器仗神殺の剣   作:てりのとりやき

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そこに坂があり、不変の落下はいつも待っている

 

 ハサキ・ノバク=槌典(スレイヴイレス)は天才的な迷宮鍛冶師である。

 迷宮産物質……『オブジェクト』を元に強力無比な武装を、特異な存在を生み出すことにかけては恐らく世界に唯一の才能だった。

 不老不死を許す剣。

 時限的な自己増殖を繰り返すインゴット。

 推定質量が惑星同等の槌に、無重力空間を生成する盃。

 超望遠距離を映す手鏡。

 刃こぼれという現象を絶対に起こさない刃物──これは決して切れ味の落ちない包丁として大いに売れた。

 それら《スレイヴイレスシリーズ》に名を連ねる伝説級(レジェンダリー)迷宮武装(オブジェクト)は、彼女の日常から生まれる。

 ──ある日の事。

 ハサキは工房の床に広げられた資材の数々に目を向けていた。隣に並ぶ男へぽつりと告げる。

 

「相変わらずいい腕してる」

 

 32層産天然ダマスカス鉱石。

 89層階層守護植物“永年桜”の梢。

 98層限定生物“龍”の鱗。

 50層を構築する自己増殖建築存在“時計塔”の心臓部鉄骨体。

 52層産常温マグマ流体。

 どれも貴重な物資ばかりだった。資金が必要なのは勿論のこと、決死の覚悟で地下迷宮へ潜る探索者が居なければこれだけの『オブジェクト』を地上へ持ち帰ることなど叶わない。

 技量やセンス以上に探索者に求められるのは、迷宮深層へ踏み入れる一歩目の勇気だ。それはハサキが持ち得ないものでもある。

 

「どういたしまして」

 

 男は気楽な様子でそう言った。彼はハサキの売買仲介人だ。ハサキが要求する資材を揃え、またハサキの武器を買い取り、売り手に卸す。今日は先日ハサキが作り上げた『大物殺しの武器』を引き取りに来、またハサキが頼んでいた資材を持ってきていた。工房の床一面に広げられた資材がそれだ。

 

「費用は」

「いつものように、請求はあちらさんへ」

 

 茶化すように男が口笛を吹く。

 ハサキが言っているのはつまり、要求した資材の請求額一切をハサキ自身は支払わないということだ。その請求先をもちろん男は知っている。――この迷宮街を領土とする『王国』だ。

 

「気前のいい上客を捕まえたもんだな、ハサキ」

 

 ハサキが鍛冶に必要とする資材のありとあらゆるものが、その費用を王国で負担していた。ハサキが国と優先的な売買契約を結ぶにあたって提示した条件の一つだった。

 

「まあ金払いのいい客に不満なんてないが。奴さんから苦情をちらほら聞くぞ」

「苦情?」

「武具制作に要求される資材の数が多すぎるってよ」

「……そういう契約のはずだけどな。私が作った武具をどう扱おうと国の自由。劣化模造(デチューン)した大量生産品で戦争を起こすのも自由だし、迷宮攻略に心血を注ぐのもいい。私は私が作った武装類がどうなろうと興味ない」

 

 芸術品のような出来の迷宮武具ばかり作るハサキだが、何も国は酔狂で支援しているわけでもない。

 彼女の作る武器はより大量生産・より低コストで製造可能な武具の基礎となり、大国の軍事力へと転換される。酔狂な芸術品を愛でるのでなく、実利のためにハサキの腕は必要とされている。

 

「それに製法(レシピ)まで譲ってる。文句なんて言われたくないね」

「そのレシピが、お前以外に実践可能な代物ならそこまで言われんだろ」

 

 人体が持つ各関節可動域をそれぞれ12万分割した分解能上で、寸分違わず適切な位置と速度と力量で対象物へインパクトを与える精確性。

 炉心温度を0.1度単位で完全維持し続ける集中力。

 扱いを僅かでも間違えればありとあらゆる災厄を招くオブジェクトへの深い知見。

 何よりも要求される迷宮鍛冶としてのセンス。

 それらを24時間ぶっ通しで維持できるだけの胆力を持った人間は、それこそ砂漠に埋もれた一粒の宝石ほどに限られていた。

 

「魔法を使ってるわけじゃない。すべては迷宮産物質の相互作用だ。誰にでも出来る事をやってる」

 

