器仗神殺の剣   作:てりのとりやき

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そこに坂があり、私のはらわたを私が垂れ流す

 

 ハサキが生まれ故郷について覚えているのは、牧草と牛や豚の糞尿のにおい。風にそよぐ密集した生物の気配があそこにはあった。

 娯楽と言えば、せいぜい村の端を流れる川で遊ぶくらいだった。

 毎日畑をいじり、家畜の世話をして、生きていく。

 生きることに懸命になっている世界。

 女はそんな、ありふれた村で生まれた。

 母親譲りのうつくしい黒髪と、宝石のような輝きをした黒の瞳に、雪よりも柔らかな白肌が評判の、よく笑う子供だった。

 

  

 

 ◇

 

 

 

 ハサキは笑う。歯を見せて笑う。銀髪と浅黒の肌を暗闇に溶かし、爛々と輝く黄金の瞳を携えて。

 ようやくこの時が来た。

 どうしようも回避できない運命が目の前にいる。だから嬉しい。だから笑う。

 

「ねえ」

 

 その一言に振り返える瞳は四つ。とび色の瞳をした少女に、長すぎる黒髪をした少女――チェシャとサワグタリでない誰か。

 二人の姿は、陽の届かない地下室ではぼんやりとしか見えない。

 入り口のすぐ側に置いてあるランタンに火を灯すと、途端、地下室は曖昧ながらもその全貌を明らかにした。

 部屋を区切るように並べられた棚。木箱に封をされた『オブジェクト』や、ガラス瓶の中に収められた『オブジェクト』、『オブジェクト』『オブジェクト』『オブジェクト』……。

 そんな地下室の、入り口の扉から真っすぐ向かい側の壁。

 そこには一つの――ひとつの、なんと呼べばいいのか、もうハサキにはわからない。とにかく壁際に『ソレ』があった。いや、居た。

 

「坂を転がり滑る石ころに、意思ってある?」

 

 薄い光源を片手に歩くハサキは、呆然とする二人へと歩み寄る。 

 

「昔さ。昔。私の故郷は盗賊に襲われて壊滅したんだ」

 

 あっけない終わり方だったな、と今でもよく思い出す。

 朝方。たくさんの馬が駆ける音がして、すぐに色んな人たちの悲鳴が上がった。あちこちから木の燃える臭いが弾けて、血相を変えた父親がまだ12歳だったハサキを叩き起こした。

 父と共に部屋を飛び出して、窓越しに見たのは、隣家で生まれたばかりの赤子が見知らぬ男によって燃え盛る家屋に投げ捨てられる瞬間だった。

 ここにいろ、と箪笥の奥にハサキを押し込んだ父親も、母の獣じみた絶叫を聞いてすぐに姿を消した。

 ハサキは一人でただ頭を抱えることしかできなかった。

 そうして全てが終わったのだ。

 

「全員死んだ。ほとんど燃えたよ。私だけがその村で生き残った。そんなのよくある話で、私が今こうしていることに意味はない」

 

 ただ『そこ』に坂があったんだ。

 私は丸い、とても丸い石だったんだ。

 それくらいの人生だった――それくらいどうでもよかったよ。

 

「独りになって、死ぬことを考えた」

 

 ハサキは足を止める。

 二人から数歩離れた位置。灯りを掲げれば、『ソレ』の姿も鮮明になる。

 檻に入れられ、時々うめき声をあげる『ソレ』の正体に、チェシャが声にならない悲鳴をこぼした。

 

「でもさ、腹が、減ったんだ。何もしなくても体は生きようとしていて――なんでだろうね、餓死なんて選べなかった」

 

 そして、近くにこの街があった。

 歩いた。

 街で乞食をした。

 何でも食べられた。だって、生きるために何で(・・)も喰(・・)った(・・)から(・・)

 尊厳なんてなかったから、何も困らなかった。

 ……だけど冬の寒さだけは体に堪えた。死ぬかもしれないとあの時本気で思った。だから炉の熱に惹かれて、鍛冶師の工房に居着いていた。

 

「いつの間にか……鍛治師の工房で下働きしてた。気付いたら老いた鍛冶師に弟子入りしていて、」

 

 瞳を、少女に。

 青ざめた顔をしている大事な隣人に。

 場違いな慈愛の笑みがこぼれ出た。

 

「隣の家の、女の子を世話してたっけ」

 

 それからの時間はすべてあっという間だった。

 それこそ坂道を下り続ける石ころのように、目まぐるしく景色は変わっていった。隣家の夫婦から託された赤子が四つん這いになって動き回って、歩けるようになって、毎日のように一緒に寝て――。 

 

「7年前、師匠が死んで、19歳の私は工房を継いだ。他に弟子も取っていなかったし、独り身だった師匠は遺言で遺産相続人に私を指名していたんだ。私は鍛治師として一人で食っていく必要があった」

 

