「いつから気付いていたんだ?」
『んー、わりと最初から疑ってた』
帰宅してからビデオ通話を繋ぎ、タブレットの画面いっぱいにリョウの上半身が映る。
上機嫌な雰囲気で口角が緩んでいるリョウが、楽しそうに言葉を続けた。
『でも確信したのは今日の演奏。昔のあの動画のあとに怪我したんだよね? だからキレは衰えたけど、むしろ技術は昔よりも上がってた』
「それはどうも」
暖房の効いた部屋で半袖姿の茜は、右腕を左手で揉みながら呟く。
『うちの家、親がめちゃくちゃ過保護でさ。真逆の事をやれば反抗になると思って、茜のギターを見てロックに手を出したんだ』
「ふうん…………うん?」
『なに』
暗に自分がきっかけと言われてわずかに気恥ずかしさがあったが、それにしては──と当然の疑問が湧いてきて、それを問いかける。
「俺のギターがきっかけだったというのはギタリスト冥利に尽きるが、それならなんでお前が使ってるのはベースなんだ?」
『────』
ちら、と横に立て掛けられたギターを見てから画面に戻すと、リョウは画面の向こうで心底呆れたように口を半開きにしていた。
「なんだよ」
『茜ってさあ、鋭いけど鈍いよね』
「は?」
『キミのギターを見て、ベースを始めた。なんでか、なんて言わなきゃわからない?』
「……それは……だって、なあ……」
頬を指で掻いて、茜は口ごもる。──いつか俺のギターを支えるためにベースを選んだのか? などと聞くのは、それが答えなのだとしても、あまりにも自惚れているだろう。
茜が理由をきちんと察していることを理解したのか、呆れた表情から一転、リョウは愉快そうに目尻を細めてにやりと笑って言った。
『ばーか、えっち。お休み』
「中学生かお前は。……お休み」
プツン、と通話が打ち切られ、タブレットの画面がホームに戻った。電源を切って、ため息混じりに茜はソファから立ち上がり独りごちる。
「明日に備えてもう寝るか……薬箱にまだ痛み止め残ってたかな」
まだ軋んでいる感覚のある腕の筋肉痛に備えて、使い古された箱を取り出すのだった。
──翌日の放課後、同じようにギターケースを背負ってSTARRYにやってきた茜は、例の相手からのメッセージを見て嫌そうに顔を歪める。ケースをテーブルの脇に立て掛ける動きを横目に、ため息をつく茜に喜多が問いかけた。
「はぁ」
「その人のこと、そんなに嫌いなの?」
「別に嫌いではない。ただ……ちょっと……だいぶ……かなり苦手というか」
「世間一般じゃそれを嫌いって言うのよ?」
するとおもむろに、その期待に応えるようにがちゃりと出入口が開かれた。
「おーい、茜くーん! なんか茜くんに用があるって言ってるお姉さん連れてきたよ~」
「…………」
「こんにちは」
元気よく入ってきた虹夏と無言で付いてくるリョウの後ろから、ひょこりと店内に顔を覗かせる女性がおずおずと入店する。
白い服装が清楚感を際立たせ、腰まである水色の髪が清涼感を思わせる女性は、茜を見つけると小さく手を振って表情を和らげた。
「やっほ、茜くん。久しぶり」
「はい」
「この間、うちでお姉ちゃんに会ったんだよね? ギターピックを探してたらしいけど、もしかして今……ギターやってるの?」
「いや、その件は幼馴染に渡す用の奴で、今回頼んだやつとは別件です」
「そうなんだぁ」
女性の片手にはビニール袋が握られ、二人に続いて階段をカツカツと降りてくる。喜多は彼女の言葉に引っ掛かり、おうむ返しした。
「……うちでお姉ちゃんに……? あの、もしかして貴女って秋葉原の──」
「はいっ、お二人が訪れた音楽専門店【コトノハ】は、姉が店長をしているお店です。私は妹のアオイと申します、これは姉から押し付けられた外出先に宣伝する用の名刺です~」
「ああ、これはご丁寧にどうも」
懐から取り出した名刺入れから人数分のカードをつまんで、もう既に持っている茜以外の全員に一枚ずつ手渡す。最後に渡された星歌は、住所と店名を見て合点が行ったように頷く。
「あの店か……」
「お姉ちゃん、なにか知ってるの?」
「ああ、ピンクの巨人が経営してる路地裏の魔境……と噂の店だ」
「まあ……間違ってはないですねぇ。姉の身長180超えてますし」
呆れ気味にそう言って、女性──アオイは改めて茜を見るとビニール袋を掲げる。
「昨日も演奏したなら、まだ治りきってないその腕もかなり痛むんじゃない? 練習がこれからなら、今のうちに湿布貼っちゃおうか」
「……助かります」
「そうだよ~。
『貸し』の部分を強調するアオイに、茜は苦い表情で言葉を返した。
「……なんとかなりませんか」
「え? 貸し三つがいいって?」
「一つでお願いします」
「折れるの早……」
にこやかに言われて、茜は即座に妥協した。それを見ていた虹夏は彼の態度が妙におかしいことに疑問を抱き、小首をかしげる。
ガサガサとビニール袋を弄り中から湿布と痛み止めを取り出すアオイは、一緒に買っていたペットボトルの水も出してテーブルに置くと、茜に座るように促す。
「さっ、右腕の袖捲って~」
「はい」
「……ふふふふ、茜くんは相変わらずいい筋肉してるよね。ふ、ふふ、うふふふ」