 少なくとも自分には出来た。

 自分にできることが他人に出来ないはずがないのだ。ハサキはそう確信している。

 なんてことのない会話のはずだというのに、仲介人の男はそれきり黙ってしまった。何か、考え事でもしているみたいな無言。

 ハサキが納品書にサインをしていると、唐突に言われた。

 

「なあ、弟子を取る気はないか」

「……」

「……なんだその顔」

 

 そんな変な顔してるかな。

 

「いや。ついこの間も、同じことを言われたなと」

 

 よっぽど珍しい表情をしているらしい――男との付き合いは長い――仲介人は腑に落ちない様子で、しかし流暢に続けた。

 

「その気になったらいつでも言ってくれ。俺の商会に在籍してる鍛冶師は全員腕利きだし、ハサキ・ノバクの弟子になれると聞けば喜んで首を縦に振る。お前が望むなら最高の設備を揃えた工房も用意できる」

「いつか、その気になったらね」

 

 へっ、と男が呆れた様子で口端を器用に片側だけ吊り上げた。

 どうせ弟子なんて取る気ないだろ、とその瞳が喋っている。あえて無視してサイン入りの領収書を突き出すと、男はそれを受け取り帰り支度を始めようとした。

 と。その時。

 

「――ハサキ様ぁー! おゆはん、出来ましたよー!」

 

 別室から、間の抜けた大きな声。次いで工房の裏手にある扉を開ける音。

 少女が一人、いた。腰を越えて伸びた黒髪。柔らかく笑んだ頬。ニコニコとごきげんな様子を見せる瞳。ハサキより五つは確実に低い外見。そして着慣れた様子のエプロンはハサキの持ち物だ。

 ハサキと男の視線が黒髪の少女へと集中する。あっ、と口元に手を当てた少女は小ぶりの肩をしゅんと縮め、恥じらうように俯いた。

 

「お客様がいらっしゃったのですね……」

「もう商談終わったよ」

「そうなんですか! それはよかったです」

 

 男との堅苦しい雰囲気も、彼女の笑顔が吹き飛ばす。だがそれは高圧的なものによってではなく、春に吹く風のような柔らかさでだ。

 

「……じゃ、これで」

 

 どこか呆然とした表情で、男が気のない言葉を浮かべた。工房から出ていく足取りもなんだか浮ついている。その背中を見つめて、ハサキは肩を竦めた。独り言のつもりで呟く。

 

「言っとくが、弟子じゃないよ」

「そりゃ見たらわかるさ」

 

 ――?

 男の言葉には何故か奇妙な響きがあった。

 まるで、そう、『そんなの当たり前だろ』と言わんばかりの。

 去り際、男が振り向き少女の顔をまじまじと見つめる。何かに納得していない顔。

 

「いや、しかしねえ……」

「あら。何かございますか?」

 

 男の憮然とした表情を真正面から受け止めて、少女は完璧な微笑みを浮かべた。世間知らずな少女がするにしてはやけに背筋に来る(・・)ものがある振る舞い。ハサキは二人のやり取りに目を細める。

 

「……伝説ってのは凄いなと」

 

 男は呟いて、そのままハサキの工房を後にする。

 なんだったんだ。

 今の。

 

「いつもはあんな、酔っ払いみたいな歩き方する奴じゃないんだけどな」

 

 まあ確かに、こんなに長い黒髪をした少女はなかなか珍しいものだ。

 商いで食っていく者は仕入れる情報量が他とは違うと聞く。男は、容姿の特徴だけで少女が何者かわかったのかもしれない。

 

「長いお付き合いのあるお方なんですか?」

「ん。まあ、私のバイヤーかな。一々大勢と売買するのは面倒だから、あの男に一括して引き受けてもらってる」

 

 そしてだからこそ、この少女がハサキ・ノバクの工房に居ることがよっぽど意外だったのだろう。

 ――『ここ』、地下迷宮の上に成り立つ街。迷宮街。その当代領主三女は偽名を用いて市井に混じり、遊んでばかりいるという。

 

「で、サワグタリ。今日の夕飯は何?」

「私特製! 白身魚のトマト煮込みです!」

 

 領主の娘が使う偽名を、サワグタリ、と呼ぶ。

 

 ◇

 

