器仗神殺の剣   作:てりのとりやき

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そこに坂があり、私は剣に貫かれ死んでいる

 

 儀仗の剣を打てとサワグタリは言った。

 ギジョウノツルギ。

 

 儀仗(ギジョー)? 

 って何?

 

 チェシャならわかるかな。

 あの子は賢い。

 私に学はない。

 

 ランプを灯し、辞書を引いてみる。

 意味。……『儀式に用いる武器』『対義語に器仗』。

 

 兵器でない兵器。

 なにも殺せない兵装。

 ただ人のためにある形。

 美しく、けれど潰れた刃。

 まるでそう。スレイヴイレスのように。

 ――まだ諳んじてお前を言える。

 

 重量42㎏。

 刃渡り83㎝。

 1032億5986万47層の積層純粋フラクタル構造体。

 剣に刃はなく。

 ただの一人も傷つけることのないお前。

 

 人はお前をたくさんの名前で呼ぶ。

 《スレイヴイレスシリーズ》第一作。

 ハサキ・ノバクの名をたった一日で伝説にした異常。

 究極の『オブジェクト』加工品。

 人智の到達点。

 人類悲願その形。

 決して何ものも殺すことのできない欠陥品。

 構造的永久機構。

 奴隷の仮病(スレイブ・イレス)

 殺意の形質(スレイ・ヴィレス)

 遊びの回文(スレイ・ヴ・イレス)

 私がお前にあげた名前はたった一つだけだった。

 スレイヴイレス。

 

 儀仗の剣。

 殺すための武器が殺し以外を求められること。

 では、何のために生まれたの。

 スレイヴイレスが誰をも殺せないようにしたのは誰。

 あの時、私は何を考えていたんだろう。

 

「あの時のこと、お前はどう思う」

 

 神は決して答えない。

 私は今日も殺せない。

 二人して笑うだけ。

 

 眠れないまま夜が更ける。

 私は私の神をただ眺める。

 

 

 ◇

 

 

 早朝。

 セミロングの髪がたなびく。盛況な街中を勢いよく駆けていく少女が一人。

 少女の名をチェシャ・バイストィアと呼ぶ。

 つい二週間前、探索者として地下迷宮へ初めて潜ったばかりの13歳。二週間分の商隊護衛で稼いだ報酬と、バックパックにぎっちり詰まった旅具を揺らしながら少女は一直線に走っていく。

 目指す先はただ一つ。

 ここ、迷宮街で最も有名な迷宮鍛冶師――ハサキ・ノバク=槌典(スレイヴイレス)の工房。

『CLOSE』の看板が投げかけられた扉を前に、チェシャは走りっぱなしで騒ぎ続ける心臓を落ち着けるため、深呼吸を一度、二度。そうしてから手鏡で乱れた髪を素早く直すと、笑顔の練習を一回。

 よし完璧。

 いつものチェシャ・バイストィアをハサキに見せられる。元気な姿を見せれば褒めてくれるに違いないから。

 合鍵を使って工房の扉を開けた。

 

「たっだいまー! ハサキ、私とっても頑張ったのよ!」

 

 工房内はしんと静まり返っている。ただただ、チェシャが胸を張って上げた声だけが空しく響いていた。

 あれ、とチェシャは眉をひそめる。おかしい。この時間であれば、ハサキは既に起きて炉に火入れをしているはずだ。それが物音ひとつしないなんて。

 

「ハサキ……?」

 

 カウンターへと近寄る。その奥をぐいと首を巡らせて覗き見るが、やはり工房には人気がない。

 音もなく。

 ここには誰もいない。

 ただ一人、チェシャは独りぼっちな自分に気づいて、途端に背負っているバックパックの重みが嫌に増した気がした。

 心臓が縮こまるみたいに痛む。

 

「ハサキ。ハサキ!」

 

 溺れかけの魚みたいに女の名を呼んだ。

 生まれた頃から当たり前に居た存在が、居てほしい場所から、消えていること。13歳の少女にはあまりに心細い現実で。

 

「ハサキ。いないの……?」

 

 その時だった。

 階段を下りてくる足音。チェシャは目を瞠り、思わず両手で口を覆った。

 おかしい(・・・・)

 ハサキはいつも地下室で眠るのだ。二階から降りてくる足音など、明らかな別人のそれ。

 まさか……という嫌な想像がチェシャの脳内を巡った。

 盗人とか。それに、ハサキが襲われたとか……!

