魔都、クロスベル。
かねてより帝国がカルバード共和国と領有権を争う場所であり、二大国を宗主とする自治州でありつつも事実上の属州であったそこは1205年1月1日(より正確に記すならば1204年12月31日)から帝国の侵攻を受け、その恐るべき神速ぶりにタングラム門以東の丘陵に駐留している共和国軍への反応を許さぬまま無血占領を果たされた。
その後三月ごろまで続いた共和国の侵攻を大きく退ける戦いまで含めたクロスベル戦役と呼ばれる武力衝突には学院生リィン・シュバルツァーが臨時武官として駆り出されており、巻き込まれた民間人を積極的に保護し、共和国軍への殺さずを貫いたその高潔な(ある種甘い)在り方からか現地では意外にも人気を博している。
そうして彼は、灰色の騎士と呼ばれるようになったのだ。
1205/10/17(月) 夕方前
鉄血宰相殿直轄組織の長であるルーファス・アルバレアを総督と据え、百年ぶりに帝国領クロスベル州とする併合宣言から半年も経てば帝国人がクロスベルを訪れることなど珍しくなくなり、特に厳しい臨検などもなく問題なくクロスベル入りが出来た。
八月末に海上要塞の方が動き、各種作戦立案と練度を上げるために先月と今月を費やすとなればノルドもさることながらクロスベルの方もかなり危うい立場だ。無論タングラム丘陵からの侵攻を見越してクロスベルに置かれている戦力は(列車砲を除けば)かつてのガレリア要塞に匹敵すると噂を聞いた。前線が上がったのだから当たり前といえば当たり前か。
北方でことが動くにしても鉄血宰相殿の懐刀である組織が関与するならぬかりはないだろうし、何かが起こった際に情報が入りづらい場所といえばこちら側だろうと来たのだけれど。
導力バイクでのんびり帝国東部を横断し、大陸横断鉄道沿いの道路からあがりベルガード門を抜け、中央広場のベンチ近くで見る街の様相としては至って平和だ。
パッと見で違うとすれば街角に立っているのが自治州の治安維持機構……警察や警備隊と呼ばれていた人たちが再編され制服が変わっていることぐらいで、基本的なところは自治州時代のものを転用しているのが見てとれた。たしか自治州議会も州議会として残されており、市民の生活にはさほど大きな混乱が起きないようにしたのだろう。
それがルーファス・アルバレア総督の手腕。
おそろしいほど手際がよく、また効率的に街が運営出来る形に落とし込んだ。そして占領時に市民側に被害が出れば諸外国も黙ってはいなかったろうけれど、国際的非難を退けるためにあくまで自治州の保護を名目に占領し、また事実そうであり続けているというのは本当に無駄がない。しかしそうしておきながらも自治州を守るという誇りを持っていた組織の解体・再編をしているのは抜かりがない。心臓を活かしつつ、手足をもいでいる。
導力バイクを軽く留め中央広場からベンチ裏手にある階段を降りながら、階段最奥にある人気のないビルに首を傾げつつ手前の商店へ歩を進める。扉を開けてみれば金属とメンテナンスオイルのなつかしいにおいに出迎えられ、壁にかけられている銃器を見ながら数段のステップをゆっくり通過してみればカウンターには気怠げに新聞を広げる男性が。
「……なんだ、素人に売るもんはねえぞ」
ぶっきらぼうな言葉だけれど、占領戦時にそういう手合いが多く押しかけ、また今でも度々訪れられていて辟易しているのだろうとわかったので個人的な好感度は上がってしまった。
「手厳しいですね。とはいえ見るぐらいなら許してください」
苦笑しながら懐から一通の手紙を出し、カウンターの上を滑らせる。ちらりと視線を下げられたので渡したい意図は伝わっただろうし、突き返されることもなかったので私はひとつ頷いてカウンターから身を離す。
