これはマヤノトップガンとトレーナーの切なくも愛おしい1年間の物語

1 / 1
マヤノトップガンに契約解除を告げてみた結果

 

「トレーナーちゃん……これ……」

 

 

「あぁ、俺とマヤはここでお別れだ」

 

 

君の絶望と困惑に満ちた表情を直視することが出来ない。

手渡した紙に書かれているのは、『契約解除』という4文字と俺のサイン。

それは強制的に別れを告げるもの、拒否という選択肢は残されていない。

 

 

「なんで!!マヤが悪いことしたから!?」

 

 

「ううん、でもダメなんだよ」

 

 

そう、彼女は何一つ悪くない。

俺は腰を下ろし、彼女と目線を合わせる。

その琥珀色の瞳の内側から、まるで今の感情を示すように涙がこぼれていた。

キラキラと煌めいていたあの頃の輝かしい色が今では俺のせいでこんなに濁っている。

 

でも、こうするしかないんだ。

 

 

「マヤ、今までありがとね」

 

 

最後に彼女の髪に優しく触れた。

それだけで楽しかった日々を思い出してしまう。

この傷一つない美しいオレンジ色の髪にもう触れることが出来ないと思うと、手が離れてくれない。

 

だけどそれもたった数秒の躊躇、俺は立ち上がり彼女に背を向ける。

それは明白で容赦のない拒絶の意志。

 

 

「待って……マヤのこと置いてかないで……」

 

 

袖に感じる弱々しい彼女の感触、脆くて今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに儚い。

それが俺の決意を邪魔してくる、冗談だと言って元に戻ることだってできると囁いてくる。

 

大切で、大好きなマヤを傷つけてまでこんなことをしなければダメなのか?

俺だって本当はマヤとずっと一緒にいたい。

 

 

「さよなら」

 

 

だけど出てくる言葉はそれだけ。

心の中の葛藤を押し殺して、一番さよならを伝えたくない相手にさよならを伝える。

 

だってそうしないときっと彼女は耐えられないから。

大切な彼女を守るためなら自分のことなんてどうでもいい。

 

行かないでと泣きじゃくる彼女の声を、奥歯を噛み締めながら無視する。

だんだんと遠のく彼女の声、これが最後になるのかと思うと涙を啜る音さえ愛おしい。

 

だけどそれももう聞こえなくなった。

廊下を進み、彼女から姿が見えなくなったことを確認して俺は腰を下ろした。

 

 

「マヤ、俺も泣いていいかな……」

 

 

子供のように体育座りになり、顔を俯ける。

だけど目の前に広がるのはガラスのような透明な水滴だけ。

もう周りを確認する余裕もない。

 

 

ただ溢れてくる悲しみを押し殺すように、嗚咽を漏らすことが今できる全てだった

 

 

~~~~~~~~

 

「心変わりする気は……無さそうだな」

 

 

「はい、すみません理事長」

 

 

「いや、良いんだ。君には君の人生があるからな」

 

 

ここは理事長室、俺のような下っ端トレーナーは来ることさえ珍しい場所である。

確か最初に来たのはトレセン学園に初めて来た日だっただろうか。

要するにここは、そのような大切な時にのみ呼び出される場所なのだ。

たとえば今日のような、退職の挨拶をする時に訪れるような……

 

 

「マヤノ君には言ったのか?」

 

 

「いえ……」

 

 

「そうか……」

 

 

理事長のこんな悲しそうな目は初めて見た。

それはきっと俺とマヤの仲の良さを知っているからだろう。

トレセン学園では生徒とトレーナーが付き合うまではいかなくとも、かなり仲が深い関係になることがある。

そしてそれは俺とマヤにとっても例外ではない。

 

休日はもちろん、普段の昼食や休み時間だって一緒に過ごしていた。

言うなれば運命共同体、一心同体と言うべきだろうか。

出会ってからずっとそうやって過ごしてきたのだ、それが意味することは簡単である。

 

 

「きっとマヤは俺が死ぬことに耐えられないと思うんです」

 

 

「………そうだな」

 

 

「理事長からも注意されるくらいずっと一緒にいたんです、多分あの娘は壊れてしまう」

 

 

「確かに君たちは他に比べて類を見ないくらい仲が良かった」

 

 

「本当は良くないって分かってたんですけどね、どうしても……」

 

 

理事長の苦笑いに俺は愛想笑いで答える。

以前から俺たちの仲は周りに注意されることがある程親密だった。

 

決してこれは恋愛感情ではない。

だけどマヤだけは俺にとって特別だった。

きっと彼女にとって俺もそうだったに違いない。

 

だからこそ、俺のことは伝えられなかった。

いや、伝えるのが怖かったんだ。

 

マヤは今から何にでもなれる可能性の塊のような娘だ。

それを俺一人の死という、つまらないことで無駄にして欲しくなかった。

ただ幸せになって欲しい、それだけなんだ。

 

 

「でも、きっと一年後君は………」

 

 

「それでもいいんです」

 

 

「そうか、分かったよ」

 

 

その後に続くのは『後悔』という言葉だろう。

だけどそんなのはもうとっくに捨て去った。

俺に出来るのは全力で彼女を守ってあげることだけ。

 

 

「それじゃあ俺はこれで失礼します」

 

 

「あぁ、ここに来てくれてありがとう」

 

 

「こちらこそありがとうございます。マヤと出会えたんです、俺の方こそ感謝してますよ」

 

 

理事長と別れの握手をして、俺はこの部屋を後にする。

最後にぼそっと呟いた言葉は聞こえなかった、そう決めつけ俺は頭から記憶を消し去った。

 

 

 

 

「それはあの娘に伝えることだぞ……」

 

 

 

~~~~~~~~

 

『刻死病』という病がこの世にはあるらしい、そう知った時にはもう手遅れだった。

突然の心停止という発症からちょうど365日で亡くなるという、恐ろしく美しい病。

人間の心臓が一生に拍動する回数は決まっているらしい。

その回数が大幅に減少し、その結果ピッタリ365日後に拍動を終えるのだとか。

俺が医師から聞かされたのは、そんな小説や漫画の中のような訳も分からない話だった。

 

 

「治し方は……」

 

