夏休みが始まって数日、いつものように練習をしようとしたとき、その問題は起きた。
STARRYで虹夏と喜多、リョウと共に次のライブを目指して楽器を突き合わせたひとりは、早速と握ったピックに力を入れる。
──パキ。という小気味良い音が聞こえたのは、その直後だった。
「あっ」
「え?」
「ん」
「……………………え」
いざギターを弾こうとしたひとりが、おもむろに右手を開く。その手に転がったのは、真ん中から綺麗に真っ二つに割れたピックだった。
「ぼ、ぼっちちゃん?」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」
「後藤さんがバグってるわ!?」
「……茜呼んでくる」
ベースをスタンドに置いたリョウがガタガタと痙攣するひとりを虹夏と喜多に任せ、スタジオから逃げるように去ると、カウンターの前で星歌とPAの二人と談笑している茜を見つける。
「茜、茜」
「……ん、どうした?」
「ぼっちがバグった」
「またか……今度はなんだ」
ちょいちょいと手招きするリョウを見てため息をつく茜は、かぶりを振ってスタジオに歩を進める。気だるげにドアを開けて何事かと事態を確認しようとすると──ドロドロに溶けたひとりをなんとか崩れないように支えている虹夏たちを視界に納めて、反射的に一度ドアを閉めた。
目頭を指で揉んで、現実を受け入れて改めてドアを開けると、眉を潜めて言う。
「…………帰っていいか」
「ダメダメダメダメ!! ちょっ、ちょ、これどうにかしてくれない!?」
「ひ、柊木くん!? 後藤さんが! これ、こ、これ後藤さんでいいのよね!?」
「……あー、とりあえず型に入れて冷やせば直る。ちょっと待ってろ」
「──はあ、なるほど。俺があげたピックが遂に割れた……と」
型に流して30分待ち固まったひとりから事情を聞き出し、綺麗に割れたくだんのギターピックを手のひらで転がす。黒に金のラインが入ったピックに、茜は感慨深そうに目尻を細めた。
「あっ、ご、ごめんなさい」
「もうお前のなんだから俺が怒る理由も無いだろ。俺が使ってたのと合わせれば……4年か? よく持ったと誉めてやるべきだな」
どことなく潤いプルプルしているひとりを見て、ゼラチン入れすぎたか……と独りごちる茜は、完全に意気消沈している彼女に少しばかり厳しい言い方をする。
「今日のところは、もう練習はお開きにした方がいい。そのメンタルじゃ何にもならん」
「…………ぅ」
「柊木くん、そんな言い方は──」
「……いえ……か、帰ります……」
自分でも分かっているからこそ、ひとりも茜の言葉に納得して荷物を纏める。とぼとぼとSTARRYから出ていったひとりを尻目に、喜多は追いかけることもしない茜に詰め寄った。
「柊木くん」
「なんだ」
「……いくらなんでも、酷いと思うの」
「なら、あのまま予備のピックで練習を再開すれば何か身に付くものがあったのか?」
「…………いえ、それは……」
使い慣れた道具が壊れてコンディションも落ちた人間の練習に結果が伴う訳もない。事実を言葉にされては、さしもの喜多も黙り込んだ。
「ピックをあげたのは俺だ。俺にとってはたかが消耗品でも、あいつにとっては思い出の品。そんなことはちゃんとわかっている」
「えっ?」
「……一人で行くつもりだったがちょうどいい。喜多、お前どうせこのあと暇だろ」
「な、なにをするつもりなの……?」
思わず一歩後ずさる喜多に、茜は口角を緩めて薄く笑いながら言った。
「このピックを買った店に行く。秋葉原にあるから、今日はこのまま、おデートといこうか」
「行くわ」
「チョロいなぁ……」
虹夏がつい反射的に呟くほどに、喜多の返答はあまりにも早かった。
茜自身も分かっていて打算で言ったとはいえ、即答に軽く引いたのは余談である。
──大抵の学生が夏休みになっていることもあり、昼間の秋葉原には、溢れ返るほどの人混みが広がり、全方位から喧騒が聞こえてくる。
はぐれないように茜の袖を掴む喜多は、慣れない空気に目をチカチカとさせていた。
「柊木くん……そのお店ってどこにあるの?」
「表通りにはない。このまま少し歩いて、路地裏に入らないと見つからん」
「……や、闇市?」
「当たらずとも遠からず、だな」
え。と短く返した喜多を連れて、言った通りに路地裏へと入って行く茜。
「ねえ、ほ、本当に大丈夫なの? 法外な値段で売ってたり変な契約させられたりは……」
「……俺の時は真っ当な値段で買ったから詳しくはわからないが、これで潰れていたら色々と察するものがあるから笑うかもしれんな」
