【完結】剣姫と恋仲になりたいんですけど、もう一周してもいいですか。   作:ねをんゆう

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あけましておめでとうございます。
新年早々にこんな重苦しい話を……と申し訳なく思いますが、ここに来て初めてノアくんの二つ名が明かされます。どうぞよろしくお願いします。


32.2人○○○

「それでは、また明日」

 

「はい、また朝にお伺いしますね。……おやすみなさい」

 

「ええ、おやすみなさい」

 

すっかり暗くなってしまった本拠地の前で、彼と別れる。本当なら帰るところは同じなのだから別れる必要はないけれど、これがデートの雰囲気というもの。

レフィーヤの勧めもあってノアは先に拠点に入って行き、レフィーヤはそれを小さく手を振りながら静かに見送る。

 

……夕食まで一緒に食べてきてしまった。

なんだか雰囲気の良いその静かなお店は、以前は彼がリヴェリアと会う時に使っていたお店なのだと言う。最近はすっかり行く機会がなくなってしまって、良ければと誘われた次第だった。

魚館の中でのこともあって何となくむず痒い雰囲気ではあったけれど、対面で微笑む彼と笑みを交わしながら、静かに、けれど楽しく食事が出来て。……ああ、本当に。

 

「本当なら、今日はノアさんの気分転換の筈だったのに……」

 

気付けば自分はこんなにも満たされている。こんなにも幸福な時間を過ごすことが出来た。…‥こんなにも、たくさんの思い出を作ることが出来た。胸に灯ったこの想いを、レフィーヤは大事に大事に温める。

幸せだったと。

 

「レフィーヤ!!」

 

「!!」

 

そうして楽しかった記憶を思い返していたからだろうか、ぼーっと立ち尽くしていた自分を見て心配そうに駆け寄ってくる2つの影があった。呼びかけられた声に現実に引き戻され、レフィーヤはその背を伸ばして顔を上げる。すると途端に込み上げてくる、夢心地から覚めたような現実感。安堵とも寂寥とも取れるような、不思議な感覚。

 

「ティオネさん、ティオナさん……」

 

「ど、どうしたの!?なんかずっと立ってたから心配になって来ちゃったけど……」

 

「あ、あいつに何かされた!?なんか嫌なことでも言われたの!?」

 

「い、いえ、そんなことは。……ちょっと幸せ過ぎて、浸ってただけです」

 

「………そう、ならいいけど」

 

「あうっ」

 

パシッと、ティオネに額を小突かれる。

惚気と受け取られてしまったのだろう。まあ実際に惚気てしまったのだが。それはレフィーヤとて否定するところではないのだが。

 

「ファミリア中で噂になってたのよ、2人が妙にめかし込んで出掛けて行ったって」

 

「街でも噂になってたよ。"千の妖精(サウザンド・エルフ)"と"迷異姫(まよいひめ)"が街中の男達の目を集めてたって」

 

「え、えぇ……」

 

「いやでも、ほんと綺麗ね。その髪留めとか、よく似合ってるじゃない」

 

「うん!なんかいつもより大人な感じがする!」

 

「え、えへへ……その、ノアさんにプレゼントして貰ったんです。この髪留め。だから似合ってるって言ってもらえると、嬉しいです」

 

「そんな高い物貰ったの?……なんかすごいわね」

 

「高い物だけじゃなくて、色んな物を見せて貰って、色んなことを教えて貰って……私、本当に」

 

 

そこまで言葉にしたと同時に。

 

 

溢れた。

 

 

「ちょ、ちょっとレフィーヤ!?」

 

「へ?………あ、あれ?」

 

まだ流れるような物が残っていたのかと、一瞬そう思ってしまったが、確かに食事をしたのだから残っているのも当然かと。なんだか変に冷静になって頭はそんなことを考える。

……しかし、これは魚館に居た時のそれとは違う。それよりもっと衝動激しく、それよりもっと悲観的で、それよりもっと個人的なものだ。あの涙が美しいものであるとしたら、レフィーヤはこれを汚れたものだと表現するだろう。だから溢れたのだ。あの時の物とは、出所である根源の感情が違ったから。

 

「だ、大丈夫……?」

 

