証に名前を書いてから私は店を出る。ARCUSIIの画面を開くと昼過ぎだ。まぁ朝からいろいろあったものな、と考えながら職人通りに足を踏み入れた時から気になっていた向かいの店舗、ターナー宝飾店に足を向けた。
扉につけられた鈴が鳴るのと共に入ると、いらっしゃいませ、と職人らしき若い男性が声をかけてくれる。やはりいわゆる完全貴族向けのお店というわけではなく、平民でも問題ないようで安心した。店内に幾つかあるショーケースに飾られている宝飾品の数々はうつくしく、石のカッティングと彫金どちらにも相当な腕がなければこうはならないというのが素人目でもわかるほど。
そういえば私がティルフィルで元締めの再代行をしている際グィンさんが、いい石の研磨師がいねえかな、とぼやいていたような気がする。もし通信技術や交通手段が今よりもうんと発達したら、そういった職人さん同士のやりとりも増えていきいろいろな品が出来上がるのだろうか。
もし叶うなら、私もそんな未来を見てみたい。
そんな夢物語を考えながらケースを辿るように見ていると、私でも手が届きそうで、且つ普段使いしてもいいかなと思える価格帯のエリアに入った。見ているといわゆる純度の高い七耀石のような貴石ではなく、半貴石と呼ばれる類の樹精の涙や、水晶、紫耀石などが綺麗に並んでいる。
「そちらは半貴石と呼ばれているものですが、透明度や光を通した時の輝きは七耀石に勝るとも劣りませんよ」
「はい、本当に綺麗で──特に樹精の涙は懐かしくて」
最初に出迎えてくれた方がそっと案内を始めてくれたので簡単に応えると、おや、という顔をされてしまった。
「失礼ですが、海都や沿海州のご出身などではなく?」
「……いいえ、どうしてそう思われたのですか?」
森で生きていた私に海の気配などあるわけもなく、首を傾げてしまう。
「貴方のつけられているピアスが、ジュライ・ブルーと呼ばれる色合いだと思いまして」
ジュライ、ブルー。かの土地の名を冠したその色の名前は、ああ確かにこのピアスと合致する。あのバルアレス海の色────ジュライと繋がる蒼に。
黙りこくってしまった私に相手は何を思ったのか、少々お待ち頂けますか、と店の奥にばたばたと走っていった。途中で親方らしき人物から埃を立てるなと怒鳴られていたけれど、それでも急ぎ足が止まることはなく、そのまま奥までいった気配はある地点で止まり、ターンしてこちらへ。
戻ってきた方がカウンター内で立ち止まり男性の手のひら大の小さな箱を置くのが見えたので近付いていくと、恭しく箱が開かれた。
中に入っていたのはつるりとした表面から始まる蒼と緑。強い太陽の光を受けながら海辺の浅いところ深いところ、さまざまな表情を見せてくれるあの臨海公園から受け取る色。太陽が届かないほど海底がとても深い、海都のような紺碧とはまた違う。本当にただただ、ジュライ・ブルーと呼ぶしかない色合いだと思った。
「オルディアングラスと呼ばれる一部の職人の方しか作れない硝子細工で、これは私が向こうへ行った際に購入を決めた一品ですね」
「たしかに……」
ピアスを外して並べてみると宝飾職人の方がそうだというのもわかるほどに似通っている。
オルディアングラス。仇国のガラス職人がつくったジュライの色。
ねえ、君は、どんな気持ちでこれをつけていたんだろう。
「……このピアスは、大切な人が贈ってくれたものなんですが、故郷の色だったんだなってとても腑に落ちました。ありがとうございます」
硝子と宝石は全くの畑違いだというのに、わざわざ個人所有のものまで持ってきてくださって頭が上がらないどころではない。お礼をしたいけれど放浪中の身で装飾品を買うというのも環境にそぐわないのも確かで。
「あの、お名前を教えて頂けますか?」
「私ですか? ブルック・ターナーと申します」
数瞬考えて腰のポーチからすこしいい紙を取り出し、簡単に文言を書きつけブルックさんのお名前も添えて差し出す。
「いいお話を聞かせて頂いたところ恐縮ですが、旅の身の上なため物を増やすわけにはいかないのでよろしければこちらを」
「こちらは?」
「ご存知かはわかりませんが、帝国南西にティルフィルという木工職人街があります。私はそこの元締め代行をしていたので、もしこちらへ寄られることがあれば私、セリ・ローランドの名前を出して頂いたら工房見学など便宜を図っていただけるかと思います」
「ティルフィルの!?」
毛皮や宝飾品が有名なバリアハートといえど、ティルフィルの名は知られているらしい。すると奥から壮年の男性がのっそりと出てきた。
「ローランドといえば代々元締めを務めてる家の名だな。いい勉強になりそうじゃねえか」
「でっ、でもこんな若い女性が……痛っ」
