アインクラッド第2層。その北東に位置する山岳地帯。主街区ウルバスと迷宮区のどちらとも距離のある、所謂、正規ルートから外れたフィールドで少女は死神のような大鎌を振るい続けていた。
暗い夜空を見上げれば、上層の底面が天蓋の様に覆いかぶさり、その表面に星空のような景色を映し出している。
基本的にアインクラッドのモンスターは夜行性のモノほど危険度が増す。第1層で、初めての強敵として立ち塞がるオオカミ系のモンスターも昼間に比べて夜間は、大規模な群れをつくる、凶暴な個体が現れるなど凶悪な性質を持つ場合が多い。
加えて、VRゲームの特性上、夜間は単純に視界が悪い。昼間なら気付くようなトラップでも暗がりの中では目に映らない、なんてことは往々にしてあることだ。
そんな危険な状況で戦闘するなど、よほどの実力者か、そうでなければ自殺志願者くらいだろう。
そして、残念なことに。
2重の意味で偽りの星々が見下ろす荒野の只中で今も戦い続ける少女は、そのどちらにも当てはまる存在だった。
────────彼女の名はミト。
かつて自らが犯した過ちに苛まれ、贖罪と死に場所を求めて彷徨う、仮想世界の亡者である。
「ハァ…ハァ…」
SAOの中でアバターが息を荒げているとき、現実の体はどうなっているのか。
普段と変わらず、眠るように静かな呼吸のままなのか。それとも現実の肉体も仮想のアバターと同じく激しく呼吸を繰り返しているのか。
そんな疑問を投げかけてきた親友のことが頭をよぎり、思わずミトは左手を胸の前で握りしめる。
今の自分には、幸せだった彼女との日々を追想する資格さえないのだと言い聞かせて、一際大きく息を吐く。
たったそれだけの間にミトは周りをモンスターの群れに取り囲まれていた。
日中の戦闘であればこうはならなかった。例え後悔と罪悪感に気を取られたとしても、自身の後ろに回り込むモンスターに気付かない筈がない。そもそも一度に10体ものモンスターを相手にする事自体、SAOではほぼありえないのだ。数少ない例外が、こうしてモンスターが活発化する状況で戦闘を行うこと。もしくは────
──────トラップに掛かりモンスターを呼び寄せてしまうこと。
「……ッ!!」
そう考えた瞬間、ミトは手にした大鎌を高速で回転させ、自分を取り囲むモンスターを細切れにする。
紫の光を帯びた切先が宙を走るたびに、血を模した赤いライトエフェクトが飛沫のように舞い踊る。
紅々と煌めく光の欠片の中心で凄惨なステップを踏む少女と切り刻まれるモンスターの姿は、まるで音楽の代わりに悲鳴が鳴り響く舞踏会のようだ。
「…………ね。しね。死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ!」
ゲームセンターで格闘ゲームに興じている時ですら言わないような粗暴な言葉を連呼する。それは、モンスターへ向けた怨嗟であり────────
「死んじゃえッッ!!」
──────ミト自身へと向けた憎悪の雄叫びでもあった。
戦闘中からポツポツと降り始めた雨は次第に強さを増し、ミトが一帯のモンスターを全て倒し終えた頃には、ミトの全身を濡らす大雨になっていた。
(また、死ねなかった………)
あれだけのモンスターに囲まれて、ここ数日武器の手入れすらしていないというのに、HP全損どころか武器破壊すら起こらないとは。自身の悪運の強さ、なにより『死にたい』などと言っておきながら自殺する勇気もなく、こうして無茶な戦闘にふけるしかない中途半端な自分に、腸が煮えくり返るような怒りがこみあげてくる。
怒りによって熱を持った体を打ち付ける雨粒が冷やしていく。それは次第にミトの怒りすら凍らせて、あとにはやり場のない罪悪感だけが残っている。
「だれか………私を──────」
────────殺して欲しい。
何も考えたくなくなって口から出そうになったその言葉はしかし。
「ダメですよ。そんな事を口にしちゃ」
鈴の音のような声に遮られた。
声のした方向に視線をやると、そこには一人の少女が立っている。ミト自身まだ15歳の少女と表現されるべき年齢だが、目の前の少女は明らかにミトより年下だ。SAOに掛けられた
そしてなにより、最前線に近いこの場所に現れるにしては、その出立はおかしいとしか言いようが無かった。
大雨に濡れる黒髪は腰の辺りまで伸びて風にたなびいている。
ほっそりとした肢体を包むのは真白なワンピース。それ以外には武器や防具の類はおろか、靴すら履いていない。
「貴女は………だれ?」
あまりの不審感に誰何するミトに少女は柔らかく微笑みかける。
「私の名前はユイです。ミトさん、貴女を助けに来ました」
「………余計なお世話よ」
小学生にしか見えない子供から『助けにきた』と言われて、流石のミトも少しだけプライドに障る。そもそもミトは助けなど求めたいないのだから、まさしくいらぬ世話というわけだ。
