ルイジアナ州ダルウェイの広大な湿地帯に建つ館。ベイカー邸上空に無数の輸送機が旋回していた。
プロペラの轟音の中、ロープが次々に垂れ下がり、館に黒い影が降り立っていく。
「ポイントDクリア。サンプルV確認。休眠状態を確認」
「ポイントRクリア。サンプルM、同じく休眠状態」
「ポイントGクリア。サンプルA、サンプルL確認。だが標的Eの存在を確認できない。本当にこのエリアにいるのか?」
「本部の最終確認は10分前だ。休眠から覚醒した可能性もある。だが特異菌再活性の兆候はない」
「ようは普通のガキに戻ったってことだ。目覚めて俺らに気付いて逃げたか。そう遠くには行っていないはずだ。探せ!」
ベイカー邸を捜索するエージェントたち。
住民のベイカー一家は糸が切れた人形のように無造作に倒れ込み、侵入してきた者たちの乱暴狼藉にも目を覚ます気配はない。
侵入者たちの目的はエヴリンだ。一家にはお構いなしに家具や扉を破壊しながら踏み荒らしていく。
破壊音と無数の足音が鳴り響く館の地下にエヴリンはいた。
『・・・逃げなきゃ』
館の地下に広い通路があることをエヴリンは初めて知った。暗闇の中を逃げる少女の心は不安に押し潰されそうになっている。
だが彼女は逃げなければならない。侵入者の目的は彼女と家族を生け捕りにすること。それは侵入者たちの会話から察することができた。
だがどうやらエヴリンを捕らえなければベイカー一家を捕らえる意味は無い様子。
彼女自身が逃げのびることが家族を救う唯一の手段。
『どうして。ずっと幸せだったのに。またあの悪い人たちに捕まったら・・・』
エヴリンは侵入者のことを知っていた。
古い。それでいて新しい記憶。
彼女は深く暗い穴で育てられた。
決して外に出してもらえることはない。
奴らは彼女を閉じ込め、魂を奪った。
エヴリンは助けを求めていた。ひたすらに手を伸ばしていた。
誰も助けてくれなかった。ニアもアランも。
だが彼女は自分で手を伸ばす能力を得た。誰も彼女を傷つけることはない。このままずっと暮らしていけるハズだった。
幸せだった。ベイカー一家や街の人たちと暮らした日々は。
そこに奴らは現れた。
もう幸せな日々は戻ってこない。
捕まってしまったら。
でも捕まらなかったら?
幸せな日々は戻ってこない。
それでもベイカー一家や町の人たちは、もしかしたら戻れるかもしれない。
『私が助けるんだ。逃げて、助けるんだ』
かすかな希望がエヴリンの心の隅で根を張っていた。
恐怖と不安の中でも。わずかな光が彼女の足を支えていた。
地下道は長くなかった。うっすらと刺す弱い光。月明かりだろうか。何時間、地下を彷徨っていたのかエヴリンには分からなかった。
「ジョーおじさんのところなら・・・隠れられるかも・・・」
冷たい沼の水に足を入れたエヴリン。
だがその時、彼女の身体に鋭い痛みと共に電撃が走った。
「あああああああああああああああああ」
脳の奥まで裂けるほどの痛みに彼女は叫び声を上げた。
幸せな思い出が一瞬で吹き飛ぶほどの電流。目の奥がチカチカと火に焼かれている。
「見つけたぜ。手間かけさせやがって」
エヴリンは侵入者たちに取り囲まれていた。捕獲用の電気銃の一撃が炸裂したのだろう。
「どうする? 念の為にもう一発食らわせておくか?」
一人の男が銃のスイッチを入れると、充電のモーター音が夜の静寂の中で嫌に大きく鳴り響いた。
「いやだ」
エヴリンのか細い声が沼の土に沈む。
あの痛みをもう一度でも喰らったら死んでしまうかもしれない。そんな不安が彼女の心を裂く。
「いやだ! いやだ! いやだ!」
精一杯の声が男たちの耳にも届いた。だがそれでも侵入者たちは構う様子を見せない。
男の一人がエヴリンに電気銃を突きつけ、引き金に指をかけた。
「どうしてみんな私を嫌うの」
エヴリンは涙を流し、ギュッと目を閉じた。
覚悟したとしても耐えられる痛みではない。それでも体に力が入る。
1秒もしないうちに自分の意識は消えてしまうだろう。絶望まで待つその1秒が長く感じられた。
だが彼女に届いたのは痛みでも電流でもなかった。
誰かの声だ。
「娘から離れろ!」
鈍い音が聞こえて来た。声の主が侵入者に殴りかかったのだろう。
エヴリンが静かに目を開くと、彼女を囲むように数人の男女が周りに飛び込んできた。
「そんな・・・パ、イーサン? ベイカーさん?」
