その夜、居酒屋の一室を借りて長いテーブルを取り囲み畳に座る茜たちは、酒とお茶とジュースが入り交じる無数のコップをガチガチとぶつけ合い高らかに乾杯した。
「ライブ、よく頑張ったな。今日は私の奢りだからお前らも好きなの飲め」
「茜くぅ~~んお酌してぇ?」
「なんでこの人連れてきたんですか?」
「付いてきたんだよ。……茜くん、悪いけど相手頼める? 最悪絞め落としていいから」
「じゃあ早速」
誕生日席のようなポジションでリョウときくりに挟まれている茜が、星歌にそう言われて欠片の躊躇いも無く行動に移そうとする。
「ちょっと! こんな……こんな可愛い私の首を絞めようってのぉ!?」
「お前は全然可愛くねえよアホ」
「はぁ~!? 私は可愛いですぅ~。ねえ茜く~ん、先輩が虐めてくるよ~~~」
冷たい目付きの星歌の言葉に、きくりは茜の腰に腕を回して顎を肩に乗せる。いつの間にか彼女の頭頂部に猫耳のカチューシャが装着されていて、顎を撫でられ表情を
「よーしよしよし」
「うにゃ~ん♡ ゴロゴロゴロ……」
「キモ……」
いい歳の大人が10は下の子供にデレデレしている光景に、星歌は本気でドン引きする。
それをメニュー表で顔を隠して眺めていた喜多が、改めて質問していた。
「あの、ところでこの人は誰なんですか?」
「……ああ、ほらきくりちゃん、挨拶しな」
「んにゃ~? あーい、誰よりもベースを愛する天才ベーシスト、廣井きくりで~す!」
「そういえば酒呑童子EX、どこにやった?」
「ベースは昨日飲み屋に忘れました。どこの飲み屋かもわかんな~い」
「一瞬で矛盾したんですけど……そんな凄い……凄い? 人? がどうして柊木くんと?」
喜多の問いに、きくりは手元の酒を飲み干してから間を空けて答える。
「茜くんとは恥ずかしいところを見せちゃった仲で~す! きゃっ、言っちゃった!」
「恥ずかしいところ……???」
「落ち着け喜多。いいか? 初対面でいきなり人に吐瀉物をぶちまけるのはな、『恥ずかしい』じゃなくてただの『恥』そのものなんだよ」
「えぇ……」
服を一着台無しにされた当時の記憶を思い返し顰めっ面をする茜に、喜多もまた引いた顔できくりを見る。すると、いそいそとにじり寄ってきたリョウが、茜の体越しに彼女を覗き込むと珍しくも機嫌の良い雰囲気で話し掛けた。
「……私よくライブ行ってました」
「ほんとぉ!? 君見る目あるねぇ~」
「観客に酒吹き掛けたり、泥酔しながらのライブ最高です。前に何度か最前列で顔面踏んで貰ったのも、よい思い出でした!」
「こんな聞いてて行きたくなくなる情報がポンポン出てくるのは相当だぞ」
げんなりとした表情の茜のぼやきを他所に、きくりは虹夏たちを見て続けて言う。
「しっかし、ライブも最後は大盛り上がりでよかったね~。10人くらいしか居なかったけど、みんな満足したんじゃないかなぁ」
「だと……いいんですけどね」
ジュースを一口含み、虹夏は言葉を返す。そんな虹夏に星歌はため息混じりに口を開く。
「まあ、続けてればファンだってどんどん増えるよ。次のライブも……ちゃんとノルマが払えるように頑張ることだな」
「最後のがなければ感動したのに」
「頑張ったと言えばぼっちちゃんも──って!? なんか真っ白に燃え尽きてる!?」
続けてひとりにも視線を向けた星歌は、ずっと黙っていた彼女が壁にもたれ掛かって気力が抜け落ちている様子を見る。
「ほらぼっちちゃん料理好きなの頼んで!」
「………………えっ、あっ、はい」
正気に戻ったひとりが渡されたメニュー表を受け取り、それを広げて眺める。
イソスタ用の写真撮影に勤しむ喜多の陽キャオーラに消滅させられそうになっている星歌を横目に、別のメニュー表を広げる茜がリョウときくりに問いかけていた。
「二人はどうする」
「勝手に頼んじゃっていいのぉ?」
「部外者の俺は自腹のつもりだったからな、星歌さんには既に幾らか渡してある」
