「私の名前は恥晒しアオイです……」
「売れないお笑い芸人みたいだ──このツッコミ前にも見たことあるな」
体育座りのまま縮こまり、ベンチの上で転がっているアオイを、茜は哀れむような眼差しで見下ろす。──勘違いを解消した代償がこれなのは、果たして釣り合っているのかと、そう思わずにはいられないほどに悲惨であった。
「大丈夫ですか?」
「……だいぶキツいです…………」
「重症ですね」
未だに若干耳が赤いままにうずくまるアオイの背中を優しく擦る茜に、彼女は問う。
「……ねえ、茜くんは、いつか右腕の不調を治したあとはどうするの?」
「そりゃあ、ギターを弾く以外ないと思いますが──まあ、そうですね」
茜は一拍の間を置いてから続ける。
「──バンドを組みたい。結局は、そこに行き着くんじゃないでしょうか」
「バンドかぁ」
「バンドを組む……ためのメンバー集め……のために腕を治す、といった感じですから、まだまだスタートラインにも立ててませんがね」
起き上がったアオイの横で、右腕を陽射しに出す茜。うっすらと見える古傷にまぶたを細め、目標までの先の長さに小さくため息をつく。
「ねえ、バンドって正直よくわかんないんだけど、メンバーは……ギターとギターボーカルとベースとドラムじゃないといけないの?」
「ああいや、ボーカル単体もあるし、ベースボーカルとかもありますよ。例えば結束バンドは四人だけど、キーボードも入れた五人バンドなんかもやれたりします」
「へぇ~、じゃあドラムとかキーボードのボーカルって居るのかな?」
「………………居ますかね?」
探せばどこかに居るのかもしれないが、少なくとも茜の記憶にそういったバンドは無い。
それ以前に、ドラムがボーカルを務める場合センターにあの大きさを据えなければならないため、どうあがいてもバランスが悪いだろう。
「ドラムボーカルは……叩く音に声が打ち消されそうですね。キーボードボーカルなら、たしか居たような気がするんですが」
「キーボード…………ん?」
その言葉に考えるそぶりを見せるアオイは、ふと首元から落ちた何かが膝に当たった感触を覚える。視線を向けると、そこには──小さい機械が落ちていた。
「────────」
「アオイさん?」
「なんでもないよ~~~」
一瞬呆けたアオイだったが、茜の問いに返しつつ素早くその機械を握って隠す。
それから深く呼吸を挟んだのち、額に青筋を浮かべて笑顔を取り繕いながら言った。
「茜くん、ちょっと、重要な用事を思い出しちゃったから、一足先に帰ってもいいかな」
「? ……重要なら仕方ないですね。では、今回はここでお開きにしましょうか」
「本当にごめんね、どうしても──お姉ちゃんと
「アカン」
「えっ? ちょっ、逃げるの早っ!?」
「バレてから逃げるまでの判断から察するに、前にも
遠くの茂みから全力疾走で出入口の方へと駆けて行く、見覚えのある一番上が黒いピンク髪の女性を視界の端で捉えて、アオイは呆れたように表情を歪めてため息をつきながら財布を開いた。
「これ、みんなに買うお土産代の足しにして? 私はクラゲのぬいぐるみがいいなあ」
「流石にそれは貰えな──いえ、わかりました。ああそれと、アオイさん」
「ん~?」
握らされたお札を自身の財布に入れる茜は、ベンチから立ち上がるアオイに問う。
「貴女は、やりたいことはあるんですか?」
「……今までは、無かったよ」
「今までは?」
「……今は、一個だけあるの。でも、それをやるには今の私には何もかもが足りてない」
振り返り、陽射しを背に受けて。アオイはニッと笑うと、指を立てて愛想よく続けた。
「だから、何事も一つずつ。今できることをコツコツやるだけ、だよっ!」
「今、できることを……」
──それじゃあね。アオイはさらにそう続けて、小走りでその場をあとにする。
彼女の言葉を受け止めた茜は、無意識に握りしめていた右手の拳を開く。
「俺に、できること……か」
──
「今の俺が安定して弾けるのは30秒前後だけ──逆に言えば30秒だけは弾けるわけだが…………いや、案外、
逆転の発想。ちゃんと弾けるようになるまでは、と自然に避けるようになっていた演奏動画の投稿を、敢えて今の状態でやるとしたら。
「……いつの間にやら、つまらんプライドを持っていたみたいだな」
自分自身に呆れた茜は苦笑をこぼし、思い付いたことを形にするべく立ち上がる。
「今できることをコツコツと、か。なら先ずは、全員分の土産を買うか……」
後日、人数分のクラゲのぬいぐるみを持ってSTARRYに訪れた茜が、
──水族館で茜と別れたのち、電車を待つアオイが椅子に座っている。その傍らに、顔面がへこんだボロボロの姉が座っていた。
「めちゃくちゃシンプルに暴力に訴えるのはな……アカンと思うねん……」
「人のおデートを尾行&盗聴してた方が悪いよね? ねえ、お姉ちゃん」
「一字一句正論やから言い返せん。……もうちょっとこう、『盗み聞きすなー!』的な可愛らしいツッコミを期待してたんやけどな」
「それはスーパーマリオくんでしょ。……そういえばお姉ちゃん」
「あん?」
顔がへこんだままのアカネに、アオイは水族館での一件を追求する。
「まさかとは思うけど、さっきの尾行の時、他に誰か連れていたりはしないよね?」
「…………、いや?