 

「あまりにも症例が少なすぎて……すみませんとしか……」

 

 

言葉も出なかった、だって俺にそれを告げた医師は日本一と呼ばれる先生だったから。

そんな人が言うんだ、俺の命はちょうどあと1年なんだろう。

だけどそんな簡単に死を受け入れることなんて出来ない。

 

 

「何とかならないんですか!?外国とか……何か手は……」

 

 

俺には叶えたい夢がまだまだあるのだ。

結婚もしてないし恋人だって出来た試しがない。

キスすらしたことも無い、夢も何も叶えられないまま死にたくなんてない。

だけどそれに医師は無慈悲に首を横に振る。

 

世界一周旅行をするのが夢だった、他にもやりたいことはまだまだあるのに。

 

だけど一番最初に浮かんだのは君の顔だった。

 

 

 

「俺、もうマヤと一緒にいれないんだな……」

 

 

そのときの絶望と言ったら、もう計り知れないものだった。

目の前が真っ暗になるような、何も考えることが出来なくなるような感覚。

涙と鼻水で顔中ぐちゃぐちゃになるのも仕方がないだろう。

今考えてもあれほど泣いたのは人生で初めてだったかもしれない。

 

そのとき自覚した、俺の中でマヤがどれだけ大きい存在になっているのかを。

良く考えればわかる事だ、自分のことなんて二の次で彼女のことばかり考えていた。

マヤがどうやったら楽しく過ごせるか、マヤがどうすればもっと勝てるのか、マヤを笑顔にするにはどうすればいいか、彼女のことを考えなかった日は一日足りとも無い。

 

そして同時に考えた、マヤにはこんな思いをして欲しくないと。

何をするにも俺と一緒、いつだってどんな時だって2人で歩んできた。

もしかしたら俺が傲慢なのかもしれない、勘違いかもしれない。

だけど彼女が俺を失って壊れてしまう可能性を考えたらもう選択肢はひとつしか無かった。

 

 

「もう時間だな……」

 

 

悲しい回想をしていたら随分と時間が経ってしまった。

時計を見ると出発の時刻までは残り1時間とちょっと。

外を眺めると飛行機がちょうど飛んで行ったのが見えた。

 

 

「寂しいな、やっぱり」

 

 

あの飛行機に自分が乗ることを考えると何だかまた悲しい気分になってしまう。

ふと横を見ると、そこにはお土産屋か何か分からない売店がある。

こんな気分の時は甘いものを食べるのに限る。

 

俺は気を紛らわすため、適当なパック入りのチョコを手に取った。

 

 

「あ、これマヤが……」

 

 

こんな所まで来ても彼女は俺の心から離れてくれないらしい。

 

 

幸せそうにチョコを頬張るマヤの笑顔が、俺の脳裏に焼き付いて離れなかった

 

 

~~~~~~~

 

「トレーナーちゃん……」

 

 

あれから何日経っただろう、外は暗く月明かりだけがマヤを照らしていた。

隣には気持ちよさそうに寝ているテイオーちゃん、彼女にも随分迷惑をかけた。

 

あの日、トレーナーちゃんに契約解除を告げられてマヤはそのまま泣き疲れて倒れてしまったらしい。

あまり記憶はない、だけど彼の悲しそうな表情と無慈悲な『さよなら』と言う言葉だけが頭に染み付いて離れない。

あんなに楽しい思い出で溢れていたのに、彼との思い出が全部それで塗り替えられたような感覚。

 

 

「マヤ、悪い子だったかな」

 

 

確かにトレーナーちゃんにはいっぱい悪いことをした。

平日だけではない、休日もデートと言う名のお出かけに付き合わせていたし、わがままだって沢山聞いてもらった。

彼もそれに嫌な顔ひとつせず、何だってマヤの好きなことをやらせてくれた。

 

だけど本当は全部迷惑で、マヤの独りよがりで……

 

そう考えるだけで悲しみと後悔で胸が張り裂けそうだ。

もっと普通にトレーニングだけして、子供みたいなわがままも我慢すれば良かったんだろうか?

彼がいなくなった今、それを考えても答えは出ない。

 

 

理事長から告げられた『退職』という言葉はマヤに残る最後の希望すら刈り取った。

本当はドッキリで、全部全部マヤを騙すための壮大な計画なんじゃないか。

そんな都合のいい甘い考えすら許されない残酷な宣告。

彼のことはもう忘れろ、そう言われたようなものだ。

 

だけどそんなことできるわけが無い。

マヤがどれだけ長い間トレーナーちゃんと一緒に過ごして、どれだけトレーナーちゃんのことが大好きだったか彼自身でさえ気づいていないだろう。

心の半分が彼で構成されていた感覚、ぽっかりと心の半分が失われたような感覚。

別れを告げられた理由も聞けないまま忘れろという方が無理がある。

 

 

「寒いよ……トレーナーちゃん……」

 

 

考えても無駄だ、そう思い布団を頭から被る。

ふかふかで暖かいはずのお布団なのに、何故か身体は冷えたまま。

彼のぬくもりを感じたくて、ギュッと自分の身体を抱きしめた。

流れ出した少量の涙が枕に零れ、染み込んでいく。

それは止まることを知らない、湖のように深く拡がる。

 

 

最後に一度でいいから抱きしめて欲しい、マヤと名前呼んで欲しい。

 

そんな願いは嗚咽とともに冷えた夜へ消えていった。

 

 

~~~~~~~~

 

遠くからマヤを呼ぶ声が聞こえた。

それはなんだか懐かしいような、でも求めている声とは少し違う。

もしかしてトレーナーちゃん?

そう思ってゆっくりと目を開けた……

 

 

「マヤノさん、保健室行きますか?」

 

 

「……へ?」

 

 

その一声で意識が完全に覚醒する。

声の主はいつも怒られているたづなさん。

そうだ、今日は彼女が臨時で授業を受け持っているのだった。

 

 

「すみません!マヤ寝不足で……」

 

 

勢いよく謝ると周りから呆れるような、だけどいつも同じ笑い声が聞こえる。

クラスの皆にはトレーナーちゃんがいなくなったことはまだ言えて無い、きっとすごく心配させると思うから。

だけどたづなさんは勿論知っているはず、だからこそ気遣ってくれているのだろう。

実際昨夜も彼のことを想ってまともに寝ることが出来なかった、最近は毎晩そうだ。

 

 

「………保健室行きましょうか」

 

 

「マヤ、大丈夫……」

 

 

「授業は一旦中断します、5分程度で戻ってくるのでそれまで待っててください」

 

 

心配しないでください、その言葉が出る前に彼女がマヤの手を取った。

気遣ってくれているのだろうか、それとも単にお叱りを受けるだけ?

