1205/09/09(金)
「……広い広いとは聞いていたけれど、ここまでとはなぁ」
目の前に広がるは碧の海と表現しても差し支えないほどの草原。帝国北方且つ高地にあるものだから、帝都の方は夏もまだまだ続きそうな暑さだったというのに数時間列車に揺られただけでこの気温差は風邪をひいてしまいそうだと苦笑するしかない。
鞄に入れていたコートを羽織り、スリットから剣が出るように調整してから改めて風で波打つくさはらを眺め、すこしだけ瞼を閉じて風の音に耳を傾ける。いつかここを馬で駆けたいと願っていたけれど、あいにくティルフィルから連れてくるわけにも行かず、国境警備のゼンダー門で貸し出しをしているわけもなく叶わぬ夢だ。
それでも鉄馬の名をいただく新しい相棒と共にある私は臆することなくノルド高原縦断を開始した。
遡ること数日前。
「ARCUSIIのハード調整が終わったのがこれ?」
「はい。お預かりした時からガワこそ変わっていませんが中身は結構弄りました」
「開発元のメンテナンスが無償で受けられるのは役得だねえ」
「ふふ、細かいレポートを欠かさず送ってくれる先輩だからこそ、ですよ」
公都から鋼都へ舞い戻った私は第四開発室室長のポストに座ることになったアリサさんとそんな会話をしていた。
技術部門のヨハン主任は本人の希望と資質もありそのままで、企画その他の主導権を握ることによって人を動かすことに慣れていきなさい、というのがありありと伝わってくるような人事であるのは間違いない。それでもその座を勝ち取ったのはアリサさんの努力の賜物である。
出来ない人間を縁故でそこに置くような愚行を自身に許すはずがないというのが現会長の色であるわけだし(それでもコネだなんだと言う輩はいるのだろうけれど)。
「さて、じゃあ基本的に私はこれでお役御免かな? ソフトウェアで詰めるところはまだまだあるだろうけど……」
着いたその日に渡したARCUSIIの起動・同期を確認して蓋を閉じるとにこりと笑われる。あっ、これはまず間違いなく追加の仕事があるやつだ。
「是非こちらをと主任から預かってます」
RF社の専用テスト用員ではないのだけれどなあ、と若干何かヤバいものを憶えつつも新しいガジェットを手に出来る誘惑には最終的に抗えず、アリサさんが取り出してきた物を見て驚いた。
「……耳介装着型通信機」
「はい。さすがに長いので、ヘッドセットと今は呼称してますけど」
「えっ、これもARCUSIIの汎用アクセサリとして売りに出されるの?」
「将来的にはそのつもりです。ただまだ安定性に欠けるところがあるので……」
「要レポート」
「そういうことですね」
ARCUSIIの通信は基本的に内部カメラを介し、相手の表情や状況をリアルタイムで知りながら会話が出来るという特徴がある。だから基本的には手で持つことが前提となるだろう。
しかし私のような『表情という重要な情報を捨ててでも両手を空けておきたい』というニーズは少なくなかろうと思うし、いずれ出るだろう第六世代型にもノウハウが蓄積されていくことを思えば耳介装着型通信機……もといヘッドセットのテスターに選んでもらえたというのは僥倖の一言に尽きる。
「いや……本当にありがとう!」
さっそく繋いでいろいろ試してみたい。ARCUSII本体からどれだけ離れたら接続が切れるのかというのも今のうちに自分で試しておくべきだろうし、後でテスト通信に付き合ってくれないだろうかとわくわくしてそれを手に取ったところで更にアリサさんが小さな何かを机の上に置いた。
かちゃりと鳴ったそれは、黒い小さな樹脂製部品から金属が4リジュほど伸びている。有り体に言えば鍵、のような。
「導力バイクのテスターとしても働いて欲しい、と言ったら受けて貰えますか?」
さすがにその言葉には私も諸手を挙げて喜ぶことは出来なかった。
なんせ大企業RF社だ。そんな一個人にあれもそれもこれもテストを任せるというのは理に適っていない。複数を同じ人間が担当するとどれかが疎かになるか、あるいは全て疎かになるか。人間の生命に携わる製品を開発する者としてその危険性は極力排除すべきで。
「……何をさせたいのかな?」
そもそも導力バイクは採算が取れないと判断されて開発が一度ポシャったものだ。それをジョルジュが物理的な基礎を作り上げ、その研究成果をRF社が取り扱う合意が為され、アリサさん主導のもとで生産体制が敷かれている。そこに一般の戦術導力器テスターでしかない私が絡める余地など有りはしない。本来ならば。