手紙はミヒュトさんからのお使いであったわけだけれど返事を受け取ってこいとは言われていないし、必要なら何らかの手段で呼び出されるだろう。
お使いは終わったとみて壁のラックにかかっているモックアップの銃器を眺めていると、基本的にRF社かあるいはZCF製のものばかりだということに気が付いた。戦場で鹵獲品を扱うこともあるだろうと学院で仕様・整備・分解をさせて貰った時に共和国を代表する企業・ヴェルヌ社は個人的な好みで言えばかなり手の馴染みが早かったのだけれど、まぁさすがに敵国の武器を輸入は出来ないか、と内心で嘆息する。
しかしカウンターに目を向けたところで、奥の奥にある壁ラックにひっそりとヴェルヌ社製の小さなピストルが飾られているのが見えた。なるほど。出していないだけで扱ってはいるようだ。ということはクロスベルの東にあるタングラム門からか、あるいはゲートを通らない形での密輸入が行われていることになる。
どんな時勢でも抜け道はあるということで。
いろいろお互いの手札を軽く見せたと判断し、軽い会釈をして店を後にしようとしたところで別の客と扉付近でかち合う。
浅黒い肌にうなじあたりで銀髪を束ねている男性。顔立ちとしては中東系だろうか。帝国内では珍しいけれどあまり観察するのも思考を回すのも失礼か、と適度に回避して今度こそ店舗を出た。
バイクを軽く転がしつつ以前宿泊した龍老飯店へ赴くと給仕の方に、前来てくれたことあるネ?、と覚えられていたことから別のところにするべきだったかと思いつつ、まぁさほど困るまいとそのまま宿泊の手続きを。
前に来た時よりも上がっている値段に時勢を感じつつ通されたシングルルームに荷物を置き、とりあえず一通り街を見て回ろうかとコートの下に隠せる投げナイフだけ装備したまま、簡単な外出用バッグに最低限のものを詰めてまた出掛けることにした。
通りへ出ると活気がありつつもどこか沈んだ雰囲気に出迎えられ、さきほど歩いていた時も感じていたけれどクロスベル市内……州内でもここは特に占領の気配が色濃く出ている場所だろうことを理解する。なんせ共和国よりも向こうの東方人の方々が集まって作られた通りであり、共和国も移民問題が噴出することから血筋的に共和国系東方人もここには多く、完全な国交断絶が起きた今では肩身が狭いなんてものではなかろう。それでも、一応、排斥運動の兆しはないようだ。
そして前は立ち入らないようにしていた旧市街の方を覗こうとすると近くに構えていた屋台のお兄さんから、そっちは将校サンらの宿舎が造られてるから近づかない方がいいよ、と忠告を貰う。旧市街の再開発。立ち退きを余儀なくされた人たちはどこへ向かったのか。
その辺りの人口推移も含めて改めて調べていきたいな、と足元深くにあるメンテナンスアイルの気配を手繰りながら屋台の男性にお礼を言ってその場を後にした。
帝国内の例外に漏れず閉鎖された遊撃士協会の支部を横目に戻った中央広場。
大きな鐘が広場を彩る姿に、そういえばクロスベル市郊外の遺跡から外された大鐘を帝國博物館へ(一応)友好の証として寄贈されたのだったか、と。たしか帝国時報の片隅にそんな記事を見たような記憶がある。閉鎖されていないのならそういった場所を巡ってみるのも一興だろう。
そんなことに思いを馳せながら導力製品を扱うストアに足を踏み入れた。武器商会がああなら、もしかしてこちらも、というやつだったけれど、ヴェルヌ社と思しき導力製品は全く新しいブランドのマークを掲げて店頭展示されていた。中央広場の大店がこうも堂々と商いをしているのなら総督府も黙認状態ということなんだろうか。いくら敵対国家だとしてもクロスベルにおける経済的な交流を完全に止めることは出来ないということか。