「いえ、その……なんでしょうか。幸せ過ぎて、急に現実に戻って来たから、辛くなったのかな」

 

「……よくあることよ、私も経験あるもの」

 

「そうなの?」

 

「ええ。だって同じ時間はもう2度と手に入らないのよ?それが自分の記憶の中にだけしか無いだなんて、辛いじゃない」

 

「ふ〜ん。そういうものなんだ……」

 

「……そうですね。同じ時間は、もう2度と」

 

それを自覚したのが、不味かった。

そこから先はもう、まともに言葉を話すことも出来なくなってしまった。それくらいにみっともなく泣きじゃくってしまって、慌てた2人に抱き締められながら、少し寒い夜空の下で涙を流した。

……そうだ、もう2度と同じ時間は手に入らない。こんなにも幸福な時は、今日が最後なのだと。あんな風に自分に目を向けてくれるのは、これが最後だったと。そう自覚してしまったからこそ、抑え切れる筈がない。

 

「ったく……どうしてそんな悲惨な恋をするの。私なんかよりよっぽど大変な恋してんじゃないっての」

 

「う……ぅぐっ……」

 

「……恋って、難しいんだね」

 

「そうねぇ……真面目な奴ほど辛いし大変なのよ。もっと狡くて馬鹿になれれば楽なのに」

 

それが出来ないからこそ、こんな風に涙を流すことになる。

 

……皮肉なことだ。

彼がアイズを好きでいなければ、自分は彼を好きになることなんて無かっただろうに。けれど彼のことを好きになってしまったからこそ、今こうして苦しい想いをしている。

いくら言葉で言い繕ったところで、レフィーヤは1人の普通の少女であり、苦しいものは苦しいし、辛いものは辛い。彼の幸福を願っているのは本当でも、ならば辛くないのかと言われたら辛いに決まっている。

 

でも好きだから。

好きになってしまったから。

苦しむしかない。

 

彼と同じように。

彼がアイズに抱えているのと同じように。

彼が人生を懸けて挑んでいるその恋を捨てて、自分に振り向いてくれる、その奇跡みたいな可能性に懸けて。レフィーヤはただ、歩んでいくしかない。

今日こうして与えて貰った、夢のような幸福の記憶を胸に抱いて。

 

 

 

 

 

レフィーヤがそうして2人に慰められている頃、一方のノアはと言えば、誰とも話すことなく自身の部屋に真っ先に戻ると、ベッドに座り、口を閉じ、膝を抱えてただ静かに俯いていた。

目を閉じて。ただジッと、考え込む。頭を回す。心を止める。暗く、明かりのひとつも付けていない。そんな闇に染まった部屋の中で。

 

「……帰ったのなら、明かりの一つくらい付けないか」

 

「リヴェリアさん……」

 

2人が帰って来たと知って、それこそリヴェリアは彼等の様子を見るためだけに書類も仕事も何もかも放り投げて、こうしてノアの部屋を訪ねに来た。レフィーヤの方はティオネとティオナが慰めている。故に自分はこちらだろうなと、そう察した。それにしても明かりすら付けていないその様子には素直に驚いたし、それほどに彼の精神が落ち着いていないことにも強く懸念している。

 

(………)

 

見て分かる通りに。

こうして帰って来たというのに、彼にしては珍しく鞄もその辺りに置いておくだけで、着替えることもせずに蹲っている。明らかに普通ではない。まさかレフィーヤと上手くいかなかったのか、喧嘩でもしてしまったのか。ここに来る途中でチラと見たレフィーヤが慰められている様子を思い出して、リヴェリアは心の中で少し焦った。

故にリヴェリアは彼の対面に椅子を持っていき、そこに座る。このまま放っておくと、恐らく良くないことになるだろうなと予想して。

 

「……お前がめかし込んでレフィーヤと出掛けたと聞いた時、正直驚いた。単に気分転換程度だと思っていたからな」

 

「……どうでしょう。私は単に自分が楽になりたかっただけなのかもしれません」

 

「なんだ、その言い方では外出自体に問題はなかったのか」

 

「ええ、今日はレフィーヤさんにお礼をしようと思ったので……」

 

「そのためにレフィーヤを幸せに出来たのなら、いったい何の問題がある?それともお前はレフィーヤに何か酷いことでもしたのか?」

 