つまり、これは導力バイクが報酬の依頼なのだろうと。
一瞬だけアリサさんは瞼を下ろしたものの、次の瞬きの時にははっきりと光透き通る紅耀石のような瞳を私に向けてくれていた。意志のある眼差し。未来を見据える色。私は彼女のそういう強さが本当に好きだ。
「ノルド高原にいる筈のガイウスにこちらを届けてもらいたいんです」
言葉とともに取り出されたるは、前に私がARCUSIIを初めて渡された時と似たような箱。おそらく予想は違わず、中身もそうなのだろう。
「……ああ、いま結構あっちも危ないから」
「話が早くて助かります」
ノルド高原は帝国の領土ではない。かといって共和国にも属していない。しかし決して国という形を為しているわけでもなく、法治国家の体を取っている両国からしてみれば完全なる空白地帯なのだ。とはいえ帝国はドライケルス皇子が挙兵したゆかりのある土地として接し、またノルドに住まう方々もそれを受けいれ、現代では軍馬の生産地・競走馬の修練地として有名な場所になっている。つまり大陸的な立ち位置としては帝国の庇護地なのだ。あそこは。
が、実質そうであるだけで何か条約を交わしているわけではない。故に昨今帝国の情勢が不安定なことに目をつけ、共和国側の駐屯地がしきりに軍事訓練などを行い圧をかけている。なんなら第七機甲師団と衝突をしていることさえあるそうだ。……まあ、これはかなり帝国人としてのものの見方ではあるけれど。
そしてそういった場所に、帝国を代表する企業が小包を送ろうものなら何に発展するかわからない。しかしかといってガイウスに連絡をつけるためにはまずゼンダー門を介して早馬を飛ばすか、直接現地に行くしかないのだ。今も昔もあそこは(軍設備の通信機や数十セルジュ内でのARCUS同士の通信を除いて)完全な通信圏外、陸の孤島だから。
懸念事項を気にするなら軍を介するなどもっての外、直接赴くにしても高原には魔獣がおり簡単には行かず、またノルドの民は集落を移動させながら生きる。
故に、単独戦闘行動ができる外部委託者の私に白羽の矢が立ったと。
「契約書、あるよね?」
「もちろんです」
重要書類をねだると間髪入れずに渡される。それらを時折戻ったりもしつつすべてに目を通し終え一息ついた。かなり私が優遇されているように感じる、のだけれど。それでもおなじ学院を出ているからといって、ARCUSの恩義をふまえたとしたって、運用試験の直接の先輩といったことを加味しても、そんなことを自社へのリターンもなく彼女がするはずがない。そういう信頼がある。
大切にすることと甘やかすことはまた別だというのが分からないワケないだろうと。
「よっぽど危ない情報を掴んでいる、と思うのだけれどそれも開示してもらえるかな」
八月末に旧貴族連合軍が政府との取引に合意し、海上要塞からの退去となった。そこからルグィン将軍とウォレス准将は帝国政府下に一旦入り、ノーザンブリア自治州と相対するための作戦立案に入ったという話は聞いている。
北はノーザンブリア自治州・レミフェリア公国・ノルド高原といった位置関係で、直接州境が接しているわけではない。しかし北方の戦争に関してノルドも完全な無関係ではいられないのが実情だろう。帝国と公国がノーザンブリアの方の問題にかかり切りなれば、ノルド陥落は容易くなる。獲物を狙う時が一番無防備になるのだから。
「……書面にすると憚られるので記載しなかっただけで、騙そうとしていたとかではないです」
「うん。信じてるよ」
私の端的な返答にアリサさんはホッとした表情を見せる。
騙すのならそもそも導力バイクなど渡さずにただの運び屋として列車費用を出せばいいだけだ。探られて痛い懐をわざわざ見透かされるような行為をしなくていい。
「これは厳密に言うと軍事情報に当たりますが……」
「帝国と共和国が直接やり合ってヤバい話なら知っているけれど、別の話?」
「その話で合ってます。年内には国境封鎖まで有り得るんじゃないかと」
だからこそ完成品ではなくともある程度完成の目処がついた現在のARCUSIIを今のうちに届けたい、そしてその為に命を張れと言われている依頼だということ。
それなら導力バイクで釣り合いが取れるかどうかといったところだろうか。いや、もちろん死ぬ気はさらさら無いし、ノルドでバイクをかっ飛ばせるなら誰に譲ることもしたくない案件なのは間違いない。
「いいよ。ノルドの民、ガイウス・ウォーゼルへの荷運びをセリ・ローランドが承ります」
契約書にサインをして差し出すと、ありがとうございます、と深く頭を下げられた。
