階段の一番下、机などを置くスペースに訪れた茜が見たのは、先ほど迫った相手である喜多が幼馴染に迫っている光景だった。
「……なにをやってるんだ」
「──! あっ、あ、茜くん……!」
「えっ!? あか──ひ、柊木くん」
救世主が現れたかのように前髪の奥の瞳を輝かせるひとりの視線を辿り、振り返った喜多もまた驚いた様子で声を跳ねさせる。
「なんだ、もう名前で呼ばないのか?」
「……いじわる言わないでよ……」
「あっ、あかっ、あっ、あたたたたたっ」
「どうした伝承者」
恥ずかしそうに目を逸らす喜多を横目に、その場から離れたひとりが後ろに逃げ込む。
茜がからかい混じりに問うと、彼女はしがみつきながら助けを求めてきた。
「たたっ、たすけて……喜多さんに、ぎっ、ギター、教えることになっちゃって……」
「ふうん」
「──もしかして柊木くんが言ってたバンドって、後藤さんが入ってる所なの?」
「そうだ。物憂げな音が聞こえてきたから何事かと思って見に来たが……こっちはこっちで話が進んでいたみたいだな。良い兆候だ」
「うぶぶぶ」
肩越しに喜多を覗き込むひとりの頭をぐりぐりと雑に撫でながらそう言って、茜は口角を緩める。それから喜多を見て、ふと問いかけた。
「こいつの演奏、聴いてみてどうだった」
「もちろん凄かったわ! ギターってあんな風に音を出せるのね……」
「いずれは喜多でも出来るようになる。技術とはそういうものだ」
「私にも……出来る?」
「ああ。そのためには──ひとりから弾き方を教わった方がいいな」
「!?!?」
すっとぼけた様子でそう言った茜に、ひとりは背後でわかりやすく驚愕していた。
直後、ぺちぺちぺちぺちと大慌てで背中を叩くひとりに小声で話しかけられる。
「むっむむむむ無理無理無理! 私より茜くんの方が教え方上手いし、人に教えるなんて私には難しすぎる……」
「俺の場合は感覚派過ぎて基礎しか教えられん。それに腕がガタガタの今の俺よりも、ちゃんと形にしているひとりの方が適当だ」
「あの~、二人とも~?」
小声で会話を交わす二人に、喜多は意識を向けさせるように声をかける。すると、視線を戻した茜がおもむろに質問をした。
「……喜多、このあと予定は?」
「今日ライブハウスでバイトなのでしょう? そのあとスタジオを借りて練習出来ないかって話にはなっているけど……ダメ、かしら?」
「──もう決まってはいたのか。まあ……大丈夫じゃないか? ひとりも、放課後さっそくライブハウスに行きましょうと言っている」
「ホントっ!?」
「いいいい言ってない!!?」
「話が進まないんだよ。文句ならあとで聞いてやる」
ひとりが抗議の声と共にぺちぺち叩いてくるが、力が入ってないのか入れてこれなのかと疑うほどに、まったくもって痛くない。
それから昼休みが終わる予鈴を耳にして、茜はパンと手を叩いて締めくくった。
「じゃあ、喜多もギター持ってこないといけないし……放課後に現地集合だな」
「そうね! ……あ、そういえば、ライブハウスってどこにあるの?」
「下北沢」
「──えっ」
──放課後、下北沢の駅前で待ち合わせていたところに喜多が合流し、茜とひとりは三人でSTARRYまでの道を歩いていた。
「ま、まさか下北沢だったなんて……」
「あっ、来たことあるんですか?」
「私が前にいたバンドも下北系で……それに先輩──元メンバーがこの辺に住んでて」
「……出会わないことを祈るしかないな」
考えるようにそう言いながらそれとなく歩幅を変えて、茜は二人の後ろを歩く。
万が一にも喜多が逃げようとするなら捕まえてSTARRYに放り込むしかない──と脳内で思案し、自分という壁を失ったひとりを引きずりながら歩く彼女を見ていた。
「あっ、あああともう少しです。場所はSTARRYってところで、そこに虹夏ちゃんとリョウさんって人が待ってるはずで──ぇぶっ!?」
「──ごめんね! 私やっぱり帰る!」
「…………やっぱりか」
二人の名前を聞いた瞬間足を止めた喜多のギターケースに顔をぶつけ、ひとりは鼻を押さえる。踵を返した彼女を前に、茜が立ち塞がった。
「逃げるな」
「どっ、どいて柊木くん! それと私がここに来たことはその人たちに言わないで──「おーい、ぼっちちゃーん! 茜くーん!」
怯えたように逃げようとする喜多の前に立った茜は、不意に聞こえてきた声に意識を向ける。目的地の方角から走ってきた声の主──虹夏は、なぜかエナジードリンクを抱えていた。