 ハサキ・ノバクと言えば、迷宮街では名の知れた鍛冶師だった。先代から継いだ工房に居を構え、迷宮産物質を錬成して特異な武具を数多く作る。その功績が国に認められ“槌典”という称号まで下賜された。若干26歳にして十分な栄誉と立場を得た女は、現在ちょっとした悩みごとを抱えている。

 

「む。うまい」

「でしょう? でしょう! 会心の出来ですよ」

 

 魚をオリーブオイルとトマトで煮込んだ料理。簡単そうに見えるが、複雑な味わいを導き出すのに何が必要なのだろう。香草? スパイス? 調味料? なんにせよ、ハサキには作れない料理だ。鍛冶師として天才だが、家事の才能はなかった。

 サワグタリ――領主の娘とは家事も叩き込まれるのだろうか。

 これが貴族って奴のなせる技なのかもしれない。

 

「サワグタリ」

 

 しかしそれはともかくだ。

 

「はいっ。なんでしょうか、ハサキ様! おかわりですか!」

「いつまでこの家に居座るの」

「ふぐぅっ」

 

 サワグタリは変な声を出した。

 痛いところを突かれた! みたいな顔で下唇を噛み締める少女に、尚もハサキは胡乱気な視線をつくる。

 

「金はあるんだ、どっか別の宿でも取ればいいだろ」

 

 少女と初めて出会った一週間前を思い出す。唐突に表れて、唐突に弟子入りを願い出た彼女は、袋いっぱいの金銭を差し出した。曰く、『授業料です』と言って。その袋の中に詰まっている金貨一枚で十数日分の宿泊費に相当するものだった。

 地下迷宮の領主ともなると税金でかなり儲けられるらしい。定職に就いているわけでもない少女がそんな大金を持てるくらいに。

 

「いえ、そういうわけにはいきません」

 

 いくら断っても頑として聞かなかった。相手をするのも面倒なので、ハサキは諸々の条件を付けて住み込みを許していた。

 しかし、金はある。というかそもそも領主の娘なのだから宿など取る必要もないし、ハサキの家に住み着く必要はもっとない。

 

「私はハサキ様の下で鍛治の技を学びたいのです!」

 

 出た。

 またこれだ。

 

「聞けばハサキ様はこれまで一度も弟子を取ったことがないとか。いかがでしょう、料理が得意な弟子というのは!」

 

 ハサキはため息を吐いた。

 ――この娘が工房に転がり込んで来たのが一週間前になる。上等な服で煤と火の粉まみれの場所にやってきた少女は、裾が黒く汚れるのも気にしないで満面の笑みで同じことを言った。

 領主の末娘は今年で18歳になると聞いたことがある。

 

「そもそもなんで迷宮鍛冶なんかを学ぶの。危険だし、勧められない仕事だ」

「それはそのう……内緒です」

 

 こうして理由を問うてもすぐサワグタリははぐらかす。だから余計にサワグタリを弟子にする気など湧かないと言うのに。

 若さゆえの興味心で?

 それとも、金持ちの道楽か。

 どうにも鍛冶に魅入られてしまったらしい――なんて考えるのは、自惚れが過ぎる。

 サワグタリの注いだ茶をゆっくりと飲みながら、ハサキは色素の抜けた眉をひそめる。

 

「これからも弟子をとる気はないよ」

「むう。何か特別な理由がおありで?」

「人にものを教えられるタチじゃない。……まあ、家事手伝いとしてなら雇いたいくらいだけど」

 

 実際、サワグタリを追い出さないのもそういう理由だった。集中しだすと何日でも徹夜で作業に没頭するので、彼女のような家事手伝いが居てくれるとありがたいのは確かなのだから。ちゃんと、『家事手伝い』として給金も払っている。領主の娘からしたらままごと程度の金かもしれないが。

 

「とにかく。教える気はないし、飽きたらいつでも出てってくれていい」

「ハサキ様頑固ですね……まあ前途多難ですけど、諦めませんので!」

 

 どっちが頑固なのやら。

 ハサキは夕食を早々に平らげて、また仕事場へと戻った。

 

 

 ◇

 

 

 ハサキが居を構える工房は、一階部分が鍛冶師としての作業場、二階部分が幾つかの部屋に分けられた生活空間になっている。地下室もあるが、そちらは鍛冶で使う材料倉庫だ。

 食後、ハサキが取り掛かったのは剣の研ぎ直しだった。『オブジェクト』で作られた武具は、誤った処理を施すと異常現象を引き起こすものが多い。複雑怪奇な反応を見せる迷宮武器のメンテナンスは、作った本人に任せるのが間違いがない。