 名が売れずに食い扶持もなく死んでも、それはそれでよかった。

 

「雑多に仕事をこなしていたら二十歳になった。お酒を飲んでみたくてなんとなく寄った酒場で、自慢げに自分が盗賊だったって騒いでる男の話を聞いたよ」

 

 そいつは、探索者になる前は盗賊だったらしい。なんでもここら一帯の街や村を荒らしまわっていたらしい。

 酒に酔ってて、自分の力にも酔っていた。 

 男の話は本当に……本当に、よく、聞こえた。

 

「私は独りで酒を飲んだ。独りで、その男が帰路に着くまで」

 

 初めて飲んだ酒の味を覚えていない。

 ずっと手が震えていたんだ。ずっと喉が震えていた。男に声を掛けられる気がして、ガチガチと歯が勝手に鳴っていた。

 たぶん思い出していたのだ。

 この迷宮街で生きるようになってから、忙しさの中で頭の奥にしまい込んだ光景を。

 

 

 

 『芋虫に爪楊枝を突き刺すときっとあんな感じ』。

 

 

 

 あの時(・・・)、箪笥の隙間から見えた光景が、下卑た盗賊たちの声が、母親の腹に突き刺さった剣が父親の怒り狂った咆哮が跳ね飛んだ首が燃えた村が死んだ家畜も友達も親も死肉に湧く蛆も全てが!!!! 

 

「路地裏で男を背後から襲った」

 

 何もかもがハサキの中で奇妙な力を生んだ。 

 だけど、26歳になったハサキでは分からないことがある。

 

「毎日鉄を叩いてるから、人を一発で昏倒させるのは簡単だった」

 

 どうして、20歳の自分は、殺さなかったんだろう。

 何故……目の前で気絶した男を、工房に連れ帰ったんだろう。

 

「工房には地下室があった。そこに放り込んだ。丁度あった檻の中に閉じ込めた」

 

 目を覚ました男は暴れた。地下室に居るとも知らず、扉の外へと助けを求めて声を張り上げた。

 醜い声に苛立ちが募って。

 だから。  

 

「喉を取った。騒がれたくなかった」

 

 ――だから『ソレ』の喉には大きな縫合痕がある。

 

「腕を取った。ずっと謝ってた」

 

 ――だから『ソレ』の両腕は根元から断ち切られている。

 

「足を取った。何も感じなかった」

 

 ――だから『ソレ』は身をよじることしか出来ない。

 

「けど、そこで困った」

 

 ハサキはずっと考える。

 きっとこれからも考える。『ソレ』を前にして、ずっと、きっと……これからも。

 

 

 

 あの日(・・・)、何をしたかったんだろう。

 

 

 

 そして答えをすぐに見つける。

 親の仇を殺す勇気すらないんだってことを。

 

「このままにしてたら、こいつ、死ぬなって」

 

 故郷を壊され。

 目の前で母親の腹を捌かれ。父を焼かれて。

 何もかも失って、それでも自殺を選べなかった。

 腹が空いたから何でも食べた。蛆が湧いていようが関係なかった。

 消極的に生き続け、運命とさえ呼べる復讐を果たせるはずだったとしても、出来なかった。

 ハサキ・ノバクには、どうしても、どうやっても、誰かを殺すことが出来なかった。 

 ――だか(・・)ら作(・・)った(・・)

 

 

 ◇

 

 

 

 

「スレイヴイレスは三本作った」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 手足を切り落とし喉を抉り。

 それでも殺せなかったから、その男に――『ソレ』に不老不死を叶える伝説級(レジェンダリー)迷宮武装(オブジェクト)を突き刺した。

 こうして、廃人が完成し。

 ハサキ・ノバクにとっての神は生まれた。

 

「芋虫に爪楊枝を刺したらきっとこんな感じだ」

 

 工房の暗い地下室の奥。

 檻の中に、手足をすべて根本から失い、胴体に剣を刺されたまま不気味に痙攣する、健康(・・)的な(・・)肌艶(・・)をし(・・)た男(・・)がいた。

 

「チェシャ」

 

 復讐を成し得る一歩手前で、仇を6年も監禁し続ける女が、静かに隣人の名を呼んだ。

 常軌を逸した闇の中、眩い金色の瞳を、全身を震わせながらもチェシャは見つめる。勇気を奮い立たせるようにして。

 

「これが、私の秘密。絶対に誰にも見せられなかった、大事なもの」

「……!」

 

 少女が気圧されたように押し黙る。瞬間生まれる無言の、隙間を縫うように声を上げるのはもう一人の侵入者。 

 

「……三本作ったと言いましたね」

 

 冷静な言葉。チェシャの隣に立ち、ただじっと檻の中の男を見つめるサワグタリ――そう名乗る女が、はっきりとハサキへと視線を向ける。

 

「ああ」

「ここに突き刺さる一本。国に献上されたもう一本。……では」

 