「気持ちを受け入れるつもりもないのに優しくするのは、酷いことではないんですか……?」

 

「酷いことだろうな。少なくとも私はそう思う。だが本人は違うだろう、レフィーヤはそう思いたくはないはずだ」

 

「………」

 

世間的に見て、客観的に見て、それは確かに良くないことだ。しかし重要なのは相手の気持ち。周りの誰が何と言おうとも、結局は当人達がそれでいいのなら問題はない。……それにリヴェリアとて、今こうして彼の口から言葉として出て来たものが全てだとは思っていない。良くも悪くも、色々な思考が彼の中では渦巻いているのだろう。

なぜなら、レフィーヤが本当に楽しめたのだとすれば、それは彼自身もそうであるはずだからだ。そうでなければ、それが僅かなひと時であったとしても、レフィーヤが心から楽しむことは出来なかっただろう。だからレフィーヤは本当の本当に嬉しかったのだ。その時だけはアイズではなく、自分に目も心も向けてくれたから。自分を見ながら彼もまた、楽しんでくれたから。だから心の底から幸福だと、そう思うことが出来た。

 

 

「……正直に、言ってもいいですか?」

 

 

「ああ、構わない」

 

 

 

 

「…………………今日、初めて気持ちが揺らぎました」

 

 

 

「!!」

 

驚く。

心の底から。

けれどきっと、これより何倍も、彼自身の方が驚き、狼狽えている。それは間違いない。そしてだからこそなのだと、リヴェリアは気付いた。だからこそ、こんなにも彼は落ち着いていないのだと。

部屋の灯りを付けることを忘れてしまうくらいには。整理整頓や服の手入れを後回しにしてしまうくらいには。冷静さを欠いて、これまでにないほどに混乱し、只管に必死に思考を巡らせていたのだと。

 

「ゆらいだんです。揺らいでしまった。……レフィーヤさんに。目と、心を、奪われてしまった」

 

「…………」

 

「これは、アイズさんへの裏切りです。裏切りだと、私は思う。思うのに……この気持ちをそんな風に表現したくないと思っている自分も、また別に居る」

 

「……そう、か」

 

「なんだか、そう考えると、もう……頭の中、どうしようもなくなって。自分のことが、許せなくなって。……消えて無くなってしまいたいって、そう思ってしまって」

 

「…………」

 

「色んな人を巻き込んで、アイズさんも困らせて、レフィーヤさんにも手伝わせて、こんなにも滅茶苦茶なことをして来たのに……今更。どうして今更、肝心の自分が揺れてしまうのか。一度決めて、何もかも投げ捨ててここまで来たのに。アイズさんどころじゃない、これは私の関わった全てに対する裏切りです……それが本当に申し訳なくて……それが本当に最低で……消えて、死んでしまえばいいって……もう、全部……」

 

「良い、言うな。……分かっている、お前の言いたいことは」

 

その可能性自体は、予想していたものだった。

けれどそれが実際に実現したとなると、リヴェリアは素直に驚くし、それを動かしたレフィーヤの想いと献身に敬意を表する。人によってはそれを単に状況に流されて揺れただけと言うかもしれないが、その想いの強さを知っている人間からすれば、それがどれほど奇跡に近いことなのかが分かる。ロキやリヴェリアですら、その可能性は半分諦めていたから。

……それにそもそも、よくよく考えてみれば。彼が1番に辛い時に寄り添っていたレフィーヤと、彼が1番に辛い時にも気付くことが出来ず、むしろ傷付けてしまったアイズだ。揺れてしまうのは当然のことなのかもしれない。少なくともまともな人間なら、レフィーヤに好印象を持つのは普通のことだ。好意に変わってしまうのも、一体誰が責められるというのか。

 

(よくやった、レフィーヤ……)

 

圧倒的な距離差があったにも関わらず、アイズは今からスタート地点に立つ準備をし始めた。しかしレフィーヤは長かったスタート地点までの難所を走り切り、今そのままの速度でアイズを追い抜こうとしている。

