「燃えよドラゴン」
つまらない学園だというのが最初の印象だった。卒業すれば進路は思いのままだとか、将来が約束されるだとか、そんな空手形を切って来る学校に来たのはほんの気まぐれでしかねぇ。
実際にこの学園に来てその空手形が本当に意味のない詐欺にも等しい謳い文句な上に、仮に権利を得られた所で実態が伴わない空虚な物である。
何が馬鹿らしいって、その卒業特典をありがたがって必死に得ようとしている連中が大半だってことだろう。実態が伴わなければ価値がないってことを理解しないまま学園の言うAクラスでの卒業を目指しているんだから笑うしかねえ。
だが良いだろう、要はこいつはゲームだ。Aクラスで卒業するというゲーム。そう考えれば多少の退屈は紛らわせられるだろう。
高度育成高等学校……名前だけは立派だが実態はカスみたいなこの学校に入ってもう一カ月。この学園のルールは当初推測したルールと大差はない。
生意気そうな石崎や不良連中も黙らせた、アルベルトは多少苦戦したが最後にはこっちの配下になった。そろそろ本格的に動くべきだろう。
だがその前に、片付けなければならない奴が俺のクラスにはいた。
笹凪天武……ぱっと見は小綺麗な顔をした男なのか女なのかよくわからない顔つきのコイツだが、その存在感は確かなものがある。
どこか人間離れした、神秘的な雰囲気がある奴だ。そしてこの学校と違って中身も伴った奴でもある。水泳の授業じゃ平然と世界記録を更新してやがったし、馬鹿しかいない俺のクラスの中ではまだ学のある奴だ。
俺に従わねえ奴はアイツを担ぎ上げようとしている、そろそろ潰すべきだろう。
「え~っと、何の要件かな?」
ある日の放課後、俺は手下の石崎とアルベルトを連れて笹凪を屋上へと呼びだした。
「ククク、わざわざ説明してやる必要があるのか? そこまで馬鹿じゃねえだろ?」
なんてことを伝えると何故か笹凪は瞳を輝かせる。
「お、おぉ!! つまりこれはアレだね、ちょっと校舎裏来いよ生意気な奴だなっていう……高校あるあるだ!!」
妙な所に食いついた笹凪は少し興奮した様子でこ続ける。
「こっから先はおらジャンプしてみろよって続くんだろ? この学校に来る前に参考に読んだ漫画の不良キャラが言ってたしさ……あ、でもこの学校だとポイント制だからジャンプしても小銭の音はしないのか、そこは残念だな。せっかく普通の学園生活あるあるを体験できると思ったのに」
本当に残念なのか盛大に溜息を吐く。そんな様子にアルベルトも石崎も少し困惑したようすを見せてやがる。前々から思ってたがこいつはどこか世間の感覚とズレた所がありやがるな。
「御託はいい笹凪ィ、俺がテメエを屋上に呼び出した理由はなぁ、手下になれって話だよ、わかりやすいだろ?」
「なるほど」
「この一カ月でテメエの実力も把握できたしなぁ、馬鹿と脳筋しかいないクラスの中じゃあまだマシだ。光栄に思えよ、俺が評価してやってることをよ」
「ん、そういうことにしておこうか」
「クク、不満か?」
「いいや、別に協力することに不満はないよ。俺は戦士であって帥ではないからね。俺に思いつく程度の戦略は他の誰かも思いつくだろうし、それなら兵隊として動いた方がずっと成果が大きい」
「自分の分を弁えてる奴は嫌いじゃねえぜ」
「けれど疑問はある……いや、覚悟を問いたい」
「あぁ? 覚悟だと?」
「そう覚悟だ。誰かを率いる覚悟、集団を纏める覚悟、或いは勝利する為の覚悟だよ……この一カ月、クラスの人たちは観察してきたけれど、君はどこかゲーム感覚で挑んでいるように見えたからさ」
「ハッ、そりゃそうだろう、この学校はゲームみてえなもんだ。実際、お前もくだらねえと思う部類だろうが」
