──夏、セミの声が耳障りなその日、茜は駅で待ち合わせた喜多と虹夏を案内していた。
「いやあ疲れた疲れた、本当に茜くんとぼっちちゃんってここから通学してたんだね」
「その辺は慣れだな」
途中の自販機でスポーツドリンクを買って二人に渡し、自身も一息で飲み干す。
清々しいほどに忌々しく空は雲一つ無い快晴で、燦々と照り付ける太陽は、外を歩く茜たちの体から容赦なく水分を奪っていった。
「あっつ……お前たちも、熱中症には気を付けるんだぞ。看病は面倒くさい」
「あはは、わかってるよ~。ねえ喜多ちゃん」
「………………」
「喜多ちゃん?」
振り返って背中を向け前を歩く茜を、喜多はじっと見て黙り込む。彼の頬にじっとりと垂れる汗、第2ボタンまで開けられたワイシャツから覗いた首筋、袖を捲った中から露になった太い腕。
彼女は瞳に『♡』を浮かべて、どことなくうっとりとした表情を浮かべていた。
「────はぁ、とても良い……♡」
「喜多ちゃん、男子中学生みたいなフェチに目覚めてるところ悪いけど、今日の目的覚えてる?」
「…………はっ! そ、そうでした」
目が覚めたように肩を跳ねさせた喜多は、ぺちぺちと頬を叩いて意識を切り替える。
「後藤さんの家で遊ぶんでしたよね! 私、オススメのお菓子と映画持ってきました!」
「全然違うよ? ──ライブで着るTシャツのデザインを決めないとって話!」
「ち、ちゃんと覚えて……ますよ…………」
「視線を茜くんのうなじから離そうね~」
「……なんか言ったか」
喜多の陽射しよりも熱い視線を感じ取り、茜が振り返る。二人がぶんぶんと首を振るのを見て、改めて踵を返して家に向かった。
「そういえば、リョウは来なかったんだな」
「あー、誘ったんだけどね~、おばあちゃんが今夜が峠なんだって」
「ええっ!? 大変じゃないですか!」
「いやいや、大丈夫だよ。おばあちゃんの峠なら今年で10回目だから」
「地元の山でレースでもしてんのか?」
虹夏の言葉に慌てる喜多に説明し、背中越しに茜が疑問符を浮かべる。
「おばあちゃんは実在してるからいいんだよ。よくないけど。リョウって面倒くさがるとスラスラ嘘つくんだよねぇ、犬の手術があるとか生き別れの双子の妹から連絡が来たとかお父さんが事故で記憶喪失とかしょうもない言い訳ばっかりするの。逆に凄くない?」
「まあ、ベーシストだしな」
「柊木くん、ベーシストに偏見あるわよね」
「その偏見に信憑性があるのが悪い」
脳裏に度し難い酔っ払いを思い浮かべ、彼女はまだ生きているのだろうかと思案した。
それから目的地である後藤家に向かう傍ら、塀を歩く野良猫が茜の肩に飛び乗り、休みを満喫している子供に手を振られる。
途中で猫が茜の肩を降りて民家の縁側に走って行き、『ご苦労』とでも言いたげに鳴き声をあげ、虹夏と喜多はその光景に頬を緩めた。
「そろそろ着くぞ」
「ねえ、茜くんってぼっちちゃんの幼馴染でしょ? 家も隣同士なんだっけ」
「ああ」
「やっぱり後藤さんって、小さい頃から
「そうだな。物心ついた頃からの付き合いだったが……あいつは筋金入りだ」
約13年ほど前からの付き合いであるひとりの幼少期は、今となんら変わり無い。
内向的で気弱、頭の中では行動の前に『自分なんかが』という接頭語がついてくるほどのネガティブ思考。それが、ギターとの出会いで牛歩の歩みでも改善されてきている。
「まあ、今は少しずつ良くなってきているがな。俺以外の知り合いが自分の家に来ることを許容できるようになったのは成長……と、ここだ」
足を止め、茜は二人に視線を送る。虹夏と喜多は、案内された一軒家を見上げた。
「おぉ~、ここが」
「ご立派な一軒家ねぇ」
「二人が来るからって横断幕をぶら下げてたから、外させたのは正解だったな」
「えぇ……」
二人を招きながら敷地内に足を進め、茜は懐から鍵を束ねたモノを取り出す。