 悪い想像と共に心臓の音は嫌に強く胸を叩く。チェシャは物音ひとつ立てられないまま、やがて階段を下りる足音は止まり。

 

 

 

 

「あふぁ」

 

 

 

 

 髪の長い少女がいた。腰を越えて伸びる艶やかな黒髪。窓から差し込む朝日が髪の一本一本を宝石のように輝かせる。

 綺麗な少女。

 ――でも、誰?

 そもそも何故ここにいる。

 少女は物音ひとつ鳴らさないチェシャに気づく様子もなく、階段を降り切ると、何故かキョロキョロと周囲を見渡す。――奇跡的に、チェシャの動体視力は少女に勘付かれる前にカウンターの奥へ身を隠すことを可能にした。

 恐る恐る少女を覗き見る。

 少女は工房内に誰もいないことを確認すると(本当は自分がいるのだが)、その(・・)まま(・・)地下(・・)室へ(・・)向か(・・)おう(・・)とした(・・・)

 具体的には地下室へ続く階段へ足を向けている。

 

「あ」

 

 思わずチェシャは声を出してしまっていた。

 少女の動きがぴったり止まる。そして振り返った。

 一瞬だけ垣間見えた怪訝そうな表情――しかしチェシャの存在に気づくと、途端に慈愛に富んだ柔らかな微笑みに代わる。

 ……なにあれ。

 別人みたい。

 

「あら? お客さんにしては随分早いですね」

「……」

 

 隠れることが無駄だと悟ったチェシャは、カウンターから出る。そして改めて少女の全身を眺めた。いや、眺めるなどという生易しい表現では足りない。チェシャは少女を『観察』した。

 歳は自分より幾つか上か。けれど成人ではないだろう。

 寝起きの町娘のような、麻布のチェニック一枚。簡素な格好は盗人には見えない。

 怪しい人物ではない……とは思う。

 だが、少女は地下室へ入ろうとした。

 地下室へ入ることはハサキによって固く禁じられている。チェシャはハサキに構ってもらいたい時、よく地下室へ向かう振りをして相手をしてもらったことがあった。けれど本気で地下室へ入ろうとしたことはなかった。ハサキが危険だと言うなら、きっとその通りだから。

 だけど少女は違った。

 今、間違いなく、一階に誰もいないことを確認していた。つまり地下室へ入ることを咎める者がいないことを調べていたのだ。

 ――なんなの。この女。

 

「だ、誰、あんた」

「サワグタリと申します」

 

 両手を前で合わせ、控えめな会釈をする少女――サワグタリ。

 サワグタリ?

 それって確か、領主の末娘が使う偽名のはずだ。じゃあまさか、この少女が? 

 

「……へんな名前」

「えへへ」

 

 少なくともチェシャに害を与えようとする様子はない。チェシャは心臓の音を鎮めるように一度目を瞑ってから、落ち着き払って尋ねる。

 

「あんた、なんで地下室行こうとしたの」

「あの、質問に質問を返すようで申し訳ないのですが、どうしてこの工房に入れたのでしょうか? ハサキ様のお知り合い、ですか?」

 

 少女の言い分は最もだった。相手からしたら自分も十分に怪しいのかもしれない。

 私は……と口を開きかけるその時。

 もう一つの足音をチェシャは拾った。音源は地下室から。間違いない――。

 

「ん。チェシャ」

「ハサキ!」

 

 地下室から続く階段を上ってきたのは、チェシャの期待通り、この工房の主であるハサキ・ノバク本人だった。

 見間違うことのない金色の光彩、鈍い銀色の髪、日焼けとも違う浅黒い肌、角ばった肩。チェシャの大事な隣人。分厚い本(辞書だろうか)を片手に持つ彼女は、チェシャの姿をその黄金の瞳に認めると、ずんずんと少女へと近寄った。

 そして膝を着いて目線の高さをチェシャと合わせると、

 

「元気だった? 怪我はない? 少し髪が伸びたね。髪、切ろうか。それとも伸ばしてみたい?」

「ん、んがががー!」

 

 大きく指の細い両手で頬を包んできたり、体の異変を探るために全身をぽんぽんと軽く叩かれたり、頭を撫でられたり、髪の毛先をそっと触れられてこそばゆかったり、――瞬きをする暇もないくらい色々してきた。色々されすぎてチェシャは嬉しいやら恥ずかしいやら顔を真っ赤にして吠えてしまう。

 

