アオイが茜を誘う数日前、彼女は大学内の食堂で思い悩むように唸りながら、大盛のカツカレーを先割れスプーンで崩していた。
「う~~~~ん」
「──相変わらずよく食べますねぇ」
「……あ、ゆかりさん」
そこに現れたのは、華奢な体躯を猫背に曲げた、不健康そうな紫髪の女性だった。彼女は濃いクマを隠す黒縁の眼鏡を掛け、両側のおさげにはマカロンのような髪留めがぶら下がっている。
食堂の端に座るアオイの眼前に対面するように座ると、ゆかりと呼ばれた女性は、その手に持っていた小さな弁当箱をテーブルに置いた。
「そちらはそちらで……少食ですね」
「これでも多いくらいですよ」
「両手で作った輪に収まりそうなサイズの弁当箱で多いくらい……??」
パカッと開けられた小さな弁当箱の中には、お握りと色とりどりの食材が詰まっていた。
「あら、美味しそうですね」
「同居してる見習いパティシエが作ってくださるんですがねぇ、『せめて渡したお弁当だけでも完食しないと生クリーム流し込んで最低10キロは太らせますよ』って脅されてるんですよ」
「でしょうね。ゆかりさん成人してるのに痩せすぎててアバラ浮いてますし」
あははは。と無表情のままカラカラ笑うゆかりに、アオイは気になったことを問う。
「……ゆかりさん、今何キロでしたっけ」
「40です」
「身長は?」
「確か165」
「ほぼマッチ棒じゃないですか。うっかり転んだらそのまま死ぬんじゃ……?」
お握りを一つ食べ終えた辺りでもうすでに顔色が悪いゆかりは、さてと呟いてから2/3が残った弁当箱に蓋をして、懐から紙を取り出す。
「うぷ…………ところでアオイさん、例の
「はい? ──いや違いますよ!?」
「別に隠さなくていいんですよ。なにせ今日は、愛しの君との仲が進んでいない迷える子羊に道を示しに来たのですから」
「ゆかりさんの言い回しだとギリギリ宗教勧誘っぽく聞こえるんですけど……」
やや引き気味のアオイだったが、無造作にぴらりと垂れ落ちた紙を視界に納める。表面を見ると、それは水族館のペアチケットだった。
「水族館──金沢八景の有名所ですか」
「ええ。実はそこで清掃のバイトをしてまして、ボーナス的なアレで貰ったはいいものの……別に水族館自体に興味はないから私が持っていても宝の持ち腐れになってしまうんですよ」
「バイト……その貧相ボディで!?」
「こう見えて体力だけはあり余ってますから。お握り一個で朝から晩まで動けます」
「エコカーみたいですね」
ほぁ~……と呆れと感嘆の混ざった息を吐くアオイだったが、そのどことなく浮かない顔を見て、ゆかりが逡巡してから口を開く。
「ぜひ差し上げましょう──と言いたかったのですが、なにやら悩みがあるご様子。愛しの君に思うことでもあるんでしょうか?」
「……ふ、ふふ。わかります?」
「貴女はわりと感情が表に出る人ですから」
眼鏡の奥で目尻が細められ、見抜かれていることにアオイは口角をひきつらせる。
「ずっと悩んでいたんです。私がいったい、あの子にどんな感情を抱いているのかが。抱いた感情を、なんと呼べばいいのかが」
「拗らせてますね」
「あの日、あの子から逃げて、それでもなお焦がれた想いは消えなくて──ようやく、わかったんです。『これ』が何なのかを」
「僭越ながら、聞かせていただいても?」
ゆかりの問いに、アオイは、くしゃりと目尻と口角を歪めて言った。
「──ちょっとの愛情と、いっぱいの罪悪感」
「……ああ、まったく。貴女は不器用すぎる」
彼女の
「貴女の中の『好き』は、そんな形をしているんですね。……罪悪感を抱いた相手のことがどうしようもなく好きで、だからこそ、苦しい」
チケットを握るアオイの手を、ゆかりは上から包むようにそっと触れて。そんなゆかりに、アオイもまた、決心したように返した。
「……この機会はきっと、私の中の想いに決着をつけるために用意されたんでしょうね」
「────」
「これで嫌われちゃったら、もしかしたら物凄くみっともなく泣くかもしれないけど……まあ、それはそれで一つの答えなのかも」
バッグにチケットを入れ、皿の残りを食べ終えたアオイは、トレーを持ちながら立ち上がるとゆかりを見て笑いかける。
「じゃあ、頑張ってみます。次の週末に……お、おデートに誘ったりしちゃったり」
「………………。はい頑張ってくださ~い」
ひらひらと手を振って皿を返しに行った彼女を見送ってから、重いため息をついて頬杖をつくと、ゆかりは悩ましげに声を出した。
「……次の週末、ちょうどバイトなんですけどねぇ……鉢合わせないことを祈りますか」
──週末当日、駅前で待ち合わせていた茜は駅内から外に出てきたアオイを見やる。
小走りで駆け寄ってくる彼女を迎えた茜────の背中を、道路を挟んだ向かい側で、四人の少女と一人の女性が眺めていた。
「私たち、何をしてるんですかね……」
「今さら正気に戻らんといてくれんか」
喜多のぼやきを流しつつ、アカネは歩道の手すりに寄り掛かりながら片手間で手元の機械を点けると、カチカチとボリュームを上げる。
『────たせ~茜くん』
『──んにちは、アオイさん』
「お、ちゃんと聞こえとるな」
「あっ、あの、これ半分犯罪なんじゃ」
「ぼっちちゃん、半分どころか十割犯罪だから安心していいよしちゃだめなんだけど」
僅かなノイズの後に聞こえてきた二人の声。ひとりの呟きにツッコミをした虹夏は、ふと湧いた当たり前の疑問をアカネに問いかけた。
