シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

241 / 241
 感想評価お気に入り登録誤字報告ありがとうございます。


これから

「────」

 

 先生は脳に霞む霧を振り払うように、うっすらと瞼を開ける。現実と酷似しているが、どこか電子的な感覚。神経に直に感じる冷たさ。床に手を突くと水面の跳ねる音が鼓膜を叩いた。髪、肌から垂れる水滴を鬱陶しそうに払いのけ、空を見上げる。

 

 透明な水が張った、半壊した教室。壊れた天井からは青空が見える。シッテムの箱の内部、青の教室。キヴォトスの極小モデルケースで目を覚ました先生は夢を見ているような浮遊感を覚えていた。まるで、世界に存在しないような。

 

「おはよう、アロナ」

 

 先生は直ぐ傍らで心配そうに覗き込んでいたアロナに声をかける。どこか能天気さを感じる調子の声は、アロナの表情を晴らすには至らない。彼は己の不甲斐無さと無力を呪いながら、それを表には一切出さず、此処に来た目的の一つである『確認』を行う。

 

「それで、何分掛かったかな?」

「入室までに3分15秒、目覚めるまでに5分44秒、です……」

 

 先生がアロナに訪ねたのは現実から教室に入り込み、目覚めるまでにかかった時間。この時間は先生にとって肉体および精神の状態、世界からの受容度を計測するベンチマークになっていた。

 

 入室までにかかる時間は先生が青の教室……ひいてはキヴォトスに受け入れられているかどうか。覚醒までにかかる時間は肉体および精神の状態、どの程度損耗しているかを示している。

 

 当日のコンディションによって多少のブレがあれど、安静時であれば入室から覚醒までの時間は大体1分前後に収まっていた。それが9分程度にまで伸びている。

 

 ミレニアムの……エリドゥで起きたアリス・ケイを巡る戦いの後に計測した時間が3分弱だったことを考えると、対ベアトリーチェで使った特権の代償は相応に重いものだった。

 

 この際、肉体と精神の損耗はどうでもいい。これは分かっていたことであり、覚悟していたことだ。大人のカードを使えば先生は唯一神の器として最適化されていく。先生が持つ何かは対価として唯一神に差し出される。それが人の身で奇跡を起こす代償。唯一神の神秘を引き出し御業を再現するとはこう謂う事だ。

 

 問題なのは世界からの受容度を計測する入室までの時間が伸びていること。青の教室とキヴォトスにとって、先生は異物になり始めた。

 

 とは言え、元々彼はキヴォトス外部の人間であり異物だ。どんな進化、どんな系統にも属さないアンノウンである彼が世界に受け入れられる事なんてあり得ない。今まで受け入れられていたのは偏に彼がシッテムの箱(世界の基準点)の正式な所有者だからだ。その属性が彼を異物として認識しなくなる特例だった。

 

 だが、何事にも限度がある。特例を上回る異常が彼に現れれば、また異物として認識されてしまうのだ。

 

 先生の肉体に刻まれた唯一神との結びつき……神秘は徐々に強くなっている。しかも、()()()()()()()()()()()()()()()()()。故に唯一神の神秘もまたキヴォトスに所属していないため、キヴォトスにとっては正体不明の事象だ。

 

 加えて、彼は大人のカード(特権)を行使した代償として心臓の鼓動を簒奪されている。これより先、彼に命の温度が宿る事はない……はずだった。

 しかし、彼はシッテムの箱に肉体の機能を移している。故に心臓の鼓動を奪われようとも生存は可能だ。だが、その状態は生者でもなければ死者でもなく、命ですらない。最早、そこに存在する現象と呼ぶ方が相応しいだろう。

 

 ────神秘を持たないはずの彼に刻まれた、キヴォトスに存在しない神秘。心臓が動いていないのにも拘わらず、平然と生存している肉体と精神。それらは彼を再び異物として認定する材料として充分すぎる。

 

「……違います。絶対に、違います。先生はおかしくなんかないんです。私達のために頑張り過ぎただけなんです」

 

 アロナの嗚咽交じりの言葉と共に、波とは違うものが水面を揺らした。

 

「先生は生きています。生きているんです。ずっと、頑張って生きています」

 

 先生は徐に掃除道具が入っていそうな縦長のロッカーを見た。無論、あれには掃除道具など一つも入っていない。あれには先生を生かす仕組み……現実世界の先生の肉体を生かすための『機能』が存在している。少しずつ移してきた。少しずつ切り取ってきた。未来のために。世界のために。いつか悲劇を生まないために。