「ハサキ!」

「ん?」

「私は元気! 怪我もないし仕事もばっちりこなしてきた! お金ももらったし今日は祝杯よあと髪ちょっと伸びたわでもせっかくだから伸ばす! ハサキがセットして!」

 

 コクコク頷くハサキは、なんだか親鳥の餌を待つ雛鳥みたいに従順だ。――そうそう、この工房はいつもこうだった。二週間ぶりで久しく忘れていた雰囲気が肌になじんでいく。こうして過保護なくらい心配されて、ビシバシ返していくのが自分たちの間柄だった。いつものハサキにチェシャはようやく普段通りの調子を取り戻せた。

 ビシリとチェシャは少女……サワグタリを指差す。

 

「それでなんなのこの女! なんでハサキの家にいるの!?」

「んー」

 

 ハサキは面倒臭そうに瞳を閉じると、ヤギみたいに呻きだす。若干口下手なところがある女はしばらく唸っていたが。

 

「……なんか、転がり込んできた、女の子。かな」

 

 さっぱり分からない言葉を捻り出した。

 そんなハサキの出す情報を補足するように、それまで黙っていたサワグタリがぐっと握り拳を両手で作る。

 

「ハサキさんの弟子になりたいんです! めざせ世界でいちばんの鍛冶師!」

「弟子を取る気はないっていつも言ってるだろ」

「何度断られようと諦める私ではありませんよー! めざせハサキさんの弟子!」

「家事手伝いとしてなら雇うんだけどな……」

「あ、そうだハサキさん。丁度朝ごはんのために起こそうとしているんでした。今日は何を食べたいですか?」

「仕事するから適当でいいよ。あと勝手に地下室に入らないでね」

「じゃあ適当に作っちゃいますね!」

 

 …………なにこれ?

 チェシャの体が自然と震えた。

 自分が地下迷宮に潜って二週間だ。確かに、二週間は長い。決して短くはない。けれどハサキにとっての二週間は常日頃の毎日となんら変わらないはずだった。せいぜい、仲介人が資材を持ってきたり、武具を預かりに来たついでに茶を飲んでいったり、それくらい。

 ハサキ・ノバク=槌典はびっくりするくらい人間関係が希薄な女。

 なのに、なぜ、このサワグタリという少女――女は、ハサキとそんなに仲睦まじくしているのだろう。

 なにこれ?

 

「わかったわ」

 

 チェシャは静かに、頷いた。潜ませた感情は鋭利な刃にも似て場の空気に刺し込まれる。

 ハサキとサワグタリがこちらを見つめる。

 金の瞳、黒の瞳。背丈はこの中だとハサキが一番高くて、チェシャが一番低い。歳の差は自分よりサワグタリの方が少ない。悔しいけどサワグタリは結構な美人だ。

 負けてはならない戦いをチェシャは予感した。

 

「つまりあんた、私の敵ね」

「敵?」

「敵?」

「敵よ敵この泥棒猫! 人のハサキに手を出してんじゃないわよ!」

 

 二人の間に体を割り込むチェシャ。あらあらと何だか微笑ましそうに口元に手など当てているサワグタリの態度が余計にチェシャの感情を高ぶらせる。むがー!と眦を吊り上げて威嚇の声を上げると、こらこらと頭の上に手が置かれる。

 硬い手のひらだ。高温に耐えるために、そして槌を強く握り締めるために硬くなった皮膚。ハサキの、きっと一番ハサキらしい部分。そのごわごわとした感触がチェシャは好きだった。

 これをされると弱くなる自分が情けない。

 まるで、というか文字通り首を掴まれた猫みたいだ。

 

「おかえり。チェシャ」

「……ん! ただいま、ハサキ」

 

 色々と言いたいことはあるが、挨拶は大事にせねばならない。

 自分にとってこの工房は、もう一つの帰ってくるべき家なのだから。

 

 

 ◇

 

 

 夕食。今日の献立は海老のスープ、小麦のパン、揚げた鶏肉。淡白なメニューだったがサワグタリは調味料やスパイスにこだわるタチらしい。一口食べれば驚くほど深い味わいが鼻まで突き抜ける。相変わらず、美味い。

 そしてハサキは久方ぶりに騒がしい食事の時間を過ごしていた。

 

「なるほど! チェシャちゃんはハサキ様のお隣さんなのですね!」

「もう13年来の付き合いよ!」

 

 その原因は、チェシャが地下迷宮から帰還したことが一番の原因だ。

 理由はよくわからないが、チェシャはサワグタリに張り合おうとしているらしい。サワグタリもチェシャが隣家の娘でありハサキ・ノバクと旧来の付き合いと分かってすっかり緊張を解いている。夕食も食べ終える頃になっても、二人は元気だった。