「……ちょっと聞きたいんですけど、これどうやって音拾ってるんですか」
「ん? ああ、昨日アオイに何着てくのか聞いて事前に襟に仕込んどいた」
「なるほど……」
──全部終わったら通報しようかな。虹夏は誰に言うでもなく、静かに決意した。
『それで~、その~……ど、どうかな』
『はい、似合ってますよ。お綺麗です』
『──そ、そう。ふっ、ふへへ』
「柊木くん、こういう時にとくにためらいなく相手のこと褒めるわよね」
「あっ、た、たぶん、茜くんのお父さんの影響だと思います……」
「あ~~、無月さんか。あのおっさんもまあまあチャラいからなぁ」
「……生死不明の例のお父さんだっけ」
「あんなん殺そう思ても死なんやろうしへーきへーき。サバンナとかで元気にしてそう」
水族館に向けて動き出した二人を距離を保ちながら尾行する五人は、そんな会話を交わしながら歩道を歩く。到着した二人が早速と水族館に入る光景を見て、黙っていたリョウが口を開いた。
「…………あ、ところでクズパイセン」
「グーで殴るぞ。……んで、なんやねん」
「私いま金欠なんですけど」
「??? だから……?」
「水族館の入場料、奢ってください」
「は?」
さも当然かと言わんばかりに真顔で提案するリョウに、アカネですら困惑の表情を見せる。
「いやそこまでしてやる義理は無いと思うんやけど──おいこら携帯を取り出すな」
「こんなところに1と1と0のボタンが」
「ナチュラルに脅すのやめえや」
「されても仕方ないことを進行形でやってるから擁護できない……」
「そろそろ逃げる準備だけでもした方がいいんじゃないかと思えてきましたね……」
すっ、とスマホを取り出して電話を起動するリョウに呆れながらも、虹夏と喜多はやっていることがことだけに何も言えない。すると、ひとりのふとした指摘にリョウは耳を傾けた。
「あっ、わ、私たちも同罪なのでは……」
「──それもそうか。命拾いしましたね」
「こいつ普段からこうなんか?」
「まあ……はい」
苦笑を浮かべる虹夏にアカネは渋い顔をしながらも、仕方ないと言いたげに髪をガリガリと掻いてから懐から財布を取り出す。
チケット売り場の前まで歩くと、彼女は気だるげに料金表を見上げた。
「どうせならワンデーパスにしよう」
「高いわバカたれ」
──チケットを買い、水族館エリアを見て回る二人を追いながらも、それはそれとして五人分の当日券を購入したアカネは軽くなった財布を懐に仕舞った。
「どさくさで全員分奢らせちゃって……なんか本当にすみません」
「気にせんでええ、口止め料や」
「リョウたちも普通にイルカショー見に行ってるし。目的忘れてないかな」
茜たちの尾行も兼ねているとはいえ、水族館に来たからにはと、リョウはイエスマンの喜多と頼まれたら逆らえないひとりを引きずってイルカショーの行われる場所に向かってしまっている。
「ちょうど監視対象も見とるんやし問題ないやろ。……あかんウチと居るときにはまず出ない楽しそうな声が聞こえてきて辛くなってきた」
「脳を破壊されている……!?」
盗聴器から聞こえてくる妹の朗らかな声に、アカネの表情は暗くなって行く。
「ウチらいったい何やっとんのやろな」
「今さら正気に戻らないでくれます?」
ベンチに座って両手で頭を抱えるアカネに、虹夏はただただ冷たい眼差しを向ける。それから少しして、どうやら最前列で見ていたのか、水を被ってびしょ濡れの三人が戻ってきた。
「おーおー、やんちゃしおってからに。……そんで、どうやった?」
「チョー楽しかった」
「感想を聞いてるんとちゃうねん」
無駄にいい表情で水の滴る髪を掻き分けるリョウは、アカネに問われてグーサインをする。
──こいつほんま使えん……。と内心で独りごちたアカネは、続けて喜多に視線を向けた。
「赤い方。近くで二人を見てどんな感じやった? 声だけだと分からんもんもあるからな」
「仲良さげで嫉妬で気が狂いそうでした」
「もっかいイルカに水ぶっかけてもらえ」
無駄にいい笑顔で水の滴る髪を分ける喜多は、アカネに問われてドス黒い感情を噴出させた。こいつらほんま……と呟くと、彼女はふと、ずっと黙ったままのひとりに視線を向けて続けた。
「…………おい、なんか、ピンクちゃんが溶けとるんやけど」
「え? ……うわ────ぼっちちゃん!? そういえばこういうところ苦手だったんだった! 江ノ島以来だからすっかり忘れてた!!」
地面に落ちてそのまま溶けたアイスクリームのようにドロドロのひとりを掬い上げた虹夏の手の中で、彼女は体積を押さえて小さくなる。
「私が……私がシーパラダイスのゆるキャラです……」
「ぼっちちゃん……普段はツチノコなのに今回は……メンダコみたいだね!?」
「ひとりちゃん、もしかして水族館に来ているから合わせてくれてるの!?」
「まず自分らの仲間がバケモンになれることに突っ込むべきやないんか」
アカネの質問が虚空に消え、ひとまずと人混みから離れるべくその場をあとにする。
「マトモなんはウチだけか……?」
「それはない」
ぽつりと呟き言葉のブーメランを投げるアカネに、さらりとリョウが返す。デートと監視、その両方が、徐々に終わりへと向かっていた。
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