「ひとりちゃん、明日……2月14日がなんの日か知ってるかしら」
「あっ、煮干しの日です」
「そんな日あるわけ──うそっほんとにある……!? ……じゃなくて!」
「あっはい」
空き教室でもそもそと弁当を食べるひとりに、喜多は携帯でそのような記念日があることに驚きつつもかぶりを振って話題を戻す。
「バレンタインよバレンタイン! 女子が好──き、気になる男子にチョコを渡すアレ!」
「……………………?」
「ひとりちゃん?」
「あっすいません。自分とは縁の無いイベントなので脳内辞書から概念が消えてました」
「えぇ……」
フリーズしたひとりの言い分に軽く引きながらも、喜多がふと気になったことを質問した。
「柊くんに渡したことはないの?」
「あっ、その、小さい頃は私も渡そうかと思ったことはあったんですが……」
もぐ、と前日の残りの唐揚げを食べるひとりは、一拍置いて遠い目で続ける。
「茜くん、毎年毎年すごい量の手作りチョコを貰うので、まあ、いいかなあ……と」
「よくないわよ?」
「えっ」
「よくないわよ」
「な、なぜ二度も……」
真顔になりひとりに顔を寄せる喜多の威圧感に、彼女は思わず体を反らす。
「確かにバレンタインなんて結局はお菓子企業の商売戦略に過ぎないかもしれないけどね、普段は恥ずかしい感謝の気持ちを合法的に伝えられる手段としてありがたいイベントなのよ」
「……な、なるほど……?」
喜多の力説に頭を混乱させながらも、ひとりはそうかもしれないという説得力に頷く。
「じゃ、じゃあ……あっ、明日は、私も用意した方がいいですね……」
「そうねっ、私も用意しなくちゃ。──そろそろ戻るけど、ひとりちゃんは?」
「あっ、私はもう少しここに……」
「そう、わかった。また放課後にね」
ひとりの返答を聞いて、喜多は空き教室を出る。廊下を歩きながら、彼女は小さくため息をついて片手で顔を覆った。
「敵に塩を送ってどうするのよ……ひとりちゃんは敵じゃないけど……」
そう呟いて、渡す相手が同じであることに気まずさともどかしさを覚える。
ともあれ渡すチョコをどうするかと悩み、喜多はアンニュイな顔で窓の外を見ていた。
──翌日、教室で、喜多は茜の人気っぷりを遠巻きに眺めて戦慄していた。
「柊くん! こ、これ……」
「……ああ、ありがとう。悪いがクラスと名字も教えてもらえるか」
「──え? うん、3組の伊東だけど」
「そうか。いやなに、誰からの貰い物かをメモしておかないとわからなくなるからな」
「……あの、私ので何個目?」
茜の言い分に何かを察したようで、伊東と名乗った少女はおずおずと問いかける。
「今日は──これで9個目だ」
「……………………そっかあ」
本命とまではいかないが、義理というには想いの籠っているバレンタインチョコ。それを既に8個は受け取っていることを理解して、伊東は始まる前に失恋のようなものを味わった。
「じゃあ、その、お返しとかは、いいから」
「ああ」
死んだ目をしてフラフラと帰っていった伊東を見送り、茜は席につく。近くに座った喜多が、同情するように廊下を見てから口を開いた。
「茜くんに渡しに来て、何かを察してショックを受けた子、今ので9人目よね……」
「勝手にショックを受けられてもな」
「そういえば、本当にお返しとかはしないの?」
「いや、基本的にいつも貰ったものと同じお菓子をホワイトチョコで作ったりする」
「も、物凄く丹念に死体蹴りをしてる……」
付箋に『1-3 伊東』と書いて貰ったチョコに貼り付けている茜が、それを足元の紙袋に仕舞って深く息を吐くと気だるげに言う。
「貰った以上は全部食って、ちゃんと返すのが礼儀ってものだが……毎年この時期は肌荒れと健康との戦いになるから困り者だな」
「その発言、特定の人によっては煽りにも聞こえる贅沢な悩みよね」
「──それ以前の問題ではあるが」
「?」
小首を傾げる喜多は、自分は自分で人気であることを、更には文化祭の一件以来その人気に拍車が掛かっていることに気づいていない。
そんな人物と親しげに話をしている時点で──と、茜は慣れた刺々しい視線を無視する。
「あっ、そうだ。ねえ柊くん」
「──待て、待て。渡すつもりならSTARRYに行ってからにしてくれ」
「どうして?」
「お前との間に余計な噂が立つと困る」
鞄からチョコを取り出そうとした喜多は、そう言われて仕舞い直すと据わった目で呟く。
「私は困らないけど……」
「俺が困るって話をしてるんだよ」
「大丈夫よ、人の噂も七十五日って言うし」
「その間、噂に尾ひれが付かないなら我慢も出来るんだけどな」
面倒くさそうにそう言った茜だが、彼は、もう既に喜多のSNSアカウントを経て一部から勘違いされていることをまだ知らない。