彼女はARCUSIIが必ずガイウスくんの助けになってくれると信じている。もしそれがその場にあったなら、という後悔をしたくない、そういう強い思い。多少危ない橋を渡っても計画を前に進める胆力は見事なもので。……本人は嫌がるかもしれないけれど、イリーナ会長にそっくりだと思う。
そうして純粋に、いいな、と思った。離れていても彼方の友人のことを慮れる、本当にそんな素敵なクラスになったことを目の当たりに出来た私は幸せ者だ。
「直ぐ出立したいところだけれど……場所と工具借りられるかな。バイクの調整したい」
「あ、お貸し出来ますよ。今からやりますか?」
「そうだね、お願いします」
そんなやりとりを経てゼンダー門までバイクで辿り着き出国理由を問われ、友人のところへ行きます、という(あまりにもはたから見れば暢気な)理由のせいですこし軍の方とやり合う気配になりかけたところ、ミュラー・ヴァンダール殿が取りなしてくれた。私は相手のことを知らなかったけれど、オリヴァルト皇子の護衛を務めていた関係上ARCUS試験運用組である私のことを知ってくださっていたらしい。
そういえば帝国議会で皇室守護職を特定の家に任せるのはいかがなものか、という提言がなされヴァンダール家の守護職解任が決定したことをその場で思い出した。それゆえにヴァンダール殿はゼンダー門へ飛ばされることになったのだろう、とも。
出国許可を下ろしてくれなかったその人も『一般人を今のノルド高原へ出すのは如何なものか』という倫理観から止めてくれていたようで、トールズ出身でヴァンダール家の人間が認めるのならばと通行許可が出た。やさしくて誠実な方なのだと思う。私がこの部署に配属されていても同じことをしただろう。たぶん。
しかし『いずれ国境封鎖もあり得るかもしれない』、という話だったけれど国外へのルートとしては実質封鎖しているも同然ではなかろうか。帝国人やノルドの民が入る分には特に問題なかろうので封鎖という言葉は適当ではないけれど。
そんなことを考えながら風を受けつつ南高原中央あたりに来たところで一旦バイクを停め辺りを見回す。左手の高台に石柱群が見え、右手にVII組がノルド実習を行なった時期に一回破壊された帝国の監視塔が確認出来た。
もう少し北東へ進むと実習時の集落場所に辿り着けるけれど、彼らは今はどの辺にいるだろうか。そもそもノルドの民は個別に高原を散っていて集落を見つけたとしてもウォーゼル家が属している場所とは限らない。
ゼンダー門で一応聞きはしたし、食堂責任者の娘さんは私が目指す集落と懇意にしている風情だったけれど、今は近付かない方がいいと言い含められているようで詳しい場所は把握していないようだった。この状況だとたとえARCUSIIではなくとも個包の類はかなり遅延することがわかるので、アリサさんの判断はおそらく間違っていなかったろうと思う。
「ま、とりあえずラクリマ湖の方を目指すとしようか」
ノルド高原の冬は厳しい。ゆえに羊を伴っているともなれば夏は北上しそこで草を食ませ、冬は夏に手付かずで蓄えられている南高原で彼らの食糧を確保するというのが基本的な流れになる。もちろん情勢如何でなんとでも変わるだろうけれど行動指針としては無難ではなかろうか。
それにラクリマ湖であれば共和国との国境線から多少とはいえ離れられるし、山間ということで防衛するには適している場所だ。
そのままバイクを走らせ高原の南北を繋ぐ窪地へ入ると、井戸が掘られていたりする跡はあれど人の気配などは一切なく閑散としていた。しかし草地の荒れようから羊を連れた集落の一つがここにいたのは間違いないようだ、と頷く。
更に北上し北高原と呼ばれる方へ進むと、高地の合間から出たこともあいまってか急に視界が開け、強い光に一瞬だけ目を瞑らざるを得なかった。そうして。次に高原を視界に捉えた時、ざあっと背中から駆け抜けていく風は気持ちよく、青い空が笑ってしまいたくなるほど高く澄んでいて。
────先輩は青が似合う方ですね。
不意に、いつかの日に告げられたガイウスくんの言葉が脳裏をよぎった。
もし彼がずっと見ていた"青"がこれならば、彼は何を思って私にその色を当ててくれたのか。
「……蒼と青、か」
奇しくも号と重なるところがあるそれにすこし笑いをこぼしてまたハンドルを握った。
高原を駆け抜けていく最中、とある地点で高原北部の至る所から見えていた古の巨像の真正面に出た。ノルドの守護者と呼ばれるそれ。悠然と佇むその姿に心惹かれ、もっと近くに行けないかと数十分バイクを転がしたところで巨像が融け合う岩場の足元に辿り着く。