「茜はそういうの気にしぃだよね」
横から覗き込むリョウが、のそりと顎を肩に乗せる。眠たげな眼差しで文字列を読み込む彼女は、ふすふすと鼻を鳴らして小さく言った。
「私は酒盗」
「酒盗? 渋いな……お、なめろうもある。これもついでに頼むか」
「じゃあ私熱燗で~。二人が頼んだのつまむからちょっとちょーだい」
とりあえずと先に注文してしまおうとした茜だったが、おもむろに考え込むそぶりを見せたきくりの「あっ」という声に顔を向ける。
「これさぁ~、つまり茜くんの奢りでもあるってことでいいんだよね?」
「────。失言だったか」
「ダーリン、茶碗蒸しも食べたいにゃん」
「茜くぅ~ん、熱燗二本頼んでにゃあん」
「図々しいなこいつら…………」
きくり共々いつの間にか髪色に合わせた猫耳カチューシャを着けたリョウに面倒くさい絡まれ方をする茜は、青筋を浮かべた額をおさえながらも冷静さを取り繕って店員に注文をする。
にゃんにゃんにゃんにゃんうるさい二人を黙らせる手段はないものかと悩む茜は──突然聞こえてきたひとりの悲鳴に目を向けた。
「ひぃぃぃぃやぁあぁあぁあ!?!?」
「……ああ、いつものか」
「またぼっちちゃんの発作か!?」
「これやっぱりいつものことなんだ?」
畳に倒れ込んだひとりを見下ろして当然かのように言う茜たちに、さしものきくりですら軽く引き気味に返す。崩壊した顔面のまま何かを呟くひとりに星歌は言った。
「早くギターで食べられるようにならないとニートに……」
「この顔怖いんだよなあ」
「そうですか? 結構味がありますよ」
「正気かよ……」
PAの返しを訝しみつつ、星歌はため息をついて茜に視線を向ける。
頷いた茜は、ポケットから紙ヤスリを取り出して倒れたひとりの方に歩く。
「ひとり整形技術検定2級の俺に任せろ」
「柊木くんですら2級なのね」
「ん? 間違ったかな……」
「うわ、ぼっちの目が3つに」
「ん? 間違ったかな…………」
「す、すごい……面長すぎてニンジンみたいになってる……!?」
「まあ冗談はさておき──っと、よし」
ガリガリ、ゴリゴリ、ゾリゾリとおおよそ人体から出てはいけない類いの擬音を奏でて、茜は崩れたひとりの顔面を修復して行く。
なんとか元の形に戻せたひとりから離れて席に座った茜は、視界の端で店から出て行く虹夏を見つつ、持ってこられたなめろうをちびちびと食べ進めていた。
「……それにしても郁代、今日のライブ、ギター始めて3ヶ月かそこらでよく頑張った」
「…………あ、あ、あ」
「ん? いくよって誰?」
唐突に名前で呼ばれた喜多は、ぴしりと固まって錆び付いた人形のように震える。
「あ、あはは~、だ、誰でしょうね~そんなシワシワネーム、誰のことかな~?」
「お前だろ喜多郁代」
小皿に分けた唐揚げにレモンを絞る茜が、あっけらかんとそう言って箸で口に放り込む。
合点の行ったきくりが、なるほどと言いたげな顔で熱燗を呷りながら声をあげた。
「あー、喜多ちゃんのことかぁ!」
「いーやー! ずっと隠してたのにー! この名前嫌なんですよ──!!」
「なんで? 可愛いじゃん」
「店長さんみたいに『星の歌』なんて書く素敵ネームの人には分かりませんよー!!」
珍しく荒ぶる喜多は、半ばヤケクソ気味に目をグルグルと混乱させながら叫ぶ。
「だってダジャレみたいでしょう!? 『きたーいくよー』って! あはは! アホかーい! あはは! あははははっ!!?」
「おいぶっ壊れたぞ」
「俺はいい名前だと思うんだが、本人の気にし方から察するに、小さい頃はこんな風にからかわれていたんだろう。そういうのは意外と傷になるから仕方ないな」
口直しの熱いお茶を啜る茜が解説し、星歌やPAは、ああ……と同情的な目をする。
喜多はそのまま寝転がり、体を丸めて静かに心を閉ざしていた。
「私のフルネームは喜多喜多です」
「ぷっ、なんか弱ってるの新鮮で面白い」
「お前性格悪いな」