……正直に言ってしまえば、アイズのそれはいくらなんでも遅過ぎた。そして実際にスタート地点に立つまでも、あと数日は掛かるだろう。今はまだ心が揺れる程度で済んでいるが、これから先、その揺れはどんどんと大きくなっていくはずだ。気の迷いという言い訳では済まなくなる。

アイズは本当に手遅れになるかもしれない。

少なくとも、それでもノアが欲しいという結論に行き着けたとしても、それほど余裕はないのではないだろうか。加えて、今回の彼女の反省がいつものように失敗に終われば、その時点でアイズがノアを手に入れられる可能性は間違いなく無くなる。なんとなくノアの争奪戦のような言い方をしているが、レフィーヤが奪える地位まで登ってきた以上は、争奪戦と言っても過言ではない。

 

「心底……自分のことが嫌いになりました。こんなこと、誰に対しても失礼です。もう、こんな、こんなもの、なにもかも……」

 

「お前の頭の中が混乱しているというのは分かるが、考えることを放棄するな」

 

「………」

 

「アイズにも言ったことだが、思考が入り乱れている時こそ、人間は向き合い、考え、解いていくべきなんだ。……それを全て放り捨てて逃げる事は簡単だ、だがそれでは何も解決はしない。お前の頭から悩みを排除したところで、状況が好転する訳ではない」

 

「………そう、ですね」

 

「認められないことであっても、実際にそうなってしまったことは歯を食いしばってでも受け止める努力をしろ。……そうしなければ本当に、全てが手遅れになってしまうからな」

 

「……勉強になります」

 

「年の功だ」

 

分かるとも。

可能な限り誠実であろうとしてきた自分が、言い訳の出来ない1番の不誠実を抱えてしまった。混乱するだろうし、嫌悪すら湧く。自分がその願いのために周囲に与えてきた影響を考えれば、自分を殺してしまいたいくらいだろう。全部無かったことにしてしまいたいと、そう思ってしまいたいくらいに直視出来ない事実の筈だ。

……ああ、分かるとも。

彼は決して真っ白な人間ではない、人間らしく黒い心だって持っている。誠実であることも、彼の生来の性格ではなく、そうして生きることで好いた相手から嫌われないようにしたいという、半ば強迫観念から来るものだ。だからこそ人一倍自罰心が強い。

 

「……私は不純が嫌いだ」

 

「っ……はい」

 

「いくらか丸くなったとは言え、それでもエルフとして典型的な考え方が未だに色濃く残っている。……不純な人間を嫌い、不誠実を嫌う。清潔清純こそが尊いのだと」

 

「………はい」

 

「だが私はそれを他人に押し付ける気はない。……求めはするかもしれないがな」

 

「……?」

 

「なあノア。お前は本当に、この世界の人間の全てが恋愛に対して誠実に向き合っていると思うか?」

 

リヴェリアは俯く彼の頭を撫でる。

手の掛かる娘は居るが、最近は手の掛かる息子まで増えた気分だ。……まあ、こうやってみると2人目の娘のようなところもあるが。

最初に会った時とは本当に印象が変わったように思う。まさかここまで踏み入ることになるとは、あの時は夢にも思っていなかった。

 

「私はな、最近思うようになった。恋愛に対して最後まで誠実であれるのは、よほど運の良い人間だけなのではないかと」

 

「……どういう、ことですか?」

 

「単純な話、そもそも全ての恋が必ず叶う訳ではないということだ」

 

「……!」

 

「それまでどれほど誠実に向き合って来たとしても、肝心なのは相手の心だ。究極、こちらに出来ることには限りがある。殆どが相手依存と言っても良いだろう。個人に出来るのは、その確率を上げるための努力でしかない」

 

「それは、まあ……」

 

「……多少不誠実にならなければ、疲れてしまうんだよ。恋愛というのは」

 

リヴェリアは思い返す。

 

「真面目に向き合えば、今のお前のように辛く苦しいばかりだ。相手依存の行為であるにも関わらず、自分の粗を見つけて、自分を責め続けなければならないからな。全てが自分の責任。しかもその末に、あまりに極端な2択が結果として表れる」

 

「2択……」

 

 

「……完全な破滅か、最大の幸福か」

 

 

「………」

 

「そんなものに、まともに向き合える人間がどれほど居る。そんなものに自分の人生の全てを一点掛け出来る人間がどれほど居る。それほど苦しいことに、それほどリスクの高い賭けに、どうして誠実に向き合い続けられる。そんなことをしていれば、先に疲弊するのは自分の心だ。……そうでなくとも、根っから理不尽なものなのに」

 

それこそ先程リヴェリアが言ったように、恋愛に対して誠実であり続けられる人間がどれほど居るのかという話だ。

この世界のどれだけの人間が、好いた相手のために自分を変える努力が出来る?この世界のどれだけの人間が、好いた人間だけに目と心を合わせ続けられる?この世界のどれだけの人間が、好いた人間に真の意味で自分の人生を費やせる?