 

「この子の御両親は迷宮研究を生業にしてるんだ。あまり家に居ないものだから、物心ついた頃から工房(ここ)で世話してる」

「ちっちっち。私がハサキの世話をしてるのよ?」

 

 ふふんと胸を張ってスープ用のスプーンをちらちら揺らすチェシャ。その口端には野菜の欠片がくっついている。

「おませさんになりたいお年頃なのですね」と言いたげな、微笑ましいものを見る顔のサワグタリが自身の頬を指差しながらナプキンを差し出すと、チェシャは顔を赤くして口を拭う。

 

「ほんとよ? 本当なんだから! ハサキは私がいないと全然だめなの! 炉の前で爆睡してるハサキを風呂場まで引きずってお風呂に入れてるのはいつも私の役目なんだからね!」

「あら。私も工房で熟睡中のハサキ様を介抱したりしたことありますよ」

「ぬぬぬ……!」

 

 チェシャが悔しそうな顔をしている。ハサキはもそもそパンを齧る。

 

「……あんたが領主の娘だかなんだか知らないけどね、ここじゃ私の方が上よ、上」

「上」

 

 サワグタリのオウム返し。ハサキはのそのそパンをちぎる。

 

「そう、私の方がえらいのよ」

 

 とにかくチェシャは自身の立場を明確にしたいらしい。

 何がそうまでさせるのやら。

 ハサキにはさっぱり分からないが、チェシャがいつも通りなのでそれで良しとした。

 この子が健やかでいつも笑顔でいるならそれが一番だ。

 

「見なさい私はリンゴの皮だって剥ける!」

 

 ハサキを残してすっかり食事を平らげたチェシャは、何やら唐突に食後のデザートに手を掛けだした。サワグタリがこまめに買い足している果物を手に取ると、旅具の中から一振りの短剣を取り出す。さくさくと皮を剥き出した少女の手さばきは器用なものだ。これにはサワグタリも、おおー、と素直に感心して柏手を打っていた。

 ハサキがようやくパンを呑み込み終え、チェシャの手元に目線を移す。怪我をしそうな様子はないが、ふと気付いた。

 

「あれ。それって《スレイヴイレスシリーズ》のナイフ? 前返された奴とは別ものか」

 

 それまで得意げな顔で鼻息を荒くしていたチェシャの表情が、途端に固まった。しまったという言葉が表情に現れている。

 少女がリンゴを剥くのに使っていたのはありふれた短剣だった。ありふれた、誰でも製造可能な《スレイヴイレスシリーズ》の一種。頑丈で、刃こぼれも少なく、切れ味も良い短剣。チェシャが迷宮へ潜る前にハサキが贈り、返された短剣と同一品。しかし作りは粗雑で、明らかに市販品だった。

 

「あ。えと、その。これは」

 

 自分が打ったものとは別のものをわざわざ買ったのか。

 なんでまた、そんなことを。

 

「ち、違うわハサキ」

 

 チェシャの顔からあっという間に血の気が引いていく。おろおろと両手を振るチェシャは恐れの潜む瞳で上目にこちらを見やる。

 

「別にハサキの打ったナイフがいらなかったとかそういうことじゃなくて」

 

 どうやら、失礼なことをしたと思っているらしかった。

 まったく気にしていないのだが、こうやって慌てふためくチェシャが落ち着くには時間がかかることをハサキは知っている。きょとんとしているサワグタリに目配せをして変に首を突っ込まないよう釘を刺し、チェシャに対し静かに頷く。少女の言葉をちゃんと待つという意思表示。じっと少女の大ぶりの瞳を見つめれば、そうして視線が重なっていれば、チェシャが素直に自分の考えを口に出せることもハサキは知っている。

 

「これはその……初仕事の報酬で買ったものなの」

「ああ。商隊護衛の」

「そう。ご、ごめんなさい。ハサキがわざわざ打ってくれた短剣を突き返しといて、同じものを別から買うなんて、すごく失礼よね。でも……初めて自分のがんばりをお金にして、買ったものだから」

 

 自分の力で欲しいものを買いたかったの、とチェシャは俯きながらそう呟く。消え入りそうな声。

 そういう、自分の気持ちをシンプルに大事にできるところがハサキは好きだった。擦り切れた大人にはないものをチェシャは持っている。無論、怒るべき理由も悲しむ箇所もない。ハサキにとってはただ喜ばしい。

