あれから3週間が経った。
ハサキの生活に大きな変化のない3週間だった。強いて言えば、サワグタリと名乗っていた少女が工房から姿を消し、チェシャがこれまで以上に距離感が近くなったことくらい。
「ハサキ。ハサキ。今日はどこ行くの?」
「ちょっとした用事を片付けにね」
「……私もついてっていい?」
「こら、しがみつかないで」
「むう」
男――かつてハサキの神であった男――の死体はハサキが『処理』した。人ひとり溶かせる『オブジェクト』は腐るほど持っていた。
それで終わりだった。
チェシャも、偽サワグタリも、誰も咎めなかった。
結局、人が一人死んでも世界はなんてこともなく回っている。
「……」
これでいいのか、という疑問はあれからずっと付き纏う。それでも自分は何もできなかった側の人間だ。成したのは、男から
だから自分にできることをしようとハサキは思った。
――そういう訳で、今、ハサキは迷宮街領主の館に赴いている。
訪問の約束は取り付けていたから、さして困ることもなく門を潜れた。全体が盛況な迷宮街の中央にある領主の館は、その富の豊かさを示すように巨大で壮麗だ。だだっ広い庭を抜けて玄関まで来ると、そこで一人の少女と目が合った。
腰を越すほどに長い黒髪。華奢な両肩。細い首。か弱さを結晶にしたように揺れる黒の瞳。ぺこりと少女が頭を下げる。
「どうも。本物のサワグタリ氏で、合ってるよね」
「あ、はい……お久しぶり、です」
ハサキの工房に居候していたサワグタリとは別で、本物の領主の末娘。以前ハサキの個展にも出席して一度顔を合わせているが、少女の態度はあれから特に変わることもなく小動物じみていた。
「いいえ。お久しぶりというよりも、初めましてが正しいですよね」
礼儀正しく両手を前で重ね、真摯な眼差しが上目にこちらを見つめる。
「初めましてハサキ様。私は、リリ・ゲシュペス。時折サワグタリと名乗り街中を遊ぶ、小娘です」
「よろしくリリ」
「あ、あの……」
「?」
「さ、サワグタリって、呼んでくれませんか。自分の名前、苦手で……」
赤くなった顔を恥じらうように少女が俯く。
「そっちのがいいならそうするけど。サワグタリ」
「ありがとうございます……あの、今日はハサキ様の案内を頼まれてるんです。屋敷は広いですから」
「じゃあ、よろしく頼む」
こくりと頷き、サワグタリが玄関扉を開けた。
丁寧に掃除された内装の眩しさにハサキが目を細めていると、数歩先を歩くサワグタリが恐々とした声音で尋ねた。
「あの……怒って、ますか? 騙してたこと……」
口ぶりからして、こちらのサワグタリ嬢は偽サワグタリと共謀していたのだろう。――共謀というよりは、一種の遊びだろうか。同じ顔をした溌溂な少女が、伝説的な迷宮鍛冶師と仲良くなる。丁度良いタイミングで入れ替われば、こちらのサワグタリ嬢も愉快な一日が贈れると。
きっと、あの偽物からそんな風に言いくるめられたのだろう。
この少女がどこまで偽サワグタリから聞かされているかは知らないが、恐らくほとんど事の顛末は伝えられていないだろう。
「いいや。ちょっと驚いただけ」
「そ、そうですか。ならよかったです」
それどころか、サワグタリの顔をした何者かは、ハサキがスレイヴイレスそのものであると誰にも言っていない可能性すらある。
地下室に6年間監禁されていた男についても。
「そのうち、私の工房に来てくれると嬉しい」
「……はい! 是非に」
サワグタリが足を止める。ハサキも同じようにして。
目の前に扉があった。恐らく客室だろう。
「ここに?」
「ええ」
「まだ見た目はサワグタリと同じなのかな」
「お、恐らく……」
扉に触れて、少女は静かに言った。
「では……あのお方が、お待ちです」
恭しい礼と共に、扉が開く。
◇
室内には机を挟んで向かい合う一対のソファーがあり、片方に浅く腰掛ける少女だけがいた。
部屋の奥からは陽光が差し込む。窓越しの柔らかな日差しが少女の顔をどこか儚く映す。
長い黒髪を優雅に垂らす、背筋がまっすぐ伸びた少女の顔立ち。まるで星々が輝く夜空のような覇気に満ちた瞳。そして、こちらの存在に気づいて浮かべる微笑み。
優雅な娘だった。
顔は本物のサワグタリと全く同じだと言うのに、何もかもが違いすぎる。
3週間前に工房を出ていったきり、会う事のなかった少女がそこにはいた。
「お待ちしておりました」