真の一途など本当にあるのか?本当に一度も目移りしたことはないのか?本当に保険の異性をつくったりしていないのか?本当に自分を磨き続けられるのか?本当に相手を楽しませる努力をしているのか?本当に相手の幸福のためならどんな泥でも被れるのか?

 

「少し不誠実なくらいが丁度いいんだろう。……そうでなければ、自分を守れない」

 

正に今の彼のように。

自分を守れず、自分を犠牲にして、心を壊して、自罰に走る。だからきっと彼がレフィーヤに心を動かされてしまったのも、やっぱり当然で仕方のないことだったのだ。だってアイズは彼のことを助けてくれないけど、レフィーヤは彼のことを助けてくれるのだから。彼の意志は別にしても、彼の心は絶対にレフィーヤを求めるだろう。疲れきった心は、彼女の優しさに癒される。そうして彼女の優しさに、動かされてしまう。誰がそれを責めることが出来ようか。辛い時に寄り添ってくれた相手を、どうして突き放すことが出来ようか。

 

「それに喩えお前が今からアイズからレフィーヤに切り替えたところで、お前をよく知っている人間ならば、誰もお前のことを責めたりしないだろう」

 

「っ」

 

「確かに何も知らない人間は、お前を不誠実な人間だと罵るかもしれない。確かにあれだけ好意を向けられたアイズは、少なくない怒りをお前に抱くかもしれない。……だが、少なくとも私はお前の考えを肯定する」

 

「……そんなの、絶対に駄目です」

 

「ならば聞くが。お前はレフィーヤと一緒になったとして、その未来は不幸なものになると思うか?」

 

「……そんなことは、ないですけど」

 

「仮にそれが不誠実であろうとも、それで幸福に生きていけるのなら、お前はそうすべきだろう」

 

「……っ」

 

「他者から指差されるような行為であったとしても、お前自身がそれで未来を幸福に生きていけるのならば、何故躊躇う必要がある?お前は迷わずそれを取るべきだ。……お前は、お前の幸福のために生きるべきなんだ」

 

 

 

【幸せになってください、ノアさん】

 

 

 

「っ」

 

それは奇しくも、レフィーヤに言われた言葉と同じ。

ノアの心がまた揺れる。

 

(それでも、私は……でも……)

 

確かにそうなれば、アイズは傷付くだろう。落ち込むだろう。もしかしたら今のアイズなら軽く引きこもってしまうかもしれない。

……だが、それだけだ。

それだけで済む。それだけの代償で済む。実際ノアのことを好きになれず、それでも引き伸ばしていた要因にはアイズ自身も関係している。アイズがノアのことを責めるとするなら、例えばノアの存在によって自分が不利益を被ったことについてくらいだが、流石にそんなことを堂々と言い出したらリヴェリアだって彼女を注意するだろう。そんなことを言ってくれるなと。そんなことを言う人間にだけはなってくれるなと。

 

……その程度の代償だ。

ノアが人としての幸福を得られることに比べたら、むしろ少な過ぎるくらいの代償ではないだろうか?それまでノアが支払って来た代償と比べたら、よっぽどに。

 

「ノア、聞かせて欲しい。……お前は、義務感でアイズを求めてはいないか?」

 

「え……?」

 

「ここまで努力して来たから、ここまで想ってきたから、こんなにも周りに知られてしまったから、本人にも好きと伝えてしまったから。……そんな引き返せないという思い込みを、本当に持っていないのか?」

 

「そ、そんなことは……」

 

「……ならば少し切り口を少し変えよう。お前は今自分の心の揺らぎを不誠実だと考えているようだが、それをレフィーヤの努力の成果だと考えたらどうだ」

 