 決して自分のためではない。その選択が、結果として『先生を生かす』方向に作用しただけだ。

 

 だから先生は今も生きている(本来は死んでいなければおかしいのに)

 

「こんなのおかしいです。だって、先生は……先生は……ッ!」

 

 そう言って、アロナは自分を責める。もっと何かができたはずだと。こうなるより前に、やれることがあったはずだと。遅い後悔ではあるが、そう思わざるを得ない。自分の所為だと思わなければ、誰かのせいだと思わなければ。

 

 だって、誰かの所為じゃないと。誰かの責任じゃないと。初めから先生にはそうなる道しかなかったことになる。先生は傷付くしかなかったと認めることになる。だから、意味のない責任転嫁をする。何かができるはずだったと責める。そんな幻想に縋らなければならないほどに、先生は損壊していた。

 

「……アロナの所為じゃないんだよ。私は自分の意志で、そうなる未来を分かった上で使った。それが例え他に選択肢のない一本道だとしても、道を選んで歩いたのは私だ。私がやったんだ。だから、アロナが自分を責めなくていい」

「でも、でも……っ!」

「そもそも、私の在り方から考えれば今までの方が奇跡だったんだ。夢から覚めただけだよ。大丈夫だよ、私はちゃんと生きている。アロナが生かしてくれている。アロナのおかげで、私は生きていける」

 

 先生は機構(システム)としてキヴォトスに発生した(招かれた)。世界を救済する機構として、生徒を調停する機構として。前者は救世主、後者は先生。呼び方、そこに込められた想いや願い、人間性の有無など、様々な点で異なっているが、根底の在り方……自分以外の何かに奉仕し続ける事は変わらない。先生は初めから『自分のために生きる』ことができないと謂う生命としての欠陥を抱えていた。生命ではない精神の在り方に、肉体が追い付いてきた。それだけの話だ。

 

 先生はアロナの涙を指先で掬い上げて、優しく抱きしめる。これが最後となってもいいように、後悔が残らないように。

 

「さて、お喋りはこのくらいにして本題に入ろうか」

「……はい、そうですね。それで、ええと……あ、ありました!」

 

 アロナは空中に投影したディスプレイを使ってフォルダを探し、『重要!』と命名されたものを展開する。先生が集めた様々な情報の中から、ベアトリーチェが関わっていると思われるものを開いた。

 

「デカグラマトン、ホド(8)の覚醒。それに対を成す8i(ケムダー)も目覚めかけている。クリフォトはセフィロトの裏面。表が活性状態になれば裏も当然……なのはそうだけど、タイミングが悪いな。出現ポイントの割り出しはできそう?」

「勿論です! そう仰ると思ったアロナちゃんはもう割り出しています!」

「流石スーパーアロナだ。あとでイチゴミルクあげるね」

 

 先生は二つのマーカーがプロットされた地図を眺める。場所はトリニティ自治区の第四聖堂と、D.U.地区の新第3空港。

 

「空港は拙いな。一般市民に被害が出かねない。モモカに頼んで閉鎖してもらわないと」

「はい。あとは戦力、ですね。先生はどうされますか?」

「……調印式には出席するよ。だけど、途中で抜け出すと思う。ホドとケムダー……生徒との相性を考えるとケムダーかな。兎に角、そのどちらかを対処しなきゃいけない」

「ですが、調印式の会場でも……」

「十中八九、襲撃されるだろうね。アリウスの生徒とユスティナ生徒会のミメシス、終末悪の落胤。心配だし可能なら最後まで指揮したいけど……デカグラマトンの方が危険だ。アレを放置すれば世界が沈みかねない」

 

 先生の体は一つしかないし、出来る事には限度がある。同時多発的に戦闘が発生すれば優先順位を付ける必要があるし、より高い方を優先するために低い方を切り捨てざるを得ない。

 

 調印式で発生する戦闘は『生徒同士の争い』の範疇に収まるものだ。だが、神性が現れる戦いは『世界を救う戦い』になる。文字通りの死闘であり、何処で誰が死んでも不思議ではない。そして、神性を屠るためには先生の概念武装が必須となる。どちらを優先すべきなのかは火を見るよりも明らかだ。

 