じゃらじゃらと弄って後藤家の合鍵を探すと、鍵穴に差し込みながら言った。
「念のためオシャレでもさせた方が良いかと思って、私服に着替えさせたんだが……ひとりのことだし、恐らく着替えてるだろうな」
「……? ぼっちちゃんってジャージ以外の服持ってるんだ?」
「持っとるわ」
──確かにジャージ以外は見たことなかったか。と独りごちる茜が、鍵をひねりガチャリと扉を開ける。すると、二階から慌ただしく、ひとりがジャージの前を閉めながら降りてきた。
「い、いいい、いらっしゃい、ませ……!」
「やはり着替えたか……ただいま。連れてきたぞ」
「お邪魔しまーす!」
「お邪魔します。後藤さん、これお土産っ! よかったらご家族でいただいて?」
「えっあっ、あ、ありがとうございます」
喜多から渡された紙袋を受け取り、ひとりは背中を向けて中身を覗く。
──が、中から輝かしいおしゃれな何かが放たれ、中の確認は出来なかった。
「後藤さん、映画もあるわよ~」
「だーからライブのTシャツデザインを考えるんだってば。バラバラの服よりさ~、お揃いの方が……一体感? が出るじゃん?」
ひとりに先導させ二階に向かう虹夏は改めてそう言い、茜も頷いて口を開く。
「せ──店長なら間違いなく『全然結束感ねーな』って言うだろうしな」
「それもそうねぇ」
「わかった? 今日は遊びに来たんじゃ──」
言葉を言い終わる直前、虹夏がひとりの部屋に顔を向けた瞬間、視界に入ってきた情報量のあまりの濃密さに黙らされる。
暗い部屋を照らす小型のカラーボールに、膨らませてある風船、開けて並べてある菓子類と、部屋のあちこちから──『その手の経験がない人間が頑張って飾ってみた』感が放たれていた。
「……す、すみません……全部片付けますね……」
「や、やっぱりちょっと遊ぼうかな!?」
「そうですね! 是非遊びましょう!」
パン! パン! と風船を割り始めたひとりの哀愁漂う背中を見て、虹夏と喜多は慌ただしく手のひらを返す。それを眺めていた茜は、やれやれとかぶりを振ってため息をついた。
飲み物を取りに部屋を出ていったひとりを見送り、茜は部屋の電気を点けてミラーボールのカラフルな光を消すと、額に青筋を立てる。
「横断幕を外すだけじゃなくて室内の検閲もしておくべきだったか……」
「ま、まあまあ柊木くん、後藤さんも楽しみにしてくれてたのだからそれでいいじゃない」
「それにしたって凄い飾り付け……」
「あれっ、でもギターとかエフェクターがありませんね。仕舞ってるのかしら」
「ん? ああ、そういうのは押し入れに──」
──入れてある。と続けようとし、それから茜の目が壁の封印と書かれたお札を捉える。
「ろ、ロックだねぇ~」
「
茜は知る由もないが、アー写の件に紛れてひとりの奇行が悪霊のせいだと思われた事態があったため、札はその時のモノだった。
視界の隅に置かれた盛り塩も意図的に意識から外し、とりあえずと二人に座るように促す。
部屋を見回す彼女らは、所々にある男物のペンケースやコートラックに掛けられた渋い色合いのコートを見て、小首を傾げて問いかけた。
「ぼっちちゃんの部屋にしては、なんか男の気配を感じるんだけど……」
「俺も使ってるからな」
「──も、もしかして、柊木くんってこの部屋に泊まったりするの?」
「するが」
「────!!??」
今世紀最大の驚きと言っても過言ではないほどに驚愕している喜多を見て、茜は虹夏に視線を向けてから、思い付いたように口にする。
「ちなみに小学校卒業するまでは一緒に風呂にも入ってたりしたな」
「か゜」
「茜くーん、面白がってトドメ刺さないであげてー。あんまりにもムゴすぎるよー」
ぐにゃあ……と力無く倒れ、喜多は胡座を掻いていた虹夏の膝に顔を埋める。