というかもしかしたら武器商会の方も私に見えていなかっただけでそういう品があったのかもしれない。銃火器はまだまだ詳しくならないとなあ。
「お、新型の小型導力端末出てるな」
その言葉に釣られてショーケースを見やればRF社が今秋発売した製品が所狭しと並べられていた。ARCUSIIのような手帳型ではなく、いわゆる机に乗せていた導力端末を小型化したもので学院の端末室に似ているのはこちらの方だ。キーボードも広いので文章を打つ際の速度は圧倒的なうえに(現状では公式サポートされてはいないけれど)ARCUSIIの通信回線を繋げられたらいろいろ出来ることの幅も広がる。
私も一つ持っていてもいいかもしれない。
「何かお探しですか?」
「ああ、いえ、一台あれば何かと便利そうだなと見ていただけです」
グレーのスーツを着た支配人らしき男性に話しかけられ、当たり障りのない返答をするとにこりと微笑まれた。
「そうですね。株トレーダーの方であれば市場を確認する補助として平素の端末よりずっと簡単に導入出来ますし、会社勤めの方でも端末一台あれば会社との連絡が家でも取りやすくなると評判でございます」
「へえ」
会社を離れても会社から離れられなくなっていないかそれは、と思いつつも口に出すことはやめておいた。それが幸せな人もいる。たぶん。
「わたくしどもとしましては昨今の導力ネットの発達に伴いマシンスペックも大変重要と考えておりまして」
説明を聞きながら、いつかはARCUSIIから戦術機構を抜いた形の、より汎用と携帯性に特化したパーソナルなモデルも出てくるのかな、と思考を巡らせていく。もしそれが現実となれば便利であり、しかしある種不自由な時代の幕開けとなるのだろう。
今はまだごく一部の、導力ネットに対して知識のある層だけがアクセスしている世界に一般人が入ってくる際に起こり得るさまざまなこと。避けては通れないそれを開発企業・小売業者がどう向き合っていくのか。一利用者として楽しみにしたいと思う。
「説明をありがとうございます。検討させて頂きますね」
「はい、その際は是非オーバルストア・ゲンテンをよろしくお願い致します」
熱の入った説明をしてくださった方にお礼を言って出ると、もう夕焼けの空になっている。
宵入り。酒場の始まる時刻。とはいえまだ人が集まるにはまだ早いか、と前に来た時から気になっていた中央広場に店舗を構えるレストランの方に足を向けた。うん、ここも美味しそう。
そうして学院生の頃はこれまた避けて通っていた飲み屋街に足を踏み入れ、そのなかでも比較的品の良さそうな店のカウンター右端で例のバーのマスター──シャック氏に「女性がお酒で失敗すると洒落にならない」と叩き込まれたカクテルの中から、比較的メジャーで飲みやすいロングカクテルを頼み背後の喧騒に耳を傾けていく。
やれ総督府はクソだの威張り散らかしてる軍人を殺したいだのの愚痴から始まり、クロスベル州になってから銃のメンテナンス外注がしづらいだの娼館に出入りしてる男がその手のルートを持っているだのはたまた共和国へ入るためのルートの眉唾な話をしていたり、なかなかに玉石混合な会話がちらほらと聴こえてくる。
もちろん何食わぬ顔で酒を傾けているし、可能な限り気配を薄くしているから酔っ払いがこちらに気を払うことはあるまい。
「失礼、隣は空いているかな」
と考えていた矢先に声をかけられ視線をやると昼間に一瞬だけすれ違った男性が立っていた。片手でどうぞ、という仕草をとれば会釈と共に座られる。