色んな選択肢が脳を過ぎる、しかし寝不足で上手く頭が回らない。

 

 

「さ、行きましょうかマヤノさん」

 

 

たづなさんに手を取られ、マヤは言われるがまま保健室に向かう。

何故か彼女の表情は緊張しているような、どこかおかしい様子に感じる。

お互い気まずい雰囲気の中、着いたのは思い出の場所だった。

 

 

「ここ、トレーナーちゃんの……」

 

 

「はい、入りましょうか」

 

 

マヤと彼がずっと一緒に過ごしたトレーナー室、ここには思い出がいっぱいあった。

GIを取った時のツーショット写真、2人で旅行に行った時に買った思い出の品、そしていつも隣に並んで座っていたソファー。

 

でも今はもぬけの殻のように何も無い、マヤとの思い出なんて最初からなかったかのように綺麗に掃除されている。

残されたのは彼がいつも座っていた机とソファーだけ。

だけどその上になにか1枚紙が置いてあった。

 

 

「マヤノさん、理事長はトレーナーさんの退職理由を知らないと言っていましたよね」

 

 

彼女がそれを手に取り、ゆっくりと話し始める。

覚悟を決めたかのような、何か大切な話をするかのような雰囲気に思わず息を呑んでしまう。

 

 

「だけどトレーナーさんはここにこの紙一枚を残して去りました。偶然かもしれません、私のお節介かもしれません……でも!」

 

 

彼女が泣きそうになりながらマヤにその紙を渡した。

手が震えて紙を開くことが出来ない、見たいのに見たら本当に終わっちゃいそうだから。

 

 

「そこにはトレーナーさんがここを去った理由が書いてあります……読まないで捨てても構いません……」

 

 

正直なところいざ答えが目の前にあると、喜びより恐怖の方が勝ってしまう。

本当に捨てられたんじゃないかという恐怖、嫌われてるんじゃないかという恐れ。

 

だけどたづなさんの一言がマヤの背を押した。

 

 

「でも私は!あなた達の幸せそうな笑顔をずっと見てたから……本当に幸せそうにしていたのを知っているから!だからこの選択は間違っているかもしれないけど……彼の願いを無駄にすることになるかもしれないけど……私はあなたに知って欲しい……です……」

 

 

涙と嗚咽が混じるような振り絞って出した声、本当にマヤたちのことを想って伝えてくれたのが分かる。

だからこそ気持ちが固まった、マヤはこれを見る必要がある。

 

 

「ありがと、たづなさん。マヤ読むよ」

 

 

「マヤノさん……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 

きっと理事長もたづなさんも、彼からマヤに伝えないようにお願いされていたのだろう。

必死に謝る彼女に、ただ一言感謝を伝えてマヤは手紙を開く。

 

 

それは一枚の紙切れにしてはあまりにも重く、残酷な現実が書き連ねられていた

 

「そっか……マヤのこと心配して遠くに行こうとしてるんだね……」

 

 

感情がぐちゃぐちゃになる。

悲しみ、怒り、苦しみ、絶望、そして幸せ。

 

 

「たづなさん、トレーナーちゃん今どこにいるか知ってる?」

 

 

覚悟が決まった気がする、どうやら自分で思っているよりもマヤは強かったらしい。

 

 

その目にはもう絶望の色は見えなかった

 