「否定はしないよ、Aクラスでの卒業特典をぶら下げた結果、本質から遠ざかっているからね。それがゴールではなくスタートラインだと理解している人がとても少ないのがこの学校だ」
「ククク、わかってるじゃねえか。そんなもんを必死に求めるなんざバカ丸出しだろう、ゲーム感覚で挑むくらいが丁度いいんだよ」
「そこだ、くだらない物を求めて必死になるのがかっこ悪いと思ってる姿勢が駄目だよ。確かにくだらないものではあるけれど、それを価値ある物として高めていくことに意味があると思うんだ」
「何が言いてえ」
「ゲーム感覚じゃなくて、必死になってクラスメイトを育ててみなよ。Aクラスでの卒業特典で貰える補助輪を当てにするような生徒じゃなくて、しっかり意味ある物にできるようにね」
「……ハッ、馬鹿はどこまで行っても馬鹿のままだぞ」
「それが、覚悟が足りないと言っているのさ」
穏やかに微笑みながらも笹凪は存在感を高めていく。視線を引きつけるような引力のようなものが屋上に広がっていく。そんな見えない巨大な力を感じ取ったのだろう、石崎とアルベルトが緊張しているのがわかった。
馬鹿野郎、ビビるんじゃねぇ、きっちり背筋を伸ばしとけ舐められるだろうが。
「問おう龍園、君はどう他者を導く?」
「入学してすぐに言っただろうが、俺がこのクラスの王だと」
「王道か、言葉にするほど簡単なものではないよ。クラスを導いていくと言うのならば、その言葉に実態を持たせないとね」
「生意気言いやがる、良いぜ悪くねぇ、このまま大人しく軍門に下られるのも詰まらねえと思ってたんだ。ちょいとしつけてやるよ」
「そうか、それもまた良いだろう」
もう言葉はいらねえな、ある程度痛めつけて立場をわからせるしかねえ。どうせ袋にする為に屋上に呼び出したんだ、この展開は予定通りとも言えた。
「やるぞ石崎、アルベルト、立場ってもんをわからせてやれ!!」
「おっす!!」
「YES」
こっちは三人がかりだが特に不満はねえのか笹凪はそれを当然のことと受け入れている。ゆるやかに構えて迫る石崎とアルベルトを観察しているな。
水泳の授業でバカみたいな身体能力があることはなんとなくわかるが、腕っぷしの方にも自信があるらしい。
だがこちらは三人がかりだ、多少喧嘩が得意な程度ではどうしようもねえ。
「体幹が悪い、前のめり過ぎだ、拳に体重を乗せ切れていない」
そんな指南と共に笹凪は迫る石崎の拳をすり抜けるように躱すと、すれ違いざまに顎先を撫でて見せる。それだけで石崎は意識を失って屋上に寝っ転がることになった。
「君は……うぅん、ガタイに頼りすぎだね。鍛えてはいるようだけど、まだまだ隙間だらけだ」
そう言って今度は迫るアルベルトに手刀を放つと、それだけでアルベルトは意識を失って倒れることになった。
「さて、次は君だ龍園」
「クク、なるほどなぁ、どうやら腕っぷしの方も相当らしい」
「意外と落ち着いているんだね」
「これから袋にする相手が思ってたよりも手強かったからビビりましたって言うかよ、やることは何も変わらねえんだからよ、おらやるぞ」
「その意気は良し」
そうとも、どれだけ強かろうが結局は最後に立っていた方が強い、それをわかっているから俺は強いんだよ。
もしかしたら俺はこの場では負けるかもしれねえ、だが心が折れなければ負けじゃねえ、最後の最後に立っていることが重要だ。
「ククク、やるじゃねえか笹凪ィ、女みたいな面してる癖に中身はゴリラじゃねえか」
一気に距離を詰めて顔面に向けて上段蹴りを放つ、だが笹凪はそれを躱すことも防ぐこともなくまともに受け入れてしまう。その瞬間に俺の足から伝わって来た感触は、地中深くに根を張った大樹だ。
なんだこいつの体……鉛でできてるのか?