「黙ってろ。────ローランドご夫妻のこと、遅ればせながらお悔やみ申し上げます」
「お言葉ありがとうございます」
工房の親方であるターナー氏がブルックさんの背中を強めに叩き、その上で私とのやりとりを見ることで事態を把握して頂けたらしく、じっと書きつけを見下ろす。
「……その、私はまだ年末に宝石の研磨を任され始めたばかりの駆け出しですが、いつか勉強しにそちらへ参りたいと思います」
「はい、お待ちしております」
若い女は元締めのような重要な役割でいるはずがない、という発言を気にしていない風情で私はにこりと笑う。無論、私が完全無欠な元締め代行であったことなどありはしない。だけどそれでも特定の誰か一人・一家に依存せず街が滞りなく回る仕組みを作れたことは誇りにしたいと思っている。
まぁ怒った方がよかったかもしれないけれど、その辺りはターナー氏がしっかり話してくれることだろう。まさか二人を知っている人にこんな遠くの地で出会えるとは思っていなかったから、その嬉しさが勝ってしまった。
さて、それじゃあまた歩き出そう。
1205/08/25(木) 昼過ぎ
「あれ、ユーシスくん」
馴染みの工房から連絡を貰い、所定の時間に立ち寄ったら確かに目当ての人物────セリ先輩が武器を手にしてそこにいた。確認が終わったのか手慣れた様子で腰へそれらを帯びていく。
「お早いお付きで、ユーシス様」
「俺が来ることなど分かっていただろう」
ダボス爺は食えない表情で笑っているのだから年の功というのは未だ俺の手に余るものだ。この連絡も忙しくしている俺に顔馴染みが来ているということを報せ、何とか休んで欲しいという気遣いなのは理解しているが。
「先輩が来ていると連絡を貰い会いに来ました」
「……それは、その、ありがとう」
学院生時代、個人間で絡んでいた記憶は薄いせいかきょとんとした表情で先輩は小首を傾げる。まぁ、先輩本人は気が付いていないだろうが、クロスベルに行ってしまった兄上などを除けばリィンの次に心配だったというのが本音だ。
というか、目の前であんなことが起きて心配じゃない奴はいないだろう。
「昼食やアフタヌーンなどどうですか」
「うーん、それじゃあお昼はまだだしお言葉に甘えようかな。武器は宿に置いてくるけど、どこで待ち合わせがいい?」
「では可能なら公爵館まで来て頂けると。衛兵には伝えておきますので」
「オッケー」
お互い頷いたところで先輩は足早に店を後にし、残されたのは俺とダボス爺だけになった。
「ご連絡、お邪魔じゃありませんでしたかね」
「むしろ安否を心配していた一人の消息がわかって安心しているところだ」
煌魔城で恋人を喪い、故郷にいた保護者が内戦に巻き込まれて亡くなり、それによる街の混乱を収めるために一人奔走していたと聞いている。平民上がりで領主代行なんてものを務めている俺と似たようなものじゃないかと勝手に親近感を得てしまうほどだ。
心の中で小さく嘆息し、ダボス爺に再度の礼を告げてから公爵館への道を辿った。
暫くしたところで執事長に案内されたセリ先輩が執務室を訪れ、自分たち以外がいなくなったところで、ふう、と先輩が背もたれに体重を預けて息をついた。
「すみません、こちらまで足を運んでいただいて」
「ユーシスくん忙しくしてるってどこでもかしこでも聞いているし、大丈夫大丈夫」
にこりと笑うその姿は俺たちの特殊な卒業の際に見た時よりはずっと顔色が良くなっている。左耳に増えたピアスに感じるところがないわけではないが、いなくなるよりはずっといい。
「最近どう? うまく回せてる?」
「上手くかどうかは分かりませんが、まあ何とか崩壊せずには済んでいます。貴族連合軍で主導権を握りたいが為の金策を領民への税収上げで賄っていたツケが大きいですね」
正直なところ元々はそこまで無茶なことをしていなかったというのに、あのカイエン公と渡り合おうとして領民からの評判は散々なものになってしまった。国内で帝都に次ぐ規模の貿易都市を治める相手と金銭面で戦おうとするなど本当に愚かなことだ。
今は従来通りに戻しているがそれだけで生活が元通りといかないのは理解している。本来であれば兄上がそれを行い俺がその補佐となるべきなんだろうが、いかんせん本人は帝国東端にいるときた。
「そっか。海都のこともあるし、まだまだ大変だろうけど応援してるよ」
「先輩の方は今は何を?」
「取り敢えず帝国内をふらふらしてる。私って何にも知らないんだなあ、って思ったから」
俺たちの前年度、ARCUSのbetaテストとも言える試験運用に駆り出され各地を巡っていた話は聞いたが、だからこそか、と。そしてあの十月戦役の頃、クロウと共にいたというのもおそらく理由の一つだ。