それから──ふと、喧騒が遠ざかり空気が変わる。無意識に袖ではなく腕を掴む喜多に、茜は背中を向けて前を歩きながら口を開く。
「……喜多、ありがとう」
「──え?」
「俺がひとりに強く言ったことを怒っただろ。今までそういう人間は居なかった。まあ、ひとりの友人はお前たちが初めてだからな」
「急に悲しいことを言うのね……」
同情的な喜多の声を聞きつつ、茜は迷いなく歩いて続けて言う。
「あの場では俺が悪者になるのが適任だったわけだし、実際、あんなショボくれた状態でギターを弾かれてもみんなが困るだけだ」
「それは、そう、だけど……」
「帰ったらちゃんと謝るとも。この件をあとには引きずらせないから安心しろ」
ざ、と足を止めた茜は眼前の店を見る。後ろから同じように覗き込んだ喜多は、その雰囲気に気圧されるようにして口角をひくつかせた。
「……魔境?」
「ほら、入るぞ」
「ああ待って柊木くん!」
ボロ屋と言うほどではないが、綺麗とも言えない風体の店。そこに入って行く茜を追った喜多は、センサーが壊れたスライド式の自動ドアをくぐって中に入る。
すると、意外にも広い店内には、多種多様の弦楽器や付属品、個別のパーツが置かれており、隅には虹夏のモノとは少し違うドラムが置かれていた。
ずんずんとカウンターの方に向かう茜が声をかけると、そこに突っ伏して眠っていた女性が、のそりと顔を上げて反応する。
「おい」
「…………なんやぁ?」
「柊木くん? ──ひっ」
眠りを妨げられた女性が、苛立たしげに声を出す。ひとりとは違う、染料を使ったようなピンクの長髪をガシガシと掻く女性の顔に、喜多がつい悲鳴を出しそうになる。
なぜなら──顔の左半分には、梵字のようなタトゥーが入っていたからだった。
「ンだァクソガキ、人の眠り邪魔してんとちゃうぞボケがよ。ぶちころ──」
「久しぶり。最後に会ったのはいつだったか」
「……お? お、おお! なんや茜かい、
「顔についてはお前にとやかく言われたくないんだが。なんだその……なに、耳無し芳一のリスペクトでもしたのか?」
「そしたら顔半分持ってかれるや~ん」
ガッハッハ! と下品に笑う女性は、一拍置いてちらりと喜多を見る。彼女は恐怖と困惑でガタガタと震えながら茜の背に隠れていた。
「んで、なに。彼女連れとか自慢か?」
「いいいイキってごめんなさい……」
「は? なんで?」
「お前のその、どこかの部族に呪詛でも食らったような顔面が怖いんだよ」
「ああ。なる。そんな怖がらんでええよ~、これシールやから洗えば落ちるし」
合点が行ったようににこやかに笑みを浮かべる女性は、そう言ってカウンターに肘をつく。
「ウチは……ややこしいか、店長でええよ」
「……爺さんは? 前まで店長やってただろ」
「腰やって療養中」
「それは……お、お気の毒に」
「どーも」
「骨折か?」
「うんにゃ、あのデケェドラムを片そうとして力入れたら腰を
くい、と女性が親指を指した方を見ると、つい先程視界に入った単体のドラムがある。
なるほどと呟いた茜と喜多をじっと見て、女性は続けて問いかけた。
「ほんで、あんたらは何しに来たん?」
「前にギターを買ったときピックも買ったんだが、同じものが欲しい。これだ」
「うーんどれどれ…………あー、ったか、なぁ……ああ、たぶんある。探したろか?」
「頼む」
──ほなよっこいせ。と言って立ち上がった女性は、茜と喜多を
「……あ、せや。じゃあ交換条件。あのドラム片してくれたらタダであげるわ」
「は?」
「ちょっと重いバーベルくらいや、あんたなら余裕やろ。たぶん」
「え、あ、あの……店長さん」
「ほなお嬢ちゃんはウチとピック探しな」
「えっ、ええっ!? 柊木くん!?」
「……いや、俺は大丈夫だ、これと同じやつを探しておいてくれ。頼むぞ」
袖を捲って腕を出し、茜は早速と飾られたドラムの方に向かう。女性に首根っこを掴まれた喜多は、茜から渡された割れたピックを大事そうに両手で包んでいた。
「……さて、この馬鹿が考えたドラムはなんでこうなってるんだ?」
巨人用か? と言ってしまえるほどの、端的に説明すれば普段見慣れているそれの二倍はあるバスドラムを、茜は呆れた顔で眺める。
「……シンバルとかはなんとか片付けられたんだろうな。この店、こういうイロモノも仕入れるからなあ……腰の件も自業自得か」
しかたないと続けて、茜は見るだけで重厚感を覚えるそれに手を這わせぐっと力を込める。
