なにも、ありません。

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遺書

 恥の多い生涯を送って来ました。

           太宰治『人間失格』

 

 私のこと

 

 幼少のころ、父が私に与えたのは太宰治でした。

 そのころの私は、藤子不二雄のドラえもんが読みたかったと記憶しています。友だちといっていいのかわかりませんが、私と近しい年ごろの子どもは、ドラえもんを読んでいたように思います。

 私は、彼らと話をすることができませんでした。皆と同じまんがを読んでいないからです。父は私に「そんな連中と友だちになる必要などない」と言って、ドラえもんを買ってくれることはありませんでした。

 公園で皆が野球のまねごとをしているときも、私は彼らに話しかけることすらなかったと記憶しています。友だちではないのだから、いっしょに遊ぶのはおかしいことだと考えていました。

 私は、本を読みました。父が与えてくれた本を、何度もくり返して読みました。

 楽しくはありませんでした。皆さまがご存じの通り、活字には絵がないのです。子どもの私には、退屈で、難しい本でした。

 いえ、大人になっても難しいことに変わりはありません。私は日本語の文章を書けますが、文豪の描くような情景だとか、人間の繊細な心理だとか、そういったものを描く力は備わりませんでした。

 太宰治はすごく、そして私はそうではない。あまりに当たり前の、ただの事実ですが、大人になればなるほど、こうして日本語で文章をつづるほど、それを実感してみじめな気持ちになるのです。

 人間失格の葉蔵には、何度も感情移入しました。彼の記した「恥の多い生涯を送って来ました」という言葉が、私にはとても、とても苦しいものに感じられます、切ないものに感じるのです。私の生涯も、恥ばかりでした。だからきっと、その言葉で泣きたくなるのです。

 こうして書きつづっても、私は太宰治とはまるで別物です。まねごとしかできないのに、なにひとつ、うまくいかない。模倣して、劣るものを作るしかできない。

 そんなだから、私の人生は失敗ばかりでした。

 就職もうまくいきませんでした。いえ、学生生活も、うまくいきませんでした。いえ、もっともっと昔から、ちっともうまくいきませんでした。

 最初に書いた通りです。私は、幼少のころからひとりでした。友だちができず、仲間同士の会話ができませんでした。両親以外との会話ができていないまま、小学校に入学してしまった。それが、最初の落とし穴でした。

 父が悪いのではないのかもしれません。ただ、私はどうしても、そう思ってしまう。

 ドラえもんを買ってくれていたなら、皆の輪に入れたのではないか。僕も読んでるんだと言って、会話をできたのではないか。そう思ってしまうのです。

 今書いている文章を読み返してみても、私は話の組み立てが下手だとわかります、ストーリーが作れていません。だから、脱線してばかりです。ごめんなさい。

 友だちはできませんでした。会話もできませんでした。

 文字で書くならまだしも、家族以外と話そうとすると、うまく言葉が出てこなくて、私はどもってしまいます。クラスメイトに笑われて、話すのも怖くなりました。

 小学校に行きたくない。私はそう訴えたのですが、父は許してくれませんでした、母も許してくれませんでした。私が「学校に行きたくない」と言うと、両親は私をしかるのです。

 私は六年間、泣きながら学校に通っていました。クラスメイトには笑われて、消しゴムを投げられました。えんぴつで背中を刺されたこともありました。教科書を隠されることはありませんでしたが、それはよいことだったのかどうか、今でもわかりません。上履きは何度も隠されました。私が泣きながら上履きを探している間、先生は見てみぬふりをしていました。

 なんだか、こうして書いていて、悲しくなります。私の過去が悲しいのではありません。人間失格で描かれた葉蔵の生涯は、もっと必要なこと、想像してしまうことがていねいに記されていました。

 私の生涯は、ただ悲惨であっただけです。しかも、私が詳細な記憶を失っているせいで、物語、ストーリーとしても成り立っていない。

 私が文豪なら、この六年間を、もっと上手に描いていたでしょう。それを考えてしまって、とても、悲しくなるのです。

 私は父から太宰治を与えられて、たくさん読んだと思います。それなのに、描けない。それが、私には悲しい。

 中学校でも、私に友だちはできませんでした。

 小学校のクラスメイトがいない学校へ行きたくて、私立の学校を受験しました。両親は、必死に受験勉強に打ち込む私を褒めてくれました。けれど、私がおかしいということは、両親も感じ取っていたのだと思います。

 葉蔵のように皆を楽しませる道化になれたのなら、私にも友だちはできたのでしょうか。それとも、私も彼のように、自分の本性が露呈することに怯えながら生きたのでしょうか。今となっては、わかりません。