 そういうわけで、ハサキはかつて自分が作った剣を研ぎ直す。

 89層に根ざす万年桜の梢を燃料にした、シンプルな長剣。しかし万年桜の樹木は夜間、薄く青色に光り輝く。そしてどういうわけか、当の万年桜を燃料に精製された物質も同じように光り輝く性質を持つ。

 ただ『オブジェクト』を燃焼材に使うだけ。それだけでシンプルな長剣は夜間の発光現象を得、尋常でない耐久性を誇るようになる。何故か? ――ハサキは理屈を把握していない。ただ、そうなるということは知っている。

 

「……」

 

 黙々と刃こぼれを直していく。

 単純な作業だ。ただ、迷宮武器の適切な対処法がわかるからと任されているに過ぎない仕事。淡々とした処理ではどうしても集中力に欠け、否応なしに背後の視線に意識が向かう。

 顔も向けずに言った。

 

「見てて楽しい?」

「!」

 

 わちゃわちゃと慌てるような足音。今度こそ振り向くと、二階へ繋がる階段の陰から、こっそりこちらを伺うサワグタリが居た。

 

「そんなこそこそ見てないで、近くに来たら」

「い、いいんですか?」

「火も扱ってないし。別にいいよ」

 

 ではお言葉に甘えて……。

 サワグタリがそわそわ落ち着かない様子で隣に来る。手近なところにあった椅子を引っ張ってくると、行儀よく膝をつき合わせて座った。

 背筋が真っすぐだ。育ちの良さが滲み出ているとハサキはなんとなく思った。

 サワグタリの視線はハサキの浅黒い手が生む動きに集中している。淀みなく一定の間隔で砥石に当てられる剣を。

 

「そんなに面白い?」

「ええ。とっても」

「変なの……」

「あの、お喋りとかしても大丈夫ですか?」

「いいよ。こんなの体が勝手に動く」

 

 砥石が擦れていく音に混じる少女の息遣い。いくら研ぎ直しと言えど、自分とは違う生き物が仕事中すぐ側にいるのが、ハサキには不思議な経験だった。

 

「ハサキ様はどうして鍛冶屋をしているんですか? それも、迷宮鍛冶なんて特殊なものを」

「いきなりだね」

「でも、どうしても聞きたくて」

「……迷宮に潜って、生死を賭けて金銀財宝を得て……なんてこと、私には無理だから。かな」

 

 知り合いの少女は13歳だというのに地下迷宮へ潜ることを決めた。それも、探索者という迷宮開拓を生業とする冒険家の道を。

 生死を隣り合わせにする世界とはどのようなものだろう。ハサキは想像しようとして、何もイメージが湧かない自分に呆れてしまう。とことん想像力に乏しい。

 

「ハサキ様なら、迷宮に潜っても平気そうですけど」

 

 そう言うサワグタリの視線はハサキの上半身に向かっている。

 槌を振るうためにハサキの両肩は筋肉を鎧い、やがて迷宮物質の影響で常人の数倍の膂力を出せるまでに変質した。同い年の女より角ばった体つきなのもそれが理由だ。きっと人ひとり殴り殺すのは容易いだろうが、ハサキにはそんな勇気がない。

 これまで誰かを殺したことはないし、これからもきっとそうだろう。

 そういう生き方しか出来ない自分をハサキは端的に言い表せる。

 

「苦手なんだ、血生臭いのは」

 

 砥石から剣を持ち上げ、窓から差し込む月光にあてる。長剣は、月光を受けてほの暗い青色で輝きを帯びた。

 刃こぼれはなくなった。この剣でならば鋼鉄すら柔らかく切断するだろう。

 ふうと息を吐いて剣を置くと、それまで黙りこんでいたサワグタリが唐突に言った。

 

「そんなことないです」

 

 そして、丁度空いた片手を女が両手で掴む。

 ――いきなりなんだ。

 じろりとサワグタリをつい睨んで、彼女が浮かべる表情にその気勢もたじろいだ。

 随分と真摯な瞳をしている。

 

「すごく尊敬できるお仕事です」

「……どうも」

 