「グッ、痛てえじゃねえか、どうなってんだテメエの体は、現実的じゃねえぞおい」
「そうかな……その辺のことはよくわからなくてさ、君がそう言うのならばそうなのかもしれないね」
喋ってる途中に何度か笹凪を殴りつけるのだがその度に俺の方が負傷していくことになる。全力で殴りつければこっちに指が突き指になりやがるし、蹴りつければ鉄パイプでも蹴ったかのように脛が痛みを発する。
こいつ本当に人間か? サイボーグか何かだろこの感触。
「何度やっても無駄だね、君じゃ俺には勝てない。これは侮りじゃなくて純粋な戦力評価だ」
「クク、舐めてんじゃねえぞゴリラが!! あぁそうだろうよ、俺はテメエに勝てねえ、だが明日はどうだ、明後日は!? テメエがクソしてる時も、飯食ってる時も、女に鼻の下を伸ばしてる時も狙い続けてやるよ」
「挑み続けるということか? 折れないのは立派だよ」
「余裕ぶってんじゃねえ!!」
脇腹を殴りつけるが、返って来たのは笹凪の体幹が崩れる感触ではなく、俺の指が折れる音だった。
「その指では戦いは難しいだろう、もう止めにしないか?」
「言っただろうが、テメエが俺に屈するまで挑み続けるってよ!!」
「何度でも?」
「一度二度の勝利なんざくれてやるよ、だが最後に立ってるのは俺だ!!」
「そうか……どうやら君との戦いで重要なのは、技でも力でもなく、心のようだ。俺は平和に暮らしたいとは言わないが、平穏であることを尊ぼうと思っているんだ、こちらの安寧の為に君の心を折る。その上でもう一度君に覚悟を問うとしようか」
穏やかに微笑む笹凪は、俺の手首を掴む。押せども引けどもピクリともしなくなった腕は万力で固定されているかのように微動だにしない。
「心を折るだぁ……ククク、やれるもんならやってみろよ、俺に恐怖なんざねえ、つまり挫けることなんざねえんだよ、テメエに勝つその瞬間まで付け回してやるからよぉ!!」
「恐怖を感じないか、それは欠点だよ。恐怖とは踏み越える為にあるものだ、それを理解できない君はやはり未熟者だ」
「わかった風な口をッ……」
「俺も以前に似たような感覚に陥ったことがある。若者特有の万能感というか、陶酔感があってさ、まぁ師匠に険しい山から何度も蹴り落とされてるウチに俺ってちっぽけなんだなって自覚したけどさ……だから、きっと今の君に必要なのはそれなんだと思うんだ」
「はぁ?」
「人間ってね、高い所から落とされると色々と価値観が変わるんだよ。インドに旅行に行くよりもずっとお手軽なんじゃないかな」
そう言って笹凪は握っていた俺の腕を引き寄せて体を担ぎ上げる。
「覚悟を問うのは君の心を折ってからにしよう、君にとってこの瞬間が人生で重要な時間になることを期待するよ……え~っと、監視カメラの位置がこうだから、この辺からなら証拠は残らないかな」
「……はッ?」
次の瞬間、俺たちは浮遊感を共有することになる。
当たり前だ、笹凪は俺を抱えたまま平然と屋上から飛び降りたのだから。
重力に引かれて俺たちは落ちていく、天地も左右もわからない浮遊感に一瞬だけ思考が停止してしまうのだが、地面が迫ってることを自覚した瞬間に内臓が縮み上がるような感触が広がった。
死ぬ、俺は死ぬ……ここで、死ぬッ!?
勢いそのままに地面に激突して、後はシミになるだけだ。勝負だとか、王だとか、勝ち負けだとか、そんなものはこの瞬間にはなんの意味もなく、ただ地面が迫ると共に大きくなっていく恐怖だけが俺を支配していく。
勝ち負けじゃねえ、今この瞬間、俺はそれよりも死に恐怖していたんだろう。
「はッ、はッ、はッ……う、がは」
地面にぶつかる直前、それこそあと一メートルほどで俺の体が砕けて汚いシミになるだろう直前に全身を支配していた浮遊感は消えることになる。どういうことだと視線を彷徨わせると、俺の足首を掴んで逆さづりにした状態で、笹凪は空いている方の手を校舎の外壁に突っ込んでブレーキをかけていやがった……コンクリに指を突っ込んで地面に直撃する寸前で落下を止めたらしいな。
本格的に人間を辞めてやがる……およそ常識的な肉体をしてねえ、アメコミのキャラクターか何かかこいつは。
俺は過呼吸気味になりながらただ逆さづりになるだけだ、恐怖に支配されたことを自覚したまま。
「どうかな、いざ死が目の前に迫ると怖いだろう? よくわかるよ、俺も何度も経験したことだから。けれどね、恐怖を経験して踏み越える度に強くなっていけるものさ、大丈夫、そうやって強くなってきた俺が保証する、その恐怖が君を強くすると」
そう言って笹凪は掴んでいた足首を離して俺を地面に落とす。腰が抜けちまってたのかまともに受け身を取れず、それどころか立ち上がることすらできねえまま校舎裏の地面に大の字で転がることになってしまう。
「まだやるかい?」
「……」
「そうか、落ち着いたらまた覚悟を問うよ。その時は、もっと王道という言葉に重みがあることを期待している。一応言っておくけど、君に協力することは別に嫌ではないからさ、俺は師よりも戦士向きだから」
「……」
「それじゃあまた明日」
「……八億だ」
「うん?」
「俺はこの学園で八億貯める、それが勝ち方だ」
「ふむ……足りないな」
「……なんだと?」
「王様を名乗るくらいなんだ、そこは八億だなんてケチ臭いこと言わずに、24億貯めるくらいは言ってくれないとね」
「24億だと……ゴリラが、テメエまさか同学年全員をAクラスに上げようっていうのかよ」
「それだけじゃあ半分だ、ちゃんとしっかり地力をつけさせないと駄目だろうね。補助輪を貰っただけじゃ先がない、身の丈に合わない進路なんて貰っても意味がないしさ」
こいつ頭は悪くねぇはずなんだが、もしかして馬鹿だったのか?