とても綺麗な交易共通語ではあった、のだけれど。明らかに隠せない部分で共和国訛りを感じ取ってしまった。体格や装備からして戦闘を生業にしている人間ではなくジャーナリストなどのたぐいで────推定中東系共和国人だ。
まぁ共和国と帝国の国交が断絶しているとはいえ、レミフェリア公国を通過したオレド自治州経由であったり、それこそリベール王国を経由すれば共和国に入ることも、共和国から入ることもある程度のコネさえあれば合法的に可能ではある。実際ジョルジュはそういうルートでヴェルヌ社にコンタクトを取ろうとしていたのではなかったか。
しかし、どうも隣の相手からはそういった気配が漂ってこないのも事実で。
そこまで頭を回したところで、まあいいか、と諦めた。どうせ答えが出るわけでもなく、また意味があることもでもない。単なる頭の体操だ。
「見ない顔だな」
そう切り捨てたところで、トントン、と相手から机を指の背で軽く叩かれた。
帝国領となり大勢の帝国観光客で沸くクロスベルでそれを訊くことの意味・立場。それらを諸々考え、一瞬だけ視線をやってからグラスをあおった。
「ナンパなら"東"でやって貰える? あいにく男には困っていないんだ」
軽く音を立てるようにグラスを置き、手の甲で頬杖をついて笑えば、相手はほんの僅かに目を開く。私の言葉に対してではなくまるでたった今、あり得ないものでも見たかのように。共和国の情報屋にそんな表情をされる謂れはないのだけれど。
「すまない。俺はディンゴ。もし帝国人なら訊きたいことが、と思ったんだが……」
思いのほか素直に自分の名を(偽名かもしれないけれど)口にした相手は、しかし酷く何かを言い澱むものだからマスターが見かねてか注文品と同時にお冷やを差し出した。水を一口、深呼吸ひとつ。それなりに落ち着いたようで青緑色の不思議な色合いの瞳が私を見据える。
「────君は蒼の騎士の関係者、だったりしないか?」
瞬間利き手が反射的に緊張する。この男が入ってきた時刻前後に別グループの入店はあっただろうか。いやそもそも全員敵だと仮定した方が早いか。離脱するルートを瞬間的に構築し、そして逃げ切れるかどうかの算段をつける。たぶん可能だ。知らない街とはいえ店内に完全な戦闘職はいないように思えるから、そうじゃない相手に遅れを取るつもりはない。仮に第三学生寮つきのただのメイドに扮していたシャロンさん並に己の手札を隠せる相手であれば端から私に勝ち目などない。
そこまで考えて────その択を落とすことにした。
相手は私を知っているが私は相手を知らない。それがどれだけ不利であるかだなんてこの数年で叩き込まれまくって知っているし、その通りたぶん一旦退いた方が時間は稼げて考えはクリアになると思う。
それでも、ピンポイントで私を引き当てたこの相手を、手放してはいけないような気がしたのだ。
「あは、騎士サマっていうなら灰色じゃなくて?」
しかしこっちだって簡単に手札を見せる気はない。どうして共和国人が今更終わった蒼の騎士の話をしようというのか。
「今をときめく灰ではないし、君に危害を加えるつもりも、騎士周囲に仇なすつもりもない。本当にただ、話が聞きたいだけなんだ」
まっすぐな瞳。硬い声。私に話しかけず跡をつけて宿に押し込むことだって(女一人であるならば尚更)選択肢に挙げられるなかで、正面から話しかけてきたところは個人的に好ましいと思う。もちろん撒ける自信はあるとしても。
「まあ、うん、いいよ。お話ししようか」
追加でお酒をオーダーして笑いかけると、相手も最初のグラスを傾けて笑った。
「蒼の
「……え?」
追加の飲み物が来たところで会話を再開したらいきなり爆弾発言が落とされた。裏の世界で名が知られている?そんなことある?最近情報屋になった単なる善良な一般人ですけど?
