「マーガレット。開けてくれ」
嵐の夜だった。沼地の家、ベイカー家はその日1人の少女を救助していた。
「ゾイ。ランドリーからキレイな服を取ってきてちょうだい。きっと船のオイルか何かで汚れちゃったのね。着替えさせて、あたたかいベッドで寝かせてあげて。ルーカスの昔の部屋がいいわ」
油まみれで汚れた服と体。見ず知らずの子供。介抱するには服も家も汚れる。身元を探すのも手間だろう。関わりたくない。他の誰かが助けてくれるだろうと見捨てる者もいるかもしれない。
それでも一家の主は躊躇なく彼女に手を差し伸べた。民宿をやるのが夢だった。その夢が叶ったと笑いながら。
その少女の名はエヴリン。
E+型特異菌被検体エヴリン。
E型特異菌。感染者の身体能力、再生力の向上。幻覚・幻聴を伴う人格の狂暴化といった影響力を持つカビの一種である。
数々の変異を起こし、この悪魔的能力に至ったわけであるが・・・それは幾千幾万の変異ルートによって至った偶然の産物。
その中には例えば『身体能力・再生能力は向上するものの人格は保たれたまま』という変異に至る菌もある。そういうものは大概、他の変異に淘汰されてしまうものだ。
偶然というものは恐ろしい。
最強の菌が生まれてしまった。
E+型特異菌。
感染者への身体能力・再生能力に変化を与えず。精神や記憶の取り込みや保存も行わず。感染者の性格を変貌させるだけの菌。
「寝ちゃってたみたい」
翌朝。長女ゾイは食卓のテーブルでうたた寝をしていた。
「おやおやおや。ようやく起きたみたいだな」
「美味いコーヒーの匂いで目を覚ませよ」
「大丈夫かい? 昨日の夜は嵐でみんな大騒ぎだったからね」
寝起きのゾイに優しく言葉をかける家族たち。
だが何か様子がおかしい。
兄のルーカスが食事中にスマホで遊んでいるのを父ジャックが注意しないのだ。いつもであれば鉄拳制裁が飛んでもおかしくないのに。
いや、それ以前にルーカスの様子が変だ。いつもであれば家族に反発する彼が、ゾイに優しい言葉でコーヒーを勧めてきた。母のマーガレットが淹れてくれたコーヒーであり、彼が作ったわけでもないのだが。
しかもよく聞けば、そのコーヒーを『美味い』と言っている。いつもならマズイと悪態をつくはずなのに。
おかしい。そう思わずにいられない最も不可解な点がある。
食卓に並んでいる食器の数が足りないのだ。
「どうしたの? お姉ちゃん」
10歳くらいの少女がゾイに声をかけた。昨日ジャックが助けた少女だ。いや、そうじゃない。
「何でもないわエヴリン」
ゾイは違和感を覚えながらも納得した。エヴリンは妹じゃないか。ずっと前からゾイの妹のエヴリン。そのはずだ。
「朝食を食べ終わったら、ルーカスを連れていって外の様子を確認してくる。お前達も家の周囲を見ておいてくれ」
「それはいいアイデアね。前に嵐の後に雨が降ったら大変だったもの。それが終わったらルーカス、ゾイ。エヴリンと遊んであげて」
「ああ分かったよ、お袋」
「そうね。遊びましょうエヴリン」
快諾するルーカスとゾイ。エヴリンは元気よく「うん」と答えた。
E+型特異菌。
感染力はE型特異菌を遥かに上回り、その精神汚染に抗う術はない。
そしてその汚染は被検体エヴリンの精神にも波及する。彼女の望みを叶えるように。
少女は愛に飢えていた。
嵐の夜、初めて知った人の愛。ベイカー一家の博愛の精神。家族の愛。
その望みをE+型特異菌は叶えるため働いた。
簡単に言ってしまおう。
ベイカー一家は優しい性格に変貌した。
エヴリンもまた優しい性格に変貌していた。
ベイカー一家はエヴリンを自分たちの家族の一員だと認識するようになった。
エヴリンもまた生まれた時から自分がベイカー一家の家族だと認識するようになっていた。
「それじゃあ、今からちょっとしたゲームをやろう。カードは好きか? 好きだよな」
「好きだよ。ねーエヴリン」
「ねー」
ゾイとエヴリンが待つリビングルームに、箱を手にしたルーカスが機嫌よく入ってきた。
「それじゃさっそくゲーム内容を説明しちゃうぞ」
「待ってました」
「ました」
ゾイの拍手を真似しながら、つたないペチペチ拍手を送るエヴリン。
鼻歌混じりに箱を開け、ルーカスが中から取り出したのは変わった絵柄のカードたち。
「ごきぶりポーカーのルールは知ってるか?」
愛を知ったエヴリンが次に知るもの。それは喜びと楽しさ。
遊びに精通したルーカスが教えるゲームの数々。みんなで遊べるボードゲーム。
これはエヴリンの物語である。
これはエヴリンがボードゲームを楽しむ物語である。