「一応訊いておいてやる……テメエならどうやってそれだけのポイントを稼ぐ?」
「そうだな、手っ取り早いのは外貨を引っ張って来ることだと思うけど」
外貨か、学園の外から資金を引っ張って来てそれをポイントに換える……できなくはねえか? まともにやってもまず学校側が却下するだろうが、敢えてガバガバな校則や制度があることを見ると、一手間二手間加えれば不可能じゃねえか。
「ククク、なるほどなぁ、だがそいつは金持ちの思考だな。誰にでもできることでもねえし、そもそも見ず知らずの他人の為に自分の資金をポイントに変換するなんざバカのやることだ」
「そう? 寄付とか慈善事業とかそういう感じだと思うけど、どうせあっても使い道なんてないんだし」
こいつもしかして良い所の出身なのか? 金銭感覚も普通じゃねえな。ここまで常識外れだと違和感が大きくなってきやがる、この学園で一番の異物がコイツかもしれねえ。
「まぁいいさ、テメエの考えはわかった、どうやら俺が思っていた以上にイカれてたようだ……認めてやるよ、そっちの勝ちだ」
「そうか、それで?」
「……良いだろう、腹をくくってやる。24億、稼いでやろうじゃねえか、ただしそれはテメエとは違う方法でだ」
「うん、さっきよりもいい顔になったようだね」
「黙ってろ茶化すな……具体的な方法だが、まず一年のクラスポイントを一つのクラスに集める。馬鹿なDクラスが纏めて吹っ飛ばしたようだが、それでも合計で一年には2000クラスポイントを超えるくらいは保有しているだろう」
「それで?」
「今後もポイントは変動するイベントがあるだろうが、ポイントを纏めちまえば後は出来レースだ、今あるポイントは全て一つのクラスに集中するんだよ。そして貯めたポイントで他のクラスから引っこ抜く」
「そうすればクラスに支給されるポイントもまた増える、後はその繰り返しか……一年だけのクラスポイントじゃちょっと苦労しそうだ」
「当然、二年や三年からもポイントを奪いつくす、そうすりゃ年に数億単位は簡単に稼げるだろうよ。テメエの言う通り、クラスの在籍人数が増えれば毎月のプライベートポイントも増える、時間との勝負だろうな」
「他のクラスが納得するかな?」
「協力しろと説き伏せてる時間はねえな、だからAクラスに今日中にクラスポイントを全てくれてやればいい、葛城辺りを契約で縛ってこっちの計画に巻き込むんだよ」
葛城も馬鹿じゃねえ、自分の所のクラスポイントが増えれば大満足だろう。そこに一之瀬も巻き込んでDの馬鹿共も釣り上げる、坂柳が口を挟んで来そうだが葛城を俺たちで補佐すればお利口なだけの女なんざ完封できる……皮算用でしかないが、24億稼ぐには何よりも瞬発力が大切だ。クラスポイント程度はくれてやるよ。
いいぜ、面白くなってきたじゃねえが、狂ってるほど人生は楽しめるってもんだ。なってやろうじゃねえか、クラスと言わずにこの学園の王にな。
「なりふり構わずか、良いね乗った。それくらい向こう見ずな方が気持ちが良い」
「全部が終わったら後はテメエを潰す、それまで首を洗ってやがれ」
なけなしの強がりを伝えるとゴリラはクスクスと笑みを浮かべた。
「よし、それなら鍛えようか」
「……あ?」
「俺の首を取るのならば今の君が百人いても話にもならないよ。だから鍛えようって言っているんだ。ついでだ、屋上で伸びてるアルベルトや石崎も一緒に基礎から鍛えようか」
「……」
こうして俺は笹凪と奇妙な協力関係を築くことになる……いや、なってしまった。
このゴリラの言う鍛えるとは世間一般のトレーニングから大きく逸脱しており、最早鍛錬ではなく改造であるのだと俺が自覚するのはこの直ぐ後であった。
「まずは基礎となる身体を作ろうと思うんだ。という訳で仁王像を作って来たからこれを背負ってグラウンドを百周しようか」
「Oh、nioh」
「え、なんで仁王像」
放課後になるとさっそくとばかりに笹凪は俺たちを鍛えようとして、どこから持ってきたのか巨大な仁王像を俺たちの前に置く。