バイクから降りて見上げたその姿はまるで任を終え眠っているかのようにも見えるほど静かで、しかしあまりにも雄大だった。
そうしてその感動の淵で考える。私は騎神を巨いなる騎士と認識していたけれど、もしかしてこの像こそが巨いなる騎士の伝承の元であり、騎神の前身なのではなかろうかと。見上げた巨像は目に見えている上半身だけでも81アージュほど。対して騎神は全高8アージュほどで、古代ゼムリア文明ではない可能性があるというジョルジュの言を信じるのなら、あるいは。
「海都の沖合にある島にも似たような巨像があるっていうのが不思議なんだよなあ」
直線距離にして5000セルジュ以上離れた場所だ。地理的には関連性があるとは到底言えないというのに、年末の数々の出来事を実際に見てきた身としては『あり得ないなんてことは、あり得ない』という考えが出てきてしまうのも確かで。
「……」
古代の浪漫というものは私にはわからない。
けれど帝国を識る上で伝承をただの空想だと斬り捨てることは出来ず、また各地の信仰について理解を疎かにしてもいけないということは、わかる。伝承の存在だと思っていたイストミアの森に住まう魔女も吸血鬼も現実に存在していたのだから。
「どうか、あなたの眠りが何者にも冒されませんよう」
蒼穹のもとで眠りにつく騎士に頭を下げ、私はまたバイクに跨った。
巨像から西にバイクを走らせていくと細い道になり、ゆるやかな坂道を昇っていくとどうやら人がいるようだと理解する。さてどこの集落かな、とさすがにこれ以上バイクで入っていくというのは無遠慮だと降りてころころ押していくと、奥に太陽の光を反射する湖を囲む形で畔に厚手の布でつくられた住居が並んでいる。
その中で集落入口で作業する、青く袖口が広がった衣装を着た少年と目が合った。
「……お客さん、ですか?」
不思議そうな顔に、まあ共和国との緊張状態が続いている高原を一人で北上してきた完全な外部の人間がいればそうもなるだろうと内心で納得する。遠くから馬が近づいて来る気配を感じつつ、横に避けながら少年の方へと。
「こんにちは、人を探してこちらまで来ました。ウォーゼル家のガイウスという方で……」
「────セリ先輩?」
私が名前を出したところで集落へ馬と共に駆けてきた人物が私の名前を呼んだ。振り向けば馬上に懐かしい顔がある。しかし記憶にあるより身体に厚みが出てきていて、成長期だなあ、と一人で勝手に感慨深くなってしまった。筋肉がつきやすい体質なんだろうか。
「ガイウスくん、久しぶり。急に訪ねてきてごめんなさい」
「いえ、それは構いませんが……どうしてこちらに?」
その問いに対して私はごそごそとバイクの後ろに括り付けていた荷物から例の箱を取り出し、馬から降りた彼にそれを差し出した。
「アリサさんから至急のお届け物です」
そう言った時の不思議そうな顔が一番最初に私に声をかけてくれた男の子とすごく似ていて、ああたぶん仲のいい兄弟なんだろうな、なんてことをぼんやり理解した。
「────っ」
迫り来る槍を何とか剣腹で軌道をずらし、一瞬身体を引いて柄の部分を思いっきり蹴り下げた……にも関わらず槍はしっかと握られたまま手から離れることはなく、どんな握力だ!と叫びたくなる衝動を堪えて一旦仕切り直しに大きく飛び退く。
目の前にいるガイウスくんは真っ直ぐと私を捉えていてちっとも油断してくれない。嬉しいやら困るやらだ。しかし飛び退いたとはいえ体力的に持久戦は明らかに不利。武器を手放させることも出来ないならARCUSIIの恩恵を存分に使って奇襲するしかない。一対一で奇襲とは何とも部の悪い賭けだけれども。
吹いた風に後押しされるように大地を蹴り、迎撃で薙いだ槍を避けつつ落ちる穂先に合わせ地面を踵で滑り切り、即座に体勢を整えると同時に片手剣を捨てその腰めがけて両手でダガーを突き刺す……直前で寸止めした。
「……参りました」
「ん」
ガイウスくんの言葉にダガーと片手剣を鞘に収め、一応周囲を警戒してから腰を地面に落とす。すると対面する形で彼も座りARCUSIIを弄り始め、私も自分のを取り出した。
ARCUSIIの性能把握のために軽く試合をしてみたわけだけれど、なかなか得るものがあった。アリサさんと模擬戦のようなものもやったけれど結局彼女は中衛で私は前衛だ。一対一で身を隠す場所がない状態で勝負になるわけもない。一応旅の途中で盗賊とかち会うこともあったけれど、結局持っていたとしても時代遅れの戦術オーブメント保持者でしかない。こうしておなじ技術を手にした相手と武器を合わせることは今までなかった。
