気圧の変化でズキズキと痛む右腕に意識を割かれる茜は、眉間に深い皺を作る。
STARRYの店内で突っ伏す星歌の横に立っていると、頭上に吊るされている大量のてるてる坊主に気づいたPAがそれを見上げていた。
「てるてる坊主?」
「虹夏たちが作ったんだよ」
「でも来ちゃいましたね、台風。……ところで柊木くんは何をイライラしてるんです?」
「天気が崩れると古傷が痛むんですよ」
「あらまあ」
大変ですねえ、と言うPAは、台風の直撃でうるさい外の騒音を耳にしながら続ける。
「この様子じゃ、チケット買った人たちも来ないんじゃないですか? 客の入りを見て、心折れなきゃいいんですけどね……」
「バンド続けていくなら、こんな理不尽たくさんあるんだから……どんな状況でも乗り越えられるようになってもらわないと」
「大丈夫ですか?」
「…………うるせえ優しくすんな」
突っ伏したまま星歌の背中をさする茜は、ため息混じりにがらんどうの店内を見て言う。
「……今回ばかりは不味いですね。台風というどうしようもない理由で、自分達の手でチケットを売ったのに客が来られない」
「初心者の失敗にしては、ちょっとばかりハードな条件ですねえ」
「更には知り合い以外の客は
冷静に、無慈悲にこれから起きうる展開を予想する茜。その隣で、顔を横に向けた星歌が彼を見上げながら気になったことを問いかけた。
「茜くんは、こういう失敗したことあんの?」
「……さあ? バンド組むとか失敗するとか、そういう経験をする前に腕がぶっ壊れたのでよくわからないですね。挫折と絶望ならしました」
「ロックしてんな」
「ロックですね~」
「ロックですかね」
星歌とPAのロック万能説に顔をしかめる茜は、裏で着替えていたひとりたち四人が戻ってくるのを確認し、虹夏案のかなりシンプルなデザインの結束バンドTシャツを見る。
それから少しして、ふいに、茜の背筋にぞわりと嫌な予感が駆け抜けた。
「────む」
「ど、どうしたの、茜くん」
「なにか邪悪な気配が……」
ひとりの言葉に返した直後、ガチャリとSTARRYと外を隔てる扉が開けられる。
中に入ってきたのは、おぼつかない足取りで階段を降りてくる、キャミソールワンピースにスカジャンを羽織った──廣井きくりだった。
「ぼっちちゃあぁ~ん、来たよぉ~!」
「あ、お姉さん……」
「────」
「えっお前ぼっちちゃん目当てで来たの?」
「そぉ~だよぉ~、イェーイ」
手すりに体を預けてぐだっとだらけるきくりは、話しかけてきた星歌に近づく。
限界まで気配を薄めた茜がそれとなく四人の後ろに隠れ、ひとりは星歌へと質問する。
「お、お知り合い、なんですか?」
「あー、まあ……大学時代の後輩」
「ねーねー、今日のライブ打ち上げするんだよね~? 居酒屋もう決めたのぉ?」
「酒くさっ!?」
だらだらと絡んでくるきくりのアルコール臭に、星歌は思わずそう言った。
星歌に引っ付くきくりは、打ち上げ打ち上げと絡みながら、おもむろに視線をひとりたちに向け──後ろに隠れていた茜を見つける。
「んん? あれぇ~~!? 茜くんじゃ~ん! なんでここに居るのぉ?」
「お前茜くんとも知り合いなの……?」
「そだよぉ、二年半前? くらい? からかなあ! ねぇ茜くぅ~ん」
「いえ、私の名前はジョニー猪苗代です」
「誰ぇ!? 誰なのお!?」
あくまでもしらを切り通そうとする茜に近づき、顔を背ける彼の肩を掴んで覗き込む。
きちんと覚えているその顔を改めて確認したきくりは、にんまりと笑みを浮かべた。
「茜くんじゃぁん。なんで嘘つくのさ」
「だって、なあ。こんな酔っぱらいと知り合いだって噂されたら恥ずかしいし……」
「そりゃそうだ! あははは!」