エヴリンを囲んだのはベイカー一家。ジャック、マーガレット、ゾイ、ルーカス。そして侵入者たちを前に鉄パイプを構えるイーサンとミアであった。
「待て、撃つな!」
銃を構える侵入者たち。だが何か通信が入ったように彼らは手を止めた。
その間隙の無事にベイカー一家はエヴリンと向き合った。
「大丈夫かエヴリン。お兄ちゃんたちが来てやったぜ」
「ルーカス・・・お兄ちゃん」
「といっても状況最悪だけどね。でも私の妹に手ぇ出したら噛みついてやるから」
「お姉ちゃん?」
手に泥と石を持ち侵入者たちを威嚇するゾイとルーカス。その膝は震えながらも声には覇気がこもっていた。
「ごめんなさい。わたしのせいで」
「エヴリン。私たちはわかっていたのよ。アナタが心に入り込んだ日から。たしかに抵抗できなかったわ。でも自分の感情が抑えられて、その後からアナタが本当に家族を欲していたのが分かったわ」
「・・・でも本当の家族じゃない。支配してただけ。ままごとより酷いことを私はしたの」
「なら、ままごとをこれから始めよう。イーサン、家族を守ってくれ」
エヴリンを抱きしめるマーガレット。ジャックは2人を守るように覆いかぶさりながら懇願した。
「ああ」「もちろんよ!」
原始的な攻撃手段しかないイーサンとミア。それでも強引に突破すれば侵入者たちの装備を砕くこともできる。
そんな状況下で侵入者たちは本部からの命令を受け取っていた。
「・・・了解。支配を脱した人間の反応サンプル収集完了。次のステージに移行する」
そう言って男たちは銃を構えた。電気銃ではない。実弾の銃だ。
「サンプルを1体、殺処分する。その反応を見る」
男たちは迷いなく引き金を引いた。あまりにもあっさりと決断された暴力に、イーサンは反応できなかった。ベイカー一家も。エヴリンですらも。
唯一、反応したのはミアであった。
両手を広げイーサンの前に立つミア。
飛び交う銃弾が全て、彼女の身体に次々と叩きこまれた。
「ミア!」「そんなっ」「ママ!」
醜い火花が夜の闇の中でエヴリンたちの目に飛び込んでいく。
人型の塊が倒れ込む。
その塊をイーサンは咄嗟に抱きかかえた。エヴリンもまた飛び出し、ミアの元に駆け寄った。
「ママ!」
「よかった・・・アナタが無事なら」
口から血を吐き出しながら、ミアはエヴリンに微笑みかけた。イーサンも、ベイカー一家も絶望に顔をしかめながら唇を噛んでいる。
「ママ・・・私のせいで・・・ごめんなさい・・・」
「ああ、泣かないでエヴァ。大丈夫よ。もう、大丈夫です」
ミアの口元がニヤリと笑った。そう感じたのはエヴリンだけではない。侵入者たちもまたその異様な雰囲気に目を見張った。
その場にいた全員の意識がそちらに向いたことで、彼らに忍び寄る“蠢き”の存在に誰も気づかなかった。
気付いた時にはもう遅い。
「ぐわっ、何だコレは!」
男たちの中からうめき声が上った。
蟲だ。蟲が男たちに襲い掛かったのだ。
それだけではない。
次は沼の奥から轟音が上り、何か巨大な魚のようなものが侵入者たちに衝突した。
「なっ!」
理屈と現象が分からない。男たちは混乱した。エヴリンたちですら何が起きているのか分からなかった。
だが蟲も魚のようなものも、エヴリンたちに危害を加えないような軌道を見せている。
「何がどうなって・・・って、銃が!」
今度は侵入者たちの銃が、何か不思議な力に引き寄せられるように浮かび始めた。
その動きは何か磁石で引かれていくように男たちには感じられた。
「何がどうなって・・・っておい何をする!」
今度は侵入者たちの中で仲間を殴り始める者が現れた。
誰もが混乱の中で叫ぶ中、その中から甲高い少女の声が響いた。
「テメエふざけんな! 可愛いお人形ちゃんに何しやがんだよ!」
その声にエヴリンたちは聞き覚えがあった。
まさか・・・そうエヴリンたちが目を見張る中、蟲と銃が沼の中に立つ男女の元へと吸い寄せられていった。
男女・・・といえば普通は男性のほうが背が高い様子を思い浮かべるだろう。
だが今回は逆だ。というより女性のほうが背が高い。高すぎる。色々とデカすぎる。
「まったく香味の薄い男はどうしようもない」
「はっ、その意見には全く同意だぜ」
男女の姿にエヴリンたちは叫んだ。嬉しい叫びだ。
「ドミトお姉さん!」「マジか、ハイゼンさん?」「さっきの声、アンジー?」「ってことはモローくんも!?」
歓喜するエヴリンたちの元に、その4人の影が優しく降り立った。