 

~~~~~~~~

 

「うっま……」

 

 

口の中に甘ったるいチョコレートの味が広がる。

マヤが大好きだったこのチョコレート、綺麗に包まれた包装紙をもう一枚破く。

慰めにもならないが口を動かさないと嫌になってしまうのだ、初めて煙草を吸う人の気持ちが分かったかもしれない。

 

口元が寂しい、せめて君を感じていたい、そう思うのも無理はないろう。

 

手元にあるのは飛行機の搭乗券、これで俺は日本から去ることにした。

別に最後までここにいても良かった、だけど俺にも夢があったから。

この目で色んなものを見てみたい、色んな経験をしてみたい、ここにいては出来ない体験をもっとしたい。

だけどトレーナーになってからはそんな暇はもちろんなかった。

 

だから最後の一年くらい好きに生きようって決めた……

 

 

「いや、違うな」

 

 

自分には嘘はつけない、本当は甘えを許さないため。

いつでもマヤに会える環境にいたら、俺は耐えきれなくなってしまうだろう。

夜を数える度にマヤのことが恋しくなって、逢いたい気持ちが抑えられなくなるのは明白だ。

別に世界一周旅行なんてどうでもよかった、本当の願いは君と一緒に過ごすことだけ。

 

 

「何回目だっての……もう決めたことだろ……」

 

 

この選択が本当に正解なのか、もう何十回、何百回と考えてきた。

マヤにとって何が一番幸せなのか、それだけを考えてきた。

どうでもいい俺の願いなんかより、彼女に幸せに生きていて欲しい。

そう考える度に最後に出す結論はいつも同じ。

 

あの娘は誰が見ても脆く、未熟だ。

それはレースのことを言っているのではない、大切な人を失うなんて1ミリも考えてないほど純粋に生きてきたその心のこと。

だからこれでいいんだ、そう何度と自分を説得してきた。

 

 

「もう時間だな、行かなきゃ」

 

 

時計を見るとついさっきまで1時間も余計にあった時間が半分になっていた。

マヤのことを考えているといつもこうだ、時間の流れがはやく感じる。

俺は立ち上がり、ゲートの方へ向かう。

チェックインはもう済ませた、あとは飛行機に搭乗するだけだ。

 

 

 

大きなガラス張りの窓から青空が見えた。

雲ひとつない快晴、そこにひこうき雲が一本綺麗に靡いている。

風に揺られて今にも消えてしまいそうな姿に、嫌でも自分を重ねてしまう。

どうしてかそれがあまりにも儚くて、俺は思わずこう呟いてしまった。

 

 

「消えないで……」

 

 

「うん、消えないよ」

 

 

その声はまるでずっと会話をしていたかのように、俺の脳にすんなりと馴染んだ。

それは聞き覚えのある声、優しく無邪気でいつだって俺が大好きだった声。

 

右手に彼女の指が触れた。

そこから伝わる熱があまりにも懐かしい、数日会ってなかっただけなのにもう嬉しさでおかしくなりそうだ。

 

 

どうしてここに?

 

誰から聞いた?

 

俺の病気のことは?

 

マヤは大丈夫なのか?

 

 

色んなことが頭を蠢くが、それを彼女のぎゅっと力強く握るあたたかい手が全て消し去った。

 

 

隣を振り向く

 

そこにはいつも通りの美しいオレンジ髪の君

 

俺の大好きなマヤノトップガン

 

 

「マヤは消えないよ?トレーナーちゃんの前からずっと、ずーっとね」

 

 

「マヤっ……おれさ……」

 

 

何ものにも染っていない、彼女の純粋な琥珀色の瞳に撃ち抜かれる。

透き通るようなそれに映った俺の目からは、何やら涙のようなものが溢れていた。

 

 

「会いたかったよ、トレーナーちゃん」

 

 

「ごめんマヤ……ごめん……」

 

 

「いいよ、マヤが全部許してあげる」

 

 

抑えていた気持ちが、心の中から一気に濁流のように溢れ出す。

 

会いたかった

 

寂しかった

 

苦しかった

 

大好き

 

全ての感情が嗚咽となって外へと溢れ出る。

だけどそんな俺も彼女は優しく包み込んでくれた。

俺なんかよりもずっと背も低い彼女に正面から抱きしめられる。

 

 

「マヤね、全部知っちゃったの」

 

 

「そっか……」

 

 

これで俺の願いは果たされなかったことになる。

だけどどうしてだろう、こんなに幸せで胸が溢れているのは。

 

 

「きっとトレーナーちゃんはマヤの為にさよならしたんだよね」

 

 

「うんっ……」

 

 

「マヤの幸せはトレーナーちゃんが死ぬのを知らずに生きていくことじゃないよ?」

 

 

その小さな身体と細い腕が、俺を優しく抱擁する。

後ろに回された腕で、宥めるように俺の髪を撫でた。

 

心臓の音が聞こえる、マヤがそばにいることを実感出来る。

全て溶けてしまうように、俺はマヤに身体を預けた。

 

 

「マヤは強いんだね……」

 

 

彼女がまだ幼いと思っていたのはどうやら俺の間違いだったようだ。

大切な人の死にだって、こんなにもしっかり向かい合っている。

 

 

「一年後のこと考えるとね、マヤもおかしくなっちゃいそうなくらい悲しいよ」

 

 

でもね、彼女がそう呟いたと同時に俺の両頬を手のひらで抑える。

正面から見るマヤは、今までのどのマヤよりも可愛らしく美しく、そして誰よりも大人の女性に見えた。

 

 

 

「一緒にいれないのはもっと寂しいな」

 

 

あぁ、やっぱり君の笑顔はいつだって俺を元気づけてくれる。

その太陽でさえ勝てないような眩しい笑顔に照らされる。

 

そんなのもう絶対に適うわけが無い

 

せめて俺に出来るのは、彼女がもう二度と泣かないように一緒に笑ってあげることだけだった

 

 

「マヤ……ありがとね……」

 

 

「いいよ、だってマヤはトレーナーちゃんのことが大好きだもん!」

 

 

振り絞るように出した声と精一杯の笑顔に、マヤが元気よく返事をする

 

俺も大好きだよ、そう自然と呟いてしまったのは最早仕方がないことだろう

 

 

~~~~~~~~

 

 

「うわぁ〜!!見て見てトレーナーちゃん!人がいっぱいだよ!!」

 

 

「ど、どうしてこうなった……」

 

 

目の前に広がる大量の高層ビル、そして日本では考えられないほどの人の量。

マヤがはしゃいでしまうのも無理はないだろう。

 

だがしかしなぜ俺たちは一緒にロサンゼルスまで来たんだ……

 

 

「トレーナーちゃん、まだうじうじ悩んでるの?」

 

 

「うじうじってなぁ……だって俺あの時トレセン学園に帰るつもりだったし」

 

 

マヤと再会したあの後、俺はもちろん残りの1年間をトレセン学園でまたマヤと過ごすものだと思っていた。

彼女はまだ現役の、しかも今をときめくGIウマ娘。

残りの時間は全て彼女の為に使おうという考えだったのだ。

 

だがしかし……

 

 

『トレーナーちゃん、早くしないと飛行機乗り遅れちゃうよ?いこ!』

 

 

『…………はい?』

 

 

『だーかーら!マヤも一緒について行くって言ってるの!』

 

 

そう言ってマヤが見せてきたのは、トレセン学園の休学書。

その時あまりの衝撃に脳が上手く働いていなかったんだと思う。

あっという間にマヤに手を取られ、気づけば俺たちは飛行機の中にいた。

 

 

「これはマヤが決めたことだからいーの!トレーナーちゃんだってマヤと一緒に来れて嬉しいでしょ?」

 

 

「そりゃまぁそうだけどさ……」

 

 

レースは?

親御さんたちへの説明は?

大人としての倫理的問題は?

