器仗神殺の剣   作:てりのとりやき

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そして君は死ぬ / 私を殺したあなたに囁くたった一つの言葉

 チェシャ・バイストィアが死んだ。

 死因は大量出血、または臓器破裂によるショック。直接的な原因は、つい今しがた腹部を貫通した鞘入りの直剣──器仗神殺の剣(ゼームレス)

 膝を着いたまま首を垂れ、背中に突き刺さる剣を抜くことすらできないで、まだ二十歳にもなっていない少女は呼吸を止め、瞳から生彩を失っていた。

 

「……」

 

 目の前にある死体を見て、自分が成した殺人を客観的に認識して、『オールエンドの大英雄』リーリェ・ヒプロメロォスは首をぐるりと回す。

 さて。

 

「荒療治が過ぎましたかね?」

 

 リーリェは過去に『十二分割された真理』の一つを獲得している。それは断片的な未来そのものだ。

 時系列上で言う、何年先の話なのかは分からない。ひょっとすると数万年後かもしれないし、明日訪れる光景なのかもしれない。断片でしかないのだから、そこに至る過程をリーリェでは知る由もない。

 だが“未来”では、全ての迷宮は破壊され虐殺され、たった一人の少女が立ち尽くしていた。

 全迷宮全層完全破壊……鏖殺者。

 『デッドセットの鏖殺者』チェシャ・バイストィア=絶宇(フォーマルハウト)

 目の前にある、殺してしまったばかりの温い死体は、確かに“未来”において極限そのものだった。

 

「見間違い? チェシャちゃんに似たそっくりさんが鏖殺を成す……? だとすると、私の見当違いだったということになるんですかね」

 

 リーリェは荒涼とした惑星に独り、首を傾げ、その角度のまま空を見上げた。

 遠い、遠い異星の地。迷宮最奥の惑星――薄い大気の先には無限の星々が輝き続ける。輝きの中に隠れているが、じっと目を凝らせば、確実に移動している物体が確認できる。

 小惑星規模の宇宙生物。

 それがここ、“絢爛の地下迷宮”最終層の迷宮守護者(ゲートキーパー)だ。

 

(あんな程度、いつでも……)

 

 既に女は、宇宙空間であろうと活動可能な肉体を得ていた。

 そして光速の99%まで加速可能な脚力も。

 チェシャに気を遣わなければ“絢爛の地下迷宮”攻略に5年も掛ける必要はなく、何なら一週間程度で全層攻略を終えていただろう。

 それだけ、リーリェにとってチェシャ・バイストィアは特別な存在だった。訳も分からないまま迷宮に飛び込んで経過した二千年。その果てに垣間見た究極存在(デッドセット)への想いは、恋慕にも似て信仰の光となった。

 初めてチェシャ・バイストィアと出会ったとき、運命の美しさにどれだけ歓喜したことだろう。その興奮をどれほど抑え込んだかなんて、きっと誰にも分からない。

 だというのに、こんなに呆気なく死んでしまうなんて。

 

「死人が蘇る奇跡は、さすがのハサキ様でも成し得ないでしょうね」

 

 リーリェの中にある“未来”は絶対だ。根拠もなく確信できるだけの『真理』だと女は認識している。

 だから、ここで死ぬような存在はそもそも鏖殺者ではないのだろう。

 チェ(・・)シャ(・・)バイ(・・)スト(・・)ィア(・・)は違(・・)った(・・)。きっとどこかに、いずれ鏖殺を成す少女がいるに違いない。

 であれば、こんな迷宮には価値もない。

 探さなければ。

 

「ごめんなさい。勝手に期待して、勝手に失望して」

 

 中々鏖殺者として目覚めないチェシャに痺れを切らしたのもある。いっそのこと強引に目覚めさせる必要があるのではないか――いや、それが自分の役目なのではないか……と。だが、まさか本当に死ぬとは思っていなかった。リーリェが『未来』で見た塵殺者そのものであるのなら、大英雄の殺意など易々と跳ねのけられたはずだ。

 

「なんにせよ、酷いことをしてしまいました」

 

 リーリェは浅い笑みと共に、死体の少女に突き刺さる剣を引き抜こうと歩み寄る。

 女は目の前の少女を見ていながら、はっきりとその死体を認識しているわけではなかった。「ねえ」。さっさと迷宮守護者を殺すべきなのか、それとも一旦地上に戻るべきなのか、戻ったらハサキ様になんて言えばいいんだろうか……なんてことを考えてばかりいた。

 

「ねえ」

 

 だから、自分以外の誰かが喋っていることに気付くのが、あまりにも遅れてしまった。

 

「ねえ」

 