「おいゴリラ……俺たちに何をさせるつもりだ」
「俺の首を取るんだろ? それならまずは鍛えないと、後はその捻くれた性格もしっかり矯正したいとね、ほら王様なんだから強くないと」
「……」
「安心してくれ俺だって鬼じゃない、まずは基礎トレーニングを進めて本格的な改造……じゃなくて鍛錬はもう少し後にしてからだ、ちゃんとわかってるよ。この仁王像も初心者用に五十キロほどの重さに調整したから心配しないでくれ」
「……」
「できるよね?」
問いかけてはいるがこれは強制だった……その日から俺たちは笹凪の改造を受けることになってしまう。俺はこの学園に何をしにきたんだったか。
そこから先のことはあまり語りたくねえ、ただ一つ言えることがあるとすれば、まだ屋上ダイブの方が気持ちが楽になるほどに地獄の日々の始まりということだけだ。
放課後になると改造が始まる、いや授業中も空気椅子を強制してくるのでもう丸一日ずっと改造だなこれは。毎日毎日死にそうになりながら仁王像を背負ってグラウンドを走る俺たちは学園全体から奇妙に見られたことだろうぜ。
だが恐ろしいことに人とは慣れる生き物であるらしい。そんな日々が一カ月ほど続くと自然と仁王像を背負うことが当たり前のことだと思うようになってしまう。
「へ、今日もお前はカッコいいな」
石崎は愛用の仁王像を見て妙な愛着を披露してやがる。
「beautiful Marilyn」
アルベルトに至っては名前まで付けて可愛がってやがる……いよいよ毒されてきたなあのゴリラに。
「皆、だいぶ様になってきたね、じゃあ今日から初心者用の仁王像じゃなくて中級者用の仁王像に変えようか、今度のは自信作でね、この表情とか特によくない?」
仁王像を背負う生活も一カ月ほどで変化が訪れる、一回りごつくなった仁王像を笹凪はまたどこかから調達してきて俺たちに投げつけて来る。
前より倍は重たいじゃねえかこれッ!! 俺らを殺すつもりかよ!!
なんて意思を三人で伝えるのだが笹凪は平然とこう返してきやがった。
「え、そうだよ。強くなる為にはまず体も心も殺さないと。そうやって過去の自分に区切りをつけて新しい生命体に生まれ変わるのが改造なんだ……大丈夫、人はいずれ死ぬ、死んでも改造して作り直すから安心してくれ」
一つたりとも安心できる要素がどこにもなかった。しかし今の俺たちではこいつに敵わないので仁王像をまた背負う。
結局どれだけケチを付けようが今の俺たちではこいつには勝てないのだ。勝つ方法があるのだとすれば、こいつより強くなるしかない。
だから仁王像を背負う、こいつを背負ってグラウンドを百周すれば半歩くらいは近づけるだろう。
実際、一学期の間はずっと仁王像を背負いながらの改造訓練ばかりだったのだが、無人島でも体育祭でも俺たちは無双することができたのだから、きっと意味のあることなんだろう……ムカつくが日に日にゴリラになっていく自覚はあった。
「よし、ある程度は基礎もできたから心臓を止めようか」
「「「……」」」
またある日の放課後、今日も仁王像を背負って苦行を続けるのかと思ったのだが、突然に笹凪がまたおかしなことを言いだす。
「えっとね、人間って普段は割と機能不全って言うかさ、使ってない筋肉や細胞なんかが多いんだよ。そういった使ってない部分を自覚することも改造訓練には大切なんだ……だから心臓を止めようか」
「カハッ!?」
意味がわからないと言い放つ前に、笹凪は俺と石崎とアルベルトに目に見えない程の速度で貫手を放ち、心臓に衝撃を与えて動きを強制的に止めてきやがった。
心臓が止まった瞬間に俺たちはその場に膝から折れるように倒れ込む。どれだけ力を込めようとも体は動かず、ただ落ちるように意識が遠ざかっていくことだけを感じ取れてしまう。
ここで死ぬ、そんな自覚すら遠ざかっていくのだが、笹凪がまた俺たちの胸に貫手を放つと、途端に止まっていた心臓が動き出す。
「ぐッ、がは、ごほごほッ」