 

様々なことが頭をよぎる。

だけどマヤは賢い娘だ、そういう問題も全て解決させてからここに来たらしい。

本当に俺では何もかも敵わない、そうなれば腹を括るしかないだろう。

 

 

「よしっ!マヤの行きたいとこ全部連れてってやるぞ!」

 

 

「ほんと!?マヤ行ってみたい場所い〜っぱいあるよ?」

 

 

「時間だけはあるからな、任せてくれ」

 

 

「やったぁ!じゃあねじゃあね!ディズニーランドとかユニバとか……あと天文台は欠かせないな〜。それからね!すんごくでっかいお店屋さんも行ってみたい!」

 

 

はしゃぐマヤを周りの通行人が微笑ましく見つめている。

親子か兄妹か、どんな風に思われているのだろうか、。

ここならマヤのことを知る人もいない、だからこれくらいのことは許されるだろう。

 

 

「と、トレーナーちゃん……///」

 

 

「行こっか」

 

 

「うんっ!!」

 

 

その小さな手から確かなぬくもりが伝わる。

指は絡めない、ただ優しく握るだけ。

 

ただそれだけで幸せだから

 

 

~~~~~~~

 

「街、綺麗だね……」

 

 

「うん、すげぇ……」

 

 

「そこはマヤの方が綺麗って言うところでしょ?」

 

 

「嘘、マヤの方が可愛いよ」

 

 

「も〜!女心分かってないんだから!」

 

 

最初に行ったロサンゼルスはもうとにかく大変の連続だった。

英語が得意じゃない日本人2人で観光に行ったらそうなるのは分かりきってはいたが、まさか宿を取るのにも苦労するとは。

 

だけどそれを凌駕するくらいには本当に楽しくて、幸せだった。

自分の夢が二つ同時に一気に叶えられていく感覚、マヤと一緒に色んな体験や経験をする毎日は夢かと思うくらい本当に素敵だった。

 

 

「もう1ヶ月も経っちゃったんだ、早いね」

 

 

「残り10ヶ月もあるよ、まだまだ行きたいところに行けるさ」

 

 

「…………うん、そうだね」

 

 

刻死病のタイムリミットは残り約10ヶ月、初めて倒れたあの日が2ヶ月も前だなんて未だに信じられない。

今までの20年間をすぐに追い越してしまうような1ヶ月間だった。

 

最後の日に来たのは夜景がるよく映える天文台。

マヤが初日から行きたいと言っていた場所だ。

そこから一望できるロサンゼルスの夜景は、本当の星よりも美しく煌めいて見える。

 

 

「身体、大丈夫なの?」

 

 

「うん、大丈夫。そういう病気だからね」

 

 

「治らないん……だよね?やっぱり……」

 

 

「そうだな、どうやら無理らしい」

 

 

なるべくマヤとは病気の話はしないようにしていた。

俺自身も受け入れているところはあるし、マヤに余計な心配はかけたくないからだ。

だけど残り時間を明白に提示された瞬間、実感が湧いてきたんだろう。

 

 

「ごめんね……トレーナーちゃんの方が辛いのに……」

 

 

マヤの瞳から大粒の涙が溢れてきた。

涙に反射する夜景、そしてもっと美しい君の瞳。

 

 

「マヤ、綺麗な顔が台無しだよ?俺なら大丈夫だからさ」

 

 

「うんっ……ごめんね?」

 

 

マヤは悲しくて涙を流しているはずなのに、それがどうしてかこんなにも嬉しい。

俺のために泣いてくれるマヤがこんなにも愛おしい。

 

どれだけ慰めの言葉をかけても、俺がいなくなるという事実は変わらないのだ。

 

だからせめてもの抱擁で安心させてあげるしかなかった

 

 

「俺のことは心配しないで、今マヤと一緒に過ごせてとっても幸せだからさ」

 

 

その言葉にマヤも同じような返事をする。

回された腕、心地いい体温が俺たちを安心させてくれる。

 

 

もう俺の瞳には壮大に広がってる世界一の夜景なんて映っていなかった

 

 

~~~~~~~~

 

それから俺たちはとにかく行きたい場所、楽しそうな場所、気になる場所全てを見て回った。

 

 

「行くよ〜それっ!」

 

 

「よーし……ってブホァッ!!」

 

 

「と、トレーナーちゃん!?!?」

 

 

ブラジルに行った時はマヤの強烈なシュートが顔面に当たってしばらく動けなかったのはいい思い出だ。

 

 

 

 

「すっごー!!見て見て!皆昔の人みたい!」

 

 

「はえー、レースは見たことあったけど凱旋門賞に来る人たちってこんな堅苦しい格好してるんだな」

 

 

「あ、おじさーん!ぼんじゅーる!」

 

 

フランスに凱旋門賞を見に行った時は、俺たちだけラフな格好で随分恥ずかしかったんだよな。

まぁマヤは気にしてなかったけど。

 

 

 

 

「トレーナーちゃん、元気だね……ぜぇ……はぁ……」

 

 

「だって見てみろよ!俺昔からピラミッド見るの夢だったんだ!すげぇ……」

 

 

「あつーい!暑くて干からびそうだよ……ラクダさん暑くないの?」

 

 

エジプトでは俺が柄にもなくはしゃいでしまった。

あとマヤは何故かラクダに親近感を得てた、あれはなんだったんだろう……

 

 

 

「トレーナーちゃん、中国3000年の歴史だよこれが!!」

 

 

「待って……マヤっ……もう無理……」

 

 

「体力ないなぁトレーナーちゃんは、おんぶしてあげよっか?」

 

 

「それは流石に大人としてのプライドが許さねぇ……」

 

 

万里の長城に行った時は自分の体力のなさを本当に実感した。

マヤは自慢の体力ではしゃぎまくってた、およそ20歳にして若さを懐かしんだのは秘密である。

 

 

 

 

こうやってマヤと過ごしていると時間なんて忘れるほど楽しかった。

自分が死ぬことなんて嘘だったかのように、毎日がときめいていた。

 

俺がなった刻死病というのは、世界でも3桁程度しか症例がない極めて稀な病気らしい。

それだけ見れば運がなかったと誰しもが思うだろう。

だけどそんな不幸が訪れたのが当然だと思う程、マヤは俺に幸せを与えてくれた。

本当に楽しくて、嬉しくて、幸せだった。

これ以上思い残すことなんてない、あとは安らかに眠れれば十分。

 

だけど最後に一つだけ行くべき場所があった

 

 

それは俺とマヤの思い出で溢れている場所

 

もし最後を迎えるなら俺はそこで散りたい

 

そしてそれはマヤも同じ考えだった

 

 

「着いたね、トレーナーちゃん」

 

 

「なんかもう懐かしさで泣きそうなんだけど」

 

 