「知らないのか? まぁ、無論情報屋としてではなく、コレとして、だが」
私の怪訝な声で即座に察してくれたようで、コレ、と言いながら親指人差し指小指が立てられて軽く振られる。それは恋人、愛人、愛妾、を意味するハンドサイン。
「……理解。ありがとう」
ミヒュトさんは一言もそんなこと伝えてくれなかったけれど、己にまつわる情報がどれだけの価値があるのかも理解出来ないようならそれまでだと思われていそうで内心で叫びたくなった。まぁでもあれもこれもそれも教えられなければ分からないなら、本当に直ぐにのたれ死ぬだけだろう。
いい大人が才能があると目をかけてしまった罪悪感からなのか、かなりよくしてもらっている。
「武器屋で見かけた時は見間違いかと思ったが、その左耳が決定打になったな」
「そんなに目立つかな」
「それなりには」
左耳の蒼と銀の三連。そんな分かりやすい・覚えやすい組み合わせで耳を彩っているだなんて名刺のようなものだろうと。まぁ、顔が売れているなら売れているでそれも武器にしよう。
「それで、貴方は何が知りたいの?」
「大まかに言うと帝国の伝承についてだ。すこし、長年調べていることがあってな」
帝国の伝承。魔女が建国に力を貸していただの、吸血鬼が都を支配しただの、巨いなる騎士がこの地を平定しただの、そういった類の話。帝国で生まれた子供は何度も聞くことになる寝物語だ。それを伝承研究者などの立場ではなく情報屋という形で大真面目に知ろうとする段階でカタギなどではない。頭がどうかしている……以前のままならそう思っただろうに。
「灰色の騎士人形については先の戦もあり多くの写真が残っているんだが」
「蒼の方は記事はあれどそれなりに情報統制されていたからねえ」
「そういうことだ」
当時の帝国時報のバックナンバーを取り寄せて読んでみたりもしたけれど、活躍が文章で書いてあるだけで写真といったような視覚情報として残る形ではあまり出回っていなかった。少なくとも表ではそうだったのだけれど、裏でもそのようだ。
「話してもいいけれど、正直騎士人形について多くを知っているとは言いづらい立場だというのは理解しておいて欲しい。私はただ近くにいただけで搭乗していたわけではないから」
「ありがとう、それで構わない」
改めて前置きをしてから、私は騎士人形────騎神について話すことにした。
「騎神と呼ばれる伝承の巨いなる騎士と目される存在、か。まるで御伽噺だな」
「その御伽噺を聞きにこんなところくんだりまで来たのでは?」
「違いない」
おおよそ私が見聞きした中で開示してもいいだろう部分まで語ったところで、相手はため息をついた。ある程度荒唐無稽な話であると理解していただろうにこの反応なのだから、やっぱりあの事態の異様さは目の前にしないと現実感は湧かないだろう。
「しかし解放戦線が伝承に連なる存在と共にあったとなれば話が変わってくるな……」
帝国解放戦線。まさか今更その名前を聞くとは思わずわずかに首を傾げてしまう。
「何か気になることでも?」
「いや、十月戦役の原因に絡んでいる組織が悪魔崇拝をしていると別筋で聞いていたから気になっていたんだが、どうやら空振りのようだ」
悪魔崇拝。そう言われて即座に思いつくのはD∴G教団と呼ばれる、各地で子供を攫い悪魔への生贄だけではなく人体実験などもしていたとされる史上稀に見る最低最悪の宗教団体。
実際には悪魔という存在が女神の否定に都合が良かっただけで、場所によっては信仰儀式をしていないところもあったようだけれど、むしろそういった場所の方がより凄惨な状態であったという記録がある。
「……少なくとも、こっちのテロ組織がそういうことをしていたとは聞かないね」
「例の団体とは関係ないと見るべきか」
そもそも私が蒼の騎士の関係者……というより帝国解放戦線首魁の女であるということを掴んでいるのなら聞いたって然程新しい情報は出てこまい。ある程度内情を調べた上で、私がどういう人物なのかまで把握して裏付け的な意味合いで問いかけてきたのだろう。