「罰として酒盗はいただく」
「あ」
横から箸を伸ばした茜に、最後の一口分の酒盗を持っていかれたリョウが、すっとんきょうな声を出して茜の口に消える酒盗を見送る。
顔を見合わせて、茜は茶を啜り、リョウは彼に飛びかかり、容赦なく頭に噛みついた。
「いだだだだだだだ」
「店の迷惑にならない程度に暴れてやる」
「ほんとに猫みたいだなこいつ……」
両手足で体にしがみついてガジガジと歯を立てている様を見て呆れている星歌にそう言われ、茜もまた噛みつかれたまま倒れないように体幹を意識して座り直す。
「隣失礼~」
「あっ、はい」
隅でぼんやりと座るひとりの元に、よっこらせ……という掛け声と共にきくりが座る。
「で~? さっきの話だけど」
「えっ?」
「ほら、ギターで食えないとニートに……とかなんとか言ってたじゃん」
きくりはひとりの顔を見て、ちゃんと元の形に戻っていることに驚きながらも続けた。
「先輩バンドマンとして言わせてもらうけど……まあ、気楽に楽しく活動やりなよ」
「えっ?」
「漠然と成功することばかり考えてても、辛くなっちゃうだけですしねぇ」
「そうそう。夢を叶えていくプロセスを楽しんでいくのが大事だからな」
PAと星歌も続いて口にすると、ポカンとしたひとりの横できくりが問い掛ける。
「ていうか、先輩はどうして急にバンド辞めちゃったんですか?」
「えっ、店長さんバンドやってたんですか?」
「そうだよ~、すごい人気だったんだから」
「…………飽きたんだよ」
「──はぁ~~? なら今はライブハウスやってんの矛盾してるじゃん?」
すん、と真顔になったきくりの問いに、星歌は突き放すように不機嫌そうに返す。
「うるせーな黙って飲め。つーかお前のタダ酒代出してんの茜くんなんだから感謝しとけ──リョウはいつまで噛みついてんだよ」
「なんか出汁が染みてる」
「染み出とらんわ。俺をひとりみたいなビックリ人間にカウントするな」
ようやく離れたリョウの無言の圧力にため息混じりに応えて店員を呼ぶ茜は、酒盗のおかわりと、自腹なのだからと高い刺身を注文。
トイレにと言って席を立ったひとりの背中を見送ると、やれやれとかぶりを振った。
「……まあ、ギターで食えるようにならないといけないレベルであいつが社会に適合できない人間なのは事実だからな……」
「もしかしてぼっちちゃん相当ヤバイ?」
「はい。だから結束バンドで成功してもらわないと困るんですよね、俺がこれからも介護しないといけないってのは流石に避けたい」
星歌の問いにそう言って、いまだにダメージが抜けきっていない喜多と、余ったフライドポテトをつまむリョウを見る。
そしてこの場に居ない虹夏を思い浮かべ、それから面倒くさそうにきくりの顔を眺めた。
「なんで私を見ながら言うのぉ……?」
「胸に手を当ててみたらいいんじゃないか」
──居酒屋の外で空を見上げていた虹夏を見つけたひとりは、さらりと言葉を投げ掛けられた。
「ねえ、今日の演奏で確信したんだけど、ぼっちちゃんがギターヒーローなんでしょ?」
「────」
「ほら、よく考えたらギターヒーローとぼっちちゃんの使うギター同じだし」
じっと顔を見られ、ひとりは誤魔化せないと悟り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あ、っと……その、嘘をついていたわけではなくて……今の私は全然ヒーローじゃないから、この性格を直してから明かしたくって……げ、幻滅しましたか?」
「ううん、むしろぼっちちゃんがギターヒーローで良かったなあって思ってる」
ひとりから視線を外して前を向く虹夏は、ポツポツと続ける。
「前に、本当の夢があるって言ったよね。あたし、小さい頃に母親が亡くなって、父親は仕事でいつも家に居ないから、お姉ちゃんだけが家族だったんだ。昔、塞ぎ込んだあたしをお姉ちゃんは自分のライブに連れてってくれて……」