「久しぶり」
気楽な挨拶をして、ハサキは対面のソファーに座る。扉は閉まり、完全に室内には二人だけが残された。
偽サワグタリが笑顔で尋ねた。
「今日はどういった用件で? まさかこの街に呼び戻されるとは思いませんでした」
何を白々しい。
「以前、頼んだろ。大英雄リーリェ・ヒプロメロォスに贈る剣を、って」
「そういえば、そんな話もありましたね」
「
殊更に強い口調。一瞬訪れた静寂。しかし、偽サワグタリの笑顔は崩れない。
「あら。でもハサキ様は嫌だって仰っていたじゃないですか。どういう風の吹き回しですか?」
「その気になったとだけ」
ハサキは片手に持っていた細長い包みを、中身ごと目の前の机に置く。そしてゆっくりと包みを解いた。
顕わになったソレを見て、偽サワグタリの瞳に微笑みとは別の色が浮かぶ。
「――これは」
「基本的構造はスレイヴイレスと全く同じだ」
そこに、質素な鋼色の鞘に収まる長剣があった。
豪奢な装飾もなければ目立つ意匠もない。それこそ市場で吊るし売りにされていてもおかしくないほどに質素で、ただただ武器としての性能だけを求められたかのような、シンプルすぎるデザインをした鞘入りの長剣。
安売りされる武器との違いはどこかと訊かれれば、ハサキはこう答える。
「数にして、9007兆1992億5474万992の積層純粋フラクタル構造体」
不老不死を叶える伝説級迷宮武装、
「おかげで2週間ほどぶっ通しで作業し続けたよ」
「相変わらず、恐ろしい胆力ですね」
「出来る体だからやってるだけだ」
自身も
「完璧な剣だよ、これは」
ハサキの言葉に嘘はないと分かるのだろう。偽サワグタリの表情から微笑みはいつの間にか消え去り、新たな伝説級迷宮武装を前にした興奮の色が……そう、探索者が浮かべるような、熱に浮かされた瞳がむき出しになっていた。
「……抜いても?」
「どうぞ」
静かに問われ、頷く。
偽サワグタリが恐る恐る剣に触れ、「意外と軽いですね……」という呟きと共に柄を握り。
抜こうとして――だが。
「? 抜け、ません、っね?」
「へえ。あなたでもか」
両肩に力を込めて剣を引き抜こうとする偽サワグタリに、ハサキは感心したような声を上げた。
「私でも抜けなかった」
「仰る意味がよくわからないのですが……」
「そのままさ」
諦めたのか机に再度置かれる長剣を、ハサキはそっと人差し指で撫でた。
「主に使用した鉱石は第97層にて入手された隕鉄。こいつは意志を持つとされている一種の金属生命体、伝説級迷宮物質だ。私は構造的な効能を付与するのが得意で、その隕鉄を70回ほど折り畳み、分子レベルの樹状空洞を9000兆層全域に作った。そして、スレイヴイレスである私の血液をその空洞内に流し込んだ」
一度、スレイヴイレスの効果がどこまで及ぶか試したくて、ハサキは全身の血液を抜いたことがある。そうして得た不老不死者の血液約4リットル弱を、ハサキは熱してみた。だが、総量に一切の変化は見られなかった。数千度に及ぶ炉に放り込んでも、液体の姿を保ち続けた。蒸発すらしない血液――単体で循環から逸脱してしまった完結存在。
そんなものを意志を持った剣に流し込んだと言う。
「無限の命を持ち、無限存在であり――それだけじゃなかった。そいつはね、勝手に鞘を作ったんだ」
「勝手に? 誰が?」
「だから、その剣が」
「――はあ」
その時浮かべた偽サワグタリの顔は、なかなか秀逸なものだった。
見た事のない呆れた表情にハサキは小さく口端を緩める。
「剣自身が、完成と共に自身の刃を殻で覆ったんだ。抜き身の姿を誰にも見せたくないとでも言わんばかりにね。そのままじゃあんまりにも不格好だからちょっと見た目を整えたけど、ほとんど原型だよ。嘘じゃない」
「では……ハサキ様は、誰にもどんな力を持つかわからない、分かることさえできない、意味不明な代物を……いいえ、不可知の新生命を創造したと言うのですか?」
何もそこまで大仰なことはしていないが。
さすがに、説明のつかない武具を作ったつもりはない。ただ一度も試し切りすら出来ていないのだから、断言できないのも確かだ。それでも言えることがあるとするなら。
「……『オブジェクト』は既存の法則を簡単に覆す。スレイヴイレスがいい例だ。だから、私はこの剣に全てを込めたよ」