個人的にはクロウは確かに女神さまを信仰している気配はなかったけれど、悪魔への生贄とかそういうものに対しては嫌悪感を示すタチだと思う。思いたい。どれだけおちゃらけていようとも本質は真っ直ぐなひとだったから。
真っ直ぐだったから故に、罪を犯したとも言えるけれど。
「例の団体というのが考えているので合っていればあれは七年前に遊撃士協会主導の殲滅作戦が行われた上に、生き延びていた幹部司祭が少し前に暴走し……亡くなったと聞いているけれど」
そしてその司祭死亡にあのクロスベル警察特務支援課が関わっているのも知っている。しかしさすがに現状その具体的な名前をここで出そうとは思わず濁すことにした。たしか特務支援課の顔である男性は指名手配をされていた筈だから、藪をつついて蛇を出すことはしたくない。
「ああ、だが俺は終わっていないように感じている。単なる勘だがな」
「……長年追っている人がそう思うなら、それは正しいのかもしれないね」
そういう『終わっていない感触』というのは馬鹿にできるものではない。
なんせその幹部司祭は何食わぬ顔でウルスラ大学病院の准教授として在籍し、医師の職権で投薬研究を続けていたのだから。他に逃げ出した幹部がいてそれこそ結社のような闇組織と繋がりパトロンを得て研究を続けている可能性は十分にあり得るだろう。……もしかしたら私も、何かが違っていたらその准教授の被験体になっていたもしれない。
基本的にその例の教団は帝国側にあからさまに手を出しているといったことはないから、帝国人であったことが幸いしたのかもと思う。だけど。
「うん、他人事じゃないみたいだし、連絡先交換しておこうか」
「いいのか?」
「私がそっちに行ったら可能な限り助けてくれると嬉しいけどね?」
腰のポーチからメモを取り出し、導力メールのアドレス、帝都の中央郵便局に開いている私書箱の番号、あとはトリスタの情報屋の場所を書きつけて折りたたみ差し出すと、情報には必ず報いるさ、と受け取られた。相手からも同様のものが書かれている名刺が返ってきて、一瞬だけ視線を落としてから懐に押し込んだ。
もちろんお互いに直接手紙を出せば検閲対象だけれど、経由すればその限りではない。
今は名無しの情報屋として人脈を広げることを優先した方がいいだろうし。
「暫くこっちに滞在していると思うから、何かあればメールか……ジロンド商会で」
「ああ、そのようにしよう」
確かなファーストコンタクトであった場所を指定し、今日はこの辺りにしておこうと会計を済ませ夜の気配に紛れながら宿へ帰ることにした。
1205/10/20(木)
導力バスも動いていない早朝。
ウルスラ間道に歩を進め、太陽で輝き始めるエルム湖を左手にのんびり散歩していく。前はバスでするーっと通過してしまったけれど、どうやらこの道に例の帝国へ譲渡された大鐘が飾られていた星見の塔と呼ばれる遺跡があるらしい。
途中で横を通ったクロスベル空港も大掛かりな改修工事が行われているのか朝から工事の音がしていたし、そういう作業の延長線でこっちにある遺跡が再調査されたのだろうか、なんて考えを馳せながら襲いかかってくる魔獣を適当にいなしてバス道から森の中へと入っていく。
鬱蒼としたこの場所はノックス大森林と呼ばれる森の端っこのようで、たまに軍警の演習場にもなっているのだとか。イストミアの森とは植生が当たり前だけれど全く違っていて面白い。ここにいるだけで一日が過ごせそうだ。というかおそらくたぶん絶対過ごせる。過ごしてしまえる。
それはそれで楽しいだろうけれど今は当初の目的に邁進しよう、とそれなりの時間をかけて木漏れ日を抜けると、視界が開く場所に石で造られた大きな塔が屹立していた。苔むしたそれは中世の頃からの建造物であるらしく、少なく見ても数百年はこの地にあるのだとか。