 リーリェは、立ち止まる。

 薄く伸ばした笑みを凍り付かせて、目の前の、完全に停止した死人を今度こそ“視”た。

 

「ハサキは」

 

 脈拍──無し。

 出血量──致死量超過。

 

「ハサキはどうして」

 

 臓器──多数破裂。

 脊髄──致命的損傷が複数。

 

「どうしてなのかしら」

 

 俯く少女の腕が、軋みを上げていた。潤滑油を失った歯車のように震え、蠢き──両の十指は剣の柄を掴む。

 自身の腹部を貫通する、器仗神殺の剣を。

 カチ(・・)リと(・・)鯉口(・・)を切(・・)る音(・・)がした(・・・)

 

「どうして?」

 

 そして。もはや震えすら忘れたリーリェ・ヒプロメロォスの目前で。

 誰一人として引き抜くことを許されなかった迷宮武装が。

 ゼームレスが。

 引き、抜かれ──。

 

 

 

 

「ハサキはどうして私を殺したんだろう」

 

 

 

 

 それに、刀身はなかった。

 鞘から抜け出た剣に刃はなく。

 その、のっぺりとした質感は剣が発するものではない。リーリェは目を瞠りながら思わず呟いていた。

 

「二重の鞘……?」

 

 継ぎ目もなく、正確無比に鞘の上から更に鞘で覆うことで誰しもの目を欺いた、悪戯?

 まるで意味のない行いだった。ただ剣の重量が増すだけで、何の目的があってそんなことをするのか。

 理解できない現象を塗り潰す奇特な存在を前に、リーリェの思考は幾らか冷静さを取り戻す。

 そしてふと考えた。

 この、意味もない二重の鞘の、その意味を。

 強いて言うならば、鞘を鞘で違和感なく覆い隠せるだけの鍛冶師の技量の高さを誇るためのもの。

 ……鍛冶師の、技量。

 

『剣自身が、完成と共に自身の刃を殻で覆ったんだ』

 

 悪ふざけをするような(ひと)ではなかった。少なくともリーリェが知る天才的鍛冶師は。

 だけど、とも思う。

 彼女がチェシャ・バイストィアを見つめる眼差しは母親じみた優しさを湛えていて、しかし姉が妹に向けるような悪戯っ子の光も帯びていたのだと。決してリーリェが立ち入ることのできない世界が、二人にはあったのだ。

 

『抜き身の姿を誰にも見せたくないとでも言わんばかりにね。そのままじゃあんまりにも不格好だからちょっと見た(・・)目を(・・)整え(・・)たけど(・・・)

 

 リーリェの背中に氷のような冷え冷えとした汗が伝った。

 例えば。

 例えば、この剣が……二重の鞘まで含めた剣全体が、たった一人の少女のために作られた武器だとしたら。

 器仗にして神殺。

 神話を壊す兵装。

 器仗神殺の剣──ゼームレス。

 

『私の中に神がいた。ずっと……ずっと、殺したいと願い続けた絶対の神が』

 

 神を殺すための武器。

 誰が(・・)、神を殺そうとしているのか。

 

『きっと私では殺せないって分かってしまった。無様だ。なのに、未だに求めてるよ』

 

 “神”。

 きっと誰もが、ソレを幻想上の存在だと考える。もしくは宗教か、神話か、伝説か。

 だがあの女は違った。

 いつも、常に、現実に存在する神を見据えていた。

 

 

 

 ハサキ・ノバクにとっての神は、今、誰だったか。

 

 

 

 信仰だけではなかった。

 憎悪だけでもなかった。

 抗う意思を、祈りを、救いの希求を、何もかもを剣に込めたのかもしれなかった。

 いずれにせよリーリェは、チェシャ・バイストィアを蘇らせるに至った女の狂気を口にすることしか出来ない。

 

「4本目の、スレイヴイレス────」

 

 少女の腹部に突き刺さる、鞘状をしたスレイヴイレスが、その形を失って溶解した。

 飛び散ることもなくチェシャ・バイストィアの巨大な貫通傷へと侵入していく液状の物体。するすると、まるで元から存在したかのように傷口を埋めると、少女の肌色と同じ色素に変化してしまう。──完全な同化を果たしたということ。

 

「なんでハサキは、いっつも私にサプライズをするのかな……」

 

 少女が顔を上げる。リーリェはつい、見た。

 困惑と張り裂けそうな苦しみと、裏打ちされた熱情をもって、チェシャは泣いていた。

 その手に、未だ鞘に収まり続ける直剣を握りしめて。

 

「ハサキ、様。──ハサキ・ノバク……!!」

 

 リーリェは確信する。

 ハサキ・ノバク=槌典は狂い壊れている……!