 

「そっか。チェシャはえらいね」

「……褒めてもリンゴ剥くくらいしかできないんだから」

「それでいいよ」

 

 隣の椅子に座る少女はもう、ハサキが知る2週間前までの少女ではないのだと改めて実感させられる。

 誰もがこうして過去の自分自身から変遷していくのだろう。時の移ろいが人を変えていく。何らかの決断がその足を前へと進めさせる。

 自分には出来ないこと。

 きっとチェシャが出来ること。

 

「なんだか借りてきた猫みたいに大人しくなりましたねー」

「うるさいな!」

 

 口を挟む機会を伺っていたのだろうサワグタリが、茶化すようなことを言うと、チェシャはまたいつもの調子に戻って眉を跳ね上げる。

 また再開した二人のやり取りを眺めつつ、ハサキはゆっくりと食事を終えた。素直に楽しいと思える時間も終われば、さてまた仕事を始めねば。

 

「さあハサキ! どうせこの後、またお仕事するんでしょう。皿洗いは任せなさい!」

「ん。いつもありがとう」

 

 椅子から立ち上がるとチェシャが皿を片付けだす。少女の厚意に甘えるお礼に、その小ぶりで形のいい頭をそっと撫でた。

 

「頭撫でんな!」

「昔は嬉しそうにしてたのに」

「何年前の話をしてるの! もう私は一人前のレディなのっ」

「チェシャの髪はさらさらしていて触り心地がいいんだけど、駄目なら控えるよ」

「……もー。ハサキ、人の頭を勝手に触るのは失礼なことなのよ。私以外にしたら駄目なんだから」

 

 遠回しに今後も触っていいとお許しが出たようだ。

 少女の頭を撫でてから、仕事を始めることにする。

 

 

 ◇

 

 

 基本的に、ハサキ・ノバク=槌典(スレイヴイレス)の仕事のルーチンは決まっている。

 夕食後は鋳造品の修繕依頼を片付けたり、そういった用件もなければ鍛冶道具の手入れをする時間と決めていた。無論、数十時間連続で作業をする日もあるのでこの限りではないが、夜に炉への火入れを行う事は少ない。

 

「なんだか、一気にこの工房が明るくなった気がします」

 

 そういうわけで、ハサキは普段使う槌の握り皮を巻きなおしていた。

 隣には椅子に腰かけて微笑むサワグタリがいる。どうもこの少女は、炉を使っている時以外ならばハサキ・ノバクが相手をしてくれることをこの二週間で把握したらしい。夕食後にこうしてしばらく一緒に居る時間は増えていた。

 

「あの子がいるからね」

 

 ハサキは短く返す。いくら会話を出来ると言っても、道具のメンテナンスとて重要な仕事だった。手入れを怠った道具が製錬中に破損し、中途半端な状態にされた『オブジェクト』が異変を起こす……なんて事件も度々起きる。徹底した管理は迷宮鍛冶師の必須条件だとハサキは考えていた。

 

「そう、チェシャさん! 明るくておませさんで、とっても可愛らしい方です」

「だろ。チェシャはすごい子」

 

 かくいうチェシャは今、風呂掃除の真っ最中だ。この家に居る間、チェシャはハサキの身の回りの雑事を何でもこなそうとしてしまう。サワグタリもここへ来る前手伝おうとしたらしいが『これは私のしーごーとー!』と追い返されたらしい。家事手伝い失業ですかね、とサワグタリはしょんぼりしていた。

 

「あの子はなんでも自分で決めてしまえる。何を大事にすればいいか分かっていて、そのために自分が何をすればいいのかも理解してる」

「ハサキ様は、チェシャさんのことになると随分饒舌なんですね」

「赤ん坊のころから知ってるから」

 

 くすくすとサワグタリが笑う。二人の関係をくすぐったく思うような笑い声は、サワグタリを見た目以上に大人びて映した。

 ふと、ハサキは考えてしまう。

 自分とチェシャの関係性は他者から見ると微笑ましいものになるのだろうか、と。

 

「チェシャさんのことが大事なんだなあって、ハサキ様を見ていると感じます」

「大事というより、一緒に居るのが当たり前で。だから生活の一部なのかもしれない」

 

 元々、独り身だった迷宮鍛冶師の老人の元へ転がり込んだのがこの工房での生活の始まりだった。そうして隣家の夫婦からの依頼――台所用の刃物研ぎや鍋の修繕など――をこなす内に彼らと仲が深まり、二人の間に子供が……チェシャが生まれた後は、多忙で家を空ける事も多い両親に代わって気付けば世話まですることになっている。