目の前に広がるのは俺たちがずっと過ごしていた思い出の学園。

ランニングの掛け声も、楽しそうなウマ娘たちの話し声も聞こえない。

この広い学園内に俺とマヤの2人きり。

 

 

「改めて見るとでっかいなぁ……」

 

 

「ほらここ!マヤがいつも練習してたコース!」

 

 

懐かしい思い出の地を2人でゆっくりと巡る。

毎日走っていたグラウンド、スタミナ練習のために使っていたプール、体育館の雑巾がけでトレーニングをしたことなんてのもあったっけ。

見れば見るほどかつてのマヤとの思い出が溢れてくる。

 

 

「ここはマヤの教室だよ、みんな元気かなぁ……」

 

 

「明日からは勉強頑張らないとね」

 

 

「ぶーぶー!嫌なこと言わないでよ!」

 

 

自然と繋がれた手は、以前のように握っているだけじゃない。

お互いの指と指が解けないように、離れないようにしっかりと搦められている。

最後の最後まで一緒にいたい、お互いのそんな思いが自然とそうさせた。

 

 

教室棟を抜け、廊下を曲がるとそこはトレーナー室棟。

一番奥にある俺たちのトレーナー室に向かって歩みを進める。

 

さっきまで楽しそうに話していたマヤも黙ってしまった。

それはタイムリミットがだんだん近づいているから。

一年ぶりなのに勝手に足が動いている。

気づけば目の前には俺の名前が書かれたトレーナー室があった。

 

 

「入ろっか」

 

 

「うん……」

 

 

最後にスマホを確認する。

日にちは1年前、俺が倒れた日と全く同じ。

時刻は俺が倒れた時刻の1時間前。

 

タイムリミットはもうすぐそこだ

 

 

ゆっくりと扉を開ける。

そこには以前と何一つ変わらない思い出の部屋があった。

 

 

「理事長も随分とお人好しだな」

 

 

あの日もうマヤと関わらないと決めた日に、俺は理事長にこの部屋のものを全て処分するようにお願いした。

それは自分で捨てるのはあまりにも辛く、捨てないのはマヤに俺を思い出させてしまうから。

この有馬記念を勝った時の写真も、デートをしに行った時に買ったぬいぐるみも、何もかも昔と同じ配置。

 

 

「よかった……捨てられてなかったんだ……」

 

 

「後で理事長さんにありがとうって言っとかないとな」

 

 

「うんっ!」

 

 

マヤが満面の笑みで返事をする。

それだけで何だか心があたたかくなった。

 

 

「とりあえず座るか」

 

 

俺はソファーに腰を下ろし、ポケットからもう一度スマホを取りだした。

その画面に写っているのは俺とマヤのツーショット写真。

随分と可愛らしいマヤと対象的な変な顔の俺が写っている。

 

 

「これアメリカで撮ったの?」

 

 

「あぁ、このマヤ可愛いでしょ?」

 

 

そう言うとマヤが不機嫌な顔をして、そっぽを向いてしまう。

何か変なことを言ったか、そう思ったのもつかの間。

マヤが膝の上に座って、上を向いて俺を見つめてくる。

それは写真で見るよりもずっと可愛らしい、俺だけのマヤノトップガン。

 

 

「本物のマヤがいるんだから、ね?」

 

 

「そうだな……悪かった」

 

 

「分かってくれたならいーよ!」

 

 

やっと分かったか、そう言いたげなマヤの笑顔を横目に俺はスマホの電源を切る。

もう時間も確認する必要は無い。

 

 

「………時間、いいの?」

 

 

「マヤとの時間を1秒でも無駄にしたくないんだよ」

 

 

「………どこでそんなかっこいいセリフ覚えたのトレーナーちゃん」

 

 

「本心だって、嬉しい?」

 

 

「うん……嬉しい……」

 

 

マヤが身体ごとこちらを向き、俺にもたれ掛かった。

ちょうど心臓の位置に耳を当て、生きているのを確かめるように俺を優しく抱きしめる。

 

 

「トレーナーちゃんの心臓、はやくなった」

 

 

「マヤに夢中だからだよ」

 

 

「えへへ……ありがと……」

 

 

ドクドクと鼓動がはやくなるのが自分でも分かる。

まだ生きている、まだ生きれると自分の心臓が叫んでいるようにはやさを増していく。

 

それからどれだけ時間が過ぎただろうか、数十秒かもしれないし数分かもしれない。

マヤがいるのになぜか少し寂しくなった。

 

 

「マヤ、顔見せて」

 

 

感触だけじゃない、目で見て、声を聞いて、肌に触れて君を感じたい。

ゆっくりとマヤが俺の胸から離れる。

膝の上に乗っている俺よりも小さい、でもずっと煌めいている君の顔を見つめる。

 

あと何分残っているだろうか?

 

そんな考えも浮かばないほど俺は君に夢中だ

 

 

「今日までありがと、マヤのおかげで俺は幸せだったよ」

 

 

自然と口から感謝の言葉が溢れた。

今まで照れくさくて伝えられなかった言葉、大人として言えなかった気持ち、その全てが最後の最後でダムが決壊したかのように流れ出る。

 

 

「初めて会った時にね、運命だと思ったんだ。この娘と出逢えたのはきっと神様からのプレゼントだってね」

 

 

マヤはただ頷いて俺の話を聞いてくれている。

その間がただひたすらに心地いい。

 

 

「マヤと過ごす毎日は刺激がいっぱいで、とにかく嬉しくて楽しくて幸せで……だからさ……」

 

 

それに続く言葉、もう喉元でそれを止める必要は無い。

ただひたすらに、純粋に君に自分の想いを伝えるだけ。

 

その綺麗な瞳に自分の姿が映るのが見える。

そこに映る俺は写真で見るよりも、鏡で見るよりも、何を通して見るよりも幸せそうに見えた。

 

 

「愛してるよ、マヤ」

 

 

「やっと言ってくれた……遅いよトレーナーちゃん……」

 

 

「ごめん、最後の最後まで言えなくて……」

 

 

「ううん、ちゃんと伝えてくれて嬉しい」

 

 

お互いの顔を見つめあって、なんだか恥ずかしくなってくる。

マヤが顔を少し上げた、それが合図だった。

 