 そして、“未来”には狂いも壊れもなかった──!

 

「やはりそうでしたか! あなたが運命の渦中にあって、しかし元凶だった! あなたの、非生命的な絶対精度が! あなたがいたから迷宮神話は終わるのですね!?」

 

 どこまでハサキが見越していたのかなんて誰にも想像できない。

 神を殺したいと宣うほど、誰よりもハサキ自身の手で少女の柔らかな腹に突き刺したかったはずだ。だが、結果として女はスレイヴイレスで神殺しの剣を覆うことにした。

 

『追い求めた力をこの剣ならば叶えてくれる気がする。だから託す』

 

 そし(・・)てリ(・・)ーリ(・・)ェに(・・)託し(・・)たのだ(・・・)

 

「本当にすごい! こんなにも噛み合う歯車を私は見たことがありません!」

 

 リーリェの内にあった恐怖は一瞬で反転し、狂喜に変わった。頬の紅潮を隠そうともしないで大きく口を開ける女は、幾重もの偶然と個人の意思が折り重なって生まれた現実にその身を震わせる。

 これだ。

 これが運命だ。絶対の未来に到達する、圧倒的な意思の力――!

 

「あなたが作った! あなたが、神殺しを成すだけの兵装を、存在を!!」

 

 今ここに、鏖殺者が覚醒する。

 全迷宮の死が始まろうとしていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ──頭が、痛い、な。

 徹夜明けに睡眠薬を盛られた後の目覚めのような不快さが、全身にこびりついて離れない。

 チェシャは、目の前の女を見ていなかった。

 少女の視界は蘇生と共に潤んだまま戻らず、歪んだ視界が収まることがなかったのだ。

 代わりに思い出す言葉が無数にあった。

 

『必ず帰ってきて。帰ってきてくれるように、私が打つから』

『私が作る』

『君が欲しいものを、今の私ならなんでも作れるから』

 

 そ、っか。

 そう。

 そうだった。

 ハサキはいつも、いつも言っていた。

 

『チェシャ。君は、なんにでもなれるんだ』

 

 女の、うつくしい響きを持った声が好きだった。

 槌で金属を打つような澄み切った音。心に染み入るとはきっとああいう音色だ。

 美しい、劇毒……。

 ハサキの心にどれだけの狂いが生じていて、どんな思想が、今ここにある現実を呼び寄せたのか。チェシャには想像もできなかった。分からなかった。

 

「──ですがこう問わずにはいられない! ああ、ここにハサキ様がいればいいのに!」

 

 チェシャは、怖い。ハサキが恐ろしくてたまらない。彼女の優しさに充ちた眼差しの、その奥に潜む暗がりは、きっと誰にも深さの分からない底なし沼だ。──自分は今、そんな沼に首まで浸かり切っている。

 

「器仗神殺の剣────チェシャ・バイストィアに何をした!?」

 

 この先に何があるのだろう。

 ハサキが分け与えた不死性が何をもたらす。

 握りしめた鞘入りの剣は応えてくれるのか。

 眼前、哄笑と共に戦闘態勢を取る『オールエンドの大英雄』に、果たして打ち勝つことが出来るだろうか。

 人ひとりの心すら読み取れない人間に、分かることなどありはしない。……だとしても、とチェシャは言葉には出さずに呟いた。

 

『君の母親にはなれないけれど、君を世界で一番大事に出来る隣人になら、なれるよ』

 

 生きる理由にさえなりうる力は、神殺しでも神創りでもなかった。

 簡単な言葉ひとつに拠って立つ事が出来る。そういう生き方でいい。

 どこまでいっても愛していることに変わりはないから。

 ……迷う必要も、ないか。

 ここにあるのはハサキ・ノバクという女の全生を賭して形作った“情”だ。

 抜けないはずがない。

 

「見てて、ハサキ」

 

 『オブジェクト』チェシャ・バイストィアは、凪いだ表情をした。

 そして剣を水平に構え。

 

「ゼームレス」

 

 ゆっくりと、鞘からその剣を引き抜く。

 

 

 ◇

 

 

 鈍い色をした、一振りで折れそうな剣だった。

 薄くて、細くて。

 人を殺すことすら苦労しそうな脆さの塊。

 だが、強いて特徴的な部分を挙げるとすれば、その剣身両面にはとある言葉が刻まれている。

 

 

 my Saint,my Shade,my Element,my Lifetime.

 My death is with your End, Even if it's an empty honor for "Zeta".

 

 

 ────あなたを殺す(S S E L)、我が身よ誉れ( M E E Z)

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