 小学校までの自分を乗り越えようとして、勉強以外のこともがんばりました。

 友だちを作れるように、映画を観ました。父はあまりいい顔をしませんでしたが、お年玉を貯めてビデオデッキとVHSのテープを何本も買いました。ドラえもんを買ってもらえなかった私は、皆と会話をするきっかけを作りたくて、洋画を観ました、邦画も観ました。

 私は、母親が、子どもを助ける話が好きでした。幼少のころから、父の重圧を感じていたせいでしょうか。映画の中の強い父親には、感情移入ができなかった。けれど、母親が母性によって子どもを助ける話は、観ていて涙が流れました。

 きっと、私の母が、物静かなひとであったからでしょう。父にしかられているときに、母は私をかばってくれませんでした。けれど、父がいないときに私が泣いていると、母は慰めてくれました。

 映画の中の女性が、子どものためにおそろしいものに立ち向かう姿を観ると、どうしても母に重ねてしまいます。私もあんなふうに、助けてもらいたかった。父が私をしかるときに、助けてほしかった。

 流行の映画を観ました。たくさん観たのですが、私が中学校のクラスメイトにそれを話すことはありませんでした。

 私は思い違いをしていたのです。そもそも、私は家族以外の誰とも、まともに話せないのです。まず、そこから治すべきでした。ひとと話すということを、ちゃんとやるべきだった。

 考えてみれば、私は逃げていたのでしょう。ひととの会話は、大変だからです。私は、辛いことから逃げ出す悪いくせがあるのです。本当なら、最初に書いておくべきでした。こういうところも、私はだめなのです。辛いことを思い出したり考えたりすると、別のことでごまかすのです。

 私は卑怯なのです。

 恥の多い生涯は、私のように卑怯な人間が送るべきなのでしょう。

 そんな人間に、友だちなどできるはずがありませんでした。わかっているのです、わかっていたのです。映画だって、流行のものを何本も観ただけで、きっと映画通のひとからは鼻で笑われるでしょう。舗装された簡単な道を歩いて、私はがんばったのだと大きな声でさけんでいるだけなのです。こんな私を卑怯と言わずして、なんと言うのでしょうか。

 太宰治だってそうです。父が与えてくれた本を読みはしましたが、それだけです。新しい本を自分で買おうとはしませんでした。読書通のひとからすれば、にわかだと嘲笑されるでしょう。そうだとしても、私は努力をしませんでした。読書に使う労力が惜しいと、怠けていたのです。

 こういう性格のしっぺ返しが、今、まさに私に降りかかっています。

 私は今、身動きができない状況にいます。

 思えば、高校生のころにもそんなことがありました。あのときも、身動きが取れなくなって途方に暮れた記憶があります。

 何度も話を脱線させて、申し訳ないことだと思います。ただ、私は、だめな人間なのです。小説ではプロットというのだそうですが、そうした筋道をあらかじめ立てていても、なぜだか脱線してしまうのです。きっと、私の頭には、なんらかの重大な欠陥があるのでしょう。

 高校に入学するころには、私もさすがに、少しは話ができるようになっていました。しかし、緊張すると、どもってしまうのは治らないままでした。高校のクラスメイトにも、笑われました。

 笑われるのには慣れていたので、私も笑っていました。笑っていればたいていのことはごまかせるのだと気がついたのも、このころだったと記憶しています。

 そういえば、私が高校生だったころの父は、私の成績を見て納得したようでした。私の高校受験が成功したことにも、納得していたように思います。

 私は、勉強がそこそこできたのです。自慢のつもりなんてありません、本当にできる人間ではありませんでした。私はただ、試験というものに対しては、うまく切り抜けられる性質があるようなのです。ただの、それだけなのです。

 私が賢い人間でないことは、明白です。高校生になっても、私に友だちはできませんでした。賢い人間ならば、友人の大切さはわかるのでしょう。だから、他人とコミュニケーションを取って、適切な距離を保ち、互いに好印象を抱ける相手を見つけ出すのです。

 私は、それができない。このころには、もう誰かとコミュニケーションを取るのが、苦痛になっていました。どもりが原因ではありません。私はいつも、会話の周回遅れなのです。

 たとえば、皆がドラえもんを読んでいたころに、私はドラえもんを買ってもらえなかった。私がVHSで流行の映画を観ているころには、皆はテレビゲーム(ファミリーコンピューターではなく、プレイステーションと、セガサターンでした)に熱中していました。

 私がやることは、私が興味を持つものは、クラスメイトの話題にあがることはありませんでした。私はいつも、会話の周回遅れなのです。

 思えばこのころ、私は家でも会話をすることがありませんでした。

 私の父は、セールスマンでした。外回りの営業というものが、どれだけ大変なのか、私は今も知らないままです。ただ、父の仕事は、とても大変だったのでしょう。休日の父は一日中ごろごろと寝ていて、酒を飲んでいました。

