放課後の教室で、茜はぼんやりと携帯を眺めている。それを前の席で眺めていた喜多は、ずっと固まっている彼に何度か声をかけた。
「────くん、柊木くんっ」
「……なんだ?」
「もう、さっきから呼んでたのに」
「悪かった、それで──なんだったか、俺が一部の生徒から結束バンドの後追いでギターを始めたミーハーだと思われてる話だったか?」
「悲しい話だけどそうじゃないのよ」
同情的な目を向ける喜多はかぶりを振って、つい、と指を携帯に向ける。
「さっきからずっと携帯の画面を見てるけど、なにかあったの?」
「ああいや……文化祭の一件以来、アオイさんが音沙汰無いのが不気味でな。かといってこっちから連絡するのは催促してるみたいで憚られるから悩んでただけだ」
「なるほどね……」
脳裏にハートマークを飛ばしまくっている水色髪の女性を思い浮かべる喜多が頷く。
あれだけ露骨に感情を向けているのに連絡をしてこない、というのは確かに不気味である。そう思案している喜多を前に携帯を仕舞おうとした茜は、ちょうど掛かってきた電話に出た。
「……虹夏。どうした」
『茜くん! 緊急事態!』
「落ち着け、なにがあった?」
『リョウが大変なことになっちゃった!』
「あいつはいつも大変だろ」
面倒事の気配を察して通話を切ろうとした指を理性で止め、茜は渋い表情を作る。
『………………とにかく早く来てね!』
「せめて誤魔化せ──切ったなあいつ」
「伊地知先輩から?」
「……リョウが大変なんだと」
「ええっ!? 大変じゃない!!」
ブツッと切られた電話を閉じて鞄に仕舞う茜の言葉に、喜多は席を立つほどに驚く。凄まじい早さで身支度をした彼女は、自身と茜のギターケースを抱えて茜本人を引っ張り廊下に躍り出た。
「柊木くん! 早くSTARRYに行くわよ!」
「もう嫌な予感がしてるから帰っていいか」
「さあ行くわよっ!!」
「会話をしてくれないか?」
途中、2組から出てきたひとりを「えっ、ちょっむぎゅぶ!?」巻き込みつつ、喜多はそのまま走って下北沢に向かうのではと言わんばかりの勢いで駅に向かう。
──まだギリギリ理性があったか。と独りごちる茜は、懐からICカードを取り出すのだった。
──バンと開け放たれた扉から店内に入ってくる喜多の小脇に抱えられていた茜は、げんなりとした顔で離れて立ち上がり埃を払う。
「伊地知先輩! リョウ先輩は!?」
「おっ、来た来た……なんか凄いごちゃごちゃしてるけど塊魂でもしてたの?」
「似たようなものだ」
虹夏しか居ないように見える店内を見回す茜が、ギターケースを傍らに立て掛ける。すると、虹夏が気になったようすで口を開いた。
「あれ、ぼっちちゃんは?」
「ん? …………喜多、ちょっと動くな」
「えっ」
虹夏にそう問われ、茜が周囲を一瞥し、おもむろに喜多の制服に手を伸ばし──初手のタックルめいた突撃で押し潰されていたペラペラのピンクのツチノコを剥がす。
「私が……私が下北沢のトゥーンモンスターです……」
「ひとりちゃん!? い、いつのまに!?」
「トゥーンだから……む、無敵……です……」
「ど根性ぼっちちゃん……」
「まあ、水に浸せば膨らんで元に戻るだろう」
「そんな……増えるワカメじゃないんだから」
ペラペラと揺れる
「それで、いつも大変なリョウが今回も大変なんだったか。何をやらかした?」
「いやぁ~、まぁ~、そのぉ……今回はあたしも悪いっていうか……」
気まずそうに視線を逸らす虹夏は、指先を合わせてもじもじしながらポツポツと続ける。
「実はうちの学校でテストがあってさ、今回ばかりは良い点取らせた方がいいと思って、いつも以上に一夜漬けで教え込んだんだけど……」
すっ、とその場を離れて、背後のテーブルの脇に退くと、虹夏が二人を手招きして足元に指を差す。茜と喜多が下を覗くとそこには──見事な箱座りでのんびりと隠れているリョウが居た。
「にゃ~~ん」
「なんか、いつも以上の反動で人間だったこと自体を忘れちゃったみたいで……」
「なんで?????」
「追い詰めると人間を辞めるのはひとりだけにしてもらえないか?」
──元から猫っぽいとは思っていたが……。と続ける茜は、一拍置いてから踵を返してギターケースを取りに戻ろうとして虹夏に腰を全力で掴まれて捕縛される。
「じゃあ、お前たちがどうにかするまでは俺がスタジオを借りて良いってことだな」
「待て待て待てぇ──い!!」
「ぐおおおおっクワガタかお前は……!」
「なんで逃げようとするかなっ!」
「面倒くさいから」
「正直者め……」
あっけらかんと言い放つ茜に、呆れたような表情をする虹夏。それを見ていた喜多が、早速と行動に移すべく目を輝かせてリョウに近づく。
「ではこの喜多郁代、愛の力でリョウ先輩を元に戻してみせましょう!」
「オチが見えたんだが」
「リョウ先輩、そこから出てきてくださ~い♡」
「シャ────ッ!!」
喜多は屈んでリョウに手を伸ばすが、警戒心を露にした容赦の無い威嚇に、とぼとぼとゴミ箱の方に向かって足を入れた。
「私の名前は喜多ヤドカリです……」
「喜多ちゃ──ん!? ……くっ、こうなったら出番だよ茜くん!」
「はいはい。結局こうなるんだな」
いつぞやのひとりのようになってしまった喜多を尻目に、面倒くさそうにため息をついてからゆっくりと近づいて屈む。