人・・・のはずだ。シルエット的にまともなのはハイゼンベルクくらいだが・・・
「間に合いましたね」
それはイーサンの腕の中から聞こえてきた。先程までの弱々しい声ではない。ハッキリとした口調で、その声の主はエヴリンに微笑みかけた。
そして、その声に呼応するようにドミトレスク、モロー、ハイゼンベルク、ドナは跪いた。
「え? あの、え? ミ、ミア?」
静かにイーサンの腕から立ち上がったミア。
銃弾に体中を貫かれた彼女が何事も無かったかのようにスッと立ち上がる姿に驚愕するエヴリンたち。
その反応に構うことなくドミトレスクたちは静かに祈り始めた。
「大いなる者よ 聞き入れたまえ」
「畏敬の念と共に捧げん」
「深夜の月が黒き翼で舞い上がるとき 我らは自らを犠牲とし 最後の灯りを待つのみ」
「生にも 死にも マザー・ミランダに栄光を捧ぐ」
その瞬間、ミアは腕をバサッと広げた。
黒い羽が舞う。
そしてミアの姿もまた黒い羽に覆われ、別人の者へと変貌した。
「ミア?」
「ではない。我が名はミランダ。マザー・ミランダ」
エヴリンたちの思考は停止していた。辛うじて動く脳の回路は「いや、名前はさっき聞いたけど」と呟いている。
「え? ミアじゃない。入れ替わ・・・いや、いつから」
どうにか回るイーサンの口。今聞くべきことはそんなことじゃない。侵入者たちの阿鼻叫喚の中、知りたい情報はそんなことではない。
「ずっと。今まであなたたちのことを見ていました」
サラッと言ってのけるミランダ。
「エヴリン。あなたの菌根の力は素晴らしい。この母の心すらも支配した。母はその力を欲していました」
静かに語りかけ、エヴリンの頭を撫でるミランダ。力を欲していた。そう言い放ったミランダの立場を理解できないエヴリンではない。だがその声にエヴリンは安らぎと心地よさを覚えた。
「私は娘を取り戻したかった。ですがあなたと遊ぶ日々の中で思い出しました。娘を蘇らせて何をしたかったのか。娘の幸せな姿を見たかった。我が娘、エヴァの。私の心はいつしか幸せを望む温かさに染まっていました。あなたのお陰です、エヴリン」
そう言うとミランダは向き直り、侵入者たちに向けて声を荒げた。
「お前たちは、少々やりすぎた。皆仲良く暮らしている娘たちを。怖がらせてはいけません。私の今度の怒りは、許しがたい のです!」
そう言い放つと同時に、再び侵入者たちに襲い掛かるドミトレスクたち。
阿鼻叫喚の地獄絵図が広がる中、ミランダは侵入者たちが落とした通信機を拾い上げた。
「聞こえていますね? これは宣戦布告です。あなた達は私たちを敵に回した。え? そんなことも分からないのですか? では教えてあげましょう。これは将棋です。このゲームは面白い特徴があるのですよ。取った相手の駒を自分の駒として使うことができるのです」
そう言い放ち、通信機を握りつぶしたミランダ。
彼女は静かにしゃがみこみ、エヴリンに優しく話しかけた。
「エヴリン。本物のミアは病院にいます。一つ教えてあげましょう。赤ちゃんは3か月程度では生まれません。いくら支配されていたからといって、私も『この入れ替わりに気付かないの?』と思いましたよ」
「そうだったんだ」
ホッとして膝の力が抜けたエヴリンを、ミランダは優しく抱き上げた。
「さぁ、新しいゲームを始めましょう。誰が1番かを当てるゲームですよ。オルチーナ・ドミトレスク、カール・ハイゼンベルク、サルヴァトーレ・モロー、ドナ・ベネヴィエント。そして私。誰が一番最初に仕事を終えて帰ってくるかをね」
「どうやらこの襲撃の混乱の最中、奴らは隙を見せたようですマザー」
「ミランダ母さん。今、BSAAから連絡があったよ。奴らの拠点が分かったって」
「あのゴリラ野郎。随分遅かったじゃねぇか」
「奴らの息の根も秒読みだ! チクタクッ」
テンション高く浮足立つミランダたち。
「ほんの少し。少しの間だけ待っているのですエヴリン。帰ったら一緒にバックギャモンやマンカラで遊びましょう」
そう言ってニコリと笑うミランダ。エヴリンも屈託のない笑顔で微笑み返した。
そこに微塵の恐怖も不安も無い。
彼女が長く待ち望んだ本当の幸せ。
その気配が温かく漂っていた。
もう大丈夫。
これからのエヴリンの幸せに
血の色が現れることは
絶対にないのだ。
「にしてもミランダさんのチョイスよぉ、さすがに古すぎじゃね? 加齢臭がするレベル・・・」
訂正。少しだけ血の色は現れた。
「ったく勘弁しろよママさん」