 突然包まれた片手から広がる熱。温いな、と感じた。ハサキがこれまで対峙してきたどんな苛烈な炎よりも、故郷でとにかく暖を取ろうとなんでもかんでも燃やした時よりも、温いが……不思議と暖かい。

 他人との距離感が異様に近いくせに、なぜかその事を不快に思わせないのが、サワグタリの不思議なところだった。

 

「なので、あのあの、そのう……」

 

 手を包まれ、困惑から二の句を告げないでいること数秒。サワグタリがもじもじしている。

 

「私を、弟子にしてくださいっ」

「やだ」

「がびーん!」

 

 サワグタリが本日二度目の変顔をした。

 

「変な声がよく出るね」

「それはハサキ様のせいです……」

 

 ぷうと頬を膨らませたサワグタリは年齢よりも幼く見えたが、これも人を油断させるための演技なのだろうか。

 まあどちらでもいい。

 弟子を取る気はない。金持ちの道楽を相手にするつもりはもっと無い。

 ……手を握りしめられた時、一瞬だけ『もしかしたら本気で鍛冶師に?』と思ってしまったけれど。それは単に、サワグタリが人たらしなだけだろう。

 そして自分が孤独に脆いだけだ。

 

「さあ寝るよ」

「はあい」

 

 二階へ繋がる階段へ足を掛けたサワグタリを、ハサキは見送る。いつもなら立ち止らず、サワグタリ用に片付けた物置へ向かうはずの彼女は、何故か長い黒髪を揺らして立ち止った。

 振り返る。

 こちらを見下ろす黒い瞳はうつくしく輝いている。

 

「ハサキ様、いっつも地下で寝てるんですね」

「まあ、ね」

「地下に行ったことないんですけど、ハサキ様の私室って二階にありますよね?」

「確かに」

 

 じゃあなんで? 純粋な疑問が視線に乗る。

 ハサキは階下から彼女を見上げ――ふいに目を逸らした。

 

「鍛冶で使う素材の倉庫になっててね。それらに囲まれながらだと落ち着くんだ。ただ、それだけ」

 

 淡々と並べた言葉に間違いはない。

 嘘を言ったつもりはなかった。

 

「なんだか面白そうなところに聞こえます……」

「入っちゃだめだからね。触ると皮膚が焼け爛れるような劇物も置いてある」

 

 そして、その言葉も、単なる事実の陳列だった。

 

 

 ◇

 

 

 翌日。早朝。

 ハサキは抱えた両膝に埋まる顔を、重々しく上げる。

 

「……」

 

 全身が強張っている。当然だ、そもそも眠っていないのだし、体を休められる布団もこの地下室にはない。

 視界中央に位置する置物を見つめてから、ハサキは立ち上がって、地下から上がる。

 一階に上がり、水冷用の湧き水で顔を洗う。地下水脈から汲み取る水だから、鍛冶用にも生活用水にもなる。師匠から継いだ工房だが、いいところに建てたな……とハサキは毎朝感心してしまう。

 ぼんやりとした眠気が冷水で引き締められると、ハサキは仕事の準備に取り掛かる。

 長年の炉熱にやられた結果、硬く、外跳ねの強い毛質になった自前の銀髪を雑に後ろで一つに結う。72層の竜種が持つ強靭な翼膜を加工した鍛冶用の耐熱エプロンを身に纏い、工房の一面に座す炉へと火を入れだす。

 

「さて」

 

 鍛冶師として大成しているハサキに舞い込む依頼は数多く、そのスケジュールは年単位で埋まっている。“大物殺しの剣”の次は、オーソドックスに硬く長時間の運用に耐える直剣。重量をメインに叩き潰す剣を所望らしい。ならば質量比で重い『オブジェクト』を用いるべきだろう。こういう時は32層産の天然ダマスカス鉱石が役に立つ。そして熱するのに最適な温度まで至れるのが、65層にのみ自生する人食い蓮の茎だ。

 

「ここからが面倒なんだ……」

 

 炉への火入れは迷宮鍛冶において最も重要な要素となる。

 迷宮物質は特定温度によって変質するものが多く、逆に一定の温度で異常反応を起こすものもあるからだ。迷宮街へ来たばかりの鍛冶師によって、通常の鉱石と間違えて炉に投じた迷宮産鉱石が爆発し、街の一角が吹き飛んだ事故だって過去に起きている。