 だが、それでも、この選択は生徒を切り捨てるもの。調印式の会場で戦うゲヘナとトリニティの生徒達を見捨てるのだ。心が痛まない訳がなく、『仕方ない』と割り切れるようなものではない。

 

 その思考を一旦追いやり、先生は目の前の現実を見据える。懺悔も後悔も今やるべきことではない。今やるべきことは、少しでも生徒達の負担を減らせるよう足りない頭を振り絞ることだ。

 

「戦力はホドにC&C、ケムダーに私とワカモ、ミネ。調印式の会場からD.U.新第3空港までバイクで1時間だから……道中の戦闘も含めると1時間半は見ておいた方がいいかな。C&Cには話を通しておくとして、彼女達は……リオとヒマリに動かしてもらうのがベターか。C&Cにホドの足止めをしてもらっている間にケムダーを処理してホドに向かう。総作戦時間は約4時間。何とか短縮して3時間に収めたいけど……」

「こればかりは当日の状況次第になっちゃいますね。討伐時間は兎も角として、移動の方が……」

「そこなんだよね。ヘリかジェット機を使いたいけど、撃ち落される危険性を考えると渋らざるを得ないからなぁ……初めから使わない想定で考えた方が乖離が少なくなりそうだ。使えたらラッキーくらいに思っておこう」

「デカグラマトンといえば、ビナーはどうされますか?」

「ホドとケムダーよりは脅威度が低いかな。少し前に半身を吹き飛ばしてるし、恐らく『機神体』としての本領は発揮できない。単なる強力な攻城兵器に収まるから、アビドスの子達と便利屋の子達に任せれば問題ないはず」

 

 これでデカグラマトンの対策のアウトラインは決まった。細かい修正は加わるだろうが、大きくは逸れないだろう。調印式の会場についても同じく。あちらはゲヘナ・トリニティの戦力の大半が集まる。ミメシス、終末悪の落胤が相手であれば負けることはないだろう。

 

 そんなことを考えていると、アロナから「先生」と声を掛けられる。

 

「そもそもケムダー……クリフォトって何ですか? 神名十文字(デカグラマトン)と関係していることは何となく分かるんですけど……」

「同じ目的のために生み出された存在の表と裏、って表現が適切かな。同じAI、同じ目的。だけど、証明方法が違うんだ」

「証明方法、ですか?」

 

 先生は「そう」と言い、黒板に文字を書いていく。

 

「神の証明、分析、再現を経て、新たなる神……自身の存在を証明するために神名十文字(デカグラマトン)は正道を取った。神は存在するという前提を元にした方法だね。勿論こっちがメインプラン。対して、サブプランのクリフォト……反・神明十文字(ネガ・デカグラマトン)()()()()()()()という前提を元にしている」

「神を証明したいのに存在しないことにしちゃったんですか?」

「うん。だから目的は神の不在を証明することではなく、不在が証明できないと証明することだったんだ。神の不在が証明できなかったら、それは存在するという証明になるでしょ? 平たく言えば背理法だね」

「なるほど……」

「でも、不在を証明できないって証明するより、存在を証明するほうが簡単だった。だからAIは演算をメインプランに集中させるために、反・神明十文字(ネガ・デカグラマトン)は凍結していたんだ。だけどホドの起動に伴って活性状態になったんだろうね」

 

 アロナの疑問を解消した先生は「じゃあ、話を元に戻そうか」と言って……残る問題に目を向ける。

 

「終末悪の本体と……ベアトリーチェ」

 

 ベアトリーチェは少し前に肉体と神秘を吹き飛ばしたが、ある程度再生が完了していると考えた方がいいだろう。回復に専念するのか、それともここで勝負を決めるのかは分からないが……もし仮に動いた場合はかなり厄介になる。

 

 終末悪の本体については謎が多く、そもそも存在するかどうかすら定かではない。だが、先生の研ぎ澄まされた第六感が『いる』と言っているのだ。この勘はそれなりに信用できる。

 

「どちらもカタコンベを経由して外に出てくるだろうから、それまでに潰しておきたいけど……」

 

 如何せん、戦力に余裕が無い。先生が関わり、かつ戦闘を得意分野としている生徒は全員動員したと言っても過言ではない。ミカやアリウススクワッド、アズサは動きを読めないため意図的に省いているが、それを加算したとしても尚、人数が足りないのだ。加えて、先生でなければ対処の難しい問題が多すぎる。

 

