【完結】剣姫と恋仲になりたいんですけど、もう一周してもいいですか。   作:ねをんゆう

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1万文字超えていますが、お付き合い頂けると幸いです。


56.○会と

「ノアさん」

 

「……?どう、しました?」

 

「ノア」

 

「……?」

 

アスフィと入れ替わるように、2人は彼の横に座る。リヴェリアは拠点に戻った、このことを伝えなければならない人達が居るから。アスフィも同様だ。彼女はリヴェリアにそのことを聞かされたあと、同様に自身のファミリアに戻るのだろう。……アミッドも、あと少ししたら、準備と引き継ぎを終えてここへとやって来る。

 

先程よりも苦しげに、浅い息を繰り返す彼は、それでも戻ってきた2人に笑いかける。いつまでも変わることのないその優しさが、今はとても悲しい。最後の最後まで決して変わることのなかった彼の優しさが、この悲しみを余計に強くする。

 

「……ノアさん。私も、ノアさんの恋人を名乗ってもいいですか?」

 

「……あと、数日しか……使えません、よ?」

 

「そんなことないです、一生使えます」

 

「……あまり、使って欲しく、ないです」

 

「っ」

 

「一生、1人なんて……寂しいです」

 

「……それだけは聞けません。ノアさんのことは、私が一生覚えてるんですから。私はこんなにも素敵な人の恋人だったんだ、って」

 

「……頑固、ですね」

 

「そんな私は嫌いですか?」

 

「大好き、です……」

 

「それは良かった」

 

レフィーヤは横たわる彼の唇に軽くキスを一つ落とす。苦しげな彼と、もう以前のような深いものは絶対に出来なくて。なんとなく乾燥してしまっている彼の唇に気付くと、クリームを取り出して塗ってあげる。

 

……正直、将来のことなんて何も分からない。

こう言っていても、もしかしたら普通に良い男性と出会えて、お付き合いすることになるかもしれない。しかしそうだとしても、今はそんなことは考えたくない。目の前の人への想いだけを持ち続けて、一生1人でいたいとすら思っている。身寄りの居ない彼を、これから先も、ずっと覚えている唯一の人間でありたいと。そう思っている。

 

「……それなら。私も」

 

「アイズ、さん……」

 

「私は、ノアの最初の恋人だから」

 

「……ふふ。誇って、くれるんですか?」

 

「うん。初めて好きになった人だから」

 

「……ちゃんと、幸せに、なって下さいね。私のせいで、不幸に、なんて……」

 

「……なれる、かな」

 

「なれます。……私より、素敵な男性は……たくさん、居ますから」

 

「……居ないよ、そんなの」

 

「……ふふ。嬉しい、ですけど」

 

アイズもレフィーヤと同じように、彼にキスを一つ落とす。以前よりも少しは上手くなったけれど、もうそれを披露することも出来ない。まるでガラス細工のような今の彼は、Lv.6のアイズでは迂闊に抱き締めることも出来ない。今だけは、この力の強さが恨めしい。

置いて行かないで欲しい、1人にしないで欲しい、本当はそう言葉にしたい。したいけれど、言える訳がない。そんなこと、彼が一番にそう思っていることなど、アイズだって分かっているから。こんなにも自分のことを好きだと言ってくれた彼が、一番死にたくないと思っている筈だから。

 

「いつも、見てる、とか……」

 

「はい……」

 

「また来世で、とか……」

 

「うん……」

 

「言えたら、いい、ですけど……」

 

「……分かってます」

 

「ごめん、なさい……私が、馬鹿、でした……」

 

「……そんなことないよ。ノアが頑張ってなかったら、私は気付けなかった。馬鹿だったのは、私の方」

 

「そうですよ……そんな貴方だから、私も」

 

「罪作り、だなぁ……償う、機会も、ない、なんて……」

 

あとはもう、こうして、その終わりの時を待つだけ。彼にはもう何も出来ない。ただ死を待つことしか出来ない。自分と関わらなければこんな悲しい思いをさせずに済んだのにと、彼等の人生を傷付けずに済んだのにと、2人がなんと言おうとも、そんな後悔を抱えて沈んでいく。

