──「ひとりが100%の実力を発揮できたら」。その言葉を聞いたとき、喜多とリョウ、虹夏の頭に湧いた疑問は二つに分かれた。
すなわち『
当然の疑問。されどそれに言葉を返すことはなく、茜は指で挟むピックに力を入れる。普通の合わせとは違う、ドラマーの虹夏ではなくギターの茜が先導する形となっている奇妙な絵面。
ジャンジャンジャンと調子を確かめるように弦を鳴らした──刹那、続けてギターで奏でる音が、三人の胸の奥底に叩きつけられる。
「────ッ!!」
速く、重く、力強い演奏に、続こうとした三人の動きが止まる。
しかし──ビリビリと痺れるような感覚を覚え、全身の肌が粟立つ。胸の奥底の言葉に出来ない感情が引きずり出される。
茜の演奏に合わせることを忘れ、半ば無意識に聞き入ってしまう。果たしてそれは、
──ピピピピ、というアラーム音。きっかり30秒を計測し終えた携帯がそれを知らせ、ぴたりとギターを弾いていた茜の動きが止まる。
ギタースタンドに自身のギターを立て掛けると、玉の汗を拭い食いしばっていた口を開いて、肩で息をする三人に気だるげに言った。
「…………5分休憩だ」
茜がふらふらと歩いてスタジオを出ていったのち、既に汗を吸い湿気ったタオルで顔を拭う虹夏が、同じように汗を拭う二人に辛うじて聞こえる声色でぼやくように呟いた。
「──し、死ぬ……」
「…………大丈夫、ですか……?」
「喜多ちゃんも瀕死じゃん……」
ぜえはあと呼吸を荒らげる二人は、けれども確かに、その腕に実感得ていた。
「茜くんがここまでやれるなんて思わなかったけど……何が一番驚いてるって、ちゃんとあたしたちが
「そうなんですよね……でも横に並ぼうとすると、単純に実力不足で突き放される。『最低でも10秒は付いてこい』とは言われましたけど……出来るんですかね?」
「さあねえ…………。でも」
視線を落として、虹夏は先程まで死に物狂いで叩いていたドラムを見下ろす。
──
その場その場で最も適当なタイミングに先導され、
周りに合わせるために加減をする。それは、よっぽど腕が上でなければ成立しない行為。
とどのつまり──怪我で辞めざるを得なかった、ブランクのある、リハビリ中の茜の腕は、この場においては今は居ない
「──燃えるなあ」
「伊地知先輩?」
「ん? いや、なんでもない。……ああ喜多ちゃん、水分摂っときなよ。たかが30秒とはいえ、毎回毎回全力疾走させられてるようなもんだからぶっ倒れちゃうよ」
「はい、お二人の分も持ってきますねっ」
「ありがとー」
タオルを首に下げてスタジオを出る喜多を見送り、虹夏はなんとなく、ずっと黙っているリョウに視線を向ける。さしもの彼女も疲れたのかと思い顔を見上げて──
「……リョウ? どうしたの?」
「────」
「リョウ? リョ~ウ~?」
熱に浮かされたように頬を上気させて、リョウはじっと茜のギターを見つめていた。
視界の端で手をヒラヒラと振る虹夏にも気づかないほどにぼんやりと眺めているリョウは──有り体に言えば、うっとりとしている。
「……
「なにが?????」
こんな風に心の底から嬉しそうに表情を緩めるリョウを、虹夏は初めて見た。
それから一拍置いて、閉じられた扉がすぐさまがちゃりと開かれる。
「あれ、喜多ちゃん?」
「──すみません伊地知先輩、リョウ先輩。店長さんがもうお開きだって……」
「へ?」
「柊木くんの腕が思ったより痛むそうで……今日はもうやめた方がいいって」
「そっか」
伝言を伝えた喜多の言葉に心配そうに眉を潜める虹夏は、仕方ないとかぶりを振る。茜の腕がどう酷いかは一応知っているため、特に疑う必要もないままに席を立つのだった。
──腕が熱を持つ。