 

「……」

 

 温度を『観る』感覚だとハサキは捉えていた。

 耐熱温度計を基準に、細かな温度調整は輻射熱を受け取る皮膚感覚と経験で。

 数十分、ハサキは炉の前に座り込んで岩のように動かなかった。瞬きは両手の指で数えられる程しかしていない。時折可燃物を放り込んでは、炉内に(ふいご)で空気を送り込む。鞴を押し込む動きは常に一定の精度を持っていたし、そのタイミングすらも秒以下の精確性によって決められていた。

 およそ、人に出来る動作ではなかった。

 

「こんなもんか」

 

 そうしてようやく炉の温度を狙ったところで安定させられてようやく、ハサキは微動だにしなかった口元を動かした。浅く息を吐き、炉から立ち上がる。湧き水をコップに注ぎ、一息に。冷涼な水が喉を通る感触に、今更ながら全身汗まみれだったことに気付く。

 ついでに、工房の端に突っ立ってこちらを見つめ続ける少女の姿にも。

 

「……じろじろ見たってなんも出ないよ」

 

 熱で渇いたせいで、砂利でも敷き詰めたように不快な声音。水を飲んだところで治るものでもない。

 相手は当然ながら、朝食を載せたトレーを両手に持って、いつ声を掛けようかと悩んでいるサワグタリだ。自身のざらついた声にハサキが顔をしかめると、サワグタリは叱られた子供のように首根っこを縮める。変に勘違いさせてしまったかもしれない。

 

「ば、ばれてましたか」

「熱烈な視線だったから。……朝食、ありがとう」

「あの、食べられそうですか?」

「その辺に置いといて。落ち着いたら勝手に食べるから……って、なに? そのキラキラした目」

「今のハサキ様の言葉、プロって感じがして」

 

 なんだそれ。

 変なの。

 

「……好きに見てたらいい」

「あのあの、手伝えることとかってありますか?」

「ない」

 

 即答に、サワグタリがしゅんとした。

 けれど素人が迂闊に手を出していい領分でもないのは事実だ。ハサキはそれ以降、一度もサワグタリに声を掛けることも目線を向けることもなく、作業に集中した。金属を打ち直す規則的な音は昼まで止まることなく延々と続いた。

 少女が用意した朝食は炉熱で渇き、干からびてしまったが、それがハサキの昼食となった。

 

「そういえばハサキ様」

 

 昼時、ハサキが硬くなったパンをもそもそと食べていると、工房内を掃除していた少女は唐突に言った。一週間の同棲生活でハサキに話しかけていいタイミングを掴んでいるらしかった。

 

「ハサキ様はいつから鍛冶師を始めたんですか?」

「この街に来て、乞食をやってた時に師匠に拾われて、だから……10歳の頃からかな。16年前」

 

 ハサキは迷宮街の生まれではない。離れたところにある村で生まれ、訳あって幼いころにこの街へやって来た。

 全て幸運がもたらしたものだとハサキは思っている。

 乞食をしていた凍え死ぬような冬のある日、炉の熱に誘われるようにしてこの工房に潜り込んだのも。そうして潜り込んだ先で老人が槌を振るう後ろ姿をぼうっと見つめていたのも。気付けば老人と共に暮らし、下働きとして食わせてもらっていたのも。いつの間にか老人の跡を継いで迷宮鍛冶師になっていたのも。

 全て、川の流れのようなものだろう。

 

「……迷宮鍛冶ってのはさ」

 

 思い出す。

 自分もかつてはサワグタリと同じように鍛冶師の背中を見つめていたことを。

 

「普通の鍛冶とは違うんだ」

 

 仕事もひと段落ついたハサキは、パンの最後の一かけらを喉に押し込むと、棚に置いてある写真立てを手に取る。それをサワグタリに手渡した。

 写真には二人の人物が映っている。初老の、顔から頑固さが滲み出たような老人。そして黒髪黒目の、背も低ければ目つきも陰鬱な少女。

 

「これは……ハサキ様、ですか?」

「14歳の頃のね。師匠が写真家ってのと知り合いで。撮ってもらった」

「あれ。でも、肌の色も、髪も、眼も……」

 

 サワグタリの視線が26歳のハサキと、写真の中にいる14歳のハサキとの間を行ったり来たりする。その、言外にある疑問も痛いくらいにわかる。

 当時のハサキは髪も瞳も黒かった。

 肌は病的に白かった。

 