何度も、何度も頭の中で繰り返した。

どこでどうしていれば、自分はもっと良い道を歩けたのだろうと。けれど、その度に思い至る。きっと今が一番に幸福なのだろうと。こんな風に2人の女性を愛してしまって、それなのに、その2人からも愛して貰えて。そんなもの、あまりにも都合が良過ぎる。それは早死にしてしまっても仕方ないだろうと、そう思える。むしろ、こんな状況でもなければ許されなかった筈だ。

……だから、きっと自分は幸せなのだと。自分だけは、幸せなのだと。そう思い込むことは出来た。それもまたきっと、幸福なことで。

 

 

 

 

 

……本当に、この10日間は。

 

 

 

早かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ノア、聞こえる?」

 

「?……アキ、さん?」

 

「ええ、そうよ。ここに居るわ」

 

「……うれしい、です」

 

「みんな居る。アイズも、レフィーヤも、リヴェリア様も、アスフィさんも。団長だって」

 

「フィン、さん、も……」

 

「ああ、ファミリアを代表としてね。流石に大人数では来れなかったけれど、皆君によろしくと言っていたよ」

 

「……そう、ですか」

 

限界は、近付いていた。

 

今日が、最後の1日だった。

 

今日の夜には、彼は……

安らかに眠れるように、調整されている。

 

もう、目は見えていない。

起き上がることも負担になるから。

まだ予定の時間までは少しあるけれど、それでも彼に寂しい思いをさせないようにと皆ここに集まった。不在にしているのは互いのファミリアの主神達くらい。彼等は未だに帰って来ていない。ファミリアの団員まで連れ出して、必死に何かを探している。

そろそろ夕日も沈んでいる頃合、つまりは1日が終わりに差し掛かる。アイズとレフィーヤとリヴェリアはアミッドに安楽死を提案された時からずっとここに居たし、ずっと彼と話して、その手を握っていた。アミッドがこうして側についてから、彼は本当に楽そうな顔をするようになった。それは単純にアミッドが彼の感覚を一部遮断しているからであり、意識もまた意図的に少し混濁させているからだ。

 

……しかし同時に、彼の身体は少しずつ死に近付いている。それは劣化によるものではなく、アミッドの手によって。彼を殺すのは身体の劣化ではなく、アミッドの魔法によってだ。本来治癒すべきそれを、彼女は今日殺すために使う。

救えなかった人間を、殺さなければならない。

一体それはどれほどの屈辱だろうか。

精神回復薬を飲みながら治療を続ける彼女を動かすのは、それに対する衝動が大きい。

 

「しあわせ、だなぁ……」

 

「……っ」

 

「………」

 

「ねむたい、のに……ねたく、ない……」

 

「……たくさん頑張ったんだもの、疲れてしまうのも仕方ないわ」

 

「……がんばれ、ましたか?」

 

「ええ、貴方が頑張ったから皆ここに居るのよ。貴方の頑張りを見ていたからこそ、ここに居るの」

 

「……はい」

 

「……貴方の頑張りは無駄じゃなかった。貴方の人生は、とても素晴らしいものだった」

 

「……はい」

 

「だから……っ」

 

それ以上の言葉が、出て来ない。

もっと、もっと言いたいことはたくさんある筈なのに。言わなければならないことはたくさんある筈なのに。喉が詰まったかのように言葉が出て来なくなる。

アキはこれまで、彼の姉のようにして接して来た。だから最期も、しっかり頼り甲斐のある姉として接さなければならないのに……

 

「不甲斐のないお姉ちゃんで、ごめんね……」

 

「……そんなこと、ない、です」

 

もう、彼の中にその記憶は無いのだろうけれど。アキの中にはある。……また、また自分は同じことを繰り返すのだということを。いつの間にか心の中に居たもう1人の自分が泣き叫んで罵倒する。受け入れられなかったからこそ乖離してしまった、もう1人の自分が暴れ狂う。

 

「ノア」

 

「リヴェリア、さん……」

 

「……思えば、お前と私は、それなりに長い付き合いだったな」

 

「……はい」

 

「あの時から私は、お前に、話を聞いてやることくらいしかしてやれなかった」

 

「……すくわれ、ました」

 

「私は、お前を……もっと、助けてやるべきだった」

 

「……」

 

「お前を、もっと……優先すべきだった」

 

「……いえ」

 