「いやー、その槍のリーチやりにくいったらなかった。腕も脚も長いし、結構距離感狂わされるね?」
「それでもオレが当てられたのは殆どないじゃないですか」
「まぁマスタークオーツも回避重点のを使ってるから、それぐらいは」
当てられなければ戦い続けられるけれど、思い切り当てられたらかなり脆いというのが私だ。昔避け切れずに腹を切り裂かれたことを思い出してしまい、かつての傷場所を思わずさする。クロチルダさんにまとめて治された今はもう跡形もないけれど。
それに今は怪我をしたからといって簡単に回復魔法をかけるわけにもいかない。だから回避重点で動いていたというのもあったりする。
「それにしてもARCUSよりずっと機能が増えましたね」
「あとで戦術リンクも試してみようか。きっと驚くよ。ついでにメッセージ機能とかも」
「はい、楽しみです」
気が散らないよう誰もいない場所で手合わせを始めたものだから、二人でそよそよと高原の風に吹かれるままに沈黙が落ちる。草の囁き、大地の匂い、降り注ぐ太陽の光さえ優しく感じるこの場所でガイウスくんは育ち、愛する故郷のために帝都近郊へ。その深い感情の根底を見ることが出来たのは何だかひどく嬉しかった。
なんだかんだあれど、私も己の故郷を愛しているから。
「風、気持ちいいね」
火照った身体を撫でる涼やかな風。吹く風に髪の毛を遊ばせながら、バイクで風を切るのもものすごく気持ちがよかったけれど、馬と共に思う存分駆け抜けられたならどんな気分だろうかと想像せずにはいられない。
「先輩は今は何を?」
「今? 帝国各地を巡ったりしながら依頼を受けて日銭稼いで、気ままに放浪してるよ」
放浪、と意味を確かめるように呟かれ内心で苦笑する。彼は故郷を守るために出てきて、今はその故郷を守っている。目的と行動がはっきりしているガイウスくんからしてみれば、私がしている根無草の生活はピンとこないかもしれない。
……いやそもそもVII組はただ一人を残し自分の為すべきことを見据えて特例卒業を果たしていったのだから、ガイウスくんが特に、という話ではない気もする。
「特に印象深かった街や出来事とかはありますか?」
問われて視線をやると、ガイウスくんの青灰色の瞳が真っ直ぐとこちらを見ていた。
正直、誰に問われても心の裡を開示するつもりなんてさらさらなかった。適当に魔獣退治の依頼が多かったとか、敵性霊体に拐かされていた子供の話とか、ちょっと面倒な古代遺物を見つけてしまった話とか、そういうので濁すことだって出来たはずなのに。
「────月並みだけど、ジュライに行ったことかな」
口から出てきたのはそんな言葉で。
明らかに自分の心のやわらかい部分だというのに、するりと落ちてしまった。もしかしたら数ヶ月経ってようやく自分の中から出してもいいと思えたのかもしれない。ユーシスくんにも言ったことではあるけれど、あの時はわりと強引に話を流してしまったというか。
静かに言葉の先を待ってくれるガイウスくんから少し視線を外して、空を仰ぐ。
「海がね、綺麗な街だった。海都と同じバルアレス海に面しているのに全く違う色合いで、何だか不思議だった。海鳥がたくさん飛んでて、青と白のコントラストが眩しいほどで。────だけどきちんと街中を眺めてみれば帝国でよく見る店やブランドがたくさんあって、過去の市国の地図と見比べたらかなり区画整理もされていて……帝国主導なのかアームブラスト市長の痕跡が消されていたのを確認して」
そこで一度口を噤んだ。この感情を吐露していいのかどうか。
だけどガイウスくんはノルドの人で、言ってしまえば帝国とジュライの話は傍観者の立場だ。たとえ親しき隣人であろうとも、いや、だからこそ冷静に耳を傾けてくれるかもしれないと身勝手な願いを込めて。
「キツかっ、た」
自国の悪辣なところを目の当たりにするのは、とても。
それが表立って批判されていないのなら、知られていないのなら、市民が口を閉ざしているのなら尚のこと。だけど帝国民の私がその感情を認めてしまったり、口に出したりしてもいいものなのかと、ずうっと自問していた。
否。問う必要もなく私が痛がっていい話ではないというのは分かりきっている。愚かなことだ。
「────オレは、そう思える先輩がその事実に気が付いたことには意味があると思います」
いつの間にか下げていた視線を上げると、意外にも彼は穏やかな表情で私を見ていた。
