「ヌジェクパイセーン」
「んー? なぁにー衣久くーん……今なんて言った!?」
ある日の昼下がりのことである。
俺こと此崎衣久くん16歳は、結束バンドのリーダーである伊地知虹夏さん18歳に呼びかけた。
なぜか上階の自分の家でなく地下の大人気ライブハウス”スターリー”のフロアに置かれた丸テーブルで勉強道具を広げている虹夏先輩に呼びかけた。
「すいません、勉強中に話しかけちゃって」
「いやそれよりあたしのことすごい変な呼び方しなかった!? なんか海外のサッカー選手にいそうな名前で呼ばなかった!?」
「呼んでないですよ」
「呼んでないかぁ」
たぶんググってもヌジェクなんて名前のサッカー選手はいないですよ。ヤフってもきっといないと思います。
「そんですいません、なぜここでお勉強をなさっておられるので?」
ともかく、本題はこれだった。
なんでこの人、わざわざスターリーで勉強してるのか。
対する虹夏先輩の返答は、驚くほどシンプルだった。
「ベーシスト出没」
「愚問でした。大変失礼いたしました」
「×2」
「お悔やみ申し上げます」
死人は出てないか。
……いや、まだだ!
「……うおおおおおおきくりちゃん大好きだあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「急にどうしたのこわいこわいこわ――……ぼっちちゃんの霊圧が……消えた……?」
我が愛しき幼馴染を生贄に捧げることで、因果逆転の術は完成した。
スターリーにあるスタジオの防音は完璧だ。その断末魔がフロアに聞こえてくることは一切なかった。
ありがとう後藤、キミのことは忘れない――。
……よし、もういいかな。忘却。
「で、受験勉強、ですよね? お疲れ様です」
「あっうん、ありがと。ごめんね、掃除の邪魔だったかな?」
「いえ、その辺は後でさっとやるんで大丈夫ですよ。まだ全然時間ありますし」
今日は昼間からスターリーに来ていた。
バイトのシフトは俺と後藤と喜多さんの三人。
バイトだけなら四時くらいに来れば大丈夫だったが、後藤が喜多さんとギター練習をするために早く行くというので俺も早めに参上したのだ。まぁ、割といつものことである。
二人のギター練習にベースを持って混じれば一応メトロノーム係くらいにはなれなくもなかったのだが、お遊び気分になってしまいそうなので自粛。
どうせ手持ち無沙汰だからと先にフロアの掃除だけでもと思って黙々と箒で掃き掃きモップで拭き拭きしていたのである。
で、最初からずーっと虹夏先輩はいたのだが、あからさまにお勉強中だったので気を遣ってスルーしていたのだが、先の疑問がどうしても気になって尋ねてしまった、というわけだ。
「虹夏先輩、あんまり無理せんでくださいね。バンド練習に受験勉強、家事もあってベーシストの介護まで……」
「うん、まず一番最後のやつは切り捨てるから大丈夫だよ。家事も、実はお姉ちゃんがちょっとやってくれるようになってきて」
「それはダウト」
「いやいやホントだって……まぁいろんな意味で任せっきりにはちょっとできないんだけど……」
「あぁ……」
納得した。あの日食べた手作りのカツ丼を俺はまだ忘れていない。
「……というか、それはこっちのセリフでもあるからね?」
「え? いや俺は何の嘘もついておりませんが」
「ダウトじゃなくって、無理しないでってところ。まぁあたしたちが引き留めておいてこう言うのもなんだけど、まさかストレイビートで働き始めるとまでは思ってなかったからさ」
「うん、我ながら思い切っちゃった感じはしてますね。とりあえず夏休み中は平気そうですけど……学校始まったらどういうバランスになるやら」
「勉強おろそかにしちゃダメだよー? 学生の本分なんだから……と、言いたいところだけど、結束バンド的にはストレイビートでマネージャーとしてメキメキ腕を上げてくれた方が……?」
「本音丸出しじゃないっすか。いや、確かにゆくゆくは、みたいな話もちょっとしてますけど、大学には行くつもりですよ。そこは方々合意してるところなんで」
大学、大学なぁ……とりあえず進学したいとは母さんに言ったし、あの後父さんとも連絡とって少し話をしたけども、今のところ具体的にどこに行きたいとかないんだよなぁ。
「……ま、俺勉強できるんで、そこそこやってそこそこのところに入れるようにしますよ」
「うわー、嫌味嫌味。来年痛い目見るよー」
「いやもうそれより今は来月どうするかですよ……ぶっちゃけこっちの方に引っ越したいなってちょっと思ってたり」
「え、本気? ぼっちちゃん殺す気?」
「背に腹は変えられないかと」
無限にある後藤の命と限りある俺の命、どちらが重いかは言うまでもない。
……が、今の時点では誰に相談してるわけでもないので、あくまで一つの案だ。
ただ、本当に生活がキツそうだったら、俺は容赦なく後藤を見殺しにするつもりである。
「……うーん、まぁぼっちちゃんが可哀想だけど、それより衣久くんの身体が心配だし、しょうがないかなぁ」
「後藤の一人や二人、安いもんですよ」
「いやいや安くない安くない……あ、ひとりふたりと言ったら、ふたりちゃんにも反対されちゃうんじゃない?」
「あー」
ある。大いにあるな。
最終的にジミヘンをけしかけられて俺は死ぬかもしれない。なんで基本命の危険が伴うんだよ。
「とにかくまぁ、あれですね。お互い、無理せず頑張りましょう」
「うん、そうだね。頑張ろう! ほどほどに!」
と、そんな感じで俺と虹夏先輩はぼちぼち頑張っていくことにしたって話。
終わり。
次回、未定!