「……正直、アイズが羨ましくも思ったよ」

 

「!」

 

「私も、それくらい純粋に誰かに求められたいものだ。お前のような男に」

 

「……いつか、だれかが」

 

「……そうだと、いいのだがな」

 

以前もそうしたように、リヴェリアは彼の頭を撫でる。こうする度に、段々と彼の生気が無くなっているのが感じられて、まるで自分が殺してしまっているのではないかとすら思えてしまう。

……本当に、リヴェリアは彼に壊されてばかりだ。恋愛に対する理想も、憧れも、幻想も。この世界に抱いていた運命という名の美しさも。

けれど同時に、こんな人間も居るのだということを教えられた。こんな愛すべき大馬鹿者が居るのだと、ある意味では勇気付けられもした。そんな人間を死なせてしまった原因の中に、自分の至らなさがあったことは、それ以上にリヴェリアの心を蝕んでいるけれど。

 

「ありがとう」

 

「……リヴェリア、さん」

 

「私は、お前と出会えて……良かった」

 

「……わたし、も、です」

 

「すまない……本当に。私は、お前を、助けてやれなかった」

 

そんなことはないと、ノアは言いたい。

ずっとずっと相談に乗ってくれた彼女が、いつからか自分のためにアイズと話してくれていたのは知っている。ノアはリヴェリアに助けられてばかりだったから。恨むことなんて一つもなくて、心の中には感謝しかないくらいなのに。

 

「私からは……特に、ありません」

 

「アスフィ、さん……」

 

「貴方の無茶を止めなかったことは、間違っていたかどうかも私には分かりませんから。……ただ、本当に私は驚かされた、とだけは言っておきましょう」

 

「……ごめん、なさい」

 

「いいえ、違いますよ。私が驚いたのは、貴方が本当に剣姫と恋仲になれたことにですから」

 

「……!」

 

「正直、最初はそんなことは無理だと私は思っていました。ですが貴方はそれを成し遂げた。……それだけでも驚いたのに、"千の妖精"の心まで射止めるとは。本当に信じられない思いでしたよ」

 

「……えへへ」

 

アスフィは彼の手を握る。

恋人でも友人でもなく、団員の1人として。

かつてファミリアを共にしていた、仲間の1人として。

 

「後は任せなさい」

 

「……はい」

 

「貴方のことは、決して忘れませんから」

 

「ありがとう、ござい、ます……」

 

アスフィはそのままフィンの方へと顔を向けるが、しかし彼は首を横に振る。彼は既にノアとの別れを済ませているから。……いや、これまで彼のことの大半をリヴェリアに押し付けて来た身としては、ここに居ることすら相応しくないと思っているからだろう。

だから、必要なのは。

 

 

 

「貴方を好きになれて良かった」

 

 

「……!」

 

レフィーヤは詰まることなく、はっきりとその言葉を彼に伝えた。

 

「愛しています、心から」

 

「……はい」

 

「貴方だけを、一生愛し続けていたい」

 

「……」

 

「……それくらい、大事な人でした」

 

「……はい」

 

ノアだってそうだ。

彼女に伝えたいことなんて、いくらでもある。自分を救ってくれた彼女に、側に居続けてくれた彼女に、伝えたいお礼なんていくらでもある。

 

「ノアさんとのデートは……私の一生の宝物です。あの素敵な時間は、きっと一生忘れることなんて出来ないと思います」

 

「……うれしい、です」

 

「キスだってそうです。……私達、いつも泣いてばかりでしたけど。本当に、そこらの物語なんかより、ずっとずっと素敵な恋が出来たと思います」

 

「……わたしも、そう、おもいます」

 

「……だから」

 

どれだけ笑みを作っても。

どれだけ声を作っても。

きっともう、お互いに、見なくてもわかる。

だって自分達は、最初からずっとそうだったのだから。デートの時だって、キスの時だって、いつだって。

 

「最後も……泣いてしまっても、いいですよね」

 

「……はい」

 

素敵な恋だった。

彼は本当に、理想の恋をさせてくれた。

きっとこの別れだって、人によっては綺麗だと言ってくれるかもしれない。

 