──とはいえ、一緒に風呂に入っていたのも茜の腕がリハビリ中でマトモに動かせない時期だったからなのだが、それを話したら余計な疑問にも答えなくてはならないため、多くは語らない。
「そろそろ喜多にも話さないとな──ん」
「──お兄ちゃん、お帰りっ!」
ふと足音を聞き、背後の廊下に顔を向ける。すると、背中に飛び込むように少女が飛び付いてきてその勢いのまま膝に回り込む。
「ただいま。ふたり、ジミヘン」
「柊木くん、この子はどなた?」
「ひとりの妹だ、自己紹介出来るかな?」
ちょこんと胡座をかいた膝の中に収まる少女が、虹夏と声を聞いて起き上がった喜多を見ながら元気よく頷くと手を上げて口を開く。
「後藤ふたりです! こっちは犬のジミヘン」
「か、可愛い~~~!!」
「ぼっちちゃん妹いたんだ~」
虹夏と喜多が、ふたりと茜の傍に寄り添うように座り込む犬──ジミヘンを見る。その後、一拍置いてふたりがあっけらかんと質問した。
「ねーねー、どっちがお兄ちゃんの彼女なの?」
「────」
「さあ……どっちだと思う?」
「うーんわかんなーい」
ぴしりと固まる喜多を他所に、虹夏は慌てた様子で小声で話しかけてくる。
「ちょ、ちょちょちょっ茜くん!?」
「あんまり否定してやるな、子供はすぐに話題が変わるから聞き流しておけばいい」
「そ、そういうもんなの?」
姉と兄の友人がいざ来てみれば女性で、ただなんとなく気になった。
それだけでしかない無邪気な問いに、なにも目くじらを立てることでもない。
「あ! でもお兄ちゃんは私と結婚するからあげなーい! だめ!」
「ふ、そうかそうか」
「良かったねえ茜くん」
「……こう言ってくれるのは今だけで、10年後には反抗期で毛嫌いされるだろうからな」
「なんて悲しい現実なんだ……」
──ひとりは反抗期が無かったからな。と小さく続けて、茜はふたりの頭に顎を乗せる。
こうしてキャッキャと喜んでくれるのも何時までなのか……と、なんとなく寂しくなった。
「ああそうだ、そっちの喜多お姉ちゃんはギターが弾けるぞー」
「そうなの!?」
「──はっ!? ……え、ええ、そうよ?」
意識が戻ってきた直後、ふたりの問いに喜多は頷く。するとふたりは、凄い凄いとテンションを上げて茜から離れて近づいていった。
「ねえねえ、ムニヨンズのお歌弾ける?」
「そうね~、今度来る時までに練習するわね」
「ほんと!? 絶対だよ! 次いつ来る?」
正座している膝に乗っかり肩に手を回すふたりに、喜多は荒ぶった心が癒されるような感覚を覚えた。その場から少し離れ、片手でジミヘンを撫でながら虹夏が言う。
「子供の懐かせ方、心得てるねぇ」
「そうでもないさ。……どういうわけか、今日は喜多が荒んでいたしな」
「わかってて言ってるよね?」
「──まあ、そこまで鈍感ではない」
ジト目を向ける虹夏から、すいっと視線を逸らしながら答える。ふたりをあやすように体を左右に揺らす喜多を見て、茜は表情を和らげた。
「……しかし、ひとりも遅いな…………」
未だに戻ってこないひとりの姿を探そうと、茜はなんとなく顔を襖を開けたままの廊下に向ける。──ふと、立ったままこちらを覗く暗い瞳と目がかち合い、さしもの茜でも本気で驚愕した。
「────うおおっ!?」
「どわぁ!? な、なに!?」
「あっ、お姉ちゃんまた固まってる!」
「え? 後藤さん? いつからそこに……?」
ビクッと体を跳ねさせた茜に驚く虹夏と、それを聞いて意識を向けたふたりと喜多。恐らく数分前から居たのだろう、お盆に乗せられた麦茶の容器には、結露した水滴が幾つも滴っている。
「──妹に、コミュ力で負ける、姉がいる」
「ひとり、字余りだぞ……」
す──っ……と、ひとりは静かに涙を流して、廊下に立ちながら天井を仰ぎ見ていた。
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