そのまま横に並んで肩に腕を回し、顎を寄りかかった方の肩に乗せて甘えるように体を寄せるきくり。されるがままの茜は、ひとりに視線を向けて言葉を投げ掛けた。
「きくりちゃんとどこで知り合ったんだ?」
「…………あ、えっと、チケットを売ろうとしてたときに……行き倒れてて」
「またか」
「またでぇ~~~す」
「…………」
んへへへぇ、とだらしなく笑うきくりと気だるげな茜をちらちらと交互に見やるひとりは、どことなく薄く眉を潜めている。ひとり自身、上手く言語化できないが、なんとなく
「茜くん、外でも女の人引っ掻けてくるんだね」
「外
「柊木くん……悪い人だわ」
「茜はプレイボーイ。すけべ」
「散々な言いようだな……」
「茜くぅん、すげーモテモテじゃん」
虹夏と喜多、リョウに好き放題言われ、元凶が他人事のようにカラカラと笑う。
彼女らからすれば、仲の良い知り合いがいきなり現れた酔っぱらいに取られたような、そんな嫉妬心があるのだろう。それを察したきくりは、自分が警戒されているのを理解したうえで──全員に向けて更なる爆弾を投下する。
「そういえば茜くぅ~ん、こないだ私に好きだって言ってくれたし、ちゅーもしたよねぇ」
「────は???」
いきなりの言葉に、さしもの茜もすっとんきょうな声をあげる。──今言うことか? と脳内で独りごちる彼に、結束バンドTシャツを着ている四人が据わった目で見つめてくる。
そんななか、ゆっくりと歩み寄ってきた星歌が、代表して茜に微笑を浮かべて問いかけた。
「茜くん、正直に言ってくれ。──こいつに言わされたんだろ?」
「なんでぇ!?!?」
「茜くんがそんなことするわけないだろ」
「したもぉん!!」
──容赦なく握りこぶしで頭頂部を殴られたきくりは、茜を挟んで壁際で星歌と並ぶ。
ライブが始まる直前、まばらに居る客を見て、たんこぶを擦りながら口を開いた。
「これぇ、大丈夫なの?」
「いや、まったく。特にギターボーカルはずぶの素人だ、
「ありゃ~……同情するねぇ」
壁に寄りかかる茜の返しに、ため息混じりにそう言ったきくり。
早速と始まった一曲目を聴こうと耳を傾けて、彼女たちの心配は確信に変わる。
台風により予定が狂い、まばらな客には期待もされず、ちゃんと結成したバンドの初ライブが、今まさに演奏のようにズレている。
嫌な意味で、初心者バンドの失敗の条件が、揃いすぎてしまっていた。
贔屓目があっても聴くに堪えない演奏に、茜の眉間の皺はこれ以上ない程に深く刻まれた。
ひとりのファンらしい女子大生二人ですら、最前列で聴いているにも関わらず、その背中からは不安しか伝わってこない。
──本当はこんな出来ではない。いっそのこと、声を大にしてそう言ってやりたい。
しかし、それを言葉で示すのは、ロックのやり方ではない。曲がりなりにもギターを握っていたからこそ、茜は──この場での客の評価の覆し方をよく知っている。
ドラムも、ベースも、ボーカルも、本調子を出せないまま一曲目が終わる。そして、二曲目に入ろうというところで、ふと──
「…………っ」
「────」
ばちりと、ギターを握るひとりと視線がぶつかる。一瞬の時間、茜との間に視線の道を繋げたひとりは、コクリと頷いて、一息の間を空けてからダンッとエフェクターを踏んだ。
ガラリと変わる演奏。唖然とする全員。たった独りで空気を変えた少女に、茜もまた、口角を緩めて心の底からの言葉を口にする。
「──ようやく帰ってきたな」
刹那、場の流れを汲み取った照明担当が明かりを消し、二曲目用に切り換える。
暴走するギターに合わせるように始まった演奏ののち、【あのバンド】に期待すらしていなかった奴等を甲高く笑うような歌が始まった。
お気に入りと感想と高評価ください。