「どうだい? 一度心臓が止まった後に、また動かすと体中に勢いよく熱と血が巡っているのがよくわかるだろ? 普段は使っていない筋肉や細胞も活性化するし、内臓だって元気になる。その感覚を忘れないようにしてね、何をするにしてもその万能感が基本になるからさ、覚えるまで何度も心臓を止めるからそのつもりでいて欲しい」
殺す、こいつを殺す。そうしなければ俺たちが殺される。そんな思いを共有した石崎とアルベルトと共に襲い掛かるのだが一瞬で制圧されてしまう……やはりまだ仁王像で走り続けることが足りていないか。
こいつを殺すには、まだ地獄めぐりが足りてねぇってことだ。
「おぉいいよ伊吹さん、とても筋がいい」
「そう? まぁこれくらい楽勝よ」
またある日の放課後、いつのまにか伊吹が改造訓練に参加していやがった。伊吹の心臓も止めるのかと戦々恐々としてたが、笹凪は不思議なことに伊吹には心臓を止めることも関節を外して柔らかく組み直すこともせず、随分と丁寧に武術を教えてやがる。
「テメエ、随分と伊吹には甘いじゃねえか」
「え、だって伊吹さんは女の子だよ。男とは体の構造が違うんだから、相応しい改造をするさ。龍園たちだってそれぞれ体にあった改造をしてるんだからさ」
この野郎、屁理屈こねやがって。
「皆はとにかく体を頑丈にする改造だけど、伊吹さんには合わないだろうし、彼女には体の柔軟さと技を追及する方向性が一番だと思うんだ。柔よく剛を制すって奴だ」
「心臓を止めねぇ理由にはならねえよな」
「え、なんでそんなに心臓止めたがるの? 正直、引くんだけど」
平然と俺たちの心臓を止めたゴリラの言葉とは思えねえな、イラっとしたので全力で蹴り飛ばそうとするのだが、簡単に躱されてしまう……まだまだゴリラになりきれてないってことか。
笹凪がかしてくる改造訓練は様々だ。仁王像を背負ってのランニングは最早準備運動になってしまい、それで体を温めてから本格的な改造になっていく。
「武術を極めるにはどうすれば良いか、それは体操を極めることにあるんだ」
「あぁ?」
「そして体操を極めるということは健康を極めるということになる。健康を極めるということはそれすなわち武術を極めることに繋がるとされているんだ。これは古式中国拳法によくみられる思想でね。仙人価値観から来るものなんだ」
そう言って笹凪は小型の仁王像を両手や足に引っ付けながら奇妙な動きを繰り返す。
「体操とは健康法であり、武術もまたそれに通じる所がある。健康な人は頑強な体を持ち、体操がそれを促す」
「ラジオ体操でもしろっていうのかよ」
「それとは少し違うけど、敢えて言うのならば改造体操かな。中国拳法では体操を極めると不老長寿になれるという考えがあった訳だ、それはつまり武術を極めることと同義でもある。体操を長じて、健康に維持して、武術を極める、どれか一つを極めるには他の二つを極める必要があるのさ……三位一体のこの思想は武術の基本でもあるんだ。ほら皆も体操だ、繰り返せば健康になり、健康になれば武術も長じる、不思議だよね」
どうせ抗うこともできないので俺たちは不安定な足場の上で仁王像をくっ付けながら体操を行うことになる……最初は文字通り血反吐を吐いていたのに、いつの間にか体が随分と軽くなっていた。
効率性や科学的なトレーニングを無視したこいつの改造訓練についていけるようになったことに若干戦慄しながらも、今日も地獄は続いていく。
なんてことを毎日毎日馬鹿みたいに繰り返してはいたが、本業のポイント稼ぎやクラス間闘争も進めてはいた。クラスポイントを一カ所に集中して集めたポイントでAクラスへ移動させてそれを繰り返して同学年の連中を全員Aクラスに移動させるのもそろそろ本格的に進めるべきか。
だがその前に片付けなければならない相手がいた、DクラスにいるX……綾小路の存在だ。