「なんかよくわかんないけど言われた通りエナドリたくさん買ってきたよ~」
「お前何を言った」
「えっあっいや、喜多さんが来るのでパリピバンドに偽装してもらおうと」
「あのメールほとんど意味わかんなくて──」
にこやかに近づいてくる虹夏は、喜多の後ろ姿を見て動きを止める。わなわなと肩を震わせて、怯えきった喜多に向けて叫んだ。
「あ────!! 逃げたギタ────!!」
「あひぃぃぃぃぃぃ!?」
──STARRYに連行された喜多から事情を聞き、虹夏は驚いたように声を荒らげた。
「喜多ちゃんギター弾けなかったの!?」
「はい……すみません……」
「だから合わせの練習したがらなかったのか~」
「お、怒ってないんですか……?」
あくまで合点が行ったような反応をする虹夏にそう聞くと、彼女は喜多に返した。
「気づかなかったあたしたちも悪いし……それに、あの日はどうにかなったしねっ」
「……お前、ドタキャンしたあとに俺のことカラオケに誘おうとしてたのか」
「ぅっ……あ、あれは半ばヤケクソだったというか……罪悪感を誤魔化したかったというか」
目を逸らす喜多の頬を指でつつく茜。喜多もまたむにむにと頬を突かれながら気まずそうに虹夏とリョウを見て、茜の手を掴み口を開いた。
「でっ、でもこれで終わりじゃ私の気が収まりません! なにか罪滅ぼしさせてください!」
「そう言われてもなぁ……」
「──じゃあ今日一日ライブハウスのバイト手伝ってくんない? 忙しくなりそうだから」
「それ採用! 喜多ちゃん、手伝いお願い」
「……そ、それでいいなら是非っ!」
逸る気持ちを抑えられないと言わんばかりの喜多に、後ろで話を聞いていた店長がふとそんな提案をしてくる。虹夏が後押しして喜多に賛同させた辺りで、店長はあっけらかんと続けた。
「ついでに着替えてよ。ちょうど良い罰ゲーム向きの衣装あるから」
──手際よくモップ掛けをする喜多の働きぶりを見て、店長は感嘆の声をあげる。
「あいつ臨時なのに使えるなぁ」
「店長、なんであんなの持ってるんですか」
やや困惑した様子で、茜は問いかける。眼前で働いている喜多は、制服ではなく、黒と白のシンプルなメイド服に身を包んでいた。
「趣味なんですか?」
「うるせーな、なんだっていいだろ」
「着たことあるんですか」
「無い」
「ならなんであんなの持ってるんですか」
「茜くん、そろそろ時給減らすぞ」
「ちょっと横暴ですね……」
カウンターに寄りかかる茜は、横で座って眺めている店長と淡々と会話を交わす。
ふうと一息つく喜多が額の汗を拭うと、視線に気づいたのかこちらを見てくる。
「愛嬌があって愛想も良い、つくづくバイト向けだな。おーい、喜多」
「なあに?」
「はいチーズ」
「えっ? ──いえい!」
自然な動作で携帯を取り出し流れでカメラを起動し、なんとなく喜多の写真を撮る。
いきなりでもキチンとポーズを取れる喜多の全体が写り、茜はそれを眺めた。
「──って、いきなり撮らないでっ!」
「罰としてしばらく待受にさせてもらう」
「…………ば、罰なら仕方ないわね……」
「この子チョロくないか?」
「なんか心配になってきましたね」
顔を髪色のように紅潮させながらも妥協する喜多に対して店長は静かに心配し、茜も当然のように写真を待受に設定しながら同調した。
いざバイトを始めれば体を動かすことで罪悪感も薄れたのか楽しそうにしている喜多を尻目に、茜はゴミ箱に入ったひとりの元に向かう。
「どうした?」
「どうも……可燃物後藤です……」
「プランクトン後藤はどこに行ったんだ」
「なんかずっとこんな感じで閉じ籠ってる」
眺めているリョウに言われ、茜がゴミ箱をコツコツと小突く。すると、中からヌルンとギターを取り出して演奏を始めた。
「それでは聴いてください……その日入った新人より使えない駄目バイトのエレジー……」
演奏をするひとりの抜け出た魂が成仏する様をリョウと共に眺め、視線を上げて行く。
「短い間だったけど、貴重な体験が出来て楽しかったです……ご愛読ありがとうございました」
「ひとり、ちょくちょく最終回に持っていこうとするのをやめろ」
──やっぱりソロだと上手いな。と思案しながら、聞き終えた茜がゴミ箱から引っ張り出す。ちょこんと丸まっているひとりを抱えると、横合いから顔を覗かせた虹夏が声をかけた。
「ぼっちちゃんぼっちちゃん、喜多ちゃんにドリンク教えてあげてよ」