唇に感じる大好きな感触。

それはほんの数秒の口付け、だけど俺にとっては永遠にも感じる幸せなキス。

いつまでも続けていたい気持ちと、早く顔を見たいという気持ち、そのふたつが混じり合う。

 

 

「んっ……しちゃったね、キス」

 

 

離れていく感触、ゆっくりと目を開けるとそこには世界一大好きな俺のマヤ。

こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。

あまりの多幸感に、脳がオレンジ色に犯されている感覚に陥る。

 

 

「ごめん、初めてだったから下手だったでしょ」

 

 

「すっごい幸せだったよ、ありがと」

 

 

それは最初で最後の恋人としての儀式。

今度は正面からお互いもう一度抱きしめあった。

 

 

「マヤのことずっと好きだった」

 

 

「マヤもトレーナーちゃんのことずっと大好きだったよ」

 

 

「でももうお別れしなきゃね」

 

 

「…………うん、そうだね」

 

 

2人が恋人でいられる時間はもう残り僅かだ。

抱き合ってただひたすらにお互いの体温を感じ合う。

しっかりと忘れないように、死んでも脳細胞から君の感覚だけは忘れないように刻み込む。

 

 

「お墓参りはそんなに来なくていいからね」

 

 

「うん、寂しくなっちゃうから……でもお盆には行くよ?」

 

 

「来年からマヤに会えるのは一年に一回か、織姫と彦星みたいだな」

 

 

「なんだかすんごくロマンチックに聞こえるね……」

 

 

「だな……」

 

 

最後に伝え残すことがないように、思ってたことを全て伝える。

何となく理解っている、もう残りの時間はわずかしかない。

 

 

「マヤ、幸せになってね」

 

 

「トレーナーちゃんがいればマヤはいつだって幸せだよ」

 

 

「大学に行って、仕事に就いて、誰かと恋をして、結婚して……そうやってマヤが幸せになってくれることが俺の願いだから」

 

 

「…………」

 

 

「子供とかも見てみたいな、いつかお墓にでも連れてきてよ」

 

 

「………………」

 

 

「俺のことは心の隅の方に置いておけばいいからね、分かった?」

 

 

返事はない、きっと心の中がぐちゃぐちゃになっているんだろう。

少し身体が震えている、顔は見えないけどきっと涙を我慢しているんだろう。

だけどマヤなら俺がいなくても大丈夫、しっかり両足で立って前に進める。

 

 

「分かったよ、トレーナーちゃん」

 

 

ほら、やっぱりマヤは強い娘だ

 

 

 

「…………なんか……あれ?」

 

 

「膝枕してあげる、おいで?」

 

 

「ありがと……」

 

 

目の前が上手く見えなくなってきた、考えが上手くまとまらない。

気づけば俺はマヤに膝枕されていた。

 

もう言いたいことは伝えられた、何も後悔はない。

ただじっと大好きな君の笑顔を見つめる。

 

 

「…………おやすみ、トレーナーちゃん」

 

 

髪を優しく撫でられる。

その手はまるで子供を寝かしつけるように俺のことを安心させた。

 

 

だんだん拍動が小さくなっていくのが分かる

 

 

あぁ、もう目も開けていられない

 

 

目の次は耳、マヤが語りかけてくれているのかすら分からない

 

 

 

ここまで来てまだ俺は君を感じていたかった

 

 

もう一度でいい

 

顔を見たい、声を聞きたい、ぬくもりを感じたい、もう一度……

 

 

 

その瞬間声が聞こえた気がした

 

もう何も感じられない真っ黒な世界

 

そこに最後の最後に射した一筋の光のようなもの

 

 

俺の最後はそれはもう幸せな死だった

 

最後まで大好きな君のことを考えながら死ねた

 

 

だからもう何も思い残すことは無い

 

 

聞こえた気がした光に答えるように、俺は精一杯の愛を込めてこう伝えたんだ

 

 

 

 

 

俺の方こそ愛してるよ

 

 

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

「愛してるよ、トレーナーちゃん……」

 

 

最後の一言は伝わっただろうか。

膝の上で幸せそうに眠る彼を見ると、マヤの言葉も伝わったような気がする。

何も聞こえない静寂、この世の中にマヤだけが存在しているような錯覚に陥る。

 

気づけば視界が涙で覆われていた。

絶対に最後は笑顔で見送るって決めて、何がなんでも泣かないって決めた。

 

マヤ、最後まで頑張ったよね……

 

 

「分かんない……分かんないよトレーナーちゃん……」

 

 

マヤにとっての幸せはトレーナーちゃんが全てだった。

トレーナーちゃんと一緒に朝起きて、ご飯を食べて、なんてことない話をして、そして眠る。

それだけでマヤは世界で一番幸せな女の子だったんだ。

 

 

なのに幸せになってねなんて……そんなのずるいじゃないか。

 

あなたがいないと幸せになれないのに、分かってねなんて納得できるわけが無い。

 

分かんない分かんない……何も……

 

 

「えっ……?」

 

 

静寂の中ほんの微かに何かの音がした。

窓の方を見てみると、そこには一筋のひこうき雲がある。

 

それはあの日トレーナーちゃんと再会した時と同じように、儚くて今にも消え去ってしまいそうだ。

 

前は風に揺られてもなかなか消えなかったひこうき雲が、すぐに消えてしまう。

数秒経つともうそこには何も無い、雲ひとつ無い快晴の空。

 

まるであなたの心を表しているかのように透き通って、雲ひとつない青空。

 

確かにトレーナーちゃんはもういない、ここにあるのは残された亡骸だけ。

 

 

だけどこの空に向かって愛を届ければ

 

それでもこの空の先へ想いを届ければ

 

 

 

 

 

「マヤがすっと傍にいるよ……」

 

 

 

 

きっと寂しくないよね、トレーナーちゃん

 

 

 

 

 

 

───────────────────

 

 

 

 

〜1年後〜

 

 

「久しぶり、トレーナーちゃん。お葬式以来だね……」

 

 

「マヤが今何してるか知ってる?そう!レースにまた復帰したんだよ!」

 

 