「辛いのは当たり前のことです。たとえ己が直接関係していたわけではなくとも、自分の所属する場所が……特に、愛した相手の大切なものを完膚なきまでに破壊していたとわかれば」
思慮深い彼にはいろいろなものが過不足なく伝わってしまったようで先輩として恥ずかしくなる。だけどそんな相手だからこそその言葉は素直に受け取っておこうとも思えた。ありがとう、となんの含みもなく感謝の意を告げられたと思う。
「そうだ、今日は集落で休んでいかれますよね」
「えっ、いや、アポなしで来ちゃったから野宿なりゼンダー門に帰るなり、する、つも、り……」
「弟たちも先輩の話を聴きたそうにしていましたし……駄目ですか?」
サイズから見ればどう考えたって大型であるというのに、訊ね方や表情がなんだか子犬に小首を傾げられたような気分になってしまった私はどうにかなってしまったのかもしれない。
私の後輩はこんなにも可愛い。
「ふふ、たーっくさん食べてくださいね、セリさん」
客室用ゲルを大急ぎで組み立てて頂いた上に夕食にまでお呼ばれしてしまい、あまり固辞するのも失礼だとはわかっているのでそのままお言葉に甘えることになった。
だけど並べられた数々の料理を前にしたらその選択は間違っていなかったと断言出来る。
小麦粉で作った生地でおそらく挽肉を包んで揚げられたものは美味しそうだし、羊肉を岩塩で味付けした串焼きなんて香りが既に美味しいし、よそって頂いた白いスープも今から食べるのが楽しみで楽しみで仕方がないほどで。
「突然来てしまったのに、ありがとうございます」
「ガイウスがお世話になった方が訪ねて来てくださったのならもてなすのが礼儀でしょう」
ウォーゼル家の大きな住居の真ん中で、ガイウスくんのお父さまであるラカン殿に深々と頭を下げられてしまいさすがに慌ててしまった。
「いえ、私もガイウスくんには助けられているので」
昼間も弱音を聞いてもらったばっかりなので、いやもう本当にそうなんだよな……、と少しばかり自己嫌悪に陥りそうになってしまった。いけないいけない。せっかく設けていただいた楽しい場だというのに。
「ねえ、よかったらあんちゃんのお話きかせて?」
「こら、リリ!」
あぐらをかいた膝に小さな手が、きゅっと寄り添ってきたのでにこりと笑いながらガイウスくんの妹さん──リリさんの頭を撫でる。怒ったトーマくんもきっと聞きたくないわけじゃなくて、私のことを客人として扱ってくれようとしているのだと思う。
どちらの気持ちもあたたかい。
「もちろん、そのつもりですよ」
遠い異国の学院に行った兄の話というのはどれほど聞いても足りないものだろうから、同級生ではない観点からたくさんたくさん話したいと思う。さて、じゃあ何から語ろうか。
1205/09/10(土)
夜────というより、もう明け方近くだろうか。人の気配に目が覚めた。無論誰かがゲルや集落に入ってきたということではなく、慣れない動きが睡眠中の警戒網に触れたといった具合だ。ということはおそらく先輩が外へ出てきたのだろうと理解し、一瞬だけ考えて、胸騒ぎがしたオレはそっと寝床を後にした。
家から出て集落の外れ、湖近くの森の方へ岸に沿って暫く歩いていくと、湖の淵で前のめりになっている影が見えた。瞬間。
「先輩!」
「────えっ」
自分でも驚くほどの声と速度でその腕を引き、湖から引き剥がすように抱き込んだまま尻もちをついた。夜風で冷えたのか薄手のシャツから覗く肌はつめたく、オレの心が寒くなってしまいそうなほどで。
「が、がいうす、くん?」
戸惑うちいさな声が腕の中から聴こえ身じろぎされる。
その音の近さと身体のやわからさにこれまたびっくりしてしまい、細い肩を掴んで自分から引き離した。
「す、すみ、ません……」
「……あ、もしかして入水しかけてるように見えた? それなら起こしてしまったことと合わせて本当に申し訳ないけれど顔を洗いに来ただけだよ」
そんな風に闊達に、後ろ暗いことなど何一つないといった風情で苦笑される。しかし顔を洗いに来ただけなら、どうして、集落から離れるようなところにいたのか。飲み水の甕を案内していたし、そうでなくとももっと近い場所があるというのに。
「さすがに生活用水に死体を浮かべるような真似はしないというか。そもそも死ぬ気なんて」
「────では、何故そんなに青褪めた顔をしているのですか」
確かに見下ろした顔は水に濡れている。声音も震えてはいなかった。暗い宵闇に紛れられたらわからなかったかもしれない。だけどオレには見えてしまったのだ。寝起きにもかかわらず蒼いピアスをひとつ、銀輪のピアスをみっつ、左耳つけたままのあなたが笑い損ねてしまった瞬間を。