「封鎖されているかと思ったけど……バリケードとかないんだ」
いろいろあった場所のようだから封鎖されていてもおかしくはないかな、と一応現地を見るだけでもと来てみたら特にそういったものはなく、扉に近付いて押してみると軋みながらも問題なく開いた。
「……」
いわゆる完全な廃墟であれば侵入することは躊躇うけれど、入り口から覗いた雰囲気としては石造りということからしてもしっかりしているように見てとれる。上位属性が働いているし魔獣やよくわからない気配が跳梁跋扈しているようではあるけれど、抜けていくのに然程支障はない。
少し考えて、うん、と塔の内部へ足を踏み入れた。
上位属性が働く場所というのはつまり霊力的な力場らしく、イストミア大森林や例の古代遺物がつくり出した遺跡のような場所と似通うところもあった。例えば魔獣……というより敵性霊体であったり、あるいは魔導器物に似た鎧人形であったり、そういった外部からの侵入者に対処する機構が特に。
中世の錬金術師たちが建てたものだという謂れがあるようだけれど、錬金術師とはそういう類の研究をする者たち、ということなのだろうか。そうであるのならこちらもこちらで帝国の伝承に負けず劣らず御伽噺じみている。
────いや、そもそも何をもって『御伽噺』だと感じているのだろう。
帝国の伝承は真実であった。そういった経験を幾度となくしているにもかかわらず、自身の経験・世界の常識とされるものと程遠い現象を『御伽噺』という言葉に当て嵌めるのが当たり前になっている。まるで認識出来ないような理がこの世界を包んでいるかのように。
薄ら寒く、荒唐無稽もいいところな己の考えにかぶりを振って暫く歩くと外縁を渡る階段に出た。それなりの高さを昇ってきたようで木々の上に出ているそこはとても眺めがいい。遠く遠く、エルム湖を越えた先に保有地ミシュラムが見えてなんだか少し胸がじくりと痛んだ。
その想いを振り切るようにまた中へ入って歩いていくと、多くの書物が収まっていたのだろう本棚が並べられた広場に出る。
広さのわりに小型の魔獣・魔導器物しかおらず、適当に蹴散らしたのちにスカスカな本棚から手近な本を手に取ってみると、中世の化学にまつわる本のようだった。さすがに数百年も経てば言語が変化していることもあり読みづらいけれど、読めないこともない。とはいえそこまで頑張って読むような内容でもない気がする。
まぁこれだけスカスカにされている本棚で残されているのだから当たり障りのない、毒にもならないものだろうとは分かっていた。それでも歴史的史料にすらならないのかな、と思いながら本棚に戻す。
帝国の地下道のように決して消えぬ明かりの灯る塔。上位属性が色濃く判る場所。
中世の錬金術師たちは霊脈を重んじて建てたのだろうか。
古のことに思いを巡らしながら歩いていくうちに、ふと、自分以外の何かが上層階にいることに気が付いた。歩幅や気配からして平均的な人型……扉が開いていた原因かもしれない。
薄くしていた気配を更に段階的に消し、警戒度を上げたまま上階への階段を昇っていくと────大きな天球儀のようなものが並んだ部屋の中央に、蒼いコートを纏った銀髪の影が見えた。まるで、そう、クロウぐらいの体格のそれ。しかし生者の気配のないヒトガタ。
いや、でも、そんな筈はない。そんなことがあっていいわけがない。そう心を揺らしてしまったせいか相手に存在を察知されたらしく、影は振り向くこともなく唐突に駆け出した。私も広場へ躍り出て屋上へ通じているのだろう階段をひた走っていく。
チカッと眩い光に出迎えられた星見の塔の屋上。辛うじて捉えられたのはそこから飛び降りる蒼の影。
40アージュは下らない高さだというのに物怖じした様子もないことに慌てて近寄って地上を見下ろしてみると、そこに赤の花が咲いていることなどもちろんなく、蒼の影は気配すらも残さず消え去っていた。