「ブライアンさんがね〜『お前がいないレースはぬるい!』とか言うんだよ。ツンデレだよね絶対」

 

 

「レースもしばらくは勝てなかったけど最近はようやくカンも戻ってきたんだ、だから次は来た時はGIをプレゼントできるかも」

 

 

「トレーナーちゃんは何してるのかな?」

 

 

「意外と真面目だからあっちでもずっとマヤのこと見てるの?それとも好きな人でもできた?」

 

 

「それだったら少しだけ寂しいな……ほんの少しだけね」

 

 

「ほらこれ、オレンジ色のカーネーション買ってきたんだ。マヤみたいで綺麗でしょ?」

 

 

「トレーナーちゃんならマヤの方がキレイだよって言ってくれるかな?多分マヤの方が可愛いって言われるとは思うけど」

 

 

「…………次会うのは1年後だね。それまで寂しくない?」

 

 

「マヤは寂しいよ、1年間ずっと寂しい」

 

 

「でも約束だからね……」

 

 

「うん、それじゃあ行くね。元気でね、トレーナーちゃん」

 

 

 

───────────────────

 

 

〜4年後〜

 

「トレーナーちゃん!お久しぶり!」

 

 

「マヤね、今年から大学1年生になったんだ〜」

 

 

「今の成長したマヤを見たらトレーナーちゃんは悩殺されちゃうかもね?」

 

 

「大学はね、楽しいよ。友達もいっぱい出来たしレースたってまだ続けてるんだ」

 

 

「勉強だって頑張ってるよ。トレーナーちゃんはびっくりするかもだけどマヤ首席で入学したんだよ」

 

 

「毎日が楽しくて……新しい経験の連続で……」

 

 

「そこにトレーナーちゃんがいたらどれだけ幸せだったかなって思うんだ……」

 

 

「ごめんね、なんだかしんみりさせちゃって」

 

 

「今年も持ってきたんだ、オレンジのカーネーション」

 

 

「生けておくからこれをマヤと思っていいよ!」

 

 

「マヤにとってさ、幸せってまだトレーナーちゃんなんだ」

 

 

「だけどそれが変わる日が来るかもしれない、ううん、絶対に来る」

 

 

「そしたらトレーナーちゃんは怒るかな?嫉妬するかな?」

 

 

「それでトレーナーちゃんも幸せになってくれたらマヤはとっても嬉しいな……」

 

 

「ってもうこんなに話してたっけ?トレーナーちゃんといたらすぐに時間経っちゃうね!」

 

 

「…………それじゃあまた来るね、ばいばい」

 

 

 

───────────────────

 

 

〜10年後〜

 

 

「久しぶり、トレーナーちゃん」

 

 

「今日で10回目だね、昔はあんなに毎日一緒だったのにこんなに合う回数が減るなんて思ってなかったよ」

 

 

「あのね…………」

 

 

「マヤさ、結婚したよ」

 

 

「お仕事で知り合った人とお付き合いしてね、その人とついこの間結婚したんだ」

 

 

「とってもいい人なの、トレーナーちゃんと同じくらい優しい人」

 

 

「マヤにとって今まで一番の幸せはトレーナーちゃんだったけど、今はそれに並ぶくらいあの人のことも大切なんだ」

 

 

「トレーナーちゃんは喜んでくれるかな……喜んでくれるといいな」

 

 

「あの日にトレーナーちゃんは自分のことは心の隅の方に置いておけばいいって言ってたけどね……」

 

 

「マヤの中であなたはずっと大切な場所を独り占めしてるよ」

 

 

「心の奥の大切な大切な場所、マヤとトレーナーちゃんだけの大切な思い出」

 

 

「だから心配しないで、ずっとそばにいるって約束したからね」

 

 

「それじゃあまた来年、次はあの人も連れてくるよ」

 

 

──────────────────

 

〜15年後〜

 

 

「ここ誰のお墓?」

 

 

「ここはね、お母さんの大切な人が眠ってる場所だよ」

 

 

「久しぶりトレーナーちゃん、今年も暑いね」

 

 

「前から言ってたマヤの娘、やっと連れてこれたんだ。ほら挨拶して」

 

 

「とれーなーちゃんってだーれ?」

 

 

「お母さんの先生だった人かな」

 

 

「そーなんだ……こんにちは!とれーなーちゃんさん!」

 

 

「今年で4歳になるんだ、子供の成長ってどうしてこんなに早いんだろうね」

 

 

「そしてこっちがマヤの旦那さん、4年ぶりだっけ?」

 

 

「あぁ、お久しぶりですトレーナーさん」

 

 

「マヤね、今とっても幸せだよ。トレーナーちゃんといた時も楽しかったけど、今もとっても楽しいの」

 

 

「娘はこんなに可愛いし、夫はこんなにいい人。マヤには勿体ないくらい」

 

 

「…………トレーナーちゃんも幸せかな?」

 

 

「もしマヤの幸せがトレーナーちゃんの幸せなら……それならとっても嬉しいな」

 

 

「本当にありがと、今のマヤがあるのはトレーナーちゃんのおかげだよ」

 

 

「それにしても暑いね……2人でピラミッド見に行ったの懐かしいなぁ……」

 

 

「もっと色んな場所に行けたらよかったのにね……」

 

 

「でもその夢は代わりにマヤが叶えてあげる!」

 

 

「色んな場所に行って、色んな景色を見るんだ」

 

 

「トレーナーちゃんが見たかった景色、トレーナーちゃんと見たかった景色、その全部を」

 

 

「だからマヤの瞳から見ててね、一緒に見ようね」

 

 

「…………もう時間だね、行かなきゃ」

 

 

「そしたらトレーナーちゃん、また来るね」

 

 

「オレンジのカーネーション、今年も生けておくから。寂しくなったらこれを見てマヤを感じてね」

 

 

「それじゃあ行くね……」

 

 

「ありがと、トレーナーちゃん」

 

 

───────────────────

 

〜○年後〜

 

 

「久しぶり、トレーナーちゃん!」

 

 

 

 

 

【この空の先へ、永遠の愛を届け続けるよ】

 

 




どうもご無沙汰しております、abと申します。

読んだ感想や評価を頂けると舞い上がるくらい嬉しいです!

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。