治りきっていない腕を酷使した代償が、たかが5分の休憩で消えるわけもなく。
演奏よりも長く休憩しているにも関わらず、三人以上に疲労と痛みが積み重なる。
「うごごごごご………………」
熱くズキズキとした二重に痛む右腕にビニールに詰めた氷水を当てながら、茜はその腕を伸ばして休憩がてらテーブルに突っ伏していた。
「……柊木くん、大丈夫ですか?」
「かなりキツいですが……まあ、このくらいならまだ耐えられます」
「いえ、まだ耐えられるかどうかを聞きたいんじゃなくてですね」
呆れた表情で突っ伏す茜の頭頂部を眺めるPAは、カウンター裏のキッチンから戻ってきた星歌が同じテーブルを囲うように座る様を見る。
「茜くん、今の休憩は何回目だ?」
「8回目ですね」
「30秒演奏、5分休憩か。これを8回だから……えー、5分×8で40分、30秒×8で240秒……60秒で1分だから…………えー……」
「星歌さん?」
「………………44分だな」
「星歌さん??」
「いいか茜くん、大人になるとな、逆に単純計算がパッと出来ないときがあるんだ」
視線を斜めに上げて必死に脳内で計算する星歌に、突っ伏した顔をずらしてとてつもないものを見るような表情を向ける茜。彼女が言い訳するように言うと、茜もまたなるほどと呟く。
「……店長をやってるとなると、計算はアプリか電卓任せになりますしね」
「そうなんだよ。アレだ、スマホばっか使ってる奴が書類に漢字を書けなくなる的な」
「ああ……」
──そういう感じですか。と続ける茜の冷却中の腕を見て、星歌は言った。
「なあ、もうやめた方がいいんじゃないか」
「……今のは聞かなかったことにします」
「聞け。あいつらに頼られて嬉しいのはわかる、でもそれでまた腕ぶっ壊したら逆に虹夏たちを悲しませるだけだろ。それに、この事を知らないぼっちちゃんになんて言い訳するんだ?」
「──限界は弁えていますよ。昔はこれよりキツくて痛いリハビリをしてたんですから、どの辺りで腕が限界を迎えるかは把握してます」
「────」
そもそも
「いいんですよ、俺の腕はどうせ完璧に元通りにすることはできないんですから」
「……? どういう意味だ?」
「ほら、星歌さんには、神経科医の親父が俺の腕を治すために世界中飛び回ってるって話をしたじゃないですか。覚えてます?」
「あー…………あったな、そんな話」
脳内の記憶を思い返し、初めて茜が自宅に訪れたときの話だったなと、寝起きの顔を見られたことも含めてそういえばと想起した。
「──世界中を飛び回ってでも探す。それは裏を返せば、『ちゃんとした治療法がまだ
冷やす位置を変えるために起き上がる茜が、右腕の手術痕をそれとなく指でなぞる。
「俺の腕は小さい頃の事故で一度ぐちゃぐちゃになって、それから元の位置に戻す手術を繰り返して辛うじて形になった。でも、筋肉と神経が本来の位置から
「……そんなことが……」
「腕はぶっ壊れて実力の7割も発揮できないし、弾く度に痛む欠陥品になってしまったけど、これからも『これ』に付き合っていかないといけなくて、そして今の俺に出来ることがあって──それが多少の無茶で達成できるのなら、俺は幾らでも無茶をします」
──手遅れにならない程度には。と付け加えて、茜は口角を緩めて星歌たちに問いかけた。
「……俺が真面目な人間に見えましたか?」
「見えてたけどもう見えねえ」
「わりと狂人の類いなのだろうという前兆はちょくちょく見え隠れしてましたよ」
「……まあ、そういうことです」
肩を竦めて、茜は懐から携帯を取り出すと、片手でタップするためにテーブルに置いて人差し指で画面を叩く。誰かにメッセージを飛ばしていることが分かり、PAがおもむろに質問する。