 このころの私は、父となにを話したらいいのか、わからなかったのです。それまでは、家族となら会話ができました。学校での勉強が、遅れていないことを報告していました。それが、急に、できなくなりました。

 勉強が遅れていたわけではありません。カリキュラムの通りに、きちんと学習できていました。成績だけなら、学年の中でも上位だった記録が残っています。

 ただ、黙って酒を飲んでいる父を前にして、言葉が出てこなかったのです。のどまで出かかる、ということもありません。頭の中が真っ白で、なにかを考えることもありませんでした。

 そんな私に、父はなにかを言ったはずなのですが、どうしても思い出せません。今さら、父に聞くこともできない。このときの私の記憶は、永遠に埋まることはないのです。

 違いました、父の話ではありません。私が、高校生のころの話です。申し訳ないことです、脱線をしてばかりです。

 私は、ひとつのことに集中ができないようです。

 これでも、筋道を立てて文章を書き始めています。だというのに、これも書かなくては、あれも書かなくては、と頭が勝手に考えてしまうのです。無駄な話を止められない。

 思えば、私の会話は、いつもそうでした。クラスメイトと話をしていても、私が勝手にひとりで話してしまう。それはきっと、さぞかし退屈な話だったでしょう。

 会話というのは、言葉のキャッチボールなのです。私が話し、相手が聞いて、相手が話し、私が聞く。それが、私が話すといつまでも、脱線をしながら私が話し続けてしまう。そのころには、最初に話そうとしていたことが抜け落ちてしまうのです。

 きっと会話だけでなく、この遺書だってそうなってしまうのでしょう。いえ、そうなってしまっています。読み返してみると、身動きが取れなくなってしまった話をしようとしているのがわかります。

 読み返しているのに、自分が書いたものを削れません。きっと私も、創作ではないのだから構わないだろうと、頭のどこかで考えているのです。

 私は怠けものなのです。勤勉な人間であったなら、今のような事態にはならなかったのでしょう。

 でも、その一方で、勤勉であっても今のこの状況は解決できないとも思います。気持ちがとても、投げやりなのです。

 誰も教えてくれませんでした。

 誰も、私に教えてくれませんでした。

 高校生の二年目から、私はいじめにあいました。クラスメイトの不良ぶった数人が、喫煙をしていました。私がそれを教員へと報告して、彼らは停学となりました。

 停学となった連中の友人を気取っていた男が、密告者を探し始めました。クラスメイトに嫌われこそすれど、好かれていない私をかばってくれるひとはいませんでした。

 このころのことは、あまり覚えていません。思い出そうとすると動悸がひどくて、手足が震えてきます。殴られたり、蹴られたり、物を隠されたり、たくさんされました。

 私は泣きました。泣いて学校をやめたいと訴えたのですが、中卒の学歴はみっともないとしかられます。どうしたらいいのかわからずに、自分の部屋に閉じこもって泣き叫びました。部屋から出られなくなったのは、このころだったと思います。

 壁を叩きました。物を投げました。私の部屋はゴミだらけで、壁にはいくつも穴が空いています。でも、それだけです。私は父に逆らいませんでした、反抗しませんでした。反抗の仕方を知らなかったのかもしれません。

 問題は、そのみじめな事実に、私が気づいてしまったことです。いじめられてもやり返せず、父の言葉に服従するしかなく、受けた屈辱を晴らすにはやり返してこない壁を叩くだけ、物を投げるだけ。

 みじめです。とても、みじめなことです。

 私は抜け殻のようになりました。

 なにもできず、無気力でした。勉強のためにと与えられたパソコンで、勉強もせずにマインスイーパーとソリティアを続けていました。インターネットは、できませんでした。父に、許されなかったからです。

 インターネットさえしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。私は、日本語が書けます。文豪のような文章作品は書けなくても、文章でなら会話をできると思うのです。

 相手の言葉を読んで、それに返答を書く。これは、大変に素晴らしいことだと思います。私は音で聞いた会話を、きちんと覚えていられません。しかし、文章であれば、読み返せます。

 私はきっと、インターネットでなら会話を学べたはずなのです。会話さえ学べていたのなら、こんなみじめな思いをしなくて済んだのだと思います。

 私はどうやって、高校を卒業したのでしょうか。もう、その記憶は定かでありません。家族との会話もありません、インターネットができなかったからです。

 外に出ることもありません、就職もできません。世間のひとは、高卒、ないしは大卒で就職するのでしょう。私は、そのどちらにもなれなかった。

 私は、自分が落伍者なのだという認識はあります。

 認識はあっても、なにもしていませんでした、なにもできませんでした。なにをすればいいのかわからないまま、ソリティアとマインスイーパーを続けていました。

 映画を観るのは、やめました。観ているだけで、辛くなります、苦しくなります。

 人間を見ると、動悸がひどくなるのです。このひとたちは仕事をしている。映画は、俳優が演技をしたり、カメラマンが撮影したり、監督が指示を出したり、たくさんの役割がある。そして、皆、誰もが仕事をしています。映画は、仕事のかたまりです。たくさんのひとが仕事をして、お金を稼いだ結果です。