「あっはい!」
「……じゃ、俺はゴミを纏めて外に出してくる。終わったら皿洗いでいいか?」
「うん、おねがーい」
「じゃあ私は休憩」
「リョウは受付!」
「えーっ」
首根っこを掴まれ引き摺られて行くリョウを見送り、茜はカウンターの裏に向かったひとりと喜多を一瞥してから行動を起こす。
「……何から何まで俺がやるべきではないが、このままだと喜多は帰るぞ、ひとり」
ゴミ袋を手に店を出て、外のネットの中に入れて蓋をする茜は独りごちる。
──どうにかしてくれよ。茜はそう呟いて、ヒーローに期待していた。
──他バンドメンバーのライブを聴きながら、茜はカウンターで接客しているひとりと喜多の二人と会話をする。
「喜多はリョウのライブを見ていたのか」
「そうなの、路上ライブを見て一目惚れして……演奏を聴いてからリョウ先輩の活動ずっと追ってたんだけど、前のバンド急に辞めちゃって、そのあと結束バンドのメンバー募集を見て、思わず勢いで『やりたい!』ってなっちゃって」
「す、凄い行動力……」
「でも弾けなきゃ意味ないだろ」
「うぐーっ!!」
皿の水気を拭いながら返され、喜多は罪悪感で痛む胸を押さえる。
「……だって、バンドって第2の家族って感じがしない? 本当の家族以上にずっと一緒にいて、一緒に夢を追って。友達とか恋人を超越した不思議な存在というか」
「第2の家族、ねぇ」
「そう──私は結束バンドに入って先輩の娘になりたかったの! より深く……密に!」
──こいつヤバいな。茜とひとりは、口にせずとも同じ事を思った。
そんな二人は、喜多が思い詰めたように続けて言った言葉を聞く。
「まあ、だからこそバンドには入らないんだけどね。──私みたいに逃げ出した無責任な人間は駄目よ、バンドなんてしたら」
「そうか」
残りの洗い物に手をつける茜は、深くは関わらない。ちらりと視線をひとりに向ければ、困ったように眉を潜めながらも、彼女の目はなにかを決心したように燃えていた。
ライブも終えて閉店も迫り、メイド服から制服に着替えた喜多は、一足先に出ていこうとする。
「……今日はありがとうございました。これからもバンド活動頑張って下さい、陰ながら応援してます。それでは──「や、あ、あの!」
背中を向けようとした喜多に向けて駆け出したひとりが、止めようと走り──躓いてカーテンを引っ張り落としながら壁にぶつかった。
「んぎゃっ!」
「ぼっちちゃん!?」
「後藤さん!? ……あの、もしかしてまだ私のことを……? ごめんね、さっき言った通り、私……結束バンドには入れないわ」
「お前はいつまで同じ事を言い訳にしてるんだ」
落ちたカーテンに埋もれたひとりを前にする喜多に、呆れながらそう言って茜が近づく。
ひとりを起こしながらフードのように被っているカーテンを退かすと、彼女は言う。
「わっ、わ、私も、ライブ前に、逃げ出して、ゴミ箱に隠れて……こっ、怖かったんです。で、でもっ、頑張って、ライブに出て……へ、下手、だったけど……楽しかった、んです」
「後藤さん……」
「喜多、お前の左手はかなり固くなってた。それがどういう意味かわかるか?」
喜多にそう言いつつ、ちらりとリョウに目配せする。小さく頷いて、彼女が続いた。
「──相当練習してないとそうはならない」
「……! 喜多ちゃんも! これから結束バンド、一緒に盛り上げてほしいなっ」
「なんで、私にそこまで……」
「だって、喜多ちゃんが逃げ出してなかったらぼっちちゃんと茜くんはここに居ないもん」
にっ、と笑う虹夏を見て、ひとりはカーテンを纏いながらもそれを盾にして深呼吸を挟む。それとなく伸ばした指が茜の手に触れ、一拍置いて喜多へと思いの丈をぶつける。
「き、喜多さん、私は……逃げた、けど、それでも一歩、踏み出して、ライブに出て、下手な演奏でも、楽しかったです。逃げたままなんて、きっ、きっと、す、すごく、勿体ない……」
「────」
「い、いいっ、今からでも、遅くない! ……です。だから、その……い、一緒に、バンド、しませんか? た、例え逃げたとしても、左手みたいに、残ったものは確かにあるんです」
声をつまらせ、吃りながらもひとりは言う。ここまで言えるのか、と、茜は誰に見せるでもなく驚嘆の表情を浮かべた。
「──こんな私でも、いいの?」
「ぎ、ギター、教える、約束……なので」
「…………ありがとう。私、がんばる! 結束バンドの、ギターとして……!」