まぶたの裏に今なお焼き付く眩しさに、虹夏は目尻を細めるようにして言う。
「お姉ちゃんが魅せてくれたライブがきらきらして見えて、すごく幸せな時間で、そんなあたしを見てたから……お姉ちゃんはバンドを辞めてライブハウスを始めた」
思い出を振り返り、当時の光景に馳せる虹夏が、ふとひとりを見た。
「STARRYはね、お姉ちゃんがあたしのために作ってくれた場所なんだよ。お姉ちゃんは……ふふ、絶対そんなこと言わないけどね」
「──そっか、だから……」
だから『飽きた』と誤魔化したのかと、ひとりは合点が行ったように呟く。虹夏はもう一度空を見上げて、高らかに宣言する。
「あたしの本当の夢はね、お姉ちゃんの分まで人気のあるバンドになって、STARRYをもっともっと有名にすること! ……届けたいんだ、天国のお母さんに、あたしたちは立派になったぞって」
「虹夏ちゃん……」
「……でも、いざバンドを始めてみたら、あたしの夢は無謀なんじゃないかって思う方が多かった。今日だってみんな自信を無くしてたし」
そう言いながらうつ向いた虹夏は、ぱっと顔を上げるとひとりを見て続ける。
「──そんなヤバい状況をいつも壊してくれたのは、ぼっちちゃんだったよね。今日のぼっちちゃん、あたしには本当にヒーローに見えたよ」
「…………」
「リョウは今度こそこのバンドで自分たちの音楽をやる。喜多ちゃんはみんなと何かをやりたい。みんな、大事な想いをバンドに託してるんだ。──ぼっちちゃんは、なにか想いはある?」
『お前は、結束バンドと一緒に何がしたい?』
ふと、茜に問われた言葉を思いだし、ひとりはぐっと閉じたまぶたを開けて虹夏を見る。
「……私は、3年前にギターを始めようとしたとき、茜くんを頼りました。でも、その時の茜くんは怪我のリハビリがようやく終わった頃で、きっと酷いことをしてしまったと思います。もうギターを弾けないのに、教えないといけないなんて、私だったら嫌味に聞こえたかもしれない」
「…………そっか」
「でも、始めたからには、教えてくれる茜くんに誇れるくらい上手くなりたかった。上手くなって、支えがなくても私一人でやれるんだってことを見せたくて──あの人が辛いとき、逆に支えてあげられたらって……そう、思って」
地面を見て、ひとりはそんなことを口にすると、おもむろに虹夏と顔を合わせて強い声色と共に表情を引き締めて言った。
「──茜くんのヒーローになるために、ギターヒーローを名乗り始めたんです。茜くんの為だけの名前だったから、本当のヒーローに見えたって言ってくれて、すごく、嬉しかったです」
「ぼっちちゃん……」
「私は、ギタリストとして結束バンドを最高のバンドにしたい。
「────!」
…………です。と付け足すひとりに、虹夏はぐっと緩んだ目尻を誤魔化すようにまぶたを閉じると、改めて店へと踵を返して口を開く。
「……あ~、ぼっちちゃんの演奏が毎回動画の時みたいならいいんだけどなぁ」
「うっ、が、頑張ります」
「でもまあ、今なら確信できるよ。ぼっちちゃんたちが力を貸してくれたら、きっとあたしの夢は叶うって。だからこれからも沢山見せてね、ぼっちちゃんのロック──」
一度区切り、一拍置いて、虹夏は心の底からの笑顔をひとりに向けて言った。
「──ぼっち・ざ・ろっくを!」
「…………っ、はい!」
最初に出会ったあのとき、虹夏は既に絶望のどん底に立たされていた。それを救ったヒーローが、自分のバンドに入ってくれて、一緒に頑張る決意をしてくれて。
これ以上の幸福は訪れないのではないかと思えるほどに、周りに、機会に恵まれた。
改めて、ここからがスタートラインなのだと、虹夏とひとりは言わずとも理解する。
こうして、台風当日ライブという貴重な経験を経た結束バンドに、長いようで短い高校生活の夏休みが訪れるのだった。
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