ゴリラがゴリラ過ぎるせいで見落としがちだったが、コイツはコイツで邪魔な存在だった。軽井沢を介してこっちの情報をかすめ取ろうとしたりと面倒な相手ではあるし、あっちはあっちで南雲からポイントを毟り取って今ではBクラスの位置まで上がって来てやがる。
葛城を筆頭にしたAクラスのポイントはもう3000を超えているし、俺のクラスと一之瀬のクラスは譲渡を済ませたから0、綾小路のクラスだけがこっちに反発してポイントを伸ばしてきてやがる。
さっさと合流させるべきだが、どうにもこいつが動いてポイントの譲渡を阻止してやがるようだ、少し頭を使えばこっちに協力する方が楽な筈だが……こいつはどうにも、俺たちと競い合う状況を楽しんでいる節があるな。
だからポイントの集約を邪魔してくる……面倒だ、そろそろ潰すか。
「はい、じゃあお互いに遺恨なく、正々堂々戦うこと」
綾小路を潰す算段を考えていると、笹凪がそんな俺の首根っこを掴んで屋上まで引きずっていき、そこで呼び出されていた綾小路と向かい合わせやがった。
「おい、段取りが全部吹っ飛んだじゃねえか、どうしてくれんだ!?」
「えぇ、だってどうせ軽井沢さんを追い詰めて釣り上げるとか物騒なこと考えてたんだろ龍園は、そんな回りくどいことしないでさっさと決着付ければ良いじゃないか、綾小路もそう思うだろ?」
「……どうだろうな」
この機械のような男も笹凪の強引さに流石に呆れた顔をしてやがるな。こいつはこいつで色々と策略を巡らせていただろうに、ゴリラに引きずり回されて屋上まで来てしまったらしい……あぁ、そこは同情してやるよ、どれだけ策略家を気取ろうが笹凪の前では意味がねえからよ。
「いやさ、君たちって多分凄く頭が良いんだろうけどさ、深く考えなくてもさっさと殴り合って白黒つけてしまえばそれが一番効率良いと思うんだよね。龍園に任せると軽井沢さんを巻き込むし、綾小路は綾小路で軽井沢さんを餌にしそうだし……なんでそんな遠回りするのさ」
「……」
綾小路がこいつをどうにかしろと言いたげな視線を俺に向けて来るが、こいつをどうにかするには物理的に上回らないと意味がねえから俺に期待すんじゃねえ。
そしてそれは軍事力がなければどうしようもねえってことだ。
「それじゃあお互いに見合って見合って、はっけよいのこった!!」
まるで相撲の宮司のように向かい合う俺と綾小路の間に立つ笹凪は、さっさとケリを付けろとばかりに戦いを急かす……馬鹿ではないがやっぱり脳筋だなこいつは。
「はぁ……やるぞ綾小路」
「え、続けるのか?」
「こいつはゴリラだ、ゴリラに人間の理屈なんざ説いても意味がねぇ。テメエはテメエで色々と考えてたんだろうがな、コイツがここにいる時点で全部破綻してんだよ、俺たちにできんのは正面突破で堂々と白黒つけることだけだ……バカ丸出しだろ」
「……お前も苦労しているようだな」
「クク、同情するんじゃねえ、泣けてくるだろうが」
どれだけ策謀を巡らそうが最後にはゴリラが我を押し通して終わりなんだからな、そう考えるとこの学校で策士を気取ることの無意味さがよくわかる。
綾小路も逃げ場はないと思ったのか、大きな溜息を吐いてから構えて見せた。
なるほど隙がねえな、相当格闘技を齧ってやがる、どうやら黒幕気取りでニヤついてるだけの嫌味な男ってだけじゃなかったらしい。
「いいぜ、思ってたよりも楽しめそうだ……綾小路、俺が勝ったらこっちに協力してもらうぜ」
「全てのクラスポイントをAクラスに集めるか……一つ訊きたい、それはお前の発案か? それとも笹凪の戦略なのか?」
「お利口ゴリラの作戦であり、俺の作戦でもあると言っておいてやるよ」
「そうか、なるほど……やはりお前たちがこの学園で最も興味深い相手のようだ」
「上から目線で物言ってんじゃねえぞ」
挨拶代わりにジャブを一発、だがあっさりと防がれてしまう……やはり動けるな。
ボクシングと空手に柔道、ぱっと見でわかるのはそれぐらいか、後は細かい技術も吸収してやがるな。どう考えても学生レベルの動きじゃねぇ、幼少期からずっと格闘技漬けの生活でもしてやがったか?