「コツは──骨の回し方と、筋肉の……締め方……っと……!」
リハビリをすることになった際に嫌でも学んだ
「おーい、これどこに持っていけばいい」
「うわすっげ。──外出て裏の倉庫に頼むわ、明らかにスペース空いてるとこあるから」
「了、解……!」
落とさないようにしながらも、ゆっくりと歩いて外に向かう。その光景を見送った喜多は、女性と共に大量のピックが入った段ボールを引っ張り出している。
「こん中にあるから探しましょか」
「……あの、店長さん」
「なんや?」
「柊木くんとは、どういったご関係で?」
おずおずと問い掛けた喜多に、女性は面白いものを見るような顔をした。
「なんや、嫉妬とかはせんでええよ」
「し、嫉妬なんて……」
「わかっとるわかっとる。あれやろ、『アイツと知り合う女がみんなアイツのこと好きなんだけど!』って悩んでるんやろ」
「……うっ」
図星を突かれて、中身の選別という名の作業をしながらうつ向く喜多に、女性は更に続ける。
「んで、この一件もどうせ他の女の為なんやろ。好きな相手に誘われたから付いてきたけど、他の女の為だからなんか複雑~ってか」
「……はい」
「大変やなあ」
「店長さん、は、昔の柊木くんを知ってるんですよね? どんな子だったんですか?」
「おう知っとるよ」
そうやなあ、と言って、ピックを一つ一つ確認しながらゆっくりと答えた。
「──くっそつまらんガキやな」
「ええ……?」
「でも、ギターに出会ったときの顔は、良い顔しとったわ。あいつとはその時の縁で、たま~~~~~に会う程度やったけど、なんや今も楽しそうだから安心したわ」
「そう……ですか」
「あの時は8年前で、当時のウチも13。5歳差やし、まあ……もうちょい歳が近かったら粉かけてたかもなあ。いやあ勿体ないことした」
「────!?」
女性の言葉にギョッとしたように険しい表情をする喜多に、彼女はからからと笑う。
「うっそでーす。あんたおもろいなあ、茜が気に入るのもなんか分かるわ」
「…………もう。──ん?」
重いため息をついた喜多だったが、ふいに段ボールの中から拾い上げたピックを見る。それは、ひとりが割ったものと同じデザインの、金のラインが入った黒いピックだった。
「あ、あった!」
「おめでとさぁん。ほならアイツ呼んでくるわ、ちょい待っとき」
「……あ、そういえば、店長さんの名前って何て言うんですか?」
「あん? ああ──」
店を出て倉庫に向かった茜を呼びにいこうとした女性に、なんとなく気になった事を問う。女性は踵を返して、喜多を見ると──イタズラっぽく笑って返した。
「──ただのアカネや。だからややこしいって、さっき言うたやろ」
──帰路の電車に揺られる喜多は、隣の茜を横目で見ると、ラッピングした可愛らしい袋に包まれたピックを懐に納める様子を見て呟く。
「さっきの店長、アカネさん、って言うんですってね。名前が一緒で驚いちゃった」
「あいつの場合は妹とセットで赤と青をモチーフにしてるからいいんだよ。俺の名前なんて、『産まれたときちょうど空が茜色だったから』が理由なんだぞ」
「素敵じゃない」
「……だといいがな」
プシュー、と音を立てて止まった電車の外を見て、あっと言って喜多は席を立つ。
「私はここまでね。じゃあ、また明日。ちゃんと後藤さんに渡してあげてね」
「ああ。──なあ」
ホームと電車のドアを隔てて、外に躍り出た喜多の背中に声をかける茜は、彼女のコンプレックスを理解しながらもそれでも言った。
「お前がどれだけ気にしていようと、俺は、お前の名前は綺麗だと思う」
「────」
「……郁代、今日は本当にありがとう」
「っ」
言葉を返そうと口を開いた喜多だったが、間に合わず電車のドアが閉まる。
ガタンガタンと走って行く電車を見届けて、彼女は、熱くなった顔を周りに見られないようにと思わずホームにうずくまった。
「──本当に、ずるい人」
ひとりのピック探しという、敵に塩を送る行為。けれどもお礼の一言で許せてしまう自分に、呆れたように、小さく笑うのだった。
お気に入りと感想と高評価ください。
アカネ(21)
・髪はピンクに染めている。髪が伸びると頭頂部が地毛で黒くなるため、アダ名は逆アポロチョコ。アダ名自体は気に入っている。
・エセ関西弁を使うが関西出身ではない。
・2歳下の妹がいる。現在は大学生。
・茜に対しては『今以上に交遊を深めたらたぶん好きになる』と思っている。
・タトゥーシールは趣味だが、妹に近づく輩への威嚇も兼ねているらしい。
・今後の出番は(おそらく)無い。