ハサキが知り得る、ハサキが打った、ハサキが生み出せる、何もかもを集約した。すべての効力を発揮し、すべての価値を見出す剣。
どこまでやれるかは分からない。
もしかしたら時空を裂くかもしれない。
もしかしたら光すら捕らえるかもしれない。
もしかしたら、宇宙を割るかもしれない――つまりは。
「0%を1%に変えられる。可能性の変動を許されている、そういう剣だろう」
「なるほど。面白い剣ですね」
半信半疑にも見えるが、一応納得はしたらしい。偽サワグタリは多少落ち着いた様子で更に尋ねる。
「で、銘は」
「……あまり作った武器に名前を与えるのは好きじゃない」
「未だに、スレイヴイレスの意味を語らないのでしたね。ですが世の人々は、名匠の作るものに形と意味を与えたがるものですよ」
ため息を一つ。
ぼんやりと机の上に置かれた鞘入りの長剣を見つめる。
――スレイヴイレスの時とは状況が違う。
あの時は、明確な目的に基づいて不老不死の剣を造った。スレイヴイレス。その名に込められたモノが分かるのは自分だけでよかったから、
けれどこの剣は。
この剣の力は、把握できる領域にないものだ。ひょっとしたらほとんど無能で無価値な効果しかないのかもしれない。それでも生みの親であるハサキが名付けるとしたら、それは。
「器仗神殺の剣。ゼームレス」
もはや、祈りを込めたものにしかならない。
「私の中に神がいた。ずっと……ずっと、殺したいと願い続けた絶対の神が」
結局、ハサキには出来なかった。目の前にある簡単なひと手間を成し遂げる勇気がなかった。
もう二度と神殺しの機会はハサキの前に現れない。
「きっと私では殺せないって分かってしまった。無様だ。なのに、未だに求めてるよ」
「ハサキ様は、どこまでいってもハサキ様ですね」
「ああ。結局私が変わることなんてできないんだろうね」
チェシャがあの男からスレイヴイレスを引き抜いた瞬間、永遠に、ハサキにとっての神とは手の出しようのない究極存在となってしまったのだ。それでもハサキは、いつか誰かが殺してくれることを願っている。
叶うならば自分が生み出した神殺しの剣によって。
「追い求めた力をこの剣ならば叶えてくれる気がする。だから託す」
これ以上ない適任者に、
「
偽サワグタリの前へとゆっくりと差し出した剣。少女はその行いの意味を理解してか、薄らと微笑みの形に顔を変える。
ハサキも似たような表情をした。
今日、ここで偽サワグタリに問いたかったことをようやく訊けると言わんばかりに。
「チェシャから聞いたよ。――王国の調査員、ね」
「嘘ではありませんよ? そういった特命があったのは事実です」
「そう。あなたは決して嘘はついてなかったんだ」
だが、ハサキ・ノバク=槌典にまつわる
「スレイヴイレスは現実として三本あった。国王に献上した1本を除いて2本も私的所持していたんだ」
そして、その2本のうち1本は、人間を加工して作られた。使用者と完全適合した不老不死の剣。国どころではない、世界情勢が大きく傾く可能性すらある。
「なのにあなたはお咎めなしとした。それどころか、この真実をどこにも漏らしていない――幾ら何でも甘すぎないか」
「それだけ、チェシャさんとハサキ様の関係性に心打たれたんです」
「まだある」
偽サワグタリの用意していたような説明を流して、ハサキは続ける。
「私が地下室に入らせる隙を見せないから、強引に隙を作るために個展を開かせた。そこまではいい。だけどその後の対応が、あまりに杜撰すぎるんだ。個展に本物のサワグタリを配置するなら、情報共有を徹底すべきだった」
「……」
「その機会は腐るほどあったんじゃないのか。なのに、あなたはそうしなかった。いや? 正直、本物のサワグタリ嬢にはあなたの振る舞いを事前に聞かされていても、真似できるような人には見えない。無理して別人の演技をさせるくらいなら、
「手厳しいですねえ」
何もかも詰めが甘い。
『王国』の諜報員だと言うなら、そして領主の末娘と同じ顔に整形するだけの用意をするにしては、手抜き仕事が過ぎる。
「そうまで言うなら、ハサキ様も同じではありませんか?」
「……」
「なぜ、地下室に通じる扉に鍵を閉めなかったのですか?」
「どうせ壊しただろ」
「それとこれとは別の話でしょう。見せたくない癖に、見せないための策すら用意しないことがおかしいと言っているのです」
「……」
他にもありますよ?