話していたところでコンコン、とドアノックが鳴り、応答すると執事長がワゴンと共に入ってきた。机の近くでクロッシュを取り外した皿とカトラリーを置き、冷えた水を注いだグラスも添え、水差しを置いてそっと退出する。本来であれば声の届く位置にいさせるのが貴族の嗜みというものらしいが、今日はあえてだ。
「おおー、美味しそう」
「冷める前に食べてしまいましょう」
「そうだね」
ホワイトリゾットを前に二人で食前の挨拶をし、スプーンを手にする。
「具体的にどこへ行かれたんですか?」
「うーん、まだあんまり回れていないんだけど、ジュライにルーレに帝都近郊に、あとはちょっとトラブルがあって旧都の方に戻ったりもあったかな」
「ジュライに」
あの男の本当の故郷。俺が反応すると、海が綺麗な街だったよと先輩は静かに微笑んだ。
「いろいろ打ちのめされることはあったけど、行って良かったとも思った。クロウもこの街を見たんだなって」
「……八月の実習で、訪れていたんでしたか」
「うん。どれだけ無力感を覚えたのかなんて私には理解しようがないけれど、通商会議直前の実習がジュライだったなんてちょっと皮肉だよ。女神さまはいじわるだ」
国際会議とガレリア要塞を襲撃した帝国解放戦線、その首魁であった男は襲撃の直前に復讐の原点に帰ってしまった。それは本当に事故ともいうべき事態。おそらくあろうがなかろうが襲撃の計画が変わることなどなかっただろうが、それでも。
「自分の無力さを目の当たりにするのは怖いけれど、無力さを知らないままでいるのはもっと怖いよねえ」
「……ええ、同感です」
十月戦役の時、先輩はクロウの傍にいた。リィン曰く鎖に繋がれていたそうだが、あの男がそこまでやるとはと仲間内ではかなり非難轟々だったことを思い出す。特に仲が良いように思えたガイウスの表情は珍しいほどに苦々しいものになっていたか。
だがあの煌魔城の日、クロウの横に立ち、送り出し、真っ先に心配を露わにするあの姿に強制など一欠片もなく、ただただひたすらに一人の男を愛する女性の姿だけがそこにあった。
それが無力感を募らせたのだというのは言われるでもなく理解する。
「あ、話は変わるんだけどさ」
「はい」
「ユーシスくんってお見合いしてたりする?」
お見合い。いや、理解語彙ではある。が、このタイミングで出てくるような単語とは思っておらず一瞬反応が遅れた。
「いえ、俺はあくまで領主代行……兄上が戻るまでの繋ぎですから」
前領主、俺の父であるヘルムート・アルバレアはもうここには戻らない。戻れない。だが、平民の血が流れる俺を厭う貴族がいるのも確かで、四大名門貴族といえどたった一家名で領民を見ているわけではないゆえその嫌悪感というのは放っておけばいずれ大きな歪みとなり瓦解の理由になる。
だから嫡男である兄上には早くお戻りになって頂きたいものなのだが。
「そっか、いい断り文句とか知らないかなって思ったんだけど」
リゾットを食べ終わり、水を口にしてからうんざりしたように組んだ足を基点にして頬杖をつく先輩。たしか元締め代行として走り回った結果、故郷の街を誰か個人の家がまとめるのではない状態に仕上げたと聞いていたのだが。
そこまで思考を巡らせて、嗚呼なるほど、と内心で頷く。それでも『ローランド』の名を継ぐ者に街へ根付いて欲しいという意見があるということだ。たとえそれがどれだけ若くとも、女性であろうとも。いや、むしろそうであるというのはそういう一派にとって願ってもないことだ。ただ単に先輩が強かったからそういう手法を取られなかっただけかもしれないとも。
「……あまり褒められた方法ではないかもしれませんが、指輪を嵌めるとかどうでしょう」
「それも考えたけど、両手に剣を握るからグリップに違和感持ちそうでねえ」
それは確かに。俺も剣を握る身ゆえにそれは強く理解する。
「それに、指輪を贈るって約束してくれた人がいたから」
グラスを傾けながら、彼方の思い出を愛おしむようにゆったりと告げられる言葉。
それ、は。
「あ、ごめんごめん、暗い話じゃなくて単なる惚気だから流しておいて?」
「────暗い話、でしょう」
落ちた空気を払拭したいかのように笑う先輩が見ていられなくて思わずそう口にしてしまう。すると先輩は困った風情で眉を下げた。
そうしてようやく理解する。思ったより元気などではなかった。元気でなければならなかった。大丈夫だと気丈に振る舞わなければならなかった。ただ世界にそうあれと願われ、そうであろうとしているだけの、ただの、一人の人間だということに。
「ユーシスくんは優しいねえ」
穏やかに笑うその姿は、再会した時の印象を全て覆してそこにある。
しかしそれをどうにか出来ると思うなど、烏滸がましいというものだ。