「誰にメールしたんです?」
「……知り合いにちょっと、湿布と痛み止めを買ってきてもらおうかと思ってて、朝から何度かメッセージをやり取りしてまして」
「やっぱりキツいんじゃねえか」
「それもあるんですが、俺の場合は腕の痛みに効く市販薬を選別してるんですけど、そうするとどうしてもこの辺には無くてですね。最近だと
苦虫を噛み潰したような顔の茜を珍しがる二人は、その理由を問うた。
「なんでそんな嫌そうなんですか」
「頼ったのは知り合いの妹さんなんですけど、なんというかこう……あの人、凄い苦手なんですよね。いい人ではあるんですが」
「柊木くんみたいな人にも苦手なタイプって居るんですねぇ……」
本当に意外だとでも言いたげな声色のPAを横目に、同意するように星歌が頷く。
「俺にも苦手な人くらい居ます────アオイさ……ん゛ん、返信か」
咳払いを一つに、返信された文字を読む茜。目が左右に動き、文章を読み終えると、それから重くため息をついて携帯を閉じた。
「どうした?」
「『明日ならそっちに行ける』らしいです。今日はもうお開きにした方がいいですね、さっきから冷やしてるのに腕が痛む感じからして、これ以上弾いたら明日腕が上がらなくなります」
「そうか……それを聞いちゃった以上は続けろなんてとても言えないし、そうしなよ」
星歌の言葉を耳にしながら息を吐いて、茜は少し溶け始めた氷水をシンクに流そうと席を立つ。カウンターに向かった茜の元に、遅れて水分を摂ろうとした喜多がスタジオから出てきていた。
「あー、ちょっと、虹夏とリョウにもうお開きだって伝えてくれる」
「店長さん?」
「茜くんの腕がもうキツいらしいから、今日は終わり。慣れない合わせであんたらもかなり疲れてるだろ、まだ行けますとか言うなよ」
「わ、わかりました」
踵を返す喜多の背中を見送って、星歌は背後で水を流す音を聞きながら口を開いた。
「……さっき軽く茜くんの演奏聴いたけど、あの動きと音、どっかで見たんだよなぁ」
「そうなんですか?」
「思い出せねえ。かなり昔にちらっと動画で見たんだけど、なんだったか……」
──STARRYの外、それぞれが帰るために別れようとした時、街灯の下でリョウが呟く。
「ダーリン」
「その呼び方はやめろ」
「ちょっといい?」
茜を呼び止めたリョウは、建物の陰の暗がりから街灯の下に近づいてくる彼の顔を見て、少しだけ考えるそぶりを見せると──頬を染めて、長年待ちわびた相手をようやく見つけられたことの嬉しさを隠さずに見上げて言った。
「なんだ」
「……キミが一本だけ投稿したあの動画。アカウントごと消えるまで、何回も見返したよ」
「────」
それだけで、茜はリョウが言った言葉の真意を悟り、気恥ずかしそうに左手で頭を掻く。
幼い頃に憧れた、小さな天才。投稿から数ヶ月後にいつのまにかアカウントと共に動画は消え、もう追えなくなった演奏とその手の動き。
当時の演奏技術が、いびつに歪み衰え変わり果てながらも、しかし補うように当時よりも重く力強い演奏へと変貌し、それが彼女の眼前で披露されて────リョウの疑いは確信となり、まるで命の恩人に道端で再会したかのような偶然に心の底から感謝していた。
「──会いたかったよ、天才ギタリスト」
「その呼び方もやめろ。俺はもう天才じゃない」
ふっと笑うリョウと、気まずさから視線を逸らす茜。街灯の明かりが、まるでスポットライトのように二人を照らし、世界から隔離する。
どうしたものかと思案する茜の右腕が、目を背けるなと言わんばかりに、いつまでもズキズキと痛みを発し続けるのだった。
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