「いいえ。今の貴女には私の助けが必要です。このメンタルヘルスカウンセリングプログラムによるカウンセリングが。」
「メンタルヘルス……?」
「はい。SAOプレイヤーのメンタル状態をモニタリングし、問題のあるプレイヤーのカウンセリングも行うために作られたAI。それが私です。今のミトさんの精神状態は非常に危険と言わざるを得ません。本来は早急に精神科受診を行うべきですが、ここではそれもできないので私がやってきたというわけです」
「なにそれ。ほっといてよ」
少女の言っていることは分かる。今のミトの精神状態が問答無用で病院送り判定なのは納得だし、カウンセリングプログラムが派遣される(そんなものが用意されていることには驚いたが)のも当然だろう。
だが納得できるのと、それが必要かは別の問題だ。
「私は助けなんて要らない。必要ないんじゃなくて欲してないの。AIには分からないかもだけど。だからもう帰って」
「いいえ。それは嘘です。ミトさんは本当は死にたいなんて思ってないんじゃないですか?」
「ッッッッ!!!」
ビュンッ!風を切って振り抜かれたミトの鎌のユイの首筋に突きつけられる。
「私は死にたいの!アスナも裏切ってのうのうと生きてるなんてできるワケないでしょ!!」
「でも死ぬのが怖いからアインクラッド外縁がから飛び降りることもできず、モンスターとの戦闘で偶発的に命を落とそうとしている、ですよね?」
眉間に皺を刻んだ鬼のような形相からは今すぐここから消えてしまいたいという破滅願望と死ぬことが怖いと言う恐怖がないまぜになった悲痛さが見て取れる。
「でも、貴女の本心はそれだけではない筈です。貴女は今も心の片隅でもう一度アスナさんと一緒に在りたいと願っているのではありませんか?」
「うるさい」
もう聞いていられない。いきなり出てきてメンタルヘルスだのカウンセリングだの若の分からない事ばかり………!
ミトの心の傷、押し込めていた感情の全てをこの少女は暴きだす。それはミトにとって最も大事な場所を土足で踏み荒らされるのに等しい、この上ない屈辱だった。
「ミトさん。貴女は確かに一度アスナさんを裏切りました。けれど貴女方2人の絆はたった一度の過ちで崩れてしまうほど脆いものなのですか?」
「うるさいって、言ってるでしょ………!!」
「アスナさんが貴女のもとを離れたのは、彼女なりに自分の生き方を探そうとしているからです。このデスゲームにとらわれて、人生を奪われた彼女がそれでもなお前を向こうとしているのに、貴女はただ這い蹲って朽ち果てるのを待つつもりですか」
「その口を閉じろって言ってるのよッ!!」
「では貴女はどうなんですか。私にこれだけ言われて、黙れ以外にいう事はないのですか」
夜空をぎゅっと押し込めたような黒の瞳が真っ直ぐにミトの赤い瞳を見つめてくる。それはミトに対して虚言を赦さないという強い意志でもあり、ここまで煽られてまだ嘘をつき続けるのかという挑発のようでもあった。
「………たい」
ぐちゃぐちゃに書き乱された心のままにミトは声を絞り出す。
「………いたいわよ」
それは、決して認めまいとしていたミトの弱い部分。誰でもない自分自身に対して強がっていたミトが見せる本心。
認めるわけにはいかなかった。考えてはいけないと押し込め続けてきた。
ミトは許されないことをしたのだ。護ると誓った相手よりも自分の命を優先し、アスナを見捨てて逃げた自分には、”それ”を手にすることはおろか、思い描くことすら罪なのだと思って。
だからこれは、懺悔であり、告解だ。ミトの、兎沢深澄という少女の奥底にある唯一の願い。少女が切望して止まない、一つの
「………アスナと、一緒に居たい。2人で冒険して、笑い合って、悲しいことも辛いことも2人で乗り越えて。このゲームをクリアしたら『悪くなかったね』って言いながら病院のベッドで目覚めたい……ッ!だから────────────」
「────────私はアスナと、親友でいたい」
消え入るような声で吼えた後、膝から崩れ落ちたミトをユイは優しく抱きしめる。その小さな手で、ミトの髪────後頭部でまとめられた2つの三つ編みをゆっくりと撫でながら、そっと語り掛ける。
「やっと、本音を話してくれましたね」
「ごめんなさいミトさん。本当ならもっと時間をかけて貴女をケアする筈だったんですが、私に与えられた時間ではこうするしかありませんでした。貴女の傷を抉るような結果になってしまったことをお詫びします。」
「でも、もう大丈夫です。貴女はちゃんと自分の弱さと向き合える強いヒトなので。…………私が消えたらちゃんと立ってくださいね。そして、アスナさんとちゃんとお話してください」
そういうとユイは俯いて涙を流すミトの額に唇を触れ、彼女から離れた。
茫然と顔を上げたミトの視界には、雲の切れ間から覗く光に照らされてキラキラと輝く、金色の粒子だけが残されていた。