でも、そんな綺麗さより。

もっと、もっと隣に居たかった。

デートだって、またしたかった。

もっともっとキスをしたかった。

どうしようもなくなってしまうくらいに、愛して欲しかった。

来世でも、その次でだって、彼の恋人になりたかった。

 

「……本当は、私も、一緒に死んでしまいたいけれど」

 

「だめ、です」

 

「……はい。なので、ちゃんと生きます。生きて……っ、ノアさんのこと、覚えてます」

 

「……はい」

 

「好き、なのに……愛してる、のに……どうして、どうして……」

 

どうして誰も助けてくれないのか、なんて。

きっと、そんな悲恋をしたのは、もっと世の中にはたくさん居て。きっと2人の恋も、それと同じ、救われないもので。奇跡なんて起きないから、彼は助からない。

彼の死は、奇跡というものの希少性を持ち上げるための犠牲の一つとなる。彼は特別ではなかったから。彼は奇跡によって救われるに相応しい器など持っていなかったから。奇跡は起こらないし、死は覆せない。

 

レフィーヤは泣きながら縋り付く。

きっとアイズよりも、誰よりも、彼女が一番に彼のことを想っていた。彼女が誰よりも愛していた。ぎゅっと手を握り締める。いつだってそうしていたように。彼の左手はレフィーヤが握り続けて来たものだから。

 

「……あの、ね」

 

「……」

 

「謝ることしか、出来ないの……」

 

彼女のようには、泣けない。

 

「でも……私、ノアのこと好きになれた」

 

だからきっと、自分は後から後悔するのだ。

いつものように。

これまでのように。

大切な物に、大切なことに、手遅れになってから気付いて、後悔をする。ずっと続けて来たそんな馬鹿なことを、きっとこれから先もずっと続けていくことになる。

力を手に入れることを引き換えに手に入らなかったことを自覚して、絶望する。手に入れた大切なものを、こうして滑り落とす。

 

「私、もっと……大人になりたい……」

 

「アイズ、さん……」

 

今日まで一体、自分は、何をして来たのだろう。

彼のために一体、何が出来たというのだろう。

自分のことばかりで、彼に向き合えた時にはいつだって手遅れで、そうこうしている間に、こうしてもう、取り返すことが出来なくなってしまった。

アイズは思う。

彼を殺したのは自分だと。

自分の足りなさが、至らなさが、そして子供さが、恋を教えてくれた彼を殺したのだと。

都合の良い英雄なんてものを求め続けて、モンスターへの憎しみに囚われ続けて、自分にも相手にも力を求め続けた結果……人としてどれだけ自分が成長出来ていなかったのかを、思い知らされた。

 

「わたし、もっと……もっと、頑張るから……」

 

父と母を失った時とは違う。

恨める相手が誰も居ない。

強いて言うのなら、それは自分だ。

誰にも言い訳は出来ない。

憎しみを抱くことさえも、許されない。

 

「ごめん……ごめん、ね……」

 

アイズには彼とデートをした記憶が殆どない。

間違いなくした筈なのに。

キスだって、本当に下手だった。苦しそうな彼に無理矢理して。何をするにも自分のことばかり。何をやっても受け入れてくれる彼をいいことに、ずっと彼に何かを求め続けていた。……受け入れてくれるなんて、当たり前だ。好きな人の頼みなのだから。今こうして誰かを好きになったからこそ分かる。自分が本当に、どれだけ彼の気持ちを弄んで来たのかが。

 

「アイズ、さん……」

 

「……?」

 

「しあわせ、でしたよ……わたし」

 

「っ!」

 

こんな時でも、彼は。

 

結局自分は、最初から最後まで何も変わることなく。

こうして、彼に、気を遣わせて……

 

「だから……アイズ、さんも……」

 

「……うん」

 

「しあわせに、なって……」

 

「……うん」

 

アイズはまた、子供のように泣く。

レフィーヤや彼とは違う。

涙を手で拭って、子供のように泣きじゃくる。

ごめん、ごめん、と。

上手く、言葉に出来ないから。

小さな頃から成長出来ていなかった、彼女の幼い感性が。隠すことも出来ず表に出て、涙を流していた。泣いても謝っても、彼は許してくれるけど、他ならぬ自分は絶対に許してくれないのに。

 

「……それでは、ノア様」

 

「はい……」

 