貴眼鉱(アンモラサイト)

「?」

「43層からしか採掘されない伝説級(レジェンダリ)物質(ーオブジェクト)で、そういう名前の鉱石がある」

 

 黄金の虹彩で、ハサキは滔々と『オブジェクト』を語っていく。

 

「こいつを1500度以上の温度で熱した後、強い衝撃を加えると光を発する。網膜に焼き付いたその光は一生消えない。そういうわけで、私の眼はいつからか黒色だったのが金色になった。

 ――他にもある。例えば奪墨(うばずみ)。迷宮12層の船ほど巨大な海洋生物が出す墨なんだけど、こいつを浴びると色素が変質して一生戻らない。黒い髪は白く、白い肌は黒く。これは迷宮産物質の性質を変性させるのに多用される。昔、徹夜明けにぶっ倒れて奪墨(うばずみ)の入った樽に頭から倒れ込んだことがあってね。……この手の、錬成や鍛冶の際に通常じゃあり得ない現象を引き起こすものが、迷宮産の物には数多くある」

 

 いつからこんな見た目になったのか、ハサキは正確に覚えていない。気づけば両親から受け継いだ形質は全て失われていた。撫でれば柔らかだった黒髪は母親譲りで、故郷の村でも一番美しかったはずだ。それが母の自慢だったのだから。きめ細かな白い肌も、黒曜石のように輝く瞳も、娘の全てが、きっと。

 

「こうやって迷宮に深く関われば関わるほど、少しずつ……当たり前の理から外れていく。自分が親から継いだものが変性していく」

 

 自分が自分でなくなる感覚はうまく言葉にできそうにない。

 言い切って、ハサキはサワグタリを見た。

 一瞬、眉をひそめるハサキ。

 

「それでもやる?」

 

 ――何を聴いても答えは決まってるって顔。

 領主の娘には似つかわしくない。

 少女の顔に乗る輝きはどちらかというと探索者のそれだ。

 

「……サワグタリは、弟子になるつもりなんかないでしょ」

 

 溜息と共に、ハサキはそう真意を問うた。

 それはハサキがずっと感じていた疑問だった。

 

「う、嘘じゃないですよ?」

「目が泳いでる」

 

 そもそもの前提として、領主の娘が鍛冶を学びたいという話がおかしいのだ。そして一週間以上、実家に戻らず鍛冶師の工房に住み込むなど、いくら遊び惚けている末娘の行いと言えど領主が許すとも思えない。

 ちぐはぐな行いをそろそろ問い詰めるべきだった。なにせ、サワグタリはどこか真意を掴ませようとしない、宙に舞う羽毛のような気質がある。

 

「んー……弟子になりたいのは、本当なんですけど」

 

 少女はあごに手を当て、困ったと言わんばかりに眉根を詰める。

 そして、唐突に。

 

「“絢爛の地下迷宮”攻略も早五世紀。最前線は99層にまで到達しました」

 

 少女の雰囲気が変わる。

 表情が変わる。声音が変わる。

 いつものどこかふざけた様子は失せ、立ち居振る舞いは一瞬で洗練された。

 埃と余熱と迷宮産物質に包まれた工房内にあって、少女の存在全てが異質なものに見えた。

 

「99層総領域は半径22億キロメートル――私達が住む恒星圏内の約半分と言われています。これは憶測ですが、最終百層は系内宙域クラスの広大さがあることでしょう」

 

 星より広き超巨大地下迷宮。

 到底人ひとりの歩みでは迷宮攻略は成されない。――そんな常識を打ち破る英雄は常に存在する。

 

「王国は“最果ての地下迷宮”全層単独踏破者(オールエンド)――大英雄リーリェ・ヒプロメロォスに招聘を掛け、かの大英雄もまたこれに応じました。街は、『オールエンドの大英雄』来訪に際して式典を執り行う所存です」

 

 煤汚れのついた裾を優雅に摘み、背を曲げる仕草。衣服や環境や汚れなど関係ない優雅さ。

 丁寧な礼と共に、サワグタリは本当の目的を告げた。

 

「王より“槌典(スレイヴイレス)”の名を下賜されたハサキ・ノバク様。

 あなたに、勇者へ捧げる儀仗剣を打っていただきたく」

 

 

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