「なぜ、流れに任されるまま個展に赴いたのですか?」
「客に指示されたら出るしかない」
「鵜呑みにするほどハサキ様の勘が冴えないとは思いませんが」
「買い被りすぎだ」
偽サワグタリはハサキを無視した。
「なぜ、地下室へ入った私とチェシャさんの口封じを考えなかったんですか? あの時、ハサキ様が持っていたあの剣を、どうして使わなかったんですか?」
「これでも大して強くなくてね」
「――あんなに私を警戒して、側に置きたがったのに、なんだか色々とおかしいですよね」
まるで。
そう、まるで。
「ハサキ様の行いは包囲にわざと穴を開けて誘い込もうとしているように映りました。ここだ、ここに真実があるぞ、と……」
女は楽しそうに笑っている。傷口に爪楊枝を突き刺したくて仕方がないと顔に書いてある。
「本当は誰かに殺してほしかったんじゃないですか?」
この女は。
どこまで分かっているのやら。
「……私
――だけどあなたは? あなたは違う。
ハサキの黄金の瞳に、眼光の鋭さが増す。眼前に捉えた偽サワグタリの崩れることのない微笑みの奥を曝け出すように。
「もう一度言いますが。私は嘘を一度も言っていませんよ」
「だろうね。だからおかしいんだ」
仲介人にも聞いた。この迷宮街に英雄は来る。
そして儀礼用の剣は確かに必要とされていた。
だが、それをわざわざ領主の娘に化けてまで身辺調査を目的とした、この目の前の女が伝える義務はどこにもなかった。
「私を疑う調査員が、嘘までついて接触してきて、どうして真実を言う必要がある?」
サワグタリ。この迷宮街に住んでいる者であればほとんどが知っている名だ。
そこに、本人とそっくりの顔をして、本人と同じ長い黒髪という特徴を備えた女が現れれば、誰だってその正体を領主の末娘だと勘違いする。
――この女の言葉を思い出す。
『んー……弟子になりたいのは、本当なんですけど』
『“絢爛の地下迷宮”攻略も早五世紀。最前線は99層にまで到達しました』
『99層総領域は半径22億キロメートル――私達が住む恒星圏内の約半分と言われています。これは憶測ですが、最終百層は系内宙域クラスの広大さがあることでしょう』
出会ったばかりの頃。
サワグタリと名乗った目の前の女は、工房を訪れた理由を流麗に言ってみせた。
『王国は“最果ての地下迷宮”全層単独踏破者オールエンド――大英雄リーリェ・ヒプロメロォスに招聘を掛け、かの大英雄もまたこれに応じました。街は、『オールエンドの大英雄』来訪に際して式典を執り行う所存です』
あの時ハサキはふと、どうでもいいことを感じていたのだ。
『王より“槌典スレイヴイレス”の名を下賜されたハサキ・ノバク様。
あなたに、勇者へ捧げる儀仗剣を打っていただきたく』
「あなたはサワグタリとは名乗ったが、
くすり、と。
女は肩を揺らした。挑発的な上目遣いにハサキの黄金色をした眼が映る。
「最後にひとつだけいいですか?」
ねえ。ハサキ様。
「真実とは?」
「――剣が、欲しかったんだろ。私の弟子になってでも」
伝説には賛辞を。
英雄には敬意を。
形ある贈答品として、鍛冶師らしく、剣を。
「初めまして。“オールエンドの大英雄”リーリェ・ヒプロメロォス」
その伝説は、たった一人の少女が地下迷宮を発見するところから始まった。
どこにでもいるような娘だったらしい。
よく笑い、よく動き、よく生きる。そういう人間だったらしい。
だがその娘は、如何なる手段を用いたか、僅か2年で一つの地下迷宮を完全攻略してみせる。
人類史に燦然と残る伝説的偉業を成した娘は、次の攻略迷宮を“絢爛の地下迷宮”と定めた。
「まさか伝説そのものが現れるとはね」
瞬きの直後だった。
机を挟んで向かい合う場所に、少女の姿はなかった。
「……言われるほどの事を成したつもりはないんです」
長すぎた黒髪は太い三つ編みにされ、右肩から前へ流されている。その内幾つかの房が金色に染められていた。独特の出で立ちを鎧う顔立ちはサワグタリとは似ても似つかないが――これ以上ないほどに眩く、美しかった。
背丈も少し伸びているか。真っすぐな背筋はハサキより少しだけ低い程度。
「ただ、私になら出来る気がした。だから出来た」
整形などする必要もないのだろう。仲介人の態度がそうだった。
この女は、見せたい相手に、見せたい姿を、見せられる。――『オブジェクト』の力か、はたまた。
「初めまして、ハサキ・ノバク=
ずっとあなたに会いたかったんです」
女――リーリェは、満天の星々を想起させる煌めきを持った青の瞳で、先ほどから変わらない微笑みを浮かべている。