「だろうね」
「だろうね???」
訝しむアオイに白い目で見られるも、しれっと嘘をついたアカネ。妹がそれを信じたのは日頃の行いではあるが、真実を交えて語ったことが説得力にもなっている。
ぐねぐねと顔を弄って元の形状に戻すアカネは、鼻が曲がっていないかを確認する。そんな彼女に、向かいのホームをぼんやりと眺めているアオイが不意に言った。
「お姉ちゃん」
「おん?」
「私、キーボードやろうと思う」
「…………そうかい」
「何も言わないんだ」
特に反発すらしないアカネに、アオイは自分で提案しながらもついそんなことを言う。
「何事も始めるのに遅いも早いもないからなぁ。なんでやろうと思ったかは……まあ聞かんでもわかるし、やりゃあエエやんか」
「ま、まあ、そうだけど」
「それよか、問題はアオイよりあいつの方やろ。腕が治るのを前提としても──どうしても付いて回る問題点が一個だけある」
「問題点、って?」
小首を傾げるアオイに言葉を返そうとして、アカネは少し考えてから口を開く。
「んー、あー………………アレや、そもそもメンバーが足らんっちゅう話や」
「あぁ~。じゃあお姉ちゃんも手伝ってよ、たしか学生の頃に軽音楽部やってたよね?」
「イヤやわ。名前被っててややこしい」
鼻を鳴らしてそっぽを向くアカネ。アオイは姉の子供っぽさに微笑を浮かべて、それからふと、自身の傷一つ無い両手を見やる。
指先が固いわけでもなく、腕が古傷まみれなわけでもない、一度も『なにか』に本気になっていないことが丸分かりの綺麗な両手。
ここがスタート地点、目指す背中は遥か遠く。隣に並び立つのに、いったいどれだけの努力と時間が必要になるのかは未知数。
だとしても、アオイはこの日、初めてやりたいことに出会った。
「──本気で、やらなきゃなあ」
「……あのガキんちょの問題点、さすがに本人もわかっとるよな」
二人の呟きは、ガタンゴトンとやってきた電車の音に掻き消されていた。
──数日後、大学に向かったアオイは、室内でチケットを譲ってくれた友人・ゆかりの不健康そうな顔と猫背を視界に納める。
声をかけて振り返った彼女は──アオイの顔を見て眼鏡の奥で目を見開く。
「おはようございま~す!」
「……はい、おはようござ────」
「ん? どうしたの?」
「ああ、いえ……髪の毛、切ったんですね」
ゆかりが驚いた理由は、彼女の長い水色の髪がばっさりと切り落とされ、清涼感のあるショートヘアーになっていたからだった。
「どう? Newアオイですよっ」
「……ああ、なるほど」
「はい?」
「可哀想に……私の友達が美味しいオムライスを作ってくれる喫茶店があるんです、今度そこに行きましょう。奢りますよ」
そう言って、
「──いや別にフラれたわけじゃないんですけど!!?」
──二人の会話が他の生徒経由で広がり、好きな人が居るという事実でもある噂の所為で、サークルが
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柊木茜
・ここまでが『柊木茜の物語』の第一章。追われる者であり、目指す者でもある。
アオイ
・しばらくの間、失恋したと勘違いされて身に覚えの無い慰めを受けることになり、ついでにアオイに好意を寄せていた連中は行動を起こす前に脳を破壊された。