暫くの沈黙が落ちて、ぐ、と両手で胸板を押される。
「隠すようなことじゃないし、話して、も、いい、けど……もう少し距離を、とろう」
絞り出すような声に、今自分がどんな体勢であるのか、肩を掴んで引き離したとはいえそれでもどれほど無遠慮に身を寄せてしまっているのか理解し、恥じ、慌てて掴んでいた肩を離せばゆっくり後退りするように先輩が離れ、昼間と似たような位置どりで止まってくれた。
けれど何か痛みに耐えるような表情で、深い呼吸を繰り返す。
「……あの、本当に言いたくないことなら、オレは」
「いや、違う。違うんだ。その……ええと……」
額に手を当てながらもはっきり否定されてしまっては待つしか出来ない。ただ、聞き出そうとしているのは確実にオレなのだからそれについては問題ない。先輩の心に傷がつかないので、あればの、話だが。
「あの日から、たまに夢見がね……悪いんだ」
あぐらに両肘をついて、組んだ両手に頭を預けるようにしながら零れるような言葉が聞こえてきた。見えるのはちいさな頭のつむじだけで、今どんな表情をしているのかはわからない。けれどその声は感情を隠しきれていなかった。
「ショックな出来事があると結構起きることだから心配はしていないんだけど、ずっと今でも夢に見る。もし私がもっと強ければクロウがあんな未来を辿ることはなかったんじゃないかって自分があそこにいた意味があったんじゃないかってもっと何か出来ることがあったんじゃないかって、馬鹿みたいに、そう」
平素の先輩からは考えられないほどの早口で矢継ぎ早に言葉が落とされていく。
"あの日"。1204年12月31日。オレたちの仲間であり、先輩が本当に愛していたクロウが煌魔城で命を落とした日。そのことを延々と考え続けているのか、この人は。
オレが何も言えないでいると先輩はため息ひとつと共にかいていたあぐらを崩し、片膝を立ててそこに両腕と頬を預ける。するとこちらの視線に気がついたのか、また整え損なった表情で笑いかけられた。
「でもどう考えてもクロウがリィンくんを助けるのを止められないし、咎めることも出来ないし、あの戦場じゃ私が身代わりになることも出来ない。それこそ同じ起動者でない限り介入することは叶わなかった。そんなこともう、とっくのとうにわかっているし、たらればに意味はないっていうのに」
長く重いため息。それがどれだけその夢に辟易しているのか如実に表していた。
答えはわかっている。過去も定まってしまった。しかしあの場にいたからこそ詳細な風景を記憶してしまえたが故に無意識の演算を止めることは出来ず、論理的な思考が及ばない夢の中で繰り返し繰り返し悔いては青褪めて飛び起きる。己の無力さに直面させられる。
そんな生活を、この九ヶ月間ずっと?
「……身代わりだなんて、言わないでください。先輩が命を落としていたらそれも悲しいことです」
そんなありきたりな言葉は届かないかもしれない。けれど言葉に出すことが肝要だと本心をありのままに告げると、先輩はやっぱり、変な顔をした。
「そう、だね。うん。ごめんなさい、ありがとう」
「────」
そんな返答を、そんな表情を、させたかったわけではないのに。
しかしその表情でわかった。このひとは自分の命を大事にしつつも、それは己にとってそうであるからというのではなく、ただひたすらに『他者が大切にしてくれているものだから蔑ろにしない』という行動原理なのだと。想われていることを知っているからこそ擲つ選択肢を消しているにすぎない。それは、あまりにもかなしいことだ。
「クロウはどんな形であれ確かに私を愛してくれていたし、そんな相手から命を貰ったとしても喜んでくれるタイプじゃ絶対ないんだよねえ」
諦観の言葉に笑い声がついてくる。
「酷いよ、本当に。自分はリィンくんに命を差し出すクセに」
それでも言葉の字面とは裏腹にその声には愛おしさが籠められていて、ああこの人はクロウを愛して"いた"のではなく今もずっと変わらず愛して"いる"のだと痛感した。
朝焼けに銀色のピアスが反射する。クロウがつけていた時は当たり前だが今よりずっともっと近くに見えてしっくりと来ていたそれは、今やどこか頼りなさを強調するようにも見えた。おそらく無理をしているように見える装いだからだろう。ピアスがまとう風と先輩の風がうまく混ざり合っていない。
