『もしもし~茜く~~ん? きくりおねーさんで~す! 今度の休みぃ、暇だよね?』
「断定口調はやめてくれないか」
水族館でのデートから暫く、具体的な目標を定めて改めて努力を始めた茜の元に電話が掛かる。携帯の向こうから聞こえてくる聞き慣れただらしない声に、茜は呆れながらも返していた。
「……、…………。そうだな、STARRYでのバイトも空いているし、家で
『そうそうそれそれ! 茜くんさあ~、ギターの練習、新宿FOLTでやってみなぁい?』
「そっちで?」
珍しい提案に、茜は片手間でマウスを弄りながらも片手で携帯を耳に当て続ける。
『家とかSTARRYでやるのもいいけど、たまには違う人とか場所でやってみた方が経験になると思うしさぁ~、折角だし私らともやろーよー』
「そっちのスタジオを使ってもいいのは願ったり叶ったりだが……何が目的だ?」
『私のことなんだと思ってるのさ』
「血管の中をアルコールが流れてる人」
『最近は呑む量減らしてるもぉん!!』
キンキンと響く声に携帯を耳から離し、茜は感嘆するように表情を緩めて言葉を返した。
「そうか、俺が居なくても減酒はちゃんと続けてるんだな。感心感心、嬉しいよ」
『ぉぁ』
「おあ?」
『…………なんでもない。そんで、どうするの? 来るの? 来ないの?』
「誘われたからには、是非向かわせてもらう。次の休み──土曜の午後でいいか?」
『ん』
「ん。じゃあ、当日に」
やや捲し立てるように早口で問うきくりに、茜がそう言い返して通話を切る。
携帯を置いてパソコンを見ると、画面には、『アップロード完了』の文字が表示されていた。
「──30秒だけ弾いてみた……『しか弾けない』の間違いだが、嘘も方便か」
動画サイトに作り直したチャンネル──【ヒイラギのギターチャンネル】には、水族館の件以降に投稿された、30秒だけの演奏動画が幾つか表示されている。
申し訳程度に再生されていれば僥倖、と考えていたのもつかの間。意外にも、茜の動画は数日置きに再生数を延ばし、最初に投稿されたものは今となっては1万再生を突破していた。
「……意外と、ウケるものだ。いったい何が人気になるのかわかったもんじゃないな」
苦笑を浮かべる茜は椅子を回して机に背を向け、枕元に置かれたクラゲのぬいぐるみを視界に納めて、そういえばと口を開く。
「あれからアオイさんと顔合わせてないな……土産を渡しに行ったときも居なかったし」
ある時、土産のぬいぐるみを渡すついでにいつぞやの薬代を返しに向かった茜は、楽器店【コトノハ】にて、
「……あいつが怪我だらけだったのはどうでもいいが、アオイさんもやりたいことを見つけたと言っていたし、忙しいんだろうな」
そう納得し、立ち上がる茜。あと幾つか投稿用に演奏を撮影しようとし、スタンドからギターを手に取り、機材を準備するのだった。
──週末、土曜。予定日の午後に約束通り到着した茜は、新宿FOLTの中で眉間にシワを寄せ、ギターを傍らに置いて腕を組んでいた。
「予想はしていたが、来ないとはな」
視界の端では店長こと銀次郎がしかめっ面で電話をしており、茜はその相手が誰なのかを静かに察して顔を前に戻しながらため息をつく。
「家で寝坊……いや、公園で呑んだくれてるのか? 飲む量を減らしただけであって飲むなとは言っていないからな……。銀ちゃん氏はスタジオを使って良いとは言ってくれたが、どうするか」
きくりに誘われたこと、その本人が居ないことから色々と察してくれたのか、銀次郎は茜が払うべき諸々の料金をきくりにツケてくれただけでなく、誰も使っていないならスタジオで弾いても良いとさえ言ってくれている。
──とりあえず動くか。そう思案したとき、ふと、視線を感じてそちらを見やる。そこに立っていたのは、ギターケースを背負っている、焦げ茶の髪をツインテールにした女性だった。
「……なにか?」
「──いや、別に」
「…………」
「────」
会話が途切れ、二人の間に微妙な空気が流れる。絶妙な位置で視界の端を陣取る女性に、どことなく
「座ったらどうだ」
「……そうね」
服装はバンドマンらしく派手だが、言われた通りにテーブルを挟んで向き合うように座る女性は、茜と傍らのギターケースを交互に見てからおずおずと口を開く。
「あなたも、ギター弾くの?」
「そうだな。まあ、昔事故で腕をやって以来、リハビリがてら少しだけ……だけどな」
「……そう、なんだか悪いわね」
「気にしなくていい」
気まずそうにする女性に頭を振って、茜は彼女の顔を観察する。
つり目の眼差しが鋭い印象を与えるが、こちらを気遣おうとする様子からして、恐らく
「──ああ、俺は柊木茜。あんたは?」
「私は……
「そうか。よろしく、大槻」
「……ん」
女性──ヨヨコは、差し出された手に恥ずかしさからか、僅かに躊躇ってから右手を出した。