 私は、映画が怖いです。

 落伍者の自分が、就職し、認められて、給料を手にしているひとたちの作品を観る。なんと恐ろしいことでしょうか。落伍者には、たとえ過去の作品であっても、お前だけが怠けているのだと突きつけられているような気になります。

 ソリティアとマインスイーパーは、怖くありません。厳密に言えば怖いのですが、あれにはひとが出てきません。画面の中にトランプとマス目があるだけです。

 マウスを操作しながら、私は何度も泣きました。なにも考えられない中で、自然と涙があふれてきます。鼻水も垂れて、私の顔はぐしゃぐしゃになります。

 そんな生活を、毎日続けてきました。ときどき、この生活は永遠に続くのだろうかと考えました。父はなにも言わなくなりました。母もなにも言わなくなりました。

 きっと、私を諦めたのでしょう。時々、自室の窓から出勤する父を見下ろすと、黒かった髪が真っ白くなっているのが見えました。私の部屋は二階にあるので、父をこっそりと観察できます。白髪頭でやつれた父を、最初は知らないひとだと勘違いもしました。

 落伍者を養うのは苦労するのだと気づいたのは、いつだったのでしょう。私にはもう、時間や日付の感覚がありません。ただ、どこかで気がつきました。そこからは、窓を覗くことも恐ろしくなりました。

 窓に新聞紙を貼り付けて、カーテンを閉めました。もうずっと、外の光景を見ていませんでした。朝なのか夜なのか、晴れているのか雨なのか、私にはわからなくなりました。

 いよいよもって、私は私がわからなくなりました。なにのために生まれたのか、なにのために生きているのか、そもそも私の今は、生きていると呼べるのか。

 死のうと考えたのです。

 だからこうして、遺書を書きました。

 私は死にます、自殺するのです。

 そのために、遺書を書いたのです。

 ここまでが、遺書です。

 ここからは、日記なのでしょうか。

 誰かに聞いて欲しい、という感情が、今でも私の中に残っていたのです。先ほどあったことを、書きます。

 遺書を書き終えたのは、つい先ほどでした。書き終えたなら、報告をするべきだと考えました。これから死にますと、父と母にはせめて伝えようと思ったのです。

 便所に行くためではなく、父と母と話をするために、部屋を出ました。階段を降りるのが、とてもおっくうです。身体を動かさずにいたせいでしょう、筋肉が衰えているのでしょう。

 老人のようなみじめさで階段を降りて、私は信じられないものを見ました。見たのは、居間です。

 我が家の居間は、十畳ほどの広さがあって、フローリングです。中央にはテーブルと椅子があり、家族は向かい合って食事をとります。

 父が座る上座から、左手の方にテレビがあります。テレビ棚の上に乗っていて、私の記憶の中では大きなブラウン管でしたが、とても薄いより大きな画面に変わっていました。

 居間に入ると、テレビとテーブルと椅子が目に入ります。そこから左へと視線を向けると、便所の扉があります。便所の扉のドアノブには、母がつながっていました。

 母は首に電源コードを巻きつけて、ドアノブにつながっています。土気色というのは、この色だと感じました。見たことのない肌の色で、母はときどき、足をばたばたと暴れさせています。

 父は、テーブルに突っ伏していました。いつもの上座に座ったまま、学校の勉強机で眠っているように、両腕を枕にして伏せっています。

 私は怖くなりました。足をばたばたさせる母は、濁った目をしています。よだれのような粘液を口から垂らしながら、私を見ているのかいないのかわからない目を、私に向けていました。

 私は、居間の扉を閉じました。

 それから、足音を殺して、自分の部屋に戻りました。私の安住の地は、この部屋だけです。震える手で扉を施錠して、パソコンに向かっています。

 今、私はこの日記を書いています。

 母になにがあったのでしょうか。父はなにをしたのでしょうか。父はなにも起こっていないのでしょうか。

 確かめる術は、ありません。

 居間の扉が開く音がしました。手が震える。歯がぶつかって音を出す。

 怖いです。

 階段を登っている。

 足音がするのです。

 怖い。

 父でしょうか。

 父がしかりにきたのかもしれません。

 ドアノブを鳴らしています。がちゃがちゃとうるさいです。

 会話ができたなら、私はこの状況を脱せたのに。インターネットがないからです。ドラえもんが買ってもらえなかったからです。

 扉を叩かれています。

 怖い。

 なにがあったのですか。

 誰か教えてください。

 私は


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