「……!!」

 

「それは本当に、不誠実なものなのか?」

 

「そ、れは……」

 

手を変えて、言葉を変えて、リヴェリアはその切れ込みを広げていく。レフィーヤが齎したその変化を、少しずつ彼の受け入れやすい形に変えていく。

……この機会を逃してはいけない。もし明日にまで持ち越してしまえば、彼はきっと元の自分に戻してしまうから。言い訳を作ってしまうから。だから疲れていようとも何だろうと、リヴェリアは切り込んでいく。その生じた小さな芽を、確実なものへと作り替える。

 

「不誠実で良い、不純で良い。……だから、その気持ちを大切にしろ。その可能性を捨てようとするのはやめろ。たった1つの選択に、お前の人生の全てを捧げようとするのはやめろ」

 

「………でも、そんなことでは。私は、アイズさんに」

 

「努力が必ず報われるほど!……綺麗なものではないんだ、ノア」

 

「………っ!!」

 

「そんなに尊いものではない、美しいものでもない。いくらお前が努力したところで、所詮はアイズの気分次第なんだ。アイツがその日の気分でお前を跳ね退ければ、それだけで終わってしまう。それほど脆いものなんだよ、ノア。お前も分かっているだろう」

 

「……………」

 

そんな、馬鹿馬鹿しいものなのだ。

そんなに綺麗で、尊いだけのものではない。

50階層でアイズがノアを受け入れられないと言ったのに、共闘してからは妙に近付いて来たのと同じだ。それは確かにノアの頑張りもあったのだろうけれど、結局はアイズの気分次第なのだ。そして例の少年が現れて、アイズの目はあちらに移った。……そんな風に、振り回される。理不尽に、努力の程など、関係なく。

人生を賭ける価値など、本当にあるのか?

 

「別に保険を作れとも言わない、二股を掛けろとも言わない。これまで通りにアイズを好きでいればいい。これまで通りにそのための努力を続ければ良い。……だが、今日芽生えたその気持ちだけは、絶対に捨てるな。それがあるだけで、今はほんの小さなその気持ちが、いつかお前を救ってくれることになる」

 

「………分かり、ました」

 

「なんだったら、その気持ちはお前の物ではなく、レフィーヤがくれた物だと思っておくと良い。そうしておけば、少しは受け入れやすいだろう?」

 

「……リヴェリアさんは、なんでも分かるんですか?」

 

「いいや、私とて最近学んできたところだ。そもそも私自身はそんな経験がないからな、単なる耳年増とでも思え」

 

「またそういう自虐をするんですから……」

 

「……勉強になっているのは本当だ。もう少し甘い話であれば、私とて羨ましく思えるのだがな」

 

本当に、恋愛に対する憧れというものを悉く破壊してくれている。そこだけはリヴェリアとて彼のことを恨みたい。

 

「ノア、アイズだけを求めるのはやめろ。お前が1番に幸福になれる道を選べ。それがアイズと共にあることならば、私はもう何も言わん」

 

「……はい」

 

「なに、いざとなれば私がこうしてまた話を聞いてやる。アイズもレフィーヤも慰めてやる。まだ子供のお前達の後始末くらい、手伝ってやる」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「……今日はもう寝ると良い。薬を飲むのを忘れるなよ、着替えるのもな」

 

「……はい」

 

さあ、尽くせるだけの言葉は尽くした。

後はこれから3人が、何を思い、どんな結論を出し、どんな努力を積み重ねていくのか。それに任せるしかないだろう。

誰も幸福になれない結末より、せめて2人は幸福になれる結末を選ぶしかない。少なくともリヴェリアはそう考えて、今を動いている。

 

『彼が2人とも引き取ってくれたら、全部丸く収まるんじゃないかな?』

 

フィンは少し前に頭を抱えながら冗談めかしてそんなことを言っていたけれど、本当に、そうなってくれればどれだけ楽なことか。そうできないからこそ、それが出来ないからこそ、あの少年は厄介なのだ。

……仮にどのような結果を求めるにしても。

あの不誠実に対する強烈な自罰心こそを、何より先にどうにかしてあげないといけない。


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