 ホド、ケムダー、終末悪、ベアトリーチェの計四つ。同時多発的に問題が発生したときに弱い体制だと謂う事は分かっていたが、実際に直面すると余計にそう感じる。体制を改善するべきなのはそうであるが、それは生徒を危険に晒す事に直結する。先生が背負うべきことを生徒に背負わせるなど言語道断だ。

 

 であれば結局、馬鹿の一つ覚えのように『私がやる』としか言えない。

 

「先生はミカさん達がどう動くと思いますか?」

「目的がアリウス自治区を取り戻すことなら、調印式当日にベアトリーチェを奇襲するだろうだね。会場襲撃のためにアリウスの生徒達も出払ってるし、寝首を搔くなら良いタイミングだ。アズサはフリーにして、万が一の時のための対応を……って感じかな」

「うーん、あり得そうですね……アロナもそれが一番可能性として高い気がします」

「本当かい? なら、これを仮説にしておこうかな。だけど……」

 

 あくまで相手が展開した瞬間に詰まなくなったというだけであり、全部のフィールドで戦闘というものを成立させる事ができるだけだ。この圧倒的に不利な盤面で、最低でも引き分け以上に持っていかなければならない。その為に鍵となるのは……先生と奇跡を起こす特権(大人のカード)、概念武装。

 

 これらを上手く使い潰さなければ敗北は確実。だが、負けるつもりなど無い。相手が地獄を作ると謂うならその地獄を踏み越えるまで。

 

 いつか未来を託すその日まで────先生は生徒を守護し続ける。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ブルーアーカイブを、もう一度。(作者:トクサン)(原作:ブルーアーカイブ)

 ブルアカの二次創作、五千兆作品くらいあると思ったら無かったので自給自足します。▼ すんごい強い先生が皆を救ってデロデロに甘やかして、好感度上げるだけ上げて、信頼されていた先生が愛する生徒の前で血塗れになって斃れる青春《ブルーアーカイブ》が見たいの、私は。


総合評価:34864/評価:9.46/完結:341話/更新日時:2026年05月25日(月) 23:21 小説情報

シャーレの地下室の秘密(作者:cheese hamburg)(原作:ブルーアーカイブ)

連邦捜査部『S.C.H.A.L.E』の先生。▼シャーレの先生には不思議な噂がある。▼シャーレには毎日たくさんの書類や仕事が舞い込んでくる。▼夜遅くになっても明かりは消えず、終電もとっくに過ぎた真夜中にようやく明かりが消えることも多く、徹夜していると聞いたこともある。▼そんな過労死寸前の先生だが、身だしなみはしっかりと整っているのだ。▼多忙を極める先生は一体い…


総合評価:3530/評価:8.57/連載:47話/更新日時:2026年06月29日(月) 22:59 小説情報

【本編完結】黒く濁った罪を背負って(作者:RH−)(原作:ブルーアーカイブ)

全てはより良い終着点のために。▼そのために、俺は全てを捧げよう。▼────貴女に裁かれるその瞬間を恐れ(望み)ながら。▼.24/11/06▼亜空間タックル様より初の支援絵を頂きました! 感謝です! マジで強そうで格好いい。▼https://img.syosetu.org/img/user/v2/6245/959/207372.png


総合評価:14059/評価:8.94/完結:101話/更新日時:2025年12月25日(木) 20:42 小説情報

シャーレ所属のダレカちゃん(作者:ブラウンドック)(原作:ブルーアーカイブ)

▼ダレカちゃんはループ系ダレカちゃんです。▼今日も今日とて先生アンチ勢な為、ぶっ生かします。死んでも次のループでぶっ生かします。だって放っておいたら勝手に目の前で死にまくるんですもの。▼


総合評価:10360/評価:8.62/連載:83話/更新日時:2026年04月26日(日) 03:29 小説情報

偽りの道をもう一度(作者:Mrふんどし)(原作:ブルーアーカイブ)

その”大人”は再び歩み始める。▼エデン条約編第一章スタート。▼ただしストーリーのさわりのみ思いついている程度なので投稿頻度はかなり遅めになると思います。▼ブルーアーカイブ最終編のネタバレがガッツリ含まれているので、まだストーリーを読んでない方は是非読んでから見るのをオススメします。▼あと、スマホで書いてるので段落分けなどおかしい部分があるかもしれませんのでご…


総合評価:583/評価:8.4/連載:113話/更新日時:2026年06月24日(水) 19:19 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>