あぁ、だが、結局は人間という物差しで測れる程度の相手だ。こいつはゴリラじゃねえ。
「ッ!?」
ジャブの速度を上げていく、そこに幾つもの牽制を交えながら足捌きでも翻弄していく。
「ぬりいな綾小路ッ、その程度で俺と渡り合おうと思ってたのかッ!!」
「なるほど、想定よりも動けるようだな」
相手もギアを上げていく、下手なプロよりも遥かに動けるようだな。
「お~、綾小路も動けるなぁ」
ゴリラは呑気に俺たちの戦いを珈琲片手に眺めてやがる。無視だ無視、ゴリラだからなアイツは。
拳が綾小路の腹筋にめり込む、すると相手はすかさず膝を俺の肋骨に当てて来た。互いの身を削り合うようにして少しづつ痛痒を増やしていくような戦いは、それだけ実力が拮抗しているからだろう。
強いなおい、入学したばかりの頃の俺なら瞬殺されてたかもしれねえ……なんだかんだでゴリラの改造が効いてきてるってことか。
「体育祭でわかっていたが、凄まじい身体能力だな……石崎や山田、そして龍園、普通の高校生でしかないお前たちの力の原動力は、あの無茶苦茶な鍛錬か」
「ククク、そうさ、あのバカみたいな時間も無駄ではなかったってことだろうよ」
幾度か殴打を打ち込むと、綾小路も反撃を強めていく。いつの間にか俺たちは互いに鼻血を流し、体中に打撲を広げながら痛痒を深めていた。
「およそ効率的な鍛錬ではないな、スポーツ科学を無視した無意味なトレーニングだと思うんだが……常識的とは言えない」
「ククク、そんなつまらん物差しで測ろうとするから誤算がでてくんだよ、入学したばかりの頃の俺も同じ過ちをおかした……いいか、ゴリラを人間の常識で語るんじゃねぇ」
「……」
「綾小路よぉ、テメエにはわかるか? 身体を鍛える意味がよぉ」
「……さて、どうだろうな、考えたことはない」
「ククク、それだけ動けるってのに何も考えちゃいないってか、他人に言われるままに鍛えてただけって顔だなぁおい……なら教えてやるよ、神髄って奴をよ」
「ほぅ」
そう、俺は学習した、武術とは、鍛錬とは、成長とは、人生とは何かを学んだんだ。あの仁王像は俺に世界とは何かをずっと問いかけ続けていた。
「いいか鍛錬ってのは、武術ってのは……宇宙と一体化することなんだよ」
「……うん?」
「一つ強くなる度に感じるんだ、この足元にあるでっけえ地球の躍動をよぉ」
「お、おぅ」
「呼吸とは、鍛錬とは、武術とは、研鑽とは、体操とは、それすなわち、星と一体化する為にあるってことだ。感謝の正拳突きをする度に、深呼吸を繰り返す度に、俺に蓄積された努力とクンフーが大きくなる度に、このでっけえ星の力強さを感じるんだよ」
「……お、おぉ」
「武術とは何ぞや、鍛錬とはいかなるものか……今ならわかるぜ、星を、宇宙を感じることだってな」
「……」
「ククク、わからねえか? そりゃそうだろうなぁ、まともに暮らしてたらそんな境地には至れねえ」
綾小路は助けを求めるかのように笹凪へと視線を送るのだが……悪いな、アイツは確実にこっち側の人間だ。
「地球を、そして宇宙を感じ取れねえテメエにはついてこれねぇよ、この領域の話は」
「すまない、全く理解はできそうにない」
「そうかよ、それがお前の限界だ……そら続きだ」
深く深呼吸を繰り返す、そして笹凪に改造された体を躍動させていく。くだらねえともう笑わねえ、ゲーム感覚で挑むこともしない。
俺は王になる、誰にもそれを笑わせはしない。
綾小路も、石崎もアルベルトも従えて、最後の最後にあのゴリラに挑む為に。
戦い踏み越え、従えて、いずれ最強を砕く。鯉が滝を上って龍となるように、天上へと食らいつく。
だから綾小路、お前程度に負けてやるわけにはいかねえんだよ。中ボスに手こずってる暇はねえ!!
覚悟はできてるか? 俺はとっくに完了してるぜ。
ホォォォオッ!! アチョオオオォォォッ!!
燃えよドラゴン 完