「いいか、まずはこうやって警戒心を解くようにゆっくり近づいて向こうに関心を向けさせてだな──俺は人間相手に何をやってるんだ」
「茜くん! 正気に戻らないで!」
「というか店長とPAさんはどうしたんだ」
「あー……お姉ちゃんはめんどくさがって『店開けるまでにどうにかしろ』って言って夕食の買い出しに逃げた。PAさんはなんか寝坊したらしくて遅刻してる」
「そうか……」
そんな話をしているうちに、リョウが茜の手に鼻を近づける。
警戒が薄れてきたのを察して、その流れで脇に手を差し込んで引っ張り出すと、茜は座ったまま膝に乗せて横向きに体を預けさせた。
「で、こっからどうすればいい」
「リョウは過保護な親御さんに反抗するためにロックを始めたからね、つまりめちゃくちゃ甘やかせば反抗心で元に戻ると思う」
「俺は人間相手に何をやってるんだ……」
「はい正気に戻らない」
大人しいリョウの背中をさするようにして優しく撫でる茜は、彼女の実情を改めて耳にして、呆れ混じりの声色で呟くように言う。
「ふっ、贅沢な悩みを持った奴だ」
「えっ? ──あっ、その……」
「……別に、
「それに?」
自身の家庭の事情を聞いている虹夏の申し訳なさそうな顔を見て、茜は否定しながらも言葉を区切る。おうむ返しする彼女を見ながら、リョウの頭をくしゃくしゃと撫でて続けた。
「人間、これくらい愚かな方が愛らしいだろう」
「……茜くん、人間を下に見てる上位種族みたいなこと言い出さないでよ」
「──いや、そうでもないか」
「へ?」
虹夏の苦笑を前に、茜は自虐気味に返す。
「この通り俺は愚かだが、可愛いげは無い」
「──あはは! 確かに!」
「……そういえば、ひとりはそろそろ元の大きさに戻った頃か?」
「そうかも、ちょっと見てくるね」
立ち上がった虹夏から顔を逸らし、スカートを見ないようにしながら誤魔化すようにリョウの背中をさする。それからふと、モゾモゾと蠢いてから、消え入りそうな声で囁いてきた。
「…………あかね」
「ん?」
「もういいから」
「そうか。──まだまだ甘え足りないか」
「んにゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
これ幸いと日頃の恨みを返すかのような動きで、それこそ猫を撫で回すように髪を掻き乱す。茜が反撃を食らうのは、言うまでもなかった。
──頭の歯形から血を垂らす茜は、モップで床掃除をしながら虹夏に言う。
「今回の教訓は『何事もやり過ぎてはいけない』ってことでいいな」
「そうだね……」
「……はぁ、ただでさえアオイさんの件で悩んでるのに、ここでも問題が起きるんだからな。わかってるのかリョウ。3割くらいはお前が勉強しない責任にあるんだぞ」
「えー」
そんなまさか、とでも言いたげな顔をするリョウは、茜の言葉に気になったように問う。
「アオイって……あの戸愚呂兄弟みたいな身長差のよくわからん姉妹?」
「他にいい例えはなかったのか」
流しで洗いものをしている喜多とどこか湿っているひとりをちらりと見る茜に、リョウは目尻を細めてふぅんと鼻を鳴らして言った。
「──茜ってやっぱり、ああいう清楚な感じの人がタイプなの?」
「品が無いよりはマシだろうさ」
専用のバケツにモップを浸して水気を絞りながら返す茜は、テーブルを拭いているリョウを見る。視線に気づいて振り返る彼女に、モップがけしながら更に続けた。
「それを言うなら、リョウこそああいう清楚さを身に付けるべきじゃないのか」
「元から清楚な私がこれ以上清楚になったら、あまりにも清らか過ぎて世界が私を汚すまいと歩く度に足元で花が咲き乱れてしまう……」
「こんな俗物的な仏陀が居てたまるか」
さも当然かのように言うリョウは、それから暫く掃除を続けてからようやくと茜とアオイの間に『貸し』があることを思い出す。
「あ~~、そういえばなんか……貸しがあるんだっけ。なんでも言うこと聞く権」
「あんまりにもな無茶ぶりをされたら普通に断るがな。……まさか要求でもあるのか」
「実はこの間のデート以来オムライスにハマっててさ、いい店見つけたから奢って」
「嫌だ」
バッサリと断る茜に、スンと真顔のまま、リョウは目薬を取り出して目に落とす。
「……文化祭の件、ぼっちのギターが不調なのを気づいてて黙ってたんだよね。私は騙されたことにとても深く傷ついた。よよよ」
「嘘泣きをやめろ。……わかったわかった、アレだけは俺が悪いからな」
「わーい」
タダ飯の予定が出来て喜ぶリョウを前に、なんだかんだと断りきれない自分に呆れてため息をつく茜。モップを片付けて早速と携帯で予定の確認をしていると、おもむろに問いかけられた。
「ねえ茜、アオイって人、清楚って言えば清楚だけど、なんか怖くない?」
「そうか? ……まあ、そう……かもな」
「いきなり山に呼び出されて、謎のトランクを埋める手伝いとかさせられそう」
物騒な例えをするリョウ。しかし底知れ無さを持つ彼女ならば確かに、と納得
「……あの人ならやりかねないな」
「怖い話しないでくれる!?」
「はーい」
「すまん」
虹夏に突っ込まれて、二人はかぶりを振って掃除を再開するのだった。
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