「このまま、意識を落とします。……それで、本当に最後になります」

 

「……ありが、とう……ござい、ます」

 

「お礼を頂けることでは、ありません……」

 

気付けば、もうまもなく予定の時刻。

 

少しずつ、彼の眠気が深まっていく。

 

もう目を開けているのも、精一杯。

 

彼はこのまま心地の良い眠りに入りながら、命を落とすことになる。

苦しみなど絶対に与えない。

安楽死を選んだからには、絶対に苦しませない。

アミッドの神がかり的な調整がそこにあったから。

 

 

……だから、これで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!」

 

 

 

足音が響く。

 

2人分の走る音。

 

それが聞こえた瞬間に、アミッドは魔法を納める。

彼を永久に眠りの中に落とす最後の引鉄であるそれを、引き止めた。

 

何故ならまだ、ここには要るべき筈の2人。否、2柱が居なかったから。なんなら彼女は今この瞬間まで、その最後の最後まで、彼等の成果に賭けていたくらいだったから。

 

「アミッド!ストップや!!」

 

「……ロキ様!」

 

「ヘルメス様……!」

 

「すまないが、全員手伝ってくれ!ノアをある場所に連れて行きたい!……"戦場の聖女"、可能だろうか」

 

「無論です。必ず保たせてみせます」

 

「それは心強い、頼んだ」

 

「だとしたら、彼は僕が運ぼう。……アミッド、君もベッドの上に乗っていて欲しい。少々見栄えは悪いが、緊急時だ」

 

「問題ありません」

 

2人の言葉を聞いた瞬間にフィンは窓を開け放ち、彼とアミッドを小さな簡易ベッドに乗せて持ち上げる。これこそ自分の仕事だとばかりに、突然の対応にも関わらず、迷うことなく指示を出した。……間に合ったのなら、あとは行動するだけだ。迷っている暇など何処にもない。

 

「あ、あの……!た、助かるんですか!?ノアさんは!!」

 

「「………」」

 

レフィーヤの問い掛けに、ロキとヘルメスは俯きながら目を逸らす。……ああ、そうだろうとも。そんな都合の良いことなど起きるはずがない。彼等2柱が探し出して来たのは、そんな都合のいいものではない。むしろこうして間に合ったことの方が、よっぽど奇跡に近くて。

 

「ロキ、場所は?」

 

「ダイダロス通り!その手前の裏通りを抜けたところにある大きい建物や!そこにノアの元主神がおる!」

 

「え……」

 

「それはまた、随分と草の根分けて探して来たものだね」

 

「全くや!マジで見つけた時は奇跡かと思ったわ!!」

 

そういう余計なところにばかり奇跡は起きてしまうこともまた、本当に皮肉なところ。それに仮に今の発言がレフィーヤの想像通りだとするのなら、それもまた……

 

「あ、あの……!それなら、私が先導します!」

 

「レフィーヤ……?」

 

「魚館のことですよね!?私、知ってます!……ノアさんと、行ったことがあります!!」

 

「「!?」」

 

ある意味それは、皮肉なものだった。

ロキにとっても。

レフィーヤにとっても。

そして……ノア自身にとっても。

 

 

 

 

 

 

 

「……ということは、貴女は」

 

「そうさ、あたしだって自分の住んでる場所に自分以外の誰かが居ることくらい気付いてたさ。……けどねぇ、それでいいと思ってたのさ」

 

「それは、何故だろう?」

 

「魚達が受け入れてたからだよ。……それと孤独だったからねぇ。誰かは知らないけど、誰かが居てくれるのは心地良いのさ。たとえこの目には見えなくとも、ね」

 

「……そう、か」

 

 

 

「アポロン!!」

 

日も沈んだ後。

その館の前にある唯一の灯りの下で、彼等はその人物達を待っていた。

フィンによってベッドごと運ばれながら走ってくる彼とその一団の姿は、何も知らない者達には本当に何事かと思うような姿であろう。特にロキはリヴェリアに、ヘルメスはアスフィに担がれているのだから。それはもう本当に。

しかしそれは何しても、ロキ・ファミリアにヘルメス・ファミリアの幹部陣がやっていることだから。きっと誰が見ても、普通ではないことが起きていることは分かる。……実際に、普通ではないことは起きている。

 