 幼い頃のチェシャが自分を母親だと勘違いしていた時期が懐かしい。

 初めてチェシャが作った料理はオムライスだったが、黒焦げで苦かった(素直にそれを伝えると大泣きした)。ぐずった時は文字も読めないくせに絵本を見せてやったし、おかげで多少は文字が読めるようになった。

 

「あの子が探索者になるって言いだした時は本当に驚いたな」

 

 そうして月日は経ち、13年という歳月の中でハサキ・ノバクは“槌典(スレイヴイレス)”の名を得、チェシャは探索者の道を選択した。

 だが、迷宮深層を目指す探索者という在り方は、生業にするにしては危険すぎるのも現実だった。

 

「危険な目に遭うってずっと言ってたんだけど、最後まで聞いてくれなかった」

「……探索者の5年後生存率は45%を切ると言われていますね」

 

 さすがは地下迷宮を擁する街の領主一族、その末娘なだけはある。地下迷宮から『オブジェクト』を持ち帰り、かつ迷宮深層へと潜り続ける探索者はその分危険が付きまとう。迷宮にのみ生息する生物には事欠かない。明らかに物理法則を無視した存在だって。

 人間は地下迷宮においてあまりに矮小でか弱い生物の一つでしかない。ただし、自身の肉体にはないものを武器として手に持つことは出来たが。

 

「頑固で。言い出したら聞かなくて。悪事が許せなくて、小さくて」

 

 きっと探索者になんかならなくても、チェシャ・バイストィアは少女の望むものになれる。なのにあの子は探索者になると決めてしまった。そして13歳という若さ――ひいては幼さで、本当になってしまった。

 才能があるのかもしれない。向いているのかもしれない。

 ハサキはただ、少女を地下迷宮へ送り、帰還したら迎えることしか出来ない。

 

「私はとことん何も出来ないようになってるらしい」

「ならハサキ様が剣を打って差し上げればよいのではないでしょうか?」

「私の作る武器は、あの子に適さない」

 

 ハサキはそう断言した。サワグタリは疑問を表情の一片にすら浮かべなかった。――器用な少女だ。

 分かっている。

 ハサキ・ノバク=槌典(スレイヴイレス)は自他ともに認める天才的迷宮鍛冶師だ。

 13歳の少女であろうと深層攻略を可能にするほどの伝説級(レジェンダリー)迷宮武装(オブジェクト)を……いや、更にその上を行く世界に唯一と言ってしまえるほどの神話級(ゲネシス)迷宮武装(オブジェクト)でさえも生み出せる。

 それこそ神話に記された、一振りで星を割断し宇宙に穴を開けるような武器を。

 神話殺しの兵器。

 何ものをも殺し得る兵装。

 ハサキはきっとそれを作ることが出来る。理屈や理論ではなく、直感でそれが分かる。

 

「私みたいな人間は、本来武器なんて作るべきじゃない。ましてや、何の価値もない、儀礼用の武器なんてな」

 

 この仕事に誇りを持っているわけではなかった。

 高い評価を得てもハサキの心に浮かぶのはたった一つのイメージだけ。

 

 

 

『芋虫に爪楊枝を突き刺したらきっとこんな感じ』。

 

 

 

 あの時の。

 あの日の。

 二つの光景(・・・・・)がいつまでも心象にこびりついて離れない。

 達成感や充足感。他者から必要とされること。自身が打った武器が迷宮攻略の役に立ち、また探索者を無事地上へ帰還させられるという喜び――そういう情動が自分にはなかった。きっと他の迷宮鍛冶師が知れば激怒するような気持で仕事を続けている。

 そんな女が打つ剣が、真摯に真剣に探索者になることを決めたチェシャの手に馴染むとは到底思えない。

 

「そういうわけだ」

 

 何より、儀式に使うような華麗な剣など、自分に打てるとも思えない。

 

「悪いが、大英雄様向けの武器は作らない」

 

 他を当たってくれ。

 ハサキはサワグタリを一瞥もせずにそう言った。

 サワグタリは微笑を一度も崩さず、「そうですか」、とだけ言った。

 

「あとサワグタリを弟子にすることもない」

「ええっ!? それは困りますハサキ様! もうちょっとなんとかならないんですか!」

「ならない」

 

 騒がしい夜はまだ続くらしい。

 ハサキは淡々と作業をこなした。

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