──同じギタリストだったからか、打ち解けてからは会話も盛り上がり、最初は警戒していたらしいヨヨコも微笑を浮かべて問いかける。
「柊木茜、あなた、誰かと待ち合わせでもしてたの? 私もメンバーと集まる予定だったんだけど、三人揃って寝坊しちゃったのよ」
「俺は……似たようなものか。知り合いのベーシストと、ここのスタジオで練習する約束をしていたんだけどな……まあ、遅刻だ」
「ふっ、難儀なものね」
「まったくだ」
「──それにしてもここを使ってるベーシスト……それって、誰のこと?」
同じ理由だったと分かりクスクスと笑うヨヨコは、茜の待ち合わせの相手が誰なのかと思いさらに質問をして、名前を聞いて固まった。
「きくりちゃ──廣井きくりっていう人だ、FOLTの関係者なら知ってるか」
「…………姐さんが……?」
「ん?」
和気藹々とした空気が一転、ヨヨコの眼差しが茜を射抜く。ガタリと立ち上がった彼女は、茜を見ながら、スタジオに指を差して言った。
「柊木茜。スタジオに来なさい」
「は?」
「あんたの腕、お互いに待ち合わせ相手が居なくて暇なんだから、私が見てあげる」
「なんで……?」
「姐さんがあんたを認めたなんて信じられないからに決まってるでしょ……!?」
「えぇ……」
腕を組んでふんと鼻を鳴らすヨヨコが、来るのは確定だと言わんばかりにギターケースを手にずんずんとスタジオへと歩いて行く。
「──願ったり叶ったり、か? 暇ではあったし、やることは変わらんか」
ヨヨコのような相手に新鮮さを感じつつ、茜もまた、ギターケースを手に立ち上がった。どちらにせよ、ここには弾くために来たのだから。
──セッティングを済ませてアンプと繋いだギターを吊るして、茜は右腕を振って調子を確かめる。挟んでいたピックをつまんでから、ヨヨコに向き直りさてと言って問いかけた。
「それで、どうしろと?」
「……そうね。流石に腕のことを考えると無茶はさせられないし……」
勢いの行動かと思いきや、きちんと腕の件を考えてくれていたことに茜は感心する。よしと呟いたヨヨコは、そんな茜に質問を投げ掛けた。
「あなた、どれくらいまでなら弾けるの?」
「本気で全力を出せるのは……30秒ほど」
「じゃあその範囲でいいから、柊木茜の実力を見せてみなさい」
「……わかった」
そう言われて、茜は演奏用の音楽を集めてある携帯のアプリを起動すると、弾く範囲のサビ辺りまで飛ばしてから音を上げる。
「全力。──本気の、全力」
「…………!」
すっ、とピックを構えた茜の意識が集中し、曲と心音以外が雑音として排除される。
──
ビリビリと電気が迸る錯覚。音が胸を貫き、魂にまで響く感覚。
たったの30秒で、ヨヨコは柊木茜というギタリストの実力を理解して──
弦が震え、演奏も終わり、余韻の後に、茜の耳は切り離した雑音を拾い始めた。
「……こんなところだ」
「──なるほど、ね」
「それで、大槻のお眼鏡には適ったか?」
「そうね」
まぶたを閉じて、ヨヨコは考えるそぶりを見せ、一拍置いてから茜を見る。
「あなたの腕は確かに、優れているわ。もしも事故に遭わなければ、とっくにプロ入りしていてもおかしくはないレベルでもある」
「それはどうも」
「──だからこそ、もしこれからバンドを組もうと言うのなら、今のあなたには無視できない問題点が3つほど存在するわね」
ぴっ、と指を立てて、まず一つと言いながらヨヨコは茜に続けて言う。
「その腕がいつ治るのかわからない。わからない以上、あなたはスタートラインにも立てていない。……そして二つ目」
「────」
「……元怪我人の柊木茜はメンバー集めに苦労するでしょうね。最低限ベースとドラム──あなたが歌わないならボーカルも必要になる」
「そうだな」
「そして三つ目」
そこでヨヨコの言葉が途切れ、言うべきかと悩むように視線が右往左往する。
「……こればかりは、あなたの口から言うべきね。ちゃんとわかっているんでしょう? 本当にどうしようもない、無慈悲な程の問題点が」
「ああ」
ギターをスタンドに置いて、茜は休憩がてらパイプ椅子に座ると、同じように対面に座ったヨヨコと視線を合わせてため息をつく。
「どうにも、自意識過剰みたいだから、わざわざ言うのも憚られたんだがな」
改めてきちんと口にして、現状の問題点の確認をするべきかと、内心で独りごちる茜は、天井を見上げながら苦々しい表情で言った。
「──メンバーが集まって、バンドを組んで、俺が周りに合わせられても、周りは俺の全力に合わせられない。それが……一番の問題点だ」
実力差がありすぎる。それは、1から積み重ねる努力を得られず、最初から100を手にしていた男の、贅沢ながらに悲痛な悩みだった。
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