けれどそれを指摘したところでまた苦笑されるだけなのは目に見えている。ピアスが悪き風を連れてきているならともかく、そういうわけでは全くない。そこに関してオレから言えることなど何一つないのだ。
「……ピアスは失くさないよう寝る時も?」
「ん? ああ、それもあるけど……軟骨って直ぐに塞がっちゃうみたいで、一年単位でつけっぱにしてないと穴が安定しないんだって。特に私は傷の治りが早いから尚更ね」
そうしてつい最近、バリアハートからルーレへ行く際に立ち寄った帝都でセカンドピアス……クロウの形見にようやく替えられたのだと嬉しそうに先輩は話す。そこに翳りなど微塵もない。
教官の隣にいて、いざという時は自分達の判断でオレたちを助けようと奔走し、後輩が先輩を頼るのは当たり前だと笑って走り回っていたあなたが、パンタグリュエルで鎖に繋がれていると知った時はどうしようかと思った。己の心に悪き精霊が宿ったのかと心臓を抉り出したくなるほどだった。
────それでも、煌魔城でクロウと対峙したあの時。階段の上で蒼の騎神の傍で両手を祈りの形に組んでいた姿は、核を穿たれた機体に縋り付いて叫ぶその声は、崩れ落ちたクロウを膝に抱いてこぼした涙は、捉え間違えようのないほど深い愛だった。
鎖で繋がれていたから仕方なく傍にいたのではなく、己の選択であそこにいたのだと。全身が語っていた。
そうして今も。
「……先輩は、クロウのことを今でも本当に愛しているんですね」
言葉をかけると先輩の顔がじわりと赤くなっていく。最初出会った時はとても冷静で大人に見えていたというのに、そんな姿が見られる距離の人間になれたことは己の恋情関係なく嬉しく感じる。きっとクロウはそんな先輩の姿をたくさん見て、確かに想いあっていた。
「そう、面と向かって言われると、ちょっと恥ずかしいけど……うん、そうだね。いつか別の人を好きになる日が来るかもしれないけれど、今はまだ、クロウに心を預けていたいんだ」
夜明けの風の中でうつくしくあなたが笑う。
亡き恋人に捧げる感情さえも貴く、輝いているようにも見えた。
「そうだ、少し待っていてもらえませんか」
二人でゆっくりと集落の方へ戻り、客人用のゲルまで案内したところでそれだけ言い残してから急いでゲルへ行き、自分の私物が置いてある棚へ。目当てのものを取り出して戻ると先輩はそこにいてくれた。
「こちらを」
「……青い、組紐?」
「はい。ノルドの伝統的な装飾品の一つです」
オレが作ったものではあるけれど、それを伝えることはしなくていいだろう。いつか先輩に渡せる機会があればいいと店売りのものとは全く別に編んでいたとは、さすがにクロウに悪すぎる。それに、そんな感情をオレから貰ったとして困らせるだけだともわかっている。
「綺麗……」
網目を指先で辿る先輩は少しの沈黙を経てから、ねえ、と静かに声が。
何か不自然なことでもあっただろうか、と背筋に冷たい風が吹いたような気がした。
「昔、ガイウスくんが私に『青が似合う』って言ってくれたの、覚えてる?」
「それは、ええ、もちろん」
オレが先輩への恋心を自覚し、うっかり出てしまった言葉だ。
ノルドでは白は大地を、緑は風を、それらを包み込む蒼は空と調和を意味している。オレにとってノルドの空は特別なもので、もしあなたがこの青の下に来ることがあったらそれはとても素晴らしい瞬間だろうと。そんな意味をこめていた。
幸いその意図は伝わらなかったようだけれど、今思えば伝わらなくてよかったとも思う。あの時は知らなかったとはいえ先輩は既にクロウと恋仲であったし、知った後もクロウを想う横顔がとても可愛らしかったから。
それに先輩がオレの言葉を、一年以上前にたった一回だけ告げたそれを覚えていてくれた事実が嬉しくて。もう、それだけでよかった。
「だからこれも青なの?」
「……そうです。この高原の空がとても似合うと思ったので」
「そっか。ありがとう」
笑った先輩は髪をサイドから軽くまとめ、組紐を使って後ろでさっとまとめる。
学院にいた頃より伸びていたから、旅続きでそのままになっていたのかもしれない。
「遠慮なく使わせて貰うね。どう? 似合うかな」
くるりと背中を向けられ、明け方の光の中で青い組紐が後頭部を彩るように揺れている。
「はい、とても」
今のオレはこの人の細い肩を抱きしめることは叶わない。その立場を望もうとも思わない。
ただあなたのクロウを想うその心が、誰に壊されることもないよう祈り続けよう。
そんな願いを込めた"護り"として、風と女神の加護があなたのそばにあらんことを。
VS展開にだけはならない。