喜多のその言葉に、ひとりと虹夏はホッとしたように顔色を和らげた。リョウも無表情ではあるが、その雰囲気は普段よりも柔らかい。
──こうして引き留めることに成功し、一旦帰宅をやめた喜多を見て、ひとりは茜にしがみつきながらも武者震いのように震えた。
「うっ、うう、喉いたい……」
「よく頑張ったな。偉いぞ、ひとり」
「……うん、が、が、頑張った……」
腕を回して抱き留めながら、あやすように背中を擦る茜。彼は虹夏たちと話している喜多を見ながら苦い表情で口を開く。
「俺なら耳障りの良い都合のいい言葉で喜多を説得できたかもしれんが、俺は結束バンドじゃない。昼にも言っただろ、お前が適当だって」
「……茜くんは、喜多さんが居たら嬉しい?」
「その質問に関してなんて返してほしいんだ」
「あばばばばっ」
どことなくジトっとした目を向けるひとりに対し、誤魔化すようにしながらも褒めるつもりでワシャワシャと撫で回す。
戻ってきた喜多がにこやかにしながらも、困ったような声色で問いかけてきた。
「あのね柊木くん、後藤さん。ギターの練習は嬉しいんだけど、やっぱり何回やっても上手くならなかったのよ、なんか弾いてもボンボンって音がするだけで……壊れてるのかしら」
「えっ、あ、あの、それってベースじゃ」
「私そこまで無知じゃないわっ、ベースって弦が4本でしょ? ほら、6本ある!」
ジャッと開けたギターケースの中身を見せる喜多は、確かに弦が6本あるそれを拝ませる。しかし、その形状がギターではないことを、使用者のリョウと経験者のひとりと茜は見抜いた。
「あっ、あの……弦が6本のベースもあります」
「えっ」
「それ多弦ベース」
「ベースをギターみたいに弾いてたら、そりゃ上達しないよな。してたら逆に怖いだろ」
「えっ……えっ?」
三人にそう言われ、ギターケースとひとりたちを交互に見やる喜多。二度見三度見を繰り返し、徐々に事態を理解して──倒れた。
「か゜っ……!」
「き、喜多ちゃん!?」
「──お父さんにお年玉とお小遣い2年分前借りしてようやく買ったのに……」
「喜多ちゃ────ん!!?」
──こうして、無事ではないが、果たして結束バンドのメンバーが勢揃いすることとなった。リョウに買い取ってもらい代わりに渡されたギターを手に練習を始めた喜多だったが、その難解さに毎日のように弱音を吐いている。
「もうイヤ──!! 私ギターやめます!」
「えっ、か、解散の危機……!?」
「そうかそうか。Fコードから逃げるな」
「無理よ! 人の指はそんな形に曲がるようには出来てないのよ!?」
指を曲げようとしてぴくぴくと痙攣する喜多を前に、茜は何度目かの呆れた顔をする。
「……うう、ごめんなさいね……弱音ばかりで……後藤さんばかりか、結局柊木くんにも手伝ってもらってるのにこんな有り様で」
「あっ、お気になさらず……」
「初心者なんてそんなものだろ。──俺が言えた話ではないが」
「えっ?」
「気にするな」
自分が最初から出来たことを、他者が出来ないことが理解出来ない。ひとりに任せようとしたのも、それが理由の一つだった。
「はあ……リョウ先輩もギターを貸してくれたし、みんなのためにも頑張らなきゃ──とは思ってるんだけど、大変ねえ……」
「あまり気負うなよ、努力そのものが義務になったら辛いだけだぞ」
「そ、それに、よかったですね、リョウさんがベース買い取ってくれて」
慰めるように言う茜と話題を変えようとするひとりに、顔を上げた喜多が返す。
「そうね……でも渡されるときに『所持金が底をついたから草を食べて生きて行きます』って言ってたのだけど……冗談よね?」
「どうだかな……」
──あいつならやるだろうな。という嫌な確信がある茜は、口をつぐんで椅子に座り直す。最低限変な癖がつかないようにと喜多の動きに指摘をして、ふと、ひとりと顔を合わせた。
「うう……Fコード難しいぃ……!」
「始めた頃のお前もあんなだったな」
「そう、だね」
くつくつと笑う茜を前にして、ひとりは彼から貰って以来ずっと使っているピックを握った。ぐっとまぶたを閉じてからゆっくりと開き、喜多の練習に使っている物と同じ曲を演奏する。
──私は、彼のヒーローになれているだろうか。茜にすら悟られないように、そんなことを思案して、ひとりは胸の内に想いを隠した。
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