「間に合ったか!ヘルメス!!」

 

「ああ!なんとかな……!!」

 

「……魚館の、お婆さん」

 

「ああ、ノアの彼女さんだったかい?……やれやれ。話には聞いてたけど、全く」

 

「………」

 

「……ババアより先に死ぬもんじゃないよ、ノア」

 

「………」

 

きっと、何も知らなかったであろうこの魚館の主である彼女は、常連でもあり、孫のように可愛く思っていたノアがこのような状態になっているということもまた知らなかったのだろう。それこそ、こうしてヘルメス達に教えられるまでは。

 

「……こんなババアの長話にも付き合ってくれたアンタがこんなことになっちまうなんて、世の中ってのは残酷なもんだ」

 

「……」

 

「もう少しだけ頑張りな。会わなくちゃいけない相手が居るんだろう?……男の子なんだ、アンタなら出来るさ」

 

ベッドの上に横たわり、既に言葉も話すことのできない彼に、お婆さんは元気付ける。言葉はまだ聞こえているらしく、表情だけはそれに応えてくれるから。

あと少し、もう少しだけ。

彼に、気力を与える。

 

「さ、全員入りな。部外者のあたしはここに居るさね。……案内は嬢ちゃん、アンタが出来るね?」

 

「……!はい、任せてください」

 

以前は彼がそうしてくれたように、今度はレフィーヤが先頭を歩く。以前と同じように薄暗い一本道の廊下。段差はそれほど無いが故にベッドの上の彼にもそれほど影響はなく。

前に来た時には、この廊下も、突き当たりの扉も、通る時には彼の背中があって。ずっと、彼が手を握っていてくれたから。少し肌寒くはあったこの通りも、寂しさとかは無かったけれど。

 

「レフィーヤ、ここは一体……」

 

「……魚館です。ノアさんがこのオラリオで、一番に好きな場所です。それこそ、ヘルメス・ファミリアに居た頃から定期的に来ていたとか」

 

「そんな場所が……」

 

「それに、ここがどういうところなのかは……入ってみれば、分かると思います」

 

そうしてレフィーヤは、最後の扉を開ける。

今度は彼の前に立って。

彼に背中を見せるようにして、押し開ける。

 

 

 

「……ぁぁ」

 

 

 

青色の空間。

相変わらず、綺麗な空間。

そこに踏み入れた瞬間に、誰もが声を失う。

それはきっと、誰であっても変わらない。

まるで海底を歩いているような、水底に沈んでしまったような、そんな感覚。

 

 

 

「……あぁ」

 

 

 

誰もが上を見上げる中。

けれど彼だけは、違った。

多くの魚達が自由自在に泳ぎ回り、あまりにも美しい光景が広がっているこの空間の中で。彼だけは、その空間の中央に眼を留めていた。何も存在しない筈の、誰にも何も見えていない筈の、その空間に。

 

 

「……アポロン」

 

 

「ああ……居る。私には、分かる」

 

 

ずっと、ずっと感じていたから。

ずっと、ずっとそれを見て見ぬふりをして来たから。

だからそれを失った時、感じなくなってしまった時に、酷い違和感と喪失感を感じてしまった。ずっと自分に向けられていた視線が、いくつもの視線が、この世界の何処からも消えて無くなってしまった時に。むしろそれを受け入れられなくなった。

 

 

「……光明の神、アポロンが命じる」

 

 

「っ」

 

 

「昏き世に隠された真実。目に見えぬ闇に囚われた囚神。……今一時だけで良い。我が目の前に、その姿を映し出せ」

 

 

太陽を司る神。

それは他の神と比較しても、相当に重要な権能を持った神であるとも言える。故に彼は実は天界ではそれなりに忙しい立場に居て、重要な立場に居て。そして本当に意外にも、地上での彼の姿を見ては想像出来ないかもしれないけれど、かなりモテた。

……だからこそ、だろう。

だからこそ、多くの恋をして、多くの間違いを犯した。

 

彼がその背に背負った日の光が、この暗い空間に隠された存在を映し出す。一時的な全てを照らし出す光の顕現によって、本来見える筈のないものが映し出される。

 

 

「っ」

 

 

栗色の長い髪。

青と黄色の薄いドレス。

その顔に浮かぶのは悲しい笑み。

 