「はい」
顔色が虚無となった茜がされるがままに腕を細い指で揉まれ、アオイは腕の筋肉の感触を確かめてうっとりと頬を染める。その光景を眺めていた喜多は、なんとなくだが、茜がアオイを苦手としている理由に察しがついていた。
「アオイさん……ふうん、なるほどね」
「喜多ちゃん? どしたの?」
「ああ、いえ」
疑問符を浮かべる虹夏にかぶりを振って返し、喜多はアオイを見る。
──彼女は、いわゆる
しれっとボディタッチまでしているが、その動きに媚びを感じさせない。
けれども茜にはそれが、愛嬌などではなく、どこか妙な気味の悪さに変換されているのだろう。ほとんどの異性を手玉に取る無意識の行動は、茜にだけは逆効果だったのだ。
──ちなみに、アオイが中学から大学に至るまでで一切の悪意無く部活とサークルを崩壊させた数が10を超えていることは余談である。
「アオイさん、そろそろ湿布貼ってもらえると助かるんですが……」
「うふふふじゅるっ……ごほん。ご、ごめんね~すぐ貼るから」
「頼みます」
茜にそう言われたアオイは、一転しててきぱきと腕に湿布を貼り、それから痛み止めを渡してペットボトルの蓋を開けて手渡した。
「1回2錠、昔みたいに痛みが酷いからってODとかはしないでよ?」
「しませんよ。……んぐ」
左手で錠剤を口に放り込み、アオイから水を受け取って一息に呷る。そうしてやることを終えた茜は、ギターケースを手に席を立つ。
「アオイさん、ありがとうございました。薬と湿布のレシートもらえます? 貸しを返すついでに、今度店にお金も返しに行くので」
「うん、はいこれ」
アオイからくたびれたレシートを渡された茜は、それをポケットに入れる。
続けてスタジオに足を向けて、虹夏たちに目配せをして入っていった。
「頑張ってね~。……さて、帰りますか」
「あー、アオイさん」
「はい? 確か……店長さん?」
「あいつ──茜くんとは、付き合い長いの?」
自分も帰ろうかと席を立ったアオイは、星歌に声をかけられて振り返る。
その質問と星歌の『気になるあの子との関係性』を探るような表情に、察したように口角を緩めるとイタズラっぽく言葉を返した。
「ふふ、長いですよ? 店長さんが思っているよりも、ずうっと……ねっ」
人差し指を唇に当てて、それ以上は教えてやらないとばかりに、アオイは妖艶にクスクスと笑って店を出るべく背中を向ける。
その背中を見送った星歌は、頬をひくつかせて額に青筋を浮かべていた。
「なんか……すげぇムカつく」
「男ウケのいい女の挙動、同性にはめちゃくちゃウザったく映りますよねぇ」
──ところで、と言って、リョウはギターの準備をする茜に質問を投げ掛ける。
「貸しって、何を返すの?」
「うん? ああ……休日にアオイさんとあの人の姉のところで店の手伝いをしたり、二人の自宅で家政夫みたいに家事を代行したりだな。最近はやってないけど、何年か前はちょくちょくやってたんだよ。親が居ない俺に一人の時間を作らせたくなかったみたいで、後藤家とは別に世話になってたことがあったんだ」
「そのわりには嫌そうだったけど」
「アオイさんはともかく、姉の方が部屋を散らかしがちで汚ねぇからだよ」
「大変ね……」
「へぇ~、店の手伝い……と家で家事するのは……なんか今とあんま変わらないね」
「だからまあ、アオイさんも、別段悪い人とかではないんだが……」
どう言えばいいのか、と悩むそぶりを見せる茜に、リョウは更に質問を続けた。
「さっきの人のこと、なんで苦手なの」
「……何て言えばいいんだろうな、こう──人の懐に入り込むのが上手いというか、無条件で好感を抱きやすい雰囲気をしているというか」
「…………ああ、そう」
「
その答えに、虹夏たちは顔を見合わせて納得したようにため息を漏らす。
「要するに女版茜くんってことかぁ」
「それ、単なる同族嫌悪じゃない?」
「たぶん、そういうことよ……柊木くん」
「……俺がなんだって?」
──アオイさんと同類扱いはさすがに納得いかない。そう言いたそうな茜は、仕返しのように、その日の特訓を厳しくするのだった。
それから数日、文化祭が刻一刻と近づき、ひとりが居ないときを狙って鍛える茜は、汗を拭う喜多にこの一連の動きの意味を問われる。
「柊木くん、あなたの演奏に『10秒は合わせられるようにしろ』って言われたけど、あれって結局どういう意味で言ったの?」
「──例えばライブ中、誰かがトラブルを起こしたとする。そして立て直すのに10秒くらい必要だとして、その時
「……な、なるほど」
「ふっ、期待してるぞ」
合点のいった喜多は、頷いてギターを構え直す。それを見て、茜もまた自身のギターをぐっと握り、深く息を吐いて呟いた。
「──文化祭、何事もなければいいんだがな」
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アオイ
・茜のような『それっぽい』ではない真のサークルクラッシャー。中学高校大学で崩壊させた部活とサークルの数は10を超える。実は男の子の腕の筋肉フェチで、微妙にズレながらも動かせている茜の腕が特にお気に入り。