──放課後、STARRYに集まった茜は、スタジオで練習しているひとりたちを尻目に、ラッピングされた小さい袋を星歌から渡された。
「ん」
「はい?」
「……あげる。レシピ通りに作ったから不味くはない……と、思う」
「ありがとうございます、店長」
気恥ずかしそうに頬を染めた星歌が、視線を逸らして茜の手のひらにそれを乗せる光景を見て、頬杖をついてだらけているPAが合点のいったような顔をしてああと言った。
「今日バレンタインでしたね、じゃあ私もせっかくなので…………えー……はいこれ」
「……………………どうも」
無造作にバッグに突っ込まれていたらしい柔らかいチロルチョコを渡されて、茜は無表情で感謝をした。こればかりは持って帰れないと思案して、その場で口に放り込んで咀嚼する。
「ものすごいネチャネチャしている」
「……明日、ちゃんとしたものを用意しますね」
「お気になさらず」
流石に罪悪感があるのか、PAは申し訳なさそうに言って携帯を弄り始めた。
「あ! 茜くん、お姉ちゃんからチョコもらった? あたしも一緒に作ったからあげるね」
「ああ」
「柊くん、私も……あげる」
「ありがとう」
にこやかな顔で自分の鞄からチョコを取り出す虹夏が、星歌のものと似たようなラッピングの袋を手渡す。それに続いて喜多が渡し、茜は無意識にぼんやりと立っているリョウを見た。
「え、なに、私もあげなきゃいけないの」
「いや、別に強制ではないし、そもそも最初から期待はしてない」
「ふ──────ん」
──確かに渡す気は無かったが、そう断言されてはそれはそれでイラッと来るものがある。リョウは静かに眉間にシワを寄せると、思い付いたように鞄に手を突っ込んだ。
「はいこれ」
「……これは……板チョコ」
「ホワイトデーは3倍返しって言うし、つまり来月その板チョコは3枚になって返ってくる」
「なるほどな」
──小狡い奴め。と独りごちる茜は、口角を薄く緩めながら渡されたそれらを紙袋に入れる。それからふと、気配を消していたひとりが背中をつつく動きを感じ取り振り返った。
「ひとり、どうした」
「あっ、あ、あの、茜くん……」
「うん?」
「えっと、その、あっうっ」
ぐにゃぐにゃと体をくねらせるひとりは、一通り百面相を終わらせて手元の箱を茜に渡す。不恰好なリボンの巻かれたそれは、誰がどう見ても、精一杯の努力を覗かせる手作りチョコだった。
「……珍しい、ひとりが用意するとは」
「あの、い、いつもは、その……毎年毎年いっぱいもらってるし、私ごときのチョコなんてそんな価値とか無いんで必要ないかなとか思ってたんだけど……」
視線を右往左往させるひとりは、一瞬喜多を見ると茜を見上げてぎこちなく笑う。
「……か、感謝を、伝えるためのイベントでもある、って聞いたから……」
「──そうか」
しみじみとそう言って、茜はならと渡された箱をひとりに見せて言葉を返す。
「いつもは貰った順に食べるんだけど、折角だからお前のやつから食べようか」
「あっ、う、うん……!」
こくりと頷くひとりを前にして、茜は早速と箱を開けて中身を取り出す。
それから溶かし固めて冷やしたシンプルなチョコを一つつまんで口に入れ、口の中で柔らかくしながら味を確かめ────
「うぐご」
「あっ、えっ?」
「なんて???」
──反射的に吹き出そうとした口を押さえた茜から、謎の声が飛び出した。
困惑するひとりと問い返した虹夏を横目に、無言で差し出された箱にリョウが手を入れて一つだけ口に放り込み確認すると、彼女もまた吹き出しそうになり口許を手で塞ぐ。
「ぶぇ、ちょっ……ぼ、ぼっち、これ砂糖どれくらい入れた……?」
「そ、そこそこ……です」
「……嘘をつくなよひとり、毒でも盛られたのかと思ったくらい味覚が刺激されたぞ」
じとっとした目で顔を見られ、さしものひとりは白状したように小さく言う。
「……あの、お砂糖、入れるときにひっくり返しちゃって……半分くらい混ざりました」
「──次からは、誰かと作れよ」
「…………はい……」
甘すぎるチョコを作り、失敗するという苦い思い出を経験したひとり。
彼女たちはバレンタインから暫くの間、甘ったるいチョコの処理で熱いお茶を愛飲する茜の姿を見ることになるのだが、それはまた別の話。
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茜の歴代バレンタイン
小学校時代
・怪我も相まって影のある雰囲気のため密かに人気があった。この頃は片腕しか使えなかったため、お返しは買って用意している。
中学校時代
・小学校からの知り合いと中学校からの新規を合わせてかなり貰っている。
貰ったものと同じお菓子を作って返していたため、腕前の差で女子の自信を無自覚に粉砕していたが、負けじと腕を上げようとした生徒もおり、渡してくる人は毎年減る以上に増えていた。