……ああ、と。

その場にいる誰もが納得した。

 

彼女こそが。

この女神こそが、ノアの主神であると。

 

だってそれほどに、彼女の雰囲気はノアにそっくりだったから。そしてレフィーヤは、よりその感覚を強く感じていた。今こうして目の前の女神が来ている衣服が、デートの時にノアが着ていたものにそっくりだったから。

……こうして見ると、本当に。

ノアの笑みも、精神性も、きっと、この女神にそっくりなもので。

 

「まさか……貴方が来てくれるとは思わなかったわ、アポロン」

 

「今、ようやく分かった。この世界で私に向けられる視線の多くが消えた理由が。……つまり、この世界から向日葵という花の全てが消えた理由が」

 

「……気付いて、くれたのね」

 

「……気付かないふりを、していた」

 

彼女はゆっくりとした足取りで歩き出す。

その歩き方は酷くぎこちなく、危うくて、とてもゆっくりで。

……きっと、彼女もまた、限界が近くて。

 

「ノア……」

 

「ぁ……」

 

彼のベッドに辿り着き、言葉をかける。

その瞬間に彼もまた、反応する。

 

「ノア……私よ……聞こえる?」

 

「………く……りゅ……」

 

「ノア……!」

 

ゆっくりと持ち上がった手を、握って、乗り出す。

 

「くりゅ、てぃ……え……さ、ま……」

 

「そうよ、私よ……ごめんね、ごめんね、ノア……」

 

きっとそれは、ノアの、最後の踏ん張りだったのかもしれない。懸命に声を出して、手を握り返して、目の前の女神と、同じような顔で、同じような笑みで、同じように涙を流す。

本当にそっくりな2人は、泣いている姿までそっくりだった。

 

「私、あなたに……幸せになって、欲しかったのに……!こんな筈じゃ、なかったのに……!!」

 

「……ぁ」

 

「もう一度、もう一度だけ……あなたに、会いたかった……!あなたに笑って、名前を呼んで、欲しかった……それだけ、だったのに……!!」

 

それなのに、それを求めていただけだったのに。結果的にこうして、彼は2度目の死を迎えようとしている。それこそ、以前の時よりも時期を早めて。

……ボロボロと流した涙が、彼の頬を濡らす。女神クリュティエにとって、自分を母親にしてくれた大切に育て、愛した子供が。今正に自分の腕の中で息絶えようとしている。

 

 

……だから。

 

 

 

 

「ぁ……り、がと……ぅ……」

 

 

 

 

 

「っ……………っうぅうううああああああ!!!!!!!!!!!」

 

 

「っ、クリュティエ!?何をしようとしている!!やめろ!!」

 

「止めないでアポロン!!止めないで!!」

 

「そんなことをしたら君まで……!!」

 

「そうだとしても!!そうだとしても……!!この子は!この子は!!

 

私の子だから!!!」

 

「っ」

 

「私の大切な、息子だから!!」

 

 

握り締めた彼の手から力が抜けた瞬間に、女神クリュティエはその神力を解き放つ。まるで大きな花を象るように黄色の光が2人を包み、小さく、色を濃くしながら、それはゆっくりと実体を持った何かへと変わっていく。

……それは決して世界に混乱を齎すものではない。誰かを傷付けるものでもない。神が、天界が、咎めるほどのものでもない。

 

ただ。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

「……馬鹿な、ことを」

 

 

「……もう、取り返しつかへんぞ」

 

 

「いい、のよ……これで……。だってもう、これ、しか……っ」

 

 

 

 

 

「ごめんね、ノア……ごめんね……」

 

 

 

 

「……ぁ」

 

女神クリュティエが、黄色の欠片を持って、泣き崩れる。彼女自身も限界なその身体を床に落として、泣き続ける。

 

……その瞬間に、理解してしまった。

 

分かってしまった。

 

きっとあの欠片こそが、彼なのだと。

 

そして今もそこにある、もうピクリとも動かなくなってしまった彼は……

 

 

「ぁ……ぁあ………」

 

 

「………っ」

 

 

 

 

 

「……お亡くなりに、なりました」

 

 

 

「「「っ」」」

 

 

死亡宣告は、告げられた。

 




最終回ではないです。

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