 ハサキが思うに、この女は、サワグタリの名を騙って何かを調べていたのだろう。

 点は無数にあった。それら全ては簡単に線になった。

 

「では、もう一本は、どこに?」

 

 女は探しているのだ。ハサキ・ノバク=槌典(スレイヴイレス)が秘匿している、伝説を。

 今更、『ソレ』を見つけられて逃げるつもりもない。

 だから見せることにした。

 地下室へ入る際、空いた片手に握り締めていた剣を鞘から引き抜く。 

 

「あ」

 

 チェシャが呆然と声を上げた。

 ハサキの手に握られていたのは、ありとあらゆるものを切断する毒剣。当然のように複製された『オブジェクト』で――。

 

「何もかもは坂道を転げ落ちる石だったから。きっとすべてに意味はない。いつもそう思う」

 

 その剣は、特殊な加工を施された鞘から引き抜く度に、カードリッジ化させた毒腺から分泌される溶解液を刃に纏う。

 迷宮65層の階層守護者バジリスクが放つ、人す(・・)ら瞬(・・)時に(・・)液状(・・)化さ(・・)せる(・・)ほど(・・)の溶(・・)解液(・・)を。 

 

「母の死。死んだ父。屠殺された羊。蛆の湧く肉。凍える骨……」

 

 ハサキは、いつも考えている。

 迷宮街の周囲にはたくさんの村があることを。

 盗賊なんて吐いて捨てるほど居る現実を。

 

「聞けなかったんだ。その男に」

 

 怖くて。真実を聞きたくなくて。

 喉を取ったのに。

 

「その男は……私の村を滅ぼした盗賊だったのかな」

 

 きっと。どうでもよかったから。

 死も生も意味はない。

 ハサキは。

 ハサキ・ノバクは、逆手に毒剣を構え。丁度鎖骨が切っ先に触れる位置まで腕を高く掲げると。

 

「ぁ、ぇ」

 

 チェシャの、振り切ってしまい感情のなくなった声。

 毒剣はだけど閃いて。

 引き裂く。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ハサ(・・)キは(・・)手を(・・)

 

 

 

『ぐちゅ』、

 

 『ぐちゅ』

         『り』、

『ずり』、

 

 『ず』……

 

 

 

 手で(・・)掴み(・・)

 

 

 

『ぶ』

 『ち』

 

  『ぃ』

 

 

 

 引き(・・)────抜いた(・・・)

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ところで、一定の価値を認められた迷宮産物質……『オブジェクト』には階級がある。

 常識から一歩離れた効力を持つ幻想級(ファンタズマ)

 およそ人知の及ばぬ伝説級(レジェンダリー)

 そして、宇宙創成すら叶えるだろう神話級(ゲネシス)

 ではこれら階級に、各『オブジェクト』はどのような基準で振り分けられるのか?

 

「『オブジェクト』は、扱い方さえ正しければどんなルールも覆す」

 

 実のところ明確な基準があるわけではない。

 ただ、誰もが直感で理解するのだ。その『オブジェクト』の効力を前にして、自然と。

 悟るように。

 抗う事を忘れるほどの異質さに。

 

「誰かが決めたわけじゃない」

 

 おびただしい量の血を口から吐き出し、骨ごと引き裂いた胸部から撒き散らし、何もかもを赤く染める女――その女の片手に、石ころがあった。

 いまだに脈動を続ける赤い、石のような心臓が。

 やがてハサキはなんてことないかのように、自身の心臓を床に放り捨てる。

 そうして胸部にぽっかりと空いた虚ろな穴と、真っ赤になった両手を見下ろすと。

 寂しそうな顔をして、自身の心臓を、踏み潰した。

 

「例えばそう……人体を素材とした迷宮武具だって作れるさ」

 

 幻想譚が伝説の中に紛れているなら。

 そして伝説が神話に内包されているのなら。

 神話が、伝説を生み出す母胎だったとしたら。

 つまりはそれこそ神話級。

 

スレ(・・)イヴ(・・)イレ(・・)スが(・・)剣で(・・)ある(・・)必要(・・)()どこに(・・・)もない(・・・)

 

 無数の伝説級迷宮武具を生み出し。

 迷宮攻略を成すだけの剣すら打ち、自身の存在をも変質させられる彼女は。

 ――後世において、その女はこう呼ばれている。

 

 

 

 

 

 《スレイヴイレスシリーズ》第零作。

 神話級迷宮存在(ゲネシスオブジェクト)ハサキ・ノバク=スレイヴイレス。

 

 

 

 

 

 女の形をした『オブジェクト』は、なめらかな黄金の瞳に虚無だけを映す。吹き荒ぶ空を見つめ、破壊し尽くされたあの日の村をただ生きた、少女の頃と同じ目つきで。

 

「なかったんだ。意味なんか。どこにも」

 

 骨も肉も脂肪も心臓も簡